平成28年度時計台案内活動反省会と親睦ランチ会

今年度5月1日~11月30日まで7ヶ月間に亘って行われた時計台案内活動の反省会が国際プラザの会議室で行われた。時計台ボランティア活動が始まって8年が経つ。反省会に参加するのは数年ぶりである。昨年は体調を崩して活動日数が減ったが、今年は月4回平均のペースで活動した。
昨年に続いて今年も1日午前・午後の2回の活動の充足率が100%だったと知り、改めてシフト担当のボランティアのご苦労に感謝した。すべてのボランティア活動は無償である。今年度の時計台定点案内活動の登録者は116名。実際の活動人数は63名(男30、女33)。活動期間中の来館者の概数は11万人。(*年間の時計台入館者数は約20万人)。ボランティア対応人数は日本人2万人、外国人5千人。海外からの来館者は約60ヶ国。外国人対応の言語は英語、中国語、韓国語。中国人の来館者が一番多いが、以前に比して英語対応が断然多い。来館者の反応は例年通り、好印象が続く。時計台と札幌の街に対する好感度は高い。喜んでくれる来館者に接すると来年度への活動意欲も湧き上がってしまう。

反省会の出席者約30名のうち、半数がグランドホテルでの親睦ランチ会に参加した。女性の参加者が1名のみで寂しかったが同年代の参加者以外に、今年度の新規登録者11名のうち2名の若者と会の後半に交流できて良かった。来年度の彼らの活動を激励しながら自らの活動も奮い立させる日になった。

今年も残り2週間になった。時計台活動日数が24日間に対し、Kitaraでのボランティア活動はDM(ダイレクト・メイル)活動のみで14日間。以前と比べて活動日数も減った。コンサートでKitaraに出かける日もあと2回の予定。明日は及川浩治のリサイタルと札響くらぶのミニコンサートが連続する。腰の治療で整骨院に連日通いながら日程を過ごしている。無理が通るのは元気のせいだろうと自問している。
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時計台ボランティア活動(7)

時計台ボランティア活動を始めてから8年目に入るが昨年は病気入院もあって余り活動が出来なかった。今年度は例年より1ヶ月早く5月から始まった。先月は体調も回復して6回活動が出来た。今月は結果的に3回だった。外国人の来館者は例年と少し違った傾向としてタイやマレーシアの観光客が多い印象を受けている。タイからの来館者でタイ語を使わない人が増えているようである。英語での説明が歓迎されている。

1876年(明治9年)に日本最初の農学校として開校した旧札幌農学校(*北海道大学の前身)の演武場は1906年(明治39年)に札幌区に移管された。演武場(Military Drill Hall)は初代教頭クラーク博士の構想に基づいて第2代教頭ホイラーが平面プランを作成し、安達喜幸の設計により1878年(明治11年)に完成。当時の建物には時計はついていなく屋根の上に鐘楼があった。北海道開拓使長官黒田清隆の指示で鐘の代わりに時計を設置することになった。ホイーラー(Wheeler)は米国マサチューセッツ州ボストンに時計機械を発注し、1881年(明治14年)に現在の時計塔が完成した。

明治時代に日本に設置された72台の時計台のうち現在でも動き続けている時計は札幌市時計台だけである。札幌が誇る貴重な文化財なのである。北海道と姉妹提携を結んでいるマサチューセッツ州から札幌市時計台を訪れる人たちもいる。ホイーラーの出身地マサチューセッツ州コンコード(Concord)から市の関係者やホイーラーの出身高校の教師が来札したこともある。数年前にはコンコードの高校生数十名が修学旅行で来館して歓迎会が開かれた。(*高校生の引率責任者が1972年札幌オリンピック以来の来札だと挨拶で語っていたのを思い出した。) 訪問団一行は度々札幌市時計台を訪れている。

絵も得意なボランテイアが紙芝居を作って日本語や英語で「時計台の歩み」を来館者に紹介した時には数回、彼の活動を見守ったことがある。80歳を超えて新しい試みに挑戦した彼の活動は新聞やテレビで話題になった。残念なことに彼は逝去したが彼が作成した紙芝居を発展的に引き継ぐ活動が行なわれている。20枚ほどの絵で約20分ほどかかる日本語版、英語版のほかに中国語版も作られた。
私は昨年、日本語版と英語版をそれぞれ1度上演する機会を持った。丁度1年前の6月28日午前のシフトに当たっていた時に時計台館長からアメリカ人2人の対応を依頼された。彼らは北海道・マサチューセッツ州姉妹提携25周年訪問団のコンコード出身の2人。30分程度での案内を依頼されたので紙芝居を披露することにした。私としては初めての経験であったが、一応順調に事を運べた。何度か来札経験のある年配者と若いブラスバンドのコンダクター。私の学んだフロリダ州立大学の話が出たら、若い人が同じ大学出身と知って驚いていた。札幌白石高校の吹奏楽部と交流を図ったらしい。東海第四高(*現東海大札幌)の話をしたら初耳と言っていた。当時の来館依頼書のコピーが手元にあって懐かしく思い出した。
日本語での紙芝居は十数名が集まり関心を持って聴いてくれた。

昨年の経験を基に今年は既に英語で3回、日本語で1回実施してみた。最初はマサチューセッツ州からの来館者。一人旅で北海道が姉妹州とは知らなかった。今年2回目は対象がマレーシアの学生。引率の教師と思われる人を含めて7名が実に熱心に時計台のストーリーを楽しんでくれた。とても真面目な研修生の印象を受けた。昨日はフランスの女性で鑑賞の後に“日本の文化を味わった”と感想を述べてくれた。紙芝居という言葉に反応していたので日本の知識をある程度持っていたようであった。お国を訊いたら英語流でなくてフランス語流の鼻にかかった独特の発音で心地よさを味わった。

昨日はサンフランシスコから4人家族が来館。子供は“Where are you from?”に“USA.”、“What state?”に“California.”、“What city?”に“San Francisco.”と子供らしい反応で即答。“I visited San Francisco fifty years ago.”と話していたら思わず両親も加わって話が弾んだ。両親と話していると動き回る2人の息子が着ていたユ二フォームにファイターズYOHとサッカー選手MESSIという名を見て微笑ましかった。イタリアの家族は日本語が話せるという男の子に話しかけてみたら恥ずかしそうで反応がなかった。母親に日本語で時計機械の説明をしたらとても興味を持ってくれた。
昨日は暑い1日だったが、新渡戸稲造を始め農学校の卒業生や教授陣の話などにも話が及びゆっくり落ち着いた雰囲気で説明を聴いてくれる来館者が目立って充実した活動ができた。

※書斎として使っている部屋に数年前からコンコードのお土産としてもらったトランプを置いていた。孫が来宅した時にトランプをするが、人物が描かれているカードで使った事がなかった。今回たまたまコンコード名物のカードの中身を見てみた。カードには13名のコンコードゆかりのアメリカの有名人の名があった。Emerson、Alcott、Hawthorneの名を見つけてビックリした。エマーソン(1803-82)はアメリカの随筆家、詩人。オールコット(1832-88)は“Little Women”「若草物語」の著書で有名なアメリカの女性作家、ホーソン(1804-64)は“The Scarlet Letter”「緋文字」などで有名なアメリカの小説家。

3人の作家とも原書で読んだことがある。特に“The Scarlet Letter”は英文学の授業で大学3年時の担任であった教授から仲間と一緒に学んだ小説である。英語科の担任であったその教授とは卒業以来交流が続いて毎年札幌市内で英語専攻の仲間8人ほどが集まって会合を開いている。教授は2年前に91歳で亡くなられたが、奥様も会合に出席する関係が続いていて、ロスアンゼルス在住の仲間も毎年6月6日には札幌に来て交流会が続いている。

コンコードはWilliam Wheelerの出身地で彼は札幌農学校に足跡を残しているだけでなく、札幌市水道記念館にも彼の専門書があり、札幌の水道事業にも貢献したようである。彼の出身校の学生や教師が偉大な先輩の業績を知るために札幌を訪れてくれるのは喜ばしいことである。
孫が来札した折にはコンコードから贈られたカードを使ってトランプ遊びをしてみようと思う。

時計台ボランティア活動(2014年)

2014年の時計台ボランティア活動も今日で終った。2月の雪まつり期間中にも特別な活動日があるが、例年は6月~11月の半年の間、国際ブラザ外国語ボランティアとして時計台を拠点にした活動に従事している。今年も月4回のペースで活動した。

外国人の来館者は1割程度であるが、一応世界各国から来館している。今年度後半はグループで来館するタイ、シンガポールの旅行客が目立った。香港からの観光客は2人連れで旅行する客が多いようである。欧米人の中には日本旅行中に英語を話す機会がなくてフラストレーションを感じている人も偶に見受ける。館内の説明より、英語で会話することで精神的に落ち着く人がいるのに毎年気付く。
今日の午前中だけで20名ほどの外国人が来館して、特に幼児を含んだ家族連れのシンガポール人十数人が英語の説明に傾聴してくれた。子どもたちの礼儀の良さと教育のレヴェルに関心した。円安の影響もあって多くの観光客が来日しているのかなという印象も受けた。

日本人で北海道を1週間かけて旅をする人もいるが、2泊3日の旅で、帰りの日の午前中に時計台や赤レンガ庁舎を訪れる旅行者が多いようである。何度も来道している人は時間的余裕を十分に持って来館している。来館者は時計が133年前から機械仕掛けではなく重りを利用して人間の手で手間をかけて動き続けているのを知って驚く。
当時の札幌農学校では農業、土木、工学、数学、物理学、化学、生理学、文学、倫理学など英語で授業が行われ、全人教育を受けていたことまで知って帰る人はまだ多くはないようです。

十日ほど前の時計台活動日に嬉しいことがあった。41年前に担任した教え子が卒業アルバムを持って時計台を訪ねてくれた。その女性とは1年間の繋がりだけであったが、私に怒られてばかりいたと言う。同級生に私と会いたいと言っていたらしい。その友人が偶々私の1ヶ月前の時計台ボランティア活動の様子をテレビで見て彼女に連絡した。(大阪のテレビ局が「恋の町札幌」の歌で知られた『石原裕次郎と時計台』の繋がりで取材に訪れていた。) その結果、私の消息が判り、時計台の事務局に連絡をして私の活動日を知って訪ねてきた次第。
孫2人がいて、英語教室で指導を続けて33年と言う。そのメリハリの効いた話しぶりに普段の活躍ぶりが目に浮かび、彼女の行動力に感心すると同時に感謝の気持ち! 教員冥利に尽きる場面が何度かあるが、今回も清々しい気分を味わった。

押しつけのボランティア活動にならないように、状況を見ながら必要に応じて来館者におもてなしの心で対応するように心がけている。来館者に情報を提供して自分自身も彼らから喜びを与えてもらっている。それなりに充実した活動ができ、個人的にも気持ち良く今年の活動を終えれたことは何よりであった。

時計台ボランティア活動(2013年度)

今年も6月から月4回の時計台ボランティア活動を行なっている。
今日たまたまシフトに当っていた8月12日は時計台の時計機械の誕生日でした。1881年(明治14年)8月12日の正午に稼動し、風雨に耐えながら、現在も正確に時を告げ、鐘を鳴らしています。2013年8月12日は時計稼動132年記念の日でした。2階に集まっていた約100名の来館者に11時45分から時計台館長が時計に関する話を始めた。いよいよ正午近くになり電波時計を持っていた来館者の協力でカウント・ダウンが始まって、12時正午に鐘が12回鳴り、居合わせた人々が誕生日を拍手で祝った。

子どもの夏休み期間中とあって、あいにくの雨模様にも関わらず家族連れの姿が目立った。小さな子どもや小学生を連れた夫婦、孫を案内する年輩の人たち等、朝早くから入場してくる人の応対に大忙しであった。時間に余裕を持って訪れる来館者には興味の程度に応じて演武場、時計機械、新渡戸稲造のこと等を説明した。いつの間にか雨も上がって、昼近くには大勢の入場者が訪れて、カウント・ダウンを楽しんでいた。時計台で良い思い出ができた様子がうかがえた。殆どが本州からの観光客で、今日の午前中は珍しく外国人の姿があまり見えなかった。

日本最初の農学校として札幌農学校は1876年(明治9年)に開校した。マサチューセッツ農科大学学長のクラーク博士がホイラー、ペンハロー両教授と共に札幌に赴任して8月に開校式。生徒は24名。(大部分の授業が英語で行なわれたために、4年後に卒業できた生徒の大部分は東京英語学校出身の生徒で、一期生として卒業できた者は13名。)1878年(明治11年)10月16日に演武場(兵式訓練、体育の授業、儀式の場)の落成式が行われた。当時の北海道開拓使長官黒田清隆が塔時計の設置を指示したことで、1881年に時計塔が完成して8月12日正午に運転が開始された。

IMG_0794 (300x225) 昨年2月の雪まつり期間中のボランティア活動の折の時計台のただずまいは他の四季の様子とかなり違う。 

 
札幌市時計台は日本最古の塔時計である。時計塔は5層構造になっており、5階にある鐘から重りが下がる1階までが時計の機能を果たしている。時計機械は時を刻む装置と鐘を鳴らす装置が一体となっている。アメリカのE・ハワード社製で、動力としての重りを利用する機械式。重りは2種類あって、運針用が約50kg、打鐘用が約150kg。重りの巻き上げは人力により週2回行っている。毎正時に時の数だけ鐘が鳴る。鐘の音はかっては一里(約4km)四方に響き渡ったと言われる。現在は周囲がビルに囲まれていて、近くにいないと鐘の音に気付かないらしい。時計は風などの影響が少なくて、今では1日1秒も狂わないそうである。

時計台近くで時計店を営んでいた井上清さん(故人)が時計台の時計が止まっているのに気付いて、1933年(昭和8年)にボランティアで保守点検の仕事を始めた。その後、井上和雄さんが引き継いで親子2代で約80年に亘って塔時計を守り続けてきた。4年前に井上さんが引退して、現在は社団法人・札幌市友会が保守点検の仕事を行なっている。
時計台が今日あるのは井上さん親子の献身的なボランティア活動に負うところが大であると思っている。私は時計機械の説明をする時には井上さん親子の話を必ずする。井上さんは腰を痛めて足も少々不自由ですが週2回事務室に顔を出している。私の活動日は月曜日なので毎週会う機会があって、偶然館内を通る井上さんの姿を見るとお客さんに紹介することもある。

関東大震災、第二次世界大戦の空襲や時代の流れで失った文化財が沢山あるが、時計台の中に入って学ぶことはいろいろある。外国の観光客や本州の観光客が圧倒的に多い現状ですが、札幌市内に住んでいる人には、ゆっくり時間を取って是非見学してほしいと思う。私自身も5年前にボランティア活動を始めてから学んだことが大部分で、まだ知らないことの方が多いのではないかと感じている。

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現在の時計台には演武場が建設された135年前の窓ガラスが数多く残っていて、外の景色を見ると歪んで見えるのが判る。道路を走る自動車のガラスと反射すると窓のガラスの見事な模様が見える時があるそうである。普段でも注意して窓の外を見ると、ガラスがゴツゴツしていて普通のガラスと違うことに気付く。(ガラス窓であっても外からは内部が見えないガラスがKitaraの楽屋に使われていることを思い出したが、100年以上前からガラスにもいろいろな工夫があるようだ。)

2階の正面に「演武場」の額が飾られていて、書の左側に《従一位具視》と署名がある。当時、右大臣であった岩倉具視の揮毫である。この額を背景に記念写真を撮っていく人が結構いる。(岩倉具視の揮毫した書と気付く人は少ないようであるが、、、)
北極星をかたどった「五稜星」は北海道開拓使のシンボルマークで、北海道開拓時代の建物として演武場の他に、道庁赤レンガ庁舎、豊平館、サッポロビールのマークに使われ、北海道の旗にも使われている。(サッポロビールは開拓使が作った官営のビール工場だった。)

 
  



時計台ボランティア(4)

 今年度の時計台ボランティア活動は11月で終りで、今日の午後のシフトが今年最後となった。今朝から北海道は暴風雪に見舞われたが午後は何とか天気も回復した。
 
 いつもより来館者は少なかったが、かえって落ち着いて札幌農学校の演武場や時計機械の説明をすることができた。時計台が「演武場」という名称だった理由は説明を聞くとやっと納得してくれます。 札幌時計台の時計はおもりで動いています。週に2度機械室に入って、重りを手動で巻き上げることで動き続けていることを知って皆さんビックリされます。
 
 農学校2期生の新渡戸稲造のノートがきれいな綴りの英語で書かれているのに気が付くお客さんは余りの見事な美しい字体に驚きを隠せません。また、明治時代に農学校で授業が英語で行われていた事など予想もできないようです。

 オーストリアのウイ―ンから来た人に英語での案内を求められ、ホーレス・ケプロンや黒田清隆の写真から説明を始めました。その時に「黒田清隆の次の北海道開拓使長官は西郷隆盛の弟だったのか」と尋ねられ、「いや、それはわかりません」と答えるほかありませんでした。彼は「写真で見てきた」と言うのです。時計台の前に赤レンガ(旧道庁)を訪ねて、歴代の長官名とその写真を見てきたらしい。西郷隆盛がファンなので確認したいようでした。
 
 新渡戸稲造のことは知識がなかったようで詳しく説明してあげました。2階の時計機械のことも関心を持って聞いてくれましたが、とてもユーモアに溢れた感じの良い人でした。
 
 帰宅してから、パソコンで検索して確認してみると、第4代北海道開拓使長官として1ヶ月足らずですが、確かに、その任に西郷従道(つぐみち)の名前がありました。
 
 彼は囲碁のオーストリア代表で日本に11月の初めに来て、来週帰国するとのことでした。
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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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