ビシュコフ指揮ベルリン・フィル「R.シュトラウス:英雄の生涯」&「ショスタコーヴィチ・チェロ協奏曲第1番(ゴーティエ・カプソン)」

セミョン・ビシュコフがベルリン・フィルハーモニーに登場。樫本大進がKitaraのステージに初登場したのが1998年10月でオーケストラはケルン放送交響楽団だった。1952年、レーニングラード生まれのビシュコフが97年にケルン放送響(現ケルンWDR交響楽団)の首席指揮者に就任して初の日本デビューの年だった。ビシュコフは74年に米国移住。84年にはニューヨーク・フィルにデビューして、アメリカ国内のメジャー・オーケストラを次々と客演指揮。85年にはベルリン・フィルに初登場。89年にパリ管の音楽監督も兼任して、2010年までWDR響を率いた。彼の指揮ぶりをじっくり観るのは約20年ぶり。
98年の札幌公演での演目はメンコンとマーラーの第5番だった。

2017年5月12日のベルリン・フィルの演奏曲目は「ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番(チェロ独奏:ゴーティエ・カプソン)」と「リヒャルト・シュトラウス:英雄の生涯」。

ショスタコーヴィチ(1906-75) とR.シュトラウス(1864-1949)は共に20世紀の政治状況に直面したが、対処の仕方が対照的な作曲家であったと思う。生まれた時代が違うことが、第ニ次世界大戦後の二人の作曲家の生涯を分けたのも事実であろう。

ショスタコーヴィチはスターリン時代のソヴィエト連邦の政治の悲劇に巻き込まれながら偉大な作曲家としての足跡を残した。第二次世界大戦前の創作前期には前衛的で斬新な作品を書いたが、大戦中や大戦後はスターリン体制の下で曖昧ながらも巧妙な政治批判を込めた作曲活動を行った。ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲を各2曲書いているが、ピアノ協奏曲第1番を除いて、全ての協奏曲は戦後に書かれた。これらの曲にはロマンティックな情感が織り込まれている。2曲のチェロ協奏曲は盟友ロストロポーヴィチに贈られた。「第1番」は1959年に書かれた作品で、全体に軽快な印象の曲で親しみやすい。1966年に書かれた時のソ連国内の政治状況を反映した「第2番」の重苦しい雰囲気とは違っている。

ゴーティエ・カプソンは1981年フランス生まれで、ヴァイオリニストの兄ルノー・カプソンと共に世界的に人気の高い演奏家である。十数前にアルゲリッチとアンサンブル、多分ピアノ三重奏曲で札幌で公演を行った。聴き逃したのが返す返すも残念である。今回、初めて聴いたが高度な技巧を駆使した颯爽とした演奏ぶりは実に見事であった。
ロストロポーヴィチのために書かれただけあって非常に技巧を要する曲で、ショスタコーヴィチの最初のチェロ協奏曲として世界的にも評価されたようである。管楽器がホルンだけで観ていなければ気づかなかったかもしれない。行進曲風の速いテンポで始まるが、やがて緩やかな抒情的な部分となり、長大なカデンツァが入り、壮大なフィナーレ。

「第1番」が作曲された前年の1958年、ショスタコーヴィチはイタリア最古のサンタ・チェチーリア音楽アカデミーの名誉会員に選ばれ、ヘルシンキではシベリウス記念国際賞を授与され、国内では第1回チャイコフスキー国際コンクール委員長として活躍していた。この年には再婚してある面で恵まれた作曲環境にあった。「第1番」には独裁社会の体制下で多くの友を失って生への不安も反映している場面もある。この曲の評判は良かったが、1966年作曲の「第2番」はソ連の体制の中で正当な評価を受けなかった。自分は「第2番」しかCDは持っていないが、落ち着いた雰囲気の内省的な作品でショスタコーヴィチらしさが出ている気がする。

アンコール曲は「カザルス:鳥の歌」。5人のチェロ奏者の前奏があって、その後にカプソンの独奏が入る形の演奏で心が洗われるようであった。馴染みの曲が奏でられてチェロのアンサンブルで新鮮なメロディとなって心に響いた。

R.シュトラウスは父の教育方針もあって音楽学校には行かずにミュンヘン大学で幅広い教養を身に着けて、作曲や指揮活動を行った。ベルリオーズやリストの影響を受けて、数多の交響詩を書いた。「ドン・ファン」、「死と変容」、「マクベス」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「ツァラストゥラはかく語りき」、「ドン・キホーテ」、「英雄の生涯」。

「英雄の生涯」は交響詩としての最後の作品で1898年に完成した。その後、シュトラウスは1949年に亡くなるまで交響詩と銘打った作品は書かなかった。
標題の「英雄」は作曲者自身を指す。曲は6つの部分から成り、切れ目なく演奏される。
「第1曲 英雄」は力強いユニゾンで雄々しく立ち上がるスケールの大きな英雄の主題。「第2曲 英雄の敵」は批評家や批判する敵がフルートやオーボエで現れるスケルツォでの調べ。酷評する人々の様子を木管で表現するが、英雄に一喝されておとなしくなる。「第3曲 英雄の妻」はソロ・ヴァイオリンによる優美な主題。孤独な英雄を慰める甘美な愛の世界が繰り広げられる。「第4曲 英雄の戦場」はトランペットのファンファーレ。敵との激しい戦いで、英雄は勝利を得る。「第5曲 英雄の業績」ではこれまでのシュトラウスの前述の作品のテーマが断片的に流れる。「第6曲 英雄の引退と完成」は英雄の幸福な晩年。平和な田園の様子。イングリッシュ・ホルン(*ヴォレンヴェーバーの演奏が心地良く響く)が羊飼いの笛を模しているようだ。音楽は安らぎを深め静かに満足げに終わる。

自分の死の50年前に自分自身を英雄として書き上げるとは恐れ入った。大変な自信家だがオペラを含め音楽の多くのジャンルにわたって偉大な作品を数多く残したリヒャルト・シュトラウスをより深く知りたいと思った。20年ほど前にKitaraで一度聴いたことがあるがタイトルを知っているだけで、その当時から音楽の内容は詳しくは知らなかった。(*彼は1940年、日本の紀元2600年に祝典音楽を依頼されて作曲。ネーメ・ヤルヴィがN響と共演した様子を聴いたことがある。)

シュトラウス自身は聴衆が45分もの交響曲を標題なしで聴くことの難しさから「標題音楽」として交響詩を書き続けたらしい。
テーマの知識はある程度あった方が良い場合もある。R.シュトラウスの音楽は比較的長い音楽が多いので、標題があった方が楽に聴ける。「家庭交響曲」、「アルプス交響曲」はタイトルだけで曲想が分かる。
自由に想像を膨らませて聴いたほうが良い音楽もあるので一概に標題音楽が素晴らしいとは必ずしも言えないのではないだろうか。

ビシュコフが約20年前の日本ツアーの2公演で「英雄の生涯」を演奏している。彼はシュトラウスに深い愛情を抱いているようで、ベルリン・フィルとは過去に「ドン・キホーテ」も共演している。今回はフィルハーモニーの聴衆も大絶賛の演奏会であった。

リヒャルト・シュトラウスは20世紀の独裁政治がもたらした悲劇や苦悩とは関わりのない人生を送ったようである。1945年にアメリカ兵がナチスの帝国音楽院総裁シュトラウスの邸宅を差し押さえに訪れた際に、彼は「私は“ばらの騎士”の作曲家です」と説明して彼らを追い払ったエピソードが伝わっている。(*歌劇「ばらの騎士」は一世を風靡したオペラ。今シーズン最後のMETライブビューイングで来月上映される。)

※今やベルリン・フィルのコンサートマスターを務めているDAISHINがKitaraのステージに初登場した時は彼は弱冠19歳だった。当時のドイツを代表する放送オーケストラのケルン放送響には3人の日本人首席奏者がいた。コンサートミストレスが四方恭子、オーボエ首席が宮本文昭、コントラバス首席が河原泰則。ヨーロッパのオーケストラは様々な国々の人々から構成されているが、今年ヨーロッパ公演旅行に出かけたN響は全員が日本人でレベルの高さを印象付けたようである。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

fsuterry

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
最新コメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR