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METライブビューイング2015-16 第8作《蝶々夫人》

第7作《マノン・レスコー》に次いで第8作《蝶々夫人》もプッチーニ作曲のオペラ。60年ぐらい前に八千草薫の主演(*彼女の歌は口パク)による日伊合作映画「蝶々夫人」を観た。オペラは外国人の蝶々夫人役は余り魅力的でないという先入観があってか、今まで鑑賞する機会を持たなかった。マリア・カラスが歌う「ある晴れた日に」というアリアはSPレコードで18歳から聴き続け最も聴き馴染んだ曲である。
日本人歌手では90年代に〈佐藤しのぶソプラノリサイタル〉を何年か連続して聴いていた。Kitaraがオープンしてから2年後の1999年のリサイタルで彼女が歌劇《蝶々夫人》より名場面集と銘打って舞台美術や照明を背景に数曲のアリアを演唱したことを鮮明に記憶している。(*当時のプログラムを確認してみると、“ある晴れた日に”、“母さんはおまえを抱いて”、“花の二重唱”、“間奏曲”、“子守歌”、“かわいい坊や”となっていた。)

今回のオペラは10年ぶりに先月ニューヨークで上演された。日本でのMETビューィングは本日5月7日から1週間。2006年に始まったMETライブビューイングを観るようになったのは2011年。その年から毎年数回札幌シネマフロンティアで鑑賞しているが上映初日に鑑賞したのは初めてであった。最近は収容人数が百数十人の会場で上映されているが、今日は今までで一番多くの観客が集まり3列目からほぼ満席で100名以上は詰め掛ける大盛況。
オペラの内容はよく知られているが、衣装など日本文化の描き方を少し懸念していた。結果的に演出は見事で、心地よい音楽、主演二人の迫真の歌唱力と演技力で感動的な上演となった。上演終了後にはメトロポリタン歌劇場の観客と感動を共有できるほどの満足感を味わった。初めてMETライブビューィングに来たと思われる人が“また観に来たい”と感動の様子を口にしていた。

イタリア語上演。全2幕。上映時間3時間30分(休憩2回)。舞台は19世紀末の長崎。アメリカ海軍士官ピンカートンは芸者の蝶々さんを身請けして結婚式を行なう。式場で蝶々さんがキリスト教に改宗したことを知った親戚や友人たちは絶縁を宣言して立ち去る。人々が帰ったあと、愛の二重唱が歌われて第1幕が終わる。
第1幕でのピンカートン役のロベルト・アラーニャは役作りが巧みで前作のマノン・レスコーのデ・グリュー役も圧倒的なテノールの歌声だったが、今回のピンカートン役の方が年齢的にはピッタリで適役として存在感を示していた。第2幕後半に再び登場して後悔しながら複雑な心を歌う演唱も見事。さすが、どんな役でもこなすMETのスター歌手。

3年後、アメリカに帰ったピンカートンからは何の便りもなくて経済的にも苦しい状況に置かれた蝶々さんは彼の言葉を信じてひたすら長崎で彼を待つ。第2幕の最初に歌われる「ある晴れた日に」はソプラノのアリアの中でも最も有名で親しまれている名曲。オーケストラの演奏とともにドラマの名場面が胸を打つ。高音域で歌うクリスティーヌ・オポライスの演唱が素晴らしい。アリア終了後に歌劇場の観客とともに感動を共有できた瞬間は正に印象的。「マノン・レスコー」のマノンとは対照的な女性を演じるオポライスの表現力豊かな演技力と歌唱力は天下一品。悲しみの涙を抑えながら熱唱し続ける姿に心が揺れるほどの名演。
ピンカートンから結婚した妻を連れて長崎を訪れる手紙を受け取ったアメリカ領事シャープレスは手紙を持って蝶々さくんの家を訪ねる。彼は彼女の家で目にした子を見て驚き、言い出せずに帰る。
第2幕第2場。港にアメリカの船が入った知らせに喜んだ蝶々さんは家中に花を飾るがピンカートンは現れない。やがて蝶々さんの目の前に彼の妻の姿があった。子を手放すことを決意した蝶々さんは短刀を手にして自害する。

簡素な舞台装置だが、華麗な衣装や斬新な舞台照明など効果的な演出が光った。広い舞台で何枚もの障子やふすまをスライド式で使用し、文楽人形を使うなど日本文化が漂う演出も良かった。スズキ役のジフチャック、シャープレス役のクロフトは演出家ミンゲラとは10年前の「蝶々夫人」に続く再演だという。個性的な脇役陣も揃ってMETの歌手たちの支えがあったが,何といってもオポライスとアラーニャの名演が際立っていた。オーケストラを指揮をしたカレル・マーク・シションは初めて耳にする名前。レヴァインが音楽監督を辞任したMETで今後も耳にする機会のありそうな指揮者である。

〔追記〕昨日のオペラ鑑賞の余韻が残っていて今日はオペラ全集とマリア・カラスのオペラ・アリア名曲集から《蝶々夫人》の名場面が収録されたCDを聴いてみた。カラスの「ある晴れた日に」は1954年録音、レナータ・スコットの「愛の二重唱」、「ある晴れた日に」は1966年録音で音響面ではMETとは比較のしようもない。単独でアリアを聴くのと、全体の流れの中で聴くオペラとでは感激の度合いが違うのは当然である。原語で書かれた歌詞が参考になったのは確かである。とにかくオペラは実演を全幕鑑賞できるに越したことはない。





METライブビューイング2015-16 第7作《マノン・レスコー》

今シーズンのMETビューイングは第1作から健康上の理由で見逃し続けた。第4作《ルル》は鑑賞できたが、その後も体調が悪くて残念な思いをしてきた。昨日は何とか歩行の痛みが和らいで会場に出かけた。

2011-12シーズン第10作『マスネ作マノン』はネトレプコ&ペチャワ共演で観賞していた。今回は『プッチーニ作マノン・レスコー』でカウフマンの出演を楽しみにしていた。健康上の理由でお目当ての歌手は降板したがオポライスの演唱も期待していた。

プッチーニのオペラは《ボエーム》、《トスカ》、《蝶々夫人》の上演回数と比較すると、《マノン・レスコー》の上演頻度は低いようである。1893年初演のこのオペラは大成功を収めてプッチーニの出世作tと言われる。(*マスネの同作品は1884年初演)
二人のオペラ作品はアべ・プレヴォ―の長編小説を基にしてオペラ化された。(*小説の題名は「騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語」。)

1940年代のフランスを舞台にしたリチャード・エアによる新演出。イタリア語上演。全4幕。
小悪魔マノンをめぐる官能的な悲劇がドラマティックな音楽を背景にして描かれた。1941年、享楽的性格のせいで修道院に入ることになった美少女マノンはその道中にアミアンの町で青年デ・グリューと恋に落ち、二人は駆け落ちする。しかし、デ・グリューとの貧乏生活に耐えられなくなったマノンは3ヶ月後には裕福な大蔵大臣ジェロントの愛人となり、パリで贅沢な生活をしている。デ・グリューは彼女を探し出し、説得する。ジェロントが現れて現場を見つけて激怒する。直ちに彼の命を受けた憲兵に捕らえられて彼女は追放され流刑の身となる。そんなマノンを追いかけてデ・グリューは彼女と同じ船に乗り込んで地の果てまで同行する。たどり着いた廃墟の地で彼の腕に抱かれてマノンは息絶える。

男たちを破滅させる女を描いたロマン主義の文学作品として知られる「マノン・レスコー」。マノン役のラトヴィア出身の歌姫クリスティーヌ・オポライスのスピント・ソプラノの歌声は彼女の美貌とともに全幕で圧倒的な魅力を発していた。ヨーロッパの歌劇場でヨナス・カウフマンとの共演は名コンビとされていたようである。全幕を通しての容姿、特に第1幕と第2幕で異なった美しさを見せた。第2幕でのビーズをちりばめたピンクのドレスが官能的で本人もインタヴューで“マリリン・モンローになったような気分”と語っていた。

急遽、代役を務めることになったロベルト・アラーニャ。1日12時間の猛練習で初めてのデ・グリュー役に万全の備えをしたと言う。第1幕終盤でのアリア“僕は今までこのように美しい乙女を見たことがない”の熱唱は素晴らしかった。高音で伸びやかな歌唱は圧巻だった。第2幕の愛の二重唱も見せ場となった。長身でハンサムなカウフマンに比べ、ずんぐりとして若々しい青年とは見えぬ容貌だが、マノンを愛する一途なひたむきさが素晴らしい歌唱とともに心に響いた。

第4幕最後の幕切れの二重唱の絶唱“ひとり寂しく”に感動。エンデイングも良かった。2大歌手の演唱の素晴らしさが好印象だったのは言うまでもないが、首席指揮者ファビオ・ルイージ率いるオーケストラの演奏がオペラを引き立てた。新演出はとかく新しさを求めて世間離れしてしまう印象を受ける場合があるが、今回の演出は見事だと思った。間奏曲をはじめ全幕を通してプッチーニの美しい魅力あふれる音楽に包まれて期待以上に楽しめたMETビューィングとなった。

METライブビューイング2015-2016 第4作 ベルク《ルル》

METライブ・ビューイングは近年は毎年5作品ほどは鑑賞してきた。今シーズンの初めには鑑賞スケジュールを手帳に書き込んでいたが、残念ながら病気入院などで第1作から第3作までは上映劇場に足を運べなかった。

シェーンベルク楽派(=新ウィーン楽派)アルバン・ベルク(1885-1935)によるオペラ作品で耳にしたことがあるのは《ヴォツェック》のみ。題名だけで中身はほとんど知らない。今回の作品名は初めて聞いた。都合をつけて観ることに決めてチラシの出演者の名を見た時に以前コンサートで聴いたソプラノ歌手の名に気づいた。
彼女の名はMarlis Petersen。3年半前のPacific Music Festival 2012にボーカル・アカデミー生の教授陣として音楽祭に参加して、《マリス・ペーターゼン&ロベルト・セルヴィーレ デュオリサイタル》をKitara大ホールで開いてくれた。素晴らしい歌声を堪能した記憶が今も鮮明に脳裏に焼き付いている。1階5列の中央席あたりから聴いていて、終了後にめったに口にすることのない単語“BRAVA!”、“BRAVI!”と叫んでいた。およそ15分にわたるオペラの場面における二人の熱唱は感動的で、その時のことをフェイスブックに書いた思い出もある。(*その頃はブログは書き始めていなかった。)この時のピアノ伴奏が当時のPMF芸術監督ファビオ・ルイジだったことにも驚いたものである。

そんな記憶も蘇って《LULU》の鑑賞意欲も高まった。病後の体調回復もほぼ順調で15、16日のKitaraボランテイア活動を行なって翌日曜日のオペラ鑑賞に備えてチケットを購入しておいた。あまりポピュラーな演目ではないにもかかわらず、当日は約100席の座席の半分は埋まっていた。

当時の音楽界で最も前衛的作曲家のベルクは師シェーンベルクやウェーベルンとともに無調音楽および十二音技法の開拓で新しいクラシック音楽の分野に取り組んでいた。ベルクの作品は「ヴァイオリン協奏曲」のCDを所有していて、ジュゼッペ・シノーポリ指揮ドレスデン・シュターカペレ&渡辺玲子の演奏を数回耳にした程度でこの曲の良さは未だ十分に理解していない。

《ルル》は1935年の作で舞台は当時のドイツでドイツ語上演。3幕もので上映時間は約4時間。魔性の女ルルをめぐる壮絶な愛憎劇で現代にも通じる問題作。個人的に好みの作ではなかった。音楽がリズムに乗る明るい曲でもなく、アリアといえるような名曲が出てくるわけでもない。セリフが中心で、歌手がメロディに乗せて歌うのが極めて難しい。この特殊なオペラを歌いこなす歌手は限られてきそうな感じがする。

マルリース・ペーターセン(*今回の日本語での表記名)はドイツ生まれ。リリック・コロラトゥーラの声質を持ち、バロックから現代音楽まで幅広いレパートリーをこなすと評価が高い。「ルル」は彼女の国際舞台への足掛かりとなった「はまり役」で、今回の上演を最後にしてこの演目から降りるとのこと。超絶技巧の歌唱力と深い演技力を併せ持った余人が成し難い役どころ。

バス・バリトンのヨハン・ロイターはデンマーク出身でヨーロパの歌劇場でも経験済みの役どころで貫禄十分。アメリカ出身の若いダニエル・ブレンナのヘルデン・テノールの圧倒的歌声は魅力的で新鮮なMETデビューを飾った。メゾ・ソプラノのスーザン・グラハムは経験豊富な堂々とした役回り。

指揮はレヴァインに代わってローター・ケー二クス。初めて名を聞く指揮者。オペラが始まると、3年前に観たショスタコーヴィチの《鼻》を思い出した。演出が同じケントリッジで画家の肖像画や書道の分野の手法を用い、映像をふんだんに用いていた。舞台上映が困難な作品での工夫だろう。出演者の心理描写が特に難しいと思った。

語りが多くてアリアが殆どなく、音楽も難しい。盛り上がる個所も少なく、メトロポリタン歌劇場の広いステージの雰囲気も味わえなかった。演目の面でやむを得なかった。
シェーンベルクやベルクの音楽は繰り返して聴かないと個人的には鑑賞が難しい音楽という先入観が未だ抜けない。繰り返して彼らの音楽を聴いて特徴を把握して理解を深めるほかないのだろうと思った。

数年前にKitaraのステージに登場し、現在も世界のオペラ劇場で活躍している歌手をMETビューイングで観ることのできた喜びは大きかった。札幌公演前にその偉大さが判っている場合とのギャップを感じた。鑑賞時の高揚感が断然違うのである。

METライブビューイング2014-15 第10作《カヴァレリア・ルスティカーナ》&《道化師》

今シーズン最後のMET Live Viewingはマスカー二《カヴァレリア・ルスティカーナ》とレオンカヴァッロ《道化師》の2本立て。両作品ともに新演出。イタリア語上演。これらのオペラのタイトルは知っていても「間奏曲」やアリア「衣装をつけろ」を聴いている程度であった。
この2作品は「ヴェリズモ・オペラ」(現実主義オペラ)の代表作として知られ、現在も人気作で今回のように組んで上演されることが多いと言う。(それぞれの初演が1890年、1892年)。登場人物が王侯・貴族でなく一般庶民で彼らの生活や出来事をありのままに描いた。)

《カヴァレリア・ルスティカーナ》 全1幕。
19世紀のシチリア。居酒屋の息子トゥリッドゥは兵役中に恋人ローラを資産家の馬車屋アルフィオに奪われてしまう。トゥリッドゥは村娘サントゥッツァと親しくなったが、嫉妬したローラは再びトゥリッドゥと逢引きを重ねる仲になった。トゥリッドゥに捨てられたサントゥッツァはアルフィオに告げ口する。アルフィオは激怒して復讐を誓うが、サントゥッツァは直ぐに告げ口したことを後悔する。ここで有名な「間奏曲」が流れる。教会のミサが終って男たちがトゥリッドゥの母の酒場で乾杯する。アルフィオはトゥリッドゥが勧める杯を断り、決闘を申し合わせて店を出る。トゥリッドゥは母に彼が死んだらサントゥッツァの面倒を見ることを頼んで店を出る。しばらくすると“トゥリッドゥが殺された。”という女の悲鳴が響き、村人の驚きの声と共に幕が下りる。

約75分の1幕もので舞台装置は簡素だったが、各歌手の歌声に味わいがあって感銘を受けた。ソプラノのヴェストブルックの女心を歌い上げる迫真の演技と美しい歌唱力は素晴らしかった。感情の起伏の激しい繊細な役回りを表現する演唱には心を打たれた。(オランダ出身のスター歌手らしい。)
マルセロ・アルヴァレスは名高い世界的テノール歌手。情熱的で圧倒的な歌唱力は聴く者を魅了する。2本立ての作品に25分の休憩で出演というタフな仕事をいとも簡単にこなしたエネルギーには驚いた。(彼はアルゼンチン出身らしい。)
ルチッチの代役で急遽出演したバリトンのギャグニッサは当初から出演予定だった「道化師」のト二オ役とともにアルフィオ役を見事に演じた。
世界的な高いレヴェルの歌手ばかりの演唱に今までにないほど強烈な印象を受けた。合唱も素晴らしかった。舞台装置や衣装などが豪華でなく歌唱力が際立ったせいかもしれない。

2本立てで指揮台に立ったのがファビオ・ルイージ。PMFで馴染みの指揮者ということもあって親近感が湧いた。叙情的な音楽が多かったが、オーケストラから色彩豊かな音を引き出し、歌手の感情に添う音楽を作り出していたように思う。演奏において心がけていることは「色を付ける」と述べたのが印象に残った。

《道化師》 全2幕。幕が上がる前に旅一座のトニオが道化師の姿で登場。「道化役者も普通の人間で悲しみや苦悩を感じるのも皆さんと一緒です。」と前口上を述べるプロローグ。
19世紀後半のシチリア。ある村に道化師カニオが率いる旅回りの一座がやってきた。一座のスター女優ネッダはカニオの妻だが、嫉妬深い夫に嫌気がさして愛人をつくる。ネッダはシルヴィオと駆け落ちの約束をした。ネッダに想いを寄せていたトニオから情報を得て妻の逢引きの現場を目撃したカニオは激怒して相手の名を妻に問い詰める。芝居の準備を迫られて芝居小屋に戻り、カニオは開演前に道化師の衣装をつけ、顔に白粉を塗りながら己の苦悩を自嘲しながら独白するアリアを歌う。(METの会場から万雷の拍手が沸き起こった)。
芝居が始まると、夫の留守中に妻が恋人を家に呼んだ時に夫が帰宅すると言う実生活と全く同じ場面になる。カニオは芝居と現実の区別がつかなくなってしまい、妻をナイフで刺し、観客の中から飛び出してきたシルヴィオも刺し殺してしまった。カニオは“喜劇は終わりました”と叫んで幕が下りた。

第1幕45分、第2幕25分。ロバやプロの道化師も登場してのオペラ。劇中劇のアイディアが秀逸。テノールの絶唱「衣装をつけろ」は名場面。カウフマン、グリゴーロと共に名高いテノール歌手アルヴァレスのエネルギッシュな演唱には驚くばかり。さすがプロという印象!

ネッダ役のラセットは極めて個性的で味のあるパフォーマンスを披露した。声量豊かで魅力的なソプラノ歌手。インタビューで米国以外の歌手が自国に向けて行う挨拶がなかったので多分アメリカ生まれではないかと思った。

※プッチーニもヴェズリモ・オペラの作曲家で《トスカ》、《ボエーム》、《蝶々夫人》、《トゥーランドット》などの作品を観ると現実主義オペラの範疇が理解できそうである。ただ狭い意味でリアリズムと言っても内容に暴力を伴うオペラを「ヴェズリモ・オペラ」と定義する場合には本日上演の2作品が同じ範疇に属する作品と見做されているようである。










METライブビューイング2014-15 《イオランタ》&《青ひげ公の城》

第8作は2本立て。
チャイコフスキー 《イオランタ》 MET初演  全一幕  ロシア語上演
バルトーク 《青ひげ公の城》 新演出  全一幕  ハンガリー語上演

2本共にタイトルを知っているだけで、ストーリーも全然わかっていないので、近年はこのようなオペラ作品に興味がある。特に今回はネトレプコが主演するので期待していた。《マクベス》ではドラマティックな歌唱と迫真の演技で圧倒的な存在感を示した。今やアンナ・ネトレプコはMETの女王の風格充分で世界のディーヴァと言えるだろう。

《Iolanta》
昨シーズンの第1作《エフゲニー・オネーギン》に続いて名指揮者ゲルギエフとネトレプコのゴールデン・コンビで、相手役もピョートル・べチャワ。三人ともロシア物の上演では特に気が合っての共演。
ロシアでは人気のオペラが123年の歴史を持つMETでは初演。ロシアの歌姫の登場で可能になった作品かもしれない。

アンデルセンの童話を基にしたチャイコフスキー晩年の作品。目が見えないことを知らない王女イオランタが人里離れた森の館で乳母たちに囲まれて幸せに暮らしていた。レネ王は見知らぬ人との接触を禁じていた。ある日、彼女の婚約者になっていたロベルトが王に婚約解消を告げるために、友人ヴォデモンと森の中で迷い込んでいた。
城の一室でイオランタを見たヴォデモンは彼女の美しさに魅了されてしまう。彼は彼女が盲目であるのに気付いて、彼女の知らない光の素晴らしさを伝えて「二重唱」を歌う。(この二重唱が素晴らしい。)ヴォデモンは王に姫を妻にと望み、結果的に願いが叶う。イオランタの“光を見たい!”という叫びが手術の成功に結びつき目が見えるようになってハッピーエンド。

80分程度の一幕物で舞台は簡素だが、館が回り舞台になっていて森の様子にも転換できる舞台装置。チャイコフスキーの美しい音楽を中心にソリストたちの歌唱がそれぞれ素晴らしかった、大向こうをうならせる見せ場が各々のソリストにあった。主役だけでなく脇役のアリアも聴きごたえがある歌唱。(ネトレプコの太り過ぎの体が少々気になった程度。)
闇から抜け出て浴びる光、世界の美しさ、生きることの美しさを歌い上げ、全員の合唱で大団円の舞台を飾るフィナーレは見応えがあった。

《Bluebeard's Castle》
元々はグリム童話でペローやメーテルリンクによって戯曲化されたらしい。字幕に原作がペローとなっていた。グリムの童話には大人向けの作品があるようだが、この童話の原作は完全に大人向けである。
バルトークの唯一のオペラ。《青ひげ公の城》の音楽は初めて耳にしたが、物語の内容に即して極めて音楽が陰湿で重苦しい雰囲気が漂う。専門的には解らないが、各場面で短調や長調で曲の色彩を変化させているようである。

プロローグに始まり、7つの扉を開けてストーリーが展開される。実質的な出演者は2人。ソプラノのN.ミカエルとバリトンのM.ぺトレンコ。
愛する夫の全てを知ろうと城の中を案内してもらう新妻ユティット。第1の扉は拷問部屋。第2の扉は武器庫。第3の扉は宝物庫。いずれの室にも血痕が付着していた。第4の扉は秘密の庭園。白いバラに血痕。土に血が染み込んでいた。第5の扉は青ひげの広大な領地が見える部屋。雲から赤い血の影。不吉な予感が押し寄せる中でユティットは残りの扉を開けるように迫る。
2人の心理状態が緊迫する。第6の扉は涙の湖。2人は抱擁する。妻は夫が過去に愛した女のことを聞いて嫉妬する。やがて殺したのではと疑う。最後の扉を開けるのに抵抗していた青ひげだが、遂に第7の扉が開く。3人の妻が列になって現れる。まるで生きているようで美しい姿。彼女たちは「夜明け」、「真昼」、「夕暮れ」を支配している。青ひげは「4人目を真夜中に見つけた」と言い、彼女も4人目の妻として第7の扉に消える。青ひげも暗闇の中に消えていく。

映像でストーリーが綴られるので、実際の舞台が曖昧で解り難かった。実演なら緊迫感があったかもしれない。サスペンスオペラで意外性はあった。愛する人のすべてを知ろうとして、相手の心の奥底まで踏み入ってしまう人間の性。悲劇になってしまうドラマは現代にも通ずるところがある。
2人だけの心理劇を迫真の演技で表現したミカエルとぺトレンコの演唱を他のオペラでいずれかの機会に聴いてみたい。

演出家によると今回のオペラは1つの続き物として演出したと言う。目が見えなかった女性と目が見える女性の対照的な童話ともとれる。

私は2011年からMET Live Viewing を見始めて、今は年に5・6本は鑑賞している。妻も昨年あたりから私以上にMETビューイングが面白くなって忙しいスケジュールを縫って私と別の日に楽しんでいるようである。





 

METライブビューイング2014-15 第7作 《ホフマン物語》

オペレッタの創始者ジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach)の残した唯一のオペラ《ホフマン物語》。
彼の有名なオペレッタ《天国と地獄》の上演が北海道二期会30周年記念公演として1994年2月に行われて観た時以来のオッフェンバックの作品鑑賞。
オッフェンバック(1819-80)はドイツ生まれでフランスで活躍した作曲家、チェリスト。(後にフランスに帰化。)《ホフマン物語》は未完成の遺作となったが、ギロー補筆で1881年初演。今日でも上演される機会の多いフランス・オペラ。

舞台は19世紀のドイツ。人々で賑わう酒場で恋人ステラを待つ酔いどれ詩人ホフマンが叶わなかった過去の恋を語り始める。 機械人形と気付かずに恋したオランピア。歌うのを禁止されたのに歌ってしまい亡くなった病弱な歌手アントニア。誘われるままに情熱を捧げた娼婦ジュリエッタ。3つの恋は悪魔の化身である男に操られていた。更にステラとの恋にも暗雲が立ち込めていた。 全3幕。フランス語上演。
 
主演のホフマンは現在オペラ界で人気のイタリア人・テノール歌手、ヴィットリオ・グリゴーロ。自己破滅的な恋愛を通して孤独な男を演じ、高音域から低音域までいろいろな色彩を持った声を操るグリゴーロ。第1幕でオリンピア役のエリン・モーリーが歌う超絶技巧のアリア“生垣に小鳥たちが”のコロラトゥラの歌声はまさに驚異的。第1幕の幻想的な舞台も見もの。第2幕のアントニア役(ステラと二役)のヒブラ・ゲルツマ―ヴァの堂々たる体躯からの歌声は圧倒的で心に響いた。
全3幕に登場して悪魔の化身を演じた名バリトン、トーマス・ハンプソンの存在感がこのオペラを引き締めていた。ハンプソンはPMF2011に出演して「マーラー:亡き子をしのぶ歌」などを歌った。夕やみ迫る芸術の森に響き渡る歌声は脳裏に焼き付いている。(彼はPMF1990にも来日している。) 

第1幕や第3幕には大勢の人々が登場して合唱や踊りに加わり、舞台では小道具にも工夫がなされていた。演出家の話では1920-30年代のカフカの世界を描き、オーストリアの怪しいサーカスを連想させる舞台で幻想的なストーリーが展開された。オペラの終盤で流れる「ホフマンの舟歌」が親しまれているメロディで久し振りに耳にした。
エピローグで「人は恋によって大きくなり、涙によってより大きくなる。」と語られたのが印象に残った。

グリゴーロは4月に来日して、5日と10日にリサイタルを開く予定で、今回の公演の注目度が一層高まっているようである。


METライブビューインーグ2014-15 第6作「メリー・ウィドウ」

今シーズンのMET鑑賞は第1作《マクベス》以来となる。前回はアンナ・ネトレプコの究極の悪女に挑む演技と歌唱に圧倒された。第2~第4作までは余りにもポピュラーな作品で劇場には足を運ばなかった。第5作《ニュルンベルクのマイスタージンガ‐》は観たことがないので予定に入れていたが、6時間近くもかかる演目で結果的に断念した。

《メリー・ウイドウ》もポピュラーな作品であり、いろいろな機会に「アリア」も歌われ、親しんでいるメロディも多い。十数年ほど前にオペラに親しもうとオペラ全集を購入していた。その中に《メリー・ウィドウ》が全曲収めれれていて、何度か通して聴いたりしていた。1962年のロヴロ・フォン・マタチッチ指揮フィルハーモニア管による演奏でエリザベート・シュワルツコップがハンナを演じた録音盤である。
演奏会で歌われる「ヴィリアの歌」は耳に馴染んでいる。最近では昨年の〈Kitaraのニューイヤー〉で幸田浩子が歌ったので記憶に新しい。

レハール(1870-1948)は当時オーストリア・ハンガリー帝国の領土であったブタペスト近郊に生まれた。ウィ-ンのテアター・アン・デア・ウィ-ンの楽長に任ぜられ、オペレッタ《メリー・ウィドウ》は1905年に初演されて大ヒットした。
《メリー・ウィドウ》はヨハン・シュトラウスⅡの《こうもり》と並ぶオペレッタの傑作。

オペレッタのタイトルは日本では「メリー・ウィドウ」として親しまれているが、日本語にすると「陽気な未亡人」。ドイツ語では“Die Lustige Witwe”。原語上演が普通だと思うが、今回のメトロポリタン歌劇場ではブロードウェイの演出家による新演出で英語上演となった。 “The Merry Widow” 全3幕。

舞台は20世紀初めのパリ。東欧の小国ポンテヴェドロワの外交官ツェータ男爵は亡夫から莫大な遺産を相続したハンナが他国の男性と再婚すると国が破綻する危機に陥ることを恐れていた。彼は書記官のダニロ伯爵にハンナに求婚するよう命じる。実はダニロはハンナと恋仲の関係にあったが身分違いで結婚できなかった。
ハンナはダニロをまだ愛していた。ダニロは再三の上司の要請を断り続ける。一方ハンナはツェ-タ男爵の妻の浮気が露呈しそうになった時に彼女をかばってダニロの誤解を招く。色々な恋の駆け引きがあって、最後にはハンナとダニロの恋は実を結んでハッピーエンドとなる。

ブロードウェイの女性の演出家の新演出で台詞中心の芝居。しかも主演の男爵夫人がブロードウェイのスター、ケリー・オハラのMETデビューとなって注目されたようだ。ダンスシーンの多い作品で本格的な舞踏場面ではオペラ歌手も大変ではないかと思った。

主演のハンナ役はMETのスターであるソプラノ歌手ルネ・フレミング。昨シーズンの第5作《ルサルカ》で叙情味あふれる歌唱力を発揮して、美しい姿と澄みきった歌声が印象的だった。ルサルカは彼女の当たり役で、昨年は何とも言えない魅力を感じた。今年の演目での若くリッチな未亡人をめぐる恋の騒動では年齢的に少々無理な面を感じた。作品によっては峠を過ぎた感じがしないわけでもない。素晴らしい歌唱力と演技力で存在感を示したのは確かである。

全編を通して美しいワルツが流れる。第1幕でのパーティでの舞踏はプロのダンサーが混じっての本格的なダンス。ウィンナーワルツの心地の良いメロディ。第2幕でハンナが故郷を思い出し民族衣装を着て歌う「ヴィリアの歌」はこのオペレッタで一番の聴きどころ。「若者が故郷の森の妖精ヴィリアに一目ぼれして熱いキスを交わすが、ヴィリアは姿を消してしまう」という内容の歌。アリアに続いての合唱も素晴らしい。「コロ」の踊り。

第2幕と第3幕の間の間奏曲も美しい旋律。第3幕はキャバレーでのフレンチ・カンカンが壮観。プロのダンサーが混じっての大勢のダンスはブロードウェイの雰囲気。最後の場で主役二人が歌う二重唱「くちびるは黙し、ヴァイオリンは囁く」は恋の大団円。

ブロードウェイの女性演出家の演出とあって華やかな歌と踊り。ダンスの多さにブロードウェイの特色が出ていたのかも知れない。台詞が多いのも目立った。ブロードウェイで使っているマイクがMETでは使えないために、字幕を用意していたとのこと。劇場の後方の座席では生の声が聞こえづらいための配慮だと思われる。

ドイツ語より英語の方が解りやすかったが、個人としては原語で上演してもらいたかった。原語の持つ雰囲気は大きな意味を持つと思っている。外国の映画でもDVDでも吹き替えでなくて字幕がある方を好んでいる。今回の英語上演はアメリカ国内で観客を広げる新しい試みだったのかも知れない。

久し振りのMETビューイングを楽しんだが大満足というわけではなかった。第7作から第10作まではタイトルを知っているだけで観たこともない作品なので、全作品を鑑賞する予定にしている。

PMFステージオペラin Kitara 「ナクソス島のアリアドネ」

~25回記念アニバーサリープログラム~
PMFステージオペラ in Kitara 「ナクソス島のアリアドネ」
                         (全2幕・ドイツ語上演、字幕付き)
R.シュトラウス生誕150年記念

このオペラ」は7月18日(金)夜公演でも同じ出演者で上演された。

2014年7月20日(日) 14:00開演  札幌コンサートホール Kitara大ホール

R. Strauss:“Ariadne auf Naxos”
〈出演〉 
沼尻竜典(指揮) 
ヨズア・バルチュ(執事長)、駒田敏章(音楽教師)、塩崎めぐみ(作曲家)、水口聡(テノール歌手:バッカス)、伊藤達人(士官)、日浦眞矩(舞踏教師)、大塚博章(かつら師)、清水那由太(従僕)、天羽明恵(ツェルビネッタ)、大村博美(プリマドンナ:アリアドネ)、村松恒矢(ハルレキン)、澤武紀行(ブリゲッラ)、九嶋香奈枝(ナヤーデ)、林よう子(ドゥリアーデ)、今野沙知恵(エコー)
PMFウィーン、安楽真理子(ハープ)、野間春美(ピアノ)、佐久間晃子(チェレスタ)、オクタヴィアン・ソニエ(ハルモニウム)
PMFオーケストラ

沼尻竜典(Ryusuke Numajiri)は1964年、東京生まれ。桐朋学園大学、ベルリン芸術大学で学び、90年ブザンソン国際指揮者コンクールに優勝。新星日本交響楽団正指揮者(93-98)、東京フィル正指揮者(99-03)、名古屋フィル常任指揮者(03-06)、日本フィル正指揮者(03-08)を歴任。07年から、びわ湖ホール芸術監督として同ホールでのオペラ・シリーズでの活躍が顕著な指揮者。98年にロンドン響を指揮して海外デビュー。以来、国内外で多くのオーケストラと共演。05年にケルン歌劇場、07年にバイエルン州立歌劇場などにデビュー。
04年、読売日響の札幌公演以来のKitara 出演。10年ぶりとは思えない程、その活躍ぶりを身近に感じていた。

リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)は多くの交響詩を書いたことで知られている。「ドン・ファン」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「ツァラトゥストラはかく語りき」、「ドン・キホーテ」、「英雄の生涯」など。「家庭交響曲」「アルプス交響曲」も交響詩的な作品であり、コンサートで聴く機会もある。彼は指揮者としての活動も顕著で、ウィ―ン国立歌劇場の指揮者も務めた(1919-24)。歌曲の作品も数多く残している。
ドイツ・オーストリア系の作曲家としてはワーグナーとともにモーツァルト以来の偉大なオペラ作曲家である。「サロメ」、「ばらの騎士」などが良く知られた作品で実に多くの舞台作品を手がけている。私自身は彼のオペラ作品は観たことが無い。

今回のオペラもタイトルを聞いたことがあるくらいでストーリも全然知らない。
プログラムの解説には次のように書かれている。《18世紀のウィ―ンで、ある大富豪が、「宴会の余興に喜劇芝居と悲劇オペラを同時に上演せよ」と執事に命じる。彼の気まぐれに作曲家は憤慨、歌手勢も顔色を変えるが、洒落気の強い演劇人は乗り気になり、「捨てられた王女アリアドネ」の筋立てに、コメディアンが堂々と絡むことに、、、。》
オペラのあらすじも詳しく知らずに鑑賞することになった。

第1幕(約40分)のプロローグで執事長役のドイツ語からドイツ・オペラの雰囲気が感じ取れた。持ち込まれた難題に悩む音楽教師や作曲家、プリマドンナ、踊り子たちのドタバタぶりが描かれた。作曲家役の塩崎めぐみの歌唱力が光った。(第1幕40分)
第2幕(約80分)の舞台は《ナクソス島の洞窟の入り口》。ギリシャ悲劇のヒロインの王女役アリアドネが夫に取り残された孤島で悲しみの日々を送っている。ツェルビネッタと踊り子たちが彼女を慰めるが効果がない。天羽明恵が「偉大なる王女様」のアリアを堂々と歌い上げた。超絶的コロラトゥ-ラとリリックな声とともに確かな演技力が観客を魅了した。
若い神バッカスが島に来たことを告げられ、アリアドネは死の使いが現れた思い込む。バッカスのお蔭で死への渇望が消え、生きる喜びに目覚めて、二人は結ばれる。
水口聡はウィ―ン国立音楽大学を首席で卒業。1988年ミラノ国際コンクールに優勝し、欧州各地の歌劇場で活躍。現在もウィ―ン在住。聴いて酔いしれるほどの圧倒的な歌唱がホールを包んだ。大村博美もヨーロッパ諸国で数々の国際オペラコンクールに入賞した実績を感じさせ、容姿も含めて気品のある役柄を見事に演じた。荘重なアリアだったので観客の大拍手を得る場面にはならなかったのが残念であった。
今回の演目は北海道初演だが東京などでは歌手陣も経験を積んでいる様子がうかがえた。

オーケストラは37名の小編成ではあったが、鍵盤楽器、打楽器、ハープなどが多用されて多彩な音色を出していた。オーケストラは伴奏に終るだけでなく音楽を響かせている印象を受けた。R.シュトラウスの巧みな作曲のせいなのかも知れないと思った。
彼の交響詩の良さが少しづつ解りかけてきた段階なので、オペラ作品は鑑賞を積み重ねないと理解は難しいだろう。とにかく今日は素晴らしい歌声を聴けて良かった。
 
PMFも前半が終わって一区切り、PMFウィ―ンの出演するコンサートも今日が最後であった。キュッヒルさんを始め弦楽器の教授陣に感謝したい。お疲れ様でした。また来年を楽しみにしています。

ハープの安楽真理子さん、今日大健闘した天羽さんは8月3日の最終日までPMF後半のプログラムが目白押しです。私も後半4つのコンサートを聴く予定である。

METライブビューイング2013-14 《イーゴリ公》 & 《ウェルテル》

MET Live Viewing 2013-14 第6作 ボロディン 《イーゴリ公》
先週、ボロデイン《イーゴリ公》を観てきた。ロシアでは定番のオペラと言われるが、アメリカでは馴染みの作品ではなく、METではほぼ100年ぶりの上演だったそうである。ロシア語上演。
「だったん人の踊り」は有名な曲でしばしば聴く機会があるが、オペラ作品の中では親しんでいないので鑑賞してみることにした。

ロシア五人組の作曲家の一人であるアレクサンドル・ボロディン(1804-57)は化学者であったが作曲活動も行った。彼の唯一のオペラ《イーゴリ公》は未完成のまま、作曲者が亡くなってしまったので、彼の友人のリムスキー=コルサコフとグラズノフが補筆して完成された。1890年にサンクトペテルブルグで初演された。
「12世紀キエフの王イーゴリ公がホロヴェッ人(=だったん人)討伐に向かうが敗北し捕虜となる。最後には脱走を果して故国に帰還するという英雄劇」

時代を19世紀に移して新演出で上演。イーゴリ公の心理描写に重点を置いた演出。舞台とセット映像がユニークであった。オペラに詳しくないので出演歌手の名前は初めて聞くものばかりだった。ただ、指揮者はジャナンドレア・ノセダで有名なイタリア人指揮者。ゲルギエフの薫陶を受け、ロシアの作品にも通じているらしい。2007年からトリノ王立歌劇場の音楽監督を務め、10年には日本でも同歌劇場管を率いてイタリア・オペラの上演を行っている。世界のメジャー・オーケストラとも数多く共演し、N響にも客演指揮をしている。

ロシアのバス・バリトンのアブドラザコフはイーゴリ公の苦悩を素晴らしい歌声と演技で表現。何と言っても圧巻だったのはコーラス。110名の合唱団のコーラスは素晴らしかった。普通は第2幕で演奏される「だったん人の踊り」が第1幕で歌われた。舞台いっぱいに咲き乱れる12,500本もの真っ赤なケシの花畑で踊る大勢のダンサーの踊りがコーラスで展開された。イーゴリ公の至高の境地か? イーゴリ公の理想郷が幻想となって表現されているのかなと思った。

一人の人間としてのイーゴリ公を掘り下げて描いた作品。現代社会でも通じる人物像が描かれており、最後の場面で英雄が再起を目指す場面は観る者の心に響く。歴史絵巻と心理劇を組み合わせた演出は興味深かった。

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MET Live Viewing 2013-14 第7作 マスネ 《ウェルテル》

今日4月16日はゲーテの文芸大作「若きウェルテルの悩み」をフランスの作曲家マスネ(1842-1912)がオペラ化した作品を鑑賞してきた。フランス語上演。
フランスの作曲家のオペラ作品として人気の高いのが「マスネのウェルテル」の他に「ピゼーのカルメン」、「グノーのフアウスト」、「ドビュッシーのぺリアスとメリザント」、「オッフェンバックのホフマン物語」等があげられる。
2011-12シーズン第6作に「フアウスト」がMETで上演されて観た。

マスネのオペラは21012-13シーズン第10作「マノン」をネトレプコ主演で昨年鑑賞したばかり。マスネは約40ものオペラを作って19世紀末から20世紀初頭にかけて大変人気を博したらしい。現在では上記2作品の他にヴァイオリン独奏曲として有名な《タイスの瞑想曲》が間奏曲に使われる「タイス」も知られている。

オペラ《ウェルテル》は登場人物が少なく、舞台装置も大きくなくて上演できる、どちらかといえば小劇場向けの作品と言えるかも知れない。ストーリーは永遠の恋の悲劇。18世紀末のドイツで暮らす詩人ウェルテルは大法官の令嬢で従妹のシャルロットに一目惚れする。彼女には親が決めたいいなづけのアルベールがいた。アルベールとシャルロットが結婚した後も、ウェルテルは恋の炎に身を焦がし彼女のことが諦めきれない。クリスマスイヴの夜、シャルロットは彼の手紙に心が揺らぐが、愛を告白する彼を突き放してしまう。絶望したウェルテルは自分の部屋で銃を手にして自殺を図る。シャルロットが瀕死のウェルテルを発見するが、彼は彼女に抱えられて静かに息を引き取る。

報われない恋に身を焦がす青年の苦悩をヨナス・カウフマンが情緒たっぷりに見事な歌唱と演技を披露する。カウフマンは「フアウスト」と「パルシファル」に続いてMETビューイングで観るのが3回目だが、毎回ただ感動するのみ。歌唱力も演技力も凄い。他のオペラ歌手の追随を許さない程の圧倒的な印象を与えてくれる。幅のある高音域の歌声や声量は聴き惚れるばかりであるし、色々な感情表現が実に素晴らしい。第3幕での「春風よ、何故に私を目覚めさせるのか?」が印象的なアリア。

フランスを代表するメゾソプラノのソフィ・コッシュの名は初めて聞くが、シャルロット歌いとして名高いそうである。カウフマンとこの役で共演するのは、パリ、ウィ―ンに続いて今回が三度目と言う。彼女のMETデビューとなったが、コッシュもカウフマンと堂々と渡り合って、後半の全身全霊で熱唱する二重唱は本当に素晴らしくて感動的であった。

フランス語上演で言葉を大切にして、音楽が言葉をかき消さないような配慮からか、オーケストラも室内楽的だったり、ソロ演奏があったりして、歌手を前面に出す音楽作りのようであった。
映像やフレームの効果的な使用など、新演出での工夫も印象に残った。


MET ライブ ビューイング2013-14 第5作 ドヴォルザーク  ≪ルサルカ≫

今シーズンのMET Live Viewingは第1作「オフゲニー・オネーギン」、第2作「鼻」、第4作「ファルスタッフ」に続いて、今日は第5作を観てきた。ショスタコーヴィチの風刺劇である「鼻」とヴェルディの遺作の感想はツィッターでつぶやいて、ブログには書かなかった。

第5作 ≪ルサルカ≫ (RUSALKA)

ドヴォルザーク(1841-1904)の交響曲第9番「新世界より」、チェロ協奏曲などが余りにも有名で、彼がオペラ作曲家でもあったとは数年前まで知らなかった。
チェコでは歌劇「売られた花嫁」で知られるスメタナが、今日でもチェコ音楽の祖として、ドヴォルザークより国民の人気が高いことは聞いていた。チェコのオペラ界はスメタナのお蔭で芸術的に水準の高い作品が生まれるようになったと言われている。ドヴォルザークはオペラ作品を10作ほど書いたが、台本に恵まれずに海外で評判になった作品はわずかだったようである。
1900年に作曲された歌劇「ルサルカ」は「売られた花嫁」と並んで、最も人気の高いチェコ歌劇の1つと言われる。

歌劇「ルサルカ」は人間に恋をした水の精ルサルカの悲恋の物語。 全3幕。 チェコ語公演。

第1幕。ある日、森に住むルサルカは王子に恋をし、魔法使いに人間の姿に変えてもらう。人間の姿の間は声を出せないのが条件であった。さもないと王子と一緒に水底に沈むと告げられる。美しい娘になったルサルカを見た王子は彼女を城に連れ帰って結婚する。
第1幕で森の木に登って月を見ながら、ヴァイオリンとハープにのせて歌う「月に寄せる歌」が、このオペラの中で最も有名なアリア。METのオーディションの時からルサルカを歌い、このオペラでデビューしたMETのスター、ルネ・フレミングの当たり役。かなり長いアリアを叙情味あふれる歌唱力で美しく歌い上げる場面は圧巻。
王子役のピョートル・ペチャワのテノールも素晴らしかった。昨シーズンの第10作「マノン」、今シーズンの第1作「エフゲニー・オネーギン」の2つの作品でネトレプコと共演して、主役を演じて注目していた歌手。今回は一人で歌い続ける場面が多く、聴く者を惹きつけた。張りがあって艶のある高音が魅力的で素晴らしさが際立った。
 
第2幕。お祝いのパーティで口をきかないルサルカに不満を抱き、王子は外国の王女に心を寄せる。そのうち、ルサルカは水の精によって庭にある池に連れ込まれる。
ペチャワの第1幕とは違った味わいの歌唱も見事。フレミングが歌わないで振る舞う演技力も凄い。

第3幕。王子は森の湖に移されたルサルカのもとへ帰って彼女に償いをしようとするが、彼女は呪いにかけられていた。彼は彼女の呪いを取り除こうとして、彼女に口づけを求め、その胸に抱かれて死ぬ決意をする。ルサルカは最後には彼の求めに応じて、彼を抱いて口づけをし、暗い湖底へと沈んでいく。

幻想的なメルヘン・オペラ。 アンデルセンが書いた「人魚姫」のオペラ版。 
R.フレミングは美しい自然を背景に美しい姿と澄み渡った歌声を披露した。水の精の複雑な内面も見事に表現した。ペチャワの歌唱力には改めて感動した。主役2人以外の共演者の歌手陣も持ち味を発揮して好演。
チェコ語上演はMETでは珍しいようであった。チェコ語はロシア語と同じスラブ系の言語なので、ポーランド出身のペチャワにとって得意の言語であることも最高のパフォーマンスに繋がったのかも知れない。

ドヴォルザークの魅力ある美しいメロディが散りばめられた曲をドラマティックな指揮で音楽を綴ったヤニック・ネゼ=セガン。彼は1975年生まれのカナダ人で、世界で最も活躍が期待される若手指揮者の1人。12年、フィラデルフィア管の音楽監督に就任。14年6月、同団を率いて来日予定。ロッテルダム・フィルの音楽監督も兼任。
ネゼ=セガンは表情豊かなダイナミックな指揮ぶりで、オーケストラから抒情性に富むロマンティツクで親しみ易い音楽を引き出し、自然描写と結びついた幻想的な美しい響きを作り出していた。オーケストラ演奏の場面でカメラが指揮者の姿を通常より多く追っていたのは、それだけ注目度が高かったからではないかと思った。いずれにしても格好良い指揮者で、いつの日か札幌での公演を期待したい。
プロフィール

fsuterry

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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