藤村実穂子 メゾソプラノリサイタル 歌曲の夕べ

ソプラノリサイタルに比べてメゾソプラノリサイタルが開催される機会は極めて少ない。著名なメゾソプラノ歌手のリサイタルはこの10年で2回聴いただけである。
1つは〈Kitara10周年記念コンサートシリーズ〉で2007年12月に開かれた《フィオレンツァ・コッソットのデビュー50周年リサイタル》。コッソットは世界の歌劇場でメゾソプラノの女王として活躍し、マリア・カラスとの共演も多く、その名を永遠に残す大プリマドンナであった。
もう1つは〈Kitaraワールドソリストシリーズ〉で2011年11月に開催された《白井光子&ハルトムート・ヘル リートデュオリサイタル》。白井とヘルは1972年の結成以来「歌と伴奏」という概念を越えた「リートデュオ」。白井光子は74年シューマン・コンクールをはじめ数多くのコンクールに優勝し、国際的リート歌手として世界にその名を馳せた。Kitara小ホールでのコンサートで複数の日本人女性から“Bravi”と声が掛かった珍しい経験が忘れられない。(PMFの演奏会で日本人が“ブラボー”、イタリア人のアカデミー生が“Bravi”と掛け声をかけるのを聞いて以来の出来事であった。)

藤村実穂子(Mihoko Fujimura)はウィ―ン国立歌劇場、バイロイト音楽祭など世界の最高峰の舞台で活躍している現代最高のメゾソプラノ歌手として名高い。オペラだけでなく、コンサートの交響曲の歌い手としての活動の場も多い。

今夜はリヒャルト・シュトラウスとマーラーの曲をたっぷりと楽しめるドイツ・リートの世界。

2014年3月17日(月) 19:00開演  札幌コンサートホールKitara小ホール

〈プログラム〉

R.シュトラウス:薔薇のリボン op.36-1、白いジャスミン op.31-3、高鳴る胸 op.29-2、
          愛を抱きて op.32-1、愛する人よ、別れねばならない op.21-3、
          憧れ op.32-2、静かな歌 op.41-5、解放 op.39-4、岸で op.41-3、
          帰郷 op.15-5、小さな子守唄 op.49-3、子守唄 op.41-1
マーラー:歌曲集「子供の魔法の角笛」より
        ラインの小伝説、 この世の生活、 原初の光
        魚に説教するパドゥアの聖アントニウス、 この歌を想い付いたのは誰?
        不幸の中の慰め、 無駄な努力、 高い知性への賞賛
                   ピアノ/ヴォルフラム・リーガー(Wolfram Rieger)

シューベルトが作り上げた《芸術歌曲》を発展させたのがR.シュトラウス(1864-1949)と言われる。「4つの歌」などコンサートで取り上げられる曲はあっても具体的な曲名は全然知らない。意外と言ったら変だが、今回の12曲はいずれも詩も曲も美しかった。詩を読んで歌を聴くと情景が浮かんでくる。

藤村が声を発した途端、彼女の歌声に魅了される。1曲が終ったあと聴き惚れて、満席の聴衆は6曲が終るまで拍手する気持ちを抑えていた。(実際、1曲終わる度に拍手をしていると、演奏家の集中度が途切れてしまう恐れがある。)曲が進むにつれて彼女の世界に引き込まれていく。
歌の専門家はともかく、素人の自分には初めて聴く曲ばかりであった。Sold outになった客席は女性が9割弱。周囲に男性の姿は殆どなし。声楽を専攻した人たちか音楽大学の出身者が多かったのかもしれない。

R.シュトラウスの交響詩を聴く機会は結構あるが、彼は歌曲の巨匠でもあることが何となく判った。シューベルトやシューマンの後に続くドイツ歌曲に接する機会にはなった。

マーラー(1860-1911)の歌曲集は近年よく耳にする。この歌曲集は名前だけは知っている。交響曲からの主題の借用や交響曲への転用などで知識を得ている。2011年のPMFでトーマス・ハンプソンが歌った「亡き子をしのぶ歌」、「リュッケルトの詩による歌」は一応名前だけは知っている程度である。勿論、この時はハンプソンの歌に酔いしれた。

前半のシュトラウスの詩や曲と対照的に、マーラーのこの作品はアイロニーが多分に含まれていて面白い。戯画化されて皮肉ったり、ユーモアを込めた作品にも興味が湧いた。交響曲から得ている印象とは違ったのである。

オペラの有名なアリアと違って、外国の歌曲はメロディや歌詞は馴染みが薄い。数曲聴いただけで向こう受けする曲は無い気がするが、今晩のようなコンサートで世界一流の歌手が、ある程度まとまった曲を歌ってくれると、その良さが断然聴く者の心に響いてくる。
 
後半の曲風が前半とガラリと変わった味が素晴らしく良く出ていた。艶のある声の響きは言うまでもないが、詩の表現力が凄いと思った。前半とは違う歌手が歌っている感じさえした。彼女が世界の舞台で活躍している様子が実感できた。

ピアニストのリーガーとの呼吸もピッタリあった演奏会。ピアノがステージ上で少々斜めに配置されて聴衆に鍵盤が見えやすくなっていたので、ピアニストの運指や歌手との微妙な呼吸が読み取れて興味深かった。

藤村がステージを下がる度ごとに客席に顔を向けながら退場する様は、歌っているときの凛としたクリアな響きと重なって、実に堂々としていてプリマドンナのようであった。歌曲では歌手が聴衆の顔を見つめながら歌い、心を伝えている様子が感じ取れた。退場の時の態度にも同じことが言えるのかなと思った。いずれにしても、他のコンサートでは余り見られない一貫した態度に注目した訳である。

〈アンコール曲〉
マーラー:ハンスとグレーテ、 たくましい想像力。
2曲を終えたのち、鳴り止まぬ拍手に応えて「マーラー:別離と忌避」で終了。

帰りの小ホールのホアイエはクロークに並ぶ人と、サイン会のため並ぶ人で大混雑。このような盛況ぶりは久しぶり。とにかく藤村実穂子の名はクラシックファンには知れ渡っていたので、今日のリサイタルを待ちわびていた人は多かったはずである。私自身も旅行計画を少し変更して聴く機会を持てた。


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マリア・ジョアン・ピリス ピアノ・リサイタル

ピリスのコンサートは4回目になるが、前回の《ピリス&メネセス デュオ・リサイタル》を除いて、過去2回は《ピアノ・リサイタル》と銘打って開催されてきた。1回目はルークス・ミュラー(テノール)、2回目はパヴェル・ゴムツィアコフ(チェロ)との共演であった。
彼女はオーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン *現在、関西フィルの首席客演指揮者)とのデュオが世界で評判を呼び、最近ではアントニオ・メネセス(チェロ)を始めとする巨匠や若い音楽家とも共演。文字通りのピアノ・リサイタルは11年6月に予定されていたが、残念なことに都合でキャンセルになっていた。そんなわけで、今回ソロ・リサイタルを聴くのは初めてである。
コンサートの案内に【16年振り、待望のソロ・リサイタルが遂に実現!】と書かれていたので、今迄ソロ・リサイタルは聴いていなかったのを改めて確認することになった。勿論、過去のコンサートでピアノのソロは聴いたことはある。

LPレコードやカセット・テープで音楽に親しんでいた私が、CDで専ら音楽を聴くようになったのが2000年になってからのことである。そのころCDショップで偶々手にしたのがピリスの「モーツァルトのピアノ協奏曲第20・27番」、「ショパンのピアノ協奏曲第1・2番」(2枚とも録音は77年)。当時は彼女の名はマリア・ジョアオ・ピリスと書かれていた。安価であったので何気なく購入したが、その後、とても有名な演奏家であることを知って何となく得をした気分になっていたものである。

彼女の演奏はスケールが大きくて派手な演奏というよりは、こじんまりとした感じだが奥行きの深い個性的な演奏を展開するように思う。このスタイルで世界のピアノ界のトップにいる存在感は凄い。ピリスはポルトガルに創設した芸術センターをスペイン、ブラジルにも拡げ、ピアニストや演奏家としての枠を超えた幅広い教育活動も行っている。人間的に素晴らしいピアニストだと思っている。
今回の日本ツァーで富山、大阪、福岡、東京、横浜を回って最後の公演地が札幌である。東京ではサントリーホールの他にヤマハホールでも公演があったのは、ピリスがヤマハ・ピアノを愛用しているからだろう。

2014年3月15日(土) 13:30開演。 札幌コンサートホールKitara 大ホール

〈プログラム〉
 シューベルト:4つの即興曲 Op.90, D899
 ドビュッシー:ピアノのために
 シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960

シューベルト(1797-1828)が30歳を越えたばかりの1827年に作曲した4曲から成る即興曲集。気のおもむくままに自由な形式で書かれた作品。「第1番」ハ短調は正に即興曲の名に相応しい曲。「第2番」変ホ長調は舞曲風の親しみ易い曲。「第3番」変ト長調は抒情味のある曲。「第4番」変イ長調は印象的なメロディが出てくる、品のあるフィナーレ。

ドビュッシー(1862-1918)のこの曲名は初めて聞く。「プレリュード」、「サラバンド」、「トッカータ」の3つの舞曲から成る。ドビュッシー特有のリズムと音色で色彩感豊かで、水面を踊るように進む金魚が目に浮かんできた。音が躍っている感じで、躍動感に溢れる絵画的な作品。ドイツ音楽とは違う、ラヴェルやフォーレなどのフランス音楽の特徴が出ていると思った。

シューベルトは31歳で短い生涯を終える1828年には「交響曲第9番」や「ピアノ・ソナタ第19・20・21番」など、迫りくる死期を前にして夥しいほど多くの作品を書きあげた。
「第21番」はここ数年よく聴く機会があって、曲の偉大さが解ってきたように思う。テーマの繰り返しが多く、とにかく長大である。特に第1楽章は長い。讃美歌風の主題がいろいろな調性で繰り返し現れる。第2楽章は緩徐楽章でメランコリックな表情を持つ。前年に書かれた《冬の旅》を思わせる叙情が漂う。第3楽章は明るい雰囲気を持つスケルツォ。フィナーレの第4楽章は即興曲風で自由な展開。明暗が交互に現れて、表情豊かで心の奥深くに響き渡る。
ピリスは細やかな想いを淡々と綴って歌い上げていった。美しい抒情性豊かな曲が静かに繰り広げられる演奏は確かに心地よく聴衆の心に響いた。

P席と3階の客席は売りに出されなかったが、1・2階を埋めた幅広い年齢層の約1200名の聴衆は世界的に名高いピアニストの奏でる音楽を比較的に静かに聴き入っていた。プログラムが馴染みのある有名な曲というわけではなかったので、聴衆の感動が直接に伝わるほどではなかった。勿論、演奏終了後の盛大な拍手はいつもと変わらない。

アンコール曲は「シューマンの《森の情景》より第7曲〈予言の鳥〉」
《森の情景》は森の動物や花への憧れや畏れを歌った9曲の作品集で、〈予言の鳥〉は《森の情景》の中で最も有名な曲。内田光子のCDにこの作品集が収められていて半年前に購入したばかりで数回耳にした。

今日の午前中はKitaraボランティアとしてKitaraの大会議室で会員向けのダイレクト・メールの発送作業を行った後、開演前の時間を中島公園内にある北海道立文学館で過ごした。時間を有効的に使えて、久し振りに心が満たされた一日であった。





MET ライブ ビューイング2013-14 第5作 ドヴォルザーク  ≪ルサルカ≫

今シーズンのMET Live Viewingは第1作「オフゲニー・オネーギン」、第2作「鼻」、第4作「ファルスタッフ」に続いて、今日は第5作を観てきた。ショスタコーヴィチの風刺劇である「鼻」とヴェルディの遺作の感想はツィッターでつぶやいて、ブログには書かなかった。

第5作 ≪ルサルカ≫ (RUSALKA)

ドヴォルザーク(1841-1904)の交響曲第9番「新世界より」、チェロ協奏曲などが余りにも有名で、彼がオペラ作曲家でもあったとは数年前まで知らなかった。
チェコでは歌劇「売られた花嫁」で知られるスメタナが、今日でもチェコ音楽の祖として、ドヴォルザークより国民の人気が高いことは聞いていた。チェコのオペラ界はスメタナのお蔭で芸術的に水準の高い作品が生まれるようになったと言われている。ドヴォルザークはオペラ作品を10作ほど書いたが、台本に恵まれずに海外で評判になった作品はわずかだったようである。
1900年に作曲された歌劇「ルサルカ」は「売られた花嫁」と並んで、最も人気の高いチェコ歌劇の1つと言われる。

歌劇「ルサルカ」は人間に恋をした水の精ルサルカの悲恋の物語。 全3幕。 チェコ語公演。

第1幕。ある日、森に住むルサルカは王子に恋をし、魔法使いに人間の姿に変えてもらう。人間の姿の間は声を出せないのが条件であった。さもないと王子と一緒に水底に沈むと告げられる。美しい娘になったルサルカを見た王子は彼女を城に連れ帰って結婚する。
第1幕で森の木に登って月を見ながら、ヴァイオリンとハープにのせて歌う「月に寄せる歌」が、このオペラの中で最も有名なアリア。METのオーディションの時からルサルカを歌い、このオペラでデビューしたMETのスター、ルネ・フレミングの当たり役。かなり長いアリアを叙情味あふれる歌唱力で美しく歌い上げる場面は圧巻。
王子役のピョートル・ペチャワのテノールも素晴らしかった。昨シーズンの第10作「マノン」、今シーズンの第1作「エフゲニー・オネーギン」の2つの作品でネトレプコと共演して、主役を演じて注目していた歌手。今回は一人で歌い続ける場面が多く、聴く者を惹きつけた。張りがあって艶のある高音が魅力的で素晴らしさが際立った。
 
第2幕。お祝いのパーティで口をきかないルサルカに不満を抱き、王子は外国の王女に心を寄せる。そのうち、ルサルカは水の精によって庭にある池に連れ込まれる。
ペチャワの第1幕とは違った味わいの歌唱も見事。フレミングが歌わないで振る舞う演技力も凄い。

第3幕。王子は森の湖に移されたルサルカのもとへ帰って彼女に償いをしようとするが、彼女は呪いにかけられていた。彼は彼女の呪いを取り除こうとして、彼女に口づけを求め、その胸に抱かれて死ぬ決意をする。ルサルカは最後には彼の求めに応じて、彼を抱いて口づけをし、暗い湖底へと沈んでいく。

幻想的なメルヘン・オペラ。 アンデルセンが書いた「人魚姫」のオペラ版。 
R.フレミングは美しい自然を背景に美しい姿と澄み渡った歌声を披露した。水の精の複雑な内面も見事に表現した。ペチャワの歌唱力には改めて感動した。主役2人以外の共演者の歌手陣も持ち味を発揮して好演。
チェコ語上演はMETでは珍しいようであった。チェコ語はロシア語と同じスラブ系の言語なので、ポーランド出身のペチャワにとって得意の言語であることも最高のパフォーマンスに繋がったのかも知れない。

ドヴォルザークの魅力ある美しいメロディが散りばめられた曲をドラマティックな指揮で音楽を綴ったヤニック・ネゼ=セガン。彼は1975年生まれのカナダ人で、世界で最も活躍が期待される若手指揮者の1人。12年、フィラデルフィア管の音楽監督に就任。14年6月、同団を率いて来日予定。ロッテルダム・フィルの音楽監督も兼任。
ネゼ=セガンは表情豊かなダイナミックな指揮ぶりで、オーケストラから抒情性に富むロマンティツクで親しみ易い音楽を引き出し、自然描写と結びついた幻想的な美しい響きを作り出していた。オーケストラ演奏の場面でカメラが指揮者の姿を通常より多く追っていたのは、それだけ注目度が高かったからではないかと思った。いずれにしても格好良い指揮者で、いつの日か札幌での公演を期待したい。

ウラディ―ミル&ヴォフカ アシュケナージ ピアノ・デュオ リサイタル

アシュケナージについて2012年のブログに書いたことがある(teruoblog687.blog.fc2.com/blog-entry-43.html)。ブログを書き初めて2ヶ月余り経った時に過去のコンサートに関する思い出として書き記した。そのころ日本語のブログが英語に翻訳されているようだったが、まともな英語に翻訳されているか不安だったので、試しに簡単な英語で書いてみた。後半部分は日本語で少し書き加えた。
その後、英語で書くと日本語の検索でブログの欄に出てきづらいこともあって、英語では書かないことにした。英語、ドイツ語などの外国語の翻訳を通してアクセスしてくる人も結構いるのだが、翻訳の有様は今では気にしない。

札幌で初めてアシュケナージの演奏を聴いたのが1992年4月11日のことであった。その時のリサイタルで弾いた曲目は「ベートーヴェン:ソナタ第31・32番」と「ムソルグスキー:展覧会の絵」。04年6月、Kitara初登場。イタリアのパドヴァ管弦楽団を引き連れて「モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番」と「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番」を弾き振りした。その時に書いてもらったサインと感激の様子を12年のブログに書き綴った。

前回のコンサートからもう10年も経ったが、記憶に新しい。2・3年前のことのように当時のことが蘇ってくる。それほど大きい感激を受けた。もう、単独でピアノを弾くことはないのかと思っていた。11年に息子と日本でのデュオ・リサイタルを開いて、今回の札幌公演が実現したが、心待ちにしていた。

≪テレビ北海道開局25周年記念≫ 
ウラディ―ミル&ヴォフカ アシュケナージ ピアノ・デュオ リサイタル

2014年3月5日(水) 19:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール

〈プログラム〉
 シューベルト:ハンガリー風ディヴェルティメント ホ短調
 ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 作品56b
 ストラヴィンスキー:春の祭典
 ボロディン(ヴォフカ・アシュケナージ編):だったん人の踊り

シューべルト(1797-1828)はピアノの4手連弾作品を書いた代表的な作曲家だったようだ。1824年、ハンガリーの貴族エステルハージ家の音楽教師を務めていた時に作曲したとされる。アンドラ―シュ・シフのCDで「ハンガリー風メロディ」は聴いているが、この「2台のピアノのための二重奏曲」は初めて聴く。3楽章から成る。ハンガリー民謡が使われているが、ブラームスのハンガリー舞曲とは違った曲のイメージ。親しみ易い、魅力的な旋律が繰り返し奏でられるが、約30分もの長い曲で、いささか単調な感じがしないでもなかった。シューベルトの作品集を見ると、ピアノ二重奏曲の作品が沢山あるのに気付いた。演奏で聴く機会がないので全く知らなかった。

ブラームス(1833-97)の時代には、連弾曲や2台ピアノ作品が盛んに書かれていて、この変奏曲は当初から2台ピアノのために書かれた作品。その後、オーケストラ版も作られた。この曲はポリーニとウィ―ン・フィルによるピアノ協奏曲で親しんでいた。
主題、第1変奏~第8変奏、終曲の10曲の構成。美しい素朴な旋律の主題が、伸びやかでゆったりとしたメロディ、哀愁漂うメロディ、メランコリックな調べなどの変化に富んだ変奏で奏でられ心地よく聴けた。

ストラヴィンスキー(1882-1971)のバレエ音楽「春の祭典」は管弦楽曲で親しむ前に、2000年に発売された、トルコの鬼才ファジル・サイの4手ピアノ版を一人で演奏したCDを手に入れて聴き始めた。ストラヴィンスキーはオーケストラ版完成後に連弾版、2台のピアノ版を書き上げたそうである。
2013年は「春の祭典」初演100年を記念してコンサートで聴く機会が数回あり、迫力あるオーケストラの圧倒的な演奏で感銘を受けた。今回は2台ピアノ版で初めて耳にした。管弦楽版ほどの迫力はないが、ピアノで管楽器・打楽器の音を出す様子が興味津々であった。ヴォフカがiPadを使用して演奏したが、譜めくりすとが大変だったのではないか。演奏も興味深かったが、思わず譜めくりの様子に目がいってしまった。
この曲も含めて全体の主旋律はウラディ―ミルが担った。写真の印象より、実物の方が親子が似ている印象が強かった。2台のピアノ版では他の様々な曲より演奏が難しいのではないかと思ったが、父子の呼吸もピッタリ合っていて、この曲の面白さを十分に味わえた。

ボロディン(1833-87)は有機化学の研究者の仕事の傍ら、作曲活動を行った。ロシア5人組の一人として知られる。「だったん人の踊り」はオペラ≪イーゴリ公≫の第2幕の曲。彼の最も有名な曲のひとつ。
この原曲でも多用されている管楽器・打楽器の音を2台のピアノが如何に表現するかに興味が持たれた。原曲でのいくつかの旋律がとても聴き慣れているので、ある意味、親しみ易かったかもしれない。

アシュケナージの演奏会を待っていた人が大勢いたことは客の入りでも窺がえた。3階の客席は売り出されなかったが、2階席がほぼ埋まり、最近のリサイタルでは珍しくP席にも客が入った。P席より、RA、LAに客が多かったのはピアニストの手元を見たかったせいかなと思った。約1500名の聴衆が父子の共演に聴き入り、後半の曲にはそれぞれブラボーの声も上がって、聴衆が皆、感激した様子が見て取れた。

アンコール2曲もデュオ。エルガー(ウラディーミル・アシュケナージ編):朝の歌。シューマン:カノンの形式による練習曲 作品56-4。

07年に、世界的なピアニストのイエルク・デムスとパウル・バドゥラ=スコダのスーパーピアノデュオのコンサートがKitaraで開かれた。その時の二重奏曲はモーツァルトの曲が1曲だけであった。
今回のように4曲すべてピアノ・デュオで客を集める演奏家は少ないかも知れない。やはりアシュケナージは偉大である。ステージで見せる人柄、親子の愛、譜めくりすとへの気遣い、聴衆への接し方。多くの人の心の中に入り込んだのはホアイエで長蛇の列をなしてサインを貰う人々の姿からも見て取れた。
 
私も2台ピアノ作品集を買い求めようかと思ったが、CD売り場は物凄く混雑していて諦めた。10年前にサインを貰っていなかったら、無理をしていただろう。
余談になるが、22年前のアシュケナージのチケット代金と今回の代金は両方ともS席1万円で同じであった。

札幌コンサートホールは1997年7月にオープンする前にアシュケナージにKitaraホール用のコンサートピアノの選定を依頼していた。彼はハンブルクで4台を選んで今日に至っている。今回はアシュケナージ自身が選定したピアノを使用したのかどうか関心がある。多分、2台とも古いものではないかと思うが、アシュケナージの感想を聞きたいものである。最近は新しいピアノを運んでリサイタルを行なっているピアニストもいると聞く。

アシュケナージ親子の全国ツアーが東京、栃木、愛知、秋田、宮城、大阪 茨城と続く。各地のアシュケナージ・ファンを満足させることは間違いない。ピアノ・デュオを通して新しい音楽の世界を切り開いてくれることを願う。




札幌交響楽団第567回定期演奏会(2014.3)

シベリウス交響曲シリーズvol.2

来年の2015年はシベリウスの生誕150年に当たる。それを記念して札幌交響楽団音楽監督尾高忠明はシベリウスの交響曲全7曲を3回に亘って演奏するプロジェクトを昨年立ち上げた。2013年の第1回は3月開催の第557回札響定期演奏会。曲目は交響詩「フィンランディア」、交響曲第1番・第3番。

2014年3月1日(土)15:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール

〈今回のプログラム〉
 組曲「恋人」“Rakastava(The Lover)”-Suite op.14
 交響曲 第4番 イ短調 op.63
 交響曲 第2番 二長調 op.43

シベリウス(1865-1957)が28歳の頃に作曲した無伴奏男性合唱曲「恋人」を1911年、45歳の時に《打楽器を伴う弦楽合奏曲》に編曲した。全3曲から成る組曲。第1曲「恋人」、第2曲「恋人の小径」、第3曲「こんばんはーさようなら」。多感な青春時代を湛えた、新鮮な香りが漂う作品で親しみ易い。第3曲で大平コンマスのヴァイオリンの響きが秀逸。いつ打楽器が鳴るか見守っていたが、最後にほんの少しだけ。意外性があった。札響初演。

シベリウスの交響曲で第4番だけCDを持っていない。これまで演奏会で聴いたことも無かった。シべリウスが交響曲第3番を書き上げた時までの生涯については昨年3月のブログに書いた。1911年に作曲した第4番は今迄の交響曲とは違った新しい試みの曲となった。内容的には深みのある音楽であるが、外面的に派手さがなくて、当時の聴衆の熱狂的な反応は得られなかった。ドイツ・ロマン派やロシア国民楽派からの影響を完全に脱して独自の世界を構築した名作と評価されているが、今日でも演奏機会が少なくて人気は高くないようである。札響演奏歴は今回で4回目。
緩徐楽章からスタートして、各楽章が古典派の交響曲とは異なって輪郭が不明瞭な感じを受けた。何となく幻想的というか幽玄的な世界に引き込まれたようでもあった。チェロ首席の石川祐支の独奏が曲を引き立てた。
演奏会前にホアイエの販売コーナーで昨年演奏されたシベリウスの交響曲のCDを購入したが、今回は発売されたら直ぐ手に入れて聴き直してみたい気になった。

「第2番」は7曲の交響曲の中で一番よく演奏されて、とても親しまれている人気曲。シベリウスは1900年のパリ大博覧会にヘルシンキ・フィルと同行して自作を指揮して国際的な名声を得た。1901年には家族と一緒にイタリアに旅行して、暗くて長い冬のフィンランドから明るくて暖かい南国イタリアの地に来て新しい交響曲に取り組んだ。帰国後に曲を完成し、翌年ヘルシンキで自らの指揮で初演して大成功を収めた。
第1番と似た内容でドイツ・ロマン派の影響が強く残っているが、第1番よりフィンランド的色彩が濃い作品。交響詩「フィンランディア」に似ていて、当時のフィンランド人のロシアからの独立を望む民族意識を掻き立てる雰囲気を持った作品にもなっている。
第1楽章は力感に富んで心地よい響きを奏でる。第2楽章は交響詩風の幻想的で、ほの暗い音楽。第3楽章はスケルツォで牧歌的雰囲気が漂う曲調。休みなく始まる第4楽章は堂々とした主題と哀愁を帯びた主題が歌われて、管楽器の高らかな賛歌で圧巻のフィナーレ。

前半の曲は聴き慣れないこともあってか熱狂的な反応こそなかったが、後半の親しまれた曲で尾高の指揮は最初から最後まで聴衆を曲の世界に引き込んだ。演奏が終了すると同時に万雷の拍手が沸き起こって、ブラボーの声もあちこちから上がり、ホールには感動の輪が広がったような印象を受けた。札響演奏歴は前回の12年7月以来で、今回が49回目であった。札響が得意とする曲でもあり、北欧の空気感を醸し出すオーケストラとして位置づけされるような出来のコンサートになったのではないか。音楽監督自身も満足感を得れた演奏のようであった。
 
演奏会終了後、3月末日で退団するコントラバス首席奏者の助川龍にブーケが贈られた。仙台フィルの首席奏者として移籍するとのことである。今後の活躍を祈りたい。演奏会プログラムに彼の尊敬する先生として日本を代表するコントラバス奏者の池松宏の名が書かれていた。私自身その名を知っている音楽家であった。偶々、今日の客演奏者欄に池松宏の名を見つけた。今日の演奏会のステージ上でイケメンのコントラバス奏者を目にして誰かなと思っていた。まさかニュージーランド在住でニュージーランド交響楽団首席コントラバス奏者の人物が札響の演奏会に出演しているとは夢にも思わなかった。

*池松宏(Hiroshi Ikematsu)は1964年、ブラジル生まれ。桐朋学園大学卒業後、89年N響へ入団し、94年同楽団首席奏者。06年、N響退団。活動拠点をニュージーランドに移し、ニュージーランド響首席コントラバス奏者に就任。その間、99年、ソロ・リサイタルを開催。ソリストとして国内外のリサイタルへ数多く出演。紀尾井シンフォニエッタ東京、サイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団にも参加。文字通り日本のコントラバス奏者の第一人者。
早速、帰宅して検索して同人物と確認。幸い、《コントラバス・リサイタル 2012より》で「モンティ:チャールダシュ」、「すみれの花咲く頃」の2曲をyoutubeで鑑賞。興味関心のある人におすすめ!

ホアイエで学生時代の友人に出会い誘われて、居並ぶ札響楽団員のヴァイオリニストを紹介されて親しく話が弾んだ。今迄、敢えて話しかける機会を作ってこなかったが、友人から良い切っ掛けをもらった。次回から、もっと自然な形で楽団員と交流する機会を自分で作ってみる気持ちになった。

札響は3月5日に恒例の東京公演を行う。サントリーホールで今日と同じプログラムの演奏会を行う予定になっている。コンサートの成功を祈りたい。


プロフィール

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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