バーンスタインの"West Side Story"の裏話

 バーンスタインの"West Side Story" は彼が作曲した中で最も有名な曲になっている。
1990年にスタートしたPacific Music FestivalでもPMFオーケストラが
「ウエストサイド・ストーリー」から≪シンフォニック・ダンス≫を演奏した。
2008年のPMFはバーンスタインの生誕90年にあたり、Gala Concert celebrating the 90th anniversary of the birth of Maestro Leonard Bernstein が開催された。 「オール・バーンスタイン・プログラム」で 'Symphonic Dances' from "West Side Story"も演奏されたのは記憶に新しい。

 去る9月10日の札幌公演でもシェナ・ウインド・オーケストラが「ウエストサイド・ストーリー」から≪シンフォニック・ダンス≫を演奏した。
 この時のブログで、私は「バーンスタインが曲を作った当初の題名は《イーストサイド・ストーリー》であったことを知っている人は何人いるでしょうか」と書きました。

 機会があれば新たなブログで書いてみようと思っていたのです。
たまたま明日23日の"Kitara のクリスマス"での演奏曲目に入っていたのでこのタイミングにしました。

 2008年にバーンスタインの伝記を読みました。500ページ以上の分厚い本でバーンスタインの身近にいた人の書物でしたが、残念なことに著者の名前を覚えていません。
 彼の本によるとバーンスタインは19歳~20歳の時に"East Side Story"という曲を作りましたが、話題にはならなかった。それから20年ぐらい経ってから、ブロードウェイでミュージカルとして上演されることになりました。ブロードウェイでの初演は1957年でバーンスタインが39歳の時でした。
 
 当時はニューヨークのマンハッタンのイーストサイドと呼ばれていた地域は1945年以降に国連ビルが建つなどして都市開発が行われて周囲の環境が20年前とは様変わりしていた。(私も1967年にニュ―ヨークに1週間滞在していたのでこの本に書かれている事情は直ちに理解できました。)
 そんなわけで舞台状況に合うウエストサイドの地域がバーンスタインが作曲しようとした場面にピッタリということで、ミュージカルの題名が"West Side Story"に変えられたそうです。

 この事実を知った時に「これ本当の話?」と疑って読み返したのを覚えています。1967年当時はイーストサイドはイタリア系やプエルトリコ系の貧しいアメリカ人が住む地域ではなくなっていたのです。ハドソン川沿いのウエストサイドは依然としてあちこちに古いビルがあってミュージカルや映画(1961年、ジョージ・チャキリス主演)の場面に合う状況でした。

 尚、バーンスタインは1960年にミュージカル中のいくつかの曲を集めて編曲してオーケストラのための演奏会組曲「ウエストサイド・ストーリー」からの≪シンフォニック・ダンス≫を作りました。この曲がしばしばオーケストラのレパートリーとして演奏されているのです。
 
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年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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