札響第590回定期演奏会(広上&ベルキン)

〈サブタイトル 広上と盟友ベルキン 北方の情熱〉

近年、札響との共演が多い広上淳一がシベリウスとショスタコーヴィチを指揮する。ソリストはロシア・ヴァイオリン界の巨匠、ボリス・べルキン。1997年、アイザック・スターンに招かれて宮崎国際音楽祭に参加。日本では広上との共演が多く、2000、03、08、11年など日フィルやN響に客演。06年にはアシュケナージ指揮N響とも共演している。
ベルキンは広上の親友で海外公演での共演も多くて、二人共演のシべリウス、ブルッフ協奏曲の録音もしている。二人の共演による「シべリウス:ヴァイオリン協奏曲」をKitaraで聴くのを楽しみにしていた。

Boris Belkinは1948年生まれ。73年にソ連国内コンクールで優勝した後、74年に西側に移住。その後、ボストン響、クリーヴランド響、ベルリン・フィル、フィラデルフィア管、イスラエル・フィル、バイエルン放送響など次々とメジャー・オーケストラと共演して、名曲の録音も多い。広上&ロイヤル・フィルとのショスタコーヴィチ、グラズノフ協奏曲の録音もある。

2016年6月11日(土) 14:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール

〈Program〉
 シべリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47
 ショスタコーヴィチ:交響曲第8番 ハ短調 作品65

4大ヴァイオリン協奏曲に劣らずコンサートで演奏される機会の多いシべリウスの曲。自己所有のCDの枚数もベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーン、チャイコフスキーに次いで多い。聴き慣れてはいるが、今月末に来札するレーピンと諏訪内によるシベリウス2枚のCDを予め聴いておいた。1904年に初演された当時は好評は得られず、1935年ハイフェッツの録音によって名曲の評価を高めたと言われる。
シベリウス(1865-1957)はウィ-ン・フィルのヴァイオリン奏者を目指したが試験に落ちて作曲家になったと言われているが、我々が彼の数々の名曲を楽しめるのは不思議な縁と言えよう。

ベルキンの日本での知名度はクレーメルやパールマンほど高くはないが彼らと同世代のヴィルトゥオーソ。第1楽章の始めに奏でたヴァイオリンの音色に惹き込まれた。全曲のほぼ半分を占める第1楽章にはカデンッアも入るがベルキンの演奏は派手さはなく渋い味で淡々と音を紡ぐ。3つの主要主題が絡んで曲の魅力が増す。透明感のある第2楽章。第3楽章は活気のある華やかなフィナーレ。北欧の寂寞感を湛えた名曲に魅せられた30分余りの時間がアッという間に過ぎた。

ステージでいつものソリストが位置する場所より後ろに下がっての演奏。控えめな立ち位置ではあったがオーケストラに音が吸収されることは無かった。客席からは指揮者の身体の動きが良く見えて、結果的に指揮者、オーケストラと対等に渡り合っている姿が浮き出て好印象を受けた。プログラムに載っていた広上の話ではベルキンとの共演は世界中で50回以上になるという。二人の相性は音楽面だけでなく、人間的にも共通するところがあって交流が深いようである。とにかく素晴らしい名演奏が聴けて良かった。

演奏終了後にあちこちからブラヴォーの声も上がって、アンコール曲を期待する聴衆の拍手も一段と大きくなったがアンコール曲は無し。

ショスタコーヴィチ(1906-1975)の交響曲は15曲。全15曲中で比較的に演奏機会の多い曲は第5番と第11番。近年では第10番が2回演奏された。「第8番」は2010年2月札響定期(指揮:高関健)以来で今回が札響演奏歴2回目。今年はショスタコーヴィチ生誕110年を祝っての演奏会が国内でも例年より多いようである。Kitaraでも8月のPMFオーケストラ演奏会でゲルギエフが「第8番」を演奏する予定。

ショスタコーヴィチの曲を聴き始めたのは彼の生誕100年になった10年前である。その年に弦楽四重奏曲を含めて10数枚CDを買った。「交響曲第15番」など興味を惹く曲もあるが、彼の曲の鑑賞は難しい。コンサートの曲目になった時に予め聴くくらいで好んで耳にすることは無い。ピアノ協奏曲は特別である。

「交響曲第8番」は第二次世界大戦中の1943年に作曲された。悲劇的な性格を持つ作品。いろいろな人生模様がドラマティックに心の葛藤も描かれている。ショスタコーヴィチ自身の人生を描いた個人的な作品と言われている。

ロストロポーヴィチは2006年にモスクワと東京で「第8番」を指揮して、翌年すべての力を使い果たして亡くなった。彼はショスタコーヴィチの音楽の本質は心象表現であると語っている。

演奏時間が1時間を超える5楽章構成の大曲。ファゴット、イングリッシュホルン、ピッコロなど独特な楽器での表現は興味深く、特にコントラバスでの暗さや悲しみの表現は心に響くものがあった。9種類もの打楽器の使用も目についた。第1楽章のピア二ッシモは心の奥深くに沈む思いの表現だろうか。第2楽章での行進曲は戦争での勝利の行進を思わせ、スケルツォのような第3楽章でも行進曲で戦争を連想させる。第4楽章冒頭のクライマックスに続いてのパッサカリアの静かな安らぎの音楽。第5楽章では不思議に広がる開けた世界、現世とは違う世界。
ショスタコーヴィチの曲には彼の人生の苦悩が滲み出て社会体制に対する不満をいつも感じ取る。社会主義国家の中で暮らす人間の人生模様が描かれていて曲に変化があり、いろんな鑑賞の仕方がありそうである。広上淳一の指揮ぶりはいつもより迫力があった。小柄な体を大きく使ってダイナミックな演奏を展開した。前回の札響定期でもプロコフィエフを演奏したがロシアものが得意な様子が見て取れた。今回で彼の指揮を観たのが10回目になったが広上の今後の活躍ぶりが益々楽しみである。

演奏終了後に熱演した指揮者に対する拍手喝采はしばらく鳴りやまなかった。今日の演奏会も録音されていたが、オーケストラの演奏も毎回のように好演が続くのは実に頼もしい限りである。
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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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