PMFオーケストラ演奏会・プログラムB(メルクル&PMFコンダクティング・アカデミー)

PMF前半のウィ-ン・フィル、ベルリンフィル教授陣のアカデミー・メンバー指導が終わって、後半の指導はアメリカの教授陣が担当し始めた。オーケストラ・アカデミー・メンバーは90名であるが、他にコンダクティング・アカデミー・メンバーが3名選出されている。3人の指導は準・メルクルが行った。その成果の発表が23日のプログラムBで行われた。

2017年7月23日(日) 14:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール
〈出演者〉 準・メルクル、PMFコンダクティング・アカデミー(指揮)
       PMFアメリカ(アメリカの主要オーケストラのメンバー12名) 
       PMFオーケストラ
〈PROGRAM〉
 リスト:交響詩「レ・プレリュード」(指揮:柳澤 謙)(日本・USA)
 ドビュッシー:管弦楽のための「映像」から「イベリア」(指揮:Su-Han Yang)(台湾)
 R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」(指揮:Dawid Runtz)(ポ-ランド) 
 バルトーク:管弦楽のための協奏曲(指揮:準・メルクル、PMFアメリカも参加)

先週のプログラムAに加えてプログラムBもPMF首席指揮者のメルクルがオーケストラを指導、前半の3曲はメルクルから個人指導を受けたアカデミー生が指揮の舞台に立った。

リストは交響詩の分野の先駆者として知られているが、「前奏曲」以外の交響詩は殆ど知らない。カラヤン&ベルリン・フィルのCDで聴くのみである。かなり以前に演奏会で聴いた記憶はある。「人生は死への前奏曲」として曲が綴られ、ドラマティックな展開で華やかなフィナーレとなり、演奏終了後にはブラヴォーの声も上がった。多分、親しい日本の友人たちの声援のように思えた。
出だしは緊張もあったのか、指揮もやや単調で金管楽器奏者も調子に乗りきれないようだった。次第にリズムを取り戻して後半はダイナミックな演奏を引き出した印象を受けた。

ドビュッシーには「映像」というピアノ作品が2集あるが、第3集に管弦楽作品があるのは初めて知った。「海」、「牧神の午後への前奏曲」、「夜想曲」以外で耳に出来て大変良かった。ドビュッシー独特の印象派音楽の世界に浸った。ピアノ曲より現代音楽の作曲家としての色彩の強い新しい試みの工夫がなされていて非常に興味深かった。打楽器やチェレスタの多用も興味を引いた。
安心して観ていられる指揮ぶりで新鮮な曲を楽しんだ。

交響詩を数多く書き残したリヒャルト・シュトラウス(*フランスのイベール同様に日本の紀元2600年奉祝記念にドイツ代表として作品を書いたことでも知られる偉大な作曲家)が最初に書いた交響詩「ドン・ファン」。ハンガリーの詩人レーナウの叙情詩に基づく曲。理想の女性を追い求めて女から女へと遍歴を続けて、最後には決闘に傷つき人生を終える悲劇の男性の物語。
ステージに登場した時点からオーケストラを自分のペースに引き込んだような指揮者。非常に手慣れた格好の良い指揮ぶりが最初から最後まで魅力的であった。演奏機会も多く、聴きなれたメロディも多かったが、20分近い曲が終るのが早く感じた。

指揮者も演奏者も全て若々しい音楽家の姿は生き生きとしていた。プロの演奏家のコンサートとは違う若さに満ち溢れたエネルギーを頼もしく思った。
札響の定期演奏会では必ずしも満足のいく最高の座席ではないので、PMFオーケストラ演奏会では自分が望む最高の座席(2階CB1-3列中央)から鑑賞している。Kitaraは一般的にはどの座席からでも音楽が楽しめる音響を備えているとはいえ、オーケストラ鑑賞ではステージ上の奏者が全て見渡せて、音を奏でる奏者が直ぐ判る座席は観る楽しみが増える。奏者の直接音が直ぐ伝わり、演奏の様子もより生き生きと伝わる。オーケストラの迫力ある音楽を楽しむのに最近、好んでいる座席である。(*指揮者に注目する時には廉価だということもあって、以前はP席を好んで買い求めた)。

バルトークはハンガリーが生んだ最も有名な現代音楽作曲家で現今の世界中の演奏会で取り上げられる作品も数多い。1940年、バルトークは第ニ次世界大戦中にハンガリーからアメリカに亡命した。ハンガリーからアメリカに亡命して大成した指揮者は数多いが、彼はアメリカでは無名で作曲活動はストップしてしまった。彼は友人たちの尽力でボストン響のための新作を依頼され、1943年にこのユニークな作品を白血病の病床にありながら3ヶ月足らずで書き上げた。
「協奏曲」は独奏楽器とオーケストラによる作品というのが通例であるが、バルトークのこの作品では独奏者はオーケストラ全体を指す。様々な楽器にスポットが当てられるので、CDで聴いていてもある程度分るが、ライヴで観ていると極めて楽しい。

曲は5楽章構成。「序章」、「対の遊び」、「悲歌」、「中断された間奏曲」、「終曲」。
メルクル指揮でオーケストラにPMFアメリカの教授陣が加わった(*ハープはウィ-ン国立歌劇場のパップがプログラムAに続いてプログラムBにも参加)。アカデミー生が登場する前にPMF初参加の教授を含むファカルテイ数名がステージに現れて準備を始めて彼らの意気込みを感じた。ファゴット奏者のソロをアカデミー生が務めるのがこの時点で分った(*フィラデルフィア管首席のマツカワは昨年もソロをアカデミー生に担当させていたのを思い出した)。
第1楽章では金管楽器のカノンが楽しい。第2楽章では同種の管楽器が「対」になって音楽が進められた。ファゴット2本、オーボエ2本、クラリネット2本、フルート2本、トランペット2本が次々と対になって演奏される様子は観ていて非常に面白かった。曲想もユーモラスだった。第3楽章はエレジーで夜の音楽。第4楽章には民謡風の旋律が奏でられるが、ショスタコーヴィチの交響曲がバロディ化されるところも出てくる。第5楽章は、オーケストラのトッティで派手なフィナーレとなって勇壮であった。
打楽器、管楽器の活躍で色彩感あふれる音楽が展開されて聴きごたえのある楽しい曲。金管楽器が13本もあると迫力がある。現代音楽でこのような興味深い曲を作り上げたバルトークの偉大さを改めて感じた。

一昨年は札響で、昨年は名古屋フィルでライヴで聴いていてこの曲の良さを味わっているのであるが、まだまだ鑑賞力が足りずに
いた。オーケストラの各楽器担当の細かい観察ができて新たな発見をしたところもあった。
準・メルクルが指揮台に上がり、曲の要所をPMFアメリカが占めるので当然ながら曲が引き締まった、演奏終了後の鳴りやまぬ拍手とカーテンコールにメルクルも最後はコンマスの手を取って一緒に退場した。

2階CB最前列の席で鑑賞することは多くはない。その恩恵に浴した友人と妻にもオーケストラの醍醐味を味わってもらった。ホールを出ても公園内は暑い陽ざしが照りつけていたので、普段は通らない木陰が多い道を通って地下鉄駅に向かった。いつも同じ道を歩いているが、やはり女性の感覚は違うようである。ボートが行きかう菖蒲池の周りにはブルーのアジサイのほかに見慣れないピンクのアジサイの花を見つけた。周りの自然をもっと楽しむ余裕も生活の中に取り入れることも大切と気づいた。

夕食を取るには早い時間だったが、食事の準備も大変な妻のことを考えて外食をして帰宅した。自分は料理が出来ずに、食事の後片付けをするくらいなので偶にはと思って休養日にしてあげた。




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年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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