ヴァイオリンXチェロ=“クラシックはおもしろい?!”

〈KitaraランチタイムコンサートⅠ〉

三上亮(元札響コンサートマスター)と市寛也(N響チェロ奏者)のお話付きコンサート

2015年10月6日(火)13:00開演 札幌コンサートホールKitara小ホール

〈プログラム〉
 エルガー:愛の挨拶 作品12
 ドヴォルジャーク(クライスラー編曲):8つのユモレスク 作品101 B.187
                             第7番 変ト長調
 ヘンデル(ハルヴォルセン編曲):パッサカリア
 J.S.バッハ:「2声のインヴェンション」より
           第1番、第4番、第8番、第13番
 リムスキー=コルサコフ:熊蜂の飛行
 サン=サーンス:「動物の謝肉祭」より “白鳥”
 マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より 間奏曲
 ピアソラ:リベルタンゴ

上記の作品の演奏時間は35分程度でトークを入れながら1時間のコンサート。今から約半年前の4月27日にザ・ルーテルホールを会場にして「三上亮&金子鈴太郎デュオ・リサイタル」が行なわれた。ヴァイオリンとチェロの組み合わせなので、プログラムは似たようなものになる。ただ、そのコンサートにはピアニストが加わって「チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲」の演奏があった。その時は、その曲が目当てで聴きに行っていた。

そのコンサートではチェリストの金子がトークが得意ということで進行役を務めた。今回は三上が進行役。
最初の「愛の挨拶」は前回はトリオでの演奏。原曲はピアノ曲だがエルガーはオーケストラ用にも編曲した。ヴァイオリンやチェロのためにも編曲されて親しまれている。エルガーの妻アリスは9歳年上で作家でもあったが、結婚後は献身的に夫に尽くし、彼を支えた。妻の亡き後に彼女との婚約記念に書いたのがこの作品。爽やかな美しさをたたえた優しさに溢れた曲。

「ユモレスク」はアンコール・ピースとして耳にする機会が多い。「パッサカリア」は前回のアンコール曲だった。原曲のヴィオラをチェロに換えての演奏。N響のチェロ奏者の市寛也(8月31日のN響札幌公演に出演)はチェロでの演奏は難しいと答えていた。しばしば耳にするメロディでバロック音楽の雰囲気が出ていた。
バッハの「インヴェンション」はピアノ学習者には馴染みの曲で、全部で15曲あるが、そのうち時間の関係で4曲のみ演奏と話があったが、自分にとってそれほど親しのある曲ではなかった。ピアノの右手をヴァイオリン、左手をチェロが担当と説明があったが、ピアノは習ったことは無く余りピンとこなかった。

「熊蜂の飛行」では演奏のテンポに工夫が凝らされて、解りやすい説明があった。最初チェロにテンポを遅くして演奏させて、ヴァイオリンが見本を示し、再度チェロが速いテンポで一部を演奏し直して、テンポの大切さを伝えた。
「白鳥」はチェロの演奏で親しまれているが、ヴァイオリンが旋律を奏でチェロが伴奏。ヴァイオリンとチェロの融合を試みたと言う。
オーケストラ曲の「マスカーニ:間奏曲」では美しい調べがホールに流れた。

最後のピアソラ「リベルタンゴ」はヨーヨー・マの名演奏が話題となって広まったらしい。

約4年前にN響チェロ奏者になった市(Ichi)に若返ったオーケストラメンバーの状況を聞き出していたが、何となくぎこちない進行役。三上のヴァイオリン演奏には惹かれるがトークは慣れつつあるとはいえ得意ではなさそうである。ホール事務局から依頼されたランチの勧めと次回以降のコンサートの聴衆へのコマーシャルにも少々違和感があった。(これは全く個人的な感想である。)

アンコールに応えて「モンテイ:チャールダーシュ」と言って演奏を始めたが、途中から客席から笑いが、、、。共演者は違うが、メロディがいつの間にか日本で流行った演歌「津軽海峡冬景色」に変わった。半年前と同じ、演奏自体は素晴らしいが、各地で笑いを取る工夫をしているらしい。反応は人それぞれだろうが、今回のコンサートの流れは自分の好みには合わないと思ったのが正直な感想。今回は普通のコンサートと違ってホールの支援があっての低料金でのコンサートだったので、欲は言えない気もした。

低料金で40分程度のミニ・コンサートは歓迎。ランチタイム・コンサートは12時前後が望ましい。ランチの時間が2時過ぎになるのは一般的ではない気がする。個人の好みによるが、コンサートは余計なトークは無い方が良い。(最低限の曲の解説だけで良い。)

三上亮は2007年から11年まで4年間、札響コンマスを務めた後、室内楽を中心として全国各地で幅広い活動を展開していて人気のヴァイオリニストである。単音しか出せないヴァイオリンやチェロで演奏会を開くのは曲も限られているので難しいと思う。三上は新しいことに挑戦しているのではないかという気がする。今後の一層の活躍を期待したい。

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前橋汀子アフタヌーン・コンサート2015

前橋汀子は日本を代表するヴァイオリン界の第一人者である。今日では海外の音楽院で学ぶ学生は雨後の竹の子のごとく無数にいるが、彼女の時代はごく限られた人にしか与えられない環境の下での海外留学であった。17歳で旧ソ連国立レニングラード音楽院(現サンクトペテルブルグ音楽院)の日本人初の留学生に選ばれ、3年間学んだ。その後、ジュリアード音楽院でロバート・マン、ドロシー・ディレイの指導を受け、さらにスイスでシゲティ、ミルシティンの薫陶を受けた。こんな経歴のヴァイオリストは他にいないだろう。
その後の国内外での活動は言を待たない。現在では彼女の後を継ぐ日本の若い有能なヴァイオリニストが続々と輩出している。

以前暮らしていた旭川でも彼女の演奏会は聴いたことがあると思うが、記録がない。92年から05年までは6回だけだったが、10年のリサイタルを切っ掛けに毎年のリサイタルを聴くようになった。12年秋から始まったアフタヌーン・コンサートは毎年聴くほどではないと思っていたが、その時期になるとKitaraに足が向く。
古稀を越えて前橋の演奏活動は疲れることを知らない。14年4月の《バッハ無伴奏ヴァイオリン全曲演奏会》の迫力あるリサイタルは今も脳裏に残る。

2015年10月4日(日) 1:30PM 開演  札幌コンサートホールKitara 大ホール

〈プログラム〉
 エルガー:愛の挨拶
 ベートーヴェン:ロマンス第2番 op.50
 べートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番 op.47 「クロイツェル」
 クライスラー:ウィ-ン奇想曲
 クライスラー:プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ
 パガニーニ(クライスラー編):ラ・カンパネラ
 サン=サーンス:動物の謝肉祭より 「白鳥」
 ショパン(サラサーテ編):ノクターン第2番 op.9-2
 ファリャ(クライスラー編):スペイン舞曲第1番
 サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン

定刻に間に合わずに遅れて入場する人を待つことを指示したように推察されるが、コンサートは定刻より5分以上遅れて始まった。毎回、前半は予定のプログラムがすべて終了してからステージを下がる。着慣れないロングドレスを引きずって何度も出入りするのは好まない様子である。演奏も一気に自分のペースで弾き切り、集中力を切らさないようにしているように思われる。
今回は特に前半のプログラムの中断を嫌って開始時間を遅らせたように思った。

昨年は楽章間の拍手が無くて良かったが、今年は第1楽章終了後に拍手をする人がかなりいた。第1楽章の終わりが劇的だったので、曲が終ったと思ったようだ。プログラムには第1楽章、第2楽章、第3楽章と3行で示され、楽章間の拍手は遠慮するように書かれていたのだが少々残念であった。演奏家の集中力を妨げてしまったが、前橋は軽く一礼して対応した。(*拍手を無視して、自分の集中力を保つ演奏家が多いように思う。)
「クロイツエル」の演奏自体は前橋の迫真の演奏によって聴衆の満足度は非常に高かった。このヴァイオリン・ソナタの中の最高傑作は何度聴いても感動する。

後半のプログラムはヴァイオリンの小品名曲集。
クライスラーの「プニャーニ様式による前奏曲とアレグロ」は聞いたことのない曲名だと思っていたが、Midoriのアンコール曲集に「前奏曲とアレグロ」の曲があるのに気付いた。クライスラーは自作のオリジナルでも他の作曲家の名を使って編曲のように思わせることを本で読んだことがあった。プログラム・ノートにもオリジナル作品と書かれていた。
後半の7曲は一気に演奏された。1曲終わるごとの聴衆の拍手喝采は絶えることがなかった。超絶技巧を駆使して全力で弾き切った後に、曲調がすっかり変わる曲の演奏も見事で聴衆も心を奪われるほどであった。
昨年と同じ曲はプログラム変更で結果的に新たに加わったファリャの曲だけ。馴染みのある名曲集に客席を埋めた聴衆を感動の渦に巻き込んだコンサートは大いに盛り上がった。

予定のプログラムを息つく暇もなく演奏し続ける彼女の体力と集中力に改めて驚きさえ感ずる。 前半は真っ白のドレス、後半は真紅のドレス。演奏終了後に一度ステージを離れて、再登場してアンコール曲に臨んだ。
アンコール曲は①ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女、②ブラームス:ハンガリー舞曲第1番、③ブラームス:ハンガリー舞曲第2番。

ピアノの松本和将を促してのアンコール曲の披露に聴衆は大喜び。全席指定席の同一料金で1階は満席。3階とP席などは売り出されなかったが、2階もかなりの入りで、1200名ほどの聴衆。コンサート終了後、“今日のコンサートはお得だった”と言っている人もいた。今回はサイン会もあって多分ホワイエも賑わっていたのではないか。

札響第581回定期演奏会 ラフマニノフ・プログラム(広上淳一&小山実稚恵)

広上淳一は近年札響と馬が合うのか共演機会が多い。何と言っても広上を有名にしたのは1984年のキリル・コンドラシン国際青年指揮者コンクール優勝。86年にはハイティンクの代役で当時のアムステルダム・コンセルトへボウ管と共演して評判をとった。以後、ロンドン響、バイエルン放送響など世界屈指のオーケストラへの客演が始まった。彼の名はスウェーデンのノールショピング響の首席指揮者として活躍していた当時のCDを2000年頃に偶々買い求めたことで知った。札響と共演した04年の演奏会で彼の指揮ぶりを観たのが最初。08年に京都市響常任指揮者に就任して以来、札響への客演が増えた。Kitara登場も今回が8回目。彼は世界の様々なホールで演奏してきたがKitaraのホールは間違いなく十本の指に入ると語ったことがある。

小山実稚恵は言うまでもなく世界に誇る日本のピアニスト。今年は彼女のデビュー30周年を記念しての演奏会が60数回に及ぶ。彼女は12年間に亘る壮大なプロジェクト“リサイタル・シリーズ”を06年より展開中。Kitara小ホールで年2回は彼女の演奏を聴く機会がある。今回は大ホールでピアノ協奏曲を聴く機会ができた。今回が彼女の演奏を聴くのが28回目。

2015年10月3日(土) 14:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール
 
〈プログラム〉
 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 op.30
 ラフマニノフ:交響的舞曲 op.45

ラフマニノフ(1873-1943)自身がピアノを弾くピアノ協奏曲のCDをレコード店で見つけてワクワクして購入したことを思い出す。オーマンディやストコフスキー指揮フィラデルフィア管による原盤が1940・41年物。(最初に手に入れたのが「第1・4番、パガニーニの主題による狂詩曲」。その後、「第2・3番」も手にしたが録音年代が古いためノイズがあった。)
「第3番」はアシュケナージ、ホロヴィッツ、アルゲリッチ、ベレゾフスキーのCD、一番新しいのが93年ライヴ録音の小沢征爾指揮ボストン響&キーシンの最新盤。これは素晴らしい演奏で特に気に入っている。
生演奏で「第3番」を聴いたのはPMF2007でベレゾフスキーによる演奏が強烈な印象が残っている。その他では。2011年の清水和音が全4曲を演奏したことも忘れられない出来事であった。(*04年4月の札響定期での小山の演奏は聴き逃していた。)

「ピアノ協奏曲第3番」は1907年にドレスデンで着手された。完成は09年、アメリカの演奏旅行の最中であった。初演はニューヨークでニューヨーク・フィルとラフマニノフのピアノで行われた。翌年、マーラー指揮ニューヨーク・フィルと再演。人気の「ピアノ協奏曲第2番」と同じようにロシア的情緒が歌われるが、手の大きなラフマニノフが駆使した演奏技術がふんだんに盛り込まれており難曲として知られる。フィナーレ、大詰めにかけての盛り上げの見事さはラフマニノフの名手の腕の見せ所である。ホロヴィッツが演奏機会を多くして第2番に劣らぬ現代の人気曲にしたと言われている。

ピアノ協奏曲を聴くのに運指の様子がハッキリ見える絶好の座席から鑑賞できた。小山実稚恵は美しい長い指を自由自在に使っていた。比較的女性には難しいと思われる曲を期待通りに美しく絢爛豪華に弾いた演奏終了後にはあちこちから“ブラヴォー”の声があがった。04年の尾高指揮札響定期でも「第3番」を弾いているというから、彼女の得意曲と言えるだろう。堂々とした揺るぎない演奏は日本の第一線で活躍する姿を聴衆に力強く印象づけた。

いつも通り、謙虚な態度で聴衆の拍手に応える小山実稚恵。延々と続く盛大な拍手に応えて弾いたアンコール曲は「スクリャービン:左手のための2つの小品 作品9-2より ノクターン」。 左手だけの演奏で単調にならない高度な演奏ぶりは見事!

ラフマニノフの最後の作品となった「交響的舞曲」は1940年にニューヨークで書かれた。この作品は〈交響曲第1番〉などの自作からの引用も見られ、ラフマニノフ自身の新しい人生だけでなく、ロシア的な雰囲気も取り入れた作品になっている。
第1楽章ではダイナミックな主題。オーボエとクラリネットのデュオにサクソフォーンの長い旋律が印象的。コーダに自作の引用が流れる。第2楽章は3つのワルツとコーダから成る。第1楽章の主題から派生したワルツの主題は幻想的で不安感が漂う。当時の戦争への暗い雰囲気のせいかも。第3楽章はグレゴリオ聖歌[怒りの日]のモティ―フを中心にしたフィナーレ。華やかで壮大なロシア的風土を感じさせた。

余り聴く機会のない“Symphonic Dances”は今回に備えて所有しているCD、ラトル指揮ベルリン・フィルとプレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管の演奏を予め聴いておいた。
やはり生演奏に接してみると、曲がより鮮明に浮き上がってくる。「交響的舞曲」は3楽章構成。各楽章に舞踏的な性格があるが、「ハンガリー舞曲」や「スラヴ舞曲」のように躍動的でシンプルな舞曲を連ねた作品ではない。どちらかと言えば、悲劇性を帯びたシンフォニックな曲。当時の暗い時代状況やラフマニノフ自身の不安感が表現されていると考えられる。

小柄な広上がワルツで踊るような仕種を時折見せて大きな手の振りでオーケストラから音を引き出す。先日のN響での指揮ぶりをテレビで観ている時は顔の表情も目立った。今回は顔の表情は見え無かったが、オーケストラを掌中にいれるテクニックを心得ているのが見て取れる。

楽器構成は通常の楽器編成にピアノ、ハープ、6つ以上の打楽器、サクソフォンが加わった。管楽器、打楽器、ピアノなどの活躍が目立った作品で面白かった。演奏終了後に指揮者へのカーテンコールが長く続いた。

帰りのホワイエは出演者のサイン会があって混みあっているようであった。

小山は11月20日に小ホールで開かれるリサイタル・シリーズに再登場。広上は12月23日の「Kitaraのクリスマス」で大ホールのステージに再び立つ。

教師冥利に尽きる人の繋がり

これまで英語教師として勤めた高等学校は3校である。1961年3月に大学を卒業して最初に勤務した学校が北海道浦幌高等学校であった。浦幌町は帯広と釧路のほぼ中間に位置する。昭和36年4月に全日制課程が設置された年に赴任した。1学年2クラス編成で定員80名でスタートしたが、教育レベルを高くしたこともあって第一期卒業生(昭和39年3月卒業)は73名。教師を含めたクラス会が始まったのが、新校舎落成と学校創立35周年を記念した昭和61年12月だったと記憶している。その折に浦幌町の留真温泉に教師4・5名と生徒20名ほどが集まった。

その後、2001年から浦幌・帯広在住者、札幌在住者が交互に幹事となって2年ごとにクラス会を開催して、クラス担任だけでなく教科担任にも案内状を出していた。札幌開催の折には比較的多くの参加者がある。会を重ねて東京在住者が幹事となって2013年は2泊3日の予定で卒業50年目の修学旅行という画期的なプログラムで開催された。参加者は常時、30名ほど。今では物故者が生徒15名、教師3名となってしまったが、今年も24名の参加者があった。宿泊を伴う会合は参加者相互の関係が深まり、教師・生徒の枠を越えた心の交流がある。特に東京でのクラス会は楽しい旅の計画もあって参加者相互の人間関係がより一層深まった。

浦幌・札幌・東京と3地区にそれぞれ幹事を置いて、当番幹事を中心として協力関係が出来ていることも参加率の高さにも繋がっている。このような協力関係が参加率の高さだけでなく、参加者相互の心の繋がりに貢献している。
今年の当番幹事は帯広・十勝・浦幌地区で9月29日に帯広のホテルで会合を開いて、翌日は浦幌ツアーのプログラム。私自身も30年ぶりに浦幌を訪ねることになった。1963年には人口が15.000人ほどであったが、今では5,000人ほどの街になっていた。それでも外観は新しい商店、住宅や庁舎などが立ち並んで小奇麗な街に一変していた。立派な町立博物館も18年ぐらい前に開館して今年で入館者が15万人に達したというから凄い。山の麓にあった旧校舎は跡形もなくなっていて当時の体育館だけが残っていて屋内ゲートボール場として利用されているようだった。周囲の環境もすっかり変わっていた。十勝毎日新聞の取材があって旧体育館をバックに写真撮影。

今回の幹事のもてなしは素晴らしい心のこもったものだった。前回の東京の計画に刺激を受けて、浦幌ツアーというプログラムを作ってくれた。 在職した8年間(1年間は米国留学で休職)で市街地しか知らなかったが、生徒が通っていた小中学校がある地区を含めて6・7台の車で案内してくれたのである。緑の木々の続く道路を通って雲の切れ間から見える青い空のもと、車は川沿いを山に分け入って行く。道道の両側に延々と続く畑は実りの秋を迎えて農家は大忙しなのだろうが人の姿は見えない。そのくらい農地は広い。太平洋に面した海岸線や日高山脈を見渡せる場所まで車は走行してくれた。

浦幌の広いことは分かっていたが、車で走ってその広大な自然の素晴らしさを味わえた。生徒が育った環境を知らなくても、当時は教育に直接結びつくことは無かった。私のクラスから教員になった生徒が4名いたが、その生徒の一人が自家用車で案内してくれた。古稀を迎えて今も弱い立場に置かれた児童・生徒の指導に定期的に携わっているようであった。

懐かしい町を訪ねる浦幌ツアーが終ると、幹事は参加者が帰路に就く場所まで送ってくれる配慮も嬉しかった。私は帯広駅まで送ってもらった。道中お互いに分け隔てなく接していたが、当時は熱意だけで教育に携わっていた未熟な教師であった自分自身にごく自然にいろいろ配慮して接してくれることに一段と教師冥利に尽きる想いをする旅であった。

2年後は札幌が会場でどんな新しいプログラムになるか楽しみである。

※修学旅行は引率で行く回数が多かったが、浦幌高校第一期生は全日制の上級生はいなかったので春休み中に修学旅行が実施された。日程は当時12泊13日であった。(函館起点で11泊12日。道内は鈍行列車の利用で車中泊6日、旅館泊6日。) 車中泊で眠れなかったのが辛い思い出。東京・京都・奈良のほか日光・鎌倉・江の島・小豆島・高松までの旅は今では信じられない程だが、当時は修学旅行が終ると旅行する機会は一生ないと考えられていた。舟木一夫の「高校三年生」が流行っていた時代で、今日でも《クラス会のしおり》に校歌と共に歌詞が必ず載っていて歌われる。
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fsuterry

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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