2007年FISノルディック世界選手権札幌大会の思い出(2)

スウェーデンのファルンで開かれている大会も終盤に入っている。日本選手のメダルは以前は種目になかった女子ジャンプの活躍で2つだけに終るようである。

ファルンは初めて聞く名の開催地だが、4回目の開催になると言う。1984年のサラエボでの冬季オリンピック以後、世界選手権はオリンピック開催年と重ならないように、1985年から2年毎に奇数年に開かれている。オリンピックとは盛り上がりが違うので、開催地の名は覚えていない。私の年代では、コルティナダンぺェッツォ(1956)、スコーバレー(1960)、インスブルック(1964)、レイクプラシッド(1968)の冬季オリンピックの開催地の名は記憶している人が多いと思う。

北欧で暮らす人々にとっては冬季オリンピックもノルディック世界選手権も同じような位置を占めているようである。2年毎に開かれる世界選手権の各開催地を周るのを楽しみにしている人々が多くいるのに気付いた。

8年前に開かれた札幌大会でボランティアとして7日間活動した折に、会場への行き帰りの交通機関などで出会った海外の観光客との出会いの思い出を断片的に書き記しておきたいと思う。

札幌大会の第2日に札幌ドームに向うための電車に年輩の外国人が5・6人乗り込んできた。彼らはフィンランドから来ていた。前日の開会式のチケットは完売で手に入らず、2日目のチケットを手に入れるのを心配していた。午後の電車は空いていて、直ぐに話しかけてみると事情が分かった。ホテルでも英語が通ぜずに不安に駆られている様子だった。ドームまで一緒に行ってチケット売り場まで案内してあげると言うと女性の顔に満面の笑みが浮かんだ。まるで地獄で仏に会ったような表情で喜ばれた。
連れのご主人は72年の札幌オリンピック以来2度目の札幌だと言う。途中いろいろな話しができたが、彼らの話では日本は良いところだが、英語が通じないのが唯一の難点だと繰り返し言っていた。閉会式まで札幌に滞在して各会場を周ってフィンランドチームを応援する計画のようであった。第2日はチケットの購入を確認して別れた。
彼らとは、その後、クロスカントリーの会場でも会って更に親しく交流できたが、大会期間中は競技場を周って最終日まで大会を楽しむと言うことであった。日本人の楽しみ方とは違うなと思った。

実はこの大会期間中、白旗山距離競技場の近くの農地を借りてノルウェーの応援団がテントを張ってキャンプを行なっていた。フィンランドの比較的に若い人もキャンプに加わってテントで暮らしながら大会を楽しんでいた。年輩になってテント暮らしが大変になると、ホテルに滞在する応援の仕方が北欧独特の楽しみ方なのかと感じ入ったのである。

大会の終盤に農家への感謝を表し、日本人にキャンプ地を開放して食べ物を振る舞う催しがあった。ボランティア活動の帰りに寄ってみる機会があったが、巨大なテントには40ものベッドが置かれて、内部には2つのストーブが焚かれて夜は全然寒くないようになっていた。
大会期間中に応援団は楽器を鳴らしながら、時には酒を口にしてキャンプ地から競技場まで入場・退場行進をする姿を一二度観た。珍しい光景に日本人を始め観光客も大喜び。多分、北欧では馴染みかも知れないクロスカントリー会場ならではの応援風景であった。

札幌ドームでは距離のスプリントが大会第1日と第2日に行われた。ドームの一部分が開かれ、外と繋がってゴールの模様がテレビ画面に映されて珍しい会場の使用方法が興味深かった。試合が午後4時~9時ぐらいに行われたがドームをうまく生かした競技だと思った。

2日目のボランティア活動が終って、午後10時半過ぎにドームから地下鉄駅に向かう途中でノルウェーの背の高い比較的に若い人と出会って思いがけない事があった。彼は日本の往年のスキー選手の名を次々と上げたのであるーーー原田雅彦、葛西紀明、荻原健司、河野孝典など。姓はともかく名まで覚えているのにビックリしたものである。“舟木和喜はどうした?”と訊かれたのを未だ覚えている。同じスポーツでも、冬のスポーツに関しては関心度がこうも違うものかと思った。スキーの話題で話しが弾み、親しみが湧いた。忘れられない思い出の一つである。

開会式のあった日にも地下鉄で、スウェーデンの親子に出会った。娘が距離の選手、父親がコーチで母が一緒に日本に来たと言うことであった。
今まで北欧の人とはめったに出会うことが無かったので、いま思ってもとても良い機会になったと思っている。

ボランティアの活動日にはなっていなかったラージヒルの決勝で大倉山ジャンプ競技場に出かけた時に、バスの中でポーランド人と会話が弾み、会場でも1回目のジャンプが終るまで一緒に観戦した。札幌オリンピックの70m級で日本人がメダルを独占した話に及ぶと、彼はポーランドも金メダルを獲得したと言った。当時、ダークホースであったポーランドの選手が90m級で優勝したのを思い出した。
07年の札幌大会ではポーランドの優勝候補、アダム・マリシュが敗れ、シモン・アマンが優勝したが試合中にいろいろ彼の解説があって面白かった。この大会で活躍した選手がシュリーレンツァウアー、シモン・アマン。
スウェーデンの今大会ではシュリーレンツァウアーはラージヒルで銀メダルだった。葛西紀明は今大会では期待の成績は残せなかったが、今シーズンのワールドカップでは大活躍している。ジャンプでは珍しい同点優勝と同点3位をそれぞれ分け合ったのが葛西とアマンなのは偶然である。(*アマンの名は同点優勝の時は報じられたが、同点3位の際には報じられなかった。)

※スイスのシモン・アマンは彗星のごとく現れ、2002年ソールトレイクシティ・オリンピックでノーマルヒル、ラージヒルの二種目で優勝し、2010年バンクーバー・オリンピックでも個人二冠の2回達成の偉業を成し遂げている名選手であり、葛西と同様にレジェンドと呼ばれる人物で彼らは互いに尊敬しあっている。葛西の優勝を祝福してくれている選手も上記のアマンやシュリーレンツァウアーなのもテレビの映像で見れて素晴らしい光景として目に焼き付いている。






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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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