オロスコ=エストラーダがベルリン・フィルでデビュー(ショスタコーヴィチ:交響曲第5番)

昨夕は妻と映画鑑賞。それぞれの趣味を中心に生活しているので一緒に外出することは稀である。6月10日封切の映画「光をくれた人」の試写会が劇場公開に先立って朝日新聞北海道支社主催で開催された。Asahi Family Clubのメンバーで毎年のように映画上映会や講演会に応募して参加していたが最近は久しぶりである。映画は平日の都合の良い時間帯に鑑賞していて、夕方に観ることはない。今回は妻が応募して招待状が届き、偶々時間が空いていたので一緒に出掛けた。
“The Light Between Oceans”はアメリカ・オーストラリア・ニュージーランドの合作映画で灯台守が主人公の物語。オーストラリアの孤島に暮らす孤独な灯台守が妻を迎えて幸せに暮し始めるが、ある出来事が彼らの人生を狂わせる。お互いの愛が人々の心を揺さぶるラブストーリー。一見の価値がある映画である。

昨日の午後は5月開催の3つのデジタル・コンサートホールの最終コンサートを視聴した。
客演指揮者Orozco-Estrada(アンドレス・オロスコ=エストラーダ)は1977年コロンビア出身。若手の俊英指揮者として注目されて既に日本でも客演している。現在、フランクフルトhr響、ヒューストン響の首席指揮者、ロンドン・フィルの首席客演指揮者。今回べルリン・フィルハーモニーに初登場。

前半の演目は珍しい曲。近年、ベルリン・フィルで演奏されていない曲と時間配分を考えて指揮者が選んだ2曲。(*インタヴューで選曲の様子を答えていた。)

〈PROGRAM〉
 R.シュトラウス:交響詩「マクベス」 op.23
 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第4番 ト短調 op.40
 ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 op.47

シュトラウスの最初の交響詩となる「マクベス」はベルリン・フィルの前回の演奏が2000年という。シェイクスピアの戯曲を基にしているが、ドラマティックな要素もなく何となくスムーズに20分ほどの曲が終わった感じがした。初めて耳にしたので曲の特徴がよく分からなかった所為もある。

ラフマニノフはピアノ協奏曲は第2・3番は名曲として演奏機会が多いが、第4番は最も頻度が少ない。1941年にラフマニノフ自身のピアノ演奏によるオーマンディ指揮フィラデルフィア管のCDで何度か耳にしているが、生で聴いたのは2011年清水和音が高関指揮札響と4曲全曲を弾いた時だけである。

今回のピアニストLeif Ove Andnes(レイフ・オヴェ・アンスネス)は1970年、ノルウエー出身の巨匠。92年にはベルリン・フィルにデビューして国際的に活躍して、十年ぐらい前から何度も来日しているが残念ながら彼の公演を生で聴いたことはない。アンスネスは2010-11年シーズン、ベルリン・フィルのアーティスト・イン・レジデンスを務め、ベルリン・フィルとの共演は数多いピアニスト。

1917年のロシア革命後にアメリカに亡命したラフマニノは演奏家としての活動が多くて、作品は余り残していない。代表作は「ピアノ協奏曲第4番」と「パガニーニの主題による狂詩曲」ぐらいである。
「第4番」は変奏曲の形式が使われるなど従来の曲とは違う革新的な試みがなされている。第1楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェ。オーケストラとピアノが一体となって壮大な音楽を奏でる。第2楽章はラルゴで静かな主題がピアノと弦で交互に紡がれ、素朴なメロディが流れる。第3楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェ。自由な形式によるラプソディ風の音楽。オーケストラの激しい響きに始まり、ピアノが主題を色彩豊かにいろいろに彩る。力強い響きでフィナーレ。

ピアノの名手アンスネスの比類ない美しさを湛えて情感が籠った演奏は聴衆を圧倒した。アンコールに「シベリウス:ロマンス」。北欧出身でグリーグで脚光を浴び、比較的に地味なデビューだったが今やベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲をマーラー・チェンバー・オーケストラと弾き振りするなどの活躍ぶりは実に頼もしい。アンコール曲に北欧の作曲家の作品を演奏したのも印象的だった。来札公演を期待したいピアニストである。

「ショスタコーヴィチ:交響曲第5番」は2011年の佐渡裕がベルリン・フィル・デビューで指揮した曲でもある。ベルリン・フィルは数年前にも演奏したらしいが、人気の大曲なので指揮者は腕の見せ所として選曲したと思われる。

戦前、戦中、戦後の社会主義国ソ連で生きたショスタコーヴィチは生涯に交響曲を15曲書いた。その中で最も演奏機会が多くて親しまれているのが「第5番」だと思う。ベートーヴェンの「第5番」を意識して作られた「マーラーの第5番」とともに20世紀後半以降では人気の作品。

ショスタコーヴィチはこの曲の発表前に彼の作品はソヴィエト共産党機関紙プラウダによって社会主義にふさわしくないと批判されて苦境に陥っていた。1937年の革命20周年記念演奏会の曲として作られたこの曲の初演で成功を収めて彼の名誉が回復された。“革命”という愛称がある「第5番」は英雄的曲想を持ち「苦悩から勝利へ」、「暗から明へ」と向かう様子が当時のソヴィエト連邦という社会主義国で好意的に受け止められた。ベートーヴェンやマーラーを意識して書き上げた作品かも知れない。
ショスタコーヴィチは極端な社会体制の下で友人を含めて多くの人々を失い苦悩していたが、「第5番」では抒情的な着想で書かれていて、明るい人生感、生きる喜びで結ばれている。人間性をテーマとした作品に仕上げているが、その後の作品でも社会体制に疑問を投げかける作品も多くあり、何処までが彼の本心かは分からない。
いずれにしても「第5番」はショスタコーヴィチの交響曲の中でも最も聴く機会が多くて各楽章に親しみのあるメロディも多くて、一番聴きやすい曲になっている。

オロスコ=エストラーダの指揮ぶりは初めて観たが若々しくて勢いがあり、オーケストラとの調和を図って楽団員の個性も生かしたようであった。(*ヴァイオリニストのインタヴューでの応答ぶりからも判断した。)

※当日のコンサートマスターは樫本大進で第2楽章での美しいソロ・パートの場面も観れて良かった。
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ビシュコフ指揮ベルリン・フィル「R.シュトラウス:英雄の生涯」&「ショスタコーヴィチ・チェロ協奏曲第1番(ゴーティエ・カプソン)」

セミョン・ビシュコフがベルリン・フィルハーモニーに登場。樫本大進がKitaraのステージに初登場したのが1998年10月でオーケストラはケルン放送交響楽団だった。1952年、レーニングラード生まれのビシュコフが97年にケルン放送響(現ケルンWDR交響楽団)の首席指揮者に就任して初の日本デビューの年だった。ビシュコフは74年に米国移住。84年にはニューヨーク・フィルにデビューして、アメリカ国内のメジャー・オーケストラを次々と客演指揮。85年にはベルリン・フィルに初登場。89年にパリ管の音楽監督も兼任して、2010年までWDR響を率いた。彼の指揮ぶりをじっくり観るのは約20年ぶり。
98年の札幌公演での演目はメンコンとマーラーの第5番だった。

2017年5月12日のベルリン・フィルの演奏曲目は「ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番(チェロ独奏:ゴーティエ・カプソン)」と「リヒャルト・シュトラウス:英雄の生涯」。

ショスタコーヴィチ(1906-75) とR.シュトラウス(1864-1949)は共に20世紀の政治状況に直面したが、対処の仕方が対照的な作曲家であったと思う。生まれた時代が違うことが、第ニ次世界大戦後の二人の作曲家の生涯を分けたのも事実であろう。

ショスタコーヴィチはスターリン時代のソヴィエト連邦の政治の悲劇に巻き込まれながら偉大な作曲家としての足跡を残した。第二次世界大戦前の創作前期には前衛的で斬新な作品を書いたが、大戦中や大戦後はスターリン体制の下で曖昧ながらも巧妙な政治批判を込めた作曲活動を行った。ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲を各2曲書いているが、ピアノ協奏曲第1番を除いて、全ての協奏曲は戦後に書かれた。これらの曲にはロマンティックな情感が織り込まれている。2曲のチェロ協奏曲は盟友ロストロポーヴィチに贈られた。「第1番」は1959年に書かれた作品で、全体に軽快な印象の曲で親しみやすい。1966年に書かれた時のソ連国内の政治状況を反映した「第2番」の重苦しい雰囲気とは違っている。

ゴーティエ・カプソンは1981年フランス生まれで、ヴァイオリニストの兄ルノー・カプソンと共に世界的に人気の高い演奏家である。十数前にアルゲリッチとアンサンブル、多分ピアノ三重奏曲で札幌で公演を行った。聴き逃したのが返す返すも残念である。今回、初めて聴いたが高度な技巧を駆使した颯爽とした演奏ぶりは実に見事であった。
ロストロポーヴィチのために書かれただけあって非常に技巧を要する曲で、ショスタコーヴィチの最初のチェロ協奏曲として世界的にも評価されたようである。管楽器がホルンだけで観ていなければ気づかなかったかもしれない。行進曲風の速いテンポで始まるが、やがて緩やかな抒情的な部分となり、長大なカデンツァが入り、壮大なフィナーレ。

「第1番」が作曲された前年の1958年、ショスタコーヴィチはイタリア最古のサンタ・チェチーリア音楽アカデミーの名誉会員に選ばれ、ヘルシンキではシベリウス記念国際賞を授与され、国内では第1回チャイコフスキー国際コンクール委員長として活躍していた。この年には再婚してある面で恵まれた作曲環境にあった。「第1番」には独裁社会の体制下で多くの友を失って生への不安も反映している場面もある。この曲の評判は良かったが、1966年作曲の「第2番」はソ連の体制の中で正当な評価を受けなかった。自分は「第2番」しかCDは持っていないが、落ち着いた雰囲気の内省的な作品でショスタコーヴィチらしさが出ている気がする。

アンコール曲は「カザルス:鳥の歌」。5人のチェロ奏者の前奏があって、その後にカプソンの独奏が入る形の演奏で心が洗われるようであった。馴染みの曲が奏でられてチェロのアンサンブルで新鮮なメロディとなって心に響いた。

R.シュトラウスは父の教育方針もあって音楽学校には行かずにミュンヘン大学で幅広い教養を身に着けて、作曲や指揮活動を行った。ベルリオーズやリストの影響を受けて、数多の交響詩を書いた。「ドン・ファン」、「死と変容」、「マクベス」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「ツァラストゥラはかく語りき」、「ドン・キホーテ」、「英雄の生涯」。

「英雄の生涯」は交響詩としての最後の作品で1898年に完成した。その後、シュトラウスは1949年に亡くなるまで交響詩と銘打った作品は書かなかった。
標題の「英雄」は作曲者自身を指す。曲は6つの部分から成り、切れ目なく演奏される。
「第1曲 英雄」は力強いユニゾンで雄々しく立ち上がるスケールの大きな英雄の主題。「第2曲 英雄の敵」は批評家や批判する敵がフルートやオーボエで現れるスケルツォでの調べ。酷評する人々の様子を木管で表現するが、英雄に一喝されておとなしくなる。「第3曲 英雄の妻」はソロ・ヴァイオリンによる優美な主題。孤独な英雄を慰める甘美な愛の世界が繰り広げられる。「第4曲 英雄の戦場」はトランペットのファンファーレ。敵との激しい戦いで、英雄は勝利を得る。「第5曲 英雄の業績」ではこれまでのシュトラウスの前述の作品のテーマが断片的に流れる。「第6曲 英雄の引退と完成」は英雄の幸福な晩年。平和な田園の様子。イングリッシュ・ホルン(*ヴォレンヴェーバーの演奏が心地良く響く)が羊飼いの笛を模しているようだ。音楽は安らぎを深め静かに満足げに終わる。

自分の死の50年前に自分自身を英雄として書き上げるとは恐れ入った。大変な自信家だがオペラを含め音楽の多くのジャンルにわたって偉大な作品を数多く残したリヒャルト・シュトラウスをより深く知りたいと思った。20年ほど前にKitaraで一度聴いたことがあるがタイトルを知っているだけで、その当時から音楽の内容は詳しくは知らなかった。(*彼は1940年、日本の紀元2600年に祝典音楽を依頼されて作曲。ネーメ・ヤルヴィがN響と共演した様子を聴いたことがある。)

シュトラウス自身は聴衆が45分もの交響曲を標題なしで聴くことの難しさから「標題音楽」として交響詩を書き続けたらしい。
テーマの知識はある程度あった方が良い場合もある。R.シュトラウスの音楽は比較的長い音楽が多いので、標題があった方が楽に聴ける。「家庭交響曲」、「アルプス交響曲」はタイトルだけで曲想が分かる。
自由に想像を膨らませて聴いたほうが良い音楽もあるので一概に標題音楽が素晴らしいとは必ずしも言えないのではないだろうか。

ビシュコフが約20年前の日本ツアーの2公演で「英雄の生涯」を演奏している。彼はシュトラウスに深い愛情を抱いているようで、ベルリン・フィルとは過去に「ドン・キホーテ」も共演している。今回はフィルハーモニーの聴衆も大絶賛の演奏会であった。

リヒャルト・シュトラウスは20世紀の独裁政治がもたらした悲劇や苦悩とは関わりのない人生を送ったようである。1945年にアメリカ兵がナチスの帝国音楽院総裁シュトラウスの邸宅を差し押さえに訪れた際に、彼は「私は“ばらの騎士”の作曲家です」と説明して彼らを追い払ったエピソードが伝わっている。(*歌劇「ばらの騎士」は一世を風靡したオペラ。今シーズン最後のMETライブビューイングで来月上映される。)

※今やベルリン・フィルのコンサートマスターを務めているDAISHINがKitaraのステージに初登場した時は彼は弱冠19歳だった。当時のドイツを代表する放送オーケストラのケルン放送響には3人の日本人首席奏者がいた。コンサートミストレスが四方恭子、オーボエ首席が宮本文昭、コントラバス首席が河原泰則。ヨーロッパのオーケストラは様々な国々の人々から構成されているが、今年ヨーロッパ公演旅行に出かけたN響は全員が日本人でレベルの高さを印象付けたようである。


ラトル指揮ベルリン・フィルによる「ブルックナー:交響曲第8番」

先週のデジタル・コンサートホールでヤンソンス指揮による「シべリウス交響曲第1番」、「ウェーバー:クラリネット協奏曲(ソリスト:アンドレアス・オッテンザマー)」「バルトーク:中国の不思議な役人」を聴いた。今週はラトル指揮の「ブルックナー交響曲第8番」。実は一昨日アーカイヴを観て感動したばかりである。

昨日の午後は北海道立近代美術館で開かれている「大原美術館展Ⅱ」を鑑賞。5年前の「大原美術館展Ⅰ」を思い出した。丁度20年前には倉敷に在る「大原美術館」を訪れたことを振り返り懐かし思い出が蘇った。「ルオー:道化師」や「岸田劉生:童女舞姿」は何となく記憶の隅にあった。1920年代を中心に描かれた50作家71点の作品を想像力を巡らしながら1時間ほど鑑賞した。
抽象画はもちろんであるが、具象画も自分なりにイマジネーションを広げながら観ると面白い。

音楽鑑賞も人それぞれで印象が違う。私自身は曲そのものだけでなく、作曲家、演奏家の生涯もコンサート前後に考えてみたりすることがよくある。
サイモン・ラトルとマリス・ヤンソンスがKitaraに来たのが1998年5月。確か20日と25日にそれぞれ初登場。ラトルはバーミンガム市響(ソリストがイダ・ヘンデル)、一方ヤンソンスはピッツバーグ響withミッシャ・マイスキー。当時は迷った末にヤンソンスの方を選んだ。この後、2人がアバドの後釜としてベルリン・フィル音楽監督の有力候補になっていた。ヤンソンスはこの時以来Kitaraには来ていないが、2004年にラトルはベルリン・フィルのシェフとして再びKitaraのステージに上がった。

Simon RattleのCDは2004年来日記念盤として発売されて購入した。ポピュラーな曲が11曲ほど収録されていて、何回も聴くほどではない。KRYSTIAN ZIMERMAN, LANG LANGとの共演でBERLINER PHILHARMONIKERとそれぞれ2005年と2013年にEUで制作された2枚のCD「ブラームス:ピアノ協奏曲第1番」、「プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番、バルトーク:ピアノ協奏曲第2番」の海外版は度々聴いている。
ラトルとヤンソンスの指揮の様子はNHKなどの放映で目にしても、ベルリン・フィルハーモニーでの指揮姿は珍しい。2週続けて彼らの姿を観てブログに書いておくことにした。

さて、ラトルは現在は余りポピュラーな曲は定期演奏会では指揮していないように思われる。ベルリン・フィルでは既にブルックナーの「第7番」と「第9番」は演奏済みだという。
私自身、ブルックナーは苦手の方だったが演奏会で耳にすると、それなりに親近感を覚えてきた。「第4番 ロマンティック」だけは聴きやすいと思っていたが、「第6番」は数年前の札響定期で聴いて面白いと思った。CDだけで1回耳にした程度では曲の良さが分からないのだろう。

「第8番」は十数年前にフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのCD(*1949年ライヴ録音)で1度は聴いていた。おととい聴いた80分強の曲は印象が強烈であった。特に第4楽章の壮大なオーケストラの総奏に魅せられた。フルートやオーボエ、クラリネット、ホルンなど馴染みの奏者の顔が分かることもあって演奏に夢中になった。珍しく、再び今日も聴いてみたくなった。

死を連想させる不気味な響きで始まる第1楽章はやがて様々な楽器の音がぶつかり合って諦めの気分が漂う。第2楽章はロマン的な軽やかな場面を想像させるスケルツォ。第3楽章は荘重でゆったりとしたアダージョ。弦楽合奏、木管合奏が入り、ホルンのみの旋律やチェロの壮麗な主題もあって聴きごたえ十分。4本のテューバの重々しい響きも聞こえた。
第4楽章が何と言っても壮大であった。トランペットのファンファーレは王の登場の合図だろうか。金管楽器は軍楽隊の音楽のようで勇ましかった。ホルン8本、ハープ3台の楽器編成など音楽の壮大さが伝わる。オーケストラのトッティを聴いていると心が浮き立つ。普段は比較的落ち着いた指揮ぶりのラトルもかなり力が入っていた。曲は圧倒的なフィナーレで閉じられた。(曲の終了後、余韻を味わってから盛大な拍手が沸き起こったことに聴衆のレヴェルの高さを感じた。)

※この大編成の曲の演奏機会が少ないのは当然だろうと思った。素晴らしい演奏を耳にできて良かった。また、別な機会にデジタル・コンサートホールのアーカイヴで聴いてみようと思う。

ベルリン・フィル次期首席指揮者ぺトレンコがモーツァルト&チャイコフスキーを指揮

今年からデジタル・コンサートホールを視聴している。2016年12月の7つのコンサートのうち視聴可能な3つはアーカイヴで1月に視聴した。2017年1月は4つのコンサートのうち3つを視聴した。オーケストラはベルリン・フィルとは必ずしも限らない。ベルリン・フィルのコンサートは2つで、ブロムシュテッドの指揮が強く印象に残った。プログラムは「バルトーク:ピアノ協奏曲第3番」(ピアノ:アンドラーシュ:シフ)と「ブラームス:交響曲第1番」。シフの姿を20年ぶりに見れて良かった。1997年の札幌コンサートホールの開館年にKitaraに来演して、彼自身がウィーンで選定したKitaraのベーゼンドルファーを弾いた。その後の彼の名声は一気に高まって今では世界有数のピアニストとして活躍し彼の弾くバルトークも知的で思慮にあふれたものであった。

ヘルベルト・ブロムシュテッドは2002年、05年と続けて2回ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管とKitaraに登場している。今年の11月にも同管との来札が予定されていて楽しみにしている大好きな指揮者。彼はN響公演がテレビ中継される際のインタービューでは演奏曲目のメロディを口ずさみながら実に楽しそうに細かく解説してくれる。今回の演奏後のインタビューで記憶に残るコメントがあった。“ハイドンやモーツァルトは第1楽章が重要であるが、ベートーヴェンやブラームスでは最終楽章が大事である”(*大まかな作曲家の特徴を掴むコメントとして印象に残った)。第2・3楽章を短くして終楽章を最高潮に盛り上げる生気溢れる指揮ぶりは89歳にして信じられないほどのダイナミックな曲の展開に改めてこの曲の良さを味わった。来日時には90歳を迎えている。健康を維持しての来演の実現を祈る気持である。

2月はラトル指揮の2つのコンサート。1つは「マーラー:交響曲第4番」とコパチンスカヤの「リゲティ:ヴァイオリン協奏曲」。もう一つはリゲティのオペラ「グラン・マカーブル」(演奏会形式)。マーラー「第4番」は今や聴きなれたメロディを持つお気に入りの曲になっている。ソプラノ独唱は2015年9月にアンネ・ソフィ・オッターと共にKitaraに来演したカミッラ・ティーリングだったので身近に楽しめた。ラトルは日本の公演では実施が不能と思われる演目の指揮を担当していることも多くて日本とヨーロッパの違いの大きさを感じる。オペラは一応観たが、面白いと思うまでには至らない。慣れていないアーカイブは時間の余裕ができればということで後回しになる。

3月は6つのコンサートに3つを鑑賞。メータ指揮の演奏会が2回。もう一つはぺトレンコ登場の演奏会。
ズービン・メータはイスラエル・フィル管を率いてKitaraに登場したのが2000年3月。Kitaraの開館当初数年は外国のオーケストラが続々と来演していた。毎月のように公演があって、この頃もロイヤル・コンセルトへボウ管、ドレスデン国立歌劇場管などがやって来てできるだけ安い席でほぼ全てのコンサートを聴いていた。メータの演奏会は一番安い席(76席分のP席)で1万円。ウイーン・フィルやベルリン・フィルを除いての話だが、現在でも一番安い席が万を超える記憶はない。P席は好んで座ったこともあり、オルガン左右のP席にも数度座ったことがあるが、メータの時は鑑賞に特に不便を感じなかった。今では懐かしい思い出である。

ズービン・メータはインド出身で小沢征爾と同世代で大の親友同士。メータが東日本大震災の折に示した日本への対応は真に愛情あふれるものであった。彼の姿はウィーン・フィルやN響共演の様子をテレビで観る機会も多い。今回のベルリン・フィルではインドの伝統民俗楽器奏者と「シター協奏曲」と「バルトーク:オーケストラのための協奏曲」。2回目の公演はイスラエル出身のヴァイオリンの巨匠ピンカス・ズーカーマンと共演して「エルガー:ヴァイオリン協奏曲」。エルガーの器楽曲で最長50分の演奏時間を持つ曲はズーカーマンの名演奏で聴きごたえ十分であった。もう1曲が「チャイコフスキー:交響曲第5番」で言うまでもない名曲の演奏だったが、オーボエを担当したヴォレンヴェーバーの音色にウットリ。高音質で聴くアーカイヴをたっぷり堪能した。

2015年10月にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団次期首席常任指揮者に選ばれていたキリル・ぺトレンコ(Kirill Petrenko)が発表以来はじめてベルリン・フィルハーモニーに登場したのが3月23日。
ぺトレンコは1972年ロシア出身。18歳の時にオーストリアに移住してウィーン国立大学に学ぶ。1999年マイニンゲン州立歌劇場音楽総監督、ベルリン・コーミッシェ・オーパー音楽監督(2002-07年)を歴任。09年ロイヤル・オペラで《ばらの騎士》を指揮し、10年リヨン劇場で《エフゲニー・オネーギン》、《スペードの女王》。13年バイロイト音楽祭でデビューを飾って「ニーベルングの指輪を指揮。2013-14シーズンからバイエルン国立歌劇場音楽監督に就任。15年ベルリン・フィル次期首席指揮者兼芸術監督に指名された。(*正式就任は2018年9月)

3月の最終回のコンサートの曲目は《モーツァルト:交響曲35番「ハフナー」》、《ジョン・アダムズ:バリトンと管弦楽のための「ウンド・ドレッサー」》、《チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」》。
指揮者の解釈と音楽性が如実に出る作品としてモーツァルトとチャイコフスキーが選曲されたようである。オーケストラのヨーロッパと指揮者の祖国ロシアを挟んでアメリカの現代曲。
ぺトレンコはCDを殆どリリースしていなく世界的には無名に近かったので、今回のデジタルコンサートでの演奏は一層注目された。ぺトレンコは個性的で独自の演奏を展開したと思う。数回のリハーサールを通して互いに求める音楽の目指す方向も見えてくのではないだろうか。指揮者と演奏家の相互理解を深めるうえでの良い事前演奏会となったようである。
今回のコンサートマスターは樫本大進が務めた。
モーツァルトでは樫本は時折指揮者に目をやりながら心配りをしている様子。明るい軽やかなモーツァルトらしい響きが広がっていた。アダムズの曲では金管・打楽器の音が印象的に響いた。弦楽が抑えながら響く物悲しい音楽に合わせてバリトンが伸び伸びと歌い続ける現代音楽。
チャイコフスキーになると指揮者の手の振り、体の動きが大きくなってオーケストラから求める音の表情もドラマティックな様相を呈した。特に第3楽章での力の入った指揮ぶり。第4楽章への切り替えも極めて巧みであった。

演奏終了後の聴衆の反応は好ましいもので、楽団員が全員ステージを去った後に、ぺトレンコが大拍手を受けてステージに出てきて一部の観客と交流する姿もあった。
楽員代表との30分ものインタビューで中庸の大切さを訴えるぺトレンコの言葉にベルリン・フィルの音を急に変えることは無さそうだと思った。べトレンコは今秋、バイエルン国立歌劇場公演で来日する。

ティーレマンのブルックナー「第7」&ブッフビンダーのベートーヴェン「第1」

ベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲のうち「第1番」は演奏会で聴いた記憶がない。CDでもギーゼキング、ギレリス、ルービンシュタインなどでそれぞれ1度聴いた程度で、バレンボイム&ベルリン・フィルで数回聴いたぐらい。1番と2番が収録されているCDは10年ぐらい前にブロンフマンのCDを購入したのが一番新しい記憶。
今日では世界のトップ・ピアニストの地位を占めているブッフビンダーのコンサートは今までに聴いたことがなかった。ティーレマンとの共演による12月17日のデジタル・コンサートは願ってもないプログラムだった。遅ればせながら先日やっと聴く機会を得た。

今年70歳を迎えるRudolf Buchbinderはチェコ生まれ。10歳の時にウィーンでベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第1番」を演奏してデビューしたというから当日の選曲も納得できる。聴く方も意外性があって良かった。翌年ウィーン三重奏団を組織して61年のミュンヘン国際コンクールの室内楽部門で優勝。ソロ、室内楽、歌曲伴奏と幅広い分野で活躍。75年ウィーン響のソリストとしての来日以来、たびたび来演しているようである。ベートーヴェンのソナタ全曲演奏会でも知られるという。

「第1番」は実際には第2番より後に作曲されたとされる。典型的な古典協奏曲のスタイルで書かれた作品はモーツァルトの影響を受けているように感じられた。同じ旋律の繰り返しも多いが、親しみやすいメロディアスな曲で心地よい響き。最近は第3~5番しか耳にすることがなかったが、第1楽章から懐かしい聴きなれたメロディでクラリネット、トランペット、ティンパニも加わって表現が広がっていて観ていて興味が深まった。明るく快活な調べが華やかなフィナーレとなる。
ウィーンの伝統的なスタイルを継承する正統派ピアニストとして、ベートーヴェンの他にブラームス、シューベルトも聴く機会が増えるだろう。

Christian Thielemannは歌劇場のコレぺティトゥーアの修業を積んで指揮者として大成した異色の経歴を持つ。ベルリン・ドイツ・オペラの音楽総監督(1997-2004)、ミュンヘン・フィル音楽監督(2004-11)、2012年からシュターカペレ・ドレスデン首席指揮者。この世界最古のオーケストラは創設が1548年。ドレスデン国立歌劇場の専属オーケストラでKitaraに2000年、02年の2回来演している。
ティーレマンはPMF1993年の来日後、テンシュテットの代役でシカゴ響、カルロス・クライバーの代役“ばらの騎士”でMETデビューと世界の脚光を浴びた。その後はウィーン・フィル、ベルリン・フィルに定期的に出演。バイロイト音楽祭でも事実上の音楽監督としての活躍。2013年ザルツブルク復活祭音楽祭芸術監督に就任(*カラヤン創設の音楽祭はベルリン・フィル音楽監督が芸術監督を務めるのが慣例であった)。とにかく彼は世界最高の指揮者の一人と言える活躍ぶりである。

12月10日のブルックナーのミサ曲に続いての「第7番」。これまでベルリン・フィルとは4番、8番を指揮しており交響曲としては3回目の共演。70分の大曲。ベートーヴェンとワーグナーの要素を備えながら独自の世界を切り開いた音楽のように思えるが、正直に言ってブルックナー(1824-96)の偉大さがよくは判っていない。第4番「ロマンティック」は聴く回数も増えて、2015年12月札響定期で聴いたポンマー指揮の第4番は解りやすく聴けた。作曲家がオルガニストであった雰囲気の響きもあった。
「第7番」は「第4番」とともにブルックナーの交響曲の中では比較的に理解しやすい曲。1884年ライプツィヒでの初演が大成功を収め、彼の作曲家としての評価が高まった。ワーグナーのようなオーケストレーション、オルガン的な重層和声など晩年の巨大で深遠な第8番や第9番に繋がったと考えられている。木管、特にテューバを含む金管楽器の響きに迫力があった。指揮者とオーケストラが真剣に対峙して曲に取り組む様子も伝わった。ティーレマンとオーケストラ全員の集中力と高度な演奏技術が上手くかみ合っているように思われた。
聴衆の集中度の高さは演奏終了後の余韻がおさまるまで拍手のフライイングがなかったことにも表れていた。拍手・大歓声で何度かのカーテンコールがあり、楽団員全員がステージを下りたあとも絶え間なく拍手が続いて、ティーレマンがステージに出てくるのを見て観客の満足度が推し量れた。

中継では様々な楽器演奏者の姿を映していた。日本人の第1ヴァイオリン町田琴和の姿もあった。ヴィオラ首席の清水直子、第2ヴァイオリンのイレーネ・イトウもベルリン・フィルのメンバーである。

演奏終了後のドイツ語のインタヴューが英訳されていた。ブルックナー・シリーズで指揮者としての名声を高めたギュンター・ヴァントの助言を引用して、ブルックナーを演奏するには別人格の人間になる必要があると語っていたのが特に印象に残った。

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fsuterry

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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