札幌交響楽団 第560回定期演奏会(2013年6月)

札響第560回定期演奏会 Sapporo Symphony Orchestra The 560th Subscription Concert

指揮/ ドミトリー・キタエンコ   ヴァイオリン/ ヴィヴィアン・ハーグナー

ドミトリー・キタエンコ(Dmitri Kitaenko)は1940年、レニングラード(現サンクトペテルブルグ)生まれ。1969年、第1回カラヤン国際指揮者コンクール優勝(*2位や入賞の記事もある。この年、日本の飯森泰次郎が4位)。76~90年までモスクワ・フィルを率いた後、フランクフルト放送響、ベルゲン・フィル、ベルン響などの首席指揮者を務めた。モスクワ・フィルの芸術監督であった当時は同フィルがチャイコフスキー国際コンクールの本選での演奏を担っていたこともあって世界に名が広まった。彼が芸術監督であった時に同フィルが洗練味を加え、マーラーの「交響曲第8番」、メシアンの「トゥランガリラ交響曲」のロシア初演も行った。
Kitaraがオープンして1年目の98年2月にノルウェーのベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて日本公演を行ない、Kitaraに初登場している。グリーグの「ペール・ギュント」第1組曲、「ピアノ協奏曲」(ピアノ:中村紘子)、チャイコフスキーの「交響曲第6番」を演奏した。15年前のことであるが、1765年創立の歴史あるオーケストラの都会的で洗練された音楽に接した記憶は未だ残っている。(ベルゲン・フィルとは93年と98年に2度の来日公演)
ソ連時代は偉大な先輩の指揮者が多かったせいで、やや地味な存在になっていた印象を受ける。ロシアとの繋がりが無くなってしまったのが残念ではある。これまでにベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトへボウ管、ロンドン響、バイエルン放送響、ミュンヘン・フィルなどのヨーロッパ各地の一流オーケストラを客演指揮。アメリカではフィラデルフィア管、ピッツバーグ響、シカゴ響など、日本ではN響にも客演した。札響とは7年ぶりの共演とのことであるが、前回の公演の情報は分からず聴けなかった。
現在はベルリン・コンツェルトハウス管(旧東ドイツのベルリン交響楽団)の首席指揮者。ショスタコーヴィチの生誕100年を記念して録音したショスタコ―ヴィチ交響曲全集がきっかけとなって、その実力が見直されていると言われる。09年ケルン・ギュルツェニヒ管から名誉指揮者の称号が贈られている。(このオーケストラとの「マンフレッド交響曲」の録音盤があるとのことで何時か手に入れたい)
今シーズンの札響の外国人客演指揮者の中で群を抜く知名度で国際的に活躍している偉大な指揮者。

ヴィヴィアン・ハーグナー(Viviane Hagner)はミュンヘン生まれ。プロフィールによると、12歳で国際デビュー。13歳の時、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルとベルリン・フィルのジョイント・コンサートに出演。ミュンヘン・フィル、フィルハーモニア管、シカゴ響、ニューヨーク・フィルなど世界の一流オーケストラと共演。N響、読響とも共演を重ねて、10年1月の札響定期のソリストとして〈メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲〉を弾くことになって期待していた。残念ながらキャンセルになったが、いよいよ待望のKitara初登場。10年11月、東京で内田光子とデュオ・リサイタルを開いたほどの若き俊英。

プログラム
 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 二長調 op.61
 チャイコフスキー:マンフレッド交響曲 ロ短調 op.58

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は40年以上前にLPレコードでメンデルゾーンの協奏曲と共に最も多く愛聴してきた曲である。この15年ほどはパールマン、クレーメル、チョン・キョン=ファなど10人ぐらいのCDを聴いたり、演奏会で聴いた回数も数えきれないほどの名曲である。
ティンパニが静かに刻む4音で始まる第1楽章。木管楽器、弦楽器に続いて独奏ヴァイオリンの登場。カデンツァで美しい旋律が奏でられる。何度聴いても魅力的なメロディに直ぐ心を奪われる。第2楽章では安らかな美しさに溢れた旋律が主題となって様々な変奏が繰り広げられ、独奏のロマンティックな短いカデンツァも入る。第3楽章は明快で躍動感に富み、甘美で哀切なメロディにうっとりする。壮麗なクライマックスを迎えて華麗なフィナーレ。
ハーグナーが奏でるヴァイオリンの音色はとても美しくて表情が豊かである。どことなく女優“石田あゆみ”に似た風貌で、細身ではあるが、彼女の作り出す音楽は瑞々しく芯があり生き生きとしている。アンコールに応えて、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 サラバンド」を弾いた。聴く者の琴線に触れ、心の奥深くに染み入る演奏であった。

「マンフレッド交響曲」はバイロンの詩による〈4つの場面からなる交響曲〉であるが、私はこの曲のCDは持っていない。札響の演奏歴は1回だけで、今回が17年ぶりで2回目の演奏となる。非常に新鮮な気持ちで曲を鑑賞。
第1楽章あるいは第1場は「アルプス連峰を彷徨うマンフレッド」。絶望の呵責と罪深い過去に苦悩の日々を送るマンフレッド。悲しみに包まれた楽章。第2場は「アルプスの山霊」。マンフレッドにはアルプスの山霊が瀑布の上にかかった虹の中に現れたように見える。第3場は「山人たちの単調だが幸せな生活の絵」。最後・第4場の絵画的表現の標題は「地下にあるマリアーネの宮殿、悪霊の酒宴、マンフレッドが愛した今は亡きアスタルトの霊の出現、マンフレッドの苦悩の終わりを告げる彼女の予言、マンフレッドの死」。
チャイコフスキーのマンフレッドは、バイロンの主人公のように傲慢な、だが気高い謀反人として死なず、寿命で世を去ったことになっている。物語の展開がはっきりと解らないが、どことなくベルリオーズやムソルグスキーと結びつきそうなストーリーではある。
音楽そのものは間違いなくチャイコフスキーのもので、違和感は感じない。60分もかかる演奏の最後の5分にオルガンが大音響でホールに響き渡る最終楽章のフィナーレ。とても印象的なフィナーレだが、第1主題に戻るのは〈マンフレッドの贖罪〉を表すのだろうか。
初めて聴いて音楽は楽しめるが、物語の筋を理解していないとチョット難しい。

西欧の音楽では交響曲でも最終場面でパイプオルガンが演奏に加わる曲は、以前R.シュトラウスの「ツァラトゥラはかく語りき」を聴いても解ったが、オルガンの出番は少ないが重要な役割を果たしている。Kitaraのホールを作るときにオルガン不要の意見もあったが、オルガン曲だけでなく、今日のような交響曲にも欠かせない楽器であることを改めて痛感した。札響もこの曲の演奏が2回目だが最後のオルガンの響きでこの曲の持つ重みが格段と違うことを当時の関係者は実感したと思う。

キタエンコの指揮は協奏曲ではヴァイオリニストを支える役に徹していたようだが、チャイコフキーでは思う存分に札響の音を引き出していたように思った。的確な手や腕の動きで楽団員を惹きつけて品格のある指揮ぶりの印象を持った。好感度の高い指揮者である。

Kitara専属オルガニストのマグダレーナ・カチョルにとって8月のフェアウェル・オルガンリサイタルは残っているが、オーケストラと壮大な曲を演奏する機会があって貴重な体験ができたことは良かった。

今日の聴衆の入りは、RA,LA席がほぼ満席で最近の演奏会では一番多くておよそ9割ぐらいではなかったか。ベートーヴェンは何と言っても集客力のある作曲家だと思う。




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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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