ラトルと内田がピアノ協奏曲で共演(モーツァルト第27番&シューマン)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督として最後のシーズンを迎えたサー・サイモン・ラトルは「ハイドン:天地創造」で今シーズンのプログラムをスタートした。9月の4種類のコンサートは客演指揮者が担当した。
10月7日のコンサートでは内田光子をソリストに迎えた。内田はベルリン・フィルの“ピアニスト・イン・レジデンス”として10年2月にベートーヴェンのピアノ協奏曲をラトルとの共演で全曲演奏した。今回の「モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番」のライヴに先立って、09年2月のラトル&内田による「シューマン:ピアノ協奏曲」のアーカイヴの案内があった。

シューマンのピアノ協奏曲は暫く演奏会で聴いていないので懐かしくなった。ルービンシュタイン演奏のLPレコードで聴き始め、20年前に手に入れたCDでは当時人気の指揮者アーノンクールが指揮するヨーロッパ室内管&アルゲリッチの演奏を聴き続けて“お気に入りのピアノ協奏曲”になっていた。
直ちに視聴してみると、内田の力強いピアニズムに一気に惹きこまれた。冒頭から幻想の世界に導かれ、ピアニストの表情もいろいろ変化する。シューマンの不安、緊張、暗さも感じ取れるが幸せな気持ちも伝わってくる。ピアノとオーケストラ、特に木管との対話は内田が時には指揮者や木管奏者に目をやりいながら演奏を進める仕草からも、その密度の濃さが読み取れた。迫力に満ちたフィナーレで曲が閉じられ、演奏終了後の聴衆の大歓声も特別のように感じられた。

ホルン奏者、サラ・ウィリスとのインタヴューを通して内田の音楽に対する熱い思いが伝わってきた。シューマンのこの曲の例えようもない美しさに13歳から心を奪われていたと語った。彼女のシューマンへの想いは“first true deep great love”という言葉に表されている。15分以上も雄弁に語る内田の語りから普段のコンサートでは分らないことが知れて興味深かった。

「モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番」は今月の16日に聴いた。モーツァルト最後のピアノ協奏曲で彼自身の独奏で初演されたが
、人前で演奏する最後の曲となった。
内田光子とジェフリー・テイト指揮イギリス室内管による20番台の協奏曲は30年前の録音で全曲を所有している。30年ほど前には“モーツァルト弾き”のピアニストとして名声を得た内田も、現在では当時と演奏が変わっているのは当然ではないかと思う。
日本に生まれ、ウィ-ンで育った内田はモーツァルト、シューベルト、バッハ、ベートーヴェン、シューマン、ショパンは言うまでもなく、ドビュッシーからメシアンや武満などの現代音楽作曲家もレパートリーに入っていて、私の好みではないがシェーンベルクも得意にしている。

2010年にはクリーヴランド管を率いてKitaraで「モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&27番」を弾き振りして大反響を呼んだ。P席のど真ん中から堪能した当時のコンサートの様子が蘇った。マーラー・チェンバー・オーケストラを率いての「モーツァルト:ピアノ協奏曲第17・19・20・25番」の2日間に亘る弾き振りは丁度一年前のことであった。堂々たる風格を備えたピアニスト・指揮者として活躍している姿は実に頼もしい。

今回のラトル指揮ベルリン・フィルの演奏は上記のコンサートとは違ってピアニスト内田に焦点を当てて視聴した。内田光子はベルリン・フィルとは30年以上も共演しており、モーツァルトの協奏曲をラトルと共演するのは14年2月の「第18番」、16年3月の「第22番」に続いて、今回が3回目のようであった。
「第27番」は音楽の素材は簡素で、それほど情熱的ではないが悟りの境地に達したモーツァルトの味わいのある曲。インタビューで憂いに沈んだメランコリーな雰囲気の世界より、“bittersweet”(ほろ苦い)雰囲気を感じ取ったインタヴューアーが内田に質問を浴びせていた。質問には曲について“almost happy, but not so happy”(殆どハッピーだが、それほど楽しくはない)、“ It has a lot of drama. It has so much melancholy, so much sadness, so much darkness”(ドラマと憂鬱と悲しさと暗さに満ちている曲)と彼女の解釈を述べていた。聞いていて違和感は特に感じなくて、彼女の意図するところは分ったような気がした。曲全体の印象はメランコリーであっても透明な抒情感があり、気品もあって、人生の最後を迎えようとしていた作曲家の心境が綴られている気もした。いずれにしても読み取る解釈は聴き方によって濃度の違いが出るのはむしろ当たり前ではないかと思った。
ラトルと共演が多い理由を訊かれて、“He is a lovely, wonderful musician. 彼は常に新たな角度から楽譜を読み取り、指揮棒を持っても持たなくても、オーケストラをコントロールできる真の優れた指揮者である”と称えて全幅の信頼を置いているようであった。(*インタビューは英語で行われて、字幕がドイツで書かれていた。)

今日はブログを書くに当たって、この2曲を再度、いや今までデジタル・コンサートホールで三度視聴したことになる。どちらも素晴らしい演奏だったが、ピアノ協奏曲を1曲しか書かなかったシューマンの協奏曲に、より魅力を感じたのが正直な感想である。
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年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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