ラトル指揮ベルリン・フィルによる「ブルックナー:交響曲第8番」

先週のデジタル・コンサートホールでヤンソンス指揮による「シべリウス交響曲第1番」、「ウェーバー:クラリネット協奏曲(ソリスト:アンドレアス・オッテンザマー)」「バルトーク:中国の不思議な役人」を聴いた。今週はラトル指揮の「ブルックナー交響曲第8番」。実は一昨日アーカイヴを観て感動したばかりである。

昨日の午後は北海道立近代美術館で開かれている「大原美術館展Ⅱ」を鑑賞。5年前の「大原美術館展Ⅰ」を思い出した。丁度20年前には倉敷に在る「大原美術館」を訪れたことを振り返り懐かし思い出が蘇った。「ルオー:道化師」や「岸田劉生:童女舞姿」は何となく記憶の隅にあった。1920年代を中心に描かれた50作家71点の作品を想像力を巡らしながら1時間ほど鑑賞した。
抽象画はもちろんであるが、具象画も自分なりにイマジネーションを広げながら観ると面白い。

音楽鑑賞も人それぞれで印象が違う。私自身は曲そのものだけでなく、作曲家、演奏家の生涯もコンサート前後に考えてみたりすることがよくある。
サイモン・ラトルとマリス・ヤンソンスがKitaraに来たのが1998年5月。確か20日と25日にそれぞれ初登場。ラトルはバーミンガム市響(ソリストがイダ・ヘンデル)、一方ヤンソンスはピッツバーグ響withミッシャ・マイスキー。当時は迷った末にヤンソンスの方を選んだ。この後、2人がアバドの後釜としてベルリン・フィル音楽監督の有力候補になっていた。ヤンソンスはこの時以来Kitaraには来ていないが、2004年にラトルはベルリン・フィルのシェフとして再びKitaraのステージに上がった。

Simon RattleのCDは2004年来日記念盤として発売されて購入した。ポピュラーな曲が11曲ほど収録されていて、何回も聴くほどではない。KRYSTIAN ZIMERMAN, LANG LANGとの共演でBERLINER PHILHARMONIKERとそれぞれ2005年と2013年にEUで制作された2枚のCD「ブラームス:ピアノ協奏曲第1番」、「プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番、バルトーク:ピアノ協奏曲第2番」の海外版は度々聴いている。
ラトルとヤンソンスの指揮の様子はNHKなどの放映で目にしても、ベルリン・フィルハーモニーでの指揮姿は珍しい。2週続けて彼らの姿を観てブログに書いておくことにした。

さて、ラトルは現在は余りポピュラーな曲は定期演奏会では指揮していないように思われる。ベルリン・フィルでは既にブルックナーの「第7番」と「第9番」は演奏済みだという。
私自身、ブルックナーは苦手の方だったが演奏会で耳にすると、それなりに親近感を覚えてきた。「第4番 ロマンティック」だけは聴きやすいと思っていたが、「第6番」は数年前の札響定期で聴いて面白いと思った。CDだけで1回耳にした程度では曲の良さが分からないのだろう。

「第8番」は十数年前にフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのCD(*1949年ライヴ録音)で1度は聴いていた。おととい聴いた80分強の曲は印象が強烈であった。特に第4楽章の壮大なオーケストラの総奏に魅せられた。フルートやオーボエ、クラリネット、ホルンなど馴染みの奏者の顔が分かることもあって演奏に夢中になった。珍しく、再び今日も聴いてみたくなった。

死を連想させる不気味な響きで始まる第1楽章はやがて様々な楽器の音がぶつかり合って諦めの気分が漂う。第2楽章はロマン的な軽やかな場面を想像させるスケルツォ。第3楽章は荘重でゆったりとしたアダージョ。弦楽合奏、木管合奏が入り、ホルンのみの旋律やチェロの壮麗な主題もあって聴きごたえ十分。4本のテューバの重々しい響きも聞こえた。
第4楽章が何と言っても壮大であった。トランペットのファンファーレは王の登場の合図だろうか。金管楽器は軍楽隊の音楽のようで勇ましかった。ホルン8本、ハープ3台の楽器編成など音楽の壮大さが伝わる。オーケストラのトッティを聴いていると心が浮き立つ。普段は比較的落ち着いた指揮ぶりのラトルもかなり力が入っていた。曲は圧倒的なフィナーレで閉じられた。(曲の終了後、余韻を味わってから盛大な拍手が沸き起こったことに聴衆のレヴェルの高さを感じた。)

※この大編成の曲の演奏機会が少ないのは当然だろうと思った。素晴らしい演奏を耳にできて良かった。また、別な機会にデジタル・コンサートホールのアーカイヴで聴いてみようと思う。

ベルリン・フィル次期首席指揮者ぺトレンコがモーツァルト&チャイコフスキーを指揮

今年からデジタル・コンサートホールを視聴している。2016年12月の7つのコンサートのうち視聴可能な3つはアーカイヴで1月に視聴した。2017年1月は4つのコンサートのうち3つを視聴した。オーケストラはベルリン・フィルとは必ずしも限らない。ベルリン・フィルのコンサートは2つで、ブロムシュテッドの指揮が強く印象に残った。プログラムは「バルトーク:ピアノ協奏曲第3番」(ピアノ:アンドラーシュ:シフ)と「ブラームス:交響曲第1番」。シフの姿を20年ぶりに見れて良かった。1997年の札幌コンサートホールの開館年にKitaraに来演して、彼自身がウィーンで選定したKitaraのベーゼンドルファーを弾いた。その後の彼の名声は一気に高まって今では世界有数のピアニストとして活躍し彼の弾くバルトークも知的で思慮にあふれたものであった。

ヘルベルト・ブロムシュテッドは2002年、05年と続けて2回ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管とKitaraに登場している。今年の11月にも同管との来札が予定されていて楽しみにしている大好きな指揮者。彼はN響公演がテレビ中継される際のインタービューでは演奏曲目のメロディを口ずさみながら実に楽しそうに細かく解説してくれる。今回の演奏後のインタビューで記憶に残るコメントがあった。“ハイドンやモーツァルトは第1楽章が重要であるが、ベートーヴェンやブラームスでは最終楽章が大事である”(*大まかな作曲家の特徴を掴むコメントとして印象に残った)。第2・3楽章を短くして終楽章を最高潮に盛り上げる生気溢れる指揮ぶりは89歳にして信じられないほどのダイナミックな曲の展開に改めてこの曲の良さを味わった。来日時には90歳を迎えている。健康を維持しての来演の実現を祈る気持である。

2月はラトル指揮の2つのコンサート。1つは「マーラー:交響曲第4番」とコパチンスカヤの「リゲティ:ヴァイオリン協奏曲」。もう一つはリゲティのオペラ「グラン・マカーブル」(演奏会形式)。マーラー「第4番」は今や聴きなれたメロディを持つお気に入りの曲になっている。ソプラノ独唱は2015年9月にアンネ・ソフィ・オッターと共にKitaraに来演したカミッラ・ティーリングだったので身近に楽しめた。ラトルは日本の公演では実施が不能と思われる演目の指揮を担当していることも多くて日本とヨーロッパの違いの大きさを感じる。オペラは一応観たが、面白いと思うまでには至らない。慣れていないアーカイブは時間の余裕ができればということで後回しになる。

3月は6つのコンサートに3つを鑑賞。メータ指揮の演奏会が2回。もう一つはぺトレンコ登場の演奏会。
ズービン・メータはイスラエル・フィル管を率いてKitaraに登場したのが2000年3月。Kitaraの開館当初数年は外国のオーケストラが続々と来演していた。毎月のように公演があって、この頃もロイヤル・コンセルトへボウ管、ドレスデン国立歌劇場管などがやって来てできるだけ安い席でほぼ全てのコンサートを聴いていた。メータの演奏会は一番安い席(76席分のP席)で1万円。ウイーン・フィルやベルリン・フィルを除いての話だが、現在でも一番安い席が万を超える記憶はない。P席は好んで座ったこともあり、オルガン左右のP席にも数度座ったことがあるが、メータの時は鑑賞に特に不便を感じなかった。今では懐かしい思い出である。

ズービン・メータはインド出身で小沢征爾と同世代で大の親友同士。メータが東日本大震災の折に示した日本への対応は真に愛情あふれるものであった。彼の姿はウィーン・フィルやN響共演の様子をテレビで観る機会も多い。今回のベルリン・フィルではインドの伝統民俗楽器奏者と「シター協奏曲」と「バルトーク:オーケストラのための協奏曲」。2回目の公演はイスラエル出身のヴァイオリンの巨匠ピンカス・ズーカーマンと共演して「エルガー:ヴァイオリン協奏曲」。エルガーの器楽曲で最長50分の演奏時間を持つ曲はズーカーマンの名演奏で聴きごたえ十分であった。もう1曲が「チャイコフスキー:交響曲第5番」で言うまでもない名曲の演奏だったが、オーボエを担当したヴォレンヴェーバーの音色にウットリ。高音質で聴くアーカイヴをたっぷり堪能した。

2015年10月にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団次期首席常任指揮者に選ばれていたキリル・ぺトレンコ(Kirill Petrenko)が発表以来はじめてベルリン・フィルハーモニーに登場したのが3月23日。
ぺトレンコは1972年ロシア出身。18歳の時にオーストリアに移住してウィーン国立大学に学ぶ。1999年マイニンゲン州立歌劇場音楽総監督、ベルリン・コーミッシェ・オーパー音楽監督(2002-07年)を歴任。09年ロイヤル・オペラで《ばらの騎士》を指揮し、10年リヨン劇場で《エフゲニー・オネーギン》、《スペードの女王》。13年バイロイト音楽祭でデビューを飾って「ニーベルングの指輪を指揮。2013-14シーズンからバイエルン国立歌劇場音楽監督に就任。15年ベルリン・フィル次期首席指揮者兼芸術監督に指名された。(*正式就任は2018年9月)

3月の最終回のコンサートの曲目は《モーツァルト:交響曲35番「ハフナー」》、《ジョン・アダムズ:バリトンと管弦楽のための「ウンド・ドレッサー」》、《チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」》。
指揮者の解釈と音楽性が如実に出る作品としてモーツァルトとチャイコフスキーが選曲されたようである。オーケストラのヨーロッパと指揮者の祖国ロシアを挟んでアメリカの現代曲。
ぺトレンコはCDを殆どリリースしていなく世界的には無名に近かったので、今回のデジタルコンサートでの演奏は一層注目された。ぺトレンコは個性的で独自の演奏を展開したと思う。数回のリハーサールを通して互いに求める音楽の目指す方向も見えてくのではないだろうか。指揮者と演奏家の相互理解を深めるうえでの良い事前演奏会となったようである。
今回のコンサートマスターは樫本大進が務めた。
モーツァルトでは樫本は時折指揮者に目をやりながら心配りをしている様子。明るい軽やかなモーツァルトらしい響きが広がっていた。アダムズの曲では金管・打楽器の音が印象的に響いた。弦楽が抑えながら響く物悲しい音楽に合わせてバリトンが伸び伸びと歌い続ける現代音楽。
チャイコフスキーになると指揮者の手の振り、体の動きが大きくなってオーケストラから求める音の表情もドラマティックな様相を呈した。特に第3楽章での力の入った指揮ぶり。第4楽章への切り替えも極めて巧みであった。

演奏終了後の聴衆の反応は好ましいもので、楽団員が全員ステージを去った後に、ぺトレンコが大拍手を受けてステージに出てきて一部の観客と交流する姿もあった。
楽員代表との30分ものインタビューで中庸の大切さを訴えるぺトレンコの言葉にベルリン・フィルの音を急に変えることは無さそうだと思った。べトレンコは今秋、バイエルン国立歌劇場公演で来日する。

ティーレマンのブルックナー「第7」&ブッフビンダーのベートーヴェン「第1」

ベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲のうち「第1番」は演奏会で聴いた記憶がない。CDでもギーゼキング、ギレリス、ルービンシュタインなどでそれぞれ1度聴いた程度で、バレンボイム&ベルリン・フィルで数回聴いたぐらい。1番と2番が収録されているCDは10年ぐらい前にブロンフマンのCDを購入したのが一番新しい記憶。
今日では世界のトップ・ピアニストの地位を占めているブッフビンダーのコンサートは今までに聴いたことがなかった。ティーレマンとの共演による12月17日のデジタル・コンサートは願ってもないプログラムだった。遅ればせながら先日やっと聴く機会を得た。

今年70歳を迎えるRudolf Buchbinderはチェコ生まれ。10歳の時にウィーンでベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第1番」を演奏してデビューしたというから当日の選曲も納得できる。聴く方も意外性があって良かった。翌年ウィーン三重奏団を組織して61年のミュンヘン国際コンクールの室内楽部門で優勝。ソロ、室内楽、歌曲伴奏と幅広い分野で活躍。75年ウィーン響のソリストとしての来日以来、たびたび来演しているようである。ベートーヴェンのソナタ全曲演奏会でも知られるという。

「第1番」は実際には第2番より後に作曲されたとされる。典型的な古典協奏曲のスタイルで書かれた作品はモーツァルトの影響を受けているように感じられた。同じ旋律の繰り返しも多いが、親しみやすいメロディアスな曲で心地よい響き。最近は第3~5番しか耳にすることがなかったが、第1楽章から懐かしい聴きなれたメロディでクラリネット、トランペット、ティンパニも加わって表現が広がっていて観ていて興味が深まった。明るく快活な調べが華やかなフィナーレとなる。
ウィーンの伝統的なスタイルを継承する正統派ピアニストとして、ベートーヴェンの他にブラームス、シューベルトも聴く機会が増えるだろう。

Christian Thielemannは歌劇場のコレぺティトゥーアの修業を積んで指揮者として大成した異色の経歴を持つ。ベルリン・ドイツ・オペラの音楽総監督(1997-2004)、ミュンヘン・フィル音楽監督(2004-11)、2012年からシュターカペレ・ドレスデン首席指揮者。この世界最古のオーケストラは創設が1548年。ドレスデン国立歌劇場の専属オーケストラでKitaraに2000年、02年の2回来演している。
ティーレマンはPMF1993年の来日後、テンシュテットの代役でシカゴ響、カルロス・クライバーの代役“ばらの騎士”でMETデビューと世界の脚光を浴びた。その後はウィーン・フィル、ベルリン・フィルに定期的に出演。バイロイト音楽祭でも事実上の音楽監督としての活躍。2013年ザルツブルク復活祭音楽祭芸術監督に就任(*カラヤン創設の音楽祭はベルリン・フィル音楽監督が芸術監督を務めるのが慣例であった)。とにかく彼は世界最高の指揮者の一人と言える活躍ぶりである。

12月10日のブルックナーのミサ曲に続いての「第7番」。これまでベルリン・フィルとは4番、8番を指揮しており交響曲としては3回目の共演。70分の大曲。ベートーヴェンとワーグナーの要素を備えながら独自の世界を切り開いた音楽のように思えるが、正直に言ってブルックナー(1824-96)の偉大さがよくは判っていない。第4番「ロマンティック」は聴く回数も増えて、2015年12月札響定期で聴いたポンマー指揮の第4番は解りやすく聴けた。作曲家がオルガニストであった雰囲気の響きもあった。
「第7番」は「第4番」とともにブルックナーの交響曲の中では比較的に理解しやすい曲。1884年ライプツィヒでの初演が大成功を収め、彼の作曲家としての評価が高まった。ワーグナーのようなオーケストレーション、オルガン的な重層和声など晩年の巨大で深遠な第8番や第9番に繋がったと考えられている。木管、特にテューバを含む金管楽器の響きに迫力があった。指揮者とオーケストラが真剣に対峙して曲に取り組む様子も伝わった。ティーレマンとオーケストラ全員の集中力と高度な演奏技術が上手くかみ合っているように思われた。
聴衆の集中度の高さは演奏終了後の余韻がおさまるまで拍手のフライイングがなかったことにも表れていた。拍手・大歓声で何度かのカーテンコールがあり、楽団員全員がステージを下りたあとも絶え間なく拍手が続いて、ティーレマンがステージに出てくるのを見て観客の満足度が推し量れた。

中継では様々な楽器演奏者の姿を映していた。日本人の第1ヴァイオリン町田琴和の姿もあった。ヴィオラ首席の清水直子、第2ヴァイオリンのイレーネ・イトウもベルリン・フィルのメンバーである。

演奏終了後のドイツ語のインタヴューが英訳されていた。ブルックナー・シリーズで指揮者としての名声を高めたギュンター・ヴァントの助言を引用して、ブルックナーを演奏するには別人格の人間になる必要があると語っていたのが特に印象に残った。

“観て聴く”デジタル・コンサートホール

2008年にスタートしたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の《デジタル・コンサートホール》を定期的に聴く環境が整った。札幌コンサートホールがオープンしてから20年ほどになり、Kitaraにも1000回ぐらいは通った。Kitaraホールの魅力は失せることはないが、コンサートに通うのが身体的にも経済的にもいつまでも続ける状況にあるわけではない。
Kitaraがオープンした当初は世界の有名な指揮者、オーケストラが次々と来札したが、現在は当時とは比べ物にならない。観て聴きたい音楽家の来札が少なくなったのは止むを得ない。最近の話題の音楽家の演奏を“観て聴く”のにはベルリン・フィルのデジタル・コンサートは非常に魅力的である。

昨年12月に取りあえず1年間有効のチケットを149ユーロで購入した。ベルリン・フィルの年間50回ほどの演奏会がほぼ毎週中継される。画質はハイヴィジョンで音声はCD並みで、高品質のヘッドフォンで聴くと素晴らしい。巨匠だけでなく世界で話題の若手指揮者との共演も聴ける。生中継は真夜中で観ることはしないだろうが、数日後にはアーカイヴで観れる。400本以上がアーカイヴ・コーナーからアップでき、カラヤン時代の映像も相当数ある。月額にすると1500円程度は決して高くない。継続的に観ると極めて安くつく。英語版だけかと思っていたが解説が日本語化されている。

暮れの29日に早速、観てみた。先月3日の演奏会の模様をアーカイヴでアップした。指揮/アラン・ギルバート、ヴァイオリン/フランク・ペーター・ツィンマーマン。プログラムは「ジョン・アダムズ:Short Ride in a Fast Machine、管弦楽のためのロラパルーザ」、「バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番」、「チャイコフスキー:交響曲第4番」。
ギルバートは現在ニューヨーク・フィル音楽監督。母は日本人で日本での音楽活動も顕著な指導者。2004年にストックホルム・フィル(*ノーベル賞授賞式のオーケストラとして知られる。)を率いてKitaraに登場した。
ツィンマーマンはドイツを代表する正統派のヴァイオリニストでKitaraにも2回登場した(99年、05年)。05年にはブロムシュテット指揮ライプティヒ・ゲヴァントハウス管と共演した曲が今回と同じと知った。偶然とはいえビックリしたが、今や世界の巨匠として重厚で深みのある演奏に心を揺さぶられた。
今までにKitaraで聴いたことのある音楽家を身近に感じれるのもデジタルコンサートの楽しみである。
ジョン・アダムズはアメリカの現代作曲家で今シーズンのベルリン・フィルのコンポーザー・イン・レジデンス。5分から8分程度の現代曲が2曲取り上げられた。スポーツカーに乗った印象が金管楽器や打楽器を多用して綴られた。オーケストラのための作品でもファゴット、ピッコロ、ホルン、打楽器などの演奏を通してリズム感のある現代音楽の面白さが生き生きと伝わった。ここでもPMFで活躍するティンパニ奏者のゼーガスを見れて良かった。

正月の3日は早朝からラトルのベートーヴェン・ツィクルス第4弾(2015年10月15日)のアーカイヴ。「第4番」と「第7番」。暮れのドキュメンタリー番組でラトル&ベルリン・フィルのベートーヴェン・シリーズの新たな取り組みを聴いた後での視聴だったので新鮮な気分で聴いた。
「第4番」は生き生きとして陽気でこの上ない優しさが横溢した曲。「第7番」は勝利の高揚感に満ちた第1楽章に始まり、全楽章を通してリズム感が途切れなく新鮮な曲として聴けた。フルートのパユ、オーボエのマイヤーは何回見てもその演奏姿に見入ってしまう。今回のティンパニ奏者はヴェルツェルのようだった。ドキュメンタリー番組でインタヴューを受けて演奏への取り組み方を語っていたので印象に残っていた。顔の知らないメンバーを覚えていくのもそう遠くはないだろう。

3日の午後は12月10日ライヴのコンサート。指揮はクリスティアン・ティーレマン。ヴァイオリニストはギドン・クレーメル。他に独唱者4名とベルリン放送合唱団。曲目は「グバイドゥーリナ:ヴァイオリン協奏曲“今この時の中で”」、「ブルックナー:ミサ曲第3番」。
現在における世界最高の指揮者の一人ティーレマンの名声を知って20年にもならない。彼はPMF1993年に来札してサンタチェチーリア国立アカデミー管を指揮していた。同年にはエッシェンバッハ指揮同管の演奏会に行っていた。エッシェンバッハはその後も聴く機会の数多い指揮者だが、ティーレマンはその当時は34歳の若手でボローニャ・コムナーレ劇場首席客演指揮者で、21世紀に入って頭角を現した。札幌での彼の演奏会を聴くチャンスを逃したのは今でも残念でたまらない。
クレーメルは01年に彼の室内管弦楽団クレメラータ・バルティカを率いてKitaraに登場し、14年にもオーケストラのソリストとして来札した。今回のベルリン・フィル登場は約10年ぶりだそうである。1981年にはソ連の女性作曲家グバイドゥーリナから献呈されたヴァイオリン協奏曲“オッフェルトリウム”を初演したという。当時はソ連の作曲家協会が彼女の作品を拒否したため国内では無名であったらしい。この作品が西側で反響を呼び起こしてから25年後、彼女は「ヴァイオリン協奏曲第2番」を作曲してアンネ=ゾフィ・ムターに献呈した(2007年)。ソロ・ヴァイオリンの冒頭部分でB-A-C-Hの半音階を奏でるというからバッハを意識しての作品なのだろう。フルート、クラリネット、ハープ、チェレスタ、打楽器に加え4人のソロ・ヴィオラも入る曲は変化があって興味深い。ヴァイオリンの日々ア独特で人々の苦悩の叫びにも聞こえる。旧ソ連を出て現在ドイツに住む作曲家の名は7・8年前から耳にしていた。
演奏前の英語でのインタヴューでクレーメルは彼女にヴァイオリン曲を書くように勧めていたが、すっかり忘れてしまっていたと述べた。推測だが作曲家は結果的にこの作品をムターに捧げることになったのかも知れない。その後は作曲家との交流も続いて今作品はクレメータ・バルティカをはじめとして演奏会で何回も取り上げているという。ベルリン・フィルのオーケストラとは一味は違うのかもしれないと思った。インタヴューでクレーメルらしい主張をしていた。それぞれの演奏家によって表現の仕方が違う演奏を同じような角度から言及されることへの反骨心は彼の書物で知る人物像と重なった。今年で70歳を迎えるクレーメルが来札する機会も再びありそうである。とにかく初めて聴いた作品はとても印象に残った。

ブルックナーの曲にはあまり親しんでいなくて、ましてや「ミサ曲」は初めて聴いてみた。70分の大作。ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」などミサ曲はヨーロッパの教会音楽で親しむのは容易ではない。荘重な音楽でティーレマンはブルックナーを得意としているらしい。1959年生まれでルイジ、メスト、パーヴォ、ガッテイとほぼ同年代の中堅。さすが若々しく堂々たる指揮ぶりでベルリン・フィルも熱演。
ティーレマンの特徴を味わうには聴きなれた交響曲を何曲か聴いてからになるだろう。

年末年始は聴きたいライヴのコンサートがないことで、かなりの時間が空いた。つい、普段は書かないことも長々と書き綴った。
プロフィール

fsuterry

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR