時計台ボランティア(4)

 今年度の時計台ボランティア活動は11月で終りで、今日の午後のシフトが今年最後となった。今朝から北海道は暴風雪に見舞われたが午後は何とか天気も回復した。
 
 いつもより来館者は少なかったが、かえって落ち着いて札幌農学校の演武場や時計機械の説明をすることができた。時計台が「演武場」という名称だった理由は説明を聞くとやっと納得してくれます。 札幌時計台の時計はおもりで動いています。週に2度機械室に入って、重りを手動で巻き上げることで動き続けていることを知って皆さんビックリされます。
 
 農学校2期生の新渡戸稲造のノートがきれいな綴りの英語で書かれているのに気が付くお客さんは余りの見事な美しい字体に驚きを隠せません。また、明治時代に農学校で授業が英語で行われていた事など予想もできないようです。

 オーストリアのウイ―ンから来た人に英語での案内を求められ、ホーレス・ケプロンや黒田清隆の写真から説明を始めました。その時に「黒田清隆の次の北海道開拓使長官は西郷隆盛の弟だったのか」と尋ねられ、「いや、それはわかりません」と答えるほかありませんでした。彼は「写真で見てきた」と言うのです。時計台の前に赤レンガ(旧道庁)を訪ねて、歴代の長官名とその写真を見てきたらしい。西郷隆盛がファンなので確認したいようでした。
 
 新渡戸稲造のことは知識がなかったようで詳しく説明してあげました。2階の時計機械のことも関心を持って聞いてくれましたが、とてもユーモアに溢れた感じの良い人でした。
 
 帰宅してから、パソコンで検索して確認してみると、第4代北海道開拓使長官として1ヶ月足らずですが、確かに、その任に西郷従道(つぐみち)の名前がありました。
 
 彼は囲碁のオーストリア代表で日本に11月の初めに来て、来週帰国するとのことでした。
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第8回浜松国際ピアノコンクール入賞者

 第8回浜松国際ピアノコンクール(2013年)の入賞者が決まった。

本選は井上道義指揮東京交響楽団との協演でファイナリストがピアノ協奏曲を演奏した。
 
第1位 イリヤ・ラシュコフスキー(男) ロシア (27歳) 聴衆賞  (プロコフィエフ第3番)
第2位 中桐 望        (女) 日本  (25歳)      (ブラームス第1番)
第3位 佐藤 卓史       (男) 日本  (29歳) 室内楽賞 (ショパン第1番)
第4位 アンナ・ツィブラエワ  (女) ロシア (22歳)      (シューマン)
第5位 キム・ジュン      (男) 韓国  (29歳)      (ブラームス第1番)
第6位 内匠 慧        (男) 日本  (20歳)日本人作品最優秀演奏賞(ラフマ二ノフ第2番)

 *セミファイナリストのアシュレイ・フリップ(男)イギリス(23歳) 奨励賞

今回のコンクールから年齢制限が28歳から30歳に変更になった為、応募者の演奏がハイレベルになったそうです。世界各国から288名の応募者があり、92名の若きピアニストたちが出場。

 佐藤卓史さんは高校生3年の時に日本音楽コンクールに優勝し、数々の国際コンクールで実績を重ねて07年シューベルト国際コンクールでは優勝している逸材です。プロとして活動しているので今更とは思いましたが、本人として自分に挑戦するつもりだったのではないでしょうか。ファイナリストに残って上位入賞できたのは良かったと思います。

 24日(土)に結果が発表されましたが、一部メディアの発表だけで終わったようです。著名な国際コンクールでの上位入賞者の発表は恒例となっていると思いますが、国内のコンクールでは主催・後援の関係で必ずしも公表されないのは残念です。

 今回の第1位~第6位の入賞者ガラ・コンサートが昨日の25日(日)は浜松で開かれ、今晩26日(月)は東京文化会館小ホールで行なわれる。

札響名曲シリーズ2012~2013 vol.4

音楽が紡ぐ物語 vol.4

古典神話の主人公たち

 今シーズンの第4回目の札響名曲シリーズは

ラドミル・エリシュカ指揮で
 
 プログラムは  ベートーヴェン: バレエ 「プロメテウスの創造物」序曲
           ハイドン: 交響曲第88番 「V字」
           モーツァルト: 交響曲第41番 「ジュピター」
 
 「古典神話の主人公たち」と題された本日のコンサートはプロメテウス、ジュピターと古代の神々の名を持つ名曲が演奏された。3人の作曲家はいわゆる≪古典派≫でクラシック音楽の分野で交響曲を作曲した元祖たちである。

 ベートーヴェンは序曲を11曲作曲したとされるが、「プロメテウスの創造物」は1801年に作曲された最初の序曲であり、短いがドラマティックな曲である。あっという間に終わってしまった。

 ハイドンの曲は美しいが、作曲から250年を経た今日では大ホールより小ホールの方が鑑賞により適しているのではないかと痛感した。これが今日の率直な感想である。本日のコンサートの題との関係も不可解だった。

 モーツァルトの「ジュピター」は1788年に作曲されたから225年も経っているが、輝きを失わないのは大作曲家たる所以でしょう。何回か聴いた札響の"Jupiter"は今日は満足できました。オーストリアのモーツァルトを得意にしている楽団と比べると何となく迫力が足りない感じが否めないのです。

 アンコール曲の≪歌劇「フィガロの結婚」序曲≫は素晴らしかった。

 エリシュカは常任客演指揮者として来月も《札響の第九》があり、来シーズンも定期が2回、名曲シリーズが1回予定されている。80歳を越えているが若々しく元気である。また丁寧な指揮で重厚であるが曲が新鮮に聴こえる。聴く者の姿勢のせいか。楽団員に対しても、また聴衆に対しても敬意と感謝を表す姿勢も日本人に好感を持たれるのだと思う。

 

札幌交響楽団常任客演指揮者 ラドミル・エリシュカ

 ラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska)はチェコ出身の優れた指揮者であるが東側の旧国家体制が崩壊した後も西側の世界に出るチャンスがなく、日本では21世紀に入ってから突然脚光を浴びた名指揮者である。
 2006年12月に札幌交響楽団に初登場。スメタナ:交響詩「ボヘミアの森と草原から」、ドボルジャーク:金の紡ぎ車、リムスキー=コルサコフ:シェエラザードを演奏。

 2008年4月札幌交響楽団首席客演指揮者に就任。第508回定期演奏会(4/11・12)で、ヤナーチェク:狂詩曲「タラス・ブーリバ」、モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 (ピアノ:伊藤恵)、ドヴォルジャーク:交響曲第6番。日本の聴衆にドヴォルジャークの定番である8番・9番ではなく、それこそ隠れた名曲を紹介してくれた。

 音楽評論家の東条碩夫氏によると、2006年の札響での評判が広がったせいか08年4月5日に行われた東京芸大奏楽堂での東京都交響楽団との演奏会は超満員になり、聴衆の熱気は並みのものではなかったそうである。その後のエリシュカの演奏会を札幌まで聴きに来る音楽の専門家も増えているのはその後の音楽評論家などの動向でわかる。

 2009年4月の札響定期では、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番(ヴァイオリン:木島真優)、 ヤナーチェク:組曲「利口な女狐の物語」、ドヴォルジャーク:交響曲第7番 が演奏曲目であった。前年に引き続き一般に馴染みの少ない曲が演奏されたが、私にとっては嬉しいことでドヴォルジャークの他のCD収集でレコード店を探し回ることになった。7番も6番も聴いてみると魅力のある曲で、今迄8番や9番のCDだけを何枚も集めている状態がおかしく思えた。

 エリシュカは2009年N響定期(2/7)、九州交響楽団定期(10/21)でスメタナ:連作交響詩「わが祖国」をそれぞれ初共演で振った後、10月31日の札響名曲シリーズでも披露して名演を成し遂げて偉大な足跡を残した。

 エリシュカの「わが祖国」は2009年のコンサート・ベストテンに上記のN響と九響の演奏会を上げる評論家がいるほど全国的に話題となった。私は残念ながらこの回の名曲シリーズは聴き逃した。

 2010年4月の札響定期はドヴォルジャーク: 序曲「謝肉祭」、ヤナーチェク: シンフォニエッタ、
ドヴォルジャーク:交響曲第5番。ヤナーチェクのCDは何回も聴いていて親しんでいるが、ドヴォルジャークの第5番は田園的な情感が満ち溢れていてスラヴやボヘミヤ地方の雰囲気を何となく感じ取れた気がした。とにかくエリシュカの演奏は新鮮な感じがするのである。

 2011年4月はエリシュカ/チェコ音楽シリーズvol.4としてドヴォルジャーク:スターバト・マーテル。悲しみに満ちた宗教曲が東日本大震災の翌月に演奏されることになったが、指揮者自身は勿論、札響団員、ソリストや合唱団員すべてが特別な想いを込めて演奏会に臨んだであろうことは想像に難くない。
 演奏会の会場で義捐金募金に協力する人々の姿は更に感動を深めた。

 2012年4月の札響定期は「オール・ドヴォルジャーク・プログラム」
≪スケルツォ・カプリチオーソ≫、≪交響詩「野鳩」≫、≪交響曲第9番「新世界より」≫。やっと9番の登場となったが、やはり素晴らしかった。日本人にはこの曲は心に深く響き渡るものがある。

 チェコの音楽、特にドヴォルジャークの「新世界より」は日本特有の《ヨナ抜きの音階》=四七抜きの音階の旋律が含まれることで知られている。ドヴォルジャークが育ったボヘミア地方の民族音楽の多くはヨナ抜き音階でできている。つまり[ファ][シ]が抜けた5音音階でできている日本の演歌と共通するものがある。日本人がチェコの音楽を身近に感じて好きになる大きな理由の一つなのではと思う。民謡、唱歌などで短調の名曲は日本に数多い。

 エリシュカは札響出演が契機となって各地のオーケストラへの客演依頼も増え日本で旋風を巻き起こしている。80歳を超えているが、まだまだ活躍が期待される指揮者である。





2006 「 北海道日本ハム・ファイターズ優勝パレード」 ボランティア活動

 2012年ファイターズ優勝パレードが今始まった。最近は女性ファンが多くなり私のワイフも関心が高まってパレードを見に出かけた。昨日の雪が数センチ積もるなか、今朝からの日差しで道路の雪も溶け晴れの絶好のパレード日和。 

 優勝パレードは2006、07、09に続いて今年で4回目。パレードの実行責任者も経験が積み重なって比較的に楽な企画で天候が唯一つの心配だったのではないだろうか。
 
 2006年「北海道日本ハムファイターズの優勝パレード」が急遽企画されたが、最初のパレード企画は市役所職員の苦労も多かったと思う。翌年のノルディックスキー世界選手権札幌大会のボランティアの登録者にパレードでのボランティア活動参加依頼の働きかけがあった。
 アマチュアの野球団体が核となって各種スポーツ団体に協力を依頼し、約2000名が登録するFISスキー札幌大会に備えて会合を積み重ねているボランティアに話があったようだ。私も当日は朝8時に集合場所の市役所の地下駐車場に出向いて、割り当てられた南3条西4丁目あたりの道路で活動を行った。事故の無いようにパレードが実施できるような環境作りと終了後の紙吹雪の後始末の清掃作業が仕事の内容だった。

 11時から始まって2時間ほどの活動だったが、新庄、ダルビッシュ、稲葉、小笠原などの選手を身近で見れて結構楽しかったのです。観客の大部分の人も道路に散乱した紙拾いに進んで協力してくれた姿はとても感動的でした。ボランティアに参加して本当に良かったと思いました。
 2006年11月18日から6年経った今も懐かしく当日のことを思い出します。

第4回浜松国際ピアノコンクール優勝者ガブリリュクのコンサート

2000年の第4回浜松国際ピアノコンクールで優勝したアレクサンダー・ガブリリュク
優勝者のツアーで2001年6月22日に札幌を訪れた。
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 この画像はKitara小ホールで開かれたコンサートで2001年4月にレコーディングされたばかりのCDに当時16歳のGavrylyukが慣れないれない手つきでサインをしてくれた時のものである。

 ≪21世紀を担う若き逸材登場≫と期待されたのだが、、、

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ラン・ランとゲルギエフのこぼれ話

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 フェイスブック上にピアニストのラン・ランが「上海でゲルギエフが今夜マリインスキー歌劇場管弦楽団とプロコフィエフを演奏」という記事が載っていた。

 ゲルギエフが「オール・プロコフィエフ・プログラムでピアノ協奏曲第3番と交響曲第1番と第5番を演奏する」と返信していた。

 彼は11日間で10公演という過酷な日本公演スケジュール(11月8日から11月18日)にもかかわらず何種類もの違ったプログラムで演奏会を開催した。同じプログラムは札幌と所沢だけであった。
引き続き海外での公演で異なったプログラムで演奏会を開くゲルギエフの超人的な行動力には驚嘆するばかりである。

 ラン・ランとゲルギエフの親しい交流を知り興味深かった。
自分もラン・ランがゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団との共演で≪ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番≫のCDを持っていることに気付いた。

聴衆に横顔を見せて演奏した最初のピアニストは誰でしょう?

体の右側を聴衆に見せて演奏した最初のピアニストは誰?

 ピアノ・フォルテという新しい楽器が誕生したのは1709年と言われています。現在のようなピアノが生まれてから300年しか経っていません。
 モーツァルトの時代にピアノ曲がたくさん作られて、ピアノ演奏が宮廷やサロンで繰り広げられました。
ピアニストは聴衆に背を向けて演奏していました。現在では体の右側を聴衆に見せて演奏するのが当たり前です。鍵盤が聴衆から左側にあるスタイルです。実はこのような姿で最初に演奏したピアニストはヤン・ラディスラフ・ドゥシェクと言われています。
 
 11月18日 21:00からのNHK Eテレの「らららクラシック」の番組でフランツ・リスト(1811~1886)もこのようなスタイルで演奏していたと放送していました。

 Jan Ladislav Dussek(1760~1812)はモーツァルトと同時代のボヘミア出身の人で華やかなピアノ曲を数多く作曲しました。彼は演奏旅行を生活の糧とした巡業ピアニストとしてヨーロッパ中を駆け巡り多くの聴衆を魅了したそうです。ドゥシェクは自慢の横顔を見せたいためだったと思われています。
 この演奏の仕方でピアノのふたが反響板となったそうですから、これも音楽の歴史上の功績になっているようです。

過去25年間のコンサートで多く聴いた指揮者のベスト・テン

過去25年間で多く聴いた指揮者のベスト・テン

                                      1988年4月~2013年3月
日本人部門
 
 1位  尾高 忠明  (39回) (札幌交響楽団音楽監督)
 2位  高関  健  (26回) (前札幌交響楽団正指揮者)
 3位  秋山 和慶  (19回) (前札幌交響楽団常任指揮者)
 4位  小林 研一郎  (8回)
 5位  円光寺 雅彦  (7回)
    故 山田 一雄      (札響とベートーヴェン交響曲・チクルス計画成就の前に 
                   1991年逝去)
 
 7位  井上 道義   (5回)
    広上 淳一
    堤  俊作
    下野 竜也


外国人部門
    
 1位 ファビオ・ルイジ Fabio Luisi       (10回)    (PMF Artistic Director)
 2位 マイケル・ティルソン・トーマス Michael Tilson Thomas (7回) ( ditto )
    クリストフ・エッシェンバッハ Christoph Eschenbach
    ワレリー・ゲルギエフ Valery Gergiev
 5位 ラドミル・エリシュカ Radmil Eriska     (6回) (札幌交響楽団客演指揮者)
    カジミエシュ・コルト Kazimierz Kord
 7位 シャルル・デュトワ Charles Dutoi     (5回) 
    アントニー・ヴィット Antoni Wit
 9位 ウラディミール・フェドセーエフ Vladimir Fedoseev  (4回)
    ウェンピン・チエン Wen-Pin Chien                
 

ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団 2012年札幌公演

 ワレリー・ゲルエフが初めて札幌コンサートホールKitaraを訪れたのは2002年12月であった。
当時はキーロフ歌劇場管弦楽団という名称であったが、現在のマリインスキー歌劇場管弦楽団と同じオーケストラである。
 ムソルグスキー、ボロディン、バラキレフ、リムスキー=コルサコフのロシア国民楽派「5人組」に属する4人の作曲家の曲を演奏した。ロシア音楽の紹介になり、いかにもロシアらしい原色の色彩感と大地から湧き出るような力に溢れた演奏であった。10年経っても覚えているのは、その時の印象が強烈で発売されたばかりのCDを演奏会場で購入して、その後よく愛聴していたからである。その演奏会の中心となった演目はリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」である。

 この日のコンサートに感激したのは聴衆だけではなかった。指揮者ゲルギエフは大ホールの素晴らしさに感激して、後にサンクトペテルブルグにKitaraの音響を担当した永田音響設計を呼び寄せた。Kitaraをモデルにしたマリインスキー・コンサート・ホールが2006年に誕生したのである
 
 2回目のゲルギエフの札幌訪問は2004年
PMF首席指揮者として来日してアカデミー生を指導しPMFオーケストラ演奏会で指揮した。私はピックニック・コンサートでチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」(ヴァイオリン:ニコライ・スナイダー)とショスタコーヴィチの「交響曲第11番」を聴いた。

 3回目は2007年11月でKitara10周年記念コンサート・シリーズとして来札。マリインスキー歌劇場管弦楽団
   チャイコフスキー:交響曲第2番≪小ロシア≫
   プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 (ピアノ:イェフィム・ブロンフマン)
   ショスタコーヴィチ:交響曲第15番

 2008年11月 ロンドン交響楽団の首席指揮者として来日。
   ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 (ピアノ:アレクセイ・ヴォロディン)
   プロコフィエフ:バレエ音楽「ロミオとジュリエット」より 
 この日には私にとって忘れられない思い出がある。Kitaraボランティアとしてアーティスト・エントランスから入ろうとした時Maestro Gergievと出くわしたのです。彼は携帯で話をしていたが、私と目があった。一瞬戸惑った私であったが目礼した。携帯で電話をしていなければ、チョットでも話せるチャンスだったのに残念!

 2009年12月 マリインスキー歌劇場管弦楽団の芸術監督・首席指揮者として来日12公演。
巨匠ゲルギエフ自らが切望し、札幌でのみ実現した夢の2夜。
チャイコフスキー・チクルス。
   3日  序曲「1812年」
        ピアノ協奏曲第1番 (ピアノ:ユンディ・リ)
        交響曲第6番 「悲愴」
   4日  交響曲 第4番
        交響曲 第5番
 
 超人的なスケジュールで音楽活動に携わり、私財を投じてマリインスキー劇場の改修費や制作費にあてマリインスキー劇場管弦楽団を世界のトップクラスの管弦楽団に押し上げたゲルギエフの功績は計り知れない。ロシア音楽の普及に毎回ロシアの作曲家のみの演目でコンサートを展開する試みも愛国心の表れなのだろう。

 国家体制の変化で1991年以降ロシアから多くの音楽家が他国に流出したが、プーチン大統領に直談判してロシアのオーケーストラ団員の給料を数倍にして音楽家の待遇を改善したそうである。ロシア音楽の再興を図る彼の音楽への情熱は他の追随を許さない驚嘆すべきものである。 2010年のショパン国際コンクールでロシアのピアニストが上位を占めたのはロシアでの音楽復興の表れではなかろうか。

 2012年11月16日マリインスキー歌劇場管弦楽団との札幌公演は3年振りであった。
 
 グリーグの「ホルベルク組曲」は弦楽合奏曲でバッハを思い起こす優雅な曲であった。自分が所有するCDに収められていることを知って今晩改めて聴いてみた。

 ブラームスの「交響曲第2番」は緊張感みなぎった第1番とは対称的で、牧歌的で柔和な優しさに溢れていた。木管と金管の美しい音色が曲を惹きたさせた。

 べルリオーズの「幻想交響曲」は個性的な内容を表現するのにそれぞれの楽章に標題が付いている。聴衆は曲のイメージを予め抱いて聴くことができる。文学と音楽の融合とも考えられるが、とてもドラマティックな展開でロマン主義作曲家ベルリオーズの標題音楽作曲家の先駆者としての先進的な音楽であり何度聴いても楽しい。 聴き慣れた幻想交響曲とは少し趣が異なるのを感じたのはロシアものばかり聴いていた先入観のせいかも知れない。フランスものが得意なデュトワなどと違った印象で力強いドラマ性が際立った演奏に思えた。
 
 ステージでの楽器配置、特にコントラバスの3列配置、ハープのセンター近くでの楽器配置は発音を考慮してのことなのか興味が湧いた。ティンパニーの連打、チェロとコントラバスによる死の運命の宣告場面など座席から観ていても興味が深まった。

 予定の演奏が終わって時間が9時半になったが、アンコールに応えてワグナーの歌劇「ローエングリンの第1幕への前奏曲」。オーケストラが格調の高い調べを朗々と奏でて聴衆の熱狂をさらに盛り上げた。普段なら帰りの時間を気にする人も昨夜は9時45分近くまでゲルギエフに酔いしれた。
 
 ゲルギエフが札幌に登場してから10年。Kitaraを気に入って札幌公演を続けてくれるのは嬉しい。聴衆もゲルギエフ・ファンが増えている。来年は還暦を迎えるマエストロの健康を祈り、再度の札幌での公演を心待ちにしたい。



 
 













 Vladimir Ashkenazy (アシュケナージ)とパドヴァ管弦楽団

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Vladimir Ashkenazy has made frequent visits to Japan since 1965.
It was in 1992 that I first had the chance to go to his piano recital, which took place in Sapporo. He played Beethoven's "Sonatas Nos. 31・32" and Mussorgsky's "Pictures at an Exhibition." It goes without saying that I was so excited at his performance and enjoyed it very much.

In June,2004 Ashkenazy made his first visit to Sapporo Concert Hall Kitara. He is said to have chosen Kitara's four Steinway & Sons pianos in Hamburg when Kitara was opened in 1997.
He visited Kitara with Orchestra Di Padova E Del Veneto(イタリア・パドヴァ管弦楽団),which was founded in 1966. He acted as a conductor and pianist. He played Mozart's "Piano Concerto No.17 and Beethoven's "Piano Concerto No.3."

After the concert, I was lucky enough to get an autograph from a great pianist and conductor. Ashkenazy was very generous and kind. He looked up at me, signing a CD of his when I made a short comment about his performance, and said "Thank you so much."
I was very much moved by his attitude. His personality was very impressive ,indeed.

 アシュケナージのようなピアノの巨匠がサイン会を開くことはないのでしょうが、この折はイタリアの管弦楽団の支援のために特別に行ったのではないかと推測しました。前回のブログで書いたペラィアもそうですが、若い時は別として大成して巨匠と呼ばれる地位に就いてからファンのためにサイン会を開くのは稀だと思います。それだけに偉大になった方の人柄に少しでも触れて良い思い出になっています。

 アシュケナージは70年代から指揮活動も始め、2004年の9月からNHK交響楽団の音楽監督を数年務め、今では指揮者としての名も高めていますが、個人的にはピアノの演奏をもっと聴きたい思いが強いです。

 *英語でもちょっと触れましたがKitaraにはコンサート用ピアノが8台用意されていますが、4台のスタインウェイはアシュケナージが選んだものです。ベーゼンドルファー1台はアンドラ―シュ・シフが選定しました。ヤマハ2台はエッシェンバッハが選び、あと1台のカワイのピアノの選定者は不明です。


 マレイ・ペライアMurray Perahiaとアカデミー室内管弦楽団

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 マレイ・ペライアが初来日した1976年に札響定期でモーツァルトのピアノ協奏曲第24番を弾いた記録が残っている。91年に彼は突然指を痛めて2年ほど音楽活動を中断した。その後、90年代の後半になってヘンデル、スカルラッティ、バッハのレコーディング活動を再開した。指の故障を乗り越えてピアニストと指揮者の活動を再開した時に主にバッハの音楽を弾くようになった経緯は良く理解できる。

2002年5月久しぶりの札幌公演で英国の有名な室内管弦楽団Academy of St.Martin in the Fieldsと協演。 モーツァルトの「ピアノ協奏曲第20番」とJ.S.バッハの「ピアノ協奏曲第1番」(Keyboard Concerto No.1)を弾き振りし、最後にモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」を指揮した。 
 
 画像はペライアの丁寧な字体のサインがしてあるバッハのCDである。Kitaraのホアイエが午後10時には閉まってしまうため、会場がアーティストと関係者が利用する場所に移されてサイン会が始まった。英語で感想を述べてサインを求めると”Thank you so much."と言って、遅い時間にも拘らず温かく接してくれる態度に感激したことを今でも心地よく思い出す。

 ペライアから受けた好印象で、ヘンデルやスカルラッティのピアノ曲のCDをのちに購入した。彼が若いときに録音したメンデルスゾーンのピアノ協奏曲も購入して聴いてみたが、ピアノの明るい響きなどの点でバッハとの違いがとても良く解る気がしたものです。

第554回 札幌交響楽団定期演奏会

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 念願のポリーニとルプーの演奏会から帰ってすぐ翌日に札響定期演奏会を聴きに出かけた。疲労感があったので音楽鑑賞の心構えが充分であったとは言えない。

 プログラムの前半はベートーヴェンの≪ピアノ協奏曲第5番「皇帝」≫
 ピアニストのジョン・リルは1970年のチャイコフスキー国際音楽コンクールのピアノ部門で当時ソ連のウラディーミル・クライネフと1位を分け合った。ソ連(ロシア)寄りの審査傾向が強かったり、スポンサー企業国を優遇したりといった審査への不満が絶えず、2007年から審査が公開されるなど審査方法に改善の気配が見える。(音楽之友社編 ピアノ・アンド・ピアニスト2008による記事から引用。)1958年の第1回のコンクールの優勝者がアメリカ人のヴァン・クライバーンであったことは逆に世界的に話題を集めた。実際にソ連(ロシア)以外のピアニストが単独で1位になったのは珍しく2002年の日本の上原彩子は快挙と言えた。

 ジョン・リルは19歳の63年にロンドン・デビューを「皇帝」で果たしたというから、記念の演奏になったことは間違いない。50年も経て彼自身も感慨深いものがあったであろう。絢爛豪華な演奏とはいっても、若さで突き抜ける演奏と違ってより深みのある男性的な重厚な響きを奏でたのではないだろうか。彼の得意とするロシアものであるラフマニノフかプロコフィエフのピアノ協奏曲を聴いてみたかった。だが、いつもの定期演奏会より客席が埋まっていたのは選曲のせいかも知れない。

 後半のオーケストラ曲は尾高が得意とするエルガーの「交響曲第1番」。気品のある旋律で英国の風土に根差した詩情豊かな表情が出ていた。他の指揮者では演目に上がらない曲なので、それなりに楽しめた。

ラドゥ・ルプー ピアノ・リサイタル

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 ラドゥ・ルプーの日本ツアーが2010年10月に予定されていたが、体調が悪くて京都での公演を行っただけで残りの公演をすべてキャンセルして帰国を余儀なくされた。
当時の朝日新聞の記事によれば、彼は3台のピアノを所有し調律師が選んだピアノで外国での公演を行なっている。ギャラの半分は経費で消えてしまうそうだから、2年前は苦渋の決断であったことは確かである。世界中を自分のピアノを運んで演奏するピアニストは過去にミケランジェリがおり、現在ではツィメルマンが有名である。

 2012年のルプーの来日公演は6回行われる。彼の日本公演の記録によると、今回が10回目の公演となる。
 ラドゥ・ルプーは1966年ヴァン・クライヴァ―ン国際コンクールで優勝(09年辻井伸行が優勝して日本で有名になったコンクール)、1967年エネスコ国際コンクール、1969年リーズ国際コンクールの3つのコンクールで優勝。ベルリン・フィルやウィーン・フィルをはじめ世界の主要なオーケストラと共演を重ねた。73年と76年の2回連続で札幌公演があって、2010年久しぶりの札幌公演が企画されていたことになる。

 彼は録音嫌いでレコーデイングを余りしないので、CD録音は少ない。画像は《Radu Lupu plays Schubert》のタイトルで4枚組で発売された輸入盤である。

 11月8日 東京オペラシティ コンサートホールで待望のルプーのコンサートが行われた。オール・シューベルト・プログラム。前半は「16のドイツ舞曲 D783」「即興曲集D935」より4曲」。歌心に満ち溢れた曲ばかりで瞬く間にシューベルトの世界に引き込まれた。後半はシューベルト最後のソナタとなった「ピアノ・ソナタ第21番」。この曲では繊細さだけではなく、いろいろな想いが表現されている。

 シューベルトと言えば「冬の旅」「美しき水車小屋の娘」などの歌曲が有名で、これまではシュライヤーの歌声をKitaraで聴いたりしてたが、お気に入りの作曲家というわけではなかった。最近はCDやコンサートでシューベルトを聴く機会が増え、ルプーのCDは集中的に聴いていた。そんなせいもあって今回耳にする音は聴き慣れた親しみのある調べでより魅力的であった。

 今回オペラシティのホールは満席状態で演奏家と聴衆の息もぴったりで、神経質と言われるルプーの温かい人間性も伝わってきて感動的なコンサートになった。

 アンコールに「ピアノ・ソナタ第19番より第2楽章」が終ると会場から感動の溜息。もう1曲「楽興の時 第1番」。アンコールに15分近くかけるサービスに聴衆も大喜び。一昨年のキャンセルがあったことでの心遣いかなと勝手に推測した。聴衆は皆満足の様子で会場を後にしたが、私にとって今年のベスト・コンサートになった。

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11月の初旬からクリスマスの飾り付けがオペラシティに繋がる空間に展示されていたので、クリスマス・ツリーの中に入って写真に納まった。
 

マウリツィオ・ポリーニ ~ポリー二・パースぺクティヴ2012


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 マウリツィオ・ポリーニの名は30年ぐらい前までは正直言って知らなかった。ピアニストではルービンシュタインやホロヴィッツを聴いて育った世代である。
 
 ポリーニは1960年18歳で第6回ショパン国際コンクールに優勝したが、1968年に演奏活動に復帰するまで世界の表舞台から姿を消していた。 画像はベートーヴェンの7大ソナタのCDである。

 11月7日サントリー・ホールに≪ポリーニ・パースぺクティヴ2012≫を聴きに出かけた。
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 日本公演プログラムによると、最初の来日公演は1974年で今回が18回目になる。78年に札幌公演があったと知ってビックリ! ちなみに、福岡(74)、広島(81)、名古屋(89)、横浜(04)、京都(10)が各1回で、大阪は10回である。東京は会場がNHKホールや東京文化会館が主で、特に文化会館がポリーニの好みだったらしく、サントリー・ホール(開館86年)が主会場になったのは98年からというのも興味深いと思った。

 今回のコンサート・シリーズ≪ポリーニ・パースぺクティヴ2012≫でポリーニが出演するコンサートは4回あるが、毎回異なるプログラムである。ベートーヴェンのソナタと現代作曲家の作品を一緒にプログラムに組むのがコンセプトになっている。ポリーニ自身はベートーヴェンの中・後期のピアノ・ソナタ(第21番~32番)を4夜に分けて演奏する。
 
 7日の前半のプログラムはドイツの作曲家ラッヘンマンの≪弦楽四重奏曲第3番「グりド(叫び)」≫ (2001-02年の作品)がジャック四重奏団によって演奏された。弦の上を弓で撫でたリ、さまざまな奏法を駆使して幻想的音楽を作り出した。ノイズにしか聞こえないような音が響き渡ったり、有り得ない奏法に最初は戸惑いさえ感じた。率直に言って最初はさっぱり解らなかったが、途中から目を閉じて聞いてみたりするうちに別世界に連れ出された感じがして、まるで宇宙を彷徨っているように思えてきた。新しい曲作りへの挑戦なのだろうと感じれるようになった。

 引き続きベートーヴェンの≪ピアノ・ソナタ第28番≫の演奏に移り、健康に不安を抱えていると思われるポリーニが幾分弱弱しい姿でステージに現れた。だが、いざ鍵盤に向かってピアノを弾き始めると、すぐ彼の世界に引き込まれた。穏やかな抒情に溢れた調べが奏でられ、高音で力強い表情を自然な音の流れで聴く者の心に響く音楽が繰り広げられた。

 後半のプログラムは≪ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」≫ ピアノ・ソナタとしては文字通り空前の規模を持つ曲で、壮大で深遠な精神性をピアノで表現するにはそれまでの楽器の限界を突き破る曲と言われている。 技巧性と表現力を極限まで押し広げた作品でも、ポリーニは聴く者の心にすぐ入り込んでくる術を持ち合わせているマジシャンのようである。
 
「ハンマークラヴィーア」はピアノを意味するドイツ語で、後期のベートーヴェンはドイツ語表記を用いたので、第28、30、31、32番も「ハンマークラヴィーアのためのソナタ」なのである。いつの間にか第29番だけが愛称が付いている。
 
 ポリーニの演奏が終わるやいなや客席のあちこちからブラボーの掛け声が上がり、暫し拍手が鳴り止まなかった。次々とスタンディング・オヴェィションをする人の数が増えていったが、アンコール曲の演奏はなかった。
ポリーニへの感謝の念が聴衆に広がる様子が感じ取れて感動的な演奏会になった。 

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25年間のコンサートで聴いたヴァイオリニストのベスト・テン

 この25年間のコンサートで聴いたヴァイオリニストのベスト・テン
(1988年4月~2013年3月)

<日本人部門>
 
 1位 前橋  汀子   (9回)
 2位 諏訪内 晶子   (8回)
 3位 五嶋  みどり  (5回)
     竹澤  恭子
     樫本  大進
     千住 真理子
 7位 渡辺  玲子   (4回)
     天満  敦子
     川畠  成道
 10位 庄司  紗矢香  (3回)
     木島 真優


<外国人部門>

 1位 ワディム・レーピン (4回)
     ジョセフ・リン
 3位 ヨゼフ・スーク   (2回)
    イツァーク・パールマン
    チョン・キョンファ
    イヴリー・ギトリス
    フランク・ペーター・ツィンマーマン
    有希・マヌエラ・ヤンケ
  
 *チェロ奏者 ミッシャ・マイスキー(3回)
  ヴィオラ奏者 ユーリ・バシュメト(2回)

庄司紗綾矢香 ヴァイオリンリサイタル

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 庄司紗矢香は1999年パガニーニ国際コンクールで史上最年少の16歳で日本人として初の優勝の快挙を成し遂げた。上の写真は2000年7月ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と共演してパガニーニの曲がCDになった時のジャケットである。

 2001年10月庄司はユーリー・テミルカーノフ指揮サンクトぺテルブルク管弦楽団と日本ツアーを行い、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」を演奏した。全国で聴衆の熱狂的歓迎を受けてから順調にヨーロッパを本拠地として活躍の場を広げ、世界の一流の指揮者と共演してきた。

 特に、2000年5月の庄司のサンクトペテルブルク公演の折に、彼女はテミルカーノフに「貴方を世界中つれて回りたい」との熱意溢れる言葉に従ったのか、その後の来日公演ではサンクトペテルブルク管との共演が多かったようである。

 2回目の札幌公演は2010年高関健指揮札幌交響楽団「モーツァルト協奏曲第5番《トルコ風》」。久し振りのKitara登場で、自由自在に美音を響かせ札響会員の驚きの溜息を誘った。

 今日は札幌では初めてのリサイタル
ピアノはジャンルカ・カシオーリ。イタリア出身でヨーロッパ・北米の著名なオーケストラと共演して若き鬼才として世界の楽団で注目を浴びているそうである。庄司は彼とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲録音に取り組むほどお互いの音楽観で相通ずるものが
あるらしい。

 今日のプログラムはベートーヴェン、ヤナーチェク、ドビュッシー、シューマンという4人の作曲家のヴァイオリン・ソナタ。4つのソナタがリサイタルでプログラミングされるのは極めて珍しい。それだけに2人のリサイタルにかける意気込みを感じ取った。

 ベートーヴェンのソナタはヴァイオリンとピアノがほぼ対等に会話し主張している。ピアニストが伴奏者であってはならないと思っている。日本語でヴァイオリン・ソナタと言っているが、例えば英語では Sonata for piano and violin と言う。そういう意味で今日のヴァイオリン・リサイタルはヴァイオリニストとピアニストのバランスが極めて良い組み合わせで満足感が得れた。

 ベートーヴェンの「ヴァイオリン・ソナタ第5番⦅春⦆」で始まった時のヴァイオリンが奏でる最初の音は鳥肌が立つほど美しかった。ヤナーチェクは弦楽四重奏曲で聴いていたものとは違う現代音楽風に聴けて興味深かった。
 ドビュッシーは彼のピアノ・ソナタとは少し違う感じだが彼特有の印象的なリズム。
 シューマンの「ヴァイオリン・ソナタ第2番」で印象的だったのは第3楽章のピッチカートで始まる曲の変化。第4楽章で情熱的な主題が奏でられ、ピアノの抒情的メロディもあって明るい雰囲気で曲が終った。

 アンコールにシベリウスの「ヴァイオリンとピアノの6つの小品より⦅子守歌⦆」。

 帰りに2人の演奏家のCDを購入したが、感想を述べる暇もなくサインだけ貰うことを余儀なくされたのは、いささか残念ではあった。
 







MET ライブビューイング 2012~2013 第1作 ドニゼッティ《愛の妙薬》

 11月3日 MET LIVE VIEWING 2012~2013 が開幕を迎えた。世界64ヶ国で放映されるそうだ。

 ドニゼッティ 歌劇《愛の妙薬》 (全2幕)

 歌劇の中で歌われるアリアを聴いたことがあるだけで詳しいストーリーは知らなかった。若い農夫ネモリーノと地主の美しい娘アディーナとの恋の物語に仕立て上げているが、インチキ薬売りから「愛の妙薬」を手に入れて展開される喜劇であった。

 アンナ・ネトレプコは可憐な美女役にしては太り過ぎの印象であったが、さすがオーラを放って喜劇のヒロインを好演した。
 ネモリーノ役のボレンザーニは喜劇では真面目すぎる印象を受けたが、有名なアリア「人知れぬ涙」を熱唱して素晴らしいテノールを披露した。
 いかさま薬売り役のバリトンは体型が醸し出す雰囲気が喜劇にピッタリであった。

 今日は今シーズンの幕開けの日で観客も多く、喜劇とあって随所で笑いもあり、尚のこと楽しいビューイングとなった。

 帰宅してCDで《愛の妙薬》のアリアを数曲聴いて余韻を楽しんだ。プラシド・ドミンゴやミレッラ・フレーニの素晴らしい歌声を聴いて感無量であった。


 
 







 

最も多くコンサートで聴いたピアニスト ベストテン

 この25年間で 私が多く聴いたピアニスト ベストテン

を日本人部門と外国人部門に分けて調べてみた。            1988年4月~2013年3月

日本人部門
 
 第1位 小山 実稚恵 (20回)  
 第2位 及川 浩治  (12回)
 第3位 外山 啓介  (11回)
 第4位 近藤 嘉弘  (10回)
 第5位 横山 幸雄   (9回)
 第6位 舘野  泉   (8回)
      中村 紘子
 第8位 有森  博   (6回)
      仲道 郁代
 第10位 上杉 春雄   (5回)
      遠藤 郁子
      清水 和音

外国人部門

 第1位 スタニスラフ・ブーニン  (7回)
 第2位 ユンディ・リ        (6回)
      ダン・タイ・ソン
 第4位 アリス・沙良・オット   (5回)
 第5位 ニコライ・トカレフ     (4回)
      フィリップ・ジュジアーノ
 第7位 ジャン=マルク・ルイサダ (3回)
      エリック・ハイドシェク
      ニコライ・ルガンスキー
      アンドレ・ワッツ
      サ・チェン
      マリア・ジョアン・ピリス
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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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