ロシアの巨匠 ウラディーミル・フェドセーエフ
九州北部の豪雨災害のニュースは心を痛めるが、札幌では4日連続の真夏日の猛暑に見舞われている。今日の午前中は時計台のボランティア活動でタイ、韓国の来館者を含めて、本州の観光客の対応に当たって充実した時間を過ごした。一日中、家にいると脚の痛みを感じて必ずしも楽になって休んでいる状態ではなく、最近では外出して身体を動かして活動している方が痛みなど忘れて仕事や音楽鑑賞に集中できるから不思議である。
昨夜はEテレ「クラシック音楽館」を鑑賞。フェドセーエフ指揮N響1861回定期公演(2017年5月)でロシア音楽を聴いた。演目は「グリンカ:カマリンスカヤ」、「ボロディン:交響曲第2番」、「チャイコフスキー:交響曲第4番」。
演奏に先立って、指揮者は「カマリンスカヤ」の説明で「婚礼歌」と「舞踊歌」で娘を手放す親の悲しみ、ロシア・ダンスの楽しさを語った。リハーサルで表情や動作で楽員に日本語を使って伝える指揮者にコンサートマスター篠崎がロシア語を交えて対応する様子も語られて興味深かった。(*「カマリンスカヤ」は「奇妙なステップ」の意味だそうである。)
モスクワ放送響を率いて何度か来札していたフェドセーエフは40年以上も同じオーケストラのシェフを務めている。この機会に過去の札幌公演の様子を振り返ってみた。
Vladimir Fedoseevは1932年、レニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。1974年にモスクワ放送交響楽団(Moscow Radio Symphony Orchestra)の音楽監督・首席指揮者に就任して以来、現在に至るまで42年も同一のオーケストラを率いている世界でも珍しい存在。
彼が札幌で行った公演で聴いた4回の公演プログラムが手元にあった。
①1991年、R.コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(*ヴェンゲーロフ独奏の予定がプリシェぺンコに代わって残念だったことを今も記憶している)、ボロデイン:歌劇「イーゴリ公」から“ダッタン人の踊り”
②1999年、ショスタコーヴィチ:交響曲第5番、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(独奏:レーピン)、祝典序曲「1812年」
(この時の日本ツアーからオーケストラの英語名がTchaikovsky Symphony Orchestra of Moscow Radioとなった)
③2002年、ウィ-ン交響楽団&樫本大進による[ブラームス・プログラム]
(*97年ウィ-ン響首席指揮者に就任して、ムジ―クフェラインでベートヴェン・チクルスを行って反響を呼んだとされる。)
④2004年、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲(独奏:上原彩子)、ラフマニノフ:交響曲第2番
この時の札幌公演は〈チャイコフスキー記念モスクワ放響音楽監督首席指揮者30周年フェドセーエフ指揮、チャイコフスキー・コンクール・ピアノ部門初の日本人優勝者・上原彩子〉
(*日本ツアーの他の都市でロシア音楽以外にドビュッシーやラヴェルの曲が演奏される公演もあった。)
ロシア人指揮者がロシアのオーケストラを率いての海外ツアーではオール・ロシア・プログラムが比較的多いようである。ロシア音楽は素晴らしくて魅力がるが、ロシア国内では当然に世界の音楽が演奏されていると思う。
フェドセーエフはチャイコフスキーの曲は日本では人気が高くて、チャイコフスキーの音楽は日本人によく理解されているとインタビューに答えていた。“同じ曲を演奏していて飽きないか?”の質問に“何回演奏しても飽きない”。自分の演奏は変化しているので、過去の自分の演奏を耳にして、“いい演奏だ”と思ったら、ラジオで“只今の演奏はフェドセーエフ指揮モスクワ放響でした”とアナウンスがあって自分の演奏と知ることがあると語った。
指揮の最中は表情を変えないが、リハーサルでは細かい指示を出しているらしい。
※フェドセーエフは96年から東京フィルの首席客演指揮者も務めていたが、現在は不明。世界の一流オーケストラに客演していて、チューリッヒ歌劇場の客演指揮者としてオペラでも活躍している。
84歳でN響に客演して活躍している姿を直接に見れて良かった。フェドセーエフが音楽監督の任にあるオーケストラの日本での呼称は最近では「チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ」となっていることが多かったが、今回の放映では「チャイコフスキー交響楽団」となっていた。後者の方が適訳だと思う。
昨夜はEテレ「クラシック音楽館」を鑑賞。フェドセーエフ指揮N響1861回定期公演(2017年5月)でロシア音楽を聴いた。演目は「グリンカ:カマリンスカヤ」、「ボロディン:交響曲第2番」、「チャイコフスキー:交響曲第4番」。
演奏に先立って、指揮者は「カマリンスカヤ」の説明で「婚礼歌」と「舞踊歌」で娘を手放す親の悲しみ、ロシア・ダンスの楽しさを語った。リハーサルで表情や動作で楽員に日本語を使って伝える指揮者にコンサートマスター篠崎がロシア語を交えて対応する様子も語られて興味深かった。(*「カマリンスカヤ」は「奇妙なステップ」の意味だそうである。)
モスクワ放送響を率いて何度か来札していたフェドセーエフは40年以上も同じオーケストラのシェフを務めている。この機会に過去の札幌公演の様子を振り返ってみた。
Vladimir Fedoseevは1932年、レニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。1974年にモスクワ放送交響楽団(Moscow Radio Symphony Orchestra)の音楽監督・首席指揮者に就任して以来、現在に至るまで42年も同一のオーケストラを率いている世界でも珍しい存在。
彼が札幌で行った公演で聴いた4回の公演プログラムが手元にあった。
①1991年、R.コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(*ヴェンゲーロフ独奏の予定がプリシェぺンコに代わって残念だったことを今も記憶している)、ボロデイン:歌劇「イーゴリ公」から“ダッタン人の踊り”
②1999年、ショスタコーヴィチ:交響曲第5番、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(独奏:レーピン)、祝典序曲「1812年」
(この時の日本ツアーからオーケストラの英語名がTchaikovsky Symphony Orchestra of Moscow Radioとなった)
③2002年、ウィ-ン交響楽団&樫本大進による[ブラームス・プログラム]
(*97年ウィ-ン響首席指揮者に就任して、ムジ―クフェラインでベートヴェン・チクルスを行って反響を呼んだとされる。)
④2004年、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲(独奏:上原彩子)、ラフマニノフ:交響曲第2番
この時の札幌公演は〈チャイコフスキー記念モスクワ放響音楽監督首席指揮者30周年フェドセーエフ指揮、チャイコフスキー・コンクール・ピアノ部門初の日本人優勝者・上原彩子〉
(*日本ツアーの他の都市でロシア音楽以外にドビュッシーやラヴェルの曲が演奏される公演もあった。)
ロシア人指揮者がロシアのオーケストラを率いての海外ツアーではオール・ロシア・プログラムが比較的多いようである。ロシア音楽は素晴らしくて魅力がるが、ロシア国内では当然に世界の音楽が演奏されていると思う。
フェドセーエフはチャイコフスキーの曲は日本では人気が高くて、チャイコフスキーの音楽は日本人によく理解されているとインタビューに答えていた。“同じ曲を演奏していて飽きないか?”の質問に“何回演奏しても飽きない”。自分の演奏は変化しているので、過去の自分の演奏を耳にして、“いい演奏だ”と思ったら、ラジオで“只今の演奏はフェドセーエフ指揮モスクワ放響でした”とアナウンスがあって自分の演奏と知ることがあると語った。
指揮の最中は表情を変えないが、リハーサルでは細かい指示を出しているらしい。
※フェドセーエフは96年から東京フィルの首席客演指揮者も務めていたが、現在は不明。世界の一流オーケストラに客演していて、チューリッヒ歌劇場の客演指揮者としてオペラでも活躍している。
84歳でN響に客演して活躍している姿を直接に見れて良かった。フェドセーエフが音楽監督の任にあるオーケストラの日本での呼称は最近では「チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ」となっていることが多かったが、今回の放映では「チャイコフスキー交響楽団」となっていた。後者の方が適訳だと思う。
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