時計台ボランテイア活動2017

札幌国際プラザ外国語ボランティア・ネットワークに加わっているが、多岐にわたる活動の中で最近は時計台に関わる活動のみに参加している。昨年は5月から11月迄で25日間(午前or午後3時間半)の活動に参加した。ボランテイアは1シフト2名が普通で、以前は英語1名、中国語1名が多かったが、近年は英語2名が多くなった。私自身1名だけの活動日も何度かあった。私が1日に対応する人数は三・四十名。うち外国人は約1割。
年間の時計台入館者は約20万人。昨年7ヶ月間にボランティアが対応した人数の概数は、日本人2万人、外国人5千人。統計によるとアジア、ヨーロッパ、北アメリカ、中南米、オセアニアなど世界の約60ヶ国から来館者を迎えている。国・地域では中国、台湾、香港が断然多く、近年はマレーシア、タイからの観光客が増えている(*2・3年前までは韓国人も多かったが、個人的には少なくなった印象がある)。香港、マレーシア、タイの観光客は英語を話す。

5月から始まった今年度も月4回のペースで活動を行っている。今月の活動で印象に残ったのはインドネシアの4人家族。300年以上もオランダの支配下にあり、先の大戦時には日本の支配下にあったインドネシア。時計台にある「世界の鐘」を耳にして会話した女性は親日家の様子。大学生の息子2人とご主人を含む家族4人に「札幌農学校の演武場と時計台」の案内を依頼された。1・2階の案内が終って、彼らに時計機械のビデオを見てもらっている間に1階に降りたが(*ビデオに英語の字幕が新しく入れられたのに初めて気づいた)が、帰りにわざわざ御礼の挨拶に来てくれた。おもてなしの心が届いたのかと思うと嬉しかった。

前回の活動では韓国人の若いカップルに好印象を受けた。入場時に英語での説明を求められ、1階での説明で時計機械がボストンの会社からの輸入品と分かって突然、男性が興味を示した。彼がボストンの大学で学んでいることが判った。2階の時計機械の説明が終って、スナップ写真に一緒に納まった。帰りの階段で50年前の留学中に一時ルームメートであった韓国人の話や彼を通して知り合った数人の韓国人の良い印象を話して別れた。最初から好印象のハンサムな韓国人だったが、ビックリしたのは帰りの出口からボランティアの活動場所に戻ってきて、50分の1の時計台ミニチュアをバックに写真を撮りにきた。名前を趙恒瑞(CHO・Hang・Seo)とハングル文字も含めて書いてくれた。ピアニストのチョ・ソンジンと同じ苗字と分って親しみが増した。最後まで好印象を残してくれた青年だった。ボストンでも充実した学生生活を送ってほしいと思った。

日本人の来館者で微笑ましい姿を見せてくれた関西在住の年配の女性たち5人。“どちらからいらっしゃいましたか”に応えて、一斉に、それぞれ“関西、神戸、京都、兵庫、大阪”と応えてくれた。旧札幌農学校演武場・時計台の説明を実に表情豊かに、また興味深げに聴いてくれた様子には有難く思ったものである。最後はミニチュアをバックに一緒に写真に納まった。8年余の時計台活動でも記憶に残る来館者だった。多分、彼女たちは女学校時代のクラスメイトで二度目の修学旅行を楽しんでいるのでは?と思わせるような品の良い若さを持った人たちでした。

紙芝居の英語原稿が行方不明になっていて、20枚の絵を使っての紙芝居は前回まで休んでいた。先日のボランテイア活動の帰り際に英語の原稿が戻っているのに気づいていた。
本日の午後の外国人来館者はカナダのご夫婦とアイルランドの女性の3人。英国の北アイルランド出身の若者の対応をしたことはあったが、アイルランドの来館者は初めてだった。時計台の説明を聞く時間が充分にあるかを尋ねて、20分ほどかかる紙芝居を始めた。最初から彼らの関心の高さが分ったが、20枚の絵の説明に彼らの表情を見ながら語るような調子でストーリーを展開できて、聴き手の示す反応に刺激を受けて自分でも今までで最高の出来だったように思う。終了後の感想にも満足できた。

間を置いて、スーダンからの来館者で現在は大阪在住という女性が来館した。北海道は初めてで仕事の合間に時計台に立ち寄った様子。“日本語は話せますね”と言うと“チョットだけ”と答えたので、また紙芝居を英語ですることにした。彼女も非常に興味深げに聴いてくれ、教養の高い女性の印象を受けた。終了後に質問もしてきて、会話が弾み、大阪での仕事を訊くと大阪大学で経済学を勉強しているとのことであった。大学院で学んでいるか、研究生としての来日らしい。3年間で沖縄、長崎、熊本、松山などを旅して、10ヶ月後の離日までに東日本を旅行してみたいと語った。

2000年にエジプトに旅行した折に南の隣国がスーダンだと思い出した。南スーダンが独立したのはその10年余も後のことだと思うが、エジプトや南アフリカ以外のアフリカ出身の国の時計台来館者は珍しい。国のことは話題にしなかったが、南スーダンが独立する前はアフリカで最大の国土を持つ国だった。Sudanを彼女はスダーンと発音した。日本ではスーダンと表記しているが、スーダーン(*長母音が2ヵ所)という表記の仕方もあるようである。
帰宅してパソコンで確認したが、エジプトで“ヌビア”という語を耳にしていたことを思い出した。エジプトの南の国はアラビア人と違う黒人が住む国と知って認識を新たにした。中国がアフリカに進出して20年以上になるようで、残念ながらスーダンや南スーダンの今後の見通しは明るくないようである。

これからアフリカ人の来道も増えてくることが予想される。より世界が狭くなっていることを言葉だけでなく実感できる日がやってくる。51年前にマラウィという国の肌が真っ黒な19歳のアフリカの黒人と話す機会があり、英語で通じ合えることの驚きと喜びを感じたのを思い出した(*スーダン出身の来館者はアラブ系アフリカ人だった)。
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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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