ユンディ・リ ショパンを弾く YUNDI PIANO RECITAL 2016

YUNDIが第14回ショパン国際ピアノ・コンクールに優勝した翌年4月に札幌公演を行ってから15年。これまでに札幌でのリサイタルは5回、オーケストラとの共演が2回あった。毎回聴き続けていたので2012年9月の公演中止は残念だった。前回14年11月の公演以来、札幌公演は8回目になると思う。李 云廸に関するブログは12年、14年に続いて3回目。(*云は雲の簡体字だと思う)

2016年5月31日(火) 7:00PM開演  札幌コンサートホールKitara大ホール

〈Program〉
 ショパン:バラード第1番、第2番、第3番、第4番
 ショパン:24の前奏曲 Op.28

今回はオール・ショパン・プログラム。2015-16シーズンはショパン・コンクールで審査員を務め、2015年秋と16年春に「オール・ショパン・プログラム」で行なう日本ツアーは彼のメッセージに書かれている“ショパン・イヤー”の意味するところ。

1月の辻井伸行日本ツアーで《4つのバラード》を聴いた。4曲の中で「バラード1番」は最も親しんでいる。近年は「第2番」や「第4番」もプログラムに入れるピアニストが増えて、これらの曲を聴く機会が増えた。「第2~4番」は曲中のメロディが浮かんでくる程には聴き親しんでいないので今回は河村尚子のCDで聴いておいた。

中世の舞踊歌だったバラードが、叙事詩、伝説や物語という内容を持つ新しいバラードに発展して音楽の分野に広がったらしい。19世紀初めに文学のジャンルであるバラードがポーランドに入った。ロマン主義の詩人が書いた詩に触発されてショパンは曲を書いたようである。プログラムには詩の内容も書かれているが、イメージだけを浮かべてショパン独特の分野として曲作りをしたように思う。4曲はそれぞれ別の人に献呈されている。

ショパンの曲の中ではドラマティックに展開されるバラード。ユンディは4曲一気に弾きたかったようであった。コンサート以外でも聴き慣れたメロディとあって「第1番」の演奏後に大拍手も起こったが、ユンディの反応は無かった。集中力を途切れさせたくないピアニストの気持ちが直ぐに伝わった。鑑賞の際の拍手も演奏家の意向をくみとる配慮が望まれる。2曲目以降、拍手をする人の数は減ってそれほど違和感はなかったが、、、。単独曲として演奏する場合と違って、連続して弾く時の演奏家の集中力は想像以上の精神状態にあることを理解したい。次曲に備えての時間の間も、ユンディは必要としていたようであった。
全4曲終了後にはブラヴォーの声も上がってた。
 
※販売されたプログラムにはカーネギー・ホールでの演奏会の様子が載っていた。「第4番」では“クライマックスの途中で拍手が沸き起こってしまうほどのユンディの熱演”と書かれていたが、曲の途中で拍手が沸き起こったのは曲の終了と勘違いした反応だったと思われる。ショパンのバラードで曲中に拍手が起こるのは日本では殆どあり得ない事だと思った。

後半のプラグラム「24の前奏曲」は2月、河村尚子リサイタルで聴いた。ショパンの曲でも「前奏曲」は専門家はともかく素人にはそれほど馴染みではない。「第15番 雨だれ」は演奏会では度々耳にする。20年ほど前にアルゲリッチ演奏のカセットで数曲聴いていたので、「第7番」、「第24番」も馴染みのメロディがあって親しみやすい。アルゲリッチとキーシンのCDをたまに聴くが全曲通して数回耳にするだけでは曲の区別が付かなくて馴染みにくい。
24の調性をすべて用いて書かれた前奏曲はバッハの「平均律クラヴィーア曲集」に由来するとされる。ハ長調からニ短調までの24曲。この調性の音楽的知識が充分でなく表面的なメロディでしか曲の面白さが判らないのが素人の限界である。それでもコンサートで集中して聴き続けると、幾つか親しめる曲が増えてくる。哀愁を帯びた「第4番」、ノクターンのように表情豊かな「第13番」、のどかな旋律の「第17番」、カンタービレの「第21番」など少し長めの曲も気に入り始めた。

プレリュード全24曲は最初から最後まで途切れることなく聴けた。外国の演奏家が称賛する日本人の鑑賞態度が典型的に表れていた演奏会だと感じた。勿論、演奏終了後の礼儀正しい拍手とブラヴォーの声はあったが、ニューヨークなどで見られる嬌声やスタンディング・オヴェィションなどは無かった。
 
ユンディ・リの持ち味である繊細で詩情豊かな落ち着いた演奏ぶりはいつもと変わらなかった。聴衆は9割弱で毎回チケットが完売になった時の勢いは無くなっていた。

アンコール曲は聴衆の盛大な拍手に応えて3曲。①「ショパン:ノクターン第2番 Op.9-2」、②「中国民謡:彩雲追月」、③「ショパン:アンダンテ・スピアナート」。 〈よく聴き慣れたショパンの曲〉と前回のアンコール曲でもあったが〈中国の美しいメロディを持つ民謡〉(*漢字で曲のイメージが浮かぶ)の演奏で大ホールも最後には一段と盛り上がった。

中国の貴公子、李云廸は終始変わらぬ礼儀正しい品の良い態度で演奏会を終えた。ホワイエでCDの販売はあったが、意外なことにサイン会は行なわれなかった。

※Yundi Li の海外公演はロサンゼルス、ニューヨーク、トロント、モスクワ、ウィーン、ロンドン、パリでも行われ、今シーズンは文字通り、本人の言う「ショパン・イヤー」のようである。

※20年ほど前に北京空港内で「電」の字で雨かんむりの無いような漢字を数多く目にして何の字かと思い迷ったことがある。李の名が従来と違っていたので、かなり以前のことを思い出した。中国で簡体字が広まって個人の名前にまで変化があるのかと気になった。
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天満敦子ソロ・ヴァイオリン・コンサート

《望郷のバラード》でブレークして話題となり、親しみのある飾り気のない雰囲気の演奏会で人気のヴァイオリニスト、天満敦子。彼女のコンサートを初めて聴いたのはKitaraがオープンした年の1997年11月。大ホールでの演奏曲目を当時のプログラムで確認すると「ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番」、「ポルムべスク:望郷のバラード」、「バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」、「バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番」という本格的なもの。2回目は2003年スワロフスキ―指揮スロヴァキア・フィルとの共演で「ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲」、「望郷のバラード」、「ツィゴイネルワイゼン」と今ではビックリするほどのプログラム。2010年は「フランク:ヴァイオリン・ソナタ」以外は名曲の小品集。
しばらく彼女のコンサートは聴いていなかったので、昨年12月〈ふきのとうホール〉での公演を聴くつもりだった。その時は入院中のため妻にチケットを譲っていた。今回はその埋め合わせのコンサート。Kitaraでは3年半ぶりのリサイタルになるそうである。

2016年5月29日(日) 1:30pm 札幌コンサートホールKitara大ホール

〈Program〉
 J.S.バッハ:無伴奏パルティータ第2番より 「アルマンド」
 カタロニア民謡/カザルス編曲:「鳥の歌」
 シューマン:「トロイメライ」、フォーレ:「シチリア―ノ」、マスネ:「タイスの瞑想曲」
 イギリス民謡/和田薫編曲:「グリーンスリーヴズ」、 フォスター:「スワニー河」
 黒人霊歌:「アメイジング・グレイス」、 ポルムべスク:「望郷のバラード」
 山田耕作・梁田貢/竹内邦光編曲:「この道・城ヶ島の雨」
 熊本県民謡:「五木の子守唄」
 岡山県民謡ー山田耕作/和田薫編曲:「中国地方の子守唄」 
 中田喜直:「雪の降る街を」、 小林秀雄:「落葉松」
 ホルスト:「ジュピター」

今回は小品集のプログラムによる全15曲。前半は外国の作品9曲。後半は日本の曲5曲とホルストの作品。全ての曲が無伴奏で演奏された。叙情味あふれる曲ばかり。
前半の曲は馴染みの名曲小品集だが、選曲に天満の特徴も出ている。アメリカ的性格を持つ歌曲や、黒人霊歌も入れた。
シチリアーナとはイタリアのシチリア島が発祥の舞曲。一昨日の三浦文彰のコンサートでもアンコール曲として演奏され、曲名は同じだが作曲家名が違った。

天満敦子の代名詞とも称される「望郷のバラード」はルーマニアの作曲家の作品。ポルムべスクはブルックナーに師事し、将来を嘱望されていたが29歳の若さでなくなった。この曲は祖国の独立運動に参加して投獄されていた収容所で故郷を偲びつつ書かれたと言う。1992年に天満は文化使節としてルーマニアを訪問した。それが縁で翌年に「望郷のバラード」の日本初演を行い、CDの発表に繋がり大ブレイク。これ以降、彼女はクラシックという従来の枠にとらわれない幅広い音楽活動を展開するようになった。

前半終了後、主催者に促されてのトークだったが、彼女の話を待ち望んでいた客が大部分であったようである。“ピアノなしの無伴奏によるコンサートは節約の為か?”という雑音も聞こえてくるが、“ヴァイオリンだけが奏でる音が堪らなくて”敢えて〈ソロ・ヴァイオリン・コンサート〉も企画していると語った。
ストラディヴァリウスの楽器に出会って29年目を迎えると言う。楽器の29回目の誕生日、6月6日にはウィーン楽友協会のブラームス・ザールでコンサートを開くそうである。“人間とは未婚であるが、ヴァイオリンという旦那さんと結婚して29年目”という彼女の率直な語りに愛器ストラディヴァリウスに寄せる想いが感じとれた。
天満はKitaraホールを埋めた約千名への感謝の気持ちを何度も表し感激している様子であった。何度も来札公演を行っているが還暦を迎えてのKitaraでのコンサートに感慨も一入だったと想像される。
私自身、大ホールではリサイタルでも7・8列目中央に座席をとるのが普通であるが、今日は特別に3列目のほぼ中央に座ってヴァイオリンの弱音を聴きとれるようにした。ステージに近いところで演奏家に密着できた気がした。

後半は日本の童謡・民謡などが中心のプログラム。
「この道」の歌詞には“あかしやの花”や“白い時計台”が出てくる。北原白秋が札幌の思い出を綴った詩とされている。昨日は時計台でボランテイア活動をして観光客に時計台の案内をしたばかりだった。歌曲“城ヶ島の雨”とともに1曲の無伴奏ヴァイオリン曲として味わい深く聴けた。
日本の童謡・唱歌・民謡などはオペラ歌手のプログラムで聴くこともあるが、無伴奏のヴァイオリン曲として聴いたのは初めてかも知れない。叙情味あふれる曲なので、歌詞から情景を思い浮かべながら独特の音を奏でる曲に浸った。特に、「雪の降る街を」は素晴らしくて堪能できた。

天満はコンサートの最終曲はいつも「望郷のバラード」にしていた。2011年東日本大震後の東北のコンサートで最後に「ジュピター」を演奏した。その時以来、「ジュピター」を最後の演奏曲にしているという。札幌では数年来PMF賛歌として親しまれている曲で、客の反応も良くブラボーの声も一段と高かった。ヴァイオリニスト自身もKitaraで思い通りの演奏が出来たようでガッツポーズをしていた。

アンコール曲は「山田耕作:からたちの花」、「佐々木すぐる:月の砂漠」。

昼間に開催されるコンサートではKitaraの行き帰りに通る中島公園の緑の木々の間で、午後の陽射しを浴びて輝くつつじやライラックなどの花が見られる。藤棚の下を通るとウィステリアの独特な香りが漂ってくる。コンサートで演奏されたアンコール曲の余韻に浸りながら歩く楽しさは至福のひと時でもある。(*天気に恵まれないときなどは別にして、地下鉄と直結していないKitaraホールの環境の素晴らしさを改めて痛感!)



三浦文彰ヴァイオリン・リサイタル(ピアノ:田村 響)

セキスイハイム特別協賛による三浦と辻井のコンサートが5月と6月にKitaraで続く。辻井伸行ピアノ・リサイタルの全国ツアーが1・3月に行なわれて、2月は彼の休みの月かなと思っていた。あとで、2月にはオーケストラとの共演やヴァイオリニスト三浦文彰とのデュオによるコンサートの予定がそれぞれ幾つか入っているのが判ってエネルギッシュな辻井の活動に驚いたことがあった。同時に三浦との交流を知る機会にもなった。

三浦文彰(Fumiaki Miura)は2009年ハノーファー国際コンクールに史上最年少の16歳で優勝。早速、2011年トヨタ・マスター・プレイヤーズ、ウィーンに登場する予定だったが、東日本大震災のため公演中止となり、翌年の同公演で札幌でのコンサートも実現して「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第2番」を弾いた。地味な選曲を意外に思ったものである。三浦は2016年1月からはNHK大河ドラマのテーマ曲による斬新なメロディの演奏で一躍脚光を浴びている。

2016年5月27日(金) 19:00開演  札幌コンサートホールKitara小ホール

〈プログラム〉
 ドヴォルザーク:4つロマンティックな小品 作品75
 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 作品24 《春》
 服部隆之:大河ドラマ「真田丸」メインテーマ
 タルティ-ニ: ヴァイオリン・ソナタ ト短調 《悪魔のトリル》
 ヴィエニャフスキ:華麗なるポロネーズ第1番 作品4
 グルック:メロディ~歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」より
 ブロッホ:ニーグン
 サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン 作品20

国内外のオーケストラとの共演や国際的な音楽祭出演などで大活躍の三浦の初のヴァイオリン・リサイタルを聴けるのは大きな楽しみだった。ピアニストの田村響は2007年ロン・ティボー国際コンクール優勝(*当時20歳)で大変な話題を集めた。いつかリサイタルを聴きたいと願っていたピアニストで、今回のデュオのプログラムは大歓迎だった。

ドヴォルジャークのこの曲は聴いたことは無いかなと思ったら、5年前の吉田恭子・白石光隆のデュオリサイタルの折に購入した彼らのCDに曲が入っているのに気づいたのが数日前の事。少なくとも1・2度は耳にしている。「カヴァティーナ」、「カプリツィオ」、「ロマンス」、「エレジー」の4曲として構想されたが、無題のまま出版されたという。タイトルがあると曲のイメージも浮かんできて親しめるのにと思った。コンサート当日までに数回聴いておいた。チェコの舞曲や民話をもとにした作品かも知れない。美しい旋律に満ちた15分程度の曲。

ベートーヴェンの10曲のヴァイオリン・ソナタの中で、やはりタイトルのある「春」と「クロィツェル」は馴染みの曲で言及するまでもない。4楽章から成る曲が全編を通して明るい。

前半2曲はピアノとヴァイオリンが対等に渡り合う曲で、三浦も楽譜を前に置いての演奏だったのは意外だった。ピアニストとの呼吸のとり方で慎重を期したのだろう。

後半はテレビを通して毎週日曜日に流れる曲。本人の生演奏で聴くのは堪らない。戦国時代に城を守る武士たちの様子が眼前に浮かぶ。ヴァイオリンのスピード感ある音色が続く演奏に高揚した聴衆の反応は一段と大きくなり会場が盛り上がった。

「悪魔のトリル」は川畠成道が度々演奏していた曲でタイトルを覚えた。イダ・ヘンデル演奏のCDで約15分のソナタを改めて聴いてみた。イタリアの作曲家タルティーニ(1692-1770)が1740年代に“夢の中で、魂を売り渡すのと引き換えに悪魔が聴かせてくれたトリルのパッセージに霊感を受けて”書いたという作品。曲の終盤で絶え間ない“悪魔のトリル”が繰り返される。無伴奏でヴァイオリンが奏でるパートがかなり長く続いたが、目の前で繰り広げられる高度なテクニックに釘付けになった。

ポーランドの大ヴァイオリニスト&作曲家であったヴィニャエフスキ(1835-80)は11歳でパリ音楽院を卒業した天才。ポーランドの舞曲ポロネーズのリズムに合わせて華麗なテーマと陰りのあるトリオが美しいコントラストをなして展開される。レーピンやヴェンゲーロフが得意としているようだが、ロシアでの人気曲なのだろう。勿論、日本でも親しまれている華やかな馴染みのメロディ。

グルック(1714-87)はウィ‐ンを本拠地としてヨーロッパ各地で活躍したオペラ作曲家。歌劇の改革者といわれるグルックの最も革新的な作品から「精霊の踊り」(メロディ)。昨年、五嶋龍がリサイタルのアンコール曲にこの曲を弾いた。クライスラーが編曲したこの曲が吉田恭子のCDに入っていた。花が咲き乱れ、小川が流れる天国の野原で精霊たちが踊る様子が描かれる美しい曲。簡単に弾いているように見えるが、多分この曲も難曲なのかもしれない。

ブロッホ(1880-1959)は作曲家名は曖昧な記憶だけで、作品名は初めて聞く。プログラムの解説によると、スイスの作曲家でヴァイオリンの名手イザイに師事し、アメリカで演奏と教育に携わった。この作品はユダヤ敬虔主義の信者を描いた3枚の絵を表す3曲から成る組曲《バール・シェム》の第2曲。「ニーグン」は即興的な祈りの歌で思ったより親しみやすい曲であった。

サラサーテ(1844-1908)は有名なスペインの作曲家で“パガニーニの再来”と称されたヴァイオリンのヴィルトオーソ。ドイツ語のタイトルは「ジプシーの歌」の意味。チャルダ-シュを用いたヴァイオリン曲として演奏機会の多い名曲。
コンサートのフィナーレに相応しい曲で、超絶技巧を駆使した三浦の演奏は聴衆の心を鷲掴みにした。

後半はヴァイオリストが技巧を発揮する場面の多い曲がほとんどで、三浦は全て暗譜で演奏した。ヴァイオリ二ストが自分の技量を見せるには格好の曲で、ピアニストはどちらかといえば支え役だが田村はしっかりサポートした印象を受けた。

国際的なコンクール優勝の実績を持つ20代の若者によるコンサートはいつもと違う雰囲気を作り上げていた。コンサート終了後は満席に近いホールを埋めて観衆は女性客が比較的に多くテレビを通しての人気の高さを窺がわせた。
アンコール曲は「パラディス:シチリアーノ」。最後に、共演者の田村に促されて、三浦が《「真田丸」のメインテーマ》を無伴奏で演奏した。

※伊勢志摩サミットが終了したが、2008年洞爺湖サミットでボランティァ活動に参加したことを思い出した。札幌国際プラザ外国語ボランティアとして海外から来る報道陣や観光客を主な対象として札幌駅インフォメーションデスクで2日間対応を行なった。いろんな案内があったが駅のロッカーが封鎖されて使えない理由を問われた状況は今回のサミット開催に伴う状況と変わらない。この時ほど全国から派遣された多くの警察官の姿を市の中心部で目にした事はなかった。とにかく無事にサミット終って何よりだった。

※サミット終了と同時にメディアの関心事は米国オバマ大統領の広島訪問に移った。歴史的な米国大統領の広島訪問。核廃絶につながる小さな一歩であることは確かである。夜遅く聞いたオバマ大統領の演説は心に響く素晴らしいスピーチだった。ハーバード大学では20年以上にもわたって「トルーマンと原爆投下の是非」を論じる授業が行われているという。(*1月に出版されたPHP新書「ハーバードでいちばん人気の国・日本」の著書による。)どこの国にも言えるのだろうが日本のメディアが必ずしも客観的な情報網を持っているとは限らない。知らない情報が沢山あるようである。50年前に訪れたスミソニアン博物館で見た「エノラ・ゲイ」は今も目に焼き付いている。(*1995年の展示騒動以後、エノラ・ゲイはWashington D.C.の国立博物館には展示されていない。)

METライブビューイング2015-16 第9作 ドニゼッティ《ロベルト・デヴェリュ-》

ドニゼッティのオペラ作品は《愛に妙薬》と《ランメルモールのルチア》をMETライブビューイングで観たことがあるが、《ロベルト・デヴェリュー》は今シーズンのMETビューイングの作品発表時にオペラのタイトルを初めて耳にした。ロッシーニと同時代のイタリアのオペラ作曲家ということも改めて知ったくらいである。ロッシーニはオペラの序曲を通して昔から名前が知られていた。ドニゼッティの名はオペラ歌手のCDを通して「人知れぬ涙」のアリアで作曲家名を知るようになった程度である。

18世紀、ナポリで興ったオペラがヨーロッパ中に広まったが、文化的中心地としてのイメージはイタリアだったようである。「オペラの本場はイタリア」と言われるように、18世紀のヨーロッパではイタリアがオペラの本場だった。オペラの作曲家はイタリア人という固定観念があって、モーツァルトはイタリア人でないことで二流と見做されることもあったらしい。実質的にはモーツァルトがナポリ派のオペラを完成して発展させた。イタリアはオペラの中心ではなくなったが、19世紀に入ってロッシーニが活躍して、彼の影響を受けてドニゼッティのベルカント・オペラも生まれたそうである。

《ロベルト・デヴェリュ-》は今回がMET初演で新演出。イタリア語上演。上映時間は3時間4分。第1・2幕96分、第3幕46分。エリザべス1世の最晩年を描いた作品。女王の悲恋をオペラ化した壮絶な復讐のストーリー。

16世紀、ロンドン。女王エリザべッタの恋人ロベルト・デヴェリューは反乱鎮圧のためにアイルランドに派遣される。しかし、彼は女王の命令に反して反乱軍と和解したために反逆罪で捕えられてしまう。デヴェリューと恋人同士だったサラがノッティンガム公爵と結婚させられていた。サラと再会して心がひかれた二人は女王の嫉妬を懸念して別れる決意をする。女王は恋人を救おうとするが、デヴェリューの心変わりの証拠を握って激怒する。復讐心に燃えたエリザべッタは彼を処刑する英国議会の議長ノッティンガム公爵の決定書の到着を待って署名する。処刑の瞬間を目前に女王の心は揺れる。ロンドン塔内に収監されている恋人から彼に贈った指輪が届いたら愛の証として処刑中止の命令を出そうとしていたが、時すでに遅かった。

女王エリザべッタ役を熱演したラドヴァノフスキーはMET出演200回を迎えた大歌手のようである。最初から最後まで大部分怒りに溢れ高音域で威厳のある姿で歌い続ける姿は歌唱力、演技力ともに素晴らしい。心の痛みや自尊心をを巧みに表現していた。年老いて歩くのも不自由な身でありながら復讐心に炎がついた恐ろしいまでの女心で歌い上げる。その堂々たる演唱は物凄い迫力で全幕を通して続いた。
サラ役のガランチャは今まで何回か聴いたラトヴィア出身の人気の高いメゾ・ソプラノ歌手。美しい誰からも愛される人柄の役を懸命に演じた。高音域のベルカント唱法で“のどを痛めないように”と気を付けていたようである。
デヴェリュー役のポランザーニは以前聴いたことのある歌手(*多分《ランメルモールのルチア》)だったと思うが、ベルカント唱法での魅力的な歌声の持ち主。地位のため、愛のため、友人のためにと好人物だが3人の登場人物の板挟みになって誤解される役回りだった。イリノイ州出身のアメリカ人歌手ではないかと思った。
グヴィエチェンはポーランド出身と聞いて思い出したが《エフゲニー・オネーギン》で観た。彼の演技力、歌唱力は共に安定している。特に、友人を救おうとして女王を懸命に説得したが、妻の不貞の証拠を見て復讐心が燃え上がった時からの演唱に凄みがあった。

4人共にベルカント唱法のイタリア・オペラで主役と言える贅沢なキャストはMETならではである。お互いの息があって、合唱も素晴らしかった。聴きなれた有名なアリアは無いオペラのようであるが、聴かせどころが沢山あって、観客が歌唱の終わりに拍手をしやすい場面が多くてホールが盛り上がっているようであった。オーケストラもドラマティックな演奏が多くて魅力的だった。指揮はベニーニ、演出はマクヴィカー。舞台は一見豪華だが、場の展開で大きな変化はなく奥行きの広さを巧みに生かした演出。室内楽的雰囲気のようだった。

※男女の三角関係を描いたオペラの定番だが、女王の復讐のストーリーにいささか驚きを禁じ得なかった。先日、アカデミー賞監督賞、主演男優賞、撮影賞を獲得したアメリカ映画「レヴェナント」を観たが、壮絶な復讐劇だった。“復讐”の恐ろしさが人間の中に潜んでいる一面を日本で起きる最近の事件と重ねあってしまった。自制心が効かないような精神状態に陥って事件が起きる現代の世も恐ろしく感じる。人という漢字の作りの支え合う大切さが身に染みる。

映画《「ロイヤル・コンセルトへボウ」 オーケストラがやってくる》

コンサート鑑賞に次いで映画鑑賞は回数が多い。1月は6回、2・3月は体調が良くなくて0回。4月はアカデミー賞受賞作の映画を4本観た。5月に入ってこれまでにボランテイア活動もKitaraで2日間、時計台で既に5日間行えるほど体力も回復した。コンサート鑑賞も今月は9回の予定である。映画も既に3本観ていて、今月のスケジュールは詰まっているが、音楽映画の上映に気づいて予定外の映画鑑賞が増えた。今日は音楽映画が上映されることが度々あるシアターキノに出かけた。

2013年、ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団は創立125周年を記念して世界一周ワールドツアーを実施した。2014年、オランダが制作したRoyal Conncertgebouw Orchestra AMSTERDAM 初の公式記録映画。英語のタイトルは“AROUND THE WORLD IN 50 CONCERTS”。
ウィ-ン・フィル、ベルリン・フィルと並ぶ世界三大オーケストラとして名高いロイヤル・コンセルトへボウ管。「コンセルトへボウ」はコンサートの建物、つまりコンサートホールを意味するオランダ語。1888年に設立された専属オーケストラはメンゲルベルクが常任指揮者(1895-1945年)として半世紀にわたって活躍した時代にトップ・レヴェルの楽団に成長して、その後、ハイティンク(1961-88年)、シャイ-(88-2004)、ヤンソンス(2004-15)を経て2016年秋からはダニエル・ガッティが首席指揮者を務める。
Kitaraにはシャイ-時代の2000年、02年の2度、札幌公演が行なわれたが、残念ながらその後の来札はない。ヤンソンス時代には1年おきに来日していた。ヤンソンスがこのオーケストラの国際的な評価を更に高めたと言われる。

ワールド・ツアーに旅立つ前に、飛行機に楽器を積み込む様子も描かれていて興味深かった。パジャマで楽器を包んで温度差に対応していて、楽器収納の状況が完璧に見えた。南米に到着して楽団員がオランダの家族に電話して連絡を取り合う様子、アルゼンチンでは出身国ウルグアイの国境を眺める楽団員、ホテルのレストランで友人と食事をしながら音楽、特に民俗音楽の良さについて語り合う場面も描かれた。アルゼンチンの孤独を抱えるタクシー運転手、南アフリカの貧困に苦しむ少女や世代も境遇も違う人々の心を揺り動かす音楽。南アフリカやロシアの旅を通して音楽を心の拠り所として生きている人々の姿に出会う。音楽を奏でる人と聴く人たちの人生も垣間見えた。
団員たちは旅行を通して世界中の人々と触れ合う中で無限の可能性を持つ音楽の力を再発見する。アルゼンチンでは仕事でコンサートに来れない友人を訪ねて出張サーピスで音楽を届ける楽員の姿は感動的だった。南アフリカの中高の生徒に「プロコフィエフ:ピーターと狼」の曲の紹介でクラシック音楽に興味を持ってもらう楽団の活動には感心した。コンセルトへボウの記録だけに終るのではなくて音楽を世界に広げる無色の映画になっているのが意外でもあり好感が持てた。

「ブルックナー:交響曲第7番」で出演場面が1回だけだが、充実した想いを語る打楽器奏者(シンバル)の語りで始まり、「ショスタコーヴィチ:交響曲第10番」の演奏でコントラバス奏者としての充実感を味わった音楽家の話で締めくくられたが彼の話はとても印象的で含蓄があった。(*スターリン時代の圧政を表現したBassの音の話がためになった)。彼らの収録場面の会場はコンセルトへボウの本拠地。ウィ‐ン楽友協会大ホール、ボストン・シンフォニーホールとともに20世紀の世界三大ホールとして親しまれてきた音響の良い素晴らしいホール。そのホールの様子を目にすることが出来たのも非常に良かった。

ヤンソンスが主に指揮を担った同団の演奏曲は馴染みの曲が多かった。「ラフマニノフ:パガニーニの主題による変奏曲」、「マーラー:交響曲第1番 巨人」、「メンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲」。 「ヴェルディ:レクイエム」と「マーラー:復活」での合唱部分は荘厳な感じが歌詞を通しても伝わって良かった。

久しぶりのドキュメンタリー音楽映画を楽しんだ。

小山実稚恵 「音の旅」第21回 2016年春

2006年に始まった12年間・24回シリーズも11年目に入った。このシリーズは最低でも年1回は聴こうと思っていて近年は欠かさず聴き続けている。2013年春だけはアンネ=ゾフィー・ムターのリサイタルと重なって聴き逃した。今回は16回目となる。

2016年5月20日(金) 19:00開演  札幌コンサートホールKitara小ホール

~未来の扉を開いて~
イメージ〈こげ茶〉:大地・地球・力強さと大きさ

〈Program〉
 ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ 変ロ長調 作品24
 バルトーク:ソナタ(1926)
 ベートーヴェン:ソナタ第29番 変ロ長調「ハンマークラヴィーア」 作品106

ステージにはコンサートのイメージに合った華道の花が飾られているが、今回はテーマに沿った自然の巨木も飾られてコンサートのイメージが広がっているようであった。毎回演奏会を始める前に小山から7分程度のトークがある。曲の解説も含めて、実に要領のよい味のある話。演奏の素晴らしさは殊更に言及するまでもないが、知的な表現力も並ではないと感銘を受ける。
昨年は10年目の「音の旅」で彼女の演奏活動30年の節目の年に「バッハ:ゴールトベルク変奏曲」を演奏した。この変奏曲の中に散りばめられた“3”の数字。“遊び”のプログラミングで今回のプログラムも“3”が基軸という。今回の3BプログラムにはBrahmsとBeethovenの間にBartokを入れた。

最初の曲「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」は前回の「ゴルトベルク変奏曲」の流れを受けての選曲。ピアノの魅力がぎっしりと詰まった25の変奏曲。余り耳にしたことのない曲だが、小山の縦横無尽の迫力のある演奏に魅せられた。ヘンデル原曲の主題の知識も全然ないが、名手が弾くと変奏曲が心地よく響き渡る。終曲では4声のフーガがクライマックスを築く。聴きごたえのある30分ほどの曲。

コンサート鑑賞が今月中旬から続いているせいもあって、本日のプログラムにバルト―クの作品が入っていることには着目していなかった。昨日のコンサートでバルトークの曲を何曲か聴き、作曲家の生涯は一通り頭に入っていた。農民や民俗音楽を直接の素材とした作風から抽象的で現代的な絶対音楽へと向かっていたバルトーク。新旧のスタイルを統合した作品だと思った。打楽器的な奏法の力強いピアノ演奏は正に圧巻。ピアニストとしても才能豊かであったバルトークならではの曲作りに強烈な印象を受けた。シェーンベルクやストラヴィンスキーに続く現代音楽家として評価された事が実感できる作品。
打鍵の様子を客席中央から見ていて、小山の演奏の力強さに圧倒された。第2楽章では哀しい旋律も響いたが、第3楽章では再びピアノが打楽器的に使われて緊張感が持続する。全体で15分程度の曲にいつもと違う感動を味わった。

後半の「ベートーヴェン:ハンマークラヴィーア」はポリーニの演奏を聴きに2012年11月にサントリーホールに出かけた時以来だと思う。後期ソナタ第30-32番は最近は聴く機会が結構ある。「第29番」は彼のソナタ中で大規模な作品で難曲とされることもあって聴くことは珍しい。ベートーヴェンの4大ソナタは気晴らしに家で聞き流していることがよくあるが、「第29番」は聞き流しなどできる曲ではないので、園田高弘とポリーニのCDも1・2度聴いたくらいである。そんな訳で、この曲を親しむまでにはなっていないのが正直なところである。

ダイナミックな第1主題で始まるソナタ形式。ドラマティックな振幅でスケールの大きさが感じられる。ピアノが発明されて100年程の時代に書き上げた作品とは思えない技法で曲が展開される。第2楽章は異常に短い奇抜なスケルツォ。深遠で思索的な世界を描く第3楽章はこの曲の半分ほどを占める長さの緩徐楽章で実に美しい。第4楽章はフーガの書法に基づくフィナーレ。巨大なフーガはベートーヴェンが書いた音楽の中でも最も霊感に満ちたもののひとつとされている。
ピアノを意味するドイツ語「ハンマークラヴィーア」がつけられた「第29番」はべート―ヴェンの時代に作曲家とピアノ製作者との努力で現代のモダンピアノに近いものになっていたのかと感慨を新たにした。

満席に近いホールでコンサートの最初から最後まで咳ひとつしない聴衆の集中力の高さで大変充実した演奏会となった。小山自身も言及していたが、全24回で最大のプログラムとなった今回のコンサートは今シーズンの〈私のトップ・テン〉に入るだろう。

全エネルギーを使い果たしたかのような演奏だったが、アンコール曲が2曲。「音楽の友」誌で1年半に亘って連載している〈脱力の極み〉を文字通り実践している様子がうかがえた。
「シューベルト:即興曲 Op.142-2, Op.90-3」。2曲とも馴染みのメロディで心地よく聴けた。

※折角の素晴らしいコンサートが続く「音の旅」シリーズだが、コンサートが始まる前のホワイエの混雑ぶりが気になっている。主催者が次回のチケットを売り出すためにできる行列の長さが落ち着いたホワイエの雰囲気を阻害しているように思える。次回は11月だが、以前は8ヶ月前に売り出したこともあった。Kitaraの客対応はリセプショニストの存在で他のホールにはない環境が作られているのだが、来客の不快を招くような状況はできる限り避けてほしいと思う。

谷本聡子&グレブ・ニキティン コンサート

先日Kitaraで手渡されたチラシの中で元札響コンサートマスター、グレブ・ニキティンが出演するコンサートの案内が目についた。二キティンは1993年に札響コンマスに就任して、その後、京都市響コンサートマスターを経て、現在は東京交響楽団の第1コンサートマスターを務めている。彼のソロを聴いてみる気になって、昨日主催者のヤマハミュージック札幌店に電話でチケットを予約した。ドヴォルジャークのピアノ三重奏曲も聴いてみたいと思った。

2016年5月19日(木)  19:00開演  ふきのとうホール

昨年7月にオープンした六花亭ビル6階~8階にある「ふきのとうホール」には7月だけで6回通った。その後は予定したコンサートに来れなかったので、今回は久しぶりのホール。今回は貸しホールによるコンサートで料金も安めで来やすかった。

ヤマハミュージック 札幌店 地元アーティストシリーズ VOL.1

〈Program〉
 バルトーク:ルーマニア民族舞曲(ヴァイオリン&ピアノ)、3つのチーク県の民謡(ピアノソロ)、アレグロ・バルバロ(ピアノソロ)、無伴奏ヴァイオリンソナタより「シャコンヌ」、ラプソディ第1番(ヴァイオリン&ピアノ)
 ドヴォルジャーク:ピアノ、ヴァイオリン、チェロのためのトリオ 「ドゥムキー」 Op.90

第1回目のコンサーのテーマは《中央ヨーロッパからの情熱》。ハンガリーとチェコの2人の作曲家の曲。

バルトーク・べーラ(1881-1945)はマジャールの血を持つハンガリー出身の現代音楽作曲家。(*ハンガリーでは日本と同じく姓名の順)。昨年はバルトーク没70年で一応区切りの年として東京では記念コンサートが行われたようである。札幌でもホリガー指揮による「管弦楽のための協奏曲」が札響定期で演奏された。
今回のコンサートでバルトークの作品が多くて、ハンガリーと繋がりの深い谷本聡子の情熱を感じ取った。本日のプログラムで知っているバルトーク作品は「ルーマニア民族舞曲」だけなので知らない曲を聴くよい機会になった。また、この機会にバルトークの生涯について書かれた本を読み直すことにもつながった。

「ルーマニア民俗舞曲」はピアノ組曲として1915年に書かれ、オーケストラ用、ヴァイオリンとピアノ用などにも編曲されている。今まで演奏会でもアンコール曲として演奏されて数回は耳にしたことがある。五嶋みどりとマクドナルドのCDを持っていることもあってかメロディにはかなり親しんでいる曲。民謡から集めた旋律が見事に生き生きとした音楽となっている。6分程度の小品。
さすが経験豊富なヴェテランの域に達した演奏家たちの演奏。外見とは違って、ピアノに男性的な勢い、ヴァイオリンに女性的な柔らかさを感じた。

他の作品は全く知識がなかったので曲目解説が参考になった。
「3つのチーク県の民謡」は1907年に現在はルーマニアになっているチーク地方を旅行して採集した民謡による3分程度の小品。「アレグロ・バルバロ(野蛮なアレグロ)」というタイトルは盟友コダーイによると“当時のハンガリーの若手作曲家たちの音楽がパリの批評家からは「野蛮な」ものとされたことを逆手にとった”3分足らずの小品。

「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」は1943年の終わり頃にユーディ・メニューヒンによって委嘱された曲。4楽章構成でバッハの作品に現代的解釈を加えた作品に仕上げた。シャコンヌ風の楽章に始まり、引き締まったフーガの第2楽章、伸びやかに歌うアダージョの第3楽章、第4楽章は快適できびきびとした爽快さで全体が10分程度の曲を閉じた。
ニキティンの演奏には安定感のある凄みを感じた。現在、札幌大谷大学教授としても後進の指導に当たり、札幌での音楽活動も室内楽も含めて活発なようである。
(*1971年にメニューヒンの公演を当時住んでいた旭川で聴いた記憶があった。調べてみたら、東京(4公演)・大阪・名古屋・札幌の4都市7公演で5月2日の札幌公演を妻と一緒に聴いていたことが判明。立派なプログラムが出てきて驚いた。札幌公演のプログラムには「バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」が入、っていた。45年も前のこととはいえ何と記憶の曖昧な事か!70年代初めにはセル指揮クリーヴランド響などで旭川から札幌まで何度かコンサートに足を運んだことを思い返して昔を懐かしむことにもなった。)

「ラプソディ第1番」は1928年の作品。バルトークは若いころにはラプソディと題した作品も書いているが、伝統的なラプソディ(ジプシー音楽)を偽物の伝統音楽として批判するようになっていた。40代半ばになって民族音楽の研究も進んだ結果、新たな解釈で取り組んだ作品。自らの調査と採譜に基づく旋律を用いて、それをメドレーにして編曲している。10分程度の曲。

後半のプログラムは札響チェロ首席奏者、石川祐支をゲストに迎えてのピアノ三重奏曲。ドヴォルジャークはピアノ三重奏曲を4曲書いているが、この作品は第4番で「ドゥムキー」という愛称で知られる最も有名なピアノ三重奏曲のひとつ。(*「ドゥムカ」はウクライナを起源とする舞曲で、「ドゥムキー」は複数形。)
6楽章構成で自由な形式で書かれている。ドヴォルジャークの作品の中でも最も民族的な音楽で、ピアニスト谷本聡子によるとバルトークに通ずるものを感じると言う。哀感に満ちた部分と激しい部分が交代で現れる。彼女の解説によると、“風に乗って地平線まで届く哀愁のメロディ、喜びの舞、大好きだった蒸気機関車の加速のリズム。自然を愛し、自然の理にかなった動きに魅かれた作曲家たちの鼓動が聞こえてくるようです。”と書かれている。

初めて聴いた曲かなと思ったが、帰宅して25年以上も前に聴いた〈ダン・タイ・ソン、ヨゼフ・スーク、堤 剛〉のピアノ・トリオのプログラムを確認してみた。「ベートーヴェン:大公」、「シューベルト:ノットゥルノ」、とともに「ドゥムキー」の記録があった。1989年7月18日、会場:札幌市民会館。曲目は覚えていなかったが、この演奏家たちのことは忘れていない。

谷本はヨーロッパで活躍して、現在は札幌を中心に日本で活動して北海道のピアノ界の大御所的存在。2000年ごろ、日本フィルと共演して「グリ―ク:ピアノ協奏曲」を聴いた。その後、リストのプログラムなどでの演奏会で数回聴いている。力強い演奏とともに黒いピアノと対照的な真紅のドレス姿も印象的だった。

ゲスト出演の石川今回の演奏は特に力が入ったようで熱演であった。三人の息もピッタリで素晴らしい三重奏が聴けた。

アンコ―ルのピアノ曲は「バルトーク:アンダンテ」。三重奏曲は何回も耳にして聴きなれている曲だが、曲名がどうしても思い出せなかった。とても楽しい気分に浸れる曲で充実したコンサートのフィナーレを飾った。

近藤嘉宏ピアノ・リサイタル ベートーヴェン&ショパン&リスト

デビュー20周年記念

1998年に札幌デビューを飾って以来、近藤嘉宏のリサイタルは毎回聴き続けている。品の良いコンサートが気に入っている。演奏曲はベートーヴェン、ショパン、リストが多かったように思う。昨年はKitara休館もあってリサイタルは開かれなかったが、クァルテット・エクセルシオとの室内楽での共演があった。近藤は小山実稚恵、及川浩治、外山啓介に次いで聴く会の多いピアニスト。チケットは昨年の発売初日に買い求めていた。

2016年5月15日(日) 13:30開演  札幌コンサートホールKitara大ホール

〈Program〉
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」、 第23番「熱情」
 ショパン:ノクターン第20番 遺作、 バラード第1番
 リスト:愛の夢第3番、 ラ・カンパネラ、 「ノルマ」の回想

札幌では2年ぶりのリサイタルであったが幅広い年齢層の聴衆には近藤の演奏を初めて耳にする若い人たちも結構いたようであった。デビュー20周年記念ということもあって、プログラムがベートーヴェン、ショパン、リストの定番の曲になったのかもしれない。今回の注目曲は《リスト:「ノルマ」の回想》。

前半のベートーヴェンは人気の高いソナタ2曲。昨年ベートーヴェンのソナタ全曲録音を完成した後の演奏会で余裕のある落ち着いた演奏ぶり。曲調の違う曲の持ち味が良く出ていた。
後半のショパン2曲とリスト「愛の夢」は何度聴いても心に染みる曲。

プログラム最後の曲《べッリーニのオペラ「ノルマ」の主題によるパラフレーズ》は初めて聴く曲。リストは有名なオペラ、管弦楽曲、歌曲などの作品を300曲以上もピアノ曲に編曲した。「リゴレット・パラフレーズ」は馴染みのある作品で演奏に超絶技巧が散りばめられた曲。べッリーニのオペラのタイトルは聞いたことがあっても、オペラの内容は全く知らない。近藤が取り組むこのピアノ曲はリストの数多の難曲の中でも特に困難を極める曲だそうである。
18分ほどの演奏にかけたエネルギーは相当のものであったことは演奏終了後のピアニストの様子からも見て取れた。詳しいことは分らないが、超絶技巧曲を聴けた貴重な機会になった。日曜の午後に気軽な気持ちで名曲に浸るひと時も楽しいが、目新しい曲を聴く楽しみも格別である。
難曲に全力を投入して疲労困憊した様子であったが、アンコール曲が2曲。「ドビュッシー:月の光」、「ラヴェル:水の戯れ」。ドビュッシーとラヴェル特有の透明感のある美しい旋律がホールに響いて心温まるフィナーレ。ピアニストの心の優しさも聴衆に伝わった。

※本日のプログラムとともにチラシに「近藤嘉宏コンサート特別鑑賞ツアー」のリーフレットが加わっていた。近藤が11月にミュンヘンとウィ‐ンで行なうコンサートに同行する旅行の案内であった。彼はミュンヘンで学び、2004年にはカーネギー・ホール、2006年にはウィ‐ン・ムジ―クフェラインにデビューしている。近年も海外の弦楽四重奏団と共演もしているが、今後一層の国際的な活動も期待される。










札響第589回定期演奏会(ドビュッシーの世界的権威 ポンマー指揮)

昨年4月、札響の首席指揮者に就任したマックス・ポンマーはドビュッシー研究の第一人者として世界的に知られる学者でもあることを今回の演奏会の折に知ることとなった。定期演奏会で馴染みでない曲を紹介してくれるのは個人的には大歓迎である。今回のドビュッシーではポンマー自身校訂の楽譜による演奏。

2016年5月14日(土) 14:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール

指揮/ マックス・ポンマー   ソプラノ/ 市原 愛
女声合唱/ 札響合唱団(合唱指揮/長内 勲)

〈プログラム〉
 ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
 ドビュッシー:夜想曲~管弦楽と合唱のための交響的三部作~
 マーラー:交響曲第4番 ト長調 (ソプラノ/市原 愛)

ドビュッシー(1862-1918)の出世作となったこの作品は22歳の時に作曲された管弦楽曲。コンサートで演奏される機会が多くて親しまれている曲。彼はマラルメ(1841-98)の詩に触発されて「牧神の午後」を絵画化した。牧神がいだく様々な欲望と夢が描かれている。穏やかに奏でられる美しい音色が実に印象的だった。フルートのソロを奏でる高橋聖純の演奏が曲の魅力を引き立てた。
(*ハープ2台の音色も素敵だったが、アンティ-クシンバルという打楽器も珍しかった。)

「夜想曲」はタイトルに馴染んでいなくて、この曲が収録されているCDを所有していることに昨日まで気付かなかった。ハイティンク指揮ロイヤル・コンサルトへボウ管が演奏した曲を早速聴いてみた。2000年に購入してあったCDで今まで1・2度しか聴いたことがなくて、曲のタイトルも全く記憶していなかった。曲は①雲、②祭り、③海の精からなる25分程度の作品。ドビュッシーの曲はピアノ作品に親しんでいて、管弦楽曲は知っている曲は他に「海」くらいである。ドビュッシー特有の色彩感のある幻想的な音の世界がホールに広がった。オーケストラと歌詞のない女性合唱によって作り出される神秘的な音楽が何とも印象的だった。(*合唱団が占める場所のためだと思ったがホルン奏者がステージ上手、打楽器奏者がステージ下手の方に座って通常と違う場所で演奏しているのも珍しいと思った。)

マーラー(1860-1911)が完成した9曲の交響曲の中で「第1番」に次いで親しんでいる曲が「第4番」。小澤征爾指揮ボストン響(ソプラノ:キリテ・カナワ)のCDで親しんでいて、この曲の良さを度々味わっている。明朗で清澄な旋律が親しみやすい。第4楽章で子供の声(ソプラノ独唱)で〈子供の魔法の角笛〉から採られた歌詞が歌われる。マーラーは天国の生活の楽しさを描いた。ソプラノ独唱の市原愛は昨年12月の「札響の第9」に続くポンマーとの共演で彼の信頼が厚く札響に出演する機会の多い実力派歌手。(*第3楽章終了寸前の力強いオーケストラの総奏の最中にソッとステージに登場して一安心。第3楽章終了後の入場だと間違いなく拍手が起こることを懸念していたからである。音楽が途切れなくて良い方法が採られたとホッとしたのである。)
楽器編成がマーラーの交響曲としては最も小さい3管編成で、トロンボーンが使われていないが、多様な打楽器や管楽器の活躍があって面白く聴けた。

プログラムに寄せたマックス・ポンマーの言葉によると、本日のプログラムのキーワードは「世紀末」。20世紀を目前にして時代の転換点を迎えた19世紀末に新しい音楽を作り上げようとした2人の作曲家が書いた曲を届けてくれた。本日の演奏会も録音されていた。ポンマーとオーケストラの相性も良くて演奏会での定期会員との一体感も深まり、今後一層の発展が期待される。

ウラディーミル&ヴォフカ アシュケナージ ピアノ・デュオ 2016

2014年3月以来のアシュケナージ親子の札幌公演。ウラジーミル・アシュケナージは昨年11月には指揮者として札響定期に登場して鮮烈な印象を残した。2011年に始まった長男ヴォフカとのデュオによる日本公演も定期化しているようである。2年ぶりに聴けるピアノ・デュオを楽しみにしていた。

2016年5月11日(水) 19:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール

〈PROGRAM〉
 グリンカ(リャプノフ編曲):幻想的ワルツ ロ短調
 スメタナ:モルダウ
 ラヴェル:スペイン狂詩曲
 ラフマニノフ:交響的舞曲 op.45
 
グリンカ(1804-57)はロシア国民楽派の祖と仰がれる作曲家。彼の作品は《歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲》しか知らなかった。「幻想的ワルツ」は近代ロシアのワルツの原点として愛好されているという。1939年に作曲されたこの作品の原曲はピアノ独奏曲。今回の2台ピアノ版はロシア国民楽派末期の作曲家・ピアニストによる編曲。7分程度の小品。チャイコフスキーにも影響を与えたことが感じられるイタリアで学んだヨーロッパ音楽の雰囲気があった。

本日演奏の4曲とも〈2台のピアノのための4手版〉で2年前のコンサートでも意外に思ったのだが、2台ピアノ版はごく普通に作曲されていたことを再確認した。当時の音楽界では当たり前のことだったようである。

チェコ国民音楽の祖、スメタナ(1824-84)については書くまでもない。オーストリア支配下の祖国でチェコ独自の音楽を作り上げ、代表作《連作交響詩「わが祖国」》の第2曲「モルダウ」は最も有名な作品として演奏される機会が極めて多い。原曲はオーケストラ曲で、2台ピアノ版はアシュケナージ編曲かなと想像していたら、何とスメタナ自身の作曲というから驚いた。メロディは耳慣れていても違う曲のように聴ける新鮮さがあった。

フランスとスペインの国境近くのバスク地方に生まれたラヴェル(1875-1938)はスペインの異国情緒が漂う独特な曲作りで知られる。スペインの民族音楽をそのまま使うのではなく独自の創造性を出している。彼の大部分の管弦楽曲はピアノ曲からの編曲であり、オリジナルの管弦楽曲にもピアノ版がある。ラヴェルの創作活動の特徴だと思う。「スペイン狂詩曲」はケント・ナガノ指揮ロンドン響とインバル指揮フランス国立管のCDを持っているが、メロディが浮かんでくる程には曲に親しんでいない。1908年完成の曲はラヴェルの最初の本格的なオーケストラのための作品。全体は4曲構成で17分程度の作品。第3曲の「ハバネラ」は1895年に2台ピアノ用に書かれた。残る3曲は1907~08年に先ず2台ピアノ用に書かれたという。本日の演奏は勿論2台ピアノ版による。

ラフマニノフ(1873-1943)の「交響的舞曲」は昨年10月の札響定期で広上淳一指揮による演奏をコンサートで初めて聴いて面白いと思った曲。この作品もピアノ版があるとは知らなかった。亡命したアメリカに滞在中の1940年に先ず2台ピアノ版が完成し、彼の自宅でラフマニノフ自身とホロヴィッツによって私的に初演されたという。オーケストラ版は翌年オーマンディ指揮フィラデルフィア管が初演だそうである。晩年になって悩みから解放されたのか自由な曲作り。若い時の自作の引用もあり、祖国への郷愁も表現されている感じもした。ワルツも幻想的で、ラフマニノフ独特の魅惑的な音楽を楽しめた。

今日は安い席のRAから鑑賞したが上手のピアノでヴォフカが使うiPadの楽譜が目を引いた。2年前にはステージ正面からiPadが見えて面白いと思った。今回は画面も見えて譜めくリストの手の動きも観察できて興味深かかった。

アンコール曲は「シューマン:カノン形式の練習曲」。前半、後半ともに40分程度の演奏。終了時間はいつものコンサートより早めの時間だった。帰りのサイン会には長蛇の列で聴衆の数に比しては多い人の群れはアシュケナージの人気の高さが窺がえた。私自身は12年前にサインをもらっていたこともあって長蛇の列に並ぶのを控えた。3週間程の間を置いてのKitaraでのコンサート。体調も漸く回復して、これからは週2回のペースでコンサートを楽しめそうである。

METライブビューイング2015-16 第8作《蝶々夫人》

第7作《マノン・レスコー》に次いで第8作《蝶々夫人》もプッチーニ作曲のオペラ。60年ぐらい前に八千草薫の主演(*彼女の歌は口パク)による日伊合作映画「蝶々夫人」を観た。オペラは外国人の蝶々夫人役は余り魅力的でないという先入観があってか、今まで鑑賞する機会を持たなかった。マリア・カラスが歌う「ある晴れた日に」というアリアはSPレコードで18歳から聴き続け最も聴き馴染んだ曲である。
日本人歌手では90年代に〈佐藤しのぶソプラノリサイタル〉を何年か連続して聴いていた。Kitaraがオープンしてから2年後の1999年のリサイタルで彼女が歌劇《蝶々夫人》より名場面集と銘打って舞台美術や照明を背景に数曲のアリアを演唱したことを鮮明に記憶している。(*当時のプログラムを確認してみると、“ある晴れた日に”、“母さんはおまえを抱いて”、“花の二重唱”、“間奏曲”、“子守歌”、“かわいい坊や”となっていた。)

今回のオペラは10年ぶりに先月ニューヨークで上演された。日本でのMETビューィングは本日5月7日から1週間。2006年に始まったMETライブビューイングを観るようになったのは2011年。その年から毎年数回札幌シネマフロンティアで鑑賞しているが上映初日に鑑賞したのは初めてであった。最近は収容人数が百数十人の会場で上映されているが、今日は今までで一番多くの観客が集まり3列目からほぼ満席で100名以上は詰め掛ける大盛況。
オペラの内容はよく知られているが、衣装など日本文化の描き方を少し懸念していた。結果的に演出は見事で、心地よい音楽、主演二人の迫真の歌唱力と演技力で感動的な上演となった。上演終了後にはメトロポリタン歌劇場の観客と感動を共有できるほどの満足感を味わった。初めてMETライブビューィングに来たと思われる人が“また観に来たい”と感動の様子を口にしていた。

イタリア語上演。全2幕。上映時間3時間30分(休憩2回)。舞台は19世紀末の長崎。アメリカ海軍士官ピンカートンは芸者の蝶々さんを身請けして結婚式を行なう。式場で蝶々さんがキリスト教に改宗したことを知った親戚や友人たちは絶縁を宣言して立ち去る。人々が帰ったあと、愛の二重唱が歌われて第1幕が終わる。
第1幕でのピンカートン役のロベルト・アラーニャは役作りが巧みで前作のマノン・レスコーのデ・グリュー役も圧倒的なテノールの歌声だったが、今回のピンカートン役の方が年齢的にはピッタリで適役として存在感を示していた。第2幕後半に再び登場して後悔しながら複雑な心を歌う演唱も見事。さすが、どんな役でもこなすMETのスター歌手。

3年後、アメリカに帰ったピンカートンからは何の便りもなくて経済的にも苦しい状況に置かれた蝶々さんは彼の言葉を信じてひたすら長崎で彼を待つ。第2幕の最初に歌われる「ある晴れた日に」はソプラノのアリアの中でも最も有名で親しまれている名曲。オーケストラの演奏とともにドラマの名場面が胸を打つ。高音域で歌うクリスティーヌ・オポライスの演唱が素晴らしい。アリア終了後に歌劇場の観客とともに感動を共有できた瞬間は正に印象的。「マノン・レスコー」のマノンとは対照的な女性を演じるオポライスの表現力豊かな演技力と歌唱力は天下一品。悲しみの涙を抑えながら熱唱し続ける姿に心が揺れるほどの名演。
ピンカートンから結婚した妻を連れて長崎を訪れる手紙を受け取ったアメリカ領事シャープレスは手紙を持って蝶々さくんの家を訪ねる。彼は彼女の家で目にした子を見て驚き、言い出せずに帰る。
第2幕第2場。港にアメリカの船が入った知らせに喜んだ蝶々さんは家中に花を飾るがピンカートンは現れない。やがて蝶々さんの目の前に彼の妻の姿があった。子を手放すことを決意した蝶々さんは短刀を手にして自害する。

簡素な舞台装置だが、華麗な衣装や斬新な舞台照明など効果的な演出が光った。広い舞台で何枚もの障子やふすまをスライド式で使用し、文楽人形を使うなど日本文化が漂う演出も良かった。スズキ役のジフチャック、シャープレス役のクロフトは演出家ミンゲラとは10年前の「蝶々夫人」に続く再演だという。個性的な脇役陣も揃ってMETの歌手たちの支えがあったが,何といってもオポライスとアラーニャの名演が際立っていた。オーケストラを指揮をしたカレル・マーク・シションは初めて耳にする名前。レヴァインが音楽監督を辞任したMETで今後も耳にする機会のありそうな指揮者である。

〔追記〕昨日のオペラ鑑賞の余韻が残っていて今日はオペラ全集とマリア・カラスのオペラ・アリア名曲集から《蝶々夫人》の名場面が収録されたCDを聴いてみた。カラスの「ある晴れた日に」は1954年録音、レナータ・スコットの「愛の二重唱」、「ある晴れた日に」は1966年録音で音響面ではMETとは比較のしようもない。単独でアリアを聴くのと、全体の流れの中で聴くオペラとでは感激の度合いが違うのは当然である。原語で書かれた歌詞が参考になったのは確かである。とにかくオペラは実演を全幕鑑賞できるに越したことはない。





カセットテープで聴く音楽で過去の思い出が蘇る

今日、家でクラシック音楽を聴くのはCDかEテレを通してである。ラジオやSP・EPレコードで聴き親しんだのは5・60年前のひと昔になる。LPレコードを定期的に購入したのが40年前であるが、日常的に習慣化して聴けるようになったのは20年くらい前からである。通勤途中のカーステレオで聴くためにカセット・テープを数本購入して、「ヴィヴァルディ:四季」や「ショパン:ピアノ協奏曲」などを聞き流していた時期もあった。70年代にLPは60枚以上購入していた。ウォ―クマンの普及で90年代にはカセットで「ホームクラシック名曲集」、「珠玉のピアノ名曲集」などを買い求めて気軽に聞く習慣をつけた。BGMのようなつもりで聞いていて耳に残る名曲が数多かった。CDを本格的に買うようになったのは1999年以降のことである。

数年前にカセットも使えるミニ・コンポが故障してからはCD専用のプレーヤーだけになってしまっていた。カセットにはCDで求めるのが難しい小品が結構多く収録されている。今年はカセットテープを聴く機会を増やすために1月にコンパクトラジカセを購入した。Kitaraに出かける機会が激減した2月から3ヶ月余りの期間でかなり集中的にカセットで名曲を聴いている。
今まで結構聞き流していた曲に耳を澄ますと新鮮に聞こえる。メロディは何となく耳にしていても作曲家の名をはっきり覚えていないような曲もある。イヴァノヴィッチ、モンボウ、リヒナーなどの名はすっかり忘れていた。羽田健太郎が解説した初心者向けの《ピアノフォルテ全10巻》は名演奏家による7・80年代の録音でCDより音はクリアでないが違った角度から楽しめる。30名以上のピアニストの中で半分くらいの演奏家の名は知らなかったが、アシュケナージ、アラウ、アルゲリッチ、ケンプ、コチシュ、チッコリーニ、バックハウス、ピリス、ブーニン、プレヴィン、ブレンデル、ベロフ、ラローチャ、ルイサダ、ロジェ、ワイセンベルク、ラベック姉妹などの著名なピアニストによる演奏はレヴェルが高いのではないかと感じた。Kitaraに出演したアーティストによる演奏はより身近に楽しめる気分になる。
ラベック姉妹は1970年代に旭川公会堂におけるコンサートで聴いたピアノ・デュオ。NHKクラシック音楽館で姉のカティアか妹のマリエルのどちらかがデュトワ指揮N響と共演していた様子を見て懐かしい想いに浸ったのは昨年のこと。今回も40年以上も前の状況を再び思い浮かべる機会となった。

今回改めてカセットを聴いてみて気が付いたことがある。チャイコフスキー作曲の「四季」は今までアンコール曲として数度聴いた曲。タイトルから4曲程度の組曲かなと思っていた。カセットに収録されていた曲は2曲。「謝肉祭」と「舟歌」はシューマンやショパンと紛らわしいタイトル。それぞれ「四季」より2月と6月。1月から12月までのロシアの詩を基に作った12曲から成る作品という。「舟歌 ト短調」は耳慣れたメロディでアンコール曲として弾かれた曲だと思う。2曲の演奏者ブリジット・エンゲラーは1990年のベルリン・フィル創立100周年記念演奏会にフランスからただ一人招かれ、ロストロポーヴィチや小澤征爾と共演して話題となったそうである。
近いうちにこの組曲のCDがタワーレコードで見つかれば手に入れたいと思う。

※昨日から時計台のボランティア活動を始めた。明日も含めて今月は時計台での活動を6回行なうことにした。Kitaraのコンサートには11日からスタートして5月は7回、6月は8回、7月は9回を予定している。整形外科病院でのリハビリもそろそろ終え体調を整えて予定通りに事が運ぶことを望んでいる。
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fsuterry

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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