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~演奏活動55周年記念~前橋汀子アフタヌーン・コンサート

数年前までは日本のヴァイオリニストで諏訪内晶子を聴く機会が一番多かったが、前橋汀子が演奏50周年(2012年)の折に札幌でアフタヌーン・コンサートを始めてから毎年欠かさずに聴き続けている。彼女のコンサートは今回で18回目となった。
2005年に自主企画で始めた東京サントリーホールでの「アフタヌーン・コンサート」も今では各地に広がり、札幌では完全に定着した感がある。比較的に低料金で日曜の午後のひと時を気軽に楽しめる企画は成功しているのではないだろうか。
同じようなプログラムが続いて今回が6回目だが毎年1回の開催につい足を運んでしまう。

2017年10月29日(日) 1:30PM開演  札幌コンサートホールKitara大ホール
 〈Program〉
  モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第24番 ハ長調 K.296
  フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
  ドヴォルザーク(クライスラー編):わが母の教え給いし歌、 スラヴ舞曲 Op.72-2
  ヴィエニャフスキ:モスクワの思い出
  ドビュッシー(ハイフェッツ編):美しき夕暮れ
  ショパン(サラサーテ編):ノクターン第2番
  ファリャ(クライスラー編):スペイン舞曲第1番
  モンテイ:チャールダーシュ
 
前半2曲のヴァイオリン・ソナタはヴァイオリンとピアノが対等に渡り合う曲で、ピアノの松本和将は毎回前橋汀子とコンビを組む相性の良いピアニスト。
2013年のコンサートでもこの「第24番」が取り上げられた。第25番(K.301)が取り上げられた年もあったが、私にとってはヴァイオリン・ソナタはケッヘル番号の方が馴染んでいる。昨日の午前中にCDで聴いてみると馴染みの曲だった。真心のこもった溌溂とした第1楽章。ロマンスに近くて牧歌的な第2楽章。第3楽章は生き生きとして軽快で輝かしい終曲。久しぶりに聴けて懐かしかった。

ベルギー生まれでフランスで活躍したオルガニスト兼作曲家のフランクはヴァイオリン・ソナタを1曲しか書いていないが、この曲は名曲で近年はコンサートで取り上げるヴァイオリニストが多い。
同じ主題が4楽章で繰り返される循環形式が全曲を支配する。フランクの理性と情熱が調和した曲。神秘的でロマンにあふれた主題が優雅で気品のある歌を奏でる。抒情的な旋律も魅力的で聴くたびに曲の良さが伝わってくる。

後半は珠玉の小品集。7曲中の5曲は歌曲やピアノ曲などがヴィルトオーゾのヴァイオリニストによる編曲版。今までのアフタヌーン・コンサートで演奏された名曲ばかり。比較的になじみの薄い曲は「美しき夕暮れ」だが、2012年にも演奏された曲。前橋が得意としている「モスクワの思い出」は彼女自身がロシアで学んだ若いころの思い出も重なっているのではと思う。
他のヴァイオリニストの演奏会で耳にすることが多い「チャールダーシュ」はそれぞれのヴァイオリニストが個性的に演奏していることが分る。
馴染みの名曲がヴァイオリン曲として流れると親しみを覚えるものではある。

アンコール曲を一気に4曲弾いてステージを終えたが、最後に譜めくりストを呼び寄せてアンコール曲としては長い「ツゴイネルワイゼン」を弾いて800人ほどの聴衆の大喝采を受けた。
アンコール曲は①ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女 ②エルガー:愛の挨拶 ③ブラームス:ハンガリー舞曲第1番 ④ブラームス:ハンガリー舞曲第5番 ⑤サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン。

マンネリ感が無いわけでもなかったが、今回はコンサートの行き帰りに通る中島公園の木々が秋色に染まる様子をじっくり観察した。今まで見たことが無いような美しい自然を連日満喫出来て公演内に立地するKitaraホールの良さの素晴らしさを味わった。10月の中旬には紅葉の見ごろを連日楽しめたが、10月下旬の何色にも色鮮やかに細かく変化している木の葉の濃淡の美しさにすっかり心を奪われた。中島公園の秋の美しさをしっかり目に焼き付けた。

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札響第604回定期演奏会~エリシュカ最後の来日公演

札幌交響楽団と2006年に共演し、08年からは首席客演指揮者を、15年からは名誉指揮者を務めたエリシュカが健康上の理由で本日の公演が最終公演となった。
09年の九州響、N響に客演して《わが祖国》で日本のクラシック音楽界に大反響を巻き起こしたラドミル・エリシュカは札響の存在も全国に轟かせる役割を果した。ドヴォルザーク、スメタナ、ヤナーチェクなどチェコ音楽を広めただけでなく、チャイコフスキー後期三大交響曲、ブラームス交響曲全曲演奏のプロジェクトを行って全曲録音も行われ高い評価を得た。札響のレヴェル向上に多大な貢献を成し遂げ、オーケストラ楽員から尊敬を集め、聴衆の人気が絶大である。三位一体の音楽が毎回展開されているのが特に嬉しい。

札響での共演は今回で24回(42公演)となり、私は18回聴いたことになる。マエストロ尾高がエリシュカを札響に迎えた慧眼は物凄い。エリシュカの公演は毎回大盛況であるが、今回のサヨナラ公演の高まりは例を見ないものとなった。

2017年10月28日(土) 14:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール

〈Program〉
 スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲
 ドヴォルザーク:チェコ組曲 ニ長調 op.39
 リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」 op.35

チェコ国民楽派の祖として名高いスメタナの作品で人々に最も親しまれている曲が「わが祖国」。「売られた花嫁」のタイトルも有名で序曲を度々耳にすることはあるが、メロディには親しんではいない。スメタナは日本で考えられている以上にチェコでは人気が高いと言う。農家の娘が地主に売られ、相愛の青年によって取り戻される物語。
エリシュカは同じ曲は殆ど取り上げないが、この序曲は今回が3度目である(ただし、定期では今回が初めて)。チェコで如何に人気が高いか分るオペラ。

ドヴォルザークの「チェコ組曲」は今まで聴いたことがない。有名な「スラヴ舞曲集」に続いて作曲したとされ、「弦楽セレナード」に似た雰囲気の作品で、管楽器の活躍が目立った。5曲編成。①前奏曲(牧歌) ②ポルカ ③メヌエット(ソウセツカ舞曲) ④ロマンス ⑤フィナーレ(フリアント)。フィナーレではティンパ二も加わってチェコの民族舞曲のリズムで力強く終わる。管弦楽曲として、ボヘミアの郷土色が濃い作品。20年ほど前に函館、青森での札響演奏歴があるが札幌では初演らしい。チェコ音楽には良い曲がまだまだ沢山あることを知った。

エリシュカの最後の曲は彼が札幌と初共演した時の「シェエラザード」。彼にとって札響との縁を結べた記念すべき曲。エリシュカはヨーロッパでは評価の高い指揮者として認識されているようだが、1989年に起ったビロード革命のためにチェコ国内で指揮者の活動が出来なくなり、指導者の道を歩んだ。当時、札響と共演したチェコの指揮者が意外と多いのに驚く。75歳で出会った札響との演奏で日本では巨匠と呼ばれる指揮活動だったが、残念ながら世界的には注目されていないのは残念である。個人的な感想であるが、ヨーロッパでは日本の後追いはしたくないのかも知れない。いずれにしても、エリシュカの最後の演奏曲はとにかく強烈な印象を残す彼の解釈に基づいた「シェエラザード」で新鮮な曲として聴けた(*前回の札響との共演は聴き逃していた)。

リムスキー=コルサコフはロシア国民楽派の「五人組」のひとり。殆ど独学で音楽を学び、職業は海軍士官で、のちにペテルブルグ音楽院教授を務めた。華麗なオーケストレーションを施した曲を書き、ボロディンなどの未完成曲の補筆でも活躍した。「シェエラザード」は彼が遺した最高傑作。華麗なオーケストラの響きとエキゾチックなメロディで絵巻物のように極彩色の音楽が展開される。ラヴェル同様にオーケストラの魔術師の感じがする。

メータ指揮イスラエル・フィルが1987年に録音したCDで楽しんでいたが、ここ何年も聴いていない。生演奏でこの曲を聴くのも久しぶりである。初めて聴く人々も心から楽しめる音楽。伝統的な作曲技法に囚われずに独創的に書き上げたと思われる魅力的な作品。「アラビアン・ナイト」で知られるストーリーを4楽章構成の曲にした。
①海とシンドバッドの船 ②カランダ―ル王子の物語 ③若き王子と王女 ④バクダッドの祭り、海、青銅の騎士の立つ岩での難破、終曲。王の威圧的な主題に続いてシェエラザードの優美な主題を独奏ヴァイオリンが歌う。この王女の主題が曲全体で流れる。第1曲で航海の様子が巧みに描かれ、第2曲のファゴットが奏でる主題がユーモラス。第4曲では王とシェエラザードの主題がいろいろ変化して現れ、海の情景が荒々しくなって船が難破。コーダに入り田島コンマスの奏でるシェエラザードの主題で曲が閉じられた。

予め“曲の余韻を楽しんでから拍手をお願いします”というアナウンスがあって、間をおいてブラヴォーの嵐。聴き慣れた美しい音楽の後に人々の感動の叫びと嵐のような拍手が続いた。何度ものカーテンコールでエリシュカも感極まった様子。スタンディング・オヴェイションをする人の数が多くなり、指揮者は何度もステージを出入りを繰り返す。楽員が退場した後でも鳴り響く拍手にエリシュカがあちこちに礼をする姿を見て、最後には会場に残っていた全員がスタンディング・オヴェイション!残っていた千人を超える人々の別れを惜しむ様子は正に感動的であった。目頭が熱くなる瞬間を味わった人々が多かったのではないだろうか。

コンサートの前後にホワイエに展示されていた札響でのエリシュカの思い出の写真を見る人が重なり合っていたり、指揮者に伝えるメッセージを書いている人々の列が延々と続いている様子も前代未聞。予想を超える状況に驚くと同時に人々のエリシュカに対する感謝の想いが伝わった。音楽家として人間として札幌に偉大な足跡を残した指揮者を改めて素晴らしいと思った。

※実は2年前の心臓バイパス手術後の昨年2月にカテーテル施術でステントを入れて経過観察のため、昨年10月に続いて、今年も昨日カテーテル検査で1泊入院。今日の午前中に退院したばかり。血液がきれいに流れていると分って一安心。万が一の場合はキャンセルも覚悟していたが、楽観主義で生きているので明日の午後もコンサート鑑賞の予定。コンサートを楽しめるのも健康のお陰である。


 
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天彗社(書道)創立50周年記念展&北海道美術50

芸術としての書道の分野において北海道だけでなく全国的に有名な書家、中野北溟先生が札幌に書道芸術の普及に「天彗社」を創立してから50年を迎えての記念展。道内と本州の会員約220名が出品しての50周年記念展は結果的に詩文が中心であったが、それだけに素人にも親しみやすい作品が非常に多かった。文学性豊かな詩文と重厚な筆のタッチで洗練された感覚で書き上げられた数々の作品は普段の書道展と趣を異にしていて面白かった。
北海道書道展などが行われる会場とは違って、美術展開催の会場は広さだけでなく、展示室の雰囲気に独特のものがある。同じ詩文でも比較的に字が読めやすく、字体にも墨の濃さにも変化があって様々な作品の中に書家の個性が感じられて良い鑑賞が出来た。

見応えのある作品を鑑賞するのには、途中で腰を下ろす椅子があると楽である。美術展鑑賞の際には休憩をとるのだが、座るところが無くて、脚が痛くて不便を感じた。今日は妻が会場の当番の日で係に話してみると言っていた。(*書展は29日まで、入場無料) 

※天彗社中の中野会長は現在94歳であるが、品よく齢を重ね、書に対する情熱は人並みではない。昨年一度市民ギャラリーでお会いしたことがあるが、先生に教えを受ける妻から耳にする言動は書道の伝道師の姿を彷彿とさせる。90歳を超えても、教室を開講し、東京にも頻繁に一人で出かけて書道に邁進して生きる姿には驚嘆するばかりである。
札幌交響楽団定期演奏会のプログラムの表紙には毎回美術作品が使われているが、第600回記念演奏会の表紙には中野北溟先生が札響35周年記念に札響に寄贈した作品が載せられていた。この作品を6月の定期公演の際にKitaraのホワイエで見た方もおられると思う。

近代美術館には常設展があり、前回のゴッホ展の折にもサッと鑑賞しておいた。今日は少し丁寧に鑑賞してみた。
この美術館は開館40周年記念に《近美コレクション第Ⅱ期名品選》を展示していた。コレクションは現在5,000点を越えたという。今年は北海道立美術館の開館から50周年に当たるということもあり、今回の常設展は北海道美術50【Fifty Masterpieces of Art from Hokkaido.】として名作の解説が載せられていて作品鑑賞の参考になった。

主な作品は片岡球子「阿波風景」(1963)、神田日勝「室内風景」(1970)、岩橋英遠「憂北の人」(1970-79)、林竹治郎「朝の祈り」(1906)、田辺三重松「昭和新山」(1971)、砂澤ビッキ「風」(1988)、中原悌二郎「若きカフカス人」(1919)など。
江戸後期から現代までの日本画、油彩画、版画、彫刻などの名品が紹介されていた。北海道立近代美術館および北海道立三岸好太郎美術館のコレクションの中から、北海道ゆかりの作品50点を選んで、見どころや作品にまつわる秘密などを盛り込んで紹介する書籍が出版されるそうである。

中学校時代の苦手な科目は美術だったが、国内外の旅行では美術館は好んで旅程に入れる。絵を描くのは不得手であるが鑑賞は好きである。来年の近代美術館で開催される《棟方志功展》の前売券も既に手に入れている。棟方志功自身が私の高校1年時の文化祭の講演者であったことは一生忘れ難い思い出でもある。ニューヨークのメトロポリタン美術館でも棟方志功の作品を目にして驚いたものだが、彼の作品を世界の博物館、美術館で見るのも当たり前になった。それでも日本で数百点もの作品を見れるのは今から凄く楽しみである。
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ラトルと内田がピアノ協奏曲で共演(モーツァルト第27番&シューマン)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督として最後のシーズンを迎えたサー・サイモン・ラトルは「ハイドン:天地創造」で今シーズンのプログラムをスタートした。9月の4種類のコンサートは客演指揮者が担当した。
10月7日のコンサートでは内田光子をソリストに迎えた。内田はベルリン・フィルの“ピアニスト・イン・レジデンス”として10年2月にベートーヴェンのピアノ協奏曲をラトルとの共演で全曲演奏した。今回の「モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番」のライヴに先立って、09年2月のラトル&内田による「シューマン:ピアノ協奏曲」のアーカイヴの案内があった。

シューマンのピアノ協奏曲は暫く演奏会で聴いていないので懐かしくなった。ルービンシュタイン演奏のLPレコードで聴き始め、20年前に手に入れたCDでは当時人気の指揮者アーノンクールが指揮するヨーロッパ室内管&アルゲリッチの演奏を聴き続けて“お気に入りのピアノ協奏曲”になっていた。
直ちに視聴してみると、内田の力強いピアニズムに一気に惹きこまれた。冒頭から幻想の世界に導かれ、ピアニストの表情もいろいろ変化する。シューマンの不安、緊張、暗さも感じ取れるが幸せな気持ちも伝わってくる。ピアノとオーケストラ、特に木管との対話は内田が時には指揮者や木管奏者に目をやりいながら演奏を進める仕草からも、その密度の濃さが読み取れた。迫力に満ちたフィナーレで曲が閉じられ、演奏終了後の聴衆の大歓声も特別のように感じられた。

ホルン奏者、サラ・ウィリスとのインタヴューを通して内田の音楽に対する熱い思いが伝わってきた。シューマンのこの曲の例えようもない美しさに13歳から心を奪われていたと語った。彼女のシューマンへの想いは“first true deep great love”という言葉に表されている。15分以上も雄弁に語る内田の語りから普段のコンサートでは分らないことが知れて興味深かった。

「モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番」は今月の16日に聴いた。モーツァルト最後のピアノ協奏曲で彼自身の独奏で初演されたが
、人前で演奏する最後の曲となった。
内田光子とジェフリー・テイト指揮イギリス室内管による20番台の協奏曲は30年前の録音で全曲を所有している。30年ほど前には“モーツァルト弾き”のピアニストとして名声を得た内田も、現在では当時と演奏が変わっているのは当然ではないかと思う。
日本に生まれ、ウィ-ンで育った内田はモーツァルト、シューベルト、バッハ、ベートーヴェン、シューマン、ショパンは言うまでもなく、ドビュッシーからメシアンや武満などの現代音楽作曲家もレパートリーに入っていて、私の好みではないがシェーンベルクも得意にしている。

2010年にはクリーヴランド管を率いてKitaraで「モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&27番」を弾き振りして大反響を呼んだ。P席のど真ん中から堪能した当時のコンサートの様子が蘇った。マーラー・チェンバー・オーケストラを率いての「モーツァルト:ピアノ協奏曲第17・19・20・25番」の2日間に亘る弾き振りは丁度一年前のことであった。堂々たる風格を備えたピアニスト・指揮者として活躍している姿は実に頼もしい。

今回のラトル指揮ベルリン・フィルの演奏は上記のコンサートとは違ってピアニスト内田に焦点を当てて視聴した。内田光子はベルリン・フィルとは30年以上も共演しており、モーツァルトの協奏曲をラトルと共演するのは14年2月の「第18番」、16年3月の「第22番」に続いて、今回が3回目のようであった。
「第27番」は音楽の素材は簡素で、それほど情熱的ではないが悟りの境地に達したモーツァルトの味わいのある曲。インタビューで憂いに沈んだメランコリーな雰囲気の世界より、“bittersweet”(ほろ苦い)雰囲気を感じ取ったインタヴューアーが内田に質問を浴びせていた。質問には曲について“almost happy, but not so happy”(殆どハッピーだが、それほど楽しくはない)、“ It has a lot of drama. It has so much melancholy, so much sadness, so much darkness”(ドラマと憂鬱と悲しさと暗さに満ちている曲)と彼女の解釈を述べていた。聞いていて違和感は特に感じなくて、彼女の意図するところは分ったような気がした。曲全体の印象はメランコリーであっても透明な抒情感があり、気品もあって、人生の最後を迎えようとしていた作曲家の心境が綴られている気もした。いずれにしても読み取る解釈は聴き方によって濃度の違いが出るのはむしろ当たり前ではないかと思った。
ラトルと共演が多い理由を訊かれて、“He is a lovely, wonderful musician. 彼は常に新たな角度から楽譜を読み取り、指揮棒を持っても持たなくても、オーケストラをコントロールできる真の優れた指揮者である”と称えて全幅の信頼を置いているようであった。(*インタビューは英語で行われて、字幕がドイツで書かれていた。)

今日はブログを書くに当たって、この2曲を再度、いや今までデジタル・コンサートホールで三度視聴したことになる。どちらも素晴らしい演奏だったが、ピアノ協奏曲を1曲しか書かなかったシューマンの協奏曲に、より魅力を感じたのが正直な感想である。
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Kitaraボランティア20周年懇親会に参加して

Kitaraボランテイア恒例の年末懇親会が今年は《Kitaraボランティア20周年懇親会》として先週開催された。Kitaraの開館1997年7月4日に先立って、97年4月のKitara会員からボランティアを募集して始まったと聞く。私はいち早くKitara会員にはなっていたが、Kitaraボランティアの会員になって活動を始めたのが2007年4月である。

この20年間で数多のボランティアがKitaraに足跡を残しているが、懇親会で20年以上も活動を続けている5名(男性1名、女性4名)に感謝状が贈られた。彼らの活動には常日頃から敬意を表していたが良い機会に表彰していただいたと思っている。
懇親会には札幌コンサートホール支配人やホールの事務室職員10名ほども出席して、ホール事務局と連絡を密にした活動が継続されている。今回は歴代ボランティア担当者も3名参加して懐かしい顔を拝見できてお互いに喜び合う姿も見れて良い会合となった。

私が加入した平成19年度の新会員14名を含めて、10周年の時点でボランティアは91名であったが、そのうち継続者は30名足らずである。いかに継続が難しいかが分かる。
自分自身も2008年1月~12月はボランテイアで60回、コンサートのリスナーとして60回、合わせて120回もKitaraに通っていた。今では考えられない回数である。Kitaraのコンサートも昨年は80回、今年は70数回だが、病気と加齢の影響もあってKitaraでのボランティア活動は月2回のダイレクト・メール活動のみである。
Kitaraボランティア活動にはホール案内活動、機関紙編集活動、オルガニスト日本語サポート活動などもあるが、それぞれ推進委員として率先活動している方々には感謝の気持ちでいっぱいである。

今月のDM(ダイレクト・メール)活動に参加した19・20日(金・土)は中島公園の紅葉が見頃で、自然の織りなす素晴らしい光景が実に見事であった。日本らしい秋の魅力に心を奪われている外国人観光客の姿を午前・午後と絶え間なく目にした。時間帯によって姿を変える自然の様子に自分も思わずガラ系の携帯を取り出してシャッターを何度か押した。

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ダルビッシュがMLBのナ・リーグ優勝決定戦で初勝利

今朝は昨日のミシュク・ピアノリサイタルのブログを書く予定だったが、ピアニストの体調不良でコンサートが中止になった。1990年チャイコフスキー国際コンクール第2位入賞後の92年の札幌でのリサイタルに続く25年ぶりとなる彼の2度目のリサイタルを楽しみにしていた。実は会場に到着して公演中止を知った。Kitaraでチケットを購入しておけば良かったのだが無駄足を踏んだ。偶々、主催者のプレイガイドでチケットを買っていて、連絡不能だった。ショックだったが、やむを得ない。

気分を入れ替えてダルビッシュが先発する野球の試合を観ることにした。このブログにメジャー・リーグ・ベースボール(MLB)について初めて書いたのは4年前。2013年4月ヒューストン・アストロズとの試合でダルビッシュは《完全試合達成を逃す》。当時の快刀乱麻のピッチングの様子が蘇るほど鮮明に覚えている。今日のシカゴ・カブスとのナショナル・リーグ優勝決定戦の第3戦では快投とまではいかなかったが6回3分の1を1失点に抑え、同シリーズ初勝利を挙げた。ドジャーズは3連勝で29年ぶりのワールドシリーズ進出に王手をかけた。
明日はアメリカン・リーグの優勝決定戦第5戦で田中が先発の予定なので明朝もテレビ観戦。

1967年にデトロイトに10日間滞在した折に、アメリカ人の友人が大リーグの観戦チケットを用意してくれていた。20時試合開始で延長戦になった試合の終了時間は真夜中の12時を過ぎていた。当時の日記によるとデトロイト・タイガーズとボストン・レッドソックスの試合で5万8千人収容の球場に2万8千人の観客。
デトロイト滞在中に、フォードの自動車会社のツアーにも参加して、博物館、動物園なども見て回った。ロータリークラブの会合にも出席したり、ボーリングを楽しんだり、彼の友人とも交流できた。今年は何十年ぶりかで当時の日記を読んで懐かしき日々を思い出すことが多くなった。
フロリダでの留学が終わって帰国の折には、留学前から1年後の1ヶ月に及ぶ旅程のスケジュールを組んで全米の大都市を観光で一人旅を楽しんだことを何かの折に懐かしく思い出す齢になった。

当時のシカゴはアメリカ第2の都市、LAは第3の都市だった。現在のロサンゼルスは人口400万で全米第2位の大都会。シカゴはミシガン湖沿いの街並みが美しく、ニューヨークよりも中心部は意外に綺麗な大都市だった。シカゴは1905年のロータリークラブ発祥の地で、毎週開かれるシカゴ・ロータリークラブ(当時の会員750名)の会合に出席して1分間のスピーチが出来たことも光栄であった。テレビ中継の際には開催都市の一部分でも街の様子が映されると良いと思うことがよくある。

50年も経って今では当たり前になっていることが沢山ある。当時は日本からアメリカ西海岸までの飛行機の直行便は無かった。ハワイかアラスカ経由だった。ガソリンを充分に機体に詰め込めなかったからである。
自動車電話に驚いたり、車庫のドアーが車が近づくと自動で開いてビックリしたり、今では何の驚きもないことである。僅か50年での社会の変わりようには戸惑いさえ感じるが、自分の人生を振り返って運に恵まれた生涯を送れている己を幸せに思う。
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札響名曲シリーズ2017-18 遠くイタリアを夢見て(指揮/バーメルト)

〈森の響フレンドコンサート〉
 
スイス出身の指揮者、マティアス・バーメルトは過去2回札響定期に登場。札響との初共演が2014年1月、続く2016年1月はヴァイオリニストのイザベル・ファウストと協演して2度目の登場。今回の3度目の共演を前に2018年4月から札幌交響楽団首席指揮者に就任することが決まった。

2017年10月14日(土) 14:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール

指揮/ マティアス・バーメルト(Matthias Bamert)     管弦楽/ 札幌交響楽団

〈Program〉
 チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」
 メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調 「イタリア」 op/90
 プロコフィエフ:組曲「ロメオとジュリエット」抜粋(バーメルト編)

チャイコフスキーはシェイクスピアに題材を得た管弦楽曲を3曲残しているが、《幻想序曲「ロメオとジュリエット」》は最初に書かれた曲で最も親しまれている。(*他の2曲は《交響的幻想曲「テンペスト」》と《幻想序曲「ハムレット」》。偶々、ドゥダメル指揮シモン・ボリバル響の演奏による3曲入りの輸入盤が手元にあったが耳にしたのは一度だけである)。「ロメオとジュリエット」はゲルギエフ指揮ウィ-ン・フィルのCDに「悲愴」とカップリングされていて何度か聴いたことがある。
チャイコフスキーの初期の傑作とされる「ロメオとジュリエット」は色彩豊かでオーケストレーションがダイナミックである。馴染みのストーリー展開であるが、モンタギュー家とキャプレット家の抗争が巧みに表現され、イングリッシュ・ホルンとヴィオラによる“愛の主題”が歌われる。両家の反目の主題がトゥッテイで奏され、最後に二人の死を悼むティンパニの響き。思っていたより大人数での演奏も観ていて気持ちが高揚した。

メンデルスゾーンが書いた5曲の交響曲の中で最も有名で広く親しまれている「イタリア」。メンデルスゾーンは20歳の頃にヨーロッパ各地を演奏旅行した折の印象を様々な曲に綴っている。その中でもドイツと対照的な明るい風土を持つイタリアが気に入って作曲した「イタリア交響曲」。ナポリなど風光明媚な街を訪れ、明るい陽の光の中で過ごす人々と接して得た色々な印象を基に作曲した。4楽章全体にわたって印象的なメロディが入っていて魅力的な曲。第4楽章はローマ周辺で流行った舞曲「サルタレロ」のリズムで始まり、ナポリの舞曲「タランテラ」のリズムも加わった。楽しい気分のうちにクライマックスへ。
前曲と対照的にオーケストラの編成は意外と小振りであった。

プロコフィエフは1917年ロシア革命勃発でアメリカに亡命して、33年に母国ソ連に戻り、祖国復帰後の初の大作が《バレエ音楽「ロメオとジュリエット」(全曲52曲)》。ボリショイ劇場での初演の機会に恵まれずに、プロコフィエフは演奏会用組曲に編み直し、36年に〈第1番〉7曲、37年に〈第2番〉7曲で初演にこぎつけた。44年に〈第3番〉6曲。
組曲がそのままの形で演奏されることは珍しく、指揮者が様々な形で抜粋することが多いようである。デュトワ指揮N響のCDでは8曲が収録されていて何度か聴いているが、演奏会で聴くのは今回が多分初めてだと思う。
今回はバーメルト抜粋で11曲。「モンタギュー家とキャピュレット家」、「朝の歌」、「少女ジュリエット」、「情景」、「朝の踊り」、「仮面」、「踊り」、「ティボルトの死」、「別れの前のロメオとジュリエット」、「ジュリエットの墓の前のロメオ」、「ジュリエットの死」。
5曲がCDと一致していたが、馴染みのメロディは2・3曲だけだった。
両家の抗争の場面は別にして音楽は抒情的な場面が多くて、粗筋は知っていても、具体的な場面が想像だけで把握しきれなかった。指揮者に目が行くより、ピアノ、チェレスタ、打楽器、管楽器の奏者に注目して音が発する楽器に思わず目が行った。ステージ全体が見渡せる2階正面の席から各奏者の動きが観れたが、静かな音楽が中心の曲の流れに何となく身をゆだねた感じになってしまった。

※バレエとしての初演は38年チェコスロヴァキアのブルノ劇場、祖国での初演は40年レニングラードのキーロフ劇場。
10年ほど前にゲルギエフ指揮マリインスキー劇場キーロフ・オーケストラによるバレエ音楽の全曲のCD2枚を手に入れ、購入時に一度は通して聴いている。バレエの実演で観ないとなかなか充実した鑑賞は出来ない。来年オープンする札幌文化芸術劇場でいつの日かバレエ音楽を鑑賞できる日を待ちたいと思う。

今回の演奏会では次期札響常任指揮者に就任したバーメルトへの歓迎の雰囲気が演奏会の最初から最後まで大ホールに漲っていた。特に演奏終了後のバーメルトに対する態度でオーケストラ楽員を含めて聴衆の盛大な拍手は凄かった。
来シーズンは4月の名曲シリーズ、4月定期、9月定期、1月定期と4回バーメルトは札響の指揮を執る。

アンコール曲は弦楽合奏で「モーツァルト:カッサシオン K.63より “アンダンテ”」。
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外山啓介デビュー10周年記念ピアノ・リサイタル

外山啓介が正式にデビューする前の2005年に毎日新聞社・札幌コンサートホールの主催で《Kitaraのオータムコンサート》が開催されて外山啓介と橘高昌男が出演した。2人は共に札幌出身で日本音楽コンクール・ピアノ部門優勝者(外山は2004年、橘高は1996年)。(*2002年の第1位、鈴木慎崇、2010年の第1位、吉田友昭も札幌出身で札幌のピアノ教育レヴェルの高さがうかがえる)。
その後、2007年に外山啓介デビュー・ピアノリサイタルの全国ツアーが開催された。ツアー前にデビュー・アルバムもリリースされて各地で大反響が巻き起こり、最後の公演地となった札幌のKitara会場も満席で沸きかえった様子が脳裏に浮かぶ。

近年の外山の札幌でのリサイタルは秋に開かれているが、毎年聴き続けていて今回が16回目。13年に書いたブログへのアクセスが今年8月から急激に増えて異常を感じていたが、国内ツアーが秋に断続的に行われていて一過性の状況でないことが判った。

『オール・ショパン・プログラム』は07年、10年、15年に続いて4回目。今回はデビュー・リサイタルとほぼ同じようなプログラム。

2017年10月13日(金)  7:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール
〈Program〉
 ワルツ第1番 「華麗なる大円舞曲」 変ホ長調 op.18
 バラード第1番 ト短調 op.23
 ノクターン第20番 遺作 嬰ハ短調
 幻想即興曲 嬰ハ短調 op.66
 ポロネーズ第7番 「幻想」 変イ長調 op.61
 舟歌 嬰へ長調 op.60
 ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58

「ワルツ第1番」は文字通りに華麗でスケールの大きい曲。19世紀のヨーロッパで最も愛された舞曲で、目まぐるしく回転する踊りを通して、高貴な貴族のイメージが広がる。ポーランドの踊りに由来するポロネーズやマズルカと違って、サロンの舞踏会で展開される娯楽音楽とも言えるような曲。

物語風の詩からイマジネーションを膨らませ美しい旋律で綴った「バラード第1番」をショパンと同じ年のシューマンは他のどの作品よりも好きだったと伝えられている。バラード4曲中で最も親しまれている曲。

「ノクターン第20番」を聴くと映画「戦場のピアニスト」の冒頭場面をいつも思い出す。映画の主人公が放送局でピアノを弾いているとドイツ軍の砲撃が始まる。この時の曲が「ノクターン嬰ハ短調」。2002年のカンヌ国際映画祭で最優秀作品賞を受賞して世界的に話題となった映画の冒頭場面で流れた調べ。(*ドイツ人将校との出会いの場面で弾かれた曲は「バラード第1番」だったと思う)。ピアノ・リサイタルのアンコールピースとして演奏されることが多い曲だが、その調べに常に心が揺さぶられて感動する。

ショパンの4曲の即興曲の中で最初に書かれた「幻想即興曲」は彼の死後に出版されたので「第4番」となり、タイトルもその際に「幻想」と付けられた。曲の中間部の甘美で感傷的な旋律が美しくて最も親しまれている即興曲。

「幻想ポロネーズ」は極めて独創的な作品。ポロネーズの持つ本来の舞踏的な性格は拍子やリズムの一部に残っているが、旋律形式ともに自由に書かれている。旋律は瞑想的で苦渋の雰囲気もあわせて“ファンタジー”となったようである。舞曲を芸術的に高めた作品として評価されている。

バルカロール(舟歌)はヴェネツィアのゴンドラの歌で8分の6拍子である。ショパン唯一の「舟歌」は8分の12拍子で書かれた。ゆったりとした船の動きを表現し、波が揺れるようなリズムや櫂から滴り落ちる水を表すようなメロディが情緒を高めている。名曲として愛されているが、演奏が難しいそうである。

「ピアノ・ソナタ第3番」は雄大な規模と豊かな詩的情緒を湛え、ショパンの最大傑作の一つとされるソナタ。ショパン晩年の代表的な作品。外山は以前ショパン作品の中で最も好きな曲として挙げていた。
4楽章構成。ソナタの伝統的な形式にとらわれずに自由に書き上げた作品。豊かな楽想で変化に富み、曲全体が重厚さに彩られていて美しい。

外山啓介はショパンで鮮烈なデビューを飾って10周年のリサイタルを一応ショパンの集大成の位置づけにしたのだろう。これまでのコンサートでもベートーヴェンやリストを含め他の作曲家の作品も取り上げてきた。それなりに器用なピアニストで繊細で色彩感の豊かな音楽を作り上げてきた印象が強い。ステージ上の礼儀も含めて好感度の高い演奏家である。三十路に入ってより積極的にレパートリーを広げていってほしい。
外山には確かにショパンが似合い聴き手の満足度も高いが、より新しいことに挑戦してもらいたい。

大ホールで1000名以上の聴衆を集め続けるのは大変だが、今回も女性客を中心に結構たくさんの人々がKitaraの客席を埋めた。アンコール曲は①ショパン:ワルツ第2番  ②シューマン=リスト:献呈。







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時計台(旧札幌農学校演武場)にクラーク像の設置

昨日10月10日の午後は時計台ボランティアの活動日になっていた。今月に時計台に新しくクラーク像が設置されることは事前に承知していた。詳しい情報は得ていなかったが、屋外でなくて屋内に設置される方が好ましいと思っていた。午後2時過ぎに銅像が運び込まれ2階の演武場に設置される作業が始まった。クラーク博士の座像は岩倉具視が揮毫した「演武場」の書の真下のステージ上に設置された。除幕式は10月16日午前10時から行われて、一般公開が始まる。身の丈182㎝の腰を下ろして座した像は長椅子に固定され観光客が2・3人は同じ椅子に座って記念写真を撮れる配慮もなされている。
その時間に会場にいた数名の来館者は設置の様子を見守って、一足先に立派な坐像を目にできて喜んでいた。私も丁度いいタイミングでその場に居合わせて運が良かった。

クラーク胸像は北海道大学構内の古河記念講堂前に設置されている(1926年、大正15年建立)。戦後、観光客が押し寄せて、北大構内へのバス立ち入り禁止となった。そのため、新たに観光バスが立ち寄れるクラーク像の設置が検討され、1976年アメリカ合衆国建国200周年、クラーク来道100周年の折、羊ヶ丘展望台にクラーク全身像(*正式名は「丘の上のクラーク」)が設置された。
この他にもクラークの胸像は大学の本部やクラーク会館などを含めて何か所かに保管されているようである。

観光客が目にするクラーク像は上記の2つであったが、今回、椅子に座った全身像が時計台内に設置され、市内の便利な場所でもあり来館者が増えることが期待される。札幌市民もこの機会に農学校の歴史と時計台の歩みを詳しく知るチャンスでもある。札幌が誇る農学校と時計台の歴史を再確認してほしいと願う。

※午後の活動が始まって直ぐ、台湾から2名の若者が2年ぶりに時計台を再訪してくれた。多分、2年前に時計台ボランティアと一緒に撮った写真を私に見せて、“この人を知りませんか?”と尋ねてきた。写真の日本人は毎週1回は活動している年輩のボランティアだった。スケジュール表で確認して、“明日の午前9時~12時半まで時計台の当番になっています”と教えてあげると、“明日、また来ます”と言った。前回の対応に感謝して再訪してくれたのだろうが、外国からわざわざ2度目の時計台の訪問はなかなかできないことである。私もすっかり感動して、話も弾んで約20分ほどの紙芝居を上演してあげた。多分、前回とはまた違った角度から、改めて演武場と時計台の情報を新たにしてくれた様子であった。ボランティアが作った紙芝居に感心して楽しんでもらった。帰りに私を入れて記念写真を撮っていった。時計台の事務所の人にも連絡しておいたが、今日の午前中に再会していることだろう。人と人の出会いで、こんなめぐり合いもあることの素晴らしさを味わった。

※札幌農学校演武場は1878年10月16日開業なので、除幕式はその記念日に合わせた。
クラーク博士はホイラー、ペンハローと共に1876年6月29日横浜到着。同年7月31日、東京で試験を受けた13人の生徒と一緒に札幌到着。同年8月14日、札幌学校農学専門科開業式を北講堂で実施。(札幌農学校と改称されたのは同年9月8日。北海道大学
は8月14日を創立記念日としている。) 
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第19代Kitara新専属オルガニスト デビュー・リサイタル

9月に着任する札幌コンサートホール新専属オルガニストのFirst Concert は例年10月に開催されている。第19代Kitara専属オルガニストはポーランド出身のMartin Gregorius(マルティン・グレゴリウス)。Kitaraでの愛称、マルタンは1991年生まれで、5年前の第12代のカチョルに続くポーランドからのオルガニスト。ポーランドはPMFにも毎年アカデミー生が参加するほど音楽家を多く輩出している国。

マルタンは母国の音楽大学卒業後、パリ国立高等音楽院、リヨン国立高等音楽院に学ぶ。2017年、ポーランドのパデレフスキ国立音楽アカデミーにてオルガン演奏の博士号を取得。これまでにヨーロッパ各国でコンサートを開催し、国際オルガン即興コンクール優勝の実績も有する。

2017年10月7日(土) 14:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール
〈Program〉
 リュリ(グレゴリウス編曲):バレエ音楽「町人貴族」組曲より “序曲”ほか2曲。
 J.S.バッハ:パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582
デュリュフレ:オルガン組曲 作品5より “シシリエンヌ”
 サヴァ:踊る絵
 シューマン:ペダル・ピアノのためのスケッチ 作品58より
 グレゴリウス:即興による舞踏組曲

演目の中でバッハとデュリュフレの曲は偶々CDがあるが、メロディが思い浮かぶほど聴きこんではいないので慣れ親しんでいるわけではない。シューマンのオルガン曲はタイトルさえ耳にしたことがない。
上記のほかに作曲者不詳の曲も2曲演奏された。

リュリは17世紀の宮廷作曲家。ルイ14世の時代に作られた祝宴のための音楽。壮大な序曲とともにバレエの舞台が幕を開ける。楽器の王様と呼ばれるオルガンの迫力ある音色で舞曲が繰り広げられた。

バッハの曲で「トッカータとフーガ ニ短調」だけは何十回も聴く機会があって慣れ親しんでいる。他はタイトルが分る曲は数曲あるが、よく分らない。スペインに起源をもつ舞曲“パッサカリア”は何度も繰り返される主題と20の変奏、最後にフーガ。
前曲と違って重厚感のある響きと音楽の豊かさを感じれた。

シシリエンヌはイタリアのシチリア起源の牧歌的な踊り。多くの作曲家が様々な楽器用に曲を書いている。デュリュフレのこの曲は3曲構成の組曲の1曲。Kitaraの第11代オルガニストのシンディ・カスティーヨのCDに曲が入っていた。彼女には日本語を定期的に教えていて交流の機会が多かったので、曲と共に懐かしく過去を振り返った。彼女は極めて明るい人柄だったが、この曲は憂いに満ちた曲想のなかにも20世紀の時代の雰囲気を感じ取れた。

サヴァは初めて聞く名前だが、ポーランドの作曲家という。バルトークの民族舞曲などに影響を受けたようである。軽やかで明快な曲調でオルガンの特徴を生かして現代的な音の響きを創り出していた。

後半に14世紀、16世紀の作曲者不詳の音楽が演奏された。古い資料から舞曲の起源を探ったようである。余りに時代を遡ったのでピンと来なかったが、音楽そのものは舞曲のつながりとして何となく耳に入ってきた。

シューマンの曲はロマン派時代の音楽の中で普及したワルツ風舞曲として取り上げられたのかもしれない。

最後の曲はマルタン・グレゴリウスが舞踏曲として即興的に綴った調べ。演奏時間が15分で充実した演奏が続いた。日本の唱歌「もみじ」のメロディも入り、最後には「ソーラン節」を思わせるメロディも入って聴衆を大いに喜ばせた。

“デビュー・リサイタル”のプログラムとしては極めて個性的だと思ったが、今後も即興演奏を含めて特色のあるオルガン演奏会に繋がるのかもと思った。
演奏終了後に、“皆さん、こんにちは。 気に入っていたただけて嬉しいです。これから一年間よろしくお願いします。”と言って、アンコール曲に「チャイコフスキー:くるみ割り人形より “金平糖の踊り”」を演奏した。チェレスタの響きがオルガン曲として非常に心地よくリズミカルに響いた。馴染みのメロディに拍手大喝采が沸き起こって聴衆も大満足の様子であった。


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ゴッホ展 Van Gogh & Japan [北海道立近代美術館開館40周年記念] 

前回、道立近代美術館でゴッホ展が開催されたのが2002年だった。今回は15年ぶりの開催で1ヶ月半に亘る展覧会も終了まで10日ほどになった。午前中の時計台ボランティア活動を終えて、午後に近代美術館に出かけた。
北海道新聞社創業130周年記念事業ということもあって時計台の近くの本社ビルにゴッホ展の強大なポスターが4月から宣伝用に張られていた。5月から始まった時計台での活動日に、ある外国人が“外に画家の絵が掲げられているが何かあるのか?”と尋ねてきて、その時は何のことか直ぐに分からなかった。その外国人がオランダ人だと分かって、後からゴッホの絵のことかと判明した。そんなわけで日本の影響を受けて描かれたゴッホの「寝室」という作品を知った。

前売り券を買っていたが、今日は当日券を求める人が美術館の前で列をなしていた。今までに見たこともないほどの人々の行列にゴッホ人気はやはり凄いと思った。
中に入るとかなりの混雑ぶり。春の《大原美術館展Ⅱ》も有名な画家の作品が展示されていたが、ゴッホの作品を中心にした展覧会の人気は一段と賑わう。前回のゴッホ展は28万人が観覧したという。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの名も今回は多分オランダ語読みでフィンセント・ファン・ゴッホと表示されていた。1番目の作品が有名な「自画像」。前回も展示されていた同じ自画像だが今回のタイトルは「画家としての自画像」(*前回は「麦藁帽子を被った自画像」)。1887年の作品で油彩が生き生きとして130年前に書かれたと思えないほがどの新鮮さに感動! 

今回は日本の浮世絵と出遭って描かれた「花魁」も目を惹いた。歌川広重の「東海道五十三次」、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」などの作品も展示されていたが、日本の浮世絵画家から受けた作品に具体的な解説がついていて一段と興味を増した。
「雪景色」は初めて目にしたが、ゴッホの作品とは思えないような作風。「花咲くアーモンドの木」、「麦畑」は前回も出ていたようだが、遠近感なども取り入れて日本の夢を追っていたゴッホが身近に感じ取れたのは良かった。

ゴッホの死後に、彼の作品に憧れていた日本の芸術家たちがゴッホ巡礼を行った様子が葉書、写真などの形で展示されていた。混雑の中で細かい字で書かれた資料を読むのは避けた。

以前より美術館に通う回数は減った。午前、午後とスケジュールが続くと疲労感が増すのは加齢のせいで止むを得ない。昨日、来年3月来日するニューヨーク・フィルのコンサートのチケットを申し込み、今日は帰りにセブン・イレブンで発券してもらって心も一気に軽くなった。

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鼓童 打男DADAN 2017 (坂東玉三郎演出)

太鼓ソロ奏者の林英哲が世界的に活躍してKitaraでも毎年のように公演を行っているのは知っていたが、コンサート鑑賞のスケジュールが合わないこともあって今までに一度も聴く機会は持っていなかった。
今年の6月に坂東玉三郎が来札して行った《坂東玉三郎がいざなう鼓童の世界》を鑑賞した妻が感動の様子を熱く語った。今度は音響の良いKitaraでの公演なので、私も一度は聴いてみる気になっていた。他のコンサートの開催の状況を考えながら、チケットは2ヶ月前に購入したがS席は数席しか残っていなかった。この時点で鼓童の人気の凄さを感じていた。

『鼓童』は佐渡を拠点に国際的に活動しているプロの和太鼓集団で、グループでの豪快な乱れ打ちに興味を抱いていた。坂東玉三郎は魅力的な歌舞伎女形役者として実演や歌舞伎シネマを通して素晴らしい艶姿と演技に接してきた。歌舞伎の演出だけでなく、彼は芸術を総合的に高める創造的な仕事にも携わっているようである。その新しい一面も知ってみたいと思っていた。

この太鼓集団は1981年創立。プログラムによると、1981年ベルリン芸術祭でデビュー以来49ヶ国で6000回を超える公演を実施。世界中を駆け巡って公演を続けているのは信じがたいほどである。坂東玉三郎は2012年から2016年まで芸術監督に就任して『鼓童』と関わったことで今回のツアーはその集大成といえる公演かも知れない。

演目は一幕5曲、二幕4曲。日本各地の伝統芸能を素材にしたもの、現代音楽作曲家に依頼したもの、鼓童メンバーのオリジナルなどのようであった。一・ニ幕の休憩時間を除いて全演目が切れ目なしで演奏された。一幕第2曲は坂東玉三郎の作曲と知って驚いた。曲に斬新さもあり20分ほどもかかる大曲。舞台転換が曲の中断を避けて巧みに行われていた。ただ、聴衆が拍手をするタイミングが取れないでいたが、何曲か進んでいくうちに自然に拍手も沸き起こった。
大太鼓、中太鼓、囃子太鼓(?)が主として使われ、ティンパニと思われる楽器も含め、数種類の打楽器。3台の大太鼓は直径が1メートル30センチぐらいの巨大なもの。
演奏者は疲れを知らず、ただひたすらに太鼓を叩く。特に大太鼓を叩き続ける姿は見事で美しい。音も凄いが、姿勢正しく打つ男の姿には見とれてしまう(打男の言葉がふさわしい)。普段から体力を鍛えていないと、体がもたない感じ。相当な訓練なしには絶対にできない連続した乱打うちが何分も続く。まるで神業である。しかもそこに美しさが伴って人の心を打つ。

楽器の中には名がハッキリ分らないが、童(こども)が鼓を休みなく打ち続ける姿も感じ取れて微笑ましい感じがした。多分、佐渡には子どもが鼓に親しむ環境も作られ、アフリカや南米にも広がっている共通の楽器のような気がした。
この太鼓集団が欧米だけでなく、世界中で人気のある所以は世界共通の民族楽器の持つ素朴さと人々の琴線に触れる音ではないのだろうか。途中で諦めることなく、生命の限りを尽くす精神を人々に告げているようでもある。

休憩20分を挟んで1時間40分の公演。演奏終了後の割れんばかりの拍手と大歓声は普段のクラシックコンサートの時とは違った盛り上がり。気持ちを爆発させて感動している人々が多くいた。アンコールに演奏されたサンバのリズムに聴衆も熱狂していた。太鼓のリズムは特に日本人の気持ちを揺さぶる響きを持ち合わせているようであった。

2017年ツアーは昨日の札幌公演で始まり、12月末まで全国縦断32公演が続く。2018年にも引き続き、国内公演、海外公演も予定されているようである。今回は12名の出演だったが、メンバーの入れ替わリもあるだろうが、技能面は当然ながら精神面、体力面の総合力を維持して日本の誇る芸術を高めてもらいたい。



ウィ-ン室内管弦楽団~3つのコンチェルト(モーツァルト・プログラム)

札幌コンサートホール開館20周年に招聘されたWiener Kammer Orchesterは今回が実質的に3度目のKitara登場。ウィ-ン室内管弦楽団は1946年創立。1998年の初来札の英語名はThe Vienna Chamber Orchestraで《モーツァルトの夕べ》、2度目の2014年6月はウィ-ン・カンマー・オーケストラ(*ドイツ語名の和訳)でシュテファン・ブラダーが率いていた。2014年の日本公演は国内8か所で開催され、札幌でのプログラムは「モーツァルト:ジュピター、ショパン:ピアノ協奏曲第2番(ピアノ/牛田)」など。今回のオーケストラの日本名は初回と同じだが、原語のオーケストラ名が付いている。メンバーが入れ替わっていてもオーケストラはオーストリアを代表する室内管弦楽団として世界的に有名である。

シュテファン・ヴラダー(Stefan Vladar)は2008年から芸術監督兼首席指揮者を務めている。彼は1965年ウィ-ン生まれ。13歳でウィ-ン・ムジ―クフェラインザールにデビュー。85年ベートーヴェン国際ピアノコンクール優勝。ピアニストとして世界的に活躍していたが、91年から指揮者としての活動もはじめ、現在はソリスト、室内楽奏者、指揮者という幅広い能力を発揮している。

本日の演奏会は3名のソリストを迎えて《コンチェルトの競演》として開催されたオール・モーツァルト・プログラム。1回のコンサートで3つのコンチェルトが演奏されることは珍しく、5年ぶりのことである。

2017年10月1日(日) 14:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール

〈出演〉指揮・ピアノ/ シュテファン・ヴラダー(Stefan Vladar)
     フルート/ 高橋 聖純(札幌交響楽団首席奏者)(Seijun Takahashi)
     ヴァイオリン/ オスカール・ヴァルガ(Oscar Varga)
     管弦楽/ ウィ-ン室内管弦楽団(21名のメンバー)
〈曲目〉交響曲 へ長調 K.Anh.223(19a)
     ピアノ協奏曲 第9番 変ホ長調 「ジュノム」 K.271
     フルート協奏曲 第1番 ト長調 K.313(285c)
     ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ長調 「トルコ風」K.219

昨日の演奏会で本日の予定曲目に交響曲が加わっていることを知った。この交響曲の存在は知られていたが、1980年ミュンヘンでモーツァルトの父親の手による写譜が発見され、その全貌が明らかになったそうである。2005年ドイツで発売されたモーツァルト交響曲全集に46曲が録音されている10枚のCDを持っていた。今朝そのCDを確認して、“SYMPHONY IN F MAJOR, K.19A(1765)”を2回聴いておいた。
本日の10分弱の曲と同じであった。緩・急・緩の3楽章構成でメリハリの効いた楽想は9歳の時に書かれたとは思えないような作品。番号が付いていない交響曲をコンサートで聴いたのは 初めてで新鮮な気持ちを味わえた。
ウィ-ンならではの演奏に第1曲目から惹きつけられた。

「ピアノ協奏曲第9番」は21歳の時にフランスのピアニスト、ジュノムのために 書かれ彼女に献呈された。ピアノ協奏曲で20番台の作品の演奏機会は多いが、一桁の番号の曲が演奏されるのは「第9番」だけではないだろうか。田部京子&ローザンヌ室内管による演奏のCDで時折聴くが、コンサートでは3年前に尾高&小曽根の札響特別演奏会で聴いた。
ピアノ・ソロが美しい旋律を奏で、ピアノとオーケストラの対話が素晴らしかった。華麗なロンドの第3楽章でカンタービレの変奏を伴うメヌエットが印象的だった。
ヴラダーの弾き振りも堂に入って魅力的であった。演奏終了後には力強いブラヴォーの声も上がって、アンコール曲に「リスト:コンソレーション第3番」。美しい調べがとても心にしみた。ピアニストとしても凄い腕前の持ち主の印象を深くした。

「フルート協奏曲第1番」はランパルのCDで親しんでいた。PMFのウィ-ン・フィル首席奏者や工藤&札響などで聴く機会が何度かあった人気のナンバー。編成が独奏フルートのほかはオーボエ2、ホルン2と弦楽17なので、もっと大きな編成で聴いていた気がして意外であった。
いつも聴き惚れている札響首席の高橋の演奏は久しぶりのソロで改めて素晴らしい演奏だと思った。彼は大柄な体躯で身長(190cm以上)があるので外国人に見劣りしない堂々とした演奏ぶりが一層際立った。フルートは何と美しい響きを作り出すのかといつも感動する。

最後のコンチェルトはモーツァルトが書いた5曲のヴァイオリン協奏曲の中で最も演奏機会の多い「第5番」。1775年、20歳になる前年にザルツブルグで一気に書かれた5曲の作品。モーツァルトはピアノの名手であったが、ヴァイオリンの腕も凄かったのは、1年のうちに全曲を書き上げたことからも想像できる。
この曲は5曲中で最も規模が大きくて明確な構成感があり、フランス風の優雅さ、ドイツ風の堅実さを備え、第3楽章にトルコ風の音楽も入って親しまれている。トルコの軍楽隊のリズムが入って異国的な情緒があるのが人気の所以だろうか。

セルビア生まれのヴァルガはハンガリーに移住してリスト音楽院に学び、現在は博士課程に在籍して、同音楽院で教鞭も執っているヴァイオリニスト。ソリスト、室内楽奏者としてヨーロッパの音楽祭で活躍中。
細身の体だが、力強い魅力的な演奏ぶりで聴衆の期待に応えた。

後半2曲のそれぞれの演奏後に会場は盛大な拍手に包まれたが、時間の関係もあってだろうがソリストのアンコール曲は無かった。
モーツァルトのポピュラーで軽快な曲は特に鑑賞後の心が晴れ渡る。3つのコンチェルトを堪能できた今日のコンサートはいつまでも記憶に残るだろう。3曲ともに聴き応えのある曲で、今日の演奏を聴きに来た人は幸福感に包まれて会場を後にした様子であった。

※後記:旭川に在住していた1969-88年当時、ウィ-ン・フィルのコンサートを札幌に聴きに来ていた(1973年)こともあったが、1979年のWIENER KAMMERENSEMBLE(ウィ-ン室内合奏団)の公演を旭川市公会堂で聴いていたプログラムが出てきた。当時の立派な装丁のプログラムは保存してあった。8人全員がウィ-ン・フィルのメンバーでコンサートマスターのゲルハルト・へッツェルの名は今でも記憶している(*へッツェルのリサイタルが後に札幌で開かれていたからである)。国内18公演の同一プログラムの内容は全て忘れていた。当時の室内合奏団・弦楽四重奏団の来日公演は限られていたと思われ、4週間にもわたる公演のスケジュールはかなりきつかったと思う。
ピアノのラベック姉妹やテノールのジュゼッペ・ディ・ステファーノなどは忘れ難い演奏家であったが、ひと昔の出来事は特別な印象がなければ忘れ去っている。
ハイドン、モーツァルト、べートーヴェンの時代からウィ-ン室内楽の伝統が現代にも永遠に引き継がれていることを、今回のウィ-ン室内管弦楽団のコンサートを通して改めて認識した。(10月2日)
    

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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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