MM砲とON砲 ~長嶋茂雄の国民栄誉賞に際して思うこと

 5月5日に長嶋茂雄の国民栄誉賞表彰式がある。
読売巨人軍の盟友であった王貞治は国民栄誉賞の最初の受賞者(1977年)である。
長嶋の受賞は遅すぎたと思う人も多い。プロ野球選手として衣笠祥雄に次ぐ受賞。

 王、長嶋の現役時代のプロ野球は圧倒的な人気を誇っていた。「読売巨人」というチ―ムだけでなく、日本のプロ野球界の歴史に名を残す選手であった。彼らが現役の時、ON(オーエヌ)という言葉が使われ出した。どうしてONと呼ばれ出したのか、私の知識の範囲で書いてみたい。

 「巨人」というチーム名はアメリカの大リーグのチ-ム“The New York Giants”に由来する。当時、ニューヨークには「ヤンキース」と「ジャイアンツ」というチームがあった。本当はヤンキースのようなチームを目指したのかもしれないし、金に物を言わせて選手を獲得して優勝を宿命づけられている名門チームという点では、現在でも両チームには共通するものがある。しかし、アメリカ人を意味する“Yankees”をチーム名にすることはできずに、“Giants”としたのかも知れない。これは私の勝手な推測である。

 1960年代のニューヨーク・ヤンキースには3番打者ロジャー・マリス(Roger Maris)と4番打者ミッキー・マントル(Mickey Mantle)と言う強打者がいた。
マントルはスイッチ・ヒッターとして史上最多の536本塁打記録保持者である。1956年には三冠王になっている。マリスは1961年、61本の本塁打を打ち、ベーブ・ルース(Babe Ruth)のシーズン60本塁打の記録更新で世間を騒がす快挙を成し遂げた。日本でも大ニュースとなった。
 彼らは姓の頭文字をとってMM砲と呼ばれ、ともにヤンキースの主砲として活躍した。

 大リーグでしばしばマスコミで使われたMM砲に因んで、日本でもON砲という言葉が使われ出した。長嶋が3番、王が4番だった時期がかなりあるが、NO砲と言うより、語呂から言ってON(オーエヌ)と呼んだのだろう。実際の試合では王と長嶋を交互に4番にすることが多かったようだ。王が三冠王になった73年以降は3番長嶋、4番王の打順が多くなったのも当然である。
英語の“clean-up”は4番打者を意味する。(打順で3、4、5番を打つ強打者を日本の野球ではクリーン・アップ(トリオ)と言っているが和製英語である。)巨人では歴代4番打者の位置づけが大きな意味を持つので、長嶋を4番から外すのは決断が必要だったのではないか。いずれにしても、ほぼ同じ時代に活躍した二人はオーエヌの呼び名が相応しいと思う。
 
 ある程度の年輩者にとってONコンビは懐かしい言葉で、彼らは日本の野球界が生んだ名選手であり、いろいろな人々の人生に影響を与えた人物として、今回の長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞は喜びたい。

脚注: ロジャー・マリスは1961年ベーブ・ルースが34年間保持していた年間最多本塁打記録を破ったことで一躍その名を世界に馳せたが、記録達成の試合数の違いもあって、その後一時期MLBでは重要な記録と見做されなかった。(1シーズン154試合制が1961年から現行の162試合制になった)。マリスは大記録達成にもかかわらず、人気が余りなくてヤンキース所属期間(1960~1966)も短かった。
 一方、ミッキー・マントルはヤンキースの生え抜きの選手で活躍期間(1951~1968)が長く、引退後すぐ背番号7が永久欠番になっている。マントルは確か1966か67年、大リーグ初の10万ドル・プレイヤーであった(当時1ドル360円)と記憶している。当時のアメリカの大学教授の給料が1万ドル程度であったと聞いている。50年ほど前のことであるが隔世の感がある。

 
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR