札響名曲シリーズ2016-17 Vol.3 ライプツィヒ

〈森の響フレンドコンサート〉
今シーズン3回目の札響名曲シリーズの舞台はライプツィヒ。前2回はロンドン、ウィ-ン。

《ライプツィヒ》 ドイツ・ロマンの故郷

指揮/ マックス・ポンマー(Max Pommer)
ピアノ/ キム・ソヌク (Sunwook Kim)

ポンマーの故郷ライプツィヒはメンデルスゾーンとシューマンにゆかりの地でドイツ・ロマン派の作曲家たちがその芸術を花開かせた音楽の街。

〈Program〉
 メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」序曲 作品21
 シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
 ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 作品56
 .R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」 作品20

メンデルスゾーン(1809-47)は1835年、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となり、ショパンにクララ・ヴィ―クを紹介しシューマンにも出会った。36年、ライプツィヒ大学から名誉博士号を贈られ、43年にはライプツィヒ音楽院を設立した。シューマンもライプツィヒ音楽院に招かれ作曲とピアノの教授を務めた。

メンデルスゾーンはシェイクスピアの戯曲に関心を抱いて、特に幻想性にあふれた「真夏の夜の夢」に惹かれていたという。17歳の1826年にピアノ連弾用の作品として書かれ、直ちに管弦楽用に編曲されたのが「序曲」。43年に「真夏の夜の夢」の上演に先立って劇中音楽を依頼されて、全13曲の劇音楽が完成。通常のコンサートでは「序曲」のみか5・6曲から成る「組曲」が演奏されている。PMF2015ではメルクル指揮PMFオーケストラが組曲として演奏した。
※今年はシェイクスピア没後400年に当たる。『ロメオとジュリエット』が《プロコフィエフ:バレエ音楽》、《チャイコフスキー:幻想序曲》、《グノー:歌劇中のアリア》などの曲を通して親しめる機会である。

キム・ソヌクは1988年、ソウル生まれ。2006年リーズ国際ピアノコンクールで史上最年少の優勝者として世界的に注目を集めた。韓国は優れた若いピアニストを多く輩出しているが、今世紀に入って特に顕著な傾向である。

シューマン(1810-56)は音楽と文学で目覚ましい才能を発揮して、20代に多くのピアノ曲を書き上げた。(作品番号の1から23までは全てピアノ曲)。シューマンの「ピアノ協奏曲 イ短調」はアルゲリッチ&アーノンクールの名盤で聴き始めて名曲の素晴らしさを味わった。41年に書き始めて完成したのが45年である。神経系統の病気のため44年には音楽院の職を辞している。33年頃から鬱病に襲われていたが、病を乗り越えて人間の持つ様々な感情を曲作りに生かしたとも言えるようである。
この曲の冒頭部分で幻想の世界に導かれる。シューマンの心情が描かれる中で何となく憧れのような幸福感が広がる。ピアノとオーケストラの対話が絶妙である。繊細で鋭敏な表情が浮かび上がる。
45年12月にドレスデンで初演され、46年1月ライプツィヒにおいて妻クララのピアノで演奏された。当時の状況に想いを馳せて聴いた。
演奏終了後に聴衆から万雷の拍手が沸き起こった。キムもオーケストラに拍手を送るほど満足した様子だった。ポンマーが指揮するオーケストラとの対話がピアニストの思い通りに行なわれたと感じた。キム・ソヌクはアンコールに「ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女」を弾いて一層聴く者の感動を呼び起こした。世界的なコンクールを制して成長を続けるピアニストの演奏が聴けて良かった。

ブラームス(1833-97)は73年に初めて本格的な管弦楽曲として「ハイドンの主題による変奏曲」を書き上げた。翌年の74年に彼は初めてライプツィヒを訪れた。その後、76年に「交響曲第1番」が完成しているので彼の作曲人生に何らかの関わりがあるのかも知れないと想像した。彼はピアノ独奏曲で「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」や「パガニーニの主題による変奏曲」も書いているから「変奏曲」は得意の分野だったのだろう。
曲はアンダンテの主題と8つの変奏曲が続き、終曲が壮大なアンダンテ。管楽器の活躍が光った。

リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)は多くの交響詩を書いた。スペインの伝説的な人物としてドン・ファンは多くの芸術分野で取り上げられている。19世紀に活躍した詩人レーナウの作品を読んで主人公の心理的葛藤に共感して作曲したと言われている。1889年に作曲家自身の指揮で初演。曲のタイトルから想像力を巡らせて曲を鑑賞した。弦楽による明るい調べは「ドン・ファンの主題」、オーボエの優しい音色は「女性の主題」を表すのかと思った。トロンボーンやテュ―バが加わると管弦楽の響きに磨きがかかり壮大な音楽となる。本日のドイツ・ロマン派音楽のフィナーレを飾るにふさわしい曲であった。
(*年譜によると、この曲が書かれた頃にシュトラウスはライプツィヒでマーラーと会っている。)

アンコールに応えて「ブラームス:ハンガリー舞曲第6番」が演奏された。お互いの良好な関係が確立したポンマーと札響の相性の良さが印象つけられたコンサート。

※「荒城の月」の作曲で知られる滝廉太郎(1879-1903)は1901年(明治34年)文部省外国留学生としてライプツィヒ音楽院に入学した。1902年に肺結核を患って帰国を余儀なくされた。
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年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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