札幌交響楽団第561回定期演奏会

6月の第560回定期から2ヶ月ぶりの定期公演。前回の第560回のブログはGoogleには載らなかったので、今回もどうなるか判らない。6月中旬からfc2.comには何の問題もないが、Googleに不具合が生じている。理由は不明だが、Googleでは載っても1ヶ月経ってから(PMFや外山啓介のコンサートなど)記載されているブログもある。24日のマグダレナ・カチョルのフェアウェル・オルガンコンサートのブログも残念ながら載っていない。まあ、一応、今回の札響の記録を残しておくことにする。

札響=韓国テジョン・フィル 姉妹都市オーケストラ交流事業
Sapporo Symphony Orchestra The 561st Subscriptiion Concert

指揮/グム・ノサン(No-sang Geum)
ピアノ/ イム・ドンヒョク(Dong-Hyek Lim)

本日のプログラム
 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調
 マーラー:交響曲 第1番 二長調 「巨人」

指揮者とソリストが2人とも韓国人なのは珍しい。2001年5月のチョン・ミョンフンとチョン・キョン=ファ(管弦楽はローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管)以来ではないだろうか。韓国は世界で活躍するソリストを多く輩出しているが、日本で広く知られている指揮者はチョン・ミョンフンだけかもしれない。

プロフィールによるとグム・ノサンは現在、テジョン・フィルハーモニック管弦楽団芸術監督権首席指揮者。ウィーン音楽院でオトマール・スウィトナーに師事。オーストリア、マケドニア、イタリア、中国、台湾、日本などのオーケストラに客演指揮。韓国帰国後は国内のオーケストラに客演し、オペラ指揮者としても活躍している。光州(クワンジュ)響や仁川(インチョン)響を育て上げ、海外演奏旅行も行なって、韓国の音楽界を牽引している。

イム・ドンヒョクは1984年ソウル生まれ。10歳でモスクワに移住。モスクワ音楽院を経て、その後ハノーファー音楽院で学ぶ。その間、2000年に浜松国際コンクール第2位、01年ロン=ティボー国際コンクール優勝。03年エリーザべト王妃コンクール第3位に入賞するも返上。05年ショパン国際コンクール第3位入賞後、アメリカを拠点にして国際的に活躍。07年チャイコフスキー国際コンクール第4位。

8月31日、土曜日の雨模様の午後2時半、地下鉄中島公園駅はKitaraへ向かう人々でエスカレーターも久し振りの混雑。公園も雨傘をさして歩く人の群れで長い列が続く。大ホールのホアイエはロビーコンサートに耳を傾ける人々の集団があって普段の定期公演前の雰囲気が漂っていた。

今回の定演の曲は2曲。2曲とも比較的に人気の高い曲。
ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」は第1番、第2番がハイドンやモーツァルトの影響が残っていたのに対して、ベートーヴェンの独自性が明確に表れた作品と言われる。ピアノが大胆で華やかな演奏でオーケストラとドラマティックな表現を展開する。緩徐楽章でドンヒョクの抒情味あふれるカデンツァが聴く者を魅了する。第3楽章はエネルギッシュな主題を中心にして輝くばかりの盛り上がりで明るく華やかなフィナーレへ。
デビューして10年を過ぎたピアノ界の俊英。期待に違わぬ堂々たるピア二ズムを披露してくれた。アンコールに応えて「バッハのチェンバロ協奏曲第5番 第2楽章 アリオーソ」。

マーラーの「交響曲第1番」は今日では最も親しまれているマーラーの交響曲。ゆっくりとした序奏で自然の描写が始まる。クラリネットによるカッコウの声、フルートによる鳥の声が印象的。舞台裏からのトランペットのファンファーレは起床を告げる軍楽の響きか。夜明けの森の光景が目に浮かぶ。第2楽章は力強い動きで始まるスケルツォ。リズミックな主題は牧歌的な雰囲気と対照的である。第3楽章は葬送行進曲がティンパニ伴奏のコントラバス独奏で始まる珍しい緩徐楽章。いろいろな楽器が次々とスラヴ民謡の旋律を奏でる。≪さすらう若人の歌≫という歌曲集からの引用もあった。第4楽章は〈嵐のように激動して〉始まる大規模な終曲。エネルギーに溢れた若々しい力が勝利へ向かうとも感じられるが、第1楽章との繋がりもあって明るさを伴って熱狂的なフィナーレ。
フィナーレの場面でホルン奏者とトロンボーン奏者あわせて10名(?)が立ち上がって演奏したが曲の盛り上げに非常に効果的で圧巻であった。ホルンの客演奏者もお互いの演奏をたたえ合っているようで、彼らの喜びが客席にも伝わってきた。

グム・ノサンの指揮ぶりも丁寧で札響の音を充分に引き出していたように思った。姉妹都市オーケストラ交流事業として楽団員も特別な想いを寄せて今回の演奏会に臨んだようであった。昨年4月に札響ホルン奏者4名が韓国に派遣され、グム・ノサン指揮テジョン・フィルと共演したことで、ホルン奏者の想いは一層深いものとなったであろう。日韓の文化交流が続くことを期待している市民の多さは会場に駆け付けた聴衆の数にも表れていた。満員状態にはならなかったが、普段の定期公演よりも多い聴衆が客席を埋めていた。







スポンサーサイト

マリア・マグダレナ・カチョル フェアウェルオルガンリサイタル

  マグダレナ・カチョルは1年間の任期を終えて来週には帰国するが、第15代札幌コンサートホール専属オルガニストとしての最後のコンサートが開かれた。在任中、彼女はKitaraで40公演を行い、サントリーホールや東京芸術劇場などにも招かれてコンサートを開催した。札幌市内の小・中学校を訪問してアウトリーチ活動にも積極的に参加した。その他、札幌交響楽団と共演する機会も何度かあった。

PROGRAM
レゾン:第5旋法のオッフェルトリウム「パリ人の王に栄えあれ」
ヴィヴァルディ/J.S.バッハ編曲:協奏曲 ニ短調BWV596
ヴィドール:オルガン交響曲第8番 ロ短調 作品42-4より 第3楽章 アレグロ
リスト/カチョル編曲:「詩的で宗教的な調べ」より葬送、1849年10月
エスケシュ:「復活のいけにえに」による5つのヴェルセット
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
リスト:バッハの名による前奏曲とフーガ
ショパン:ノクターン第2番 作品9-2
アラン:組曲より スケルツォ JA70
コシュロー:シャルル・ラケの主題によるボレロ(パーカッション/藤原貴子、谷野健太郎)
ベートーヴェン:笛時計のための5曲より アダージョWoO 33
ベートーヴェン/カチョル編曲:交響曲第5番 ハ短調「運命」作品67より
                           第4楽章 アレグロ
 
レゾン(1650~1719)」やエスケシュ(1965~)の名は初めて聞く。
マグダレナは感受性が豊かであるが、8月に入って帰国が近づくにつれ感情が揺れ動くことが多いようだ。心なしか集中力に欠け、不安定な感じが素人目にも見て取れた。自ら編曲してCDにも収録したリストの曲はタイトルの通り、死者を弔うに相応しく、全体に重々しく暗い感じの曲。オルガンの響きが一層葬送の雰囲気を醸し出した。教会のオルガニストを務めているエスケシュの曲は彼が20年ほど前に作曲したと言われ、現在もローマ・カトリック教会の典礼で歌われているらしい。

後半のリストの後に予定していたヴィエルヌの幻想的小品集を変更して、ショパンの名曲を弾いた。ポーランドゆかりの作曲家の曲が入っていないことに急遽気付いて曲目を変更した。通訳を通して、この1年の演奏活動を振り返って語った。
コシュロー(1924~84)は去る2月のコンサートでも取り上げた作曲家であるが、彼はパリのノートルダム大聖堂のオルガニストを務め、世界的に評価が高い演奏家だったそうである。74年にノートルダム大聖堂で録音された即興演奏を息子のジャン=マルクが書き起こしたものをオルガンとパーカッションで演奏。10分余りの魅力的で変化に富んだ曲であった。この曲目は聴衆への“サプライズ”として彼女が用意したプログラムで盛り上がったのではないか。

ベートーヴェンのオルガン曲は自動演奏のオルガン用に作曲され、2月に開かれたオルガン・ウインターコンサートで4手編曲版でモニカ・メルツォーヴァと共演した曲。懐かしかったが4手版の方が迫力があった。
本日の圧巻は何と言っても、最後のベートーヴェンの有名な作品のオルガン編曲版。彼女はこの作品を演奏しようと思った切っ掛けは、Kitaraのオルガンが生み出す大きくて、美しい音色だったと言っている。オーケストラのような楽器の持つ迫力が彼女にベートーヴェンの「運命」を編曲して実際に演奏してみようと思わせたのである。忙しい演奏活動の合間を縫っての編曲の作業は大変だったと容易に想像がつく。素晴らしい演奏であった。勿論、プロの編曲家ではないので、スムーズな流れではない箇所もあったが充分に楽しめた。

今日の演奏会で気になったのは、私の真後ろの座席に座った年輩と思われる男性(顔は見なかったが、、、)が、後半のショパンの曲以降、1曲終わるごとに“ブラボ”と叫んでいたことであった。引っ込みがつかなくて何度も“ブラボ”と声を発したようだったが、叫んだ後の呼吸が苦しそうであった。こんな歓声を上げた人は、初めてであった。感動したのは判るが、最後は義務的に叫んでいるように思えた。人それぞれの感情の表現があっても良いが、不自然な感じがした。

マグダレナ・カチョルは最後に通訳を通して別れの挨拶をした。Kitaraの何人かの職員の名前を上げて長々と感謝の言葉を述べていたが、演奏会ではチョット場違いではないかと思ったのが正直な感想。間もなく札幌を離れることで、いろいろな感情がこみあげてきて万感胸に迫るものがあった様子。日本を去り難い様子が見てとれ聴衆の中には感動した人も多かったと思う。彼女の心境を推し量ることはできたが、日本語で“アリガトウ”や“サヨナラ”の言葉を発しなかったのは極めて残念ではあった。
アンコールに応えて30秒ほどの短いポーランドの曲を弾いて、Kitaraのオルガンに“Thank you so much.”と話しかけ、1年間親しんだオルガンに最後の別れを告げた。

彼女は帰国して直ぐヨーロッパ数カ国での演奏会の日程も入っているように聞いているが、今後一層の演奏活動の活躍を期待している。






  

一番好きなピアニスト~エフゲニー・キーシン

私の一番好きなピアニストはエフゲニー・キーシンである。

IMG_0979 (200x150) ショパン:24の前奏曲、ピアノ・ソナタ第2番、英雄ポロネーズ 

エフゲニー・キーシン(Evgeny Kissin)は1971年10月10日、モスクワ生まれ。2歳でピアノを弾き始め、即興演奏も行った。6歳でモスクワのグネーシン音楽学校に入学。12歳でモスクワ音楽院大ホールでキタエンコ指揮モスクワ・フィルとショパンの協奏曲2曲を演奏して世界的に注目を浴びた。西側の国では日本が最初の訪問国で86年に初来日。その後、ドイツ、アメリカなど世界各国で数々の演奏会や音楽祭に出演。演奏会チケットは常に売り切れ、聴衆や評論家からは驚異的な絶賛を受け、名実ともに世界のトップ・ピアニストとして活躍している。

01年4月には日本全国8公演を開催した。日本最初の公演地であった札幌は2000人の満員の聴衆がKitaraの会場を埋めた。
プログラムはJ.S.バッハ(ブゾーニ編曲):トッカータ、アダージョとフーガ ハ短調BWV564、 シューマン:ピアノ・ソナタ第1番、ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」。
ピアノ・リサイタルでは今迄で最高額のS席1.2000円の金額、「展覧会の絵」の曲、キーシンの魅力に酔いしれたこと等は今でもハッキリ覚えている。他の演奏曲目のことは記憶にないが、翌年にキーシン演奏のシューマンのピアノ・ソナタ第1番とムソルグスキーの展覧会の絵はCDを購入していて手元にあった。バッハの曲もムソルグスキーの曲と一緒に収録されていたのに今、気付いたところ。

この年の演奏会のプログラムはキーシンにとって世界で初のお披露目だったが、主催者のニュースを読むと終演後、キーシンは「良いホール、良いピアノ、良い聴衆で初演奏を飾れたのは嬉しい。」と語ったそうである。アンコール曲は全然覚えていなかったが、ニュースによれば「リムスキー=コルサコフ:くまんばちの飛行」、「リスト:リゴレット」、他2曲。当時のKitaraでは珍しいスタンディング・オベーションが巻き起こった。改めてニュースを読み直すと、キーシンは4月5日の19時からの演奏会に備えて3日に札幌入りして猛練習で本番に臨んだと書かれていた。彼に対しての好印象がいやがうえにも深まる。

キーシンの演奏を生で聴いたのは、この一回だけである。11年10月10日、東京での彼のバースディ・コンサートに出かける計画も考えたことがあったが実現しなかった。
今年はヴァン・クライバーン・コンクールが切っ掛けで、オンデマンド・ビデオに親しみYouTubeをイアフォンでそれなりの音質で楽しむ習慣がついた。
7月はKitaraに13回も通って忙しかったが、8月はコンサートが少なくて時間的に余裕ができてキーシンの初来日の演奏をYouTubeで聴く機会が増えた。30年ほど前の録画とあって音質がさほど良くないが、何と言っても手の動きが良く見え、CDとは違った鑑賞ができるのが楽しい。演奏の質は当然だが、姿勢も良くて凛とした雰囲気で自然と音楽に気品が滲みでている。

86年10月15日、昭和女子大学人見記念堂でのエフゲニー・キーシン・ピアノリサイタル。
オール・ショパン・プログラムで、「夜想曲 嬰ハ短調、ピアノ・ソナタ第3番、幻想曲ヘ短調、 六つのマズルカ、スケルツォ第2番」を演奏。ショパンのマズルカは沢山あって区別がつきづらいが、この日聴いた曲は親しみ易い曲ばかり。すべての曲が終ってお客さんから次々と花束を貰うと、恩師であるカントール女史にその花束を捧げた。
カントール女史は別な日の記者のインタヴューで、「キーシンは遠慮深くて内気な少年だったが、舞台では心を開いて人々に音楽を伝えることを喜びとしている。」と言っている。

87年5月3日、大阪のザ・シンフォニーホールでの演奏会。「リスト:超絶技巧練習曲第10番」では文字通りに超絶技巧を発揮して鍵盤の上を自由自在に手が駆け巡った。「ショパン:ポロネーズ第5番」では力強い迫力のある演奏を展開した。この日もお客さんからもらった花束をカントール先生に捧げた。アンコール曲に三枝成彰編曲の「うさぎ」、「埴生の宿」を暗譜で演奏したのにはビックリ!

同年5月6日、サントリーホールでゲルギエフ指揮日フィルと共演して「チャイコフスキーの協奏曲第1番」。見慣れたゲルギエフの姿とは違った、30代前半の若き日の姿も目にして新鮮な気がした。
キーシンは2年続けて来日公演を行ったが、15歳とは思えぬ堂々たる演奏ぶりで、その後も定期的に日本ツアーを行っている。
87年にはベルリン芸術祭に出演して西ヨーロッパ・デビュー。97年にはロンドンのロイヤル・アルバートホールで、プロムスの103年にわたる歴史上初めてのソロ・リサイタルを行なった。
90年にはカーネギーホール創立100周年の記念演奏会シリーズでリサイタルとメータ指揮ニューヨーク・フィルとショパンの2つの協奏曲を演奏し、前例のないアメリカ・デビューを飾った。

自分は何かに集中すると徹底する性質なので、この機会に所有するキーシンのCDを全部聴いてみようとCD目録を確めてみた。7・8枚かと思っていたら20枚ほどもあって自分でも驚いている。ショパンが7枚と一番多いが、ラフマニノフ、シューマン、リスト、チャイコフスキーが各2枚、ベートーヴェン、ムソルグスキー、シューベルト、ショスタコーヴィチ各1枚。84年に初めてキーシンの名を知らしめた伝説的なモスクワでのショパンの協奏曲の演奏を収めた再発盤などもあるので、再度耳にするのも興味深い。88年9月、サントリーホールでのライブ録音もあった。9月もコンサートは4回だけの予定なので10月中旬ごろまでには一通り聴いてみるつもり。他愛のない計画ではある。

  IMG_0984 (150x113)
  画像のCDは小澤征爾指揮ボストン交響楽団との共演による「ラフマニノフの協奏曲第3番」。
  93年度のレコード・アカデミー賞を受賞。

 



時計台ボランティア活動(2013年度)

今年も6月から月4回の時計台ボランティア活動を行なっている。
今日たまたまシフトに当っていた8月12日は時計台の時計機械の誕生日でした。1881年(明治14年)8月12日の正午に稼動し、風雨に耐えながら、現在も正確に時を告げ、鐘を鳴らしています。2013年8月12日は時計稼動132年記念の日でした。2階に集まっていた約100名の来館者に11時45分から時計台館長が時計に関する話を始めた。いよいよ正午近くになり電波時計を持っていた来館者の協力でカウント・ダウンが始まって、12時正午に鐘が12回鳴り、居合わせた人々が誕生日を拍手で祝った。

子どもの夏休み期間中とあって、あいにくの雨模様にも関わらず家族連れの姿が目立った。小さな子どもや小学生を連れた夫婦、孫を案内する年輩の人たち等、朝早くから入場してくる人の応対に大忙しであった。時間に余裕を持って訪れる来館者には興味の程度に応じて演武場、時計機械、新渡戸稲造のこと等を説明した。いつの間にか雨も上がって、昼近くには大勢の入場者が訪れて、カウント・ダウンを楽しんでいた。時計台で良い思い出ができた様子がうかがえた。殆どが本州からの観光客で、今日の午前中は珍しく外国人の姿があまり見えなかった。

日本最初の農学校として札幌農学校は1876年(明治9年)に開校した。マサチューセッツ農科大学学長のクラーク博士がホイラー、ペンハロー両教授と共に札幌に赴任して8月に開校式。生徒は24名。(大部分の授業が英語で行なわれたために、4年後に卒業できた生徒の大部分は東京英語学校出身の生徒で、一期生として卒業できた者は13名。)1878年(明治11年)10月16日に演武場(兵式訓練、体育の授業、儀式の場)の落成式が行われた。当時の北海道開拓使長官黒田清隆が塔時計の設置を指示したことで、1881年に時計塔が完成して8月12日正午に運転が開始された。

IMG_0794 (300x225) 昨年2月の雪まつり期間中のボランティア活動の折の時計台のただずまいは他の四季の様子とかなり違う。 

 
札幌市時計台は日本最古の塔時計である。時計塔は5層構造になっており、5階にある鐘から重りが下がる1階までが時計の機能を果たしている。時計機械は時を刻む装置と鐘を鳴らす装置が一体となっている。アメリカのE・ハワード社製で、動力としての重りを利用する機械式。重りは2種類あって、運針用が約50kg、打鐘用が約150kg。重りの巻き上げは人力により週2回行っている。毎正時に時の数だけ鐘が鳴る。鐘の音はかっては一里(約4km)四方に響き渡ったと言われる。現在は周囲がビルに囲まれていて、近くにいないと鐘の音に気付かないらしい。時計は風などの影響が少なくて、今では1日1秒も狂わないそうである。

時計台近くで時計店を営んでいた井上清さん(故人)が時計台の時計が止まっているのに気付いて、1933年(昭和8年)にボランティアで保守点検の仕事を始めた。その後、井上和雄さんが引き継いで親子2代で約80年に亘って塔時計を守り続けてきた。4年前に井上さんが引退して、現在は社団法人・札幌市友会が保守点検の仕事を行なっている。
時計台が今日あるのは井上さん親子の献身的なボランティア活動に負うところが大であると思っている。私は時計機械の説明をする時には井上さん親子の話を必ずする。井上さんは腰を痛めて足も少々不自由ですが週2回事務室に顔を出している。私の活動日は月曜日なので毎週会う機会があって、偶然館内を通る井上さんの姿を見るとお客さんに紹介することもある。

関東大震災、第二次世界大戦の空襲や時代の流れで失った文化財が沢山あるが、時計台の中に入って学ぶことはいろいろある。外国の観光客や本州の観光客が圧倒的に多い現状ですが、札幌市内に住んでいる人には、ゆっくり時間を取って是非見学してほしいと思う。私自身も5年前にボランティア活動を始めてから学んだことが大部分で、まだ知らないことの方が多いのではないかと感じている。

  IMG_0795_1 (300x225) IMG_0796 (300x225)

現在の時計台には演武場が建設された135年前の窓ガラスが数多く残っていて、外の景色を見ると歪んで見えるのが判る。道路を走る自動車のガラスと反射すると窓のガラスの見事な模様が見える時があるそうである。普段でも注意して窓の外を見ると、ガラスがゴツゴツしていて普通のガラスと違うことに気付く。(ガラス窓であっても外からは内部が見えないガラスがKitaraの楽屋に使われていることを思い出したが、100年以上前からガラスにもいろいろな工夫があるようだ。)

2階の正面に「演武場」の額が飾られていて、書の左側に《従一位具視》と署名がある。当時、右大臣であった岩倉具視の揮毫である。この額を背景に記念写真を撮っていく人が結構いる。(岩倉具視の揮毫した書と気付く人は少ないようであるが、、、)
北極星をかたどった「五稜星」は北海道開拓使のシンボルマークで、北海道開拓時代の建物として演武場の他に、道庁赤レンガ庁舎、豊平館、サッポロビールのマークに使われ、北海道の旗にも使われている。(サッポロビールは開拓使が作った官営のビール工場だった。)

 
  



Kitaraオルガン・アドベンチャーのドレミ隊

Kitara主催で毎年8月の夏休みの期間中に≪オルガン・アドベンチャー≫というコンサートが主として子ども向けに開催されている。
《大迫力の演奏をスクリーンで楽しもう! 巨大オルガンにカメラが潜入! オルガンと一緒に演奏しよう! みんなで一緒に歌おう! バックステージツアーに参加してオルガンに大接近!》

上記が今年のアドベンチャーの中身。 09年、10年、Kitaraボランティアとしてバックステージの案内活動を行なっていたが、今年は3年ぶりに参加。従来の活動のつもりでいたら、「ドレミ隊」としてステージに上がる活動が加わった。ボランティア組織の推進委員から依頼されて、最初は辞退したが結局承諾。

今日は午後の活動予定であったが、リハーサールが午前中にあるとのことで今朝11時からのリハーサルに間に合うようにKitaraに出かけた。出番はほんの少しでも、リハーサールにはすべて出る事情は理解できた。

「ドレミの歌」にボランティア4名(男性2名、女性2名)が「ドレミ隊」として参加。他3名は司会者、オルガニストのカチョル、Kitara職員。スタッフから振付の説明を受けて、ステージリハーサル。頭で理解できても、直ぐ行動に結びつかないのは運動神経が鈍くなっている証拠。本番でもあまり上手く行かなかった。全員での合唱で[ド]を表す〈ドウナツ〉の絵を持って、何とか楽しい雰囲気は出せたのではないか?

オルガニストのマグダレナ・カチョルはオルガン演奏もあって大変なのにドレミ隊に参加して、リハーサルにも加わった。Kitaraのスタッフとも打ち解けて剽軽な行動をしているのにビックリ! リハーサールの出番を待つ間に、思い切って話しかけてみると気軽に応じてくれた。第15代札幌コンサートホール専属オルガニストとして1年間の任期も今月で終えるが、精一杯いろいろな活動を楽しんでいる様子を見て嬉しく思った。
本番でも彼女がモデルのようにステージで振る舞う姿は、ヨーロッパの音楽院では演劇や舞踊も学んでいることを思い起こさせてくれた。

私は10代~13代までの4人のオルガニストに日本語を教える活動をしてきたが、彼らの活動はエネルギーに満ち溢れていた。歴代のオルガニストがKitaraに戻ってきているので、いつの日か再会できることを楽しみにしている。

今日のコンサートは従来のマンネリ化したオルガン・アドベンチャーのプログラムと違って新鮮な印象を受けた。リコーダーやいろいろな楽器を持ってきて親子連れで楽しんでいる家族が沢山いて、パイプオルガンの近くでは興味津々な子供たちの姿が強く印象に残った。小さな子どもまで「楽しかった」と答えてくれたのも印象的。
見学終了後にホアイエに置かれたオルガンの模型の前で、オルガニストが子どもたちと記念写真に納まる光景を目にしたが、彼女のサービス精神も大したもの。お互いに良い思い出になり、子供たちも音楽が楽しくて、身近なものになれば嬉しいことだ。

Kitaraのステージでは3年前だと思うが、300名くらいの見学者を迎えて大ホールとオルガンの説明をしたことを思い出すが、今回はとても楽しかった。控室でKitaraのTシャツに着替えることになって、楽屋を使わせてもらった。演奏家にでもなった気分でワクワクした。

今日のコンサートにはボランティアが運営補助活動にも加わって、Kitara職員と連絡を密にして活動出来たらしい。お互いに協力して作り上げた結果が、楽しい時間を過ごした子どもたちの様子に表れていた。私も職員の心遣いで役目を終えることができた。

700名弱の客に対応したボランティアは約40名。すべて終わって、Kitaraを後にしたのが4時半ごろ。意外と疲労感はなかった。

*「ドレミの歌」は日本でもよく知られているが、歌詞は言語によって違う。「ドレミファソラシド」は英語では“Do,Re,Mi,Fa.So,Ra,Ti,Do”となる。発音も違うが、全く違うのが「シ」と「ティ」の違い。ちなみに英語の歌詞を書いておきます。

Do, Re, Mi, Fa, So, Ra, Ti, Do
Doe, a deer, a female deer,  (ドは雌の鹿の“doe”と同じ音)
Ray, a drop of golden sun,    (レは太陽から注ぐ光線の“ray”と音が同じ)
Me, a name I call myself,     (ミは自分を呼ぶときの名前)
Far, a long, long way to run,   (ファはずっと遠くへ走る時の“far”)
Sew, a needle pulling thread,   (ソは針が糸を引っ張って縫う“sew”)
La, a note to follow sew,     (ラはソに続く音)
Tea, a drink with jam and bread (ティはパンにジャムをつけて食べるとき飲む“tea”)
That will bring back to Doe.   (そしてまたドにもどる)

あとの歌詞はほぼ日本語と同じですが、興味がありましたら英語の歌に挑戦してみませんか。メロディは同じです。それぞれの国で歌いやすいように、知っている言葉の歌詞に変えているのだと思います。

外山啓介ピアノ・リサイタル2013

外山啓介(Keisuke Toyama)は1984年札幌生まれ。04年、第73回日本音楽コンクールのピアノ部門第1位。06年、東京藝術大学卒業。08年、ドイツ(ハノーファー音楽演劇大学)留学を経て、11年東京藝術大学大学院修了。
07年CDデビュー。サントリーホール(大ホール)でのデビュー・リサイタルが完売となって、全国各地で大型新人ピアニストとして評判になった。これまでに日本の多くのオーケストラと共演。13年3月、ベルギーのフランダース交響楽団定期演奏会(金聖響指揮)に出演してヨーロッパ・デビュー。今後、海外での活躍も一層期待される。
 
外山啓介は07年に東京デビュー前に、05年11月、≪Kitaraのオータム・コンサート~日本音楽コンクール優勝者によるコンサート≫と銘打たれた毎日新聞社と札幌コンサートホール主催のコンサートに出演している。札幌出身で第65回日本音楽コンクール・ピアノ部門優勝者、橘高昌男とのジョイント・リサイタルと言ってもいいコンサートであった。
外山は「モーツァルトのピアノ・ソナタ第9番」と「ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番」を弾いた。緊張した表情ではあったが、聴き応えのある演奏であった。

07年2月にはオール・ショパン・プログラムで全国公演を開催して、札幌公演は最終回の4月25日であった。プログラムは「ワルツ第1番」、「バラード第1番」、「ポロネーズ第6番」、「ポロネーズ第7番」、「夜想曲第17番」、「夜想曲第18番」、「ピアノ・ソナタ第3番」。サントリーホール・デビューで全国的に話題になった外山が故郷で自分の名が付いた《外山啓介デビュー・ピアノリサイタル》を開いた。良く親しまれている名曲ばかりで、気分も高揚して充分にショパンの曲に酔いしれた。6年も経つが、この日の大ホールの雰囲気が何となく蘇ってくる感じがする。

時を於かずに9月には札幌コンサートホール主催の≪Kitaraランチタイムコンサート≫として《外山啓介ピアノリサイタル》が小ホールで開催された。4月のリサイタルを聴き逃した人が駆け付けた感じも受けた。この時に弾いた曲は「モーツァルト:ロンド イ短調、フォーレ:ノクターン第5番、ドビュッシー:映像第2集、ショパン:ノクターン第8番、バラード第1番、ポロネーズ第6番」。繊細で色彩豊かな音色が魅力的であった。

08年は夏休み時期の国内リサイタル・ツアー13公演、“KEISUKE TOYAMA Piano Recital”。札幌公演は8月8日で大ホール。曲目は発売した2枚のCDに収録された「サティ、ラヴェル、フォーレ、ドビュッシー、ショパンの名曲」。フランス音楽独特のハーモニーや響き。ショパンの人生の変遷が伝わる音楽の魅力に溢れた曲。この年も各地での驚異的な動員力を記録してスターとしての地位を得たようだった。

09年6月は初めてのコンチェルト。アントニオ・ヴィット指揮ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団との共演で「ショパンのピアノ協奏曲第1番」。ショパン生誕200年プレ・イヤーのプログラム。

ワルシャワ・フィルとの共演の後、直に国内リサイタル・ツアー15公演。札幌は14公演目で8月28日。ショパンとラフマニノフのプログラム。ラフマニノフは「ソナタ第2番」や「ヴォカリーズ」の他に「音の絵」を弾いた。とても魅力的な演奏に惹かれて、会場で彼の“New Album”のラフマニノフのCDを買うつもりだったが、サインを貰う人の列が凄かったので、止めにするほど熱狂的な人々が押し寄せていたことを記憶している。結局、その後レコード店で彼のCDを購入した。

7回目は10年8月8日(日)の≪オール・ショパン・ピアノ・リサイタル≫。「ワルツ第2番」から始まって、「練習曲第1・4・12・13・23番」、「スケルツォ第4番」、「バラード第4番」。後半は「ノクターン第15・16番」で、最後は「ソナタ第3番」。 ショパン生誕200年を記念するプログラム。ショパンの繊細でロマンティックな数々の楽曲、快活で勇壮な曲想を持つ曲などを外山啓介は真摯で情熱的な演奏で色彩感豊かで抒情味あふれる音楽を作りだした。背が高く細身で、このピアニストが持つ繊細な雰囲気がショパンの曲によく似合う。

10年12月はランチ付きで≪クリスマス・コンサート≫として京王プラザホテル札幌を会場として開かれた。8月からチケット売り出しで満席。ボランティァ仲間を誘って出かけたが、結構おいしいランチが出されて普段のKitaraでのコンサートとは違った鑑賞の仕方でそれなりに楽しめた。初めて彼が弾いた曲は「バッハ(ブゾーニ編)のシャコンヌ」、後はすべてショパンの曲で今迄聞いたことがある曲が中心。

11年8月はリサイタルで≪ベートーヴェン4大ソナタを弾く≫。「ソナタ 第14番《月光》」、「ソナタ 第21番《ワルトシュタイン》、「ソナタ第8番《悲愴》」、「ソナタ第23番《熱情》」。レパートリーの拡充が期待されていたが、11年はベートーヴェン・プログラムで全国ツアー。それなりの重厚な演奏を披露した。

12年1月は≪Kitaraのニューイヤー≫でクリストファー・ウォレン=グリーン指揮札幌交響楽団と共演。モーツァルト:ピアノ協奏曲 第25番。札幌コンサートホール15周年のKitara主催のプログラムとしては05、07年に続いての出演。これまで企業が支援するコンサートで札響との共演はあったようだが、地元のオーケストラとの一般公開の公演は初めてだった。やはり地元の期待は大きい。

12年の全国ツアーはムソルグスキー「展覧会の絵」をメインに据えたプログラム。札幌では丁度1年前の8月2日。当日のプログラムの前半はモーツァルト:幻想曲K.397、ショパン:幻想即興曲、幻想曲ヘ短調、リスト:ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」。〈幻想〉と名が付いた曲を4曲並べた面白いプログラミング。リストの曲だけは趣の全く異なった曲調。ダンテが書いた「神曲」の中の「地獄篇」に霊感を受けて作曲したと言われている。先日のPMFガラ・コンサートで小山実稚恵が圧倒的な迫力で演奏した印象が脳裏から離れない。昨年の外山の演奏はそれほどの強烈な印象は残っていない。
後半の「展覧会の絵」は01年のキーシン、05年のアファナシエフ、08年のファジル・サイ、12年の紗良・オットなどの演奏が目に浮かぶ。それぞれ個性的な演奏でオット以外は1回しか聴いていないので印象が鮮明で記憶に残っているのかも知れない。外山の演奏は肌理細やかで、繊細で、且つ色彩感は豊かなのだが大胆さに欠ける印象が拭えない。綺麗な曲として受け取る私自身の思い込みが強いのかも知れない。

外山啓介のステージでの振る舞いはアーティストの中で最高であると思う。45度の角度でのお辞儀の仕方は私の気に入っているところである。背が高く、すらっとした細身で舞台での仕草が様になっている。あれほどの角度で堂に入ったお辞儀の出来る人は他にいない。演奏とは関係がないとは言え、いつも好感が持てる。

小山実稚恵、及川浩治に次いで3番目に聴く機会の多いピアニストであり、自分の記録としてブログにまとめているので、今回も長いブログになっている。
外山啓介のリサイタル・ツアーは毎年7・8月の時期に開催されてきた。
“Keisuke Toyama Piano Recital 2013" が今日8月1日札幌での開催となった。

PROGRAM
 J.S.バッハ(ブゾーニ編曲):シャコンヌ 

 シューマン(リスト編曲):献呈
 シューベルト(リスト編曲):アヴェ・マリア
 ラヴェル:亡き王女のためのパヴァ―ヌ、 ラ・ヴァルス
 ショパン:3つのワルツ 第6番「子犬のワルツ」、第7番、第8番
      英雄ポロネーズ(ポロネーズ第6番)
      ピアノ・ソナタ第2番「葬送」

「今回は、とにかく皆さんに楽しんでいただける曲、華やかで心が躍るような曲を選びました」と外山は語っている。前半はピアノ独奏曲に編曲された作品を中心に構成。後半は得意なショパン作品。
 
「バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番第5楽章シャコンヌ」をブゾーニがピアノ曲に編曲したもの。雄渾にして壮大な力作で約20分にも及ぶ楽章。壮麗な主題とそれに基づく30の変奏から構成されている。今日のピアノ演奏は約25分もかかったが、ヴァイオリン曲とはかなり違った印象を受けた。3年前のホテルでのコンサートの演奏曲目にこの曲名が載っていたが、時間は長くなかったと思う。変奏が半分くらいだったのではないか。ヴァイオリン曲として親しんでいるが、ピアノ曲としては聴き慣れないので何とも言えない感じ。
シューマンはクララと結婚した年(1840年)に歌曲集「ミルテの花」を彼女に贈った。その第1曲目が「献呈」。このピアノ曲は演奏会でしばしば取り上げられている。「アヴェ・マリア」はシューベルトの有名な歌曲をリストがピアノ独奏用に編曲したもの。
ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァ―ヌ」は典雅な趣の旋律を持つ美しい曲で、外山の持ち味である多彩な音色を繊細に操り、悲しみの表現力が心に響く音を紡いだ。パヴァ―ヌはスペインに起源をもつ古典舞踊のひとつ。
「ラ・ヴァルス」はワルツのこと。管弦楽曲をピアノ独奏用に編曲したもので15分ほどの曲。この曲は「舞踊詩」である。ラヴェルは〈ウインナ・ワルツを神格化して構想し、幻想的で宿命的な旋回の印象が結びついている〉と述べている。前2曲は静寂の世界を描いたが、この曲はオーケストラ曲を編曲したので、他楽器の表現も必要な凄いテクニックを使わなければならない難曲。外山は凄い技巧を発揮して力強い演奏で新しい魅力を聴衆に披露した。

前半の1曲目が長過ぎて今日の大方の聴衆の心に今ひとつ響かないようだった。2曲目は有名曲だが短くて曲が終っても次の楽章に続くと思った人が大部分で、拍手するタイミングを失って、演奏者も次の曲に移った。外山のステージでの仕草もお辞儀の角度や時間も従来の彼のマナーと変わったように見えた。何となく会場が盛り上がらない感じ。P席、3階席は売れずに2階席も埋まっていず、外山のコンサートでは今までにない空席の多い状況。(12月に毎年クリスマスコンサートのホテルでの開催が恒例になっていて、曲目もほぼ同じなので客が選択する事情があるのかも知れない)。最近は他のピアニストでも同じ状況になっている。とにかく、「ラ・ヴァルス」で少し盛り上がって“Bravo”の声援もあった。前半の選曲は必ずしも客の好みと合わなかったのかも知れない。

後半のショパンは聴き慣れたワルツで始まった。「英雄ポロネーズ」に入ると、スケールの大きい序奏とポーランド舞曲、ポロネーズ独特の勇壮な3拍子のリズムに乗って力強い演奏で聴衆の反応もうなぎ上り。
「ピアノ・ソナタ第2番」では振幅の大きい表情の豊かさが外山特有の透き通った音色で比類のない技巧で表現された。第3楽章の「葬送行進曲」が聴きものだが、第1楽章から聴衆の心を掴み、外山のピアノの世界に引き込んだ。第4楽章は75小節という変則的な感じの楽章で2分足らずでフィナーレになるが、最後の音できちんとまとまるのが不思議である。とにかく名曲である。

予定のプログラムが終ると、前半は淡泊であった聴衆も大拍手で感動を表し、アンコールを求めた。外山も最後はかなり深い角度のお辞儀で、従来の礼儀正しい印象。
ショパンの持つエネルギ―はやはり凄い。ショパンが聴衆を動かす印象が極めて大。

ところで「音楽の友」2011年8月号の「私の好きなショパン・ベスト5」の特集記事で外山啓介は次の曲を上げていたので、参考までに記しておく。
 1.ピアノ・ソナタ第3番   2.ポロネーズ第7番《幻想》  3.バラード第4番
 4.ノクターン第17番     5.スケルツォ第4番

本日のアンコール曲はブラームス:「間奏曲op117-1」
          ムソルグスキー:「展覧会の絵」より《キエフの大門》

ムソルグスキーは圧巻で聴衆も感動。ダイナミックな演奏にすっかり心を奪われた様子。私自身も昨年の消えかかった印象を取り戻す曲で心を揺り動かされた。アンコール曲として大曲であった。CDを購入してもらうための選曲だったと思うが、今日のコンサートの最後を飾る素晴らしい演奏曲となったのは間違いない。終了後のホアイエにも聴衆の興奮ぶりが広がっていた。












プロフィール

fsuterry

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR