METライブビューイング2015-16 第9作 ドニゼッティ《ロベルト・デヴェリュ-》

ドニゼッティのオペラ作品は《愛に妙薬》と《ランメルモールのルチア》をMETライブビューイングで観たことがあるが、《ロベルト・デヴェリュー》は今シーズンのMETビューイングの作品発表時にオペラのタイトルを初めて耳にした。ロッシーニと同時代のイタリアのオペラ作曲家ということも改めて知ったくらいである。ロッシーニはオペラの序曲を通して昔から名前が知られていた。ドニゼッティの名はオペラ歌手のCDを通して「人知れぬ涙」のアリアで作曲家名を知るようになった程度である。

18世紀、ナポリで興ったオペラがヨーロッパ中に広まったが、文化的中心地としてのイメージはイタリアだったようである。「オペラの本場はイタリア」と言われるように、18世紀のヨーロッパではイタリアがオペラの本場だった。オペラの作曲家はイタリア人という固定観念があって、モーツァルトはイタリア人でないことで二流と見做されることもあったらしい。実質的にはモーツァルトがナポリ派のオペラを完成して発展させた。イタリアはオペラの中心ではなくなったが、19世紀に入ってロッシーニが活躍して、彼の影響を受けてドニゼッティのベルカント・オペラも生まれたそうである。

《ロベルト・デヴェリュ-》は今回がMET初演で新演出。イタリア語上演。上映時間は3時間4分。第1・2幕96分、第3幕46分。エリザべス1世の最晩年を描いた作品。女王の悲恋をオペラ化した壮絶な復讐のストーリー。

16世紀、ロンドン。女王エリザべッタの恋人ロベルト・デヴェリューは反乱鎮圧のためにアイルランドに派遣される。しかし、彼は女王の命令に反して反乱軍と和解したために反逆罪で捕えられてしまう。デヴェリューと恋人同士だったサラがノッティンガム公爵と結婚させられていた。サラと再会して心がひかれた二人は女王の嫉妬を懸念して別れる決意をする。女王は恋人を救おうとするが、デヴェリューの心変わりの証拠を握って激怒する。復讐心に燃えたエリザべッタは彼を処刑する英国議会の議長ノッティンガム公爵の決定書の到着を待って署名する。処刑の瞬間を目前に女王の心は揺れる。ロンドン塔内に収監されている恋人から彼に贈った指輪が届いたら愛の証として処刑中止の命令を出そうとしていたが、時すでに遅かった。

女王エリザべッタ役を熱演したラドヴァノフスキーはMET出演200回を迎えた大歌手のようである。最初から最後まで大部分怒りに溢れ高音域で威厳のある姿で歌い続ける姿は歌唱力、演技力ともに素晴らしい。心の痛みや自尊心をを巧みに表現していた。年老いて歩くのも不自由な身でありながら復讐心に炎がついた恐ろしいまでの女心で歌い上げる。その堂々たる演唱は物凄い迫力で全幕を通して続いた。
サラ役のガランチャは今まで何回か聴いたラトヴィア出身の人気の高いメゾ・ソプラノ歌手。美しい誰からも愛される人柄の役を懸命に演じた。高音域のベルカント唱法で“のどを痛めないように”と気を付けていたようである。
デヴェリュー役のポランザーニは以前聴いたことのある歌手(*多分《ランメルモールのルチア》)だったと思うが、ベルカント唱法での魅力的な歌声の持ち主。地位のため、愛のため、友人のためにと好人物だが3人の登場人物の板挟みになって誤解される役回りだった。イリノイ州出身のアメリカ人歌手ではないかと思った。
グヴィエチェンはポーランド出身と聞いて思い出したが《エフゲニー・オネーギン》で観た。彼の演技力、歌唱力は共に安定している。特に、友人を救おうとして女王を懸命に説得したが、妻の不貞の証拠を見て復讐心が燃え上がった時からの演唱に凄みがあった。

4人共にベルカント唱法のイタリア・オペラで主役と言える贅沢なキャストはMETならではである。お互いの息があって、合唱も素晴らしかった。聴きなれた有名なアリアは無いオペラのようであるが、聴かせどころが沢山あって、観客が歌唱の終わりに拍手をしやすい場面が多くてホールが盛り上がっているようであった。オーケストラもドラマティックな演奏が多くて魅力的だった。指揮はベニーニ、演出はマクヴィカー。舞台は一見豪華だが、場の展開で大きな変化はなく奥行きの広さを巧みに生かした演出。室内楽的雰囲気のようだった。

※男女の三角関係を描いたオペラの定番だが、女王の復讐のストーリーにいささか驚きを禁じ得なかった。先日、アカデミー賞監督賞、主演男優賞、撮影賞を獲得したアメリカ映画「レヴェナント」を観たが、壮絶な復讐劇だった。“復讐”の恐ろしさが人間の中に潜んでいる一面を日本で起きる最近の事件と重ねあってしまった。自制心が効かないような精神状態に陥って事件が起きる現代の世も恐ろしく感じる。人という漢字の作りの支え合う大切さが身に染みる。

METライブビューイング2015-16 第8作《蝶々夫人》

第7作《マノン・レスコー》に次いで第8作《蝶々夫人》もプッチーニ作曲のオペラ。60年ぐらい前に八千草薫の主演(*彼女の歌は口パク)による日伊合作映画「蝶々夫人」を観た。オペラは外国人の蝶々夫人役は余り魅力的でないという先入観があってか、今まで鑑賞する機会を持たなかった。マリア・カラスが歌う「ある晴れた日に」というアリアはSPレコードで18歳から聴き続け最も聴き馴染んだ曲である。
日本人歌手では90年代に〈佐藤しのぶソプラノリサイタル〉を何年か連続して聴いていた。Kitaraがオープンしてから2年後の1999年のリサイタルで彼女が歌劇《蝶々夫人》より名場面集と銘打って舞台美術や照明を背景に数曲のアリアを演唱したことを鮮明に記憶している。(*当時のプログラムを確認してみると、“ある晴れた日に”、“母さんはおまえを抱いて”、“花の二重唱”、“間奏曲”、“子守歌”、“かわいい坊や”となっていた。)

今回のオペラは10年ぶりに先月ニューヨークで上演された。日本でのMETビューィングは本日5月7日から1週間。2006年に始まったMETライブビューイングを観るようになったのは2011年。その年から毎年数回札幌シネマフロンティアで鑑賞しているが上映初日に鑑賞したのは初めてであった。最近は収容人数が百数十人の会場で上映されているが、今日は今までで一番多くの観客が集まり3列目からほぼ満席で100名以上は詰め掛ける大盛況。
オペラの内容はよく知られているが、衣装など日本文化の描き方を少し懸念していた。結果的に演出は見事で、心地よい音楽、主演二人の迫真の歌唱力と演技力で感動的な上演となった。上演終了後にはメトロポリタン歌劇場の観客と感動を共有できるほどの満足感を味わった。初めてMETライブビューィングに来たと思われる人が“また観に来たい”と感動の様子を口にしていた。

イタリア語上演。全2幕。上映時間3時間30分(休憩2回)。舞台は19世紀末の長崎。アメリカ海軍士官ピンカートンは芸者の蝶々さんを身請けして結婚式を行なう。式場で蝶々さんがキリスト教に改宗したことを知った親戚や友人たちは絶縁を宣言して立ち去る。人々が帰ったあと、愛の二重唱が歌われて第1幕が終わる。
第1幕でのピンカートン役のロベルト・アラーニャは役作りが巧みで前作のマノン・レスコーのデ・グリュー役も圧倒的なテノールの歌声だったが、今回のピンカートン役の方が年齢的にはピッタリで適役として存在感を示していた。第2幕後半に再び登場して後悔しながら複雑な心を歌う演唱も見事。さすが、どんな役でもこなすMETのスター歌手。

3年後、アメリカに帰ったピンカートンからは何の便りもなくて経済的にも苦しい状況に置かれた蝶々さんは彼の言葉を信じてひたすら長崎で彼を待つ。第2幕の最初に歌われる「ある晴れた日に」はソプラノのアリアの中でも最も有名で親しまれている名曲。オーケストラの演奏とともにドラマの名場面が胸を打つ。高音域で歌うクリスティーヌ・オポライスの演唱が素晴らしい。アリア終了後に歌劇場の観客とともに感動を共有できた瞬間は正に印象的。「マノン・レスコー」のマノンとは対照的な女性を演じるオポライスの表現力豊かな演技力と歌唱力は天下一品。悲しみの涙を抑えながら熱唱し続ける姿に心が揺れるほどの名演。
ピンカートンから結婚した妻を連れて長崎を訪れる手紙を受け取ったアメリカ領事シャープレスは手紙を持って蝶々さくんの家を訪ねる。彼は彼女の家で目にした子を見て驚き、言い出せずに帰る。
第2幕第2場。港にアメリカの船が入った知らせに喜んだ蝶々さんは家中に花を飾るがピンカートンは現れない。やがて蝶々さんの目の前に彼の妻の姿があった。子を手放すことを決意した蝶々さんは短刀を手にして自害する。

簡素な舞台装置だが、華麗な衣装や斬新な舞台照明など効果的な演出が光った。広い舞台で何枚もの障子やふすまをスライド式で使用し、文楽人形を使うなど日本文化が漂う演出も良かった。スズキ役のジフチャック、シャープレス役のクロフトは演出家ミンゲラとは10年前の「蝶々夫人」に続く再演だという。個性的な脇役陣も揃ってMETの歌手たちの支えがあったが,何といってもオポライスとアラーニャの名演が際立っていた。オーケストラを指揮をしたカレル・マーク・シションは初めて耳にする名前。レヴァインが音楽監督を辞任したMETで今後も耳にする機会のありそうな指揮者である。

〔追記〕昨日のオペラ鑑賞の余韻が残っていて今日はオペラ全集とマリア・カラスのオペラ・アリア名曲集から《蝶々夫人》の名場面が収録されたCDを聴いてみた。カラスの「ある晴れた日に」は1954年録音、レナータ・スコットの「愛の二重唱」、「ある晴れた日に」は1966年録音で音響面ではMETとは比較のしようもない。単独でアリアを聴くのと、全体の流れの中で聴くオペラとでは感激の度合いが違うのは当然である。原語で書かれた歌詞が参考になったのは確かである。とにかくオペラは実演を全幕鑑賞できるに越したことはない。





METライブビューイング2015-16 第7作《マノン・レスコー》

今シーズンのMETビューイングは第1作から健康上の理由で見逃し続けた。第4作《ルル》は鑑賞できたが、その後も体調が悪くて残念な思いをしてきた。昨日は何とか歩行の痛みが和らいで会場に出かけた。

2011-12シーズン第10作『マスネ作マノン』はネトレプコ&ペチャワ共演で観賞していた。今回は『プッチーニ作マノン・レスコー』でカウフマンの出演を楽しみにしていた。健康上の理由でお目当ての歌手は降板したがオポライスの演唱も期待していた。

プッチーニのオペラは《ボエーム》、《トスカ》、《蝶々夫人》の上演回数と比較すると、《マノン・レスコー》の上演頻度は低いようである。1893年初演のこのオペラは大成功を収めてプッチーニの出世作tと言われる。(*マスネの同作品は1884年初演)
二人のオペラ作品はアべ・プレヴォ―の長編小説を基にしてオペラ化された。(*小説の題名は「騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語」。)

1940年代のフランスを舞台にしたリチャード・エアによる新演出。イタリア語上演。全4幕。
小悪魔マノンをめぐる官能的な悲劇がドラマティックな音楽を背景にして描かれた。1941年、享楽的性格のせいで修道院に入ることになった美少女マノンはその道中にアミアンの町で青年デ・グリューと恋に落ち、二人は駆け落ちする。しかし、デ・グリューとの貧乏生活に耐えられなくなったマノンは3ヶ月後には裕福な大蔵大臣ジェロントの愛人となり、パリで贅沢な生活をしている。デ・グリューは彼女を探し出し、説得する。ジェロントが現れて現場を見つけて激怒する。直ちに彼の命を受けた憲兵に捕らえられて彼女は追放され流刑の身となる。そんなマノンを追いかけてデ・グリューは彼女と同じ船に乗り込んで地の果てまで同行する。たどり着いた廃墟の地で彼の腕に抱かれてマノンは息絶える。

男たちを破滅させる女を描いたロマン主義の文学作品として知られる「マノン・レスコー」。マノン役のラトヴィア出身の歌姫クリスティーヌ・オポライスのスピント・ソプラノの歌声は彼女の美貌とともに全幕で圧倒的な魅力を発していた。ヨーロッパの歌劇場でヨナス・カウフマンとの共演は名コンビとされていたようである。全幕を通しての容姿、特に第1幕と第2幕で異なった美しさを見せた。第2幕でのビーズをちりばめたピンクのドレスが官能的で本人もインタヴューで“マリリン・モンローになったような気分”と語っていた。

急遽、代役を務めることになったロベルト・アラーニャ。1日12時間の猛練習で初めてのデ・グリュー役に万全の備えをしたと言う。第1幕終盤でのアリア“僕は今までこのように美しい乙女を見たことがない”の熱唱は素晴らしかった。高音で伸びやかな歌唱は圧巻だった。第2幕の愛の二重唱も見せ場となった。長身でハンサムなカウフマンに比べ、ずんぐりとして若々しい青年とは見えぬ容貌だが、マノンを愛する一途なひたむきさが素晴らしい歌唱とともに心に響いた。

第4幕最後の幕切れの二重唱の絶唱“ひとり寂しく”に感動。エンデイングも良かった。2大歌手の演唱の素晴らしさが好印象だったのは言うまでもないが、首席指揮者ファビオ・ルイージ率いるオーケストラの演奏がオペラを引き立てた。新演出はとかく新しさを求めて世間離れしてしまう印象を受ける場合があるが、今回の演出は見事だと思った。間奏曲をはじめ全幕を通してプッチーニの美しい魅力あふれる音楽に包まれて期待以上に楽しめたMETビューィングとなった。

METライブビューイング2015-2016 第4作 ベルク《ルル》

METライブ・ビューイングは近年は毎年5作品ほどは鑑賞してきた。今シーズンの初めには鑑賞スケジュールを手帳に書き込んでいたが、残念ながら病気入院などで第1作から第3作までは上映劇場に足を運べなかった。

シェーンベルク楽派(=新ウィーン楽派)アルバン・ベルク(1885-1935)によるオペラ作品で耳にしたことがあるのは《ヴォツェック》のみ。題名だけで中身はほとんど知らない。今回の作品名は初めて聞いた。都合をつけて観ることに決めてチラシの出演者の名を見た時に以前コンサートで聴いたソプラノ歌手の名に気づいた。
彼女の名はMarlis Petersen。3年半前のPacific Music Festival 2012にボーカル・アカデミー生の教授陣として音楽祭に参加して、《マリス・ペーターゼン&ロベルト・セルヴィーレ デュオリサイタル》をKitara大ホールで開いてくれた。素晴らしい歌声を堪能した記憶が今も鮮明に脳裏に焼き付いている。1階5列の中央席あたりから聴いていて、終了後にめったに口にすることのない単語“BRAVA!”、“BRAVI!”と叫んでいた。およそ15分にわたるオペラの場面における二人の熱唱は感動的で、その時のことをフェイスブックに書いた思い出もある。(*その頃はブログは書き始めていなかった。)この時のピアノ伴奏が当時のPMF芸術監督ファビオ・ルイジだったことにも驚いたものである。

そんな記憶も蘇って《LULU》の鑑賞意欲も高まった。病後の体調回復もほぼ順調で15、16日のKitaraボランテイア活動を行なって翌日曜日のオペラ鑑賞に備えてチケットを購入しておいた。あまりポピュラーな演目ではないにもかかわらず、当日は約100席の座席の半分は埋まっていた。

当時の音楽界で最も前衛的作曲家のベルクは師シェーンベルクやウェーベルンとともに無調音楽および十二音技法の開拓で新しいクラシック音楽の分野に取り組んでいた。ベルクの作品は「ヴァイオリン協奏曲」のCDを所有していて、ジュゼッペ・シノーポリ指揮ドレスデン・シュターカペレ&渡辺玲子の演奏を数回耳にした程度でこの曲の良さは未だ十分に理解していない。

《ルル》は1935年の作で舞台は当時のドイツでドイツ語上演。3幕もので上映時間は約4時間。魔性の女ルルをめぐる壮絶な愛憎劇で現代にも通じる問題作。個人的に好みの作ではなかった。音楽がリズムに乗る明るい曲でもなく、アリアといえるような名曲が出てくるわけでもない。セリフが中心で、歌手がメロディに乗せて歌うのが極めて難しい。この特殊なオペラを歌いこなす歌手は限られてきそうな感じがする。

マルリース・ペーターセン(*今回の日本語での表記名)はドイツ生まれ。リリック・コロラトゥーラの声質を持ち、バロックから現代音楽まで幅広いレパートリーをこなすと評価が高い。「ルル」は彼女の国際舞台への足掛かりとなった「はまり役」で、今回の上演を最後にしてこの演目から降りるとのこと。超絶技巧の歌唱力と深い演技力を併せ持った余人が成し難い役どころ。

バス・バリトンのヨハン・ロイターはデンマーク出身でヨーロパの歌劇場でも経験済みの役どころで貫禄十分。アメリカ出身の若いダニエル・ブレンナのヘルデン・テノールの圧倒的歌声は魅力的で新鮮なMETデビューを飾った。メゾ・ソプラノのスーザン・グラハムは経験豊富な堂々とした役回り。

指揮はレヴァインに代わってローター・ケー二クス。初めて名を聞く指揮者。オペラが始まると、3年前に観たショスタコーヴィチの《鼻》を思い出した。演出が同じケントリッジで画家の肖像画や書道の分野の手法を用い、映像をふんだんに用いていた。舞台上映が困難な作品での工夫だろう。出演者の心理描写が特に難しいと思った。

語りが多くてアリアが殆どなく、音楽も難しい。盛り上がる個所も少なく、メトロポリタン歌劇場の広いステージの雰囲気も味わえなかった。演目の面でやむを得なかった。
シェーンベルクやベルクの音楽は繰り返して聴かないと個人的には鑑賞が難しい音楽という先入観が未だ抜けない。繰り返して彼らの音楽を聴いて特徴を把握して理解を深めるほかないのだろうと思った。

数年前にKitaraのステージに登場し、現在も世界のオペラ劇場で活躍している歌手をMETビューイングで観ることのできた喜びは大きかった。札幌公演前にその偉大さが判っている場合とのギャップを感じた。鑑賞時の高揚感が断然違うのである。

METライブビューイング2014-15 第10作《カヴァレリア・ルスティカーナ》&《道化師》

今シーズン最後のMET Live Viewingはマスカー二《カヴァレリア・ルスティカーナ》とレオンカヴァッロ《道化師》の2本立て。両作品ともに新演出。イタリア語上演。これらのオペラのタイトルは知っていても「間奏曲」やアリア「衣装をつけろ」を聴いている程度であった。
この2作品は「ヴェリズモ・オペラ」(現実主義オペラ)の代表作として知られ、現在も人気作で今回のように組んで上演されることが多いと言う。(それぞれの初演が1890年、1892年)。登場人物が王侯・貴族でなく一般庶民で彼らの生活や出来事をありのままに描いた。)

《カヴァレリア・ルスティカーナ》 全1幕。
19世紀のシチリア。居酒屋の息子トゥリッドゥは兵役中に恋人ローラを資産家の馬車屋アルフィオに奪われてしまう。トゥリッドゥは村娘サントゥッツァと親しくなったが、嫉妬したローラは再びトゥリッドゥと逢引きを重ねる仲になった。トゥリッドゥに捨てられたサントゥッツァはアルフィオに告げ口する。アルフィオは激怒して復讐を誓うが、サントゥッツァは直ぐに告げ口したことを後悔する。ここで有名な「間奏曲」が流れる。教会のミサが終って男たちがトゥリッドゥの母の酒場で乾杯する。アルフィオはトゥリッドゥが勧める杯を断り、決闘を申し合わせて店を出る。トゥリッドゥは母に彼が死んだらサントゥッツァの面倒を見ることを頼んで店を出る。しばらくすると“トゥリッドゥが殺された。”という女の悲鳴が響き、村人の驚きの声と共に幕が下りる。

約75分の1幕もので舞台装置は簡素だったが、各歌手の歌声に味わいがあって感銘を受けた。ソプラノのヴェストブルックの女心を歌い上げる迫真の演技と美しい歌唱力は素晴らしかった。感情の起伏の激しい繊細な役回りを表現する演唱には心を打たれた。(オランダ出身のスター歌手らしい。)
マルセロ・アルヴァレスは名高い世界的テノール歌手。情熱的で圧倒的な歌唱力は聴く者を魅了する。2本立ての作品に25分の休憩で出演というタフな仕事をいとも簡単にこなしたエネルギーには驚いた。(彼はアルゼンチン出身らしい。)
ルチッチの代役で急遽出演したバリトンのギャグニッサは当初から出演予定だった「道化師」のト二オ役とともにアルフィオ役を見事に演じた。
世界的な高いレヴェルの歌手ばかりの演唱に今までにないほど強烈な印象を受けた。合唱も素晴らしかった。舞台装置や衣装などが豪華でなく歌唱力が際立ったせいかもしれない。

2本立てで指揮台に立ったのがファビオ・ルイージ。PMFで馴染みの指揮者ということもあって親近感が湧いた。叙情的な音楽が多かったが、オーケストラから色彩豊かな音を引き出し、歌手の感情に添う音楽を作り出していたように思う。演奏において心がけていることは「色を付ける」と述べたのが印象に残った。

《道化師》 全2幕。幕が上がる前に旅一座のトニオが道化師の姿で登場。「道化役者も普通の人間で悲しみや苦悩を感じるのも皆さんと一緒です。」と前口上を述べるプロローグ。
19世紀後半のシチリア。ある村に道化師カニオが率いる旅回りの一座がやってきた。一座のスター女優ネッダはカニオの妻だが、嫉妬深い夫に嫌気がさして愛人をつくる。ネッダはシルヴィオと駆け落ちの約束をした。ネッダに想いを寄せていたトニオから情報を得て妻の逢引きの現場を目撃したカニオは激怒して相手の名を妻に問い詰める。芝居の準備を迫られて芝居小屋に戻り、カニオは開演前に道化師の衣装をつけ、顔に白粉を塗りながら己の苦悩を自嘲しながら独白するアリアを歌う。(METの会場から万雷の拍手が沸き起こった)。
芝居が始まると、夫の留守中に妻が恋人を家に呼んだ時に夫が帰宅すると言う実生活と全く同じ場面になる。カニオは芝居と現実の区別がつかなくなってしまい、妻をナイフで刺し、観客の中から飛び出してきたシルヴィオも刺し殺してしまった。カニオは“喜劇は終わりました”と叫んで幕が下りた。

第1幕45分、第2幕25分。ロバやプロの道化師も登場してのオペラ。劇中劇のアイディアが秀逸。テノールの絶唱「衣装をつけろ」は名場面。カウフマン、グリゴーロと共に名高いテノール歌手アルヴァレスのエネルギッシュな演唱には驚くばかり。さすがプロという印象!

ネッダ役のラセットは極めて個性的で味のあるパフォーマンスを披露した。声量豊かで魅力的なソプラノ歌手。インタビューで米国以外の歌手が自国に向けて行う挨拶がなかったので多分アメリカ生まれではないかと思った。

※プッチーニもヴェズリモ・オペラの作曲家で《トスカ》、《ボエーム》、《蝶々夫人》、《トゥーランドット》などの作品を観ると現実主義オペラの範疇が理解できそうである。ただ狭い意味でリアリズムと言っても内容に暴力を伴うオペラを「ヴェズリモ・オペラ」と定義する場合には本日上演の2作品が同じ範疇に属する作品と見做されているようである。










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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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