METライブビューイング2016-17 第10作《R.シュトラウス:ばらの騎士》

216-17シーズン最後のMET作品《ばらの騎士》は見逃すまいと思っていた。ニューヨークのリンカンセンターの前に立ってカメラを回したのが1967年7月でメトロポリタン歌劇場(MET)が移転した年だった。内部には入れなかったが、METライヴビューイングの度に毎回目にするリンカンセンターの光景に50年前を懐かしく思い出して今回は特に感慨一入であった。

タイトルの「ばらの騎士」はウィーンの貴族が婚約の申し込みに際して立てる使者のことで、婚約の印として銀のバラの花を届けることからの呼称。
リヒャルト・シュトラウスのオペラはオーケストラの役割が伴奏にとどまることが多かった19世紀前半のイタリア・オペラでのものと違って、極めて複雑なものになっている。
物語の舞台はハプスブルク王朝時代の末期で第一世界大戦前のウィーン。台本はオーストリアの文豪、ホフマンスタール。R.シュトラウスが書いたオペラはモーツァルト風のオペラで、プロットは「フィガロの結婚」に似ている。新演出。ドイツ語上演。3幕。上映時間:4時間20分(休憩2回)。

【第1幕】ヴェルデンベルク侯爵夫人の寝室。 元帥夫人は夫の留守中に年下の愛人(17歳2ヶ月)であるオクタヴィアン伯爵と逢引きをした。翌朝、従兄のオックス男爵が貴族になったばかりの家の娘ゾフィーと婚約したので薔薇の騎士を務める青年を推薦してほしいと頼みに来た。オクタヴィアンは慌てて小間使いに女装し、男爵と顔を合わす。皆が帰ってから元帥夫人は憂鬱になる。

【第2幕】新興貴族ファーニナルの邸宅。 結納の日に薔薇の騎士が銀のバラを届けに来る。ゾフィは下品な振る舞いを続ける初老の男爵に幻滅し、オクタヴィアンに助けを求める。2人の間に恋が芽生える。オクタヴィアンがゾフィのために剣を抜いて男爵と争いになる騒動が起こる。その後、男爵は小間使いから来た逢引きの手紙を見て機嫌を直す。

【第3幕】娼婦の館。 密会の場所にやってきた男爵は小間使いを口説く。オクタヴィアンが男爵を懲らしめようと策略を用意していた。騒ぎが大きくなって、警官や軍人、ゾフィー、彼女の父や元帥夫人までやって来て、男爵は事の真相がわかる。元帥夫人はオクタヴィアンとゾフィの愛を知り、身を引く決意をして二人を祝福して去る。

元帥夫人役のルネ・フレミングはアメリカが生んだスター歌姫。91年のMETデビュー以来、同歌劇の看板プリマとして君臨。14年「ルサルカ」、15年「メリー・ウィドウ」を観た。膨大なレパートリーを誇り、リリック・ソプラノとして艶のある美しい歌声は衰えていないが、今回で元帥夫人役は最後にするようである。高貴で気品のある役は彼女のはまり役だった。

オクタヴィアン役のエリーナ・ガランチャはラトヴィア出身のメゾ・ソプラノ歌手としてソプラノのネトレプコと並び称される美貌と歌唱力を兼ね備えたスター歌手。14年「マスネ:ウェルテル」、15年「ドニゼッティ:ロベルト・デヴュリュー」で魅力的な歌手として記憶していた。ズボン役も風貌から全然違和感は無いが、オクタヴィアン役は丁度17年2ヶ月にもなる今回でピリオドを打つつもりのようである。

フレミングとガランチャの2大スターの組み合わせは大成功だと思った。オペラのタイトルと2大スター歌手の出演が魅力的で今回は観客が凄く多かった。

ゾフィ役のエリン・モーリーもリリック・ソプラノで高音が得意なようで初々しい個性的な演唱で堂々としていた。オックス男爵役のギュンター・グロイスペックはバスの低音で難しい役をこなすヴェテラン歌手のようであった。マシュ・ボレンザーニがイタリアの名歌手カルーソーのような素晴らしい歌声で登場したが、その後にMETビューィングの案内役を務めた。テノールのアリアを突然はさんでイタリアのオペラを揶揄するような場面となり、シュトラウスのイタリア・オペラに対する偏見のようなものが垣間見えた。

オーケストラは随所でシュトラウスらしい官能的で色彩的な音楽も入ったが、全体的にモーツァルトのような軽妙で透明な音楽で楽しめた。ウィーンナー・ワルツが流れる場面はウィーンの雰囲気が出て心地良く聴ける。指揮のセバスティアン・バイグレの名は知らなかったが、1961年ドイツ出身の指揮者で2000年にMETに登場し、07年にバイロイト音楽祭にデビューを果たしており、オペラ指揮者として名高いようである。今回の指揮ではセリフを伴う曲で歌手に合わせる演奏に気を配る場面が多くて大変なようであった。

アリアは無かったが、自分の想いを独自に歌う三重唱は光った。「ばらの騎士の三重唱」として知られるようで印象的な場面であった。自己所有のオペラ全集に収録されているR.シュトラウスのオペラは「ばらの騎士」(*1971年バーンスタイン指揮ウィー・フィルの録音)と「サロメ」。改めて「ばらの騎士」の注目の高さが分かった。

※オペラを鑑賞したのが昨日、今日の午前中は時計台のボランテイア活動。初めて活動に参加した若い女性と一緒だったが、インドネシアの家族や関西のご婦人グループに感謝され、それぞれカメラに収まって気持ちの良い半日を過ごした。明日・明後日とKitaraのボランティア活動が続く。結構、忙しいスケジュールを作っているが、これも身体が動けるから出来ることで、やり甲斐を感じながら活動を続けている。コンサート鑑賞も月末に4回ある。












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ドゥネーヴ指揮ブリュッセル・フィル管withモナ=飛鳥・オット

《Kitaraワールドオーケストラシリーズ》

ベルギーのオーケストラのKitara公演は初めてだと思う。1935年創立の国立放送交響楽団が前身。フランドル系とフランス系の放送局が別々にオーケストラを所有して複雑なようである。2008年にブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団(Brussels Philharmonic )となり、2015年9月にステファヌ・ドゥネーヴが音楽監督に就任して世界の注目を浴びるオーケストラとして来日公演に繋がったらしい。近年のツアーでは、ウィーン、ベルリン、ロンドン、パリの檜舞台で大成功を収めているという。

ステファヌ・ドゥネーヴ(Stephane Deneve)は1971年フランス生まれ。88年サイトウ・キネン・オーケストラで小澤征爾のアシスタントを務め日本のオーケストラへの客演も増えた。2003年新日本フィルを指揮して日本デビュー。その後、都響やN響などとも共演。
11年シュトゥットガルト放送響首席指揮者として13年に来日公演し、14年フィラデルフィア管首席客演指揮者に就任、15年ブリュッセル・フィルハーモニー管首席指揮者に就任。15年のN響と客演した「ラヴェル:ボレロ」は反響を呼んだという。

2017年6月12日(月) 19:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール
〈Program〉
 コネソン:フラメンシュリフト(炎の言葉)
 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 「皇帝}(ピアノ:モナ=飛鳥・オット)
 ドビュッシー:交響詩「海」
 ラヴェル:ボレロ

指揮者が指揮台に上がって演奏を始める前に、ヴァイオリン奏者一人を呼び寄せ挨拶があった。指揮者より先に女性が“Good evening.”、続いてドゥネーヴが“こんばんは”。予想外の演出に会場に笑いが起こった。あとは、ドゥネーヴの英語と通訳の日本人奏者(*オーケストラには日本人奏者2人が在籍)のプレトーク。
コネソン(1970- )は初めて名を聴く現代音楽作曲家。ベートーヴェンを尊敬し、「運命」と同じ楽器編成で管楽器と弦楽器を対比させてリズミカルな作曲要素を高い次元に高めようとした曲。漠然としてハッキリした意図は理解できなかったが、曲として違和感のあるものではなかった。ドイツ・グラモフォンからリリースされCDにも入っていて購入の宣伝もしていた。

ここ2年ほどはベートーヴェンの「皇帝」が演目になっていて聴く会が多い。モナ=飛鳥・オットは白いドレス姿で颯爽と姿を現した。技巧的で華やかな曲を最初から最後まで聴衆の耳を釘付けにした演奏はこの上なく魅力的であった。鍵盤の上を彩る手の動きや打鍵の強弱で曲が絢爛豪華に彩られた。カデンツァも含め見事な集中力で弾き切り、演奏を聴き惚れた。最初から最後まで40分弱のドラマが見事に展開され、ベートーヴェン魅力満載のコンチェルトを堪能した。最近の「皇帝」では最も気に入ったベートーヴェンのピアノ協奏曲になった。陰から支えたオーケストラとドゥネーヴの指揮ぶりが貢献したことも確かであろう。

ブラヴォーの声も上がり大拍手に包まれて、モナはアンコール曲に「リスト:巡礼の年 「ヴェネツィアとナポリ」(第2年補遺)より“カンツォーネ”。右手と左手で同時に違うリズムを刻む難曲を見事な技で披露して聴衆の度肝を抜いた。(*姉アリスと同様に素足で登場する姿は、性格は違っていて演奏スタイルも別であるが、姉妹でやはり似ていると思った。)

後半はこのオーケストラに期待したフランス音楽。13年前に聴いたベルリン・フィルの「海」の印象は強く残っていない。(*その時は現在ほど鑑賞力が高まっていなかった所為もある。)PMF2017 でアクセルロッド指揮で聴いた時には心構えができていてドビュッシーの音楽に浸った。
葛飾北斎の浮世絵の影響も受けてイメージしたと思われる海の情景がフランス音楽の印象主義作曲家ドビュッシーによって描かれた。第1曲「海の夜明けから真昼まで」はゆったりとした低弦の響きに2台のハープが応える薄あかりで始まり、絵画的で光の増大の様が感じられた。第2曲「波の戯れ」は風と泡の動きが弦や管で表現され、ハープの響きも神秘的であった。第3曲「風と海との対話」はティンパニと大太鼓のトレモロに始まり、変容する海の風景が描かれる。風の弦と海の管が対話しているように思えた。第1曲に出てきた讃美歌らしいモチーフが入って、熱狂的なトッティでフィナーレ。
今までにない色彩豊かなオーケストレーションで作り上げられた音楽をドゥネーヴは堂々とした体躯を生かした大きな指揮ぶりで繊細な音楽を鮮やかに彩った。

最終曲「ボレロ」は2014年のケント・ナガノ指揮モントリール響で堪能して以来、初めて聴く。バレエ音楽「ボレロ」は1990年にジョルジュ・ドンと東京バレエ団創立25周年記念特別札幌公演で観た神の踊りが忘れられない。
ドビュッシーと共にフランス印象派音楽を代表するラヴェルは生涯に5曲のバレエ音楽を書いたが、1928年に完成された「ボレロ」は最後を飾る傑作である。
このバレエ音楽は主題、副主題、小太鼓が絶え間なく刻み続けるリズム・パターン、という3つの要素だけから成る。ボレロはスペイン起源のダンス。バレーのストーリーはセヴィリアの酒場で一人の踊り子が最初は静かに、そして次第に興奮して激しく踊りだし、酒場の客も一緒に踊りだすというもの。
小太鼓(=スネアドラム)が最初から最後まで同じリズムを繰り返す中で、フルートが旋律を最初に静かに演奏し、木管楽器からサクソフォンを含む金管楽器、そして弦楽器がその旋律を繰り返しながら響きを増大し圧倒的な迫力の中で曲が閉じられる。
極めて単純な素材を執拗なまでに繰り返しすが、飽きることはない。 その見事なオーケストレーションの曲を堂々とした体躯のドゥネーヴの大きなタクトの下でオーケストラの存在感も増した感じ。

前回のモントリオール響の演奏では小太鼓がステージ中央に配置されていたが、今回は下手後方の配置。結果的にそれぞれの管楽器奏者の演奏が際立つように思えて良かった。第1ヴァイオリンとチェロの対抗配置もあって指揮者の音作りの配慮もうかがえた。やはりフランス音楽の魅力は独特のものがあると思った。
演奏終了後の拍手は極めて盛大で聴衆の感動の様子が広がった。(*2階席LA半分とRA半分を空席にしてP席を販売してほぼ満席にした珍しい座席の売り方は珍しいと思ったが、面白い販売方法だと思った。)

ドゥヌーヴは経歴からも分かるが親日家で日本人の鑑賞態度も心得ている。「盛大な拍手を有難うございます」と上手な日本語で挨拶して、「もう1曲お楽しみください」と言って《ビゼー:劇音楽「アルルの女」第2組曲より “ファランドール”》を演奏。迫力ある演奏に大歓声が沸き起こった。時間は9時半近くになっていたが、席を立つ人も人もほとんどいなくて大ホールは感動の渦。
ステファヌ・ドゥネーヴの実力と人気の理由が分かった。世界のどこでも期待される実力とパーソナリティを兼ね備えた指揮者だと思った。期待以上の演奏会となって思わず満足感で笑みもこぼれた。

※ベルギーの首都ブリュッセルはEU本部のある都市として知られる。ベルギーの公用語はオランダ語、フランス語、ドイツ語。ベルギーにベルギー語は無く、言語境界線が公式に設定されている。北部のフランダース地域(*“フランダースの犬”で親しまれた)がオランダ語の方言フラマン語。南部のワロン地域がフランス語方言のワロン語。東部がドイツ語。人口の60%がオランダ語、40%がフランス語、約1%がドイツ語。
ベルギーは国内で言語紛争が起きるくらいの複雑な状況にある国。オランダから分離・独立した国で、一時期フランスの領土でもあった歴史がある。ブリュッセルはフランダース地域にあるがオランダ語とフランス語の併用地域。住民の8割近くがフランス人系。国際的な都市であり、英語を話す住民が多い。ブリュッセル周囲の地域はオランダ語圏でオランダ語しか話せない人も多いそうである。産業構造の変化によって、フランス系の住民が近郊の市町村に移住する場合は言語紛争の事態が発生している(*例えば、オランダ語圏の公園ではフラマン語が解らないものは利用できない。)

カナダもモントリオールはフランス語圏なのでフランス音楽の本場といえるが、ベルギーもフランス音楽が盛んな地域は限られているのかもしれない。

札響第600回記念定期演奏会《モーツァルト3大交響曲》(ポンマー指揮)

1961年創設の札幌交響楽団が第1回定期演奏会を開いたのが1961年9月。今回は第600回となる記念すべき定期演奏会。前回の第500回定期は2007年6月、尾高忠明指揮による《マーラー:交響曲第2番「復活」》。
第1回定期の演奏曲目は「ベートーヴェン:交響曲第1番」他、第100回定期(1970年)は「モーツァルト:交響曲第36番」と「ブルックナー:交響曲第7番」、第200回定期(1980年)は「マーラー:交響曲第1番」他、第300回定期(1989年)は「レスピーギ:ローマの松」他、第400回定期(1998年)は「マーラー:交響曲第7番」。

前札響正指揮者の高関健が第500回記念定期演奏会の折に彼自身がニューヨーク・フィル(1842年創立)の一万回目のコンサートに同席した思い出が書かれていた。欧米のオーケストラの歴史には遠く及ばないが、日本のオーケストラの最近のレヴェルは欧米並みに達していると評価されている。札響も創立以来何回目かの黄金時代を迎えているのではないかと思われる演奏会が続いている。札幌市民、北海道民のオーケストラとして着実な歩みを続けてほしいとこの機会に願いを新たにした。

札幌交響楽団第600回記念定期演奏会
第600回記念・モーツァルト3大交響曲

2017年6月10日(土) 14:00開演  札幌コンサートホール大ホール
 指揮/ マックス・ポンマー(Max Pommer)
《プログラム》
 モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K.543
          交響曲第40番 ト短調 K.550
          交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」

モーツァルトは家庭の経済状況が悪化していた31歳の時に機会音楽と思われる3つの交響曲を僅か3ヶ月で書き上げた。当時41曲と考えられていた交響曲数も現在では50数曲ともされている。私自身が所有している曲も46曲は有る。旧モーツァルト全集では「ジュピター」が最後の交響曲となっている。

3つの交響曲はいずれも違った持ち味のシンフォニーで短期間でそれぞれ特徴的な曲を作った才能に驚嘆するばかりである。3曲を1回の演奏会で聴いたのは数年前のNHKの「クラシック音楽館」だったと思う。ブロムシュテットがN響と共演した時のプログラムで、放映に先立って歌いながら各曲を解説していた様子が今でも眼前に浮かぶほど印象深かった。3曲はこの十数年に亘ってよく耳にしている。演奏会では第40・41番が演目になっていることが多いが、メロディには3曲ともに馴染んでいる。

「第39番」は演奏会で聴いた記憶は無い。生で聴いて気づいたのは楽器編成である。2管編成だが、オーボエが入っていない。クラリネットを使って、当時としては目新しい音色を創り出したようである。清楚で美しいメロディが歌心に満ちている。モーツァルトのクラリネット協奏曲やクラリネット五重奏曲は一時CDでよく聴いていたので、シンフォニーにクラリネットが使用されているのが当然と思い込んでいた。音楽に親しんでいるようでも素人には曖昧なことがまだ沢山あるようである。

「第40番」の楽器編成はフルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、弦5部。クラリネットは無し。ティンパニも使われていなかった。(*クラリネットを使った版も後に書かれている)。モーツァルトの曲で短調で書かれてる作品は珍しく、短調の交響曲は他に同じト短調の第25番だけで演奏会で一度聴いたことがある。
強烈なインパクトを持つ、悲劇的で格調の高い作品。何度か生のコンサートで聴いたことのある曲はドラマティックに響いた。激しい感情と安らぎに満ちた穏やかな表情の対比がよく出ていた。第3楽章のメヌエットでの管楽器の響きも良かった。偉大な作品に相応しいフィナーレ。

「第41番」はローマ神話で最高の神であるジュピターの愛称を後に付けられた。その名に相応しい偉容と充実した内容を持つ。最後の交響曲の楽器編成はクラリネットは無く、トランペット2とティンパニが加わった。
第1楽章は明るく力強い総合奏で始まる第1主題、弦楽器の典雅で軽快な第2主題の対比が印象的。民謡的な旋律は深いニュアンスがあって素晴らしい。第2楽章のアンダンテ・カンタービレは情感が豊か。第3楽章はチャーミングで親しみやすく壮麗なメヌエット。個性的な第4楽章は「終楽章にフーガを持つ交響曲」と称されるほどの特徴があるフィナーレ。

モーツァルトの有名な交響曲のコンサートで親しみやすかったのか、最近の札響定期演奏会では最も客席が埋まったように思えた。個人的には聴きなれて親しみのある曲ばかりだったのと、テレビ放映を通してとはいえ《モーツァルト3大交響曲》の新鮮味が薄れていたこともあって感動を味わうほどではなかった。

比較的短い期間でこのような偉大な作品を書いたモーツァルトの偉大さを改めて感じたことは確かである。1789年のフランス革命の前年に作曲されたこれらの交響曲はヨーロッパの新時代を予見する曲にもなっているように思えた。そういう意味で札響の新時代へ向けての選曲だったのかも知れない。

演奏終了後にはブラヴォーの声も上がって聴衆は拍手大喝采でポンマーと札響の演奏を称えた。ポンマーは管楽器奏者、大平コンマスの健闘を労った後に、第2ヴァイオリン首席奏者の大森潤子に歩み寄り言葉をかけていた様子。珍しいことに結構な時間をかけて話していたので、多分、第2ヴァイオリンが果たした役割の労をねぎらっていたのではと類推した。オーケストラ演奏で地味な楽器が演奏に果たす貢献を評価したのだと思った。(*勘違いかも知れないが、敢えて書いてみた。)


小山実稚恵 「音の旅」第23回(シューマン、ベートーヴェン、シューベルト)

12年間・24回リサイタルシーリズ2006~2017の最終年に入った。シリーズのスタート前に全演奏曲を決めて一切の変更なしに実施し続けてきた企画力と実行力に敬意を表するばかりである。札幌では回を増すごとに聴衆の関心が増して満席の状態が続いていることは喜ばしい。シューマン没後150年の年に始まった「音の旅」を毎年のように聴き続けて今回が17回目となった。ここ4回ほどは重量感のあるプログラムで非常に聴きごたえのあるコンサートの連続であった。

2017年6月8日(木) 19:00開演  札幌コンサートホールKitara小ホール

第23回 祈りを込めて [くすんだ青緑/湿気・さらに奥深くへ]
 シューマン:幻想小曲集 作品12
 ベートーヴェン:ソナタ 第31番 変イ長調 作品110
 シューベルト:ソナタ 第21番 変ロ長調 D960

シューマンの「幻想小曲集」は8曲編成であるが、全曲を聴く機会は殆どない。そういう意味では貴重な機会となった。
①夕べに、②飛翔、③なぜに、④気まぐれ、⑤夜に、⑥寓話、⑦夢のもつれ、⑧歌の終わりに。第1・3曲は静かに、しなやかに歌われ、第2・4曲では躍動感があり、速いテンポ。第7曲は優れたテクニックと爽快なリズム感が味わえた。明暗や動静がはっきりした立体感のある演奏として聴けた。小山の曲の紹介には“クララへのシューマンの想いがファンタジーで羽ばたいた小品集”と書かれていたが、文字通り詩情とファンタジーに満ちた作品だった。

ベートーヴェンの後期3大ソナタは近年の演奏会で聴く機会が多い。ベートーヴェンが到達した心境がうかがえる抒情的で味わい豊かなソナタ。詩情豊かで幻想的な美しさを持つ第1楽章。スケルツォ的な第2楽章。第3楽章は独創的で多彩な表現効果に満ちて壮麗なフィナーレとなって終結した。
さすが、力のこもった堂々たる深みのある演奏に魅了された。小ホールの座席に余りこだわりはないが、やはり正面のやや左で手の動きがよく見える場所は満足感が大きい。演奏終了後にブラヴォーの声も上がったが、声には出さないまでもホールには大きな感動が生まれた。偉大なピアニストが醸し出す瞬間は尊い。

シューベルトは歌曲王としてのイメージが強すぎて「未完成交響曲」や「ます」などを除いて彼の曲には親しむ機会が余り無かった。シューベルトのピアノ曲で「即興曲」や「楽興の時」のメロディには親しんでいたが、ソナタの良さを知ったのは思い返すと紗良・オットの「第17番」の演奏を聴いてからだった。シューベルトに親しむ決定的な瞬間は2012年11月に東京で聴いたラドゥ・ルプー演奏のシューベルト・プログラム。「第21番」は圧巻であった。2014年にKitara で田部京子のリサイタルを聴いた時にはD.960の曲をかなり理解できるようになっていた。

この作品はシューベルトの死の直前に完成された最後のピアノ曲。彼の死(1828年)から10年も経った1839年に出版された遺作。ベートーヴェンが完成させたウィーン式4楽章制(急ー緩ースケルツォー急)のピアノ・ソナタ。アカデミックではあるが、独自の歌が曲中に溢れているシューベルトらしいソナタ。苦悩、優しさ、悲しみなど自己を吐露する気持ちの表現が率直に綴られ、やがて上手く調和して祈りが実って超越の域に達する“さすらい人の旅”が描かれているような気がした。自己の先入観を投入し過ぎたかもしれないが、歌心のある祈りも込められた曲は小山実稚恵の演奏を通してシューベルトの声が聞こえてくるようであった。

※シューベルトはモーツァルトやベートーヴェンのようなピアノの名手だとは伝わっていないが、「歌心」が作曲において極めて重要な要素なのだろうと痛感した。

演奏終了後の万雷の拍手に応えて演奏されたアンコール曲は3曲。①ショパン:ノクターン第21番 ②ショパン:ノクターン第13番
③バッハ:平均律クラヴィーア曲集より第1番。
3曲ともに聴き慣れたメロディの名曲に心も一層癒された。こんなに良い気分に浸って家路に着けたのも嬉しかった。

タリス・スコラーズ~モンティヴェルディ生誕450年記念~

コンサート鑑賞前に毎年開催される大学のゼミ仲間の会合が入っていた。道庁前のホテルで会食2時間の予定を途中で切り上げて地下鉄に乗り継いで急いで会場に駆け付けたがコンサート開始時間の直前に飛び込んだ感じになってしまった。レセプショニストにはお世話をおかけした。

世界最高のア・カペラ合唱団と言われる《タリス・スコラーズ》は前回はKitaraリニューアル・オープン記念として開催され4ヶ月の休館後の最初のコンサート(2015年4月17日)で特別な印象が残る合唱団でもあった。2年ぶいとなるが、同合唱団にとっては3度目のKitaraのステージ。
指揮はピーター・フィリップス(Peter Phillips)。1973年にフィリップスが創立し。年間70回の演奏を教会やコンサートで行っている。今回が16度目の来日。来日メンバーの歌手は前回同様10名。ソプラノ4名、アルト2名、テノール2名、バス2名。(*メンバー5人は前回とは違うメンバー)

今回の公演は《モンティヴェルデイ生誕450年記念》と銘打って開催された。
モンティヴェルディ(1567-1643)はルネサンス音楽とバロック音楽の過渡期にあたるイタリアの作曲家。ヴェネツィア音楽の最も華やかな時代を作り上げた。音楽の様式に変革をもたらした改革者とされる。オペラの最初期の作品「オルフェオ」で知られる。

2017年6月6日(火) 19:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール
 〈Program〉
  タリス:ミサ曲 “おさなごわれらに生まれ”(約25分)
  バード:“めでたし、真実なる御体”(約4分)、 “義人らの魂は”(約3分)、
       “聖所にて至高なる主を賛美もて祝え”(約6分)
  アレグリ:ミゼレーレ(約12分)
  モンティヴェルディ:無伴奏による4声のミサ(約22分)
  パレストリーナ:“しもべらよ、主をたたえよ”(約7分)

タリス(1505頃ー85)はヘンリ8世、エドワード6世、メアリ1世、エリザベス1世と4人の英国王に仕えて活動した。王室礼拝堂のために多くの教会音楽を書いた。この曲はメアリ1世時代の1554年作曲とみられる7声のミサ曲。
※この合唱団の名はこの作曲家に由来して正式名は“THE TALLIS SCHOLARS”.。

バード(1540頃ー1623)は1572年から女王エリザベス1世に仕えて王室礼拝堂の音楽家として活躍し、英語による教会音楽も書いたが、終生カトリックの信仰を持ち続けて伝統的なラテン語による教会音楽を数多く残した。
3曲共にラテン語で書かれた4声か5声のモテトゥス。今回初めて耳にした作曲家名。

ピアノ伴奏なしで聴く「ア・カペラ」は声の美しさが直接に伝わるので何とも心に染み入リ安らぎを覚えた。

プログラム前半はルネサンス時代に活躍したイングランドの2人の作曲家の宗教曲だったが、プログラム後半はルネサンス時代からバロック時代にかけてのイタリアの3人作曲家の宗教曲が歌われた。

アレグリ(1582-1652)は初期バロック時代のローマを代表する作曲家。《ミゼレーレ》はラテン語で「憐れみたまえ」という意味で、伝統的な手法で書かれたアレグリの代表作といわれ、5声合唱と4声合唱が交互に歌い合う2重合唱の形による9声曲。ステージに5名、オルガン演奏台前に1名(カウンターテナー、3階客席最後部に4名の歌手の配置。
合唱の掛け合いが面白くカウンター・テナーと後方から響き渡るソプラノの高音の歌声が素晴らしく特に心地良かった。前回はRA席で歌手全員の姿を見れたが、今回は真正面から声が聴きとれるように1階席にしたので、歌手の姿は退場の際に3階出口で確認できただけであった。ホールに響き渡るソプラノの歌声に魅了されて歌唱中に何度か3階後方を見渡す人もいたが、姿までは見えなかったようである。
タリス・スコラーズも何度も取り上げている代表曲で何度聴いても圧倒的で魅力的なア・カペラである。先月の札響定期でラトヴィア放送合唱団の「夕映えのなかで~マーラーのアダージェット」も絶品だったが、世界的な合唱団の無伴奏による合唱曲を続けて堪能できたのは幸運である。

モンテヴェルデイの名は知っていたが、教会音楽に関する知識は皆無である。彼が書いたオペラの方に関心がある。「音楽の友」6月号に彼のオペラ「ウリッセの帰還」について書かれた記事があった。モーツァルトの「イドメネオ」の父と子の再会は「ウリッセ」の父と子の再会と似ている。オペラの原型を作った音楽家とオペラの伝統を引き継いだ音楽家の話が繋がるような記事を読んで興味を覚えたのである。

パレストリーナ(1525頃ー94)は16世紀後半の最も重要な作曲家のひとり。教皇庁をはじめローマ各地で活動し、様々な種類の教会音楽を書き残した。前回は「教皇マルチェルスのミサ曲」が演奏された。

ローマ教皇庁聖歌隊のために書かれた《ミゼーレ》は教皇庁システィナ礼拝堂以外では演奏できない門外不出の秘曲とされてきた。14歳のモーツァルトが教皇庁でこの曲を聴いた後に記憶だけで楽譜に書き記したというエピソードでも名高い曲。1994年、システィナ礼拝堂の大修復が終わったことを記念するコンサートでタリス・スコラーズがこの曲を演奏しているという。私も2000年8月に訪れたバチカン市国にあるシスティナ礼拝堂のミケランジェロが書いた有名な天井画を思い出して再び曲の重みを感じた。
演奏曲は全体的に良かったが、何といっても《ミゼーレ》が断然素晴らしかった。

アンコール曲はモンティヴェルディの曲を含む2曲。演奏終了後にスタンディング・オヴェイションをする人があちこちで目立つほど聴衆に無伴奏合唱の素晴らしさが伝わった。ホワイエでCDを買い求めてサイン会に並ぶ人の多さにも演奏会に感動した人々の様子が見て取れた。

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fsuterry

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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