アンネ=ゾフィ・ムター ヴァイオリン・リサイタル

2011年5月に予定されていたムターの公演が東日本大震災の影響で中止となり極めて残念な思いをしていたが、本日、2013年5月31日にやっと夢が叶った。 30年ほど前に若きヴァイオリンの巨匠と言われる2人のヴァイオリニストが音楽界で話題になっていた。もう一人のヴィクトリア・ムロ―ヴァは2003年の日本公演で札幌コンサートホールKitaraに「エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団」を率いて指揮者&ソリストとして登場した。オール・モーツァルト・プログラムでムロ―ヴァはヴァイオリン協奏曲第1番と第4番を演奏した。
それだけに、今やヴァイオリン界の女王と呼ばれるムターのKitara初登場を心待ちにしていた。今年の4月にムロ―ヴァは11年ぶりに来日してN響と共演してリサイタルを行なった。

ムターは札幌の他に兵庫と東京オペラシティとサントリーホールでの公演が予定されている。
ピアノ:ランバート・オルキス(Rambert Orkis)
 
PROGRAM
 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ ト長調 K.379
 シューベルト:幻想曲 ハ長調 D.934
 ルトスワフスキ:パルティ―タ
 サン=サ―ンス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ニ短調 Op.75

コンサートが始まる前にステージの下手には大きな豪華な花が飾られていた。深紅のドレスに身を包んだ気品のある美しい容姿のムターが一段と輝きを放って、ピアニストと共に登場した。割れんばかりの拍手の中、モーツァルトのソナタが奏でられた。何と美しい音色か。今日の演奏曲目で唯一持っているアッカルドのCDを予め何回か聴いてきたが実演でムターから発せられる音の響きが格段と違うのは言うまでもない。明るい聴き慣れたメロディがいろいろな変奏曲となって展開される。何とも鮮やかで変化に富んだ演奏。ピッチカート奏法がかなり使用されるが、CDを漫然と聴いているだけでは気が付かないほど多用されていた。

シューベルトのヴァイオリン・ソナタの作品はほとんど無いと思うので、今日の「幻想曲」はとても興味津々であった。ピアノ用の有名な「さすらい人幻想曲」も連想しながら聴いたが、演奏時間も25分ぐらいと長く、ピッチカート奏法の場面も結構あって変化を引き出すためだろうが、音の響きが低音すぎていささか短調な感じになるのが気になった。今日の演奏でただ一つ気になった点だが、楽譜通りだから鑑賞する者の好みの問題なのだろう。弓を使っての美音の演奏が断然、気持ちが満たされる。

後半の“ルトスワフスキ”はポーランドの現代作曲家で今年は彼の生誕100周年に当たる。今迄もクリスティアン・ツィメルマンのピアノ演奏でも紹介されてきたが、今年は特に記念年とあってその作品が取り上げられることが多いようである。ルトスワフスキは1984年にヴァイオリンとピアノのための「パルティータ」を作曲した。その後この作品はムターのためにルトスワフスキ自身が独奏ヴァイオリンとオーケストラのための新しい版を作った。今日、演奏されたのは1984年版であった。現代曲とあって前半の作品とは趣がガラッと変わったが、それなりに聴き慣れない曲を楽しめた。

年輩のピアニストのオルキス故ロストロポーヴィチと11年以上にわたって共演し、88年からムターのリサイタルで共演している。(ロストロポーヴィチが92年に札幌公演を行った折のピアニストをプログラムで確認してみたら同じピアニストだった。)オルキスは室内楽奏者、現代音楽の表現者、ピリオド楽器奏者として国際的な名声を勝ち得ているピアニストだそうです。
今日のピアノ伴奏で共演者と呼吸を整えながら演奏に気を遣っていた様子が経歴からも判った。しかし、ルトスワフスキでは対等のピアニストとしての技量を示していたのでその意気込みが一層伝わった。

サン=サーンスはいろんなジャンルで多くの作品を残している。ヴァイオリン・ソナタ第1番はフランス近代音楽の特徴が良く表現されていると言われる。フランス音楽らしい豊かなメロディが心を弾まさせてくれる。情熱的なヴァイオリンとピアノのかけあいが楽しめ、フィナーレは文字通り曲を閉じるのに相応しい壮麗な終結。

今日の客の入りは思ったほどではなく3階は売りに出されずに2階も空席があったが、ヴァイオリン界の女王と言っても若い世代ではムターの存在は知られていないのが残念ではあった。前半は客も静かにムターの音楽に集中していたが、後半は“Bravo”の掛け声も飛び、アンコールの披露に至っては普段より以上の興奮の入り混じった歓声とどよめきが湧き上がった。会場の雰囲気に応えてアンコール曲が4曲もあった。2曲で終わりかと思った聴衆もこれには大喜び。多くの人がスタンディング・オヴェーションで感謝の意を示した。私もめったに無いことに仲間入りをして立ち上がって拍手を送った。

アンコール曲:クライスラー「美しきロスマリン」、ブラームス「ハンガリー舞曲第1番」、
(第2曲目から、ムター本人が曲名を英語で言って、第3、第4は“Happy New World”,“Maurice Ravel , Habanera”と聞こえたが、会場出口の曲名が違っていた。打ち合わせと変更した曲目が書かれたのか、私の耳の聞き違えかは定かでない。

サイン会があると知って、彼女のコンチェルトは81年頃のレコーディングの曲を何枚も所有しているが、ソナタは無かったので、記念に「ブラームスのソナタ全集」を買ってサインしてもらった。多くの人が行列を作る中、久しぶりに並んでムターの前で「Kitaraでの初登場を心待ちにしてました。素晴らしい演奏でした。有難うございました。」と英語で言うと顔を上げて頷いてくれた。流れ作業のようなサイン会であったが、コミュニケーションをとれて大満足であった。

ムターは今回の日本ツアーのなかの出演料の一部を被災した子どもたちへすぐ届けたいと「セーブ・ザ・チルドレン」に寄付した。今日の演奏会を通して彼女の気取らない明るい人柄に接することができたのも収穫であった。彼女くらいの大物になるとサイン会は予想していなかった。今後は好感度が増して彼女のCDへの親近感も増幅することになると思う。

昨夜から体調が余り思わしくなかったが、何時ものごとくKitaraでのコンサートが元気回復の素になるから嬉しい。それにしてもここ数年心待ちにしていたムターを聴けて何か心に気にかかっていたものが解消して晴れ晴れとした気分になれたことが何よりだ。
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第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール 予選と審査

クライバーン・コンクールの予選も終わりに近づいている。オンデマンド・ビデオにはまってしまった。ヘッドフォンで極めて良い音質が楽しめ、映像つきなのでピアニストの手の動きが見れて退屈しないで鑑賞できる。今まで偶にYouTubeで短い曲を聴いてもヘッドフォンは使っていなかった。次のKitaraでのコンサートまで2週間近くも空いていたこともあってThe Cliburnに夢中になったのである。
 
これまで30名のうち10名余りのリサイタルを聴いた。どのピアニストも素晴らしくて聴きごたえがある。

前回触れたフランスのフランソワ・デュモン(Francois Dumont)は第1ステージで、≪モーツアルト:ソナタ イ短調k310、ラヴェル:夜のガスパール、ショパン:スケルツォ第3番≫を弾いた。極めて味わい深い豊かな演奏で大人の雰囲気を醸し出した。

ウクライナのヴァディム・ホロデンコ(Vadym Kholodenko)の演奏も素晴らしかった。 第1ステージでのラフマニノフの「ソナタ・第1番」がとても良い曲で新鮮だった。(ラフマニノフのソナタは第2番が有名で1番は聴いたことが無かった。) 第2ステージではベートーヴェンの「ソナタ第30番」に続いて、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカよりの3楽章」を演奏したが、これが圧巻であった。

アメリカのSteven Lin, Alex McDonald は経験を積んだピアニストで地元とあって物凄い会場からの声援を受けての演奏。リンはハイドン、メンデルスゾーン、VINE(豪州の作曲家)を第1ステージで、第2ステージではハイドン、ショパン、リストを組み合わせて自信満々の様子。アメリカでも評判の人気の高いピアニストらしい。
マクドナルドはクライバーンに似た風貌で気品のある30歳のピアニスト。第1ステージでハイドンの「ソナタ第32番」、武満の「雨の樹素描Ⅱ」、リストの「ソナタ・ロ短調」を重厚感のある演奏。第2ステージではラヴェル、リスト、ショパンの後にストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」を演奏してセミファイナル進出への意気込みを見せた。

イタリアのベアトリチェ・ラナ(Beatrice Rana)は第1ステージではクレメンティとシューマンを力強くとても明るく演奏した。第2ステージではシューマンの「アベッグ変奏曲」、ラヴェルの「夜のガスパール」、バルトークの「Out of Doors」。第1ステージとは様相をがらりと変えて落ち着いた深みのある演奏で強い印象を残した。

その他で印象に残った出演者は、ポーランドのMarcin Koziac、ロシアのAlexey Chernov、中国のFei-Fei Dong。

いくら時間があっても足りないくらい。こんなに夢中になって聴いたとは自分でも意外だった。10名のピアニストの演奏をアト・ランダムに選んで聴いただけだが果して何名が次のステージに進めるか興味深くもある。

審査の方法ですが、審査委員13名は各出演者に今回は点数は付けません。2回のリサイタルでそれぞれ「もっと聴きたい」出演者には“YES”、「もっと聴きたいとは思わない」出演者には“NO”と記入します。“YES”の数の多かった12名が第2次予選(Semifinal Round)に進出するわけです。

審査員の一人は日本の野島 稔さんです。彼は1969年の第3回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで第2位になったピアニストで、81、85、89年に続いて今回が4回目の審査委員となります。彼は戦後生まれ世代の日本を代表するピアニストで、私も札幌で札響・N響公演で89、92,94年と3回演奏を聴く機会がありました。「野島稔よこすか・ピアノコンクール」を創設して審査委員長として活躍し、現在でも演奏と教育の両方の分野で活動している。

つい2週間前のKitaraでピアノ・リサイタルを開催して、19日にも東京で演奏活動を行なったミシェル・べロフさんも昨年に続いて今年も審査委員に名を連ねているのも注目されます。

*2009年辻井伸行が優勝したことで一気に世間の注目を浴びたが、同じく優勝を飾ったハオチェン・チャン(Haochen Zhang)にも日本の音楽界はもっと注目してほしい。ラン・ランやユンディ・リに継ぐ中国出身の有望なピアニストである。

*クライバーン・コンクールが世界の3大コンクールと4年前に報じられていたが、ショパン・コンクール、チャイコフスキー・コンクールは異論がないとしても、ヨーロッパにはエリーザべト、ミュンヘン、ジュネーヴ、ロン・ティボー、リ―ズなど有名なコンクールが沢山ある。アメリカで一番有名なコンクールは1939年創設のレーヴェントリット国際コンクールだった。ピアニストとヴァイオリニストのための国際的に権威のあるクラシック音楽コンクールとしてニューヨークで始まった。過去の有名な優勝者はユージン・イストミン(p. 1943)、ヴァン・クライバーン(p. 1954)、イツアーク・パールマン(vn. 1963)、チョン・キョンファ、ピンカス・ズ―カ―マン(vn. 1967)。内田光子は1976年第2位(優勝者該当なし)。残念ながら1981年以降このコンクールは開催されなくなった。アメリカでは現在はクライバーン・コンクールが最大のコンクールとなっているのは確かであろう。近年、アメリカの演奏家は日本やヨーロッパの国々ほどコンクールへの依存度は高くない、個人的にはむしろ低いのではないかと思っている。

追記:12 semifinalists が決まった。ロシア勢が断然強い。ホジャイノフを初め4名もセミファイナル進出。このことは2010年のショパン・コンクール以来から予想されていた。阪田の第2ステージも良かった。
ホロデンコ、ラナ、ドン、チェルノフも入った。ホジャイノフ、ホロデンコは優勝候補のような気がする。これからが本番なのだろうが何となく素人としての感触である。(May 31)

追記:第2次予選(60分以内のソロ・リサイタルとピアノ五重奏曲)を通過して本選(Final Round)に進める6名のピアニスト。チェン(米国)、ドン(中国)、ラナ(イタリア)、ムンドヤンツ(ロシア)、阪田(日本)とホロデンコ(ロシア)。優勝候補のホジャイノフは選に漏れた。本選ではコンチェルトを2曲弾くことになっている。(June 5)



第14回ヴァン・クライバ―ン国際ピアノコンクールの開幕

2009年6月、第13回ヴァン・クライバ―ン国際ピアノコンクールで辻井伸行が優勝を果たし、会場でクライバーンに抱擁され、金メダルを胸に優勝カップを高々と頭上に掲げたシーンからもう4年が経つ。
2013年の第14回クライバーン・コンクールが米国テキサス洲のフォートワースで幕を開けた。

2013年の1月~2月の予備審査が香港・ハノーファー・モスクワ・ミラノ・ニューヨーク・フォートワースの6都市で5人の審査委員のもとで実施された。133名のピアニストが世界の6会場の1つを選んで、聴衆のいる会場で40分のリサイタルを行なうオーディションに参加したそうである。

この狭き門を通過した30名のピアニストが今回フォートワースでの本選に集結して栄冠を目指して競うことになった。3週間にわたるコンクールの第1次予選では各人45分のソロ・リサイタルを2つ披露する。
この予選が5月24日~30日まで行われる。30人が1つ目のリサイタルを終えてから、2つ目のリサイタルに入るが、予め抽選で演奏順が23日に決められて、コンクールはスタートした。

30人の内訳は、アメリカ 7人、イタリア 6人、ロシア 5人、中国 3人、ウクライナ 2人。日本・韓国・台湾・フランス・ポーランド・オーストラリア・チリ 各1人。
第13回は1位2人、2位1人をアジア勢で占めたので今回は様子が違う。アメリカ人が例年になく多い。イタリアは予備選がミラノの会場の関係が多分に影響か。ヨーロッパ勢の多くは同時期開催のエリーザべト王妃国際コンクールに参加したのではと推測される。いずれにしても各コンクールはそれぞれの特徴があるのでピアニストの自由選択の幅が広いのは良いことである。
 
私は今回のコンクール応募者の名簿を見て、ロシアのニコライ・ホジャイノフとフランスのフランソワ・デュモンの名が目に入った。彼らは2010年のショパン国際ピアノコンクールのファイナリストだった。特にホジャイノフはショパン・コンクールの予選では最高得点だったそうだが、本戦のコンチェルトでオーケストラとの共演による経験不足で上位入賞を逃したとされる。彼は2012年にはシドニー国際ピアノコンクールで第2位で聴衆賞、ダブリン国際ピアノコンクールでは第1位でかなりの実績を積み重ねている。
12年4月に群馬で公演を行い、7月の日本ツアーでは西宮・甲府・つくば・静岡・東京で公演を行ったというから日本でもかなり知れ渡っている。札幌でも14年2月の札響との共演が予定されている。

昨日の午前10時20分からライブ・ウエブキャストでNikolay Khozyainovの演奏をネットで聴いた。先月の「佐渡裕指揮BBCフィルハーモニックwith辻井伸行」の大阪と東京公演のプログラムをBBCで再度聴いてとても音が良かったのでネットで聴く気になったのである。

Khozyainov(ホジャイノフ)の演奏曲目:
 ハイドン:ソナタ 二長調 Op.33、  ショパン:練習曲ハ長調 Op.10 No.1、
 リスト:超絶技巧練習曲 第5曲「鬼火」、
 スクリャービン:エチュード 嬰ハ短調 Op.42 No.5、
 ラヴェル:「夜のガスパール」より 第3曲。

ハイドンの意外な落ち着いた曲から入り、ショパンでも厳かな雰囲気であったが、一転リストではめまぐるしい技巧が散りばめられた曲。手の使い方と音の出し方に魅了された。余り聴くことのないスクリャービンも面白かった。ラヴェルは最後に弾くのに相応しい名演。twitterで思わず演奏の素晴らしさをつぶやいた。
午後に「オンデマンド」を利用してホジャイノフを聴き直してみた。二度目の方が落ち着いて聴けて、集中度が高かったせいか、初回より演奏の良さが判った気がした。

Twitterを通して「オンデマンド」の使い方が判ったので、日本人の阪田知樹の演奏を聴いてみる気になった。彼の演奏曲目はベートーヴェン:ソナタ第22番 ヘ長調、リスト:「ダンテを読んで」、「ラ・カンパネラ」、スクリャービン:ソナタ 第5番 Op.53。予想していたより堂々たる演奏で、各作曲家の曲の特徴が巧みに表現されていて変化に富んだパフォーマンスで聴衆を魅了。聴衆のひときわ高い拍手喝采を浴びていた。直前の4月にパリでリサイタルの機会があったようだが、好結果につながったと思った。ここでもtwitterでつぶやいた。

第1次予選は30日に終了し、セミファイナリスト12名の発表が30日中に行われた後、Semifinal Round が6月1日~4日まで、6名のファイナリストの名前が4日中に発表され、Final Round は6日から9日まで。
9日に表彰式がある日程。

日曜日に聴いた2人のピアニストは予選のリサイタルがもう1回あるが、多分セミファイナルに臨めれるのではないだろうか。他のピアニストの演奏を聴いてない中での全く独断的で希望的観点からの予想です。
 
興味のある方は次回をお楽しみに!










札幌交響楽団 第559回定期演奏会(2013年5月)

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今年の北海道の春の到来は異常に遅くなって、ここ札幌の桜の開花も5月13日。Kitaraのある中島公園もやっと春の装い。最高気温が今年はじめて20度を超えた好天のもと札響定演が開催。

指揮/尾高忠明(札響音楽監督)

Program
 テ―リヘン:ティンパニ協奏曲(ティンパニ:武藤厚志)
 ブルックナー:交響曲第7番(ハース版)

武藤厚志は1981年生まれ。東京音楽大学を首席で卒業。桐朋オーケストラ・アカデミーで研鑚を積みながら、東京を中心にオーケストラのエキストラとして活躍。2006年、24歳の若さで首席ティンパニ&打楽器奏者として札幌交響楽団に入団。現在、北海道教育大学岩見沢校、札幌大谷大学非常勤講師。
09年8月、彼は札響の副首席打楽器奏者、藤原靖久らと「打楽器たちがやってきた!」という名のコンサートをKitara小ホールで開催し、注目された。

この珍しい「ティンパニとオーケストラのための協奏曲」は、フルトヴェングラー、カラヤン時代のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で活躍したティンパニ奏者、テーリヘン(1921~2008)が作曲した。
ティンパニ4台がステージでオーケストラの楽器の最前列に配置されて演奏するのは、プレーヤーにとってこの上ない経験で名誉なことであろうと思った。緊迫感にみちた迫力のある演奏で、見ている方も何か気分爽快であった。同僚からも盛大な拍手で祝福され感無量の様子。今演奏会が札響初演。
 
世界一流のオーケストラの演奏を聴いて、「このオーケストラの演奏は素晴らしかった。ただ残念だったのはティンパニ奏者が時々楽器に頭を乗せて居眠りしていたことである。」というような感想が載っていた記事を思い出した。今日の演奏中にもあったがティンパニストの動作の意味を誤解した客の反応である。音の調整のためにしばしば行われる動作だそうだが、偶にこのような動きを目にすると思い出す話である。

1883年頃、ブルックナーはオルガニストとして名を成していたが、作曲家としての評価はまだ高くはなかった。「交響曲第7番」はワーグナーの影響を受けた重厚なオーケストレーションでオルガン的な曲として知られる。
私自身がマーラーやブルックナーの名を聞き、彼らの曲を聴くようになって20年にもならない。マーラーの交響曲を聴く機会はコンサートでもCDでも聴く機会は近年かなり増えた。それに対して、ブルックナーの交響曲のCDは全曲所有はしているが、他のCDと比べて聴く頻度が極端に低い。ブルックナーの第4番と第7番はカラヤン指揮ベルリン・フィルのCDを聴いて演奏会に出かけるので、これらの曲は聴き慣れている方ではある。
  
札響でマエストロ尾高がこの7番を取り上げるのは、2000年以来ということだが前回は聴いていなかった。マエストロはこの大曲をいつものように気負うことなく冷静に指揮をした。
適度な快活さを持つ第1楽章。チューバを中心とした厳かでゆったりした主題とヴァイオリンが切なげに歌う主題を軸に曲が展開され、ワーグナーの死(1883年2月13日)の知らせを聞いて付け加えた葬送音楽の第2楽章。第3楽章のスケルツォは躍動的なリズムを持つ明るい楽章。第4楽章は第1楽章と同じく3つの主題を軸にしたドラマティックな展開。第1楽章冒頭の主題が力強く演奏されて曲が終る。

比較的に親しみ易い曲とは言え、70分近い大曲で鑑賞が難しい曲ではある。CDで聴いていて、実際に管楽器が18本も使われている曲とは気付かなかった。特に4本のワーグナー・チューバの使用とチューバ奏者の玉木亮一が楽章によって移動して使用楽器を変えるのも興味深かった。演奏終了後、あちこちから「ブラボー」の声があがったが、自分はブルックナーの良さが判らないせいか心が高揚するまでには至らなかった。

なお、開演30分前のロビーコンサートを始めから終わりまで聴いたのは今日が初めてであった。演奏曲はボロディンの「弦楽四重奏曲第2番」より。(演奏者:New Kitara ホール・カルテット)



ミシェル・べロフ ピアノリサイタル

 ミシェル・べロフの名を耳にしたのは5・6年前。それから偶々CDショップでドビュッシーの前奏曲集を探し求めていたらべロフ演奏の1970年録音のCDを手にしたのが彼を知るきっかけになった。

 ミシェル・べロフ(Michel Beroff)は1950年フランス生まれ。66年パリ音楽院を卒業し、翌年の第1回メシアン国際ピアノ・コンクールに17歳で優勝。ドビュッシー「前奏曲集第1巻、同第2巻」、メシアン「幼児イエズスに注ぐ20のまなざし」の全曲録音、プロコフィエフ「ピアノ協奏曲」全曲録音などを精力的に行って、先鋭的な現代ピアニストとして注目を浴びた。彼は1972年の初来日以降、75・77・79年と来日し、サンソン・フランソワ亡きあとのフランス・ピアノ界を一身に担うことになった。
ところが、80年代前半より右手の故障のため約10年間活動の中断を余儀なくされた。ドビュッシー「前奏曲集第1巻、同第2巻」(94.95年)で活動に復帰してからは、彼のピアノ演奏は以前のような鋭さがなくなったものの内的に充実した深みのあるものになっていると言われる。
ソリストとしての世界的な指揮者とのオーケストラの共演は触れるまでもないが、室内楽奏者としても活躍していて、私の手元にもメシアン「世の終わりのための四重奏曲」のCDがあるくらいである。
88年からパリ音楽院の教授として教育活動にも力を入れている。その後たびたび来日し、06年にはNHKの教育番組に講師として出演して話題を呼んだ。 
*辻井伸行が優勝した09年のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールでは審査員の任にあった。(彼は「辻井の音には深みと色、コントラストがある。作り物ではない音楽になっている」と称賛している。)

 上記のプロフィールを大体知っていた上で、べロフのKitara公演を知り3ヶ月前から本日のリサイタルを心待ちにしていた。午後からの演奏会に備えて、予定されているプログラムの全曲を午前中にCDで聴いてコンサートに臨んだ。

PROGRAM
 シューマン:アラベスク
 シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 D.960
 ドビュッシー:映像 第1集、第2集
 ドビュッシー:版画

 「アラベスク」は《アラビア風》とか《唐草模様》という意味。感傷的な旋律からイスラム美術の装飾模様を思い浮かべ、アラブの世界に浸った。
 
 前半にシューベルトの最後のピアノ・ソナタの作品。美しく歌うように流れる曲が、やがて憂いを帯びながら、また軽快に明るい雰囲気に包まれクライマックスへと向かう。以前よりシューベルトを聴く機会が多くなったが、べロフが前半にこの大曲を弾いたプログラミングに意外性を感じた。シューベルトの世界に淡々と引き込まれていくのが不思議でもあり、べロフのプロの技のゆえんかなと、ある種の感動を覚えた。

 ドビュッシーの「映像」第1集は≪水に映る影≫、≪ラモーをたたえて≫、≪運動≫の3曲から成る。印象主義の手法をピアノで確立した作曲家として知られるドビュッシーの代表作。第1曲は水面の輝きをイメージした絵画的で美しい曲。
「映像」第2集も≪葉末を渡る鐘の音≫、≪そして月は荒れた寺院に落ちる≫、≪金色の魚≫の3曲から成るが、印象主義的な手法はさらに徹底されていると言われる。第3曲は日本の漆塗りのお盆に描かれた金魚か緋鯉を見て作曲されたと伝わっている。優雅で自由な動きと鱗のきらめきを心に描きながら幻想的な想いで聴き入った。
ピアニストの指の動きがはっきりと見れる座席から鑑賞できたが、べロフが鍵盤に指を立てるようにして弾く運指にも見惚れた。

 「版画」は「映像」より少し早い1903年に書き上げられた。≪塔≫、≪グラナダの夕べ≫、≪雨の庭≫の3曲から成り、アジア、スペイン、フランスをそれぞれ連想させるが、ドビュッシーはアジアもスペインも訪れたことはなかったという。彼が印象主義手法による独自のピアノ奏法を確立した作品と言われている。第1曲は1899~1900年にかけて開催されたパリ万国博覧会で初めて耳にした東洋の音楽の影響を受けて作曲された作品。

 べロフが沈着冷静に淡々と紡ぐ音に浸っているうちにアッという間に全曲の演奏が終った。
満員の聴衆で埋まったKitara小ホールにはドビュッシーの世界が広がった。べロフの得意とするドビュッシーの深みのある堂々とした演奏の余韻がホールを包んで感動の輪が大きくなっていた。

 アンコールにシューベルト:ハンガリー風のメロディ、ドビュッシー:アラベスク 第1番。
至福のひと時を過ごした日曜日の午後。

 このリサイタルは〈Kitaraワールドソリストシリーズ〉として開かれたが、国内では札幌単独の開催だったようだ。何かKitaraから特別なプレゼントを貰って得をした気分になった。べロフは来週日曜日の19日には東京交響楽団東京オペラシティシリーズに出演して、ラベルの「左手のためのピアノ協奏曲」を弾く予定になっている。

札幌フィルハーモニー管弦楽団 第49回定期演奏会

 アマチュアのオーケストラ、札幌フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に初めて出かけたのは2007年であった。第41回定期演奏会として札幌コンサートホールKitara大ホールで開催された。指揮は中田昌樹。プログラムはベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」、R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」、ブラームス:交響曲第1番。

 札幌フィルは昭和47年(1972)の第1回定期演奏会より、毎年定期演奏会を開催。平成5年(1993)からはファミリーコンサートも開催。活動の場を道内の各地にも広げている。札幌の姉妹都市・米国ワシントン州ポートランドへも3度演奏旅行を実施。平成17年(2005)には「札幌文化奨励賞」を受賞。現在団員は70名ほどで、10代の学生から70歳をこえるプレイヤーまでと幅広い。

 札フィルの演奏会を聴くのは今日が2回目である。曲目にドヴォルザークの第7番が入っていたので注目してチケットを買った。

 第49回定期演奏会の指揮は松浦修。1975年、ロサンゼルス生まれ。広島大学教育学部卒業。英国王立音楽院指揮科、東京藝術大学大学院指揮科をそれぞれ首席で修了。先日逝去した英国の名指揮者サー・コリン・デイヴィスに師事し、公演のアシスタントとして研鑚を重ねた。広島交響楽団はじめ国内外のプロのオーケストラとも共演している若手指揮者。

≪プログラム≫
 フンパーディング:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲
 チャイコフスキー:バレエ組曲「眠れる森の美女」
 ドヴォルザーク:交響曲第7番

フンパーディングはワーグナーの助手を務めたことがあり、グリム童話が原作のこのオペラは非常に親しまれているオペラ作品である。ホルンは音を出すのが特に難しい楽器だと思うが、金管楽器が上手に聴こえないと曲の良さが伝わらないと感じた。

 チャイコフスキーのバレエ音楽の傑作の1つである≪眠れる森の美女≫のなかには、円熟期の彼の魅力が存分に盛り込まれていて華麗な旋律が多い。組曲として演奏される5曲のうち、第2曲の「アダージョ」、第4曲の「パノラマ」、第5曲の「ワルツ」の聴き慣れたメロディなど多彩な曲の演奏が何となく盛り上がりに欠けた。
 
 後半のドヴォルザーク第7番はこのオーケストラが練習時間を最も多く確保して取り組んだことが判る演奏ぶりで満足した。この曲は特に第3楽章のスケルツォが最も美しい。ドヴォルザーク特有のチェコの民謡の旋律が流れ、指揮者も渾身の力を込めて指揮している様子が印象に残った。「新世界」や「第8番」に加えて、「第7番」が傑作として日本に定着する時がやがて到来することを期待したいと思った。
聴衆も盛大な拍手でオーケストラを湛えて、最後にやっと盛り上がった感じ。
アンコール曲に≪「ローエングリン」~第3幕への前奏曲≫を演奏したが、これはチョット無理をした感じを受けた。ワーグナーの曲を取り上げようとした意図は解ったし、挑戦する意欲は評価したい。満足のいく練習時間が取れないのが残念だろうが、アマチュアが音楽を楽しむ姿勢を大事にして今後も向上を図ってほしい。

 今回のコンサートは第1417回トヨタ・コミュニティ・コンサート(TCC)として開催された。TCCは1981年に始まって、2013年3月末までに全国45都道府県で計1415公演を行い、のべ114万人がクラシックコンサートを楽しんだそうである。
トヨタ自動車・トヨタ販売会社グループの支援を受けて、日本各地のアマチュア・オーケストラがプロの指揮者・ソリストを迎えての公演でクラシックコンサートを展開し、市民と共に音楽の楽しさを広げている。トヨタのメセナ活動に改めて敬意を表します。
 

 


 



 

Kitaraホール見学者の案内活動(2013・5・9)

 今日は半年ぶりにKitaraホール見学者の案内活動に携わった、前年(9月30日)の前橋汀子のコンサート終了後にあった案内活動以来とあって、久し振りの緊張感と充実感を味わった。

 1997年のオープンから札幌コンサートホールのKitara Club会員であるが、Kitaraボランティアに加入したのは2007年4月である。
 Kitara Club会員向けのダイレクトメール(DM)発送活動が全員の必須活動で、ホール見学者の案内活動、Kitara Club会員向け機関紙「Symphonia Kitara」の編集活動、オルガニストの日本語サポート活動、リスト音楽院セミナー等の運営補助活動などが任意の活動である。

 本日の見学希望の団体は「豊平区創造学園」。高齢者教室のプログラムで57名の参加者。1グループ6名の10グル―プに分けてボランティア14名で対応。この数年は小グループ編成で各個人に行き届いた説明ができる体制を作っている。

 大ホール、小ホール、楽屋、ピアノ庫、パイプオルガン、ホアイエなどホール内の見学を通して、普段のコンサート鑑賞時には学び取れない知識を得て、より身近にホールを感じ取ってもらい、次回以降のより豊かな音楽鑑賞につなげてもらう狙いがある。
 以前の大人数での対応に比べて少人数での対応の場合、見学者の反応は凄く良い。私が担当した見学者は高齢者と言っても元気で若々しく、Kitaraにも結構通っている人もいた。ホール内の建築意匠の説明にも関心を示し、バックステージの様子も解って、≪次回から違った角度で音楽を楽しめる≫と口にしてくれた人が何人かいたのは嬉しいことであった。

 ベルリン・フィルハーモニー芸術監督のサー・サイモン・ラトルは1998年5月、当時バーミンガム市交響楽団音楽監督としてKitaraで同団を指揮した折に、「現代的なホールとしては世界最高」と折紙をつけたと言われる。札幌コンサートホールはモダンなホールの中に過去の札幌における建造物の意匠を数多く残している。具体的な建築意匠については別な機会に触れてみたいと思う。

 
 

きがるにオーケストラ “Great New World” 若き勇気と夢で創る音楽会

 札幌コンサートホールKitaraでは5月5日の「こどもの日」に≪きがるにオーケストラ≫というコンサートを恒例の行事として開催している。〈祝日に家族と一緒にオーケストラを楽しもう〉という趣旨で始まり、オーケストラは札幌交響楽団が担っている。今年の指揮者は何とマエストロ大植が登場した。

 大植英次は1956年(本人の話)、広島生まれ。タングルウッド音楽祭を切っ掛けにしてレナード・バーンスタインの薫陶を受け、90年の第1回PMFアカデミーの教授陣に加わり、東京公演ではバーンスタインの代役を務めた。91年のPMFでもレジデント・コンダクターとして活躍し、92年もPMFアカデミー生の指導に当たった。95~2002年までアメリカの中西部を代表するオーケストラ、ミネソタ管弦楽団音楽監督に就任。アメリカのトップテンに入るオーケストラの水準の高さを維持しつつ、ミネソタの学校や病院への演奏訪問などで地域と繋がった活動で人気も高かったと言われている。98~2009年まで北ドイツ放送ハノーファー・フィルハーモニー首席指揮者としても活躍し、辞任後に終身名誉指揮者の称号を贈られた。05年のバイロイト音楽祭に登場した最初の日本人指揮者としても知られる。
 朝比奈隆の後を継いで大阪フィルハーモ二ー交響楽団音楽監督(03~12年)を務めた。

 私自身にとって大植英次指揮の演奏会を聴くのは実は今回初めてである。PMFの時には聴く機会がなかったので、2001年のミネソタ管弦楽団札幌公演(11月18日)はチケットを購入して楽しみにしていた。残念なことに、その年に発生した9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の影響で日本公演は中止になってしまった。日本公演はマエストロにとって凱旋公演とも言えただろうから、彼自身にとっても極めて残念な出来事であったのではないだろうか。04年のハノーファ・フィルとの日本公演は前年のウィーン楽友協会での公演成功後の来日公演でマエストロ自身の一区切りはついたのかもしれない。ハノーファー・フィルとは06年に続き3回目となる09年にも日本ツアー(大阪、広島、名古屋、静岡、東京)が行なわれた。

 世界の檜舞台での活躍が期待されていた時に大阪フィルに戻ってくるニュースは最初は信じられなかった。特別な想いがあったのだろうと推測する。12年、同フィル音楽監督を辞任して自由な立場での活動に入って、今日そのマエストロが≪きがるにオーケストラ≫に気軽に出演してくれた。12年間、待ち続けていた指揮者がやっと聴けた。
 
プログラム。
  バーンスタイン:「キャンディード」序曲
  ヒンデミット:ウエーバーの主題による交響的変容
  ガ―シュイン:パリのアメリカ人
  ドヴォルジャーク:交響曲第9番「新世界より」
  
 本日のプログラムはアメリカにちなんだ名曲ばかりである。大植は真っ白なジャケット姿で登場。
 ≪キャンディ―ド≫はPMFでバーンスタイン(1918~90)を偲んで演奏される機会が度々ある。演奏に先立って、この曲の初演は指揮者の生年、1956年と説明があった(ウィキぺディア等での1957年は間違いと思われる)。エネルギッシュで華やかな表現力に満ちた曲。マエストロは先ずはアメリカの元気に溢れ、溌剌とした音楽を奏でた。

 ヒンデミット(1895~1963)はあらゆる楽器のために600曲もの作品を書いたドイツの作曲家。様々な楽器を弾きこなす演奏家でもあったが、指揮者として1956年にウィーン・フィルの初来日公演を行った。≪ウエーバーの主題による交響的変容≫は1940~47年までアメリカで暮らしていた時期に作曲された。当時のアメリカ音楽の影響も受けた作品で万華鏡のような多彩な音が紡がれる。第2楽章の打楽器による鐘の音、フルートとの掛け合いが印象的。弦楽器がピツチカート奏法で木管・金管楽器の演奏を支え、曲が現代音楽らしい響き。第3楽章は一転して抒情的な旋律。第4楽章は威勢のいい管楽器の音色が響き渡り、壮大なフィナーレ。木管・金管楽器の活躍が目立ち、ジャズの模倣など大変面白い曲で楽しめた。
 演奏終了後、マエストロは札響の素晴らしさを称賛。チョット褒め過ぎかなと思うくらいだが褒め上手。

 ガ―シュイン(1898~1937)は、10歳の時に聴いたドヴォルジャークの《ユモレスク》に感銘を受け、音楽に目覚めてポピュラー音楽を書き続け、「ラプソディ・イン・ブルー」で一躍有名になった。1928年にパリを旅行した時の印象を綴ったのが≪パリのアメリカ人≫。タイトルの「アメリカ人」とは作曲者自身のことである。ヴァイオリンとオーボエによる「散歩のテーマ」で曲は始まり、タクシーのクラクションが聞こえてきたり、パリジェンヌを描いたヴァイオリンのソロ、トランペットの哀愁を帯びたソロなど、ガ―シュインが見たパリの様子が面白おかしく表現されて華やかなクライマックスで曲が終る。
 ジャズ風のメロディ、懐かしいリズムと調べが流れて久しぶりに聴く音楽に心地よい気分に浸る。人々の心を捉える音楽! これぞ名曲!
札響にとってもアメリカ音楽の新しいレパートリーが増えた感じを受けた。指揮者によって、こんなに曲が生き生きと聞こえてくるのかを感じ取れて感無量!

 大植は楽譜を見ないで、全身を使う指揮は踊るようである。楽譜にこの上なく忠実で、物凄く楽譜にこだわると言われているから指揮ぶりの印象からは不思議なくらいである。彼はエンタティナーの素養を持ち合わせている。指揮ぶりも雄弁だが、話も雄弁で率直な語り。アメリカやドイツのオーケストラと地元の人々に多大な影響を与えた理由が納得できた気がした。
 
 後半の≪新世界交響曲≫がどのような指揮ぶりになるのか楽しみでもあり、少々不安でもあった。
ところが、黒の燕尾服で登場して別人の雰囲気を漂わせて聴衆をドヴォルジャーク(1841~1904)の世界に引き込んだ。基本的に指揮の仕方は同じだが、曲のイメージが前半とは大きく違った。ドヴォルジャークはチェコ、スロヴァキア、ロシアのスラヴ民謡を大切にしたが、アメリカでも黒人霊歌など他民族の民謡を作曲に取り入れる姿勢もこの曲から改めて感じ取った。
 マエストロは音楽の楽しさを身体全体を使って表現してくれた。演奏終了後、札響の優れた演奏を褒め、Kitaraホールが日本一のホールであると称賛した。聴衆に感謝の念を捧げていたが、5割程度の聴衆の少なさに残念な気がした。こんな素晴らしい音楽を伝えてくれる偉大な指揮者の存在が市民に知れ渡っていなくて、その音楽に触れれないのはもったいないと思った。

 アンコールにバーンスタインの≪「キャンディード組曲」から「僕らの庭を育てよう」≫
バーンスタインの{自然の大切さ、家族愛、世界は一つ、世界平和}を伝えるメッセージとの説明。
バーンスタイン没後、遺族からバーンスタインが最後のコンサートで使った指揮棒とジャケットを形見分けされているらしいが、彼の精神を受け継いで{音楽の幸せ 、音楽の楽しさ}を懸命に伝えている姿に感動さえ覚えた。一緒に演奏したオーケストラの各団員への敬意を示す態度も音楽を共に楽しんだ仲間への共感の表し方なのかと思って同時に感動した。
 
 今日のコンサートで、客の出迎え、見送り、プログラム渡し、アナウンスを子どもスタッフが体験した。特にステージでの可愛い子どもたちのアナウンスが会場の雰囲気を和やかにしてくれた。「こどもの日」に相応しいとても良い取り組みだったと思う。

 大植英次は最後までエネルギーに溢れ、ステージの子どもたちとハイタッチを交わしたり、ステージから飛び降りて客席の一般客やこどもスタッフとハイタッチを交わすなど驚くべき交流を図る様子は人間味あふれる情景であった。





 




 


古典芸能 ~ 文楽セミナー

 日本の伝統古典芸能である文楽、歌舞伎、能・狂言などを鑑賞する機会はそれほど多くないが、年に一・二度はどれかを鑑賞している。近年では2011年7月に「バイリンガル狂言」、9月に「狂言師、野村万作の世界」で狂言の面白さを味わった。12年7月には歌舞伎「義経千本桜」を鑑賞した。

 今日は今まで何回か鑑賞しているとはいえ「文楽」を初歩から学び直す気持ちで、≪文楽セミナー≫に参加した。毎年のように鑑賞していないと、何となく漠然と観ていることになりかねない。
 
 ここ札幌では伝統古典芸能の上演会場は札幌市教育文化会館であることが多い。このホールには能舞台や歌舞伎の花道などの本格的な舞台機能が備えられている。09年10月、人形浄瑠璃文楽「三十三間堂棟由来」と「本朝廿四考」が上演された。4年も経つと、演目だけでは当時の舞台が思い浮かんでこない。昨年の歌舞伎では尾上菊五郎・松緑・菊之助などの役者の演技と共に、荒事や所作などをはじめ、狐言葉や早替りなどの舞台での趣向も眼前に浮かんでくるのだが、、、。

 文楽セミナー ~分かればきっと面白い文楽の世界

第1部 「文楽のおはなし」講師 河内厚郎(兵庫県立芸術文化センター特別参与)
 「文楽」の語源は17世紀に演芸小屋を建てて興行した植村文楽軒という人の名に由来。
 男性によって演じられ、太夫・三味線・人形遣いの三業で成り立つ演芸。1734年から一つの人形を3人で操るのが普通になったが、これは近松門左衛門の活躍に符合するという。1740~60年代に文楽は歌舞伎と共に庶民の人気のある娯楽となった。
 作品は時代物と世話物の二種類に大きく分類されるが、歌舞伎に翻案されていて、同名の出し物が多い。
 北海道の開拓史に大きな足跡を残した高田屋嘉兵衛はロシア船に連行されカムチャッカへ渡った折、浄瑠璃本の「曽根崎心中」を携えていたという。大阪の人形浄瑠璃の台本が北国でも流布していたのは、浄瑠璃言葉が江戸時代の共通語だったという話は特に興味深かった。
 20分の講演時間がアッという間と思えるぐらいに過ぎ、ユーモアを交えた面白い話だった。

第2部 人形浄瑠璃文楽座による三業の解説と体験ワークショップ
 出演 〈太夫〉竹本相子大夫、 〈三味線〉竹澤團吾、 〈人形〉吉田和生 
3名による詳しい演技内容の説明と超満員の観客を巻き込んでの義太夫体験、数名の客がステージに上がっての三味線、人形遣いの体験は少々時間を要したが、当人たちにとっては得難い体験。

第3部 「伊達娘恋緋鹿子」より ≪火の見櫓の段≫
 出演 〈太夫〉竹本相子大夫、 〈三味線〉竹澤團吾
    〈人形〉吉田和生、吉田玉佳、吉田玉翔、吉田和馬
 10分程度の出し物であったが、舞台装置も見ごたえがあり、火の見櫓に登る場面は難しい演技に迫力があって、流石プロ。

 文楽は歌舞伎や能・狂言のように世襲制は成立しない伝統芸能。歌舞伎のような華やかさは無いが、奥深いものがある。日本の伝統芸能として一般国民がもっと親しめる実演の機会が増えることを期待したい。 
 


MM砲とON砲 ~長嶋茂雄の国民栄誉賞に際して思うこと

 5月5日に長嶋茂雄の国民栄誉賞表彰式がある。
読売巨人軍の盟友であった王貞治は国民栄誉賞の最初の受賞者(1977年)である。
長嶋の受賞は遅すぎたと思う人も多い。プロ野球選手として衣笠祥雄に次ぐ受賞。

 王、長嶋の現役時代のプロ野球は圧倒的な人気を誇っていた。「読売巨人」というチ―ムだけでなく、日本のプロ野球界の歴史に名を残す選手であった。彼らが現役の時、ON(オーエヌ)という言葉が使われ出した。どうしてONと呼ばれ出したのか、私の知識の範囲で書いてみたい。

 「巨人」というチーム名はアメリカの大リーグのチ-ム“The New York Giants”に由来する。当時、ニューヨークには「ヤンキース」と「ジャイアンツ」というチームがあった。本当はヤンキースのようなチームを目指したのかもしれないし、金に物を言わせて選手を獲得して優勝を宿命づけられている名門チームという点では、現在でも両チームには共通するものがある。しかし、アメリカ人を意味する“Yankees”をチーム名にすることはできずに、“Giants”としたのかも知れない。これは私の勝手な推測である。

 1960年代のニューヨーク・ヤンキースには3番打者ロジャー・マリス(Roger Maris)と4番打者ミッキー・マントル(Mickey Mantle)と言う強打者がいた。
マントルはスイッチ・ヒッターとして史上最多の536本塁打記録保持者である。1956年には三冠王になっている。マリスは1961年、61本の本塁打を打ち、ベーブ・ルース(Babe Ruth)のシーズン60本塁打の記録更新で世間を騒がす快挙を成し遂げた。日本でも大ニュースとなった。
 彼らは姓の頭文字をとってMM砲と呼ばれ、ともにヤンキースの主砲として活躍した。

 大リーグでしばしばマスコミで使われたMM砲に因んで、日本でもON砲という言葉が使われ出した。長嶋が3番、王が4番だった時期がかなりあるが、NO砲と言うより、語呂から言ってON(オーエヌ)と呼んだのだろう。実際の試合では王と長嶋を交互に4番にすることが多かったようだ。王が三冠王になった73年以降は3番長嶋、4番王の打順が多くなったのも当然である。
英語の“clean-up”は4番打者を意味する。(打順で3、4、5番を打つ強打者を日本の野球ではクリーン・アップ(トリオ)と言っているが和製英語である。)巨人では歴代4番打者の位置づけが大きな意味を持つので、長嶋を4番から外すのは決断が必要だったのではないか。いずれにしても、ほぼ同じ時代に活躍した二人はオーエヌの呼び名が相応しいと思う。
 
 ある程度の年輩者にとってONコンビは懐かしい言葉で、彼らは日本の野球界が生んだ名選手であり、いろいろな人々の人生に影響を与えた人物として、今回の長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞は喜びたい。

脚注: ロジャー・マリスは1961年ベーブ・ルースが34年間保持していた年間最多本塁打記録を破ったことで一躍その名を世界に馳せたが、記録達成の試合数の違いもあって、その後一時期MLBでは重要な記録と見做されなかった。(1シーズン154試合制が1961年から現行の162試合制になった)。マリスは大記録達成にもかかわらず、人気が余りなくてヤンキース所属期間(1960~1966)も短かった。
 一方、ミッキー・マントルはヤンキースの生え抜きの選手で活躍期間(1951~1968)が長く、引退後すぐ背番号7が永久欠番になっている。マントルは確か1966か67年、大リーグ初の10万ドル・プレイヤーであった(当時1ドル360円)と記憶している。当時のアメリカの大学教授の給料が1万ドル程度であったと聞いている。50年ほど前のことであるが隔世の感がある。

 
プロフィール

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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