第17回ショパン国際ピアノ・コンクール2015 入賞者ガラ・コンサート

5年ごとに開かれているショパン国際ピアノコンクールの入賞者ガラ・コンサートが札幌で初めて開かれたのが1995年だった。この年の10月にワルシャワで開催されたコンクールの翌月実施のコンサートで日本でも初めての開催だったと思われる。全国8都市10公演が行われ、札幌は東京と同じく2公演があった。当時のプログラムも1990年までの入賞者の記録などが載せられて慌ただしく準備されていた様子を今回改めて知った。
札幌での開催日は11月19日と20日。第一夜が北海道厚生年金会館、第二夜が藤学園講堂。第2位から第6位までの入賞者5人が参加。この年も第1位の該当者はなく、優勝の呼び声の高かったロシアのスルタノフは最高位ではあったがフランスのジュジアーノと2位を分け合い不満を表明して表彰式に姿を見せずに来日も見送った。(しかし、彼は翌年の3月に来日して札幌でも公演を行った。) この時のガラ・コンサートには2日続けて聴きに出かけたのは忘れられない思い出になっている。

2000年のガラ・コンサートは11月27日の札幌公演に始まって全国15公演。ユンディ・リが優勝した年である。札幌でのコンサートには残念ながらユンディ・リと第3位コブリンが不参加で、第2、4、5、6位の入賞者4名によるコンサートだった。

2005年のガラ・コンサートは開催なし。第16回ショパン国際ピアノコンクールの入賞者ガラ・コンサートの日本公演は6都市7公演に絞られ2011年1月に行われた。仙台、福岡、大阪、東京、名古屋に続いて札幌が最後の公演地。第1位アヴデーエワ、第2位ヴンダー、第2位ゲニューシャス、第3位トリフォノフの上位4名の参加。第5位デュモンは札幌のみ不参加。第4位のポジャノフは表彰式をボイコットして日本でのガラ・コンサートには不参加。彼は同年11月に佐渡裕指揮ベルリン・ドイツ響との共演で来札、12年5月にも来札してリサイタルを開催した。
この時のコンサートは上位入賞者全員の参加があってコンサートが盛り上がった。アヴデーエワは11月にKitara に再登場してリサイタルを開いた。トリフォノフは2011年11月開催の第14回チャイコフスキー国際コンクールで優勝して、12年4月の優勝者ガラ・コンサートでも来札して日本公演も行い、若くて人気度も高く演奏レヴェルも高い魅力あふれるピアニスト。

今回のガラ・コンサートは第1位から第6位までの入賞者6名全員が参加する初めてのコンサートである。当初から管弦楽団はワルシャワ国立フィルである。ワルシャワ・フィルの来札公演は多くて、私自身が聴くのは1992年以来10回目となる。指揮者はコルト、ヴィットに続いて、今回はカスプシク。

2016年1月31日(日) 3:00PM開演  札幌コンサートホールKitara大ホール

指揮/ ヤツェク・カスプシック(Jacek Kasprzyk)
管弦楽/ ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団

カスプシックは1952年、ワルシャワ生まれのポーランドの指揮者。77年カラヤン指揮者コンクール第3位。78年アメリカ響を振って米国デビュー。80年代に主として英国で活躍。87年に来日して読売日響に客演。08年にポーランドの世界的名門室内オーケストラ、シンフォニア・ヴァルゾヴィア(*1984年メニューインが創設)を率いて来札して小山実稚恵と共演。13年9月よりワルシャワ国立フィル音楽監督。今回が多分2回目のKitara のステージ。

〈プログラム〉
 スケルツォ第2番 変ロ短調 Op.31 [ドミトリー・シシキン(第6位)]
 舟歌 嬰へ長調 Op.60  [イーケ・トニー・ヤン(第5位)]
 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ Op.22 [ エリック・ルー(第4位)]
 ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 Op.11 [ケイト・リゥ(第3位)]
 ピアノ協奏曲第2番 へ短調 Op.21 [シャルル・リシャール=アムラン(第2位)]
 ノクターン第13番 ハ短調 Op.48-1、  幻想曲 ヘ短調 Op.49、
 ポロネーズ第6番 変イ長調 Op.53「英雄」  [チョ・ソンジン(第1位)]

「第2番」はスケルツォの中で最もポピュラーな曲。冒頭の悲劇的な第1主題と高貴な第2主題は対照的。“諧謔”の意味を持つ語の概念とはほど遠い曲想。作曲当時のショパンの感情の起伏の激しさが表現されているように思われる。
シシキンは92年生まれ。モスクワ音楽院でロシアの巨匠ヴィルサラーゼに師事するロシアン・ピアニズムの継承者。

「舟歌」は本来ヴェネツィアのゴンドラの船頭の歌だが、寂しさが漂っていて叙情性に溢れた名曲。
ヤンは98年生まれのカナダ人で、ショパン・コンクール史上最年少の入賞者。現在、ジュリアード音楽院在学中。

1831年に完成していた“滑らかな”の意味の「スピアナート」のショパンらしい叙情的な曲想の序奏が1834年に書き加えられた華やかな曲想の「ポロネーズ」を引き立てた感じ。ポロネーズの部分がオーケストラ付き。
ルーは97年生まれのアメリカ人。カーティス音楽院在学中。今シーズンにカーネギー・ホールでリサイタル開催予定。

「協奏曲第1番」はポピュラーなピアノ協奏曲。ショパンがワルシャワ音楽院卒業後に書いた2曲の協奏曲のうち、第2番より先に出版されたため若い番号になっている。ワルシャワを去る前の1830年10月の演奏会で初演。ショパンの独創性が発揮された協奏曲。
リゥは94年、シンガポール生まれのアメリカ人女性。カーティス音楽院に在学中。ニューヨークのカーネギー・ホールをはじめワシントンのケネディーセンターなどでリサイタルを開催し既に幅広く活躍中。演奏終了後にかかったブラボーの掛け声に聴衆の感動の大きさが伝わった。

*オーケストラのメンバーは約70名で女性が2割ほど。オーケストラの出番に備えてステージ上で興味深いことに気付いた。チェロやコントラバスの楽器の先端で床が傷つかないようにステージ・クルーが木製の細い板を各低音楽器奏者の前に置いていた。P席に座っていて見えた光景だったが、このようなオーケストラの配慮は今までに見たことが無かった。

「協奏曲第2番」は1830年3月、ワルシャワでショパン自らの初演で大成功。第2楽章はワルシャワ音楽院で共に学んでいたグワドコフスカへの想いが込められたノクターン風の楽章で印象的。
リシャ―ル=アムランは89年生まれのカナダ人。ショパン・コンクールで実質的にチョと優勝を争ったライヴァル。本選10人中ただ一人「第2番」を弾いて聴衆を楽しませたらしい。本人もこの曲を得意としているようだ。
楽しんで演奏している様子で、演奏終了後の拍手喝采に応えて、アンコール曲として「マズルカ ロ短調op.33-4」を弾いた。

チョ・ソンジン(趙 成珍)は94年、ソウル生まれの韓国人。2009年浜松国際ピアノコンクールで優勝した翌年、PMFオープニングコンサートでKitara初登場。11年チャイコフスキー国際第3位、14年ルービンシュタイン国際第3位。15歳で浜松国際で優勝したことを考えると他のコンクールで優勝してもおかしくないと思っていた。チョの洗練されたピアノはチャイコフスキー国際のようなパワー系の外面的効果が重要な部分を占めるコンクールでは必ずしも有利でなかったと思われる。

「ノクターン第13番」は非常に格調が高くスケールの大きな作品。

「幻想曲」は厳格な形式にとらわれずに即興的に自由に書かれた曲。バラード特有の3拍子でないので、「幻想曲」という名になったようである。ショパンの作風には珍しい雄大で堂々とした曲。

「英雄」は堂々と行進する英雄たちの姿を想像させる曲で最も親しまれているポロネーズ。ポーランドの舞曲の勇壮な3拍子のリズムに乗っての行進で心も踊る。

チョはステージに登場する姿も堂々として貫禄十分。ステージ・マナーも他のピアニストと違って日本での数多くのコンサートの経験を生かして余裕の表情。演奏を始める前から聴衆を引き込む術を心得ているようで好印象。オーディエンスは直ちにショパンの世界に引き込まれた。3曲の持ち味を存分に表現したあと、聴衆の歓声もひと際大きくなってアンコール曲に「ノクターン 遺作 嬰ハ短調」を演奏。(*韓国人の名はカタカナより漢字の方が覚えやすくて親しみやすいと感じている。)

時間は6時15分を過ぎていた。客席を埋めた8割ほどの聴衆もショパン・コンクール入賞者のガラ・コンサートを堪能した様子だった。コンクールに応募した445名から選ばれた6名は今回の日本ツアー7公演(盛岡・大阪・新潟・名古屋・東京・札幌)でピアニスト同士の交流もできて得難い体験をしたのではないかと想像される。コンクールは彼らにとって一通過点である。今後の精進を望みたい。
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年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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