小山実稚恵 「音の旅」 第18回 2014年 秋 

1989年から聴き始め、2005年からは毎年欠かさず聴いている小山実稚恵のコンサートも今回で26回目となる。1985年のショパン国際コンクールで話題になってから聴く機会が断然多いピアニストである。

12年間・24回リサイタルシリーズ2006~2017
第18回 2014年 秋
 ~粋な短編小説のように~  イメージ〈オレンジ〉:香る郷愁・切ないまっすぐな想い出

2014年10月31日(金) 19:00開演 札幌コンサートホール Kitara小ホール

〈プログラム〉
 スカルラッティ:ソナタ 嬰ハ短調 L.256/K.247、  ソナタ ホ長調 L.257/K.206
 シューマン:8つのノヴェレッテン 作品21より 第1番、第2番、第4番、第8番
 ショパン:スケルツオ 第2番、  バラード 第1番
 アルベニス:組曲「イベリア」第1集より 第1曲「エボカシオン」、第2曲「エル・プエルト」
 リスト:巡礼の年 第3年より 第4曲「エステ荘の噴水」
 ドビュッシー:版画より 第2曲「グラナダの夕暮れ」、 「喜びの島」

2014年 秋 第18回の全国公演は札幌からスタートしたようである。彼女のツィッターから判断すると、かなり頻繁にコンサートに出演している様子で忙しいスケジュールをこなして少し疲れ気味の感じがしないわけでもなかった。いつものように演奏の前にプログラムの簡単な説明があったが、マイクの音量が良くなかったのか残念ながら明瞭に言葉を聞き取れない箇所が目立った。

スカルラッティ(1685-1757)の曲は馴染んでいない。生まれた年がバッハ、ヘンデルと全く同じことを知ったのはスカルラッティの名を知った25年ほど前のことである。バッハ、ヘンデルは音楽の教科書で60年前から知っていた。ヘンデルとスカルラッティのピアノ曲は偶々マレイ・ペライアのCDを持っていて偶に聴く。バロック時代の3人の作曲家が同じ1685年生まれというのは偶然とは言え驚きを禁じ得ない。
スカルラッティは555曲ものソナタを書いたようだが、ペラィアの弾いた7曲にK.206が入っている。ソナタのなかでも最も有名で美しい作品なのだろう。ピアノが発明されたのが1709年と言われているから、チェンバロで書かれた作品が多かったと思うが、ピアノで聴いても違和感はない。

シューマン(1810-56)の曲を多く聴くようになったのは5年ほど前からである。さほど好みの作曲家というわけではないが、集中的に特売のCDを買ってピアノ曲や室内楽曲を聴いている。「8つのノヴェレッテン」は福間洸太朗のNAXOSのCDが手元にあった。8曲中どの曲が演奏されるのか分からなかったが、一応全曲聴いておいた。
ドイツ語でノヴェレッテ(Novellette)は短編小説、ノヴェレッテン(Novelletten)は複数形で短編小説集の意味。小山が今回のコンサートのテーマを「粋な短編小説のように」としたのはこの曲を念頭にしてプログラミングしたことがうかがえる。
ピアニスト本人の解説によると、シューマンが幼いころから親しんでいた小説に登場する人物が 音楽の中で描かれ、彼の思いが音に投影されていると言う。各曲4・5分だが第8番だけ12分の演奏時間。詩情豊かで魅力的なピア二ズムあふれるシューマンの世界。

前半は聴き慣れない曲の構成だったが、後半はショパン(1810-49)の名曲スケルツォとバラード。各4曲の中で最も親しまれている曲をそれぞれ1曲。
ステージを下がらずに同じ作曲家の作品を連続して弾く場合は演奏家の集中力をそがないようにする配慮が聴衆に求められる。演奏家の動きと会場の雰囲気で「場を読む」必要性を感じてほしい。
「スケルツォ第2番」が終るや否や、後方の男性の「ブラボー」の掛け声と拍手。つられて拍手が広がった。「バラード第1番」は最後の音が消えないうちに掛け声と拍手。今度の拍手はパラパラ。 折角の名曲の演奏だったが、何となく後味が良くなかった。

続いてリサイタルシリーズ初登場のスペインもの。 アルベニス(1860-1909)の組曲「イベリア」で小山実稚恵のCDの名曲集に収録されている「エル・プエルト」だけは聴いたことがある。スペイン南部のアンダルシア地方の民俗音楽は人々の魂を揺り動かすものがある。

リスト(1811-86)の「エステ荘の噴水」は最近耳にする曲で特に気に入っている。水の動きが美しい調べとなって表現されている見事な作品。陽の光を浴びながら万華鏡のように輝く噴水の様子が絵画的で、一つ一つの音が心に沁みわたるようで得も言われぬ美しさ。今日一番心に響いた曲であった。

ドビュッシー(1862-1918)はスペインには数時間滞在しただけで、もちろんグラナダにも行ったことはないそうだが、「グラナダの夕暮れ」はスペインの舞曲ハバネラのリズムによる作品。 
「喜びの島」は最近の演奏会で聴く機会が増えている。高度な技巧が必要とされ、華やかで色彩感豊かな曲であるのがコンサートの演奏曲目に繋がっているのかも知れない。

今回のプログラムは小品が多くて、結果的にシューマンを中心に据えてテーマを考えてプログラミングしたように思えた。何となくピンとこなかった。シリーズを開始する2006年以前から構想を練って、計画した壮大なプロジェクトなので、この程度のことは仕方ない。演奏そのものは毎回満足のいくものである。演奏終了後に綺麗なブーケを手渡すファンも二人いたが、最近の演奏会では珍しい。客の入りも良く、新しい客層も増えいる感じで残り3年、6回のコンサートの楽しみが続く。

アンコール曲は「アルベニス:パヴァ―ヌ カプリツィオ」、「リスト:愛の夢」、「グラナドス:スペイン舞曲第5番」。
3曲中2曲がスペインものというのも珍しい。 但し、いずれも耳にしたことがあるメロディ。

:***「音楽の友」誌の対談イヴェントの案内が同誌11月号に載っていた。小山実稚恵と工藤公康の対談。「脱力の極み」と題して11月11日(火)18:30~、東京・神楽坂の音楽の友ホールで行われる。
小山実稚恵が「長年の思いが叶い、この対談が実現しました。一流プレーヤーが何かを成し遂げる時の精神・身体・頭脳の「脱力」についてその秘儀や奥義を聞いてみたいと思っています。」と述べている。
ソフトバンク・ホークス監督就任が決まった工藤公康との対談は意外性があって非常に興味深く思う。

          

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札幌交響楽団第573回定期演奏会(2014年10月)

秋晴れが続く好天を利用して25日は札幌紅葉名所めぐりに出かける計画を立てた。そのため25日の昼公演を予め夜の公演に切り替えておいた。

2014年10月24日(金) 19時開演 札幌コンサートホール Kitara大ホール

尾高忠明は来年3月末で札幌交響楽団音楽監督を退任するが、マーラーの交響曲はこの数年は2番、3番、4番 5番を定期で指揮してきた。今回は一応の区切りとして9番を取り上げた。

〈プログラム〉
 マーラー:交響曲第9番

マーラー(1860-1911)はベートーヴェン以降、シューベルト、ドヴォルジャーク、ブルックナーらが第9番の交響曲で死去していることを凄く気にしていたと言われる。9番目に書かれた歌曲のような交響曲には番号をつけず「大地の歌」というタイトルをつけた。
「交響曲第9番」は1909年から翌年にかけて書かれた。彼の健康状態は悪化して、死期を予感していたようだ。ほかの交響曲でも「死」がテーマになって死を恐れて悩む様子が描かれている。この《第9番》は「静」に始まり「静」で終る。安らぎの世界に入っていく雰囲気が感じ取れる。

マーラーの曲で第1番「巨人」は今ではポピュラーな曲として親しんでいる。「第5番」も聴く機会が多くなっている。未完成の「第10番」まで一応CDは全曲持ってはいるが、親しんで聴くほどには至っていない曲が多い。

マーラーの交響曲は1時間に満たない曲は第1番と第4番だけ。一番長い曲は90分以上かかる第3番ではないかと思う。唯、指揮者によって演奏時間が違う。第9番の手元のCDでは〈ショルティ指揮シカゴ響は約85分〉、〈サロネン指揮フィルハーモニア管は約78分〉。今日の尾高指揮札響は約85分であった。

札響のこの曲の演奏歴は過去2回で第1回が1996年3月 指揮:若杉 弘、第2回が2003年5月 指揮:尾高忠明。尾高は札響音楽監督としての最後のシーズンに彼の思い入れのある大好きな「マーラーの第9番」を選曲したように思われる。

第1楽章はアンダンテ・コモドで静かに始まり、第2楽章もゆっくりとしたテンポ。第3楽章だけがアレグロ・アッサイで「きわめて反抗的に」と指定された激しいリズム。第4楽章はアダージョで非常にゆっくりと弦楽合奏が目立つ演奏。
4管編成ではあったが、マーラーの第6~第8の楽器編成に見られたチェレスタ、ピアノ、特殊な打楽器などの使用がなくて曲全体が落ち着いた内省的なものになった。チャイコフスキーの〈第6番 悲愴〉に似た曲の構成も感じられた。エンディングが消えゆく音で極めて静かに終り印象的であった。

演奏が終わって余韻に浸る時間が10秒くらいは続いた。これは今までにない状況であった。曲の世界に引き込まれて感動した聴衆の姿だと思った。

マエストロ尾高はいつもの重厚な落ち着いた印象とは違って、彼の思い入れが伝わってくる極めて情熱のこもった指揮ぶりであった。マーラー作曲当時の複雑な心境を表現する大曲の演奏は指揮者としても大変なのであろう。演奏終了後のオーケストラ団員の指揮者への賞賛は普段の演奏会での指揮者への賞賛とは少し違うものを感じた。

*2015-2016年定期演奏会プログラムが発表になった。
指揮にアシュケナージ(11月)、指揮とオーボエにハインツ・ホリガー(9月)、外国人ソリストにゲルハルト・オピッツ(12月)、イザベラ・ファウスト(1月)、日本人ソリストに小山実稚恵(10月)、河村尚子(11月)の名前を見て興奮した。特にイザベラ・ファウストは注目のヴァイオリニストなので、16年1月が今から楽しみである。
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ブロムシュテットのN響公演~モーツァルトとチャイコフスキー

スウェーデンの世界的指揮者ブロムシュテットがNHK交響楽団と共演して9月に3回の定期公演を行なった。その公演の模様がNHK日曜日Eテレ番組《クラシック音楽館》で3週に亘って放送された。モーツァルトとチャイコフスキーの各々最後の交響曲3曲の組み合わせの演奏会で第1週目の放送で興味を引いた。


〈第1787回定期公演Bプログラム〉
  モーツァルト:交響曲第39番、 チャイコフスキー:交響曲第4番
〈第1788回定期公演Cプログラム〉
  モーツァルト:交響曲第40番、 チャイコフスキー:交響曲第5番
〈第1789回定期公演Aプログラム〉
  モーツアルト:交響曲第41番《ジュピター》、 チャイコフスキー:交響曲第6番《悲愴》

放映に当たって指揮者へのインタヴューもあって興味を掻き立てられた。ブロムシュテットに対してはN響への客演指揮の様子をテレビで観たりして外見的に今は亡きサヴァリッシュに似ている感じがして親近感を抱いていた。彼らの札幌での公演をそれぞれ2回聴いたこともある。

ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)は1927年アメリカでスウェーデン人の両親のもとに生まれ、29年に家族と共にスウェーデンに移住。ストックホルム王立音楽院、ジュリアード音楽院などで研鑚を積み、指揮法はマルケヴィッチやバーンスタインに師事。54年にノールショピング響の首席指揮者となり、オスロ・フィル、デンマーク放送響、スウェーデン放送響の首席指揮者を歴任し、ドレスデン国立歌劇場首席指揮者(75-85年)としてオペラでも活躍。85-95年にはサンフランシスコ響音楽監督、96-98年には北ドイツ放送響首席指揮者、98-05年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管首席指揮者として活躍。
02年と05年の2回、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管を率いての日本ツアーで札幌公演を行っている。02年は「モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲」と「ブルックナー:交響曲第5番」を指揮。05年は「バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番」(ヴァイオリン独奏:フランク・ペーター・ツィンマーマン)と「ベートーヴェン:交響曲第3番《英雄》」。親しみ易い曲の演奏で2回目のKitara公演が強く印象に残っている。

ブロムシュテットはN響客演が多く、NHK交響楽団名誉指揮者になっている。87歳の高齢とは思えない若々しい指揮ぶりと、リハーサルでの楽団員に対する熱心で真摯な指導法に大きな関心を抱いた。

モーツァルトとチャイコフスキーのカップリングは意外性があって面白かった。ブロムシュテットによると、二人の作曲家には共通点があって、曲がエモーショナルで情熱的であると言う。インタヴュワーに“モーツァルトは悲劇的な感情を「ト短調」で表現した”とメロディを口ずさみながら、「第40番」について説明をしていた。オーケストラ団員にも具体的に歌いながら指示をしている様子は作品に対する解釈を演奏者と共有する態度がうかがえた。作曲家の真意を追求するために楽譜を読み取り、楽譜通りに演奏する大切さを説いていた。チャイコフスキーの「第5番」は楽譜に凄く細かい指示がされていると言う。チャイコフスキーは感傷主義的な作風なのでロシア人には余り好まれなかったとも付け加えた。(ロシアではチャイコフスキーはブラームスに似ていて西洋音楽に近いので、ロシア国民楽派の流れから外れているとして日本や欧米におけるような人気のある偉大な作曲家として位置づけられていないという話は聞いたことがある。) とにかく、モーツァルトとチャイコフスキーの音楽の共通点を「エモーショナル」と強調していたのが印象的であった。

昨日のリハーサルでも楽譜の大事なところで歌いながら説明して、具体的な指示を出していた。「悲愴」の演奏で“トランぺットはヨーロッパでは「死」を意味する”と言って、トランペット奏者から指揮者が望む音を引き出していた。トランペット首席も有益な指示に感動したと感想を述べていた。

ブロムシュテットは譜面の中で作曲家の感情を読み取る音楽作りを大事にしているようである。演奏家への尊敬の念を忘れずにオーケストラ全体で音楽作りをしようとしている姿に感動さえ覚えた。今まで多くの指揮者を観てきたが、リハーサルの様子が今回映像で観れて大変興味深かった。




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デビュー55周年記念 中村紘子 ピアノ・リサイタル

今日も秋晴れに恵まれた札幌。木の葉が色づきを増し紅葉の美しい中島公園。陽の光りを浴びてKitaraへと向かう人の群れ。Kitaraのエントランスホールへと吸い込まれていく。

《中村紘子ピアノ・リサイタル》が彼女のデビュー55周年記念として開催される。中村は札幌交響楽団の定期演奏会に1970年以降、74、79、80、82、83、84年に出演してきた。以下がその記録である。
①70年10月 森 正指揮 「ショパン:ピアノ協奏曲第2番」 (*70年1月 アルゲリッチがシュヴァルツ指揮で「プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番」を旧札幌市民会館で演奏)
②74年4月 森 正指揮 「矢代秋雄:ピアノ協奏曲」
③79年3月 岩城宏之指揮 「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番」
④80年3月 岩城宏之指揮 「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番」
⑤82年3月 岩城宏之指揮 「プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番」
⑥83年3月 尾高忠明指揮 「ショパン:ピアノ協奏曲第2番」
⑦84年2月 尾高忠明指揮 「サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番」

私が実際に聴いた中村紘子によるコンサートは以下の通りである。
①89年12月 秋山和慶指揮札幌交響楽団 「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番」
②93年1月 ヤン・クレンツ指揮札幌交響楽団 「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番」
③98年2月 ドミトリー・キタエンコ指揮ベルゲン・フィル 「グリーグ:ピアノ協奏曲」
④98年12月 小林研一郎指揮ハンガリー国立響 「チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番」
⑤01年4月 本名徹次指揮オーケストラ・アンサンブル金沢 
         「ショパン:ピアノ協奏曲第2番」、「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番」
⑥02年11月 ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ響 「グリーグ:ピアノ協奏曲」
⑦04年4月 ピエロフラーヴェク指揮プラハ・フィル 「ショパン:ピアノ協奏曲第1番」
⑧10年2月 円光寺雅彦指揮札幌交響楽団 「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番」
今日のコンサートで彼女の演奏を札幌で聴くのは4年ぶりで9回目になるが、今までのコンサートが全部オーケストラとの共演とは気付かなかった。テレビなどで観て聴く場面が結構あったのでリサイタルも聴いたことがあると思っていた。

中村紘子(Hiroko Nakamura)は1944年、山梨県生まれ。東京で育ち、3歳からピアノを始め、桐朋学園子どものための音楽教室第1期生として井口愛子に師事。慶応義塾中等部3年在学中の1959年、日本音楽コンクールで第1位特賞を受賞。60年、岩城宏之指揮東京フィルとの共演でデビュー。同年秋にはN響の初の海外ツアーにソリストとして同行。63年、ジュリアード音楽院に留学。在学中の65年、第7回ショパン国際ピアノ・コンクールで第4位、最年少者賞も受賞。(*この年はアルゲリッチが優勝)。
以後、国内外で幅広い演奏活動を行い、ショパン、チャイコフスキーなど多くの国際コンクールの審査員としても活躍。89年に出版した「チャイコフスキー・コンクール」が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなど、文筆活動でも才能を発揮している。
94年に浜松国際ピアノ・コンクールを創設し、国内外の若手ピアニストの育成に貢献している。幅広い音楽活動に対して様々な賞を国内外で受賞。

〈プログラム〉
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調「テンペスト」 Op.31-2
 ドビュッシー:2つのアラベスク
 リスト:ウィ―ンの夜会 第6番 S.427-6
     メフィスト・ワルツ第1番「村の居酒屋での踊り」
 シューベルト:4つの即興曲 Op.90 D.899
 ショパン:ポロネーズ第1番 嬰ハ短調 Op.26-1
       ポロネーズ第2番 変ホ短調 OP.26-2
       ワルツ第9番 変イ長調 「別れ」Op.69-1
       バラード第1番 ト短調 Op.23

今回は中村紘子の14年ぶりのKitaraでのリサイタルとあってか、予想以上に多くの人々がホールの客席を埋めた。最近のリサイタルでRA、LAの2階席が満席状態なのは珍しい。3階席にも客が入っていた。コンサートが始まる前から会場の雰囲気も期待感が高まり、通常のコンサートより高揚感があった。
 
前回はオール・ショパン・プログラムだったようだが、今回は多彩なプログラミング。
ベートーヴェンの4大ピアノ・ソナタとは趣が異なって、「テンペスト」は暗い雰囲気を持つが、緊迫感のある大胆な楽想の曲。中村は力強い打鍵で弾き切った。

「アラベスク第1番」は昨日のモントリオール響の「クープランの墓」の演奏に由来するクープランなどのフランス音楽やバッハの鍵盤音楽に対する思いが込められていると言う。「アラベスク第2番」は「第1番」とは対照的に躍動感に溢れている曲。いずれもアラビア風の小品。

リストの「ウィ―ンの夜会第6番」はピアニストにとっては名曲のようだが、この曲は知らない。編曲もの。
「メフィスト・ワルツ第1番」はアルゲリッチのCDがあってよく聴くが、最近になって曲の面白さが解ってきた。この曲も編曲もので、管弦楽曲やオペラ作品の数々を編曲して当時の音楽を広めたリストの偉大さを改めて思い返す。オペラをパラフレーズした「リゴレット・パラフレーズ」などは辻井伸行などの演奏で曲が広まった感じがする。
リストの曲は高度な演奏技術が必要とされる曲が多いと言われる。中村の小さな手の指が鍵盤の上を激しく動きまわる様子が逐一見えたが、素晴らしいテクニックだと思った。

前半の「テンペスト」と「メフィスト・ワルツ第1番」の迫力は“さすが中村紘子”を印象づける演奏となった。聴衆からの拍手の大きさは言うまでもなかった。

シューベルトの「4つの即興曲」はアンドラ―シュ・シフのCDで早くから耳にしていて、今や第1番から第4番まで4曲とも耳慣れた心地よい音楽として鑑賞している。とてもロマンティックな曲で親しみ易い。気の趣くままに聴ける。中村も力まずに普段通りに弾いている様子に見えた。
ここ2・3年シューベルトのピアノ曲が心に沁みる。12年11月に東京オペラ・シティで聴いたラドゥ・ルプーのシューベルトは未だ忘れられない。

ショパンの曲のCDはほとんど持っていて、コンサートで聴く曲は耳慣れている。演奏会の案内チラシには「ポロネーズより」となっていて、リサイタルの企画段階では曲目は決まっていなかった。軍隊・英雄・幻想というタイトルのないポロネーズでも、「第1番」「第2番」はそれぞれ対照的な曲想の曲で耳慣れたメロディが流れた。
「ワルツ第9番」は“別れのワルツ”として知られる名曲。
「バラード第1番」は詩的なイメージを綴ったバラード4曲のなかでも特に親しまれている名曲。
この55年間に多分一番演奏する機会も多く、得意なショパンの選曲に迷ったであろうが、ベートーヴェンやリストとは違ったショパンならではの華麗な演奏を繰り広げてくれた。

万雷の拍手に応えて、疲れもいとわずに、アンコール曲を3曲。すべてショパンの曲。
「マズルカ第25番」、「ワルツ第6番《子犬のワルツ》」、「幻想即興曲」。

小柄な体であるが、貫禄充分でオーラを放つ演奏でやはり特別な《中村紘子の世界》を展開したコンサートとなった。



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ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団

〈Kitaraワールドオーケストラシリーズ〉       テレビ北海道開局25周年記念

ケント・ナガノは今から丁度15年前の1999年10月18日ベルリン・ドイツ交響楽団を率いてKitaraに華々しく登場。当時のプログラムによると日本ツアー12公演。札幌では「モーツァルト:交響曲第40番」、「R.シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》」を演奏した。(Kitara初登場はPMF1997でロンドン響と共演。この時はロンドン響3公演があってエッシェンバッハを聴いた)。ヨーロッパのオーケストラはKitaraがオープンした1997年以来数年の間に一流のオーケストラが訪れているが北米のオーケストラの公演の機会に恵まれていない。今回は世界のメジャー・オーケストラの一つ、モントリオール交響楽団のKitara初登場で昨年から心待ちにしていた。

ケント・ナガノ(Kent Nagano)は1951年、カリフォルニア生まれの日系アメリカ人。カリフォルニア大学、サンフランシスコ州立大学大学院卒業後、79年、バークレー響の指揮者を務める。83年、ロンドン響と初共演。86年、新日本フィルを指揮して日本デビュー。87年、ニューヨーク・フィル・デビュー。リヨン歌劇場音楽監督(89-98年)、90年、ロンドン響首席客演指揮者、ハレ管音楽監督(91-2000年)を歴任。2000年、ベルリン・ドイツ響芸術監督に就任。01年にはロサンゼルス・オペラ首席指揮者(03年からは音楽監督)。06年からはバイエルン州立歌劇場音楽総監督とモントリオール響音楽監督を兼務。15年からハンブルク州立歌劇場音楽監督、エーテボリ交響楽団首席客演指揮者に就任予定。

カナダのケベック州のフランス語圏の州都に本拠地を置くモントリオール交響楽団(Orchestre symphonique de Montreal)は1934年創設(初のコンサートは1935年1月14日で1935年結成の記録が一部にある)。78年にシャルル・デュトワが音楽監督に就任してから世界のメジャーオーケストラの仲間入りをしたと言われる。ラヴェルをはじめフランス音楽を得意として「どのフランスのオーケストラよりもフランス的なオーケストラ」という定評を確立した。デュトワ辞任(~02年)後の06年、ケント・ナガノが音楽監督に就任(2020年まで契約延長)。
初来日は1970年で大阪万国博への出演。1992年にデュトワ指揮で札幌公演が行われたと言う。今回が10回目の日本ツアー。

〈プログラム〉
 ラヴェル:組曲「クープランの墓」、 「ボレロ」
 ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲「展覧会の絵」

ラヴェル(1875-1937)はドビュッシーと共にフランス印象派音楽を代表する作曲家。
「クープランの墓」はピアノ曲として古典組曲風の6つの楽章を持っていたが、後にオーケストラ版に編曲された。その際に4曲に縮小された。原曲は第1次世界大戦で亡くなった友人たちに捧げられた。「墓」は“故人をしのぶ曲”という意味で、この曲では故人の想い出を偲んで作られたので生き生きとした明るい雰囲気の曲になっている。クープランはバロック時代の作曲家で、この作品に彼の名を使ったそうである。
オーケストラ版とピアノ版の両方のCDを所有して数回聴いたことがある程度で、この曲には親しんでいない。数日前に予め、インバル指揮フランス国立管による曲を聴いてみた。

演奏会で聴くのは初めてだと思う。木管楽器が活躍し、色彩豊かに演奏された。オーボエ3、フルート2、ピッコロ1、ファゴット2、クラリネット2、ホルン3と弦楽5部。オーボエとフルート各首席奏者の演奏が光った。(オーボエのバスキン(Baskin)、フルートのハッチンズ(Hutchins)は30年前から同響の首席を務める名手らしい。)

「ボレロ」はバレー音楽でラヴェルの代表作。小太鼓が絶え間なく刻み続けるリズムの曲は極めてユニークで人々に最もよく知られている名曲のひとつ。この曲をこんな大編成のオーケストラで観ていても楽しめた。ハープ2、チェレスタ1、打楽器6。低音域弦楽器のピッツィカートのほかに、第2ヴァイオリンのピッツィカートもあった。フィナーレにおけるオーケストラの総奏は輝かしい響きで、最終局面での盛り上がりは素晴らしかった。感動的なフィナーレ。久し振りに聴いた「ボレロ」は今まで耳にしたなかで最も心を打った。
曲が終るや否や聴衆が一斉に感動に満ちた万雷の拍手がホールに響き渡った。久しぶりに大ホールの9割以上の客席を埋めた観客が心からの拍手を送った。しばし鳴り止まぬ拍手に人々の感動が伝わっていた。

後半の曲目も誰もが耳にする名曲。ムソルグスキーのピアノ曲はラヴェルによるオーケストラ編曲版によって広く世に知られるようになったと言われている。原曲は個性豊かな表現と色彩に富む作品で、ピアノ・リサイタルでもよく演奏されている。これまでのブログにも何度か書いているので曲の内容は今回は繰り返さないことにする。

コンサートの前に演奏曲目をCDで聴くのを原則にしているが、最近は忙しくてポピュラーな曲は予め聴かないことが多い。ピアノ曲はアファナシェフ、キーシン、アシュケナージによる演奏のCD。オーケストラ・ラヴェル版はアンセルメ指揮スイス・ロマンド管に親しんでいたが、アシュケナージ版を聴くこともある。

ナガノはオペラとコンサートの両分野で最も多彩な活動を行っていると評価が高いが、オーケストラから自由自在に色彩感に溢れた音を引き出した。楽譜をめくりながらの丁寧でリズム感のある明快な指揮ぶり。トランペットをはじめ管楽器の多彩で力強い音色が豪華絢爛な作品を彩った。フィナーレでの鐘の音がとても印象的であった。

編曲とは言え、ラヴェル独特の色彩感のある豪華なオーケストレーションの素晴らしい曲で《オール・ラヴェル・プログラム》と言えるようなプログラミングに満足。
数年前までラヴェルのCDは「ボレロ」以外はケント・ナガノ指揮ロンドン響の「ダフニスとクロエ(全曲)」、「スペイン狂詩曲、優雅で感傷的なワルツ、古風なメヌエット、ラ・ヴァルス、ボレロ」の2枚だけしか持っていなかった。ポゴレリチの「夜のガスパール」が気に入り、インバル指揮フランス国立管の管弦楽曲全集(輸入盤)、ジャン=イヴ・ティボーデやケフェレックのピアノ曲を手に入れてラヴェルも聴くようになった。いずれにしても、90年代初めにケント・ナガノはラヴェルが得意で注目されていたことになる。

アンコール曲は《ラヴェル:ラ・ヴァルス》、《日本の唱歌3曲のメドレー「青い目の人形」、「十五夜お月さん」、「赤い靴」》、《ビゼー:「アルルの女」第2組曲より〈ファランドール〉》。
東京、福井、京都、横須賀、福島に続いて札幌公演が日本ツアー最終日。北米とヨーロッパがNAGANOの活動の中心とは言え、6年ぶり2度目の来日公演で日本への想いがアンコール曲にも表れていると感じた。

予定の演奏曲目終了後、アンコールには時間を要する「ラ・ヴァルス」など30分にも亘る演奏が展開された。フランス音楽の間に、日本の唱歌がメドレーで流れて穏やかな雰囲気が会場を包んだ。最後はナガノ得意の舞曲でコンサートを華麗に締めくくった。日本ツアー最終日とあってか大サービス。開始時間には秋晴れだった一日も窓の外は日が落ちていた。ホアイエにはコンサートの余韻が残り、指揮者のサインを貰う人々の長い列が続いていた。

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アルゲリッチのドキュメンタリー映画 “BLOODY DAUGHTER”

アルゲリッチのドキュメンタリー映画《アルゲリッチ 私こそ、音楽!》(原題“BLOODY DAUGHTER”が上映中である。2012年のフランス・スイス映画で、彼女の三女ステファニ―が監督として作り上げた作品。9月末に東京で上映が始まって新聞に批評が載っていた。札幌では今月11日からシアターキノで上映開始。音楽映画はシアターキノで上映されることが多い。

マルタ・アルゲリッチは1941年、アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。55年、外交官の父とともに渡欧。グルダと出会い、音楽的に大きな影響を受けた。57年、ブゾーニ国際ピアノ・コンクールとジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝。65年、ショパン国際ピアノ・コンクールに優勝。その後の彼女の世界的な活躍は言を待たない。

音楽之友社発行の《クラシック不滅の巨匠100》の中で〈不滅の大巨匠15〉にピアノ界から4人の名が上げられている。ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、アルゲリッチ、ポリーニ。
今世紀最高のピアニストと言われるアルゲリッチの音楽に関わる話には大きな関心があるので早速、昨日映画館に足を運んだ。
彼女には父親が違う娘が3人いる。次女の父が指揮者シャルル・デュトワ、三女の父がピアニスト、スティーヴン・コヴァセヴィチ(*コヴァセヴィチはこの映画に協力して出演している。) この程度のことは知っていたがそれ以上のことに関心はなかった。
三女を通してストーリーは綴られる。映画でアルゲリッチ自身が奏でる名曲があった。一番最初の曲が「プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番」。この曲は2002年、アルゲリッチがKitaraに初登場してデュトワ指揮PMFオーケストラと共演した私の思い出の曲。ワクワクして聴いた。次に「ショパンの協奏曲第1番」の演奏場面。(アルゲリッチのピアノでデュトワ指揮モントリオール響のCDが手元にある。) 彼女の魅力的な演奏が数曲続いた。

16歳で脚光を浴びて、演奏に明け暮れる日々が続いて孤独な人生を送り、精神的に大変であった様子も描かれた。長女が母と一度も一緒に暮らすことがなく、父の下で暮らすことになった話は初めて知った。(長女はヴィオラ奏者として母と別府アルゲリッチ音楽祭で共演する場面も描かれていた。)24歳で世界中に知れ渡るまでの期間にも様々な心の葛藤があったであろうことは容易に想像できた。波乱の人生を過ごしてきたようだ。

アルゲリッチがこの映画で演奏した曲目は「ショパンの英雄ポロネーズ、子犬のワルツ」、「モーツァルトのソナタ第15番」など、ほんの一部であったが心地良い気分だった。「メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲」などの室内楽曲も流れた。

演奏会の裏側、家族との姿などは娘でなければ描けないシーンが多々あった。妻として、母として、女性として、ピアニストとしてのアルゲリッチの本音も語られていた。一番大好きな作曲家はシューマンのようで、彼の音楽に寄せる想いを丁寧に語った。彼女のCDをいろいろ持っているが、やはりシューマンの曲が比較的多い。「ピアノ協奏曲」をはじめ、「クライスレリアーナ」、「子供の情景」、「幻想曲」、「幻想小曲集」などである。
音楽的にはシューベルトの曲は性に合わなかったらしい。曲への想いも率直に語った。娘だからこそ心を許して話した事もあったのではないかと思った。

男性、女性の両性的性格の持ち主であることを自他ともに認めているようであったが、質問に断定的な返答をしないで、“I don't know”と答えてから具体的に説明を加えることが多かったように思った。
映画の最後の場面(多分、大分県に滞在中のアルゲリッチの家の広大な庭らしき場所)で母娘4人がくつろいで母にぺディキュアをしてあげながら過ごす場面は愛情のこもった女性同士の家族愛が感じ取れた。

家族を描いた作品として、芸術作品としても見ごたえのあるドキュメンタリーに仕上がっていた。
 
*映画の原題“Bloddy Daughter”の日本語訳は「忌まわしい娘」「とんでもない娘」のような意味であるが、もちろんもっと柔らかい意味でユーモアもこめて、親の知られたくない過去の人生を描く「ひどい娘」のような感覚で題名にしたのではなかろうか。母への敬意と愛を込めた作品にもなっている。

*1974年、国際ロータリー財団の「研究グループ交換」プログラムでオーストラリアに8週間滞在したことがあった。1000名のロータリアンと家族の集まる地区大会で、同じチームの日本人が挨拶で“Thank you bloody much”と俗語で挨拶を終えた時に参加者からドット笑いが起こった。この場合、副詞“very“の意味で俗語であるが、8週間彼らの家庭で過ごした感謝の気持ちを覚えた独特の単語で表現したと思われた。聴衆の反応は好意的だったので、文字通りの悪い意味でないことは文脈で判断できる。
数十年ぶりでこんな俗語に出会って思い出を書いてみた。

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大谷康子&シュトゥットガルト室内管弦楽団 音楽の贈り物 Vol.2

大谷康子ヴァイオリン・リサイタル 音楽の贈り物 Vol.1のコンサートを6月28日に聴いた。今回はシュトゥットガルト室内管弦楽団との共演で「四季」を聴いてみたいと思った。

シュトゥットガルト室内管弦楽団(Stuttgarter Kammerorchester)は第二次世界大戦直後の1945年、バッハやバロック音楽の演奏を目的として、指揮者のカール・ミュンヒンガーが15人の弦楽器奏者を選んで設立した。短期間で世界的人気楽団となり、バロック音楽ブームの先駆け役を果した。初来日公演は56年。現在では現代音楽の分野にもレパートリーを拡大している。ピノック、ブリュッヘン等の世界的に有名な指揮者を経て、06年からミヒャエル・ホフシュテッターが首席指揮者を務めている。近年は指揮者抜きで録音することもしている。
このオーケストラは「四季」や「バッハの管弦楽組曲第2番、第3番」をイ・ムジチ合奏団(*1951年結成)に先駆けて世界初録音。

2014年10月12日(日) 14:00開演 札幌コンサートホール Kitara小ホール

〈プログラム〉
 J.S.バッハ:ブランデンブルグ協奏曲 第3番
 クライスラー:愛の喜び、 愛の悲しみ、 美しきロスマリン
 エルガー:愛の挨拶
 エルガー:弦楽のためのセレナーデ ホ短調
 ヴィヴァルディ:四季

 バッハのブランデンブルグ協奏曲全曲演奏会は2000年にトン・コープマン指揮アムステルダム・バロック・オーケストラ、2010年にベルリン古楽アカデミーによる演奏で2回聴いたことがあって、曲の良さを味わった。今日の演奏会前にコープマンのCDを聴いたが、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ各3部と通奏低音の楽器編成で、独奏部と合奏部が分離しない弦楽合奏であった。本日の楽器編成はヴァイオリン3、ヴィオラ3、チェロ3、コントラバス1とチェンバロ1。3楽章構成。第2楽章がチェンバロ独奏のみ。もともとバッハ自身がチェンバロの即興演奏を行なったとされているので、本日はそれに従った演奏と思われた。第1楽章、第3楽章共にオーケストラの合奏で音が柔らかく、見事なアンサンブル。(全6曲中、弦楽器のみは他に「第6番」がある。)

大谷がオーケストラと共にヴァイオリン独奏を行なったクライスラーとエルガーの全4曲はヴァイオリン曲の名曲として知られて演奏機会が最も多い作品。4曲が同時に演奏されることは珍しい。
クライスラーの3曲は「古いウィ―ンの舞踏曲」。ウィ―ンでは誰でもワルツを踊れると言われているが、日本人でも心が浮き立つメロディで何度聴いても心地が良い。「愛の挨拶」はエルガーが妻に捧げた作品で、美しいメロディで親しみ易い曲。

「弦楽のためのセレナーデ」は初めて耳にした。3楽章構成で、曲名の通りに心休まる調べ。

今回のオーケストラのメンバー(Vn.9,Va.4,Vc.3,Cb.1,Cemb1)は9か国から成る。コンマスが韓国系アメリカ人で、ベネズエラ、オランダ、ポーランド、ハンガリー出身などの人々の集団で日本ツアー中にいろいろな言語が飛び交うが、音楽で1つになると大谷は語る。管楽器奏者が入っていないので、ドイツ語の日本語訳は「シュトゥットガルト室内オーケストラ」の方が良いと思った。(*このオーケストラに管楽器奏者も加わっているとしたら「管弦楽団」でいいと思うが、この常設の楽団員構成に関しての詳しい知識は無い。)

ヴィヴァルディ(1678-1741)の「四季」というタイトル付きの4曲のヴァイオリン協奏曲は全12曲からなる協奏曲集作品8「和声と創意への試み」のなかの第1番から第4番にあたる。クラシック音楽のなかでも最も人気のある作品のひとつ。(以前「四季」以外に「和声と創意への試み」という説明がついていた時には一瞬、あの有名な曲とは違う曲かと思ったことがあった。) 四季の情景を描写しているソネットを伴った標題音楽。

Kitaraで「四季」の全曲演奏を始めて聴いたのが、2000年6月の《古澤巌の〈四季〉with プラハ室内合奏団》。続いて2011年12月の《チョン・キョンファの〈四季〉with インターナショナル・セジョン・ソロイスツ》。2007年10月には《イ・ムジチ合奏団》。今回はそれ以来だと思う。

小ホールでの「四季」は初めてで、20名近くの演奏とあって座席は2階席1列目の正面にした。2階席は偶にしか座らないが、コンサートの内容等によって座席を変えることがよくある。今日は前回の大谷のコンサートより客の入りが多くなかった。実際に演奏された華やかなヴァイオリン曲が宣伝のチラシに入っていたら満席状態になっていたかもしれない。2階席は空席がかなりあってコンサートを盛り上げる雰囲気には物足りなかった。

「四季」の独奏ヴァイオリンは大谷康子が担った。第1番 ホ短調「春」。第2番 ト短調「夏」。第3番 ヘ長調「秋」。第4番 へ短調「冬」。4曲の演奏前にそれぞれ大まかな解説を入れ、情景の楽器での表現にも触れた。各曲は3楽章構成で演奏時間は各10分程度。全体の演奏時間は約40分、解説が各2・3分。時間の制限があって大谷の多弁も抑制されて(?)適宜な説明になった。良く聴き慣れた曲で季節の情景を必ずしも詳しくは把握していないので今日の説明は特に楽器との関連で面白く聞けた。
「秋」の第2楽章がチェンバロ独奏、「冬」の第2楽章でヴィオラ以外はピッツィカート奏法が入った。生演奏ならではの鑑賞はいつも新鮮味を覚える。チェンバロ奏者が入った「四季」の演奏は初めてのような気がした。

2階席は空席が多かったとは言え、1階席はまずまずの聴衆が席を埋めた。馴染みの曲の明るい演奏が終わると聴衆から満足の拍手喝采が起こった。アンコール曲はオーケストラが演奏を始めたが、1階の客席後方から独奏ヴァイオリンの音色が聞こえてきた。もちろん、大谷が前回のアンコール曲でも演奏した得意の「モンティ:チャルダッシュ」。
休憩時間中にもサイン会を開き、後半のプログラムのソリストを務めて、直後にヴァイオリンを弾きながら客席を周って演奏する姿には改めて驚愕! 彼女のサービス精神旺盛さには今回は頭が下がる印象を受けた。彼女自身も音楽を楽しみ、観客にも音楽を身近に感じてもらって楽しんでほしいという一心での行動なのだろうと思った。
アンコール曲が終った後に沸き起こった万雷の拍手と大歓声にはオーケストラのメンバーも普段見られないソリストのサービスと聴衆の反応に彼ら自身も楽しんでいた様子がうかがえた。

大谷は「題名のない音楽会」には340回以上の出演で活躍していると言う。今年夏頃、たまたま「題名のない音楽会」500回記念の番組を観たが、私も以前は黛敏郎や山本直純などの指揮の頃は観ていたことがある。とにかく大谷が幅広い音楽活動で音楽を広めている様子が伝わってきた。

***韓国が生んだ世界のヴァイオリン界の巨匠であるチョン・キョンハの「四季」の演奏会では忘れられない出来事があった。2001年12月11日19時開演のコンサートに出演予定であったが、飛行機が悪天候で新千歳空港に着陸できずに帯広空港に着陸した。一行は帯広空港からタクシーで会場のKitaraに向かった。開演時間には間に合わず、大ホールで待つ聴衆にはタクシーの走行状況が逐一アナウンスされた。開演は8時半近くになったと思うが、彼女たちは休憩時間を取らずに予定のプログラムをすべて演奏した。終了時間は10時ごろだったと思う。こんなことはKitaraでも前代未聞の事だったと思う。
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錦織 健 テノール・リサイタル

錦織健コンサート ロック to バロック’98 を旧北海道厚生年金会館で聴いた記憶がある。何となく頭の片隅に残っているだけである。はっきり覚えているのは04年2月のKitaraにおける「錦織健プロデュ―ス オペラ「セビリアの理髪師」のアルマヴィ-ヴァ伯爵役である。錦織は日本オペラ界を代表するテノールとして第一線で華々しく活躍していた。
10年にはリサイタルを聴いた。彼得意のヘンデルのオラトリオ「メサイア」をはじめ、ロッシーニやプッチーニのオペラの有名なアリアを歌った。珍しく日本の歌曲もプログラムに入っていた。トークをはさみながら、ステージを下りて客席を周るサービスをしていた。
今回は12年に続く2年ぶりのリサイタルとなった。

2014年10月10日(金) 7:00開演 札幌コンサートホール Kitara大ホール

〈プログラム〉
 日本古謡「さくらさくら」、 日本古謡・山田耕筰・曲/「箱根八里は」
 石川啄木・詞/越谷達之助・曲:「初恋」
 北原白秋・詞/山田耕筰・曲:「かやの木山の」「この道」「松島音頭」「からたちの花」
 土井晩翠・詞/滝廉太郎・曲:「荒城の月」
 野上彰・詞/小林秀雄・曲:「落葉松」
 岩井俊二・詞/菅野よう子曲:「花は咲く」
 プッチーニ:歌劇《トゥランドット》より「誰も寝てはならぬ」
 ドニゼッティ:歌劇《愛の妙薬》より「人知れぬ涙」
 ティリンディルリ:「おお春よ」、 カッチーニ:「アマリッリ」、 ロッシーニ:「踊り」
 ショパン:「別れの曲」
 サルトリ&クァラントット:「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」
 バーンスタイン:ミュージカル《ウエストサイド物語》より“Maria”
 ロジャース:ミュージカル《回転木馬》より“You'll never walk alone”
 
錦織健(Ken Nishikiori)は1960年、島根県出雲市生まれ。国立音楽大学卒業。文化庁オペラ研修所を経てミラノ、ウイーンで研鑚を積んで帰国後、輝かしい活躍で脚光を浴びテノール歌手として揺るぎない評価を得た。オペラやクラシック・コンサートだけでなく幅広いジャンルにわたる音楽活動に携わっている。

プログラム前半は日本の歌10曲。「さくらさくら」は日本を象徴する名曲がイタリアのカンツォーネ風に歌われたので少々違和感があった。声量を生かして変化に富んだ歌い方にはなっていた。口を大きく開け、高い張りのある声で歌い上げる歌い方は彼独特のものかもしれない。4年前のリサイタルより声量がある印象を受けた。
抒情的な味わいよりドラマティックな要素が強い歌い方で受け取り方が違ってしまった。

ピアノ伴奏は河原忠之。毎回、錦織と共演し、お互いを知り尽くした同士でプログラム曲の編曲も全て担当している様子。ピアニストの他に指揮者としても活動している。

後半のプログラムは洋もの。オペラ曲は2曲だけだったが、“世界3大テノール”と呼ばれたドミンゴ、パヴァロッティ、カレーラスの歌声を予め家でCDを数回聴いて歌詞も味わってきた(カレーラスは「マリア」)。「人知れぬ涙」は2年前のMETビューイングの場面を思い出しながら何度もCDを聴いた。2曲ともオーケストラ演奏だと前奏が入っていたり、歌が終っても演奏が続いて余韻が残るが今日はそれが味わえなかったのが残念! 「誰も寝てはならぬ」では最後の“Vincero! Vincero!”でもっと盛り上げても良かったように思った。

オペラのアリアに続いてイタリアの歌曲が5曲。錦織も楽しそうに早いテンポに合わせて気持ち良さそうに歌い上げた。
ショパンの名曲にイタリア語の歌詞をのせた歌曲は興味深かった。サルトリ&クァラントットの曲名は英語だがイタリア語で歌われた。

プログラム後半最後の2曲はミュージカル・ナンバー。両曲とも英語で歌われた。「ウエストサイド物語」はオーケストラで聴く機会は結構あるが、歌は何年も聴いていないように思う。TonyがMariaの名を繰り返して呼び、彼女を讃美する歌の歌詞を数十年ぶりに思い出す機会になって良かった。錦織は英語の発音に留意して丁寧に歌っていた。

トークを少なくして2時間のコンサートをこなすのは大変なようで、途中ピアニストのソロもはさんだ。ピアノ・ソロは「プッチーニ:歌劇《マノン・レスコー》より「間奏曲」。
アンコール曲も「オー・ソレ・ミオ」のカンツォーネ以外は、“We are the champion”, “Stand by me”など英語で4曲。
コンサートでいろいろなジャンルの音楽を歌っているのは解っていたが、ポピュラー・ミュージックを取り上げる機会が増えている感じがした。
1000名弱の聴衆も錦織の音楽を求めて聴きに来ている年輩のファンが多いようであった。演奏終了後の拍手、声援は固定したファンの多さを物語っていた。今月2日の朝日新聞の夕刊によると「錦織の趣味はボイストレーニング」と言う。毎日2時間の練習を欠かさないそうである。今日の演奏会で彼の声量が50歳を越えて衰えるどころか、進化しているのではないかと思ったほどである。
来年2-4月にはオペラ・プロデュ―ス「モーツァルト:後宮からの逃走」を手掛ける予定と聞く。

*錦織健はテニスで活躍している錦織圭と間違えられてパソコン等で検索されることが多くなったそうである。錦織圭も島根県出身であるが、島根県には「錦織」という姓が多くて、学校時代にはクラスに3名は同じ苗字の人がいたと言う。名前の呼び方は5通りはあって、彼自身の苗字の読み方も「にしきごおり」であったと言う。(「にしごおり」だったかも?)。大学時代から面倒になって現在の呼び名で通すようになったそうである。
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オルガン名曲コンサート (ジャン=フィリップ・メルカールト)

例年10月は札幌コンサートホール新専属オルガニストがKitaraでデビュー・リサイタルを開催してきた。2015年2月16日から6月16日までKitaraが休館することになるために、14年9月~15年8月の期間は専属オルガニストは不在となる。その間は他のオルガニストが恒例のオルガン・コンサートに出演することになる。
この秋のコンサートは第6代専属オルガニストとして活躍したメルカールトが出演する。

2014年10月4日(土) 14:00開演  札幌コンサートホール Kitara大ホール

〈プログラム〉
 フォーレ(メルカールト編曲):組曲「ペレアストとメリザンド」 作品80
 サン=サーンス(ルメア編曲):死の舞踏 作品40
 ドビュッシー(メルカールト編曲):牧神の午後への前奏曲
 フランク(メルカールト編曲):交響曲 ニ短調

ジャン=フィリップ・メルカールト(Jean-Philippe Merckaert)は1980年、ベルギー生まれ。00年にパリ国立高等音楽院に入学し、オルガンをオリヴィエ・ラトリーに師事。05年、同音楽院をプリミエ・プリを得て卒業。在学中の03年、札幌コンサートホール第6代専属オルガニストに就任。任期中、日本各地でソロリサイタルやオーケストラとの共演を行ない、オルガン教育にも携わった。08年、ブリュッセル王立音楽院にて修士号を取得。07年、ドイツ・フライベルクのジルバーマン国際音楽コンクール第2位。09年、ブルージュ国際古楽コンクールオルガン部門第2位。
11年4月~14年3月まで所沢市民文化センター・ミューズ第2代ホールオルガニストを務めた。07年から活動拠点を日本に移して、サントリーホール、東京オペラシティ、横浜みなとみらいホール、京都コンサートホールなど国内主要ホールに出演。現在、栃木県・那須野が原ハーモニーホールオルガニストを務めている。

メルカールトはKitaraではメルケールと呼ばれていた。(ベルギーの北半分のフランダース地方ではオランダ語、南半分のワロン地方ではフランス語が話されている。 07年までKitaraでは彼の名をフランス語読みにしていた。所沢ミューズでオランダ語読みになったので、Kitaraでも11年以降の出演の際はオランダ語読みになったと思われる。)
私は彼が出演するコンサートを初めて聴いたのが03年のクリスマス・オルガンコンサート、04年のオルガンフェスティヴァルとKitaraのバースディ、07年のリサイタルの4回。ドイツ、フランスの作曲家の他にベルギーの作曲家の曲も取り上げ、協奏曲の演奏も行うなど意欲的なプログラミングが目立った。

今回はオーケストラの編曲ものばかりのプログラムで期待大であった。作曲法も学び、オルガンという楽器の可能性を広げる活動で、有名なオーケストラ曲を自らオルガン曲に編曲して演奏する能力は誰しも出来ることではない。Kitaraのオルガンの特徴を生かした曲の選定がうかがえた。

日本在住で日本語も不自由しないのか、上手で丁寧な日本語で挨拶。3年ぶりのKitara出演で今回のコンサートを楽しみにしていたとのこと。挨拶の内容から日本の聴衆の求めているものを充分に知っている様子であった。聴衆の再三の拍手を浴び、プログラムを告げて演奏開始。

メーテルリンクの戯曲「ぺレアスとメリザンド」はオペラになっているが、その抜粋による管弦楽組曲としても知られている。「前奏曲」、「糸を紡ぐ女」、「シシリエンヌ」、「メリザンドの死」の4曲が演奏された。3曲目が何回か聴いたことのある馴染みのメロディだった。フォーレはオルガニストでもあったせいか、オルガン曲にもアレンジしやすかったらしい。

交響詩「死の舞踏」は真夜中に骸骨たちが現れて踊る情景が描かれ、夜明けに墓に戻って静寂になるストーリー。原曲は知らないが、オルガン編曲はとても面白かった。

ドビュッシーがマラルメの詩「牧神の午後」にインスピレーションを得て作曲し、当時は大きな反響を呼んだ作品。甘美なまでに美しい音色に満ち溢れ、印象派の絵画を思わせる色彩感で幻想的な雰囲気を持つ管弦楽曲。あまりにも有名な原曲をオルガン曲に編曲して良さを出すのは難しかったように思った。

前半3曲はそれぞれ10分前後の曲で、全体的に楽しめた。譜めくりすとをメルカールトの妻であるオルガニストの徳岡めぐみが務めた。オーケストラ曲の編曲には沢山の音色を使うので、レジストレーションを記録するメモリーが足りなくなって準備が大変だった様子。休憩時間に後半のプログラムのために音色を記録しなおす作業を強いられたらしい。アシスタントを務めた妻の裏方の仕事も評価される演奏会。(*Kitara「オルゲル新聞」からの情報による)
譜面をめくる作業は通常オルガニストの右側で行われるが、今日は時折左側からも行っていた。オルガニストの手鍵盤や足鍵盤の使い方を演奏中に観たい場合にRA席のオルガンに一番近い席に座る客には行き届いた配慮だった。(左側から譜めくりしていた理由は知らないが、、、。オルガン演奏会でRA席を選んで困惑している客をよく見かける。)

後半はベルギー出身のフランクの唯一の交響曲。通常の交響曲とは趣の違う曲。交響曲には珍しい3楽章構成。フランクは長年オルガニストを務めてオルガンの名手であっただけに、オルガン的技法が壮麗な響きに現れている。
今まで生演奏で聴いたこともあるが、今日のオルガン編曲の方が感動しやすい曲に感じられた。40分を越える大曲の編曲であったが、編曲作業にかなりの時間を要したと思われる。今回のコンサートのメイン曲となった。

アンコール曲に「サン=サーンス:組曲「動物の謝肉祭」より第13曲「白鳥」。「白鳥」は独立したチェロの作品として演奏されることが多い馴染みの曲。このような名曲をオルガン曲にすると、オルガン演奏会に足を運ぶ人も増えるのではないかと常日頃思っている。今日は客の入りは良かった方である。

演奏終了後ホアイエでメルカールトのCDを買ってサインを貰った。サイン会ではいつものように感想を述べたが、丁寧にフル・ネームでサインしてくれた。デビューから10年も経つが若くて爽やかな印象は変わらなかった。最後に“I hope you will come back.”と言うと“Me,too.”と答えてくれた。後方に思ったより多くの人がサイン会の列に並んでいた。
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ヴィルタス クヮルテット with 宮澤むじか 札幌公演

2011年まで札幌交響楽団のコンサートマスターを務め、New Kitaraホールカルテットのメンバーとしても活躍していた三上亮が出演するコンサートを久しぶりで聴きたいと思っていたのでこの機会を利用した。

2014年10月1日(水) 19:00開演  札幌コンサートホール Kitara小ホール

ヴィルタス クヮルテット(Virtus Quartet)は福島県のいわき芸術文化交流館アリオスを拠点として2008年に活動を開始した弦楽四重奏団。普段は各地で各々活動していて、年に2回いわきに集合して演奏活動している。
三上 亮(ヴァイオリン、元札響コンサートマスター、サイトウ・キネン・オーケストラメンバー)
水谷 晃(ヴァイオリン、東京交響楽団コンサートマスター)
馬淵昌子(ヴィオラ、紀尾井シンフォニエッタ東京メンバー)
丸山泰雄(チェロ、紀尾井シンフォニエッタ東京メンバー)

〈プログラム〉
 スメタナ:弦楽四重奏曲第1番 ホ短調 「我が生涯より」
 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第8番 ホ短調 op.59-2 「ラズモフスキー第2番」
 ドヴォルジャーク:ピアノ五重奏曲第2番 イ長調 op.81 B.155

スメタナ(1824-84)はチェコ国民音楽の祖としてチェコ国内ではドヴォルジャークより有名で国民から最も愛されていると言う。彼の交響詩「わが祖国」は最も有名な管弦楽曲で日本でも演奏機会の多い曲として親しまれている。
スメタナの生涯は波乱に富んだ一生を送ったとされる。4人の娘のうち3人が次々と病死して、妻も若くして亡くなった。スメタナ自身も40歳頃から耳の病に冒されて、50歳頃から両耳も殆ど聞こえなくなり、自分の人生を振り返って書かれたのがこの「弦楽四重奏曲第1番」である。4つの楽器がそれぞれに会話しながらスメタナの人生を語る。

ベートーヴェン(1770-1827)の《ラズモフスキー》3曲のなかで唯一の短調の曲である。ラズモフスキー伯爵夫人の死に影響を受けた結果、他の2曲より内省的で、悩める者の苦悩を表現した作品とされる。この時期の彼の作品はハイドンやモーツァルトが作り上げた弦楽四重奏という音楽を飛躍的に高めたと言われている。
この曲では社会における人間の激しい苦闘が描かれ、特に第2楽章が全曲中で最も深い味わいのある楽章である。

上記2曲はスメタナ四重奏団、アルバン・ベルク四重奏団のCDで予め聴いてきた。 ヴィルタス・クヮルテットは第1ヴァイオリンの三上を中心にそれぞれのメンバーの演奏がかみ合って好印象を与えた。ベートーヴェンの「第8番」は耳にする頻度も多くなって馴染みの曲になって曲の良さが存分に味わえた。それぞれ30分かかって2曲で1時間を越えたが、聴きごたえがあった。1曲目は新鮮な気分で、2曲目は重みがあって第4楽章では心が弾んだ。

後半のドヴォルジャークの「ピアノ五重奏曲」は今まで聴いたことが無かったかも知れない。やはりピアノが加わると、その楽器の持つ音量が目立った。静かな雰囲気が漂っていた小ホールが突然大きな音で包まれた感じになった。ドヴォルジャークはスメタナと共にチェコ音楽を世界に広めた人気のある作曲家であるが、彼の弦楽四重奏曲は「アメリカ」に親しんでいるだけである。「ピアノ五重奏曲」にも彼が得意とするボヘミアやスラヴの民俗歌謡を用いた美しい旋律がふんだんに出てきた。何度か耳にすると親しめるようになるだろう。

ピアニストの演奏は札幌教育文化会館のほかにKitara大ホールでコンチェルトを一度聴いた記憶があるが、今夜は実際よりとても若々しく瑞々しい演奏で華やかな印象を受けた。下記のプロフィールによっても判るが、かなり経験を積み重ねている感じはした。

宮澤じむかは藤女子高等学校卒業後、渡仏してエコールノルマル音楽院で学ぶ。1993年、ザグレブ国際ピアノコンクール優勝。これまでにザグレブ国立放送響、ワルシャワ・フィル等と共演。サントリー小ホール、Kitara大ホール等でリサイタルを開催。札幌を拠点にフランス、ベトナム、韓国など、海外でも活躍している。

後半の曲も約40分かかって終演時間が9時を過ぎていたが、アンコール曲に「シューマンのピアノ五重奏曲より第4楽章」を弾いた。この曲のメロディが鳴り出すと、何回も耳にしている曲だと判った。立体感のあるスケールの大きな楽章で、8分近くの曲を楽しんで聴けた。宮澤もアンコール曲の方が緊張感が解けて溌剌としていた。
「シューマンの五重奏曲」とホアイエのボードに書かれていた。帰宅して、〈バーンスタイン&ジュリアード弦楽四重奏団〉のCDで確認して尚、心も軽くなった。この曲は“My favorite Quintet for Piano & Strings”になるだろう。

今日の演奏会には満足したが、出演者の発話が一言も無かったのが少々心残り。一言だけでも挨拶があって次回のコンサートにつなげたら良いのにと思った。

*3月末の南米旅行の時、羽田・ロスアンゼルス間の全日空の機内誌で面白い記事を読んだ。「国民一人あたり世界で最もビールを飲んでいる国は?」。 ドイツを思い浮かべる人が多いと思うが、正解はチェコ共和国。日本のビールメーカーの調査(2012年)によると、チェコ国民一人当たりの消費量は大瓶に換算して一年で230本あまり、20年連続の堂々第1位。チェコはビールを「液体のパン」と呼びならわしている国柄。(*年によって違うが2位がオーストリア、3位がドイツ)。
スメタナはビール醸造を生業とする家に生まれた。生まれた場所は世界遺産に登録されているリトミシュル城内のビール醸造所。1949年から毎年6月、この城を主会場にスメタナ国際オペラ・フェスティバルが開催され大統領や首相も訪れると言う。(数ヶ月前にテレビのクイズ番組でビールの消費量の問題が出ていたが、予備知識があったのですぐ解った。)

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fsuterry

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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