ミニコンサート(by 中江早希)in Steinway Studio

旭川出身のソプラノ歌手、中江早希は昨年6月のオルガンサマーナイトコンサートで第16代札幌コンサートホール専属オルガニスト、オクタヴィアン・ソニエと共演した。 その時の彼女の歌声が素晴らしかったので、身近に感じれるホールで聴いてみようと思った。

ピアニスト新堀聡子と株式会社井関楽器の企画によるミニコンサートが二年半前に始まった。月一の企画で今回が30回目という。私が初めてスタインウェイスタジオでのミニコンサートに出かけたのが昨年2月の下司貴大(*現在イタリア留学中)のバリトンのコンサート。凄く近い距離で、音をすべて聞き取れるので迫力のある美声を楽しめた。2度目は先月のヴァイオリニスト鎌田泉のコンサートでサロン風な雰囲気で他のホールとは違った趣があるのが良かった。それに続いて今回が3度目である。

2015年3月29日(日) 14:00~14:45  井関楽器札幌3F スタインウェイスタジオ

中江早希(Nakae Saki)は旭川出身。今まで数々の音楽コンクールで入賞し、第12回中田喜直記念コンクールで大賞、第25回ハイメス音楽コンクール声楽部門で第1位、第11回東京音楽コンクール声楽部門第3位(1位なし)。現在、東京藝術大学大学院博士後期課程に在籍。東京芸大の各種コンサートで高関健や湯浅卓雄などと共演。オペラでの活躍が目立つ。東京・札幌・旭川でリサイタルや室内楽などでも活躍中で将来を嘱望される若手ソプラノ歌手。

[PRPGRAM]
すべてリヒャルト・シュトラウスの作品。
~香り漂う花の歌曲~
 ○バラのリボン  ○矢車菊  ○ポピー
~オペラチック歌曲~
 ○セレナード  ○言われたことは それでおしまいではない ○15ペニヒで ○アモール
 
◎4つの最後の歌
 1.春  2.九月  3.眠りにつこうとして 4.夕映えの中で

R,シュトラウス(1864-1949)はドイツの作曲家。交響詩の作品が多くて有名であるが、昨年は彼の生誕150周年に当って各地で演奏される機会が多かった。「家庭交響曲」「アルプス交響曲」などの交響曲も書いているが4楽章から成る伝統的な交響曲は知られていない。偉大な作曲家で、歌曲は160曲以上も作品を残している。「2つの歌」、「3つの歌」、「4つの歌」、「5つの歌」、「6つの歌」、「8つの歌」と一まとめにして数多くの作品を書いた。

プログラム最初のテーマは「花」。配布された〈ちょこっと解説〉によると、「矢車菊」は4月に咲く青い花。「ポピー」は夏に咲く花。花のカラー写真も載せられていた。
次はオペラ風の4曲。中江はオペラの曲が似合う。歌詞の日本語訳も見ながら聞いたが表情豊かな演唱で面白かった。
“Amor”は「愛」の歌。[ソプラノのための3つの賛歌]がオーケストラと独唱付きで1921年の作品にあるので、その3曲目かなと思った。(*帰宅して調べて判った。)
コロラトゥーラの技巧が愛の神様キューピットのケラケラ笑いや飛び回る様子などが描かれる。超絶技巧が駆使された曲。簡単に披露できる曲ではない、彼女ならではの曲。改めて素晴らしい声の持ち主だと感心するばかり。

[4つの最後の歌]はシュトラウスが亡くなる前の1948年の文字通り、「4つの最後の歌」。ヘルマン・ヘッセの詞に曲をつけた。私は歌曲は余り知らないし、シュトラウスの歌で聴いたことがあり、曲名を知っている唯一の歌。「4つの歌」をたくさん書いているので《最後》のと付いている理由が今回初めて判った。今まで森麻季や藤村実穂子の歌で聴いたことはあるが、タイトルは知っていてもメロディなどには親しんでいない。一流の歌手が歌う難曲だという認識はあった。オーケストラを伴う曲なので、歌い甲斐のある作品なのだろうと思う。

ピアニストの新堀聡子も大したもの。普通のピアノ伴奏とは訳が違う。オーケストラのパートをピアノで表現するのは大変だったと思う。井関楽器ピアノ講師としての仕事よりも大変だったのではないかと勝手に想像した。でも、これが彼女の成長にも繋がると素人ながら思った次第。

[4つの最後の歌]は大曲である。博士課程リサイタルの曲目だったかも知れないと最後にふと思った。中江の将来を見据えた通過点なのだろう。とにかく素晴らしい歌声が聴けて楽しかった。80席ほどのホールで歌声を聴くと臨場感が得れる利点がある。
アンコールに「明日」を熱唱。また、いつの日か彼女の歌声を耳にしたい。近い将来に日本を代表するソプラノ歌手になっていることを願う。


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札幌北高等学校合唱部 第34回定期演奏会(2015年)

今年も最後の勤務校であった高校の合唱部から招待券が届いていた。昨年の定期演奏会は南米旅行のためコンサートは聴けなかった。今年は2年ぶりの定期演奏会。毎年3月の定期演奏会はKitaraが会場となっていたが、現在Kitaraは改装工事が行われていて休館中。Kitaraがオープンする前の会場であった札幌市教育文化会館大ホールを使用してのコンサート。娘が同校合唱部に所属していたので平成元年に妻と一緒に出かけて聴いたことを思い出す。

当時のプログラムと比べて気付いた違いは後援の欄。以前は札幌北高等学校合唱OB会と札幌北高等学校生徒会。 現在は札幌市・札幌市教育委員会、札幌合唱連盟、北海道新聞社、北海道札幌北高等学校合唱部OB会。
各学校の音楽活動に対する行政機関や民間の理解や協力の意識が高まってきた証だろうと思う。

2015年3月28日(土) 開演18:00 札幌市教育文化会館大ホール
 
〈プログラム〉
 1st Stage 谷川俊太郎と「いのち」
 2nd Stage [OBステージ] 混声合唱のための「ラプソディ・イン・チカマツ」
 3rd Stage いつかの想いへ ~ Sometime ago, sometime soon ~
 4th Stage [ 合同ステージ] 歌い継ぐうた

最初のステージに入る前に恒例の校歌斉唱が行われた。舞台に姿を見せた人の数は何と180名ほど。舞台正面に収まり切れずに横にも並んでの斉唱。2階客席から私も思わず口パク。(声が出ないように気を付けた。)

1st Stageは「いのち」というテーマに似合うスケールが大きく、温もりのある4曲。
       作詞はすべて谷川俊太郎。
 1.Prelude (混声合唱とピアノのための組曲「天使のいる構図」から) 作曲:松本望
    2015年Nコン課題曲も手掛ける作曲家は札幌北高OG(49期)で、同高百周年記念歌の作曲者。松本望は東京藝術大学大学院修士課程作曲専攻を修了後、パリ国立音楽院在院中にこの作品を男性合唱組曲として書いた。彼女は2011年の札北高定演にも委嘱作品の初演でピアノ伴奏。現在作曲家・ピアニストとして活躍中。
 2.いのち 作曲: 鈴木輝昭
    2010年度Nコン課題曲の書き下ろし作品。溌剌とした若さ溢れる曲。
 3.鳥(混声合唱のための「地球へのバラード」から) 作曲:三善晃
    生、愛、死 という普遍的なテーマ。
 4.木(混声合唱組曲「いまぼくに」から) 作曲:信長貴富
    今年度のコンクールで取り上げ、全国高等学校総合文化祭など多くの発表会で取り組んだ作品。

全体的に格調の高い高度な技量を要する曲を合唱部(男子18名、女子36名)全員が一年かけて取り組んできたことがうかがえる出来栄えであった。

2nd Stageに登場したOB・OGの人数は約120名。曲名が「近松門左衛門狂想」で意外性が大。合唱曲にこのような作品があるのかと思って興味津々であった。合唱部顧問の平田先生の解説によると作曲は千原英喜で、日本伝統の音素材と西洋の音楽を融合させた多くの作品で知られる作曲家。この作品でセリフ、囃子ことば、太鼓などを多用して、近松が描いたファンタジックな世界を再現したそうである。
「壱の段」、「弐の段」から成る。何となく浄瑠璃の世界に引き込まれ、近松門左衛門の「曽根崎心中」、「心中天の網島」などの作品が思い浮かんだ。
大変意欲的な試みであると思ったと同時に、札幌在住の卒業生ばかりでなく、東京などから駆け付けた人たちの演奏会に向けたエネルギーは相当なものだと痛感した。

3rd Stageは「恋」をテーマに2・30年前に流行した歌に想いを込めた曲の数々。
曲名が判ったのは「プレイバックpart2」と「年下の男の子」の2曲だけ。「キラキラ」と「Time goes by」はタイトルは良く知らなかったがメロディは聞き慣れていた。耳にしたメロディだが、曲のタイトルは見当もつかない「ロマンスの神様」と「糸」。“中島みゆき”は《マッサン》でも話題になった有名人だが、“広瀬香美”の名はハッキリと覚えていない。
一番印象に残ったのは歌を始める前の《語り》の上手さ。正にプロ級。芸能人顔負けの語りは知性が感じられて優れていた。現代の高校生の幅広い能力に感心した次第。楽しさも伝わってきて歌唱力も結構なもの。衣装にも工夫を凝らして好感が持てた。

4th Stageは合同ステージ。180名もの合同合唱は迫力十分。過去15年余の間で異なる世代で複数回演奏した曲目を集めての演奏。
 1.はじめに・・・・・・  作詞:長田弘、 作曲:松下耕  
 2.なぎさの地球   作詞:大岡 信、 作曲:木下牧子
この2曲は過去のNコン課題曲。1は2000年度、2は2002年度。

 3.やわらかいいのち(混声合唱組曲「あなたへ」から) 
              作詞:谷川俊太郎、 作曲:松本望
 4.厄払いの唄(混声合唱組曲「ねがいごと」から) 
              作詞:木島始、  作曲:信長貴富
この2曲は北高が発信した曲。3は2003年東京文化会館主催の合唱作品作曲コンクールで最優秀賞を受賞した組曲。委嘱曲ではないが、北高49期の作曲者が当時大学院生の時の作品。2011年全日本合唱コンクール課題曲。(彼女は私が定年退職した1999年3月卒で、その活躍ぶりが雑誌「音楽の友」からも窺がえる。) 4は26回定演の委嘱初演。「厄払いの唄」は極めてユニークな曲で印象に残った。江戸時代に大晦日の家々を回る〈厄払い〉の口上にのせて、人々に降りかかる災難、疫病を、自分があの世に持って行こうと語りかける詞。 北高生にあった曲を委嘱してクリエイティブな音楽に取り組む意欲は素晴らしくて心より敬服します。

 5.願い -少女のプラカード(混声合唱組曲「五つの願い」から)
              作詞:谷川俊太郎、 作曲:三善晃
 6.かどで(混声合唱組曲「嫁ぐ娘に」から)
              作詞:高田敏子、 作曲:三善晃
最後の2曲は三善晃の作品。5は定演で何度も歌い継いできた曲。6は三善の平和への願いが込められた曲。

何度も演奏したい名曲を集めたこともあって今年度は例年よりも多くの卒業生が集まって定演を楽しんだ様子で何よりである。例年より収容人数の少ないホールだったせいか満席状態で2階席後方で立っていた聴衆もかなり目立った。
今日は私の誕生日だったが、お祝いをしてもらっている気分になって演奏会を楽しんだ。

※昨年の誕生日はペルーからブラジルに向かう日で、ディナー会場はブラジルのホテルの非常に大きなレストランだった。会場に入るとグランドピアノから曲が流れていた。食事を始めると間もなく“Happy Birthday to You”のメロディが流れた。「アレ!」と思ったらボーイが巨大なケーキを持って私たち日本人のテーブルにやってきた。その時はもう気付いていた。旅行会社の添乗員から贈り物も頂き、20数名の旅の仲間からも祝福されて感激した。この齢になってもお祝いをしてもらうのは良い気分である。
今日はコンサートの前に早めの夕食でワイフにいつもより豪華な食事を用意してもらったこともあり、よい気分で演奏会に臨めた。音楽で豊かになる生活を楽しめるのは幸せである。北高の関係者の皆様有難うございました。



市川海老蔵特別公演 源氏物語 (邦楽と洋楽のコラボレーションの舞台劇)

コンサート鑑賞がしばらく無かったので、先日のブログの話題は本年度のアカデミー賞候補の映画にしてみた。当日のクラシックの記事ランキング部門で第1位に載っていてビックリ仰天。音楽記事ではないから該当しないと思っていた。私のブログは固定した購読者が殆どいないはずなので基準が判らない。ブログ全体のランキングがあるのは判っていたが、各記事にランキングがあるのは1ヶ月ほど前に気付いたばかりである。
以前は全然気にしていなかったが、気付くと正直言って全く気にならないわけではない。

私の妻は市川海老蔵フアンで彼のブログを毎日読んでいるようである。本日の公演も彼女を通して何ヶ月も前からチケットを手に入れていた。

市川海老蔵は今や歌舞伎界の中心人物であるが、まだ彼の歌舞伎の実演は観たことが無い。2003年NHK大河ドラマ「武蔵」での宮本武蔵役は彼が25歳ごろの作品。この頃、11代目市川海老蔵襲名披露フランス公演があったと思う。07年パリ・オペラ座で父の団十郎と共に行った初の歌舞伎公演は話題を呼んだ。
映画では11年「一命」、13年「利休にたずねよ」で主演。2014年の日本アカデミー賞では利休の演技で優秀主演男優賞を獲得。ドラマや映画界での活躍も目覚ましい。
シネマ歌舞伎では12年1月と2月に泉鏡花の戯曲による「天主物語」と「海神別荘」を坂東玉三郎と共演。凛々しい演技を披露した。「海神別荘」は今秋再上映される予定という。

紫式部の「源氏物語」は原文、口語訳は良く知られているが、全物語を読破するのは大変である。私自身はそれほどの興味・関心は無かったので全ての物語を詳細に知っているわけではない。
但し、昔から何度も映画化されたりして何回か観たことがある。02年「千年の恋 ひかる源氏物語(出演:吉永小百合、天海祐希)、つい最近では11年「源氏物語 千年の謎」(出演:生田斗馬、中谷美紀、東山紀之)が記憶に新しい。

海老蔵は2000年、歌舞伎座で「源氏物語」の光君を演じている。

14年4月、海老蔵は日本の伝統芸能の歌舞伎、能をオペラと融合させた幻想的な舞台を「源氏物語」という日本の代表的な作品を通して創作した公演を京都南座で成功させた。
この公演が大評判となって今年の全国公演に繋がったようである。

札幌公演は2015年3月25日(水) 昼夜2公演。夜の部を鑑賞。於:ニトリ文化ホール。

紫式部の全54巻に亘る物語は余りにも長大なので物語の一部を切り取って上演されるのが常である。
最初の舞台は石山寺の一室で作者である紫式部の登場で始まる。(*この場面は25年ほど前に修学旅行の引率の折に訪れたことがあり、歴史的に由緒ある場所である。)彼女の語りでストーリーが始まる。全2幕。
 
第1幕 冬の巻 雪の石山寺、     春の巻 宮中桜の巻
第2幕 夏の巻 夕顔の咲く頃     秋の巻 光と影の間

今回の舞台劇は海老蔵の新企画で歌舞伎を広める諸活動の一環で若者にも広く歌舞伎に親しんでもらうための新しい試み。日本の古典芸能である《歌舞伎・能》と西欧の《オペラ》をコラボレーションするという大胆な企画。

カウンターテナー歌手の歌声が厳かに響き渡って、更に物語が展開する。洋楽器(リコーダー、リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバ)と和楽器(三味線、小太鼓)の音色がオーケストラの響きで静かなBMG.。舞台では満開の桜の下で宴が催される中で光源氏は父桐壷帝の妻の藤壺に亡き母の面影を探し求めて女性の間を彷徨う。その後、夕顔と巡り合うが嫉妬に燃える六条御息所(能楽師)の生霊が現れ紅葉の中で夕顔は嬲り殺される。周囲から“光の君”ともてはやされても、常にさびしい孤独感に陥っている光源氏。

六条御息所の恋慕の情と嫉妬の情が能面で対照的に演じられるのも歌舞伎に取り入れた新しい手法で興味津々。

光源氏は“光”ではなく“影”の中に身を置いてしまう。自分の生き方を問う光源氏に紫式部は「自分の信じる道を歩みなさい」と告げる。

衣装が豪華で、舞も美しく、舞台美術も優れていて、能の持つ幽玄さも表現されていた舞台。カウンターテナーやソプラノが原語で歌う歌唱も違和感なく歌舞伎・能の世界に融けこんていたように思えた。

人気の海老蔵の来演で満席の会場には歓迎ムードが漂っていた。闇夜の場面で光の君と夕顔がステージを降りてホールの通路を利用する様には観客も大喜び。歌舞伎だけでは集まらない観客も押し寄せて大人気の催し物となった。緞帳のあるホールで久しぶりの鑑賞だったが、カーテンコールが3回もあった。家路に着く年輩客の満足げな表情と興奮さめやらぬ若者のはしゃぎぶりが対照的であった。

2月28日の名古屋に始まり4月9日東京オーチャードホールの千穐楽まで全国18カ所、25日間、1日2公演を含む全43公演は正に驚異的な公演スケジュール。全国のファンの期待に応えてのスケジュールであると思うが、くれぐれも健康に留意して無事に全公演を終えることを祈りたい。歌舞伎専用の舞台が出来て、安い料金で鑑賞できる日が来ることを期待したい。


本年度アカデミー賞主要部門ノミネート作品の映画鑑賞

Kitaraが2月16日より休館になってから本年度アカデミー賞ノミネートの状況をネットで検索した。2月下旬のアカデミー賞発表前で丁度良いタイミングであった。作品賞などの話題作の再上映の3作品を発表直前に鑑賞した。《フォックスキャッチャー》、《6才のボクが大人になるまで》、《グランド・ブダペスト・ホテル》。
2作品は昨年の早い時期に上映済みで、今回が再上映だった。2作品とも見ごたえがあって面白かった。《6才のボクが大人になるまで》は6才の少年とその家族の変遷の物語が12年間に亘って同じ主要キャストで撮り続けた画期的な映画。両親役のイーサン・ホークとパトリシア・アークエットの演技は助演男優賞と助演女優賞の有力候補だと思える好演。

アカデミー賞発表後、3月に入って、《アメリカン・スナイパー》、《博士と彼女のセオリー》、《イミテーション・ゲーム》、《インツゥ・ザ・ウッズ》を鑑賞した。
一番興味を抱いたのがホーキング博士に関わるストーリー。30年ほど前に「ホーキング、宇宙を語る」という本を読んだ。博士がALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を背負って研究を続けた天才物理学者の姿は世界に紹介された。その後、日本でも同じ病気と闘っている人々が少なからずいることも判った。余命2年と宣告されながら、5年、10年と“余命”が伸び、子どもにも恵まれた。この映画は博士の妻の著書に基づいて作られた。ホーキング博士を支えた妻の話は知らなかったので極めて興味深い感動的なドラマとして鑑賞できた。“命ある限り望みがある”という生き方は人々に感銘を与える。
 
《INTO THE WOODS》はメリル・ストリープが助演女優賞の候補になっていたので観てみた。彼女の出演する映画を数多く観ているが、彼女はどんな役でも見事にこなす。79年、「クレイマー、 クレイマー」で助演女優賞、82年、「ソフィーの選択」で主演女優賞をそれぞれ初受賞。以来、アカデミー賞多数受賞の大女優である。女優歴が約40年でこれほどいろんな役を巧みにこなす俳優は他にいないのではないだろうか。
今回ノミネートされた作品はミュージカルで、作品全体として重みのある映画というわけではないが、6年前の「マンマ・ミーア」の物凄く楽しかったミュージカルに惹かれてついでに観てみた。観客は他の作品と比べて断然多くて、入場時にチケット完売のアナウンスが流れていた。

2月の授賞式の模様はニュースで一部分を見ただけだが、助演女優賞を獲得したアークエットがスピーチで[男性と女性の時間給の差]について言及した。“平等な権利を求めて闘いましょう”と呼びかけた時にストリープが客席から人差し指を高く突き上げて賛同の意を表した場面が脳裏に焼き付いている。華やかな俳優活動の中で男女差がアメリカで浮かび上がったのは意外な感じがした。(*12年間、子育ての最中の俳優活動は収支に見合わないものがあったことを感じ取れたのである。)

今年のアカデミー賞作品賞受賞作は《バードマン》。来月公開予定だが、FOXサーチライトの作品。昨今、〈20世紀FOX〉や〈UNIVERSAL〉などの大会社の制作本数は制限されて、多くは子会社を作って出来るだけお金をかけないで映画を製作しているようである。本年度はインデペンデント会社の多くの作品が、結果的に賞の対象になったらしい。俳優の出演料も安くて済むという話をアメリカの大手映画製作会社の担当者から直接聞いた。

《バードマン》はまだ観ていないが、個人的には《6才のボクが大人になるまで》、《博士と彼女のセオリー》が作品賞になってもおかしくないと思った。

シニア料金で観れるようになり、時間的余裕も生まれて、年に2・3本の映画鑑賞が徐々に増えて、今では年間30本前後、月3本程度は観ている。最近ではアカデミー賞発表時期には洋画の鑑賞が多くなる。以前は殆ど洋画ばかりの時期もあったが、今では邦画も年10本程度は観るようになった。邦画全体のレベルが上がって来ている印象を受ける。

Kitaraが閉館中で4月はコンサート鑑賞の予定が今のところ1回だけである。METビューイングを含めて映画館に通う回数が増えそうである。

METライブビューイング2014-15 第7作 《ホフマン物語》

オペレッタの創始者ジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach)の残した唯一のオペラ《ホフマン物語》。
彼の有名なオペレッタ《天国と地獄》の上演が北海道二期会30周年記念公演として1994年2月に行われて観た時以来のオッフェンバックの作品鑑賞。
オッフェンバック(1819-80)はドイツ生まれでフランスで活躍した作曲家、チェリスト。(後にフランスに帰化。)《ホフマン物語》は未完成の遺作となったが、ギロー補筆で1881年初演。今日でも上演される機会の多いフランス・オペラ。

舞台は19世紀のドイツ。人々で賑わう酒場で恋人ステラを待つ酔いどれ詩人ホフマンが叶わなかった過去の恋を語り始める。 機械人形と気付かずに恋したオランピア。歌うのを禁止されたのに歌ってしまい亡くなった病弱な歌手アントニア。誘われるままに情熱を捧げた娼婦ジュリエッタ。3つの恋は悪魔の化身である男に操られていた。更にステラとの恋にも暗雲が立ち込めていた。 全3幕。フランス語上演。
 
主演のホフマンは現在オペラ界で人気のイタリア人・テノール歌手、ヴィットリオ・グリゴーロ。自己破滅的な恋愛を通して孤独な男を演じ、高音域から低音域までいろいろな色彩を持った声を操るグリゴーロ。第1幕でオリンピア役のエリン・モーリーが歌う超絶技巧のアリア“生垣に小鳥たちが”のコロラトゥラの歌声はまさに驚異的。第1幕の幻想的な舞台も見もの。第2幕のアントニア役(ステラと二役)のヒブラ・ゲルツマ―ヴァの堂々たる体躯からの歌声は圧倒的で心に響いた。
全3幕に登場して悪魔の化身を演じた名バリトン、トーマス・ハンプソンの存在感がこのオペラを引き締めていた。ハンプソンはPMF2011に出演して「マーラー:亡き子をしのぶ歌」などを歌った。夕やみ迫る芸術の森に響き渡る歌声は脳裏に焼き付いている。(彼はPMF1990にも来日している。) 

第1幕や第3幕には大勢の人々が登場して合唱や踊りに加わり、舞台では小道具にも工夫がなされていた。演出家の話では1920-30年代のカフカの世界を描き、オーストリアの怪しいサーカスを連想させる舞台で幻想的なストーリーが展開された。オペラの終盤で流れる「ホフマンの舟歌」が親しまれているメロディで久し振りに耳にした。
エピローグで「人は恋によって大きくなり、涙によってより大きくなる。」と語られたのが印象に残った。

グリゴーロは4月に来日して、5日と10日にリサイタルを開く予定で、今回の公演の注目度が一層高まっているようである。


第4回東日本大震災被災者支援コンサート・遠藤郁子(ピアノ)

ピアニスト遠藤郁子は毎年東日本大震災被災者支援コンサートを開催している。昨年までは他の催し物との兼ね合いで行ったことが無かった。彼女の演奏会は92年から5回は聴いている。90年代はベートーヴェン、2000年に入ってからはショパンの作品が多かった。

遠藤郁子(Ikuko Endo)は1944年、東京生まれの札幌育ち。母遠藤道子の手ほどきを受け、東京芸大在学中に海外派遣コンクールで安宅賞を受賞。日本代表として1965年、第7回ショパン国際コンクールに参加してポーランド批評家連盟特別銀賞受賞。(70年、ショパン国際コンクール第8位。)大学を中退してポーランドに留学。ハリ―ナ・チェルニー=ステファンスカ(第4回ショパン国際コンクールの優勝者)に師事。ポーランド、旧ソ連、日本各地でリサイタルやオーケストラとの共演を重ねる。68,70,73年、札響と共演。その後、パリで研鑚を積み、その間に東欧諸国でも演奏活動を行い、ザグレブ音楽祭などに出演。
 94年1月札響定期で「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番」を演奏。2000年9月、〈カワイコンサート30周年記念〉の特別企画としてKitara大ホールで《遠藤郁子ピアノリサイタル》を開催。プログラムは「ベートーヴェン:月光、熱情」と「ショパン:ワルツ全曲」、和装で温かみのある独特な演奏を展開した。翌年6月〈オール・ショパン・プログラム〉でKitara 再登場。「ノクターン」、「バラード」を中心に彼女の人生の生き様の中に聴衆を引き込んだ。彼女は90年、乳癌に侵されるなど人生の絶望的状況から奇跡的に復帰。その過程をエッセイにまとめたり、音楽で表現しようとしている。
続いて03年1月、再び〈オール・ショパン・プログラム〉で「即興曲」や馴染みの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」など“若き日の華麗なるショパン”を彼女特有の演奏法で浮かび上がらせた。

遠藤は1985年、第11回ショパン国際コンクールの招待演奏者として招かれ、2000年の第14回では審査員としてワルシャワに出向いている。世界のショパン弾きとして音楽界から名高いピアニストと評価されている。
阪神大震災被災者や地下鉄サリン事件被害者、さらにハンディキャップを背負った人々への社会貢献活動に長年取り組んでいる。「癒しのピアニスト」と呼ばれる所以がそこにもある。ショパンの音楽を聴く者の心に奥深く届ける姿が感動を呼ぶのだろう。

「私たちは忘れない!」
2015年3月8日(日) 14:46開演  光塩学園koen天秘ホール

出演/ ピアノ:遠藤 郁子

[ プログラム]
 グノー(J.S.バッハ):アヴェ・マリア
 シューベルト:アヴェ・マリア
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 「悲愴」
 作曲者不明:「ドンブロフスキ将軍のマズルカ」
 ショパン:マズルカ Op.50-1、2、3
      :ノクターン遺作 嬰ハ短調
      :練習曲 Op.10-3 ホ長調 「別れの曲」 
      :練習曲 Op.10-12 ハ短調 「革命」
      :ポロネーズ Op.53 変ホ長調 「英雄」
       
14時46分に東日本大震災の発生した時刻に全員起立して1分間の黙祷を捧げた後、「瓦礫を生かす森の長城プロジェクト理事長・細川護煕元首相よりNPOまずるか北海道へ感謝状贈呈」の式。

コンサート前半は聖母マリアを称える歌を2曲。簡単な説明を加えながら曲を弾いたが、ベートーヴェン自身が命名したと言われる「悲愴」では演奏前に小学6年時に日本学生コンクールで弾いた時の母と関わった思い出の曲としてエピソードを紹介した。(2位入賞で危機は脱出!)

後半の最初に弾いた曲はポーランドの国歌“ポーランド未だ滅びず”。ショパンもリサイタルの最後に演奏した曲として伝わっている。この曲を初めて聴いたと思ったが、オリンピックなどでポーランドの選手が優勝した時には耳にしていた筈である。(札幌オリンピックのスキー・ジャンプ競技)。1・2度耳にしたぐらいでは記憶に残らない方が普通なのかもしれない。何度も侵略される憂き目にあったポーランドならではの歌詞とメロディ。

マズルカはポーランドの農民の歌と踊り。ショパンはポーランド土着のマズルカを50曲以上も書き残している。余りにも数が多くて聴いていて直ぐには作品番号が判らない。馴染みの曲も数曲しかなくて区別がつかない。

「ノクターン第20番」は映画『戦場のピアニスト』で強烈な印象を受けて早速CDを手に入れて親しんだ曲。コンサートでもアンコール曲に弾かれることも多く、最近ではテレビからコマーシャルに使われてメロディが流れてくる。

「別れの曲」をショパンが“自分の作品の中で一番美しい”と評したのは知らなかった、私が一番最初に買ったSPレコードで聴いていた懐かしい曲である。「エチュード Op.10」の第3曲と知ったのは数十年経ってからである。

「革命」は作品を知って好んで聴くようになったのはここ20年ぐらい。祖国の革命の失敗を知って、心の内をピアノに綴った激しい曲はショパンの想いが伝わってくる。

ポロネーズもポーランドの土着の踊り。マズルカに次いで有名なポーランドの踊り。第1番~第7番までが一般的に知れ渡ってCD化されているが、初期の時代のポロネーズの3作品を含めて全部で16番までの作品集が出ている。
曲にタイトルが付いた「幻想」「軍隊」もしばしば演奏されるが、「英雄」が何と言っても人気の曲。
他国に侵略され続け地図上から姿を消された時もあった祖国ポーランド。英雄たちが列をなして堂々と進軍する祖国の姿を思い描いて作曲したのかも知れない。

後半も短いトークをはさみながらの演奏はサロン風で肩の凝らない親しみのあるコンサートとなった。YAMAHAのピアノは高音が素晴らしく良く響いた。
彼女は謙虚な人柄で、ポーランド共和国からの勲章を長年に亘って辞退していたが、デビュー50周年と古希を迎え、ボランティア活動の励みになればと決意して勲章を頂くことにしたという。先月、ポーランド大統領から直々にポーランド共和国功労勲章を授与されたそうである。

数年前に新しくできた小さなホールは大入り満員で、2階バルコニーから立ち見で耳だけでなく体を傾けて聴く人も多かった。心温まるコンサートであった。会場は専門学校の付属施設で多目的ホールとして利用しているように思えた。ホールの中央前方に彫刻家安田侃の作品と思われる巨大な大理石の作品が置かれていた。今回はピアニストの友人の好意でコンサート会場として使用したらしい。

アンコールに「花は咲く」。東日本大震災の復興支援に長く関わる想いが伝わる曲を他に1曲演奏して終了。自分自身も改めて「忘れてはいけないもの」を感じた。

松井亜樹ソプラノリサイタル~ロシアオペラの夕べ~

 先月20日(金)に朝日カルチャーセンター札幌主催の公開講座があった。札幌大学教授でピアニストでもある高橋健一郎氏が定期的に講座を開いているが、彼の講座「ラフマニノフと祖国ロシア」を受講した。講師自身のピアノ演奏やCD, DVDの鑑賞を交えながらの講座は興味深かったが、話の最後に「松井亜樹ソプラノリサイタル」の案内があった。25名ほどの講座参加者の中に彼女の姿もあった。
実は2008年の「時計台コンサート」で二人が出演するコンサートを聴いていた。「歌とピアノで伝えるロシアの息吹」と題して行われたコンサート。高橋君は私の高校時代の教え子。彼が2年生の時に担当しただけだが、札幌北高校時代で英語の総合力は断然トップであった。当時から北海道ショパン学生ピアノコンクールでも優秀な成績を残していた。高1までは東京芸大を目指していたようだが、数学、物理に興味を持ち東大理Ⅰに進学した。大学では文系に転向。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。ロシア語学とロシア音楽が専門。

08年のコンサートではロシアの歌曲の他に、チャイコフスキー、ラフマニノフ、メトネルなどのピアノの小品も演奏された。松井さんは北海道教育大学札幌校芸術文化課程を卒業した後、ロシアで修業を積んでいた頃だったようである。新進の歌手としてスタートを切った初々しい感じがしていた。

昨年、音楽雑誌「音楽の友」で彼女の東京での活躍ぶりを知った。2月の朝日カルチャーセンターでの出会いで、リサイタル開催を知った。実は高橋君と言葉を交わしたのは彼の高校卒業以来初めてであった。25年ぶり。(彼が高3の折に札幌北高校を会場にノーベル賞受賞者のフォーラムが開かれ、彼が歓迎の辞を英語で述べることになった。その時の彼が用意したスピーチ原稿の内容はレベルの高い素晴らしいものだった。私は彼のスピーチの指導をすることになっていたが、フランス人の文学賞受賞者が日本の各地で英語ばかりがフォーラムで使われることに苦情をはさんだことで、当事者の突然の変更通知によって高橋君は日本語で挨拶することとなった。当日の同時通訳の英語は当初のスピーチの内容と比べて、格調の高さが欠けてしまった。本人が一番残念だったと思うが、私にも悔しくてたまらない出来事であった。)

前置きが長くなってしまった。いよいよリサイタルの開催である。

平成27年3月6日(金)19時開演。 ザ・ルーテルホール

出演:松井 亜樹(ソプラノ)、高橋健一郎(ピアノ)
 [ 賛助出演 ] 今野博之(バリトン)、中添由美子(ピアノソロ)、坂田朋優、國谷聖香(ピアノ連弾)、藪 淳一(ナレーション)

PROGRAM
[ 第一部 ]
 グリンカ:オペラ『ルスランとリュドミラ』から
         序曲(連弾) (坂田、國谷)
         リュドミラのアリア「ああ、運命よ、私のつらい運命よ!(松井、高橋)
 リムスキー・コルサコフ:オペラ『皇帝の花嫁』から
          グリャズノイのアリア「あの美しい人が忘れられない」(今野、高橋)
 ムソルグスキー:オペラ『ソローチンツィの定期市』から
          ハラ―シャのドゥムカ「悲しまないで、愛しい人よ」(松井、高橋)
          コバック(ラフマニノフ編)(ピアノソロ:中添) 
 ストラヴィンスキー:オペラ「放蕩者の遍歴」から
         アンのアリアとカバレッタ「トムからは何も便りがないーーーかれのところへ行こう」(松井、高橋)

[ 第Ⅱ部 ]
  チャイコフスキー:オペラ『イオランタ』から
              イオランタのアリオーソ
                「なぜ私は前には知らなかったのかしら」(松井、高橋)
        :オペラ『スペードの女王』から
            リーザのアリア「この涙はどこから」(松井、高橋)
            エレツキーのアリア「私はあなたを愛しております」(今野、高橋)
            リーザのアリオーソ「もう真夜中に近い」(松井, 高橋)
        :オペラ『エヴゲニ―・オネーギン」から
            ポロネーズ(連弾)(坂田、國谷)
            オネーギンとタチアナの二重唱「ああ、なんて苦しいの! 再びオネーギンが私の前に現れる」(松井、今野、高橋)

第一部の作曲家の管弦楽曲は知っていても、オペラのタイトルで知っているのは「ルスランとリュドミラ」だけである。といっても序曲だけで、演奏会でアンコール曲として聴く程度である。活気に満ち溢れた曲がピアノ連弾で流れた。

コンサートのナレーションを元HBCアナウンサーを務めていた方(*どこかで見た顔だと思っていたら当時テレビで見ていた)が担当して、オペラのストーリーを話したうえでコンサートが進められた。
最初のオペラは悪魔に奪われたリュドミラを求婚者ルスランが救出するという民話に基づくオペラ。囚われの身になったリュドミラが魔術師には決して従わないと力強く歌い上げるアリア。

ストーリーの展開に沿って、音楽に変化を持たせてピアノを奏でる高橋の演奏は最初から素晴らしい技量を発揮。松井も透明感のある歌声でリュドミラの清らかな心と精神の強さを表現した。

R.コルサコフ、ムソルグスキーは19世紀後半、ストラヴィンスキーは20世紀に活躍したロシアの作曲家で偉大な作品を残しているが、オペラのタイトルは初めて耳にするものばかりである。
賛助出演したバリトンの今野は北海道二期会での活躍が目立ち舞台経験が豊富な様子が歌唱だけでなく舞台での振る舞いにも表れていた。

第二部は全てチャイコフスキーの作品で親近感が持てた。ただし、オペラは他のジャンルに比べて親しんでいない。「スペードの女王」は小澤征爾得意のオペラだと思うが観たこともなく、何の知識もない。「イオランタ」は先月にMET上演があったばかりで鑑賞を予定している。「エヴゲニ―・オネーギン」は13年11月のMETビューイングを観たので印象深い。(その時の模様は次のブログに書いてある。http://teruoblog687.blog.fc2.com/blog-entry-151.html)。

後半に松井は赤のドレスで登場。会場が一瞬華やかな雰囲気に包まれた。年頃になったイオランタが淡い気持ちを乳母に訴える歌。前半のプログラムでは舞台の立ち位置を変えずに歌っていたのが、オペラのシーンに合った状況で可憐な表情で歌い上げたのは良かった。

「スペードの女王」から3曲が歌われたが、ストーリーの内容が良く解らずに集中力が欠けたのかボヤケタ印象になってしまった。鑑賞の仕方がまずかったようである。

「ポロネーズ」はオペラだけでなく演奏会で単独で演奏されるが、昨年もKitaraで聴いた覚えがある。舞踏会の華麗な音楽が、ピアノ連弾で演奏された。率直に言って、グリンカの曲での演奏より心地よく聴けた。
オネーギンとタチアーナの二重唱はタチアーナがオネーギンの告白に動揺しながら、申し出を断り別れを告げる場面はオペラの実際の場面が浮き上がって聴衆の心を動かした。会場に感動の声が湧きあがった。1年半前に観たオペラの場面が蘇って良かった。リサイタルにバリトン歌手の客演があって最後の二重唱で盛り上がった。

最初から最後までピアノの演奏も素晴らしかった。ただ単なる伴奏の域を超えて、全体的に音楽を深く理解した上でのピアノ伴奏だったと思った。短い曲の中で曲調の変化や音の強弱に応じて巧みに鍵盤を操る所作にも凄さを感じ取ったのは私だけであろうか。プロとしてピアノリサイタルを聴いてみたいものである。

松井亜樹はロシア歌曲を得意としていると思うが、アンコールにロシアの歌曲を2曲歌った。1曲は「ラフマニノフ:春の流れ」。もう1曲の曲名は聞き逃した。
最後に出演者と聴衆が一緒に「カチューシャ」を歌って終了。ホールの1回ロビーで、バリトン歌手、ピアニスト、ソプラノ歌手に感想を述べて外へ出た。余韻を楽しむために音楽を大音量で聴けマスターと話ができるBARへと足が向いていた。


     

シャルル・デュトワとPMF

昨夜のNHK・Eテレ「クラシック音楽館」でシャルル・デュトワ&NHK交響楽団による定期公演を聴いた。プログラムの前半は「武満徹:弦楽のためのレクイエム」、「ベルク:ヴァイオリン協奏曲」。私が興味を抱いたのはベルクの曲。渡辺玲子のCDデビュー曲でCDは持っているが数回聴いただけ。直ぐには親しめない曲で、生の演奏会で聴いた経験もない。演奏者のアラべラ・美歩・シュタインバッハ―が2007年のネヴィル・マリナー指揮札幌交響楽団と共演してメンデルスゾーンの協奏曲を弾いたのを記憶していた。演奏前に曲の説明があって曲の理解に役立った。彼女は説得力のある心揺さぶる演奏を展開してレクイエムの雰囲気が味わえた。
定期演奏会では2曲とも人気のある曲とは言えないが、デュトワはN響との客演指揮で敢えて演奏曲目に選んだ。意外だったのはメインの曲に「新世界交響曲」を選んだこと。インタヴューに対する彼の説明で選曲の理由が解った。指揮者として新しい曲に挑戦したいが、前半に鑑賞が難しい曲を演奏したので、後半は聴衆に親しみがあり、心に響きやすい人気のある曲を選んだと率直に語った。N響とは15年ぶりの演奏曲であったようだ。

デュトワはモントリオール交響楽団を世界のメジャー・オーケストラに育て上げた後、N響の音楽監督を務め、思いがけなくPMF芸術監督として札幌を訪れてくれた。この機会に偉大な指揮者としての彼の功績を振り返ってみたい。

Charles Dutoitは1936年、スイスのローザンヌ生まれ。ベルン交響楽団(67-78)、エーテボリ交響楽団(76-79)の首席指揮者を経て、モントリオール交響楽団(78-02)とフランス国立管弦楽団(91-01)の音楽監督、96年にNHK交響楽団常任指揮者、音楽監督(98ー03)を歴任。その後、フィラデルフィア管弦楽団首席指揮者・芸術顧問(08-12)、09年にロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者・芸術監督に就任。

デュトワはN響音楽監督在任中の2000年~2002年の3年間、PMF芸術監督を務めた。2000年の芸術監督はマイケル・ティルソン・トーマスとの二人体制だったが、01・02年はデュトワのみ。
2000-2002年の3年間、PMFのプログラムにN響も加わった。デュトワが指揮したPMFプログラムは次の通り。

①2000年7月17日(月) 19:00  N響演奏会 Kitara
〈演奏曲目〉プーランク:オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲
       ドビュッシー:夜想曲
       プロコフィエフ:交響曲第3番
デュトワの演奏を初めて聴けると言うより、その指揮ぶりを生で観れた印象は何となく残っているが、演奏曲目の印象は15年経った今や殆ど記憶がない。

②2000年7月22日(土)Kitara, 23日(日)芸術の森野外ステージ
PMFオーケストラ演奏会
 〈演奏曲目〉カーニス:ムジカ・セレスティス
       シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番(独奏:シャンタル・ジュイエ)
       ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ぺトルーシュカ」
       ラヴェル:ヴァルス
  *カーニスはレジデント・コンポーザー。両日とも聴いていないが、ヴァルス意外は曲に魅力がないと思ったのだろう。

③2001年7月8日(日) 19:00 N響演奏会  Kitara
 〈演奏曲目〉ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム
       ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番(ピアノ:小山実稚恵)
       ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
 ブリテンの曲は紀元2600年(西暦1940年)を祝う日本政府の委嘱で作曲されたが、いきさつがあって日本での初演は1956年のブリテン指揮N響による演奏。珍しくて興味深かった。華やかなピアノ演奏が魅力的だったし、この時のことは比較的に良く覚えている。

④2001年7月11日(水) 19:00 N響演奏会  Kitara
 〈演奏曲目〉武満徹:弦楽のためのレクイエム
       リーバーマン:ピアノ協奏曲第2番(ピアノ:スティーヴン・ハフ)
       チャイコフスキー:交響曲第4番
 リーバーマンはレジデント・コンポーザー。曲は1992年に完成というから聴いてみないとどんな曲か想像もつかない。

⑤2001年7月14日(土)Kitara、15日(日)芸術の森
 PMFオーケストラ演奏会
  〈演奏曲目〉R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
      ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲(ピアノ:スティーヴン・ハフ)
      ベルリオーズ:幻想交響曲
 幻想交響曲はシャルル・ミュンシュ指揮ボストン・交響楽団のCDで聴いて親しんでいた。デュトワが得意とする曲で、ウィ-ン・フィル首席奏者も加わって迫力に満ちたドラマティックな演奏が展開され非常に楽しかった。今でもその時の様子が眼前に浮かぶ。

⑥2001年7月20(金) Kitara、 21日(土) 芸術の森
  PMFオーケストラ演奏会
  〈演奏曲目〉ラヴェル:スペイン狂詩曲
        ドビュッシー:「海」~3つの交響的素描~
        ストラヴィンスキー:春の祭典
 デュトワらしい選曲。

⑦2002年7月9日(火) 19:00 N響演奏会 Kitara
 〈演奏曲目〉ココリアーノ:交響曲第1番
       ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(独奏:ジョシュア・ベル)
 レジデント・コンポーザーにジョン・ココリアーノが招聘され、アジアの若手作曲家育成のために新設されたコンポジションコースの指導に当った。ココリアーノは映画「レッド・ヴァイオリン」のサウンド・トラックを作曲し、アカデミー賞作曲賞を受賞した。同映画音楽の演奏を担当したのがジョシュア・ベル。この音楽映画を実際に観ており、ベルは人気のあるヴァイオリニストであった。その後、来日の情報がなかったが、彼は室内楽や指揮など多方面で活動を行ない、現在はアカデミー・オブ・セント・マーテイン・イン・ザ・フィールズの音楽監督として活躍しているらしい。そのうち来日の機会があるだろう。

⑧2002年7月20日(土) 19:00 PMFオーケストラ演奏会 Kitara
 〈演奏曲目〉ラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」
        プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番(ピアノ:マルタ・アルゲリッチ)
        R.シュトラウス:アルプス交響曲
アルゲリッチのコンサートはPMFフレンズ会員対象の先行発売でもチケットが買えず、PMF開幕前には完売という状況だった。後にも先にも彼女のコンサートを聴いたのはこの時だけだった。大ホール3階の一番後ろの座席からの鑑賞はワクワクして興奮した。彼女は1970年1月に札響と共演して同じ曲を演奏していた記録がある。プロコフィエフの第3番は今では聴き慣れた曲になった。アルゲリッチの印象が強烈で他の曲のことは余り覚えていない。

シャルル・デュトワのPMFの記録は札幌開催のコンサートのみ。私が聴いた演奏会は①、③、⑤のKitara、⑦、⑧の5回である。彼の軽やかな指揮ぶりで、ドイツの重厚な音楽とは違ったフランス風の色彩に富んだ音色が楽しめた印象が残っている。

音楽とは直接に関わりのない話だが、ベルン響の首席指揮者に就任した頃にアルゲリッチと結婚している。1970年4月、読売日響の公演と大阪の万博記念公演の指揮で日本デビュー。以降、73年と74年に来日。74年3月の来日の折にアルゲリッチと喧嘩して、彼女は公演をキャンセルして離日。同年、離婚した話はよく知られている。その後、音楽の面では協調して共演を重ね、プロコフィエフやバルトークの協奏曲を録音。モントリオール響と二人が共演した「ショパン:ピアノ協奏曲第1番&第2番」のCD(1998年)も手元にある。
札幌での共演は1回のみであったが、PMF2002では栃木、横浜、東京でも同じプログラムで共演した。

78年にモントリオール響のシェフになってから、スイスのフランス語圏出身のデュトワはカナダのフランス語圏のオーケストラと色々な面で相性が良かったと思われる。オーケストラが急成長したと言われる。80-81年シーズンにミラノ・スカラ座管、ボストン響、ベルリン・フィルにデビュー。その後、ニューヨーク・フィル、ロンドン・フィル、フィルハーモニア管、バイエルン放送響などに客演。91年にはマゼールの後任としてフランス国立管の音楽監督に就任した。デュトワがN響を初めて指揮したのが87年。96年にシェフに就任してからは、ドイツ音楽が得意であったN響にフランス音楽を多く演奏する機会を作って、レコーデイングや海外公演の機会を増やした。デュトワのお蔭でN響は日本国内だけでなく国際的名声を高めたのではないかと思う。 

パーヴォ・ヤルヴィが新しくNHK交響楽団の新しい常任指揮者に就任することで日本のオーケストラが一層活気づくことを期待したい。また、PMFも今年からゲルギエフとジンマンという二人の巨匠を迎えて益々発展していくことを切に望む。

2007年FISノルディック世界選手権札幌大会の思い出(2)

スウェーデンのファルンで開かれている大会も終盤に入っている。日本選手のメダルは以前は種目になかった女子ジャンプの活躍で2つだけに終るようである。

ファルンは初めて聞く名の開催地だが、4回目の開催になると言う。1984年のサラエボでの冬季オリンピック以後、世界選手権はオリンピック開催年と重ならないように、1985年から2年毎に奇数年に開かれている。オリンピックとは盛り上がりが違うので、開催地の名は覚えていない。私の年代では、コルティナダンぺェッツォ(1956)、スコーバレー(1960)、インスブルック(1964)、レイクプラシッド(1968)の冬季オリンピックの開催地の名は記憶している人が多いと思う。

北欧で暮らす人々にとっては冬季オリンピックもノルディック世界選手権も同じような位置を占めているようである。2年毎に開かれる世界選手権の各開催地を周るのを楽しみにしている人々が多くいるのに気付いた。

8年前に開かれた札幌大会でボランティアとして7日間活動した折に、会場への行き帰りの交通機関などで出会った海外の観光客との出会いの思い出を断片的に書き記しておきたいと思う。

札幌大会の第2日に札幌ドームに向うための電車に年輩の外国人が5・6人乗り込んできた。彼らはフィンランドから来ていた。前日の開会式のチケットは完売で手に入らず、2日目のチケットを手に入れるのを心配していた。午後の電車は空いていて、直ぐに話しかけてみると事情が分かった。ホテルでも英語が通ぜずに不安に駆られている様子だった。ドームまで一緒に行ってチケット売り場まで案内してあげると言うと女性の顔に満面の笑みが浮かんだ。まるで地獄で仏に会ったような表情で喜ばれた。
連れのご主人は72年の札幌オリンピック以来2度目の札幌だと言う。途中いろいろな話しができたが、彼らの話では日本は良いところだが、英語が通じないのが唯一の難点だと繰り返し言っていた。閉会式まで札幌に滞在して各会場を周ってフィンランドチームを応援する計画のようであった。第2日はチケットの購入を確認して別れた。
彼らとは、その後、クロスカントリーの会場でも会って更に親しく交流できたが、大会期間中は競技場を周って最終日まで大会を楽しむと言うことであった。日本人の楽しみ方とは違うなと思った。

実はこの大会期間中、白旗山距離競技場の近くの農地を借りてノルウェーの応援団がテントを張ってキャンプを行なっていた。フィンランドの比較的に若い人もキャンプに加わってテントで暮らしながら大会を楽しんでいた。年輩になってテント暮らしが大変になると、ホテルに滞在する応援の仕方が北欧独特の楽しみ方なのかと感じ入ったのである。

大会の終盤に農家への感謝を表し、日本人にキャンプ地を開放して食べ物を振る舞う催しがあった。ボランティア活動の帰りに寄ってみる機会があったが、巨大なテントには40ものベッドが置かれて、内部には2つのストーブが焚かれて夜は全然寒くないようになっていた。
大会期間中に応援団は楽器を鳴らしながら、時には酒を口にしてキャンプ地から競技場まで入場・退場行進をする姿を一二度観た。珍しい光景に日本人を始め観光客も大喜び。多分、北欧では馴染みかも知れないクロスカントリー会場ならではの応援風景であった。

札幌ドームでは距離のスプリントが大会第1日と第2日に行われた。ドームの一部分が開かれ、外と繋がってゴールの模様がテレビ画面に映されて珍しい会場の使用方法が興味深かった。試合が午後4時~9時ぐらいに行われたがドームをうまく生かした競技だと思った。

2日目のボランティア活動が終って、午後10時半過ぎにドームから地下鉄駅に向かう途中でノルウェーの背の高い比較的に若い人と出会って思いがけない事があった。彼は日本の往年のスキー選手の名を次々と上げたのであるーーー原田雅彦、葛西紀明、荻原健司、河野孝典など。姓はともかく名まで覚えているのにビックリしたものである。“舟木和喜はどうした?”と訊かれたのを未だ覚えている。同じスポーツでも、冬のスポーツに関しては関心度がこうも違うものかと思った。スキーの話題で話しが弾み、親しみが湧いた。忘れられない思い出の一つである。

開会式のあった日にも地下鉄で、スウェーデンの親子に出会った。娘が距離の選手、父親がコーチで母が一緒に日本に来たと言うことであった。
今まで北欧の人とはめったに出会うことが無かったので、いま思ってもとても良い機会になったと思っている。

ボランティアの活動日にはなっていなかったラージヒルの決勝で大倉山ジャンプ競技場に出かけた時に、バスの中でポーランド人と会話が弾み、会場でも1回目のジャンプが終るまで一緒に観戦した。札幌オリンピックの70m級で日本人がメダルを独占した話に及ぶと、彼はポーランドも金メダルを獲得したと言った。当時、ダークホースであったポーランドの選手が90m級で優勝したのを思い出した。
07年の札幌大会ではポーランドの優勝候補、アダム・マリシュが敗れ、シモン・アマンが優勝したが試合中にいろいろ彼の解説があって面白かった。この大会で活躍した選手がシュリーレンツァウアー、シモン・アマン。
スウェーデンの今大会ではシュリーレンツァウアーはラージヒルで銀メダルだった。葛西紀明は今大会では期待の成績は残せなかったが、今シーズンのワールドカップでは大活躍している。ジャンプでは珍しい同点優勝と同点3位をそれぞれ分け合ったのが葛西とアマンなのは偶然である。(*アマンの名は同点優勝の時は報じられたが、同点3位の際には報じられなかった。)

※スイスのシモン・アマンは彗星のごとく現れ、2002年ソールトレイクシティ・オリンピックでノーマルヒル、ラージヒルの二種目で優勝し、2010年バンクーバー・オリンピックでも個人二冠の2回達成の偉業を成し遂げている名選手であり、葛西と同様にレジェンドと呼ばれる人物で彼らは互いに尊敬しあっている。葛西の優勝を祝福してくれている選手も上記のアマンやシュリーレンツァウアーなのもテレビの映像で見れて素晴らしい光景として目に焼き付いている。






プロフィール

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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