エディタ・グルベローヴァ オペラ名曲を歌う

半年前にグルベローヴァがKitaraのステージに登場するニュースを知ってビックリした。彼女は2015年での引退表明をしていた。思わぬ吉報に心も弾んでいち早くチケットを購入した。
20世紀のディーヴァ(歌姫)はマリア・カラス。オペラの主役(プリマ)を歌う女性(ドンナ)は数多く生まれるが、ディーヴァの称号を得る歌手は限られている。現在のディーヴァとして世界最高の評価を得ているソプラノ歌手はアンナ・ネトレプコと言えよう。一世代前のディーヴァとしてオペラ界の人気を得ていたのはエディタ・グルヴベローヴァだろう。70歳を迎えたグルベローヴァが現役として活躍を続けて、札幌を訪れてくれることは大きな喜びである。

今回の札幌公演が17年ぶりと判って、過去のことを思い出した。Kitaraが開館して5年ぐらいは世界のオーケストラや演奏家が大挙してKitaraにやってきた。ヨーロッパのオーケストラのいくつかのコンサートのチケットを既に買っていて、日程的に連続したのでグルベローヴァのデュオ・リサイタルは残念ながら聴かなかった(*デュオの相手の名を知らず、料金が高額だったことも聴かなかった一因)。
今月は世界的な指揮者、オーケストラ、演奏家の来札が続くので一層充実した音楽鑑賞が楽しめる。

2017年11月2日(木) 19:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール

ソプラノ/ エデイタ・グルベローヴァ(Edita Gruberova)
指揮/ ペーター・ヴァレントヴィッチ(Peter Valentovich)
管弦楽/ 札幌交響楽団(Sapporo Symphony Orchestra)

〈Programme〉
 第1部
  モーツァルト:歌劇《後宮からの誘拐》序曲
  モーツァルト:歌劇《後宮からの誘拐》より コンスタンツェのアリア
            「悲しみが私の宿命となった~どんな拷問が待っていようとも」
  モーツァルト:歌劇《ドン・ジョヴァンニ》序曲
  モーツァルト:歌劇《ドン・ジョヴァンニ》より ドンナ・アンナのアリア
            「ひどいですって? そんなことはおっしゃらないで」
  モーツァルト:歌劇《フィガロの結婚》序曲
  モーツァルト:歌劇《イドメネオ》より エレットラのアリア
            「オレステとアイアーチェの苦悩を」
 第2部
  ベッリーニ:歌劇「夢遊病の女」より アミーナのアリア
           「ああ、もし私があと一度でも~ああ、信じられないわ」
  ロッシー二:歌劇《セヴィリアの理髪師》序曲
  ドニゼッティ:歌劇《アンナ・ボレーナ》より アンナのアリア
           「あなた方は泣いているの?~あの場所に連れて行って~邪悪な夫婦よ」
  ロッシーニ:歌劇《泥棒かささぎ》序曲
  ドニゼッティ:歌劇《ロベルト・デヴリュー》より 最後のシーン

ヴァレントヴィッチは2004年スロヴァキア・フィル管を指揮して注目を浴び、スロヴァキア国立歌劇場にも登場、2013年のウィ-ンでのグルベローヴァとの共演以来、彼女との縁が深い。昨年、プラハ国立歌劇場の来日公演では彼女の出演公演すべてで指揮を担当したという。
オペラ公演に慣れていて、初共演となる札響を指揮して5曲の序曲の演奏でオペラの雰囲気を醸し出す役割を十分に果たしていた。

グルベローヴァがステージに登場すると大きな拍手とともに歓声も沸き上がった。大スターの貫録を感じた。
大ホールに入場する前に知らされていたが、第1曲の後半部分の有名な「どんな拷問が待っていようとも」がキャンセルされた。アリアのなかでも最も難しい曲とされるようだが、体調が思わしくなったのかも知れないと思った。聴きどころが聴けなかったのと、やはり年齢を感じさせる歌唱になって第一印象はこんなものかと少々落胆した。

ところが2曲目から見違えるように劇的なオペラに引き込まれる歌唱と演唱。
各曲の演唱終了後にはブラヴィー(*二人以上の男女混合の演奏者に贈られる絶賛の叫び)の声が多分、同一人物と思われる人から何回も続いた。ブラヴォーと叫ぼうとした人も声を出したくても出せなかったのかもしれない状況だったが、会場は盛大な拍手に包まれた。それくらい素晴らしい聴衆の心を打つ歌唱がプログラムの最後まで続いた。

《イドメネオ》や《ロベルト・デヴリュー》は昨年と今年にそれぞれMETビューイングで観ていたので、歌唱の場面が判ってより良い鑑賞ができた。
怒りのアリアや狂乱の場面をアリアに込める超絶技巧を駆使しての感情移入には凄い迫力を感じた。コロラトゥラ歌手として絶頂期の頃と比しての衰えはあっても、鮮やかな声質の転換や表情豊かな演唱は絶品であった。最後の曲まで彼女の熱唱は衰えなかった。まさにディーヴァの名に相応しい演唱であった。

6年前に札幌でドミンゴとパヴァロッティが主演したオペラ映画の上映会が4回あった。「トスカ」(1976)、「カルメン」(1983)、「リゴレット」(1982)、「オテロ」(1986)。「リゴレット」でマントヴァ公爵役がパヴァロッティ、ジルダ役がグルベローヴァだったが、エディタの映像を観たのがこれが最初だった。
今回、グルベローヴァの歌唱を聴けて物凄く感激した。ピアノ伴奏による歌唱とオーケストラをバックにした歌唱では迫力も違った。演奏終了後のホールの盛り上がりも凄かった。

絶賛の嵐に応えてアンコールに「プッチーニ:歌劇《ジャン二・スキッキ》より“私のお父さん”」。止まらない拍手大喝采に「ヨハン・シュトラウスⅡ:喜歌劇《こうもり》より“侯爵様、あなたのようなお方は”」も歌われた。

今月はハンガリー国立歌劇場の来日公演があり、グルベローヴァは9日の東京文化会館での「ランメルモールのルチア」に出演予定。この機会を利用して札幌と東京でコンサートが開かれたようである。彼女はデビュー50周年を迎える来年に正式引退する。
今回が札幌でのサヨナラ公演の意味もあって花束を捧げる人、感謝を告げる幕を用意する人もあって、会場は延々と止まらぬ拍手で最後は聴衆全員総立ちの拍手で別れを告げた。
先週のエリシュカの時と同じような感動的な音楽家との心の交流は記憶に残るだろう。グルベローヴァは旧チェコスロヴァキアのブラティスラバ生まれ、音楽を通してチェコ、スロヴァキア、ハンガリーと日本の繋がりを感じることが時折ある。
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~演奏活動55周年記念~前橋汀子アフタヌーン・コンサート

数年前までは日本のヴァイオリニストで諏訪内晶子を聴く機会が一番多かったが、前橋汀子が演奏50周年(2012年)の折に札幌でアフタヌーン・コンサートを始めてから毎年欠かさずに聴き続けている。彼女のコンサートは今回で18回目となった。
2005年に自主企画で始めた東京サントリーホールでの「アフタヌーン・コンサート」も今では各地に広がり、札幌では完全に定着した感がある。比較的に低料金で日曜の午後のひと時を気軽に楽しめる企画は成功しているのではないだろうか。
同じようなプログラムが続いて今回が6回目だが毎年1回の開催につい足を運んでしまう。

2017年10月29日(日) 1:30PM開演  札幌コンサートホールKitara大ホール
 〈Program〉
  モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第24番 ハ長調 K.296
  フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
  ドヴォルザーク(クライスラー編):わが母の教え給いし歌、 スラヴ舞曲 Op.72-2
  ヴィエニャフスキ:モスクワの思い出
  ドビュッシー(ハイフェッツ編):美しき夕暮れ
  ショパン(サラサーテ編):ノクターン第2番
  ファリャ(クライスラー編):スペイン舞曲第1番
  モンテイ:チャールダーシュ
 
前半2曲のヴァイオリン・ソナタはヴァイオリンとピアノが対等に渡り合う曲で、ピアノの松本和将は毎回前橋汀子とコンビを組む相性の良いピアニスト。
2013年のコンサートでもこの「第24番」が取り上げられた。第25番(K.301)が取り上げられた年もあったが、私にとってはヴァイオリン・ソナタはケッヘル番号の方が馴染んでいる。昨日の午前中にCDで聴いてみると馴染みの曲だった。真心のこもった溌溂とした第1楽章。ロマンスに近くて牧歌的な第2楽章。第3楽章は生き生きとして軽快で輝かしい終曲。久しぶりに聴けて懐かしかった。

ベルギー生まれでフランスで活躍したオルガニスト兼作曲家のフランクはヴァイオリン・ソナタを1曲しか書いていないが、この曲は名曲で近年はコンサートで取り上げるヴァイオリニストが多い。
同じ主題が4楽章で繰り返される循環形式が全曲を支配する。フランクの理性と情熱が調和した曲。神秘的でロマンにあふれた主題が優雅で気品のある歌を奏でる。抒情的な旋律も魅力的で聴くたびに曲の良さが伝わってくる。

後半は珠玉の小品集。7曲中の5曲は歌曲やピアノ曲などがヴィルトオーゾのヴァイオリニストによる編曲版。今までのアフタヌーン・コンサートで演奏された名曲ばかり。比較的になじみの薄い曲は「美しき夕暮れ」だが、2012年にも演奏された曲。前橋が得意としている「モスクワの思い出」は彼女自身がロシアで学んだ若いころの思い出も重なっているのではと思う。
他のヴァイオリニストの演奏会で耳にすることが多い「チャールダーシュ」はそれぞれのヴァイオリニストが個性的に演奏していることが分る。
馴染みの名曲がヴァイオリン曲として流れると親しみを覚えるものではある。

アンコール曲を一気に4曲弾いてステージを終えたが、最後に譜めくりストを呼び寄せてアンコール曲としては長い「ツゴイネルワイゼン」を弾いて800人ほどの聴衆の大喝采を受けた。
アンコール曲は①ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女 ②エルガー:愛の挨拶 ③ブラームス:ハンガリー舞曲第1番 ④ブラームス:ハンガリー舞曲第5番 ⑤サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン。

マンネリ感が無いわけでもなかったが、今回はコンサートの行き帰りに通る中島公園の木々が秋色に染まる様子をじっくり観察した。今まで見たことが無いような美しい自然を連日満喫出来て公演内に立地するKitaraホールの良さの素晴らしさを味わった。10月の中旬には紅葉の見ごろを連日楽しめたが、10月下旬の何色にも色鮮やかに細かく変化している木の葉の濃淡の美しさにすっかり心を奪われた。中島公園の秋の美しさをしっかり目に焼き付けた。

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札響第604回定期演奏会~エリシュカ最後の来日公演

札幌交響楽団と2006年に共演し、08年からは首席客演指揮者を、15年からは名誉指揮者を務めたエリシュカが健康上の理由で本日の公演が最終公演となった。
09年の九州響、N響に客演して《わが祖国》で日本のクラシック音楽界に大反響を巻き起こしたラドミル・エリシュカは札響の存在も全国に轟かせる役割を果した。ドヴォルザーク、スメタナ、ヤナーチェクなどチェコ音楽を広めただけでなく、チャイコフスキー後期三大交響曲、ブラームス交響曲全曲演奏のプロジェクトを行って全曲録音も行われ高い評価を得た。札響のレヴェル向上に多大な貢献を成し遂げ、オーケストラ楽員から尊敬を集め、聴衆の人気が絶大である。三位一体の音楽が毎回展開されているのが特に嬉しい。

札響での共演は今回で24回(42公演)となり、私は18回聴いたことになる。マエストロ尾高がエリシュカを札響に迎えた慧眼は物凄い。エリシュカの公演は毎回大盛況であるが、今回のサヨナラ公演の高まりは例を見ないものとなった。

2017年10月28日(土) 14:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール

〈Program〉
 スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲
 ドヴォルザーク:チェコ組曲 ニ長調 op.39
 リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」 op.35

チェコ国民楽派の祖として名高いスメタナの作品で人々に最も親しまれている曲が「わが祖国」。「売られた花嫁」のタイトルも有名で序曲を度々耳にすることはあるが、メロディには親しんではいない。スメタナは日本で考えられている以上にチェコでは人気が高いと言う。農家の娘が地主に売られ、相愛の青年によって取り戻される物語。
エリシュカは同じ曲は殆ど取り上げないが、この序曲は今回が3度目である(ただし、定期では今回が初めて)。チェコで如何に人気が高いか分るオペラ。

ドヴォルザークの「チェコ組曲」は今まで聴いたことがない。有名な「スラヴ舞曲集」に続いて作曲したとされ、「弦楽セレナード」に似た雰囲気の作品で、管楽器の活躍が目立った。5曲編成。①前奏曲(牧歌) ②ポルカ ③メヌエット(ソウセツカ舞曲) ④ロマンス ⑤フィナーレ(フリアント)。フィナーレではティンパ二も加わってチェコの民族舞曲のリズムで力強く終わる。管弦楽曲として、ボヘミアの郷土色が濃い作品。20年ほど前に函館、青森での札響演奏歴があるが札幌では初演らしい。チェコ音楽には良い曲がまだまだ沢山あることを知った。

エリシュカの最後の曲は彼が札幌と初共演した時の「シェエラザード」。彼にとって札響との縁を結べた記念すべき曲。エリシュカはヨーロッパでは評価の高い指揮者として認識されているようだが、1989年に起ったビロード革命のためにチェコ国内で指揮者の活動が出来なくなり、指導者の道を歩んだ。当時、札響と共演したチェコの指揮者が意外と多いのに驚く。75歳で出会った札響との演奏で日本では巨匠と呼ばれる指揮活動だったが、残念ながら世界的には注目されていないのは残念である。個人的な感想であるが、ヨーロッパでは日本の後追いはしたくないのかも知れない。いずれにしても、エリシュカの最後の演奏曲はとにかく強烈な印象を残す彼の解釈に基づいた「シェエラザード」で新鮮な曲として聴けた(*前回の札響との共演は聴き逃していた)。

リムスキー=コルサコフはロシア国民楽派の「五人組」のひとり。殆ど独学で音楽を学び、職業は海軍士官で、のちにペテルブルグ音楽院教授を務めた。華麗なオーケストレーションを施した曲を書き、ボロディンなどの未完成曲の補筆でも活躍した。「シェエラザード」は彼が遺した最高傑作。華麗なオーケストラの響きとエキゾチックなメロディで絵巻物のように極彩色の音楽が展開される。ラヴェル同様にオーケストラの魔術師の感じがする。

メータ指揮イスラエル・フィルが1987年に録音したCDで楽しんでいたが、ここ何年も聴いていない。生演奏でこの曲を聴くのも久しぶりである。初めて聴く人々も心から楽しめる音楽。伝統的な作曲技法に囚われずに独創的に書き上げたと思われる魅力的な作品。「アラビアン・ナイト」で知られるストーリーを4楽章構成の曲にした。
①海とシンドバッドの船 ②カランダ―ル王子の物語 ③若き王子と王女 ④バクダッドの祭り、海、青銅の騎士の立つ岩での難破、終曲。王の威圧的な主題に続いてシェエラザードの優美な主題を独奏ヴァイオリンが歌う。この王女の主題が曲全体で流れる。第1曲で航海の様子が巧みに描かれ、第2曲のファゴットが奏でる主題がユーモラス。第4曲では王とシェエラザードの主題がいろいろ変化して現れ、海の情景が荒々しくなって船が難破。コーダに入り田島コンマスの奏でるシェエラザードの主題で曲が閉じられた。

予め“曲の余韻を楽しんでから拍手をお願いします”というアナウンスがあって、間をおいてブラヴォーの嵐。聴き慣れた美しい音楽の後に人々の感動の叫びと嵐のような拍手が続いた。何度ものカーテンコールでエリシュカも感極まった様子。スタンディング・オヴェイションをする人の数が多くなり、指揮者は何度もステージを出入りを繰り返す。楽員が退場した後でも鳴り響く拍手にエリシュカがあちこちに礼をする姿を見て、最後には会場に残っていた全員がスタンディング・オヴェイション!残っていた千人を超える人々の別れを惜しむ様子は正に感動的であった。目頭が熱くなる瞬間を味わった人々が多かったのではないだろうか。

コンサートの前後にホワイエに展示されていた札響でのエリシュカの思い出の写真を見る人が重なり合っていたり、指揮者に伝えるメッセージを書いている人々の列が延々と続いている様子も前代未聞。予想を超える状況に驚くと同時に人々のエリシュカに対する感謝の想いが伝わった。音楽家として人間として札幌に偉大な足跡を残した指揮者を改めて素晴らしいと思った。

※実は2年前の心臓バイパス手術後の昨年2月にカテーテル施術でステントを入れて経過観察のため、昨年10月に続いて、今年も昨日カテーテル検査で1泊入院。今日の午前中に退院したばかり。血液がきれいに流れていると分って一安心。万が一の場合はキャンセルも覚悟していたが、楽観主義で生きているので明日の午後もコンサート鑑賞の予定。コンサートを楽しめるのも健康のお陰である。


 
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天彗社(書道)創立50周年記念展&北海道美術50

芸術としての書道の分野において北海道だけでなく全国的に有名な書家、中野北溟先生が札幌に書道芸術の普及に「天彗社」を創立してから50年を迎えての記念展。道内と本州の会員約220名が出品しての50周年記念展は結果的に詩文が中心であったが、それだけに素人にも親しみやすい作品が非常に多かった。文学性豊かな詩文と重厚な筆のタッチで洗練された感覚で書き上げられた数々の作品は普段の書道展と趣を異にしていて面白かった。
北海道書道展などが行われる会場とは違って、美術展開催の会場は広さだけでなく、展示室の雰囲気に独特のものがある。同じ詩文でも比較的に字が読めやすく、字体にも墨の濃さにも変化があって様々な作品の中に書家の個性が感じられて良い鑑賞が出来た。

見応えのある作品を鑑賞するのには、途中で腰を下ろす椅子があると楽である。美術展鑑賞の際には休憩をとるのだが、座るところが無くて、脚が痛くて不便を感じた。今日は妻が会場の当番の日で係に話してみると言っていた。(*書展は29日まで、入場無料) 

※天彗社中の中野会長は現在94歳であるが、品よく齢を重ね、書に対する情熱は人並みではない。昨年一度市民ギャラリーでお会いしたことがあるが、先生に教えを受ける妻から耳にする言動は書道の伝道師の姿を彷彿とさせる。90歳を超えても、教室を開講し、東京にも頻繁に一人で出かけて書道に邁進して生きる姿には驚嘆するばかりである。
札幌交響楽団定期演奏会のプログラムの表紙には毎回美術作品が使われているが、第600回記念演奏会の表紙には中野北溟先生が札響35周年記念に札響に寄贈した作品が載せられていた。この作品を6月の定期公演の際にKitaraのホワイエで見た方もおられると思う。

近代美術館には常設展があり、前回のゴッホ展の折にもサッと鑑賞しておいた。今日は少し丁寧に鑑賞してみた。
この美術館は開館40周年記念に《近美コレクション第Ⅱ期名品選》を展示していた。コレクションは現在5,000点を越えたという。今年は北海道立美術館の開館から50周年に当たるということもあり、今回の常設展は北海道美術50【Fifty Masterpieces of Art from Hokkaido.】として名作の解説が載せられていて作品鑑賞の参考になった。

主な作品は片岡球子「阿波風景」(1963)、神田日勝「室内風景」(1970)、岩橋英遠「憂北の人」(1970-79)、林竹治郎「朝の祈り」(1906)、田辺三重松「昭和新山」(1971)、砂澤ビッキ「風」(1988)、中原悌二郎「若きカフカス人」(1919)など。
江戸後期から現代までの日本画、油彩画、版画、彫刻などの名品が紹介されていた。北海道立近代美術館および北海道立三岸好太郎美術館のコレクションの中から、北海道ゆかりの作品50点を選んで、見どころや作品にまつわる秘密などを盛り込んで紹介する書籍が出版されるそうである。

中学校時代の苦手な科目は美術だったが、国内外の旅行では美術館は好んで旅程に入れる。絵を描くのは不得手であるが鑑賞は好きである。来年の近代美術館で開催される《棟方志功展》の前売券も既に手に入れている。棟方志功自身が私の高校1年時の文化祭の講演者であったことは一生忘れ難い思い出でもある。ニューヨークのメトロポリタン美術館でも棟方志功の作品を目にして驚いたものだが、彼の作品を世界の博物館、美術館で見るのも当たり前になった。それでも日本で数百点もの作品を見れるのは今から凄く楽しみである。
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ラトルと内田がピアノ協奏曲で共演(モーツァルト第27番&シューマン)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督として最後のシーズンを迎えたサー・サイモン・ラトルは「ハイドン:天地創造」で今シーズンのプログラムをスタートした。9月の4種類のコンサートは客演指揮者が担当した。
10月7日のコンサートでは内田光子をソリストに迎えた。内田はベルリン・フィルの“ピアニスト・イン・レジデンス”として10年2月にベートーヴェンのピアノ協奏曲をラトルとの共演で全曲演奏した。今回の「モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番」のライヴに先立って、09年2月のラトル&内田による「シューマン:ピアノ協奏曲」のアーカイヴの案内があった。

シューマンのピアノ協奏曲は暫く演奏会で聴いていないので懐かしくなった。ルービンシュタイン演奏のLPレコードで聴き始め、20年前に手に入れたCDでは当時人気の指揮者アーノンクールが指揮するヨーロッパ室内管&アルゲリッチの演奏を聴き続けて“お気に入りのピアノ協奏曲”になっていた。
直ちに視聴してみると、内田の力強いピアニズムに一気に惹きこまれた。冒頭から幻想の世界に導かれ、ピアニストの表情もいろいろ変化する。シューマンの不安、緊張、暗さも感じ取れるが幸せな気持ちも伝わってくる。ピアノとオーケストラ、特に木管との対話は内田が時には指揮者や木管奏者に目をやりいながら演奏を進める仕草からも、その密度の濃さが読み取れた。迫力に満ちたフィナーレで曲が閉じられ、演奏終了後の聴衆の大歓声も特別のように感じられた。

ホルン奏者、サラ・ウィリスとのインタヴューを通して内田の音楽に対する熱い思いが伝わってきた。シューマンのこの曲の例えようもない美しさに13歳から心を奪われていたと語った。彼女のシューマンへの想いは“first true deep great love”という言葉に表されている。15分以上も雄弁に語る内田の語りから普段のコンサートでは分らないことが知れて興味深かった。

「モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番」は今月の16日に聴いた。モーツァルト最後のピアノ協奏曲で彼自身の独奏で初演されたが
、人前で演奏する最後の曲となった。
内田光子とジェフリー・テイト指揮イギリス室内管による20番台の協奏曲は30年前の録音で全曲を所有している。30年ほど前には“モーツァルト弾き”のピアニストとして名声を得た内田も、現在では当時と演奏が変わっているのは当然ではないかと思う。
日本に生まれ、ウィ-ンで育った内田はモーツァルト、シューベルト、バッハ、ベートーヴェン、シューマン、ショパンは言うまでもなく、ドビュッシーからメシアンや武満などの現代音楽作曲家もレパートリーに入っていて、私の好みではないがシェーンベルクも得意にしている。

2010年にはクリーヴランド管を率いてKitaraで「モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&27番」を弾き振りして大反響を呼んだ。P席のど真ん中から堪能した当時のコンサートの様子が蘇った。マーラー・チェンバー・オーケストラを率いての「モーツァルト:ピアノ協奏曲第17・19・20・25番」の2日間に亘る弾き振りは丁度一年前のことであった。堂々たる風格を備えたピアニスト・指揮者として活躍している姿は実に頼もしい。

今回のラトル指揮ベルリン・フィルの演奏は上記のコンサートとは違ってピアニスト内田に焦点を当てて視聴した。内田光子はベルリン・フィルとは30年以上も共演しており、モーツァルトの協奏曲をラトルと共演するのは14年2月の「第18番」、16年3月の「第22番」に続いて、今回が3回目のようであった。
「第27番」は音楽の素材は簡素で、それほど情熱的ではないが悟りの境地に達したモーツァルトの味わいのある曲。インタビューで憂いに沈んだメランコリーな雰囲気の世界より、“bittersweet”(ほろ苦い)雰囲気を感じ取ったインタヴューアーが内田に質問を浴びせていた。質問には曲について“almost happy, but not so happy”(殆どハッピーだが、それほど楽しくはない)、“ It has a lot of drama. It has so much melancholy, so much sadness, so much darkness”(ドラマと憂鬱と悲しさと暗さに満ちている曲)と彼女の解釈を述べていた。聞いていて違和感は特に感じなくて、彼女の意図するところは分ったような気がした。曲全体の印象はメランコリーであっても透明な抒情感があり、気品もあって、人生の最後を迎えようとしていた作曲家の心境が綴られている気もした。いずれにしても読み取る解釈は聴き方によって濃度の違いが出るのはむしろ当たり前ではないかと思った。
ラトルと共演が多い理由を訊かれて、“He is a lovely, wonderful musician. 彼は常に新たな角度から楽譜を読み取り、指揮棒を持っても持たなくても、オーケストラをコントロールできる真の優れた指揮者である”と称えて全幅の信頼を置いているようであった。(*インタビューは英語で行われて、字幕がドイツで書かれていた。)

今日はブログを書くに当たって、この2曲を再度、いや今までデジタル・コンサートホールで三度視聴したことになる。どちらも素晴らしい演奏だったが、ピアノ協奏曲を1曲しか書かなかったシューマンの協奏曲に、より魅力を感じたのが正直な感想である。
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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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