アルゲリッチのドキュメンタリー映画 “BLOODY DAUGHTER”

アルゲリッチのドキュメンタリー映画《アルゲリッチ 私こそ、音楽!》(原題“BLOODY DAUGHTER”が上映中である。2012年のフランス・スイス映画で、彼女の三女ステファニ―が監督として作り上げた作品。9月末に東京で上映が始まって新聞に批評が載っていた。札幌では今月11日からシアターキノで上映開始。音楽映画はシアターキノで上映されることが多い。

マルタ・アルゲリッチは1941年、アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。55年、外交官の父とともに渡欧。グルダと出会い、音楽的に大きな影響を受けた。57年、ブゾーニ国際ピアノ・コンクールとジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝。65年、ショパン国際ピアノ・コンクールに優勝。その後の彼女の世界的な活躍は言を待たない。

音楽之友社発行の《クラシック不滅の巨匠100》の中で〈不滅の大巨匠15〉にピアノ界から4人の名が上げられている。ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、アルゲリッチ、ポリーニ。
今世紀最高のピアニストと言われるアルゲリッチの音楽に関わる話には大きな関心があるので早速、昨日映画館に足を運んだ。
彼女には父親が違う娘が3人いる。次女の父が指揮者シャルル・デュトワ、三女の父がピアニスト、スティーヴン・コヴァセヴィチ(*コヴァセヴィチはこの映画に協力して出演している。) この程度のことは知っていたがそれ以上のことに関心はなかった。
三女を通してストーリーは綴られる。映画でアルゲリッチ自身が奏でる名曲があった。一番最初の曲が「プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番」。この曲は2002年、アルゲリッチがKitaraに初登場してデュトワ指揮PMFオーケストラと共演した私の思い出の曲。ワクワクして聴いた。次に「ショパンの協奏曲第1番」の演奏場面。(アルゲリッチのピアノでデュトワ指揮モントリオール響のCDが手元にある。) 彼女の魅力的な演奏が数曲続いた。

16歳で脚光を浴びて、演奏に明け暮れる日々が続いて孤独な人生を送り、精神的に大変であった様子も描かれた。長女が母と一度も一緒に暮らすことがなく、父の下で暮らすことになった話は初めて知った。(長女はヴィオラ奏者として母と別府アルゲリッチ音楽祭で共演する場面も描かれていた。)24歳で世界中に知れ渡るまでの期間にも様々な心の葛藤があったであろうことは容易に想像できた。波乱の人生を過ごしてきたようだ。

アルゲリッチがこの映画で演奏した曲目は「ショパンの英雄ポロネーズ、子犬のワルツ」、「モーツァルトのソナタ第15番」など、ほんの一部であったが心地良い気分だった。「メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲」などの室内楽曲も流れた。

演奏会の裏側、家族との姿などは娘でなければ描けないシーンが多々あった。妻として、母として、女性として、ピアニストとしてのアルゲリッチの本音も語られていた。一番大好きな作曲家はシューマンのようで、彼の音楽に寄せる想いを丁寧に語った。彼女のCDをいろいろ持っているが、やはりシューマンの曲が比較的多い。「ピアノ協奏曲」をはじめ、「クライスレリアーナ」、「子供の情景」、「幻想曲」、「幻想小曲集」などである。
音楽的にはシューベルトの曲は性に合わなかったらしい。曲への想いも率直に語った。娘だからこそ心を許して話した事もあったのではないかと思った。

男性、女性の両性的性格の持ち主であることを自他ともに認めているようであったが、質問に断定的な返答をしないで、“I don't know”と答えてから具体的に説明を加えることが多かったように思った。
映画の最後の場面(多分、大分県に滞在中のアルゲリッチの家の広大な庭らしき場所)で母娘4人がくつろいで母にぺディキュアをしてあげながら過ごす場面は愛情のこもった女性同士の家族愛が感じ取れた。

家族を描いた作品として、芸術作品としても見ごたえのあるドキュメンタリーに仕上がっていた。
 
*映画の原題“Bloddy Daughter”の日本語訳は「忌まわしい娘」「とんでもない娘」のような意味であるが、もちろんもっと柔らかい意味でユーモアもこめて、親の知られたくない過去の人生を描く「ひどい娘」のような感覚で題名にしたのではなかろうか。母への敬意と愛を込めた作品にもなっている。

*1974年、国際ロータリー財団の「研究グループ交換」プログラムでオーストラリアに8週間滞在したことがあった。1000名のロータリアンと家族の集まる地区大会で、同じチームの日本人が挨拶で“Thank you bloody much”と俗語で挨拶を終えた時に参加者からドット笑いが起こった。この場合、副詞“very“の意味で俗語であるが、8週間彼らの家庭で過ごした感謝の気持ちを覚えた独特の単語で表現したと思われた。聴衆の反応は好意的だったので、文字通りの悪い意味でないことは文脈で判断できる。
数十年ぶりでこんな俗語に出会って思い出を書いてみた。


《追記》
“Bloddy Daughter”という映画のタイトルはステファニーの父であるコヴァセヴィチが娘のことを他の人にしばしば口にする言葉に由来することが判った。彼女自身は父から直接に言われたことは無いそうであるが、他人から耳にしていたとの事である。映画は女性ばかり出てくるので、男性の居場所も作ってあげようと思って、母と同じように愛している父の存在を明らかにして、画面にも登場させたようである。
(日本でも自分の子どもを「バカ息子」、「おてんば娘」という言葉があるが、そのような意味合いで使われているのだろう。)

この映画のことをKitaraのボランティア仲間に紹介したら、ぜひ見に行くと言っていた。
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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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