東京へのクラシック音楽鑑賞の旅(ニュヨーク・フィル、他)

ニューヨーク・フィルハーモニックの来日公演が発表になった半年前から東京公演を聴きに行く予定を立てた。3月中旬で当日の飛行機が札幌から順調に飛ばないことも考慮して、前日にも違うコンサートを入れておいた。
自分一人だけの旅行では2泊3日の旅程を組み、今までは1回の旅で、11年5月は4つ、12年11月は2つの演奏会に出かけた。今回は公演期日と演奏家のプログラムを勘案してトッパン・ホールでのルノー・カプソンの室内楽を選んだ。カプソンは人気の高い世界的ヴァイオリニストで10月時点で残りのチケットが3枚しかない状況であった。
飛行機のチケットは旅割で3ヶ月前には購入していた。東京在住の娘が旅行の際に泊まらせてくれる話はあったが、ウィークディのコンサートは終了時間が21時を過ぎ、夜中の住宅街の移動は大変なので遠慮した。いつも、東京での滞在はホテルに決めている。1月に入ってホテルはトッパン・ホールに比較的近い文京区のホテルに決めた。今迄は新宿、品川、浅草を拠点にして空いてる時間を観光に使っていたが、今回は歩き回るのは東京ドーム周辺だけにしてホテルで休む時間を多くとる予定にした。

3月12日の出発の前に、書道に励んでいる妻が昨年と同様に全国規模の「創玄展」に入賞して、急遽、7日に東京に出かけた。応募を重ねて目出度く卒業となり、創玄展会員の資格を得て一人前の書家になった。ハッピーなことなので止むを得ないが、妻に頼った生活をしていると、一人で一週間も過ごすのは何かと不便である。普段の有難さを感じる時でもある。

この年齢になって一人で東京都内を動き回るのは大変なことを自覚した。サントリーホールにも数回は出入りしているが、ホール周辺の通りの様子も変わった。主要な地下鉄駅には何本もの線があって、乗り換えが大変である。同じことを繰り返して慣れると良いが、大江戸線は地下深くを通っていているのは知っていたが、南北線の後楽園駅で降りた電車は地上に出るまで歩道も長く、6つか7つのエスカレーターを上るのにはびっくりした。東京は地下鉄網もどんどん増えて、街の風景も変わっていく様子に驚く。

文京シビックセンターの25階展望台ラウンジから見下ろす東京都内の街並みも観れた。東京ドーム内の「野球殿堂博物館」に入ってラジオ放送時代に活躍したプロ野球の選手名を多く見て懐かしい想いをした。正岡子規が学生時代にベースボールに夢中になり、一時、名乗った“ノボル”から“野球”という語が生まれたという説(?)も思い出して懐かしかった。大谷翔平の写真も入って、館内には新しいものも加えられているようである。館内では【“ミスタープロ野球”プロ入り60周年記念 昭和、平成と長嶋茂雄】企画展もあった。これまでに殿堂入りした人物は平成30年度の松井秀喜、金本知憲、原辰徳、瀧正男を含めて201人になったという。

昨日は創玄展の審査会員や入賞者の作品が展示されている国立新美術館に立ち寄って、中野北溟先生や妻の作品など一部の作品を鑑賞してカメラに収めた。東京都美術館は古くからあるが、国立新美術館は文字通り新しくて立派である。

この旅で何十人もの人に電車の乗り場や地下通路を尋ねて、親切に対応していただいた。通勤に利用していると思われる人を中心に訊いたのだが、快く応じて下った皆さんに感謝したい。

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富士山眺望に恵まれた静岡旅行

北海道に住んでいて中部地方を旅行する機会がなかった。名古屋を訪れたのも昨年が初めてだった。伊豆の石廊崎には50年以上前に修学旅行で行ったことがあるが、今回は静岡県内の東部・中部・西部を隈なく巡る3日間の旅に出かけた。初日は雨で富士山は見えなかったが、残り2日間で富士山の眺望を存分に楽しめたのは幸運であった。

小雨の富士山静岡空港に到着して、美しい茶畑を眺めながらのバスの旅。満開の時期は過ぎて葉桜の木が多かったが、道中で咲いている桜の並木も楽しめた。大井川鉄道を利用して昭和15年に作られてJRでの引退まで北海道で走行していたという列車の旅も50年前の修学旅行の気分を味わえて懐かしい思いがした。雨脚が強くなって列車からの眺めは良くなかったが、バスから見渡す大井川は大河であった。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と歌われ、橋を架けなかった江戸時代の背景が歴史上の観点から実感できた。
夕食を摂ったのが江戸の宿場町・丸子(鞠子)の名物茶店。東海道五十三次の内の「鞠子」にも描かれた場面。看板に「名物とろろ汁」と書かれていた。“梅若葉まりこの宿のとろろ汁”と歌った芭蕉の句もある。食事は珍しいだけで好みではなかったが、店内に葛飾北斎、安藤広重、喜多川歌麿の復刻版などを含めて十数点展示されていた。本物も1点額に入っていた。浮世絵の影響を受けたドビュッシーの「海」の記述もあって興味深かった。慶長元年(1596年)創業の店で歴史と伝統を守りながら経営を続けていることに敬意を抱いた。

1日目は伊豆地方北部の沼津市で宿泊。夜中に激しい雨が降り続いて、下田では洪水に見舞われるところもあったらしい。雨上がりの2日目は風はあったが好天気。公園内の柿田川湧水(富士の湧き水)を鑑賞。三島の伊豆フルーツパークではイチゴ狩り。果物狩りは初めての経験で20個くらいは食べて楽しめた。

戦国時代の末期に北条が築城した山中城は豊臣軍の攻撃(1590年)によって落城。三島市は400年間埋もれていた山中城の発掘調査を昭和48年に開始して、戦後の世を今に伝える文化遺産として「山中城跡」を復元。往復60分かけて山道を上り下り。チョット辛かったが見ごたえのある山城の様子が分かって普通の城の見学とは違った面白味があった。
富士市を通って山道を下る途中でバスの中から目にする鮮やかな富士山が見えると車内で一斉に歓声が起こった。最近は新幹線の車中から遥か遠くに見える富士山しか見ていなかったので、近くから観る富士山は格別であった。

すっきりと晴れ上がった午後は清水港ベイクルーズ。四方八方から富士山の全景が見渡せる状況下での湾内クルーズ。多くの中国人も乗船したが、彼らの大部分は船内での昼食で席が別なこともあってか満席の船でも比較的落ち着いた雰囲気でのクルーズとなった。清水港はヨットハーバーとしても使われているが、湾内には多くの工場があって巨大な外国船も停泊していた。
三保の松原も素晴らしかった。太い松の木々を通る“神の道”を抜けて樹齢何百年と思われる「羽衣」をはじめとする巨大な木は目を奪う。砂浜に入って臨む富士山は名状しがたい美しさ。富士山もいろいろな表情を持つが「三保の松原と富士山」は何か神々しい特別な感情が伝わった。

静岡市内の家康ゆかりの駿府城は戦いで壊滅状態にあって、石垣が一部残った。平成の時代に入って二の丸東御門と巽櫓が復元。駿府城公園の外側に通りを挟んで城内中学校が建っていた。歴史的建造物の復元が平成時代に入ってからとは驚いた次第。石垣を復元する事業を通して城の復元に至ったようである。

最後に訪れた浜松市内の中田島砂丘。今年の大河ドラマのロケが行われた場所でもあると知った。遠州灘の風紋美しい砂浜の光景を一望しただけで奥まで入って行かなかった。砂丘といえば鳥取砂丘しか知らなかったが、ここも静岡では名所なのだろうか、駐車場が広々としていた。
浜松といえば名物ウナギ。修学旅行で駅弁は苦手だったが、浜松のウナギ弁当だけは今でも記憶に残る美味さだった。夕食に「うな重」を浜松で評判の名店で味わった。

その夜は浜松に宿泊して、3日目は大河ドラマ館に入館。今年の大河ドラマは小説を読み終えていた。朝早くから館内は混み合っていたが、テレビも見て状況を知っているので短い時間でも要領よく見て回った。次の見学場所が井伊家の菩提寺「龍潭寺」。話題の寺とあって凄い賑わい。小堀遠州が作った庭園(*札幌中島公園内の八窓庵の茶室も小堀遠州作)が美しくてその姿を何枚も写真に撮った。

家康が天下統一を果たして駿府に入城した後、浜松城は主に家康ゆかりの譜代大名が城主となった。戦国時代の出世城といわれる浜松城。天守は17世紀に姿を消し天守台のみが現在に伝わる。野面積みの石垣で有名。浜松城公園内に平成26年、天守門が140年ぶりに復元された。天主台に着くまで急な道路の階段を上っていくのは息切れがして大変だった。

最後の観光場所が掛川城。山内一豊は戦乱で傷んだ城の改築や城下の整備を実行し、天守閣を作った。天守閣の狭い階段の上り下りは年寄りには大変であったが、市街を見下ろす景観はなかなかのものだった。御殿から見上げる掛川城は東海の名城にふさわしい美しい景観である。
予定の見学場所が終わってバスは一路空港へ。空港を離れるまで富士山が見送ってくれた。
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Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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