久しぶりの映画鑑賞~「杉原千畝」

昨年12月初旬から「杉原千畝(スギハラチウネ)」がロードショーとして上映されている。杉原千畝は“日本のオスカー・シンドラー”と呼ばれた外交官であるが彼の諜報外交官としての知られざる姿も外国人監督のもとで描かれた。第二次世界大戦中の1940年、杉原は外交官として赴任していた日本のリトアニア領事館でナチスに迫害されるユダヤ人にビザを発給し続けて数千人の命を救った人物である。当時ドイツとソ連が不可侵条約を結んでヨーロッパを支配しようとしていた。バルト三国やフィンランドもソ連の支配下にあり、リトアニアでビザを発給できる国は日本だけという状況下におかれた。まもなくソ連が占領して領事館も閉鎖される状況が迫っていた。そんな差し迫った国際情勢の中で日本の一外交官がとった勇気ある人道的な行動が脚光を浴びているのである。

私が杉原千畝の名を初めて耳にしたのは今から25年ほど前の高校生英語弁論大会においてであった。ある私立高校の1年生が杉原千畝の物語を英語でスピーチしたのである。
1988年に転任した札幌北高等学校で一年目はラグビー部の副顧問として活動したが、充分な活動が出来なかった。翌年、生徒に呼び掛けて文化系の部活動として当時は無かった〈英語が好きな生徒のための「英語同好会」〉を設立した。その後、正式なクラブとして認められて20名前後の部員が「英語研究会」として幅広い活動を行なった。石狩地区英語弁論大会や全道大会に出場して優勝する生徒も出て7・8年は顧問として比較的に充実した活動が出来たことをこの機会に思い出した。 

杉原の行動は日本の外務省の正式な許可を得ていなかったので、彼の活動が国際的に評価され出した1986年以後も日本国民には広く知られていなかった。外務省が彼の活動を公式に認めたのは21世紀に入ってからである。
今回の歴史ドラマによって杉原千畝の過去の偉大な業績が多くの日本人の知るところとなるのは確かである。今回の映画で彼は“センポ・スギハラ”と自己紹介していて海外では“Sempo Sugihara”という名で知られているらしい。

映画が公開されてから1ヶ月も経つが、映画館は混んでいて希望の時間には観れなかった。帰宅後の朝日新聞夕刊の記事にリトアニアの旧領事館のことが書かれていた。現在は「杉原記念館」として使われているが、建築後76年も経って、老朽化しているという。来館者数が2014年には急増して1万人(うち日本人約9千人)を超え、15年は11月までで約1万5千人(うち日本人約1万2千人)にも達している。今後ますます増えることが予想される。映画上映やテレビ報道で一気に人々の関心が高まる中で、過去の日本人が果たした業績が世界で認知されていくことは喜ばしい。日本でもリトアニアのために個人として現在の自分たちに出来ることもあると思う。

海外旅行中、日本ではあまり知られていない日本人の業績や歴史出来事に気づくことは度々ある。悪い面を含めて過去の歴史に関して正しい認識が必要なことを今回の映画を通して改めて痛感した。

※千畝はローマ字で書くと“Chiune”となるが、外国人が正しく発音することは難しい。多分、杉原は「千の畝」を“Sempo”と呼んでもらうことにしたのではないかと推測する。ローマ字ではsen-poと書いても英語で発音する時にはnの後にpが続くことは無い。p、b、mの綴りの前ではnはありえない。(上唇と下唇が閉じてしまうからである。“important , impossible”を覚えている人は多いと思う。“moral”の反意語は“immoral”、“balance”の反意語は“imbalance”(アンバランスは和製英語)。
つい、元英語教師であった職業柄で余分な事を書いてしまいました。






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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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