METライブビューインーグ2014-15 第6作「メリー・ウィドウ」

今シーズンのMET鑑賞は第1作《マクベス》以来となる。前回はアンナ・ネトレプコの究極の悪女に挑む演技と歌唱に圧倒された。第2~第4作までは余りにもポピュラーな作品で劇場には足を運ばなかった。第5作《ニュルンベルクのマイスタージンガ‐》は観たことがないので予定に入れていたが、6時間近くもかかる演目で結果的に断念した。

《メリー・ウイドウ》もポピュラーな作品であり、いろいろな機会に「アリア」も歌われ、親しんでいるメロディも多い。十数年ほど前にオペラに親しもうとオペラ全集を購入していた。その中に《メリー・ウィドウ》が全曲収めれれていて、何度か通して聴いたりしていた。1962年のロヴロ・フォン・マタチッチ指揮フィルハーモニア管による演奏でエリザベート・シュワルツコップがハンナを演じた録音盤である。
演奏会で歌われる「ヴィリアの歌」は耳に馴染んでいる。最近では昨年の〈Kitaraのニューイヤー〉で幸田浩子が歌ったので記憶に新しい。

レハール(1870-1948)は当時オーストリア・ハンガリー帝国の領土であったブタペスト近郊に生まれた。ウィ-ンのテアター・アン・デア・ウィ-ンの楽長に任ぜられ、オペレッタ《メリー・ウィドウ》は1905年に初演されて大ヒットした。
《メリー・ウィドウ》はヨハン・シュトラウスⅡの《こうもり》と並ぶオペレッタの傑作。

オペレッタのタイトルは日本では「メリー・ウィドウ」として親しまれているが、日本語にすると「陽気な未亡人」。ドイツ語では“Die Lustige Witwe”。原語上演が普通だと思うが、今回のメトロポリタン歌劇場ではブロードウェイの演出家による新演出で英語上演となった。 “The Merry Widow” 全3幕。

舞台は20世紀初めのパリ。東欧の小国ポンテヴェドロワの外交官ツェータ男爵は亡夫から莫大な遺産を相続したハンナが他国の男性と再婚すると国が破綻する危機に陥ることを恐れていた。彼は書記官のダニロ伯爵にハンナに求婚するよう命じる。実はダニロはハンナと恋仲の関係にあったが身分違いで結婚できなかった。
ハンナはダニロをまだ愛していた。ダニロは再三の上司の要請を断り続ける。一方ハンナはツェ-タ男爵の妻の浮気が露呈しそうになった時に彼女をかばってダニロの誤解を招く。色々な恋の駆け引きがあって、最後にはハンナとダニロの恋は実を結んでハッピーエンドとなる。

ブロードウェイの女性の演出家の新演出で台詞中心の芝居。しかも主演の男爵夫人がブロードウェイのスター、ケリー・オハラのMETデビューとなって注目されたようだ。ダンスシーンの多い作品で本格的な舞踏場面ではオペラ歌手も大変ではないかと思った。

主演のハンナ役はMETのスターであるソプラノ歌手ルネ・フレミング。昨シーズンの第5作《ルサルカ》で叙情味あふれる歌唱力を発揮して、美しい姿と澄みきった歌声が印象的だった。ルサルカは彼女の当たり役で、昨年は何とも言えない魅力を感じた。今年の演目での若くリッチな未亡人をめぐる恋の騒動では年齢的に少々無理な面を感じた。作品によっては峠を過ぎた感じがしないわけでもない。素晴らしい歌唱力と演技力で存在感を示したのは確かである。

全編を通して美しいワルツが流れる。第1幕でのパーティでの舞踏はプロのダンサーが混じっての本格的なダンス。ウィンナーワルツの心地の良いメロディ。第2幕でハンナが故郷を思い出し民族衣装を着て歌う「ヴィリアの歌」はこのオペレッタで一番の聴きどころ。「若者が故郷の森の妖精ヴィリアに一目ぼれして熱いキスを交わすが、ヴィリアは姿を消してしまう」という内容の歌。アリアに続いての合唱も素晴らしい。「コロ」の踊り。

第2幕と第3幕の間の間奏曲も美しい旋律。第3幕はキャバレーでのフレンチ・カンカンが壮観。プロのダンサーが混じっての大勢のダンスはブロードウェイの雰囲気。最後の場で主役二人が歌う二重唱「くちびるは黙し、ヴァイオリンは囁く」は恋の大団円。

ブロードウェイの女性演出家の演出とあって華やかな歌と踊り。ダンスの多さにブロードウェイの特色が出ていたのかも知れない。台詞が多いのも目立った。ブロードウェイで使っているマイクがMETでは使えないために、字幕を用意していたとのこと。劇場の後方の座席では生の声が聞こえづらいための配慮だと思われる。

ドイツ語より英語の方が解りやすかったが、個人としては原語で上演してもらいたかった。原語の持つ雰囲気は大きな意味を持つと思っている。外国の映画でもDVDでも吹き替えでなくて字幕がある方を好んでいる。今回の英語上演はアメリカ国内で観客を広げる新しい試みだったのかも知れない。

久し振りのMETビューイングを楽しんだが大満足というわけではなかった。第7作から第10作まではタイトルを知っているだけで観たこともない作品なので、全作品を鑑賞する予定にしている。
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2007年FISノルディック世界選手権札幌大会の思い出(1)

FISノルディック世界選手権2015が現在スウェーデンで行われている。2年毎の開催で札幌大会から8年も経った。2000名のボランティアの一員として活動した時の様子を大会の報道がある度に今も懐かしく思い出す。

ボランティアの活動内容は多種あって本人の希望と英語の運用能力に応じて配属されることになっていた。英検1級の資格があると試験は受けなくても良かったが、数十年前は1級取得にわざわざ上京する必要があって特に資格は持っていなかった。来賓接遇の仕事を希望したので、結果的に語学審査を受けることになった。
英語検定準1級、2級、3級などの面接委員を30年も務めたが、英語でのインタヴューのテストを自分が受ける立場になって別に違和感はなかった。大会前年の7月に札幌駅北口の近くにあるエルプラザで口頭試験を受けた。女性の面接委員だったが順調に終わった。英語会話の試験を受けたのは留学試験と札幌の米国領事館でビザ発給の面接以来だったと思う。(50年前は米国大使館か領事館でインタヴューが課せられていた。当時はJTB北海道で海外旅行の手続きをする人は年間30名程度と担当者が話していたのを記憶している。)

大会前に数回全体研修が行われ、予定通り来賓接遇の会合も別に開かれた。会場が札幌ドーム、白旗山競技場、大倉山ジャンプ競技場、宮の森ジャンプ競技場の4会場。日程は2月20日~3月4日の2週間。40名ほどが各会場でGuest Receptionの仕事にあたった。当時の手帳を見てみたら、開会式と2日目までは札幌ドームで午後2時半から10時半まで。最終日のクロスカントリーと閉会式が行われた白旗山競技場では正午から6時まで5日間活動した。

札幌ドームは野球やサッカーの観戦で訪れる時の経験と違って、普段は使用することのない役員などの使うトイレが全面大理石で作られているのは凄いと思ったものである。

7日間ボランティアとして活動したが、行き帰りの地下鉄やバスの中で北欧からの観光客との交流の方が率直に言って楽しい思い出として強く印象に残るものになった。開会式から閉会式まで札幌に滞在して2年毎の世界選手権を楽しむ北欧の人々の姿が今も鮮やかに脳裏に残っている。

その思い出は後日に記してみようと思う。

ミニコンサート(by 鎌田 泉) in Steinway Studio

スタインウェイスタジオ札幌でミニコンサートを聴くのは昨年2月に続いて2回目である。
ヴァイオリニストの鎌田泉は昨年9月、ルーテルホールで開かれたトリオ・レイラのコンサートで好演した。現在は紀尾井シンフォニエッタ東京のメンバー。

2015年2月22日(日) 14:00~14:45  井関楽器札幌3F スタインウエイスタジオ 

出演/ 鎌田 泉(ヴァイオリン)、 新堀 聡子(ピアノ)

〈Program〉
 ヴィターリ(1663-1745):シャコンヌ
 ラフマニノフ(1873-1943):ヴォカリース
 ファリャ(1876-1946):スペイン舞曲
 ドヴォルジャーク(1841-1904)(クライスラー編):母の教え給いし歌 
 モンティ(1868-1922):チャルダッシュ

 5曲とも有名で親しまれている曲ばかり。 シャコンヌはコンサートではバッハの曲が演奏される機会が多い。ヴィターリの曲はヴァイオリンの初心者が習う曲として親しまれているようだ。10分余りの曲で聴きごたえがあった。鎌田自身の話では数回しか弾いたことがないが、サロン風のミニコンサートで気持ちを楽にして弾ける曲として最初の演奏曲に選んだそうである。

「ヴォカリース」の原曲は歌曲で、今日ではいろいろな楽器に編曲されて親しまれている。オペラのなかで書いた「スペイン舞曲」は演奏してスカッとした気分になると言う。ドヴォルジャークの原曲も歌曲であるが、心が洗われる曲として彼女が大好きな曲だそうである。最後に人々に最も親しまれている曲のひとつ「チャルダッシュ」を演奏してコンサートを締めくくった。

鎌田泉レヴェルのアーティストがミニコンサートに出演とあって沢山の人が会場に詰めかけた。1曲終わる度ごとに満足の掛け声をかける人もいたが、流石と思わせる鮮やかな演奏であった事は確かである。 

ピアノ伴奏の新堀も最近はリサイタルを開催して活躍も目立つが、大物を相手に遠慮がちな進行役。それでも鎌田の今後の演奏活動を何とか巧みに聞き出していた。

鎌田泉は東京、札幌を中心に活動しているが来月から米国に渡って3週間ほど滞在してオーケストラとの共演やソロ活動などで7・8回公演の予定があるという。彼女の話では貸与されているヴァイオリンの交換条件として3年間に亘って一定の期間アメリカのオーケストラのコンサートマスターとして出演し、ソロ活動を義務付けされている。(財団などから楽器を貸与されて活動している演奏家は思いのほか沢山いることが考えられると思った。)
具体的な話もあったが、ネットで検索してみたら、より詳しいことが判った。彼女が客演コンサートマスターを務めるオーケストラは“The New Orchestra of Washington”。3月28日、首都ワシントンと翌29日メリーランド洲とで2回公演。プログラムはピアソラ、ロドリーゴ、ベートーヴェンの3曲。3曲の共通点は「ダンスの要素」とか? 「アランフェス協奏曲」のギター独奏は村治奏一、ベートーヴェンは「交響曲第7番」。

アンコール曲にはアメリカ公演の曲目の影響で“今ハマッテいるピアソラ”から「タンゴ」を演奏した。


札幌コンサートホールKitaraの休館

札幌コンサートホールKitaraは本日2月16日からホールの工事のため4ヶ月間(6月16日まで)休館となる。今回の工事は舞台設備の更新が中心となる。舞台設備は舞台機構・照明設備・音響設備を含む。ホール管理課による大まかな工事計画は次の通りである。
★舞台機構
 反射板や照明器具を吊り下げている吊物機構のモーターやワイヤーを取り換えて安全性を高める。大ホールのセリ機構のモーター交換や、セリの分割パターンを変更して多様なステージセッティングが出来るようにする。
★照明設備
 舞台上のスポットライトは照明効率の高いものに交換し、客席の照明器具は一部を除きLED化して節電を図る。多様な照明演出に対応するために最新の調光操作卓を導入する。
★音響装置
 Kitaraは最良の残響設計がなされているが、その響きのためにアナウンスの音が聞きにくくなっている。マイク用スピーカーなどの音響の設備・機器の更新を行う。また、アナログ式の音響調整卓をデジタル式に更新する。

外観や客席などの変更は予定されていない。世界的に評判の高い音響にも影響は無いと考えられている。

札幌コンサートホールが1997年7月4日にオープンしてから17年以上もの月日が経つ。定期的な点検活動を行なって必要な修理が行われているとは言え、故障した機器の部品入手が出来なくなって修理が困難な状況も発生したと想像される。しかし、現在でも音楽を楽しむために通うKitaraは色々な面で長い月日の経過を感じさせない。
ハードの面では今回の改修工事によって、より一層快適な音楽空間になることが期待できる。

私の最大の趣味は音楽鑑賞である。Kitaraのコンサートに通う回数が年平均40回で、開館10周年の折には400回を超えていた。2008年からは年60回に達し、昨年は78回にもなっていた程の音楽好きである。通算してみると、今まで音楽を聴きにKitaraに通った回数が約900回。

4ヶ月の空白は私にとって大きな打撃である。Kitaraの空間は他のホールでは埋めがたいものである。ただの貸館ではない空間がKitaraにはある。旧札幌市民会館や旧北海道厚生年金会館も当時は音楽などを楽しめるホールであったが、聴衆をもてなすホールの意味合いが違っていた。「おもてなし」はKitaraがオープンした時からの客への対応であった。東京のサントリーホールをモデルにしたレセプショニストの接客がホールに入った瞬間に心を和やかにしてくれる。

札幌にも音楽ホールがいくつかあるが、音楽を聴くだけのホールでないのが札幌コンサートホールの素晴らしさであると考えている。昨年は例年よりも他のホールでコンサートを聴く機会を増やして今年の特別な状況に備えていた。Kitaraの休館中は今のところ6枚ほどしかチケットを買っていない。

そんな状況もあり、コンサート鑑賞の度ごとに書いてきたブログも書き続けるのを躊躇している。自分の記録として書き始めて2年半にもなるので、これを区切りにしようかとも考えている。主としてクラシック音楽のジャンルで書いてきたが、半世紀ほど前の米国留学時代に書いた日記を読み返して綴ってみようかなという気持ちもある。

FC2.comには広告も載せずに長々と書き綴ってきたが、この数ヶ月に亘って悪用されて(私のブログを米国からアクセスして英語に翻訳して自分のブログにでもしている異常なアクセスをして)いるような感じもしている。ブログの会社の変な対応も気にかかっている。ここら辺が潮時かなとも思う。
過去のブログにアクセスしてくれる人が多いのが私のブログの特徴の一つだと思っているが、今まで気付かなかったことで、つい数日前に気付いて偶々見たクラシックの記事で2日続けて違うブログがランキング5位に入っていた。これにはビックリ! 気持ちが揺れ動いてしまう。 

札幌交響楽団第577回定期演奏会(2015年2月)

今シーズン最後の札響定期演奏会。マエストロ尾高忠明が札響音楽監督として最後を飾る定期演奏会でもあった。

~シべリウス生誕150周年記念・シベリウス交響曲シリーズvol.3~

Jean Sibelius(1865-1957)の生誕150年に向けて尾高音楽監督は3年間、3回シリーズでシベリウスの交響曲全7曲の演奏を計画してきた。第1回が2013年で「第1番」と「第3番」、第2回が2014年で「第2番」と「第4番」、最終回がシベリウス生誕150周年に当たる今回の2015年で「第5番~第7番」。
シベリウスの音楽には自然の美しさと厳しい冬の寒さに耐える北海道の大地と共通するものがある。札響はフィンランドの風土が持つ独特な音楽を巧みに表現する力を身に着けてきた。シベリウスの作品は今や札響の得意なレパートリーになっていると評価されている。マエストロ尾高が音楽監督として札響で最後を飾るに相応しいプログラムと言える。

2015年2月14日(土) 14:00開演 札幌コンサートホールKitara大ホール

〈プログラム〉
 交響曲第5番 変ホ長調 作品82
 交響曲第6番 ニ短調 作品104
 交響曲第7番 ハ長調 作品105

1915年は第一次世界大戦の最中であったが、国民的大英雄となっていたシベリウスの生誕50年に当っていたので、フィンランドは大祝賀行事として記念演奏会を企画した。シベリウスは記念祝典に備えて前年から新たな交響曲の構想を練っていた。1915年の彼の誕生日の12月8日の演奏会で「第5番」の初演が行われ、大成功を収めた。彼自身は満足せずに、1916年、1919年と改訂を重ねた。1918年にはフィンランドで内乱が起こり、シベリウスは一時アイノラを離れヘルシンキに避難しなければならなかった。そのような苦難の時期にも拘らず、この「第5番」は明るい響きを持ち、今日演奏される曲になっている。

「第5番」は3楽章形式。第1楽章は2つの楽章が融合した形で牧歌的な冒頭部が後のスケルツォを伴っている。様々な形で繰り返されてクライマックスへ。第2楽章は簡潔であるが力強く繊細で幸せな雰囲気を持つ。第3楽章は金管や木管の新しい主題が加わって、以前の彼のシンフォニーにない田園的雰囲気を持つ独特な作品になっている印象。

シベリウスの交響曲のCDはバルビローリ指揮ハレ管、コリン・ディヴィス指揮ロンドン響の輸入盤、サラステ指揮フィンランド放送響などで聴いてきたが、第2番以外は余り親しむほどでなかった。第4番の他に第6番もCDは持っていないことが判った。コンサートで聴くのも今回が初めてである。

1919年、フィンランド独立後はアイノラでの平和な生活が戻って、シベリウスは新しい交響曲にも取り組み始めた。しかし、経済的理由から、イギリス、スウェーデン、ノルウェーへの演奏旅行をしなければならず、思うように作曲活動は捗らなかった。「第6番」が完成したのは1923年である。

プログラム解説によると「第6番」は第一次大戦後のシベリウスの数少ないオーケストラ作品の代表的傑作のひとつと言う。曲は4楽章構成。演奏頻度は少なく、札響演奏歴も1回のみで定期での演奏は今回が初めて。
清澄な感じで深みがあり、何となく心に染み入る作品。聴き慣れた西欧の交響曲とは違う曲の印象で、後程、CDでも買って聴いてみようと思う。

「第7番」は6番とほぼ並行して書き進められていて、1924年に完成された。3楽章構成の予定が最終的には交響曲の要素を持つ単一楽章になったと言われている。ハ長調の明るい曲だが、調性を自由に変えて展開していく。大変印象的だったのはトロンボーンの活躍。今日の楽器編成はいずれも2管編成であったが、3曲ともトロンボーンが3本で、特に「第7番」では山下友輔トロンボーン首席の朗々とした吹奏が強く印象に残った。

シベリウスは1925年に交響詩「タビオラ」を作曲した後は別荘に引きこもり、外部との交渉を断って作曲活動を実質的に行わなかった。30年以上後の1957年に91歳で生涯を終えた。国家的行事として葬儀が執り行われた。

マエストロ尾高はピアニスト舘野泉の勧めでフィンランドのオーケストラとの共演を始めたと聞いているが、その後、フィンランドでの指揮活動も続いている。シベリウスの別荘「アイノラ」も舘野の案内で訪ねたそうで、今日は作曲家に対する想いを込めての指揮ぶりが印象づけられた。音楽監督として最後のステージとなる今日の演奏は万感胸に迫るものがあったと想像する。
その想いを受け止めてのオーケストラの演奏に聴衆も熱い共感を覚えた。一般的に地味な曲ばかりで定期演奏会ならではのプログラミングだったが、尾高音楽監督の最後のステージということで大ホールに詰めかけた聴衆もマエストロへの感謝の念に溢れていた様子であった。

マエストロ尾高が札響を初めて指揮したのが1971年で、81年~86年は札響正指揮者、98年から札響ミュージック・アドヴァイザー兼常任指揮者、04年から音楽監督を務め、札響シェフとして17年もの長い間札幌交響楽団の発展に尽くしてくれた。2015年3月末で札響音楽監督を退任する。札響音楽ファンの一人として心から感謝したい。
尚、4月からは彼は札響名誉音楽監督に就任する。

近年は札響東京公演が3月に行われているが、今年は2月17日にサントリーホールで今日と同じプログラムの公演が行われる。

上野 星矢 フルート リサイタル

「第8回ランパル国際フルートコンクール」優勝の逸材が昨年3月札幌でリサイタルを開催することを知って是非聴いてみたかったが、旅行のスケジュールと重なって残念な思いをしていた。今年も再びKitaraに来演することで聴く機会が出来た。
フルート史に残る巨匠ジャン=ピエール・ランパル(1922-2000)の名はかなり以前から知っていて、実際に1987年旭川公演を聴いた。当時のプログラムによると日本ツアーは旭川からスタートして東京公演まで1ヶ月に亘って22公演が行われた。1964年から日本ツアーが始まって、来日度数が15回でコンサート回数が225というから全国くまなく回っている。当然、札幌ではそれまでに3回公演が行われていた。(*記録は1987年現在)

札幌出身の世界的なフルート奏者、工藤重典は第1回ランパル国際の優勝者である。彼はランパルに師事して薫陶を受けていた。彼の演奏は何回も聴いたことがある。Kitaraでは世界的フルーティストであるジェームズ・ゴールウェイやエマニュエル・パユの演奏をそれぞれ数回聴いたこともある。
最近の日本の若いフルーティスト小山裕幾の演奏を7月に聴く予定がある。日本でも世界に通用するフルート奏者が排出する潜在的要素はあると思うがソロ活動を中心として身を立てようとすると難しいのであろう。

上野 星矢(Seiya Ueno)は1989年、東京生まれ。04年全日本学生音楽コンクール全国大会中学生の部第1位、05年高校生の部第1位。07年日本音楽コンクール・フルート部門第3位。08年、東京芸術大学入学。同年「第8回ランパル国際フルートコンクール」に優勝。09年、パリ高等音楽院入学。12年、同音楽院を最優秀賞で卒業。12年、13年と続けてリリースしたアルバムが2作連続で「レコード芸術」特選盤に選ばれる。これまでに東京響、新日本フィル、名古屋フィルなどと共演。ヨーロッパ各地でリサイタルも行い、オーケストラや室内楽にも出演している。現在はパリとミュンヘンを拠点にして活動。

2015年2月10日(火) 19:00開演 札幌コンサートホールKitara小ホール

〈プログラム〉
 プーランク(1899-1963):廃墟を見守る笛吹きの像(1941)
 ジョリヴェ(1905-74):リノスの歌(1944)
 バルトーク(1881-1945):15のハンガリー農民の歌 BB79/Sz.71(1914-18)
 ブーレーズ(1925-  ):ソナチネ(1946)
 プロコフィエフ(1891-1953):フルート・ソナタ 二長調 作品94(1942-43)
 タファネル(1844-1908):「魔弾の射手」による幻想曲(1876) 
                               (ピアノ:内門卓也)

プーランクのこの作品は彼の死後発見されたフルートの無伴奏による短い小品。
ホールの照明を落としてステージの奏者にのみ僅かな光を当てて始まったコンサート。フルートの音だけが暗闇の中に響いた。間もなくピアノ伴奏が入ったが、休みなしに演奏を続けたので2曲目に入ったとは気付かなかった。
通常のコンサートと違う演出のつもりだったのだろうが、素人の客には聞きなれない曲なので、曲の区別が判る演奏形態にしてほしいと思った。

ジョリヴェの“Chant de Linos”は古代ギリシャの挽歌。死の嘆きが叫びと踊りによって表現される哀歌。ジョリヴェの曲はエマニュエル・パユがリサイタルの折に彼の曲を数曲演奏したことがあり、彼のCDにも収録されているので覚えていた。パユは20世紀フランス音楽のほかに、“AROUND THE WORLD”(四大大陸とヘンデルから細川俊夫までの幅広い年代と地方の音楽)世界の音楽をフルートの音に乗せているCDもリリースしている。

バルトークのこの曲は第1~第4曲は昔の悲しい曲、第5曲スケルツォ、第6曲バラード、第7~第15曲は古い舞踊様式の曲。それぞれ短い15曲から成る。彼はコダーイと共にハンガリーの民謡や民族音楽を収集してピアノ曲にしたのが原曲。

ブーレーズは現代を代表する作曲家であり、有名な指揮者。この曲は彼の若き時代の傑作とされる。「ソナチネ」はデュティュー、サンカン、イベール、ミヨーなどのフルート曲に同じタイトルの曲がある。
ブーレーズは1940-50年代は主として作曲家として活動し、60年代から近代の作品を取り上げて指揮活動をするようになった。クリーヴランド管、BBC響を経てニューヨーク・フィルの音楽監督・常任指揮者を務めるまでになった。2002年日本ツアーでKitaraに初登場。ロンドン響を率いてスクリャ―ビン、シマノフスキー、ストラビンスキーを演奏した。演奏曲目も現代作曲家ならではの絶妙なプログラムであったと思う。当時は偉大な指揮者の演奏を聴けた感激を味わったが、現在の方がより良い鑑賞が出来る状況にあると思う。
とにかく来月で90歳を迎えるブーレーズ作曲の音楽を聴く機会があったことで気分もどことなく高揚した。

プロコフィエフのこの作品は第二次世界大戦中に書かれた。4楽章から成る本格的なソナタで聴きごたえのある作品。

タファネルという名は初めて聞く。19世紀の作曲家によるウエーバー原曲の有名な「魔弾の射手」のパラフレーズ。フルートの技巧が多く散りばめられた作品。
この曲はフルーティストもピアニストも楽譜なしで暗譜で演奏した。今回のツアーは仙台、名古屋、東京に続き札幌が最終回。必ずしも短い曲ではなかったが演奏慣れしているのだろうと思った。若さ溢れるエネルギッシュな演奏に拍手!

本日の演奏曲すべてが高度な技巧を必要とされる作品であると思った。モーツァルト時代の文字通りの木管のフルート(フルート・トラヴェルソ)は現代の金管ともいえるモダン楽器と実情を異にしていた。モーツァルトはフルート協奏曲第1番・第2番を残しているが、「第2番」は本来「オーボエ協奏曲」であった。彼は当時のフルートという楽器にそれほど創作意欲が湧かなかったのではという説もある。時代が進んで今やフルートは金色に輝く楽器で、素晴らしい澄んだ音色を響かせる楽器の花形と言えよう。札響でもフルート・ソロの奏でる旋律は実に美しくて心に響く。

弦楽器と違って管楽器を長時間に亘って吹き続けることは大変であると思った。08年共演者のピノック&マンソンの来日不能でパユが無伴奏でリサイタルを行なったことがあった。その時も大変だと思ったが、本日も殆ど休みなしで吹き続けた上野は若さの表れかと感心した。

アンコール曲は日本人歌手の作曲による有名な曲を3曲。
 尾崎豊:I Love You、  松任谷由美:海を見ていた午後、  春よ来い。
    
※現在のフラウト・トラヴェルソの演奏で世界のトップ奏者として名高い演奏家が日本の有田正広。81年、ブリュッヘン率いる18世紀オーケストラのヨーロッパ公演のソリストを務めた。85年のピノック率いるイングリッシュ・コンサートの来日公演でもソリストを務めた。88年、東京バッハ・モーツァルト・オーケストラを設立し音楽監督と指揮者を務め、06年に同オーケストラを再編成して、09年Kitaraに初登場。                           

オルガン ウィンターコンサート

札幌雪まつり期間中にKitara Organ Winter Concert が恒例のオルガンコンサートとして例年開催されている。

2014年2月8日(日)15:00開演 札幌コンサートホールKitara大ホール
 
出演/ モニカ・メルツォ―ヴァ(第5代札幌コンサート専属オルガニスト)

Monica Melcovaは1974年スロヴァキア生まれ。94年スロヴァキアの音楽院を経て、99年ウィ-ン国立音楽大学で音楽修士号を取得。同年パリ高等音楽院でオリヴィエ・ラトリーに師事。国際コンクールで数々の賞を受賞。2002年札幌コンサートホールKitara専属オルガニストに就任。サントリーホールはじめ国内の主要なホールなどでの演奏活動を積極的に展開。帰国後03~11年は教会オルガニストを務め、06-11年は音楽院にて教鞭をとるなど幅広い活動を行っている。リサイタルの他にヨーロッパや日本でのマスタークラスも担当している。
彼女のオルガン演奏をKitaraで聴いたのは04年、07年、11年、13年に続いて今回が5回目である。13年のウィンターコンサートの模様をブログで書いた時に予想以上のアクセスがあったのは日本での知名度が高かったためと思われる。
 
〈プログラム〉
 ポワヴァン:オルガン曲集より
 J.S.バッハ:フーガ ト短調 BWV578 「小フーガ」
         シューブラ―・コラール集より「ただ神の摂理に任す者」BWV647
         トッカータとフーガ ヘ長調 BWV540
 モニカ・メルツォ―ヴァ:即興演奏
 フォーレ(パイパー編曲):パヴァ―ヌ 作品50
 ヴィエルヌ:幻想的小品集より 「ウェストミンスターの鐘」 作品54-6

ボワヴァン(1649年頃-1706)はその名を初めて聞くフランスのオルガニスト。彼が残したオルガン曲集から5曲が続けて演奏された。フルートやトランペットなどの音色をもつフランスのバロック様式の作品らしいが、バッハとは違う色彩の曲。

バッハ(1685-1750)の「小フーガ」は美しくて親しみ易い旋律を主題とした4声部のフーガ。繰り返して登場するので耳慣れている。ニ短調の「トッカータとフーガ」と同じくらい有名な曲。
シュ―ブラ―・コラール集はバッハの弟子のシューブラ―が出版したためにその名で呼ばれる。全6曲(BWV645~650)から成るコラール集の第4曲がオルガン曲に編曲された作品。マリー=クレール・アランのCDでも聴いて親しんでいるが、第1曲「目覚めよ、と呼ぶ声あり」が度々コンサートで演奏されて、聴く機会が最も多い。
ヘ長調の「トッカータとフーガ」はバッハのオルガン曲の中で最も成熟した作品のひとつとされる。

モニカ・メルツォーヴァは現在スペイン在住でバスク地方の音楽院で即興演奏を担当している。ヨーロッパや日本でのマスター・クラスも行っていて即興演奏も得意である。今回はNHK朝のテレビ小説のテーマ曲「中島みゆき:麦の唄」による即興演奏を披露した。客席を埋めた聴衆誰もが知る曲を主題にしての即興演奏は丁度テレビ小説の舞台が北海道ということもありタイミングも良く彼女の知日ぶりがうかがえた。

フォーレ(1845-1924)の「パヴァ―ヌ」はオリジナルはピアノ曲で、列になって踊るスペインの宮廷のゆったりとした舞踊曲。合唱付きの管弦楽版の方がよく知られている。オルガン曲に編曲した作品も美しい音色で素晴らしい。

ヴィエルヌ(1870-1937)の「幻想的小品集」は4つの組曲が入る作品51-54.。彼の小品集の作曲によって《コンサートのためのオルガン音楽》が普及したと言われる。Kitaraの歴代のオルガニストも彼の小品集を好んで演奏している。この作品は交響楽的な響きを持つフランス製の大型オルガンのために書かれ、ロンドンのオルガン制作者に献呈された。
「ウエストミンスターの鐘」は作品54の第6曲。1929年パリ・ノートルダム大聖堂でヴィエルヌによって初演された。
「ウエストミンスターの鐘」は日本では学校のチャイムのメロディとして知られている。授業の開始時と終了時に鳴る“キーンコーンカーンコーン”。どのくらいの聴衆がこのメロディに気付いたが知りたいものである。(尚、この曲は昨年8月にオクタヴィアン・ソニエがフェアウエル・コンサートで演奏した。)

メルツォ―ヴァは適切な箇所で日本語で挨拶したり、曲の説明を入れた。アンコール曲の説明は英語でなされた。
「スカルラッティ:ソナタ ヘ長調K.466」、「スロヴァキアのポピュラーソングによる即興演奏」。
聴衆の反応を見ながら、アンコール曲を演奏する配慮なども好感が持てた。

ステージに置いたスクリーンで常時オルガン演奏の模様が映されていたのは大変良かった。手鍵盤や足鍵盤を使う様が見て取れた。また、プログラムを見なくても、演奏前にスクリーンに演目が映し出されるのは効果的であった。「トッカータとフーガ」で足鍵盤だけを使っている場面が数分間も続いた場面は画像がハッキリ見えて良かった。(女性奏者は足鍵盤の演奏ではかなり力が必要とされることを痛感した。)

1時間の充実したコンサート。雪まつり期間中の開催で孫を連れた客や観光客も目立った。3階まで埋めた客で1600名ほどの客の入り。オルガンコンサートとしては大入りと言える。生憎の雨模様で中島公園内の「ゆきあかり街道」は楽しめなかったが、コンサート開催に向けての主催者Kitara事務局の取り組み方が良くて全体として近年のウインターコンサートとして素晴らしかったと思う。

演奏終了後の聴衆の満足度も大。 メルツォ―ヴァのCDを今まで購入していなかったので、今回は買うつもりでいた。サイン会に並んでいつものように感想を英語で述べてCDにサインをして貰った。(“CDを買わなくてもサインはもらえます”と言って、オルガニストとの交流をすすめる案内も良かった。)終了後の1階ホアイエは賑わっていてコンサートの余韻が漂っていた。

札響名曲シリーズ2014-2015 vol.5 「響の翼に」~札響台湾公演壮行演奏会~

森の響フレンドコンサート

札幌交響楽団は2015年3月22日~28日、台湾の4都市で5公演を行う。マエストロ尾高にとって札響音楽監督としての最後の公演となる。ソリストは日本の俊英ヴァイオリニスト、成田達輝。
今回の札響名曲シリーズは台湾公演に先立っての壮行演奏会として開催された。

2014年2月7日(土) 14:00開演 札幌コンサートホールKitara大ホール

指揮/ 尾高 忠明 (Otaka Tadaaki)
ヴァイオリン/ 成田 達輝 (Narita Tatsuki)

[PROGRAM} 
 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64
ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 op.27

今回のプログラムは2曲とも「ホ短調」。協奏曲は最も親しまれているヴァイオリン曲。交響曲はラフマニノフの数少ない管弦楽曲で最も評価が高く、名曲と知られているが必ずしもポピュラーな曲というわけではない。演奏会のプログラムとして魅力的だと思う。

メンデルスゾーン(1809-47)は若くして亡くなったが、裕福な家庭に生まれて音楽家として幸せな生涯を送ったと言えよう。恵まれた生活環境の中で彼の作曲した音楽も明るい作品が多いように思われる。1822年にユダヤ教からプロテスタントに改宗し、彼の姓にバルトルディの名が付いている事からも両親は社会的に差別を危惧していたことがうかがわれる。20世紀前半の反ユダヤ主義で彼の音楽の評価に打撃が加えられた時期もあった。
彼は2曲のヴァイオリン協奏曲を残したがニ短調の曲は13歳の時の作品で20世紀の半ばに発見された。「ホ短調」は35歳の円熟した時の作品で4大ヴァイオリン協奏曲に数えられ、特に人気の高い名作として知られている。(ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーはヴァイオリン協奏曲を1曲しか書いておらず、いずれも二長調である。彼らの曲は調性が示されなくても構わないが、メンデルスゾーンの場合は必ず「ホ短調」と明記される。)

第1楽章ではオーケストラによる提示部がなく、序奏の後、すぐに独奏ヴァイオリンが優雅な第1主題を歌う。抒情的な第2主題が木管で示される。展開部と再現部の間に華やかなカデンツァが置かれる。曲は3楽章から成るが、各楽章は切れ目なく続けて演奏される。これらはメンデルスゾーン独自の新しい試みとされている。 第2楽章のアンダンテは叙情的な主題が印象的。第3楽章ではヴァイオリンが躍動感にあふれた音色を展開。(3つの楽章が続けて演奏されるのは聴衆の集中力を持続させるためのようである。)

成田達輝は1992年札幌生まれ。15歳で東京音楽コンクール優勝。10年ロン=ティボー国際コンクール第2位、12年エリーザべト王妃国際コンクール第2位に入賞して脚光を浴びる。11年よりパリ高等音楽院に学ぶ。これまでに尾高忠明指揮NHK響をはじめ、国内主要オーケストラや著名な指揮者と共演を重ねている。 12年12月、下野竜也指揮読売日響とKitara初登場でメンコンを演奏して故郷に錦を飾る。同年のジルベスタ―コンサートで現田茂夫指揮札響と共演して、「ベートーヴェン:ロマンス第2番」、「サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン」を演奏した記憶も鮮明に残る。(この2曲も台湾公演で披露するらしいから成田の得意曲なのだろう。)

2年ほど前の演奏も若々しくて新鮮味があったが、今回は経験も積んで一層輝きを増して華麗で迫力のある演奏になっていると思った。
ほぼ満席状態で大ホールの客席を埋めた聴衆からの万雷の拍手に応えてアンコール曲を3曲も演奏するサービスぶり。
《パガニーニ:「24のカプリ―ス」より第5番、第24番》、「エルンスト:庭の千草の主題による変奏曲」。
超絶技巧を要する難曲と言われる曲も鮮やかに弾きこなす様子は何とも頼もしい。エルンストの曲も初めて聴くが「庭の千草」のメロディが多様に変化して奏でられるのが心地良かった。

大ピアニストでもあったラフマニノフ(1873-1943)はピアノ曲を多く書いたが、交響曲は3曲しか書かなかった。交響曲第1番の初演の大失敗により重いノイローゼに陥ったことがある。同時代のシェ―ンベルクなどの音楽と比べると保守的とみなされたのだろう。1907年に完成した「交響曲第2番」はラフマニノフ独特の音楽性を貫いて国民に受け入れられた。
この曲の良さを知ったのは10年ほど前のN響アワーでのアンドレ・プレヴィン指揮の曲を聴いた時であった。ラトル指揮ロサンゼルス・フィル、プレヴィン指揮ロイヤル・フィル、アシュケナージ指揮コンセルトへボウ管などで聴いたりしていた。唯すぐにはメロディが馴染むほどには聴く機会は多くなかった。10年3月に尾高指揮札響でこの曲が演奏されたことは強い印象を受けなかったのか、5年前の事はハッキリと記憶に残っていなかった。

第1楽章は陰鬱で長大な序奏。曲全体で重要な3つのモチーフが示される。第2楽章はスケルツォで陽気でエネルギッシュ。4本のホルンで主題を吹き鳴らす。強烈な印象が与えられる楽章。第3楽章はアダージョで情緒に富んだロシアの魅力的なメロディが印象的。弦楽器が歌い上げる旋律とクラリネットの甘美でメランコリックな旋律が絡み合って美しさを増す。
第4楽章はアレグロ・ヴィヴァ―チェ。豪快な第1主題と歌謡的な第2主題。第1楽章から繰り返される「怒りの日」のモチーフ。曲は高らかにフィナーレへ。

マエストロ尾高は指揮棒を持たずに両手の動きが軽やかで、まるで舞っているように見えた。完全に曲の中に身を投じてオーケストラを手のひらに乗せている感じ。こんな印象を受けるのは彼が札響音楽監督として最後を飾ろうとしてしている瞬間が差し迫っている感覚が伝わってくるからなのか。とにかくオーケストラとの一体感が汲み取れる指揮ぶりであった。
約1時間を要する曲も長いとは思わなかった。しかも「第2番」がこんなに充実して身近に感じ取れる曲として聴けたのが良かった。

聴衆の感激も一入だったようで、心のこもった大きな拍手がホールに広がった。マエストロを讃える楽員の拍手も清々しかった。最後に台湾公演を待たずして退団するコンサートマスターの伊藤亮太郎にマエストロ自らが札響と聴衆を代表して花束を渡して感謝の意を表した。

プラハ・フィルハーモニア管弦楽団

2012年3月の日本公演以来、3年ぶりのプラハ・フィルハーモニア(PRAGUE PHILHARMONIA)の札幌公演。
Kitaraがオープンした年にチェコ・フィルがKitaraに来演してから、プラハ放送響、プラハ響、プラハ・フィルなどのチェコのオーケストラが頻繁に札幌公演を実施している。
プラハ・フィルハーモニア管弦楽団の公演を聴くのは2002年、04年、12年に続いて今回が4回目である。前回の公演はホルンのラデク・バボラークと都響の指揮者ヤクブ・フルシャが目当てでチケットを買った。今回はマイスキーとフルシャの組み合わせに注目した。
ブログを書きだして思い出したのだが、年間コンサート・ベストテンを各年度末に自分で選んでいるが、12年はフルシャ、13年はマイスキーの公演を各年度のベストテンの一つに選んでいた。

2015年2月3日(火) 7:00PM開演 札幌コンサートホールKitara大ホール

指揮/ ヤクブ・フルシャ
チェロ/ ミッシャ・マイスキー

ヤクブ・フルシャは1981年チェコ生まれ。プラハ芸術アカデミーでイルジー・ビエロフラーヴェクに指揮を師事。チェコ・フィルの准指揮者(02-03年)、プラハ・フィルハーモニアの客演指揮者(05-08)を経て08年からプラハ・フィルの音楽監督兼首席指揮者に就任して現在に至る。10年にプラハの春音楽祭65周年記念のオープニング公演でスメタナの「我が祖国」を演奏して国際的な注目を浴び評価を高めた。11年のグラモフォン誌で将来の巨匠となる可能性の高い10人の若手指揮者に名を上げられたほどの逸材。その後の活躍も顕著で国際的に活動している。今年の年末にはウィ-ン国立歌劇場デビューも予定されている。現在は東京都交響楽団の首席客演指揮者も務めている。

プラハ・フィルハーモニアはイルジー・ビエロフラーヴェク(*現チェコ・フィル音楽監督)が1994年に若い音楽家を集めて創立したオーケストラ。ビエロフラーヴェクはこの楽団の首席指揮者を06年まで率いて、08年からフルシャが後を継いだ。創立20周年を迎えて楽員の交代が殆ど無くて成長し続けるオーケストラ。

ミッシャ・マイスキーは私の好きなチェリストで、Kitara で聴く機会も多くて98、02、11、13年に続いて5回目。98年5月はマリス・ヤンソンス指揮ピッツバーグ響と協演してシューマンの協奏曲を弾いたのは忘れ難い思い出となっている。(当時、数日違いで公演があったサイモン・ラトル指揮バーミンガム市響のどちらを聴こうか迷ったことも未だ覚えている。今なら両方に出かけたのだが、、、。当時 二人はベルリン・フィルの後継指揮者の候補に挙がっていた。結果的にソリストのイダ・ヘンデルよりマイスキーの方を選んだ。)

〈プログラム〉
 スメタナ:交響詩「モルダウ」 ~「我が祖国」から
 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 op.104
 ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 op.95

今更、曲の説明をする必要のない定番ばかり。以前ヴァ―レクやビエロフラーヴェクはチェコ音楽以外の古典派の曲目も演奏していたが、最近は主催者の要望が強いのか殆ど同じような曲が多い。03年のズデニク・マーカル指揮プラハ交響楽団の演奏曲目と今回は全く同じである。(*当時のソリストは長谷川陽子)
ドヴォルザークの交響曲は第8番か第9番に決まっている。集客力を考えてだろうが、何とかならないものかといつも思う。札響定期でエリシュカのお蔭でチェコ音楽を幅広く聴かせてもらっているが、定期とツアーの選曲は違うのは当然だろうが頻繁に来日するオーケストラの公演にはもう少し変化があっても良い。
フルシャも都響とマルティヌーの交響曲第4番に挑戦したそうである。そこまでは行かなくても古い固定観念が無くなれば良いと思うのだが、集客力も大事で実際は難しいことは承知しているつもりである。

半年前からの先行発売で一番安い料金の座席を購入した。冬の北海道は飛行機の欠航によるホテルの余分な宿泊も考慮に入れてか本州よりチケット料金が高い。少々高くても札幌での公演があるのは有り難い。ドヴォルジャークとスメタナのほぼ同じプログラムでも日本では人気度が高い。今日も中島公園駅で地下鉄を降りてKitaraに向かう人の列が延々と続いて客の入りが予想できた。会場は満席状態で1950人以上の大入り。(P席からは客席状況が判リ易い)

プラハの街を流れる河「モルダウ」を愛するプラハの市民だけでなくチェコ国民の象徴ともなっている美しい曲がホールに流れ出すと親近感を覚える。若いオーケストラメンバーの生き生きとした演奏も新鮮で、直ちにコンサートに引き込まれてしまった。

「ドヴォコン」と親しまれている協奏曲はマイスキーが師事した二人の巨匠ロストロポーヴィチとピアティゴルスキーを始めカザルス、デュ・プレ、ヨーヨー・マなどのCDで親しんで、コンサートでも聴く機会が断然多い。意外にもマイスキーによるこの曲の生演奏は初めてになる。
他のチェリストと大きく異なる点は歌謡性のような気がした。ステージではいつもと変わらぬスタイルで音を紡ぐ。チェロの技巧がふんだんに発揮された。木管を中心とした柔らかい音色の旋律が相変わらず美しいのだが、座席の関係で特に金管楽器の反射音が強くて普段の響きとは違う印象を受けた。色々な聴き方が出来るのは望むところでもある。

マイスキーはソリストアンコールに応えて、珍しくオーケストラと共演で余り聞きなれない曲を披露した。
ドボルザーク:チェロと管弦楽のための「静けさ」。(ピアノ二重奏のための「ボヘミアの森より」Op.68の第5番の編曲)

コンサート当日まで何となくワクワク感に欠けていたが、曲の演奏が始まると気分も高揚してきた。いろいろな座席から鑑賞するのが好みでP席も好みだが天井が近い8列より後ろに座席を取ることはめったに無かった。違う響きを感じて、それなりの面白さを味わえた。

後半の「第9番」は何と言ってもドヴォルザークの作品の中で最も親しまれている名曲中の名曲。第1楽章がチェロの序奏で始まり、日本で馴染みの「四七抜きの」5音音階に基づく第1主題が提示される。第2楽章ではイングリッシュ・ホルンが哀愁を帯びた旋律を奏でる。全曲で最も有名な部分でドヴォルジャークの弟子フィッシャーがこの旋律を「家路」と言うタイトルで合唱曲にして有名になった。第3楽章はボヘミアの民族舞曲風のスケルツォ。第4楽章ではこれまでの楽章の主要主題が回想される。(ベートーヴェンの「第九」を想起させる)。ボヘミア的雰囲気のフィナーレ。

ドヴォルザークは僅か3年間のアメリカ滞在中に「新世界より」、《弦楽四重奏曲「アメリカ」》、「チェロ協奏曲」などの名作を作り上げたことは良く知られている。当時のドヴォルザークの充実した作曲活動に想いを寄せる機会にもなった。

オーケストラ楽員の平均年齢に近い指揮者は貫録も十分で楽員を掌握し自信に溢れた指揮ぶりは一層たのもしさを感じさせた。
最後にフルシャは日本語で挨拶し、アンコールの曲名を英語で言った。ほんの少しの言葉でも日本の聴衆への敬意と受け取れた。
アンコール曲は「ドヴルザーク:スラブ舞曲第15番」。
速いテンポの激しい舞曲で熱狂的に踊る民衆の姿を連想した。

今回の日本ツアーが札幌から始まり、幸先の良いスタートを切った。5日から8日まで東京、神奈川、大阪と4公演が続く。予定通り無事にツアーが成功裏に終わることを願う。









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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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