時計台ボランティア活動(7)

時計台ボランティア活動を始めてから8年目に入るが昨年は病気入院もあって余り活動が出来なかった。今年度は例年より1ヶ月早く5月から始まった。先月は体調も回復して6回活動が出来た。今月は結果的に3回だった。外国人の来館者は例年と少し違った傾向としてタイやマレーシアの観光客が多い印象を受けている。タイからの来館者でタイ語を使わない人が増えているようである。英語での説明が歓迎されている。

1876年(明治9年)に日本最初の農学校として開校した旧札幌農学校(*北海道大学の前身)の演武場は1906年(明治39年)に札幌区に移管された。演武場(Military Drill Hall)は初代教頭クラーク博士の構想に基づいて第2代教頭ホイラーが平面プランを作成し、安達喜幸の設計により1878年(明治11年)に完成。当時の建物には時計はついていなく屋根の上に鐘楼があった。北海道開拓使長官黒田清隆の指示で鐘の代わりに時計を設置することになった。ホイーラー(Wheeler)は米国マサチューセッツ州ボストンに時計機械を発注し、1881年(明治14年)に現在の時計塔が完成した。

明治時代に日本に設置された72台の時計台のうち現在でも動き続けている時計は札幌市時計台だけである。札幌が誇る貴重な文化財なのである。北海道と姉妹提携を結んでいるマサチューセッツ州から札幌市時計台を訪れる人たちもいる。ホイーラーの出身地マサチューセッツ州コンコード(Concord)から市の関係者やホイーラーの出身高校の教師が来札したこともある。数年前にはコンコードの高校生数十名が修学旅行で来館して歓迎会が開かれた。(*高校生の引率責任者が1972年札幌オリンピック以来の来札だと挨拶で語っていたのを思い出した。) 訪問団一行は度々札幌市時計台を訪れている。

絵も得意なボランテイアが紙芝居を作って日本語や英語で「時計台の歩み」を来館者に紹介した時には数回、彼の活動を見守ったことがある。80歳を超えて新しい試みに挑戦した彼の活動は新聞やテレビで話題になった。残念なことに彼は逝去したが彼が作成した紙芝居を発展的に引き継ぐ活動が行なわれている。20枚ほどの絵で約20分ほどかかる日本語版、英語版のほかに中国語版も作られた。
私は昨年、日本語版と英語版をそれぞれ1度上演する機会を持った。丁度1年前の6月28日午前のシフトに当たっていた時に時計台館長からアメリカ人2人の対応を依頼された。彼らは北海道・マサチューセッツ州姉妹提携25周年訪問団のコンコード出身の2人。30分程度での案内を依頼されたので紙芝居を披露することにした。私としては初めての経験であったが、一応順調に事を運べた。何度か来札経験のある年配者と若いブラスバンドのコンダクター。私の学んだフロリダ州立大学の話が出たら、若い人が同じ大学出身と知って驚いていた。札幌白石高校の吹奏楽部と交流を図ったらしい。東海第四高(*現東海大札幌)の話をしたら初耳と言っていた。当時の来館依頼書のコピーが手元にあって懐かしく思い出した。
日本語での紙芝居は十数名が集まり関心を持って聴いてくれた。

昨年の経験を基に今年は既に英語で3回、日本語で1回実施してみた。最初はマサチューセッツ州からの来館者。一人旅で北海道が姉妹州とは知らなかった。今年2回目は対象がマレーシアの学生。引率の教師と思われる人を含めて7名が実に熱心に時計台のストーリーを楽しんでくれた。とても真面目な研修生の印象を受けた。昨日はフランスの女性で鑑賞の後に“日本の文化を味わった”と感想を述べてくれた。紙芝居という言葉に反応していたので日本の知識をある程度持っていたようであった。お国を訊いたら英語流でなくてフランス語流の鼻にかかった独特の発音で心地よさを味わった。

昨日はサンフランシスコから4人家族が来館。子供は“Where are you from?”に“USA.”、“What state?”に“California.”、“What city?”に“San Francisco.”と子供らしい反応で即答。“I visited San Francisco fifty years ago.”と話していたら思わず両親も加わって話が弾んだ。両親と話していると動き回る2人の息子が着ていたユ二フォームにファイターズYOHとサッカー選手MESSIという名を見て微笑ましかった。イタリアの家族は日本語が話せるという男の子に話しかけてみたら恥ずかしそうで反応がなかった。母親に日本語で時計機械の説明をしたらとても興味を持ってくれた。
昨日は暑い1日だったが、新渡戸稲造を始め農学校の卒業生や教授陣の話などにも話が及びゆっくり落ち着いた雰囲気で説明を聴いてくれる来館者が目立って充実した活動ができた。

※書斎として使っている部屋に数年前からコンコードのお土産としてもらったトランプを置いていた。孫が来宅した時にトランプをするが、人物が描かれているカードで使った事がなかった。今回たまたまコンコード名物のカードの中身を見てみた。カードには13名のコンコードゆかりのアメリカの有名人の名があった。Emerson、Alcott、Hawthorneの名を見つけてビックリした。エマーソン(1803-82)はアメリカの随筆家、詩人。オールコット(1832-88)は“Little Women”「若草物語」の著書で有名なアメリカの女性作家、ホーソン(1804-64)は“The Scarlet Letter”「緋文字」などで有名なアメリカの小説家。

3人の作家とも原書で読んだことがある。特に“The Scarlet Letter”は英文学の授業で大学3年時の担任であった教授から仲間と一緒に学んだ小説である。英語科の担任であったその教授とは卒業以来交流が続いて毎年札幌市内で英語専攻の仲間8人ほどが集まって会合を開いている。教授は2年前に91歳で亡くなられたが、奥様も会合に出席する関係が続いていて、ロスアンゼルス在住の仲間も毎年6月6日には札幌に来て交流会が続いている。

コンコードはWilliam Wheelerの出身地で彼は札幌農学校に足跡を残しているだけでなく、札幌市水道記念館にも彼の専門書があり、札幌の水道事業にも貢献したようである。彼の出身校の学生や教師が偉大な先輩の業績を知るために札幌を訪れてくれるのは喜ばしいことである。
孫が来札した折にはコンコードから贈られたカードを使ってトランプ遊びをしてみようと思う。
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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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