ティ-レマンとポリーニがショパンのピアノ協奏曲第1番で共演

2016年1月16日にポリーニがティ-レマン指揮ベルリン・フィルと共演してピアノ協奏曲第1番を弾いた情報を得て早速デジタル・コンサート・ホールを視聴した。
この2人は12年12月のベルリン・フィル演奏会でもモーツァルト協奏曲第21番で共演したという。11年にもシュターツカペレ・ドレスデンとブラームス協奏曲第1番を共演してライヴ・レコーディングを行っている間柄で相性が良いのだろう。

Maurizio Polliniは弱冠18歳で1960年ショパン国際ピアノ・コンクールに優勝。当時の審査委員長を務めた大ピアニストのルービンシュタインから“技巧的には、審査委員の誰よりも上手い”と絶賛された話は語り草として伝わっている。

ショパンのピアノ協奏曲第1番は1968年版ビクターLPレコードで聴き親しんだ。約30年間、レコードが擦り切れるほどまで愛聴した。ピアノはゲーリー・グラフマン(Graffman)で当時アメリカの中堅ピアニストでミュンシュ指揮ボストン響の演奏。99年に購入した最初のショパンのCDが偶々ポリーニ演奏の協奏曲第1番(*パウル・クレツキ指揮フィルハーモニア管)で1960年4月の録音。コンクール直後のロンドンでのライヴ録音でデビュー盤と言える。
今では自宅でこの「第1番」を聴くことは殆どないのでポリーニのCDのことはすっかり忘れていた。「第1番」はルービンシュタイン、ピリス、ツィメルマン、中村紘子、アルゲリッチ、キーシン、ブーニン、ユンディ・リなど12枚もあって、それぞれ数回耳にした程度である。

札幌コンサートホールには世界的に偉大な指揮者、演奏家が相次いで登場しているが、残念ながらポリーニの演奏をライヴで聴いたことが無かったので2012年11月に東京サントリーホールの演奏会に出かけた。ベートーヴェンのピアをノ・ソナタ第28番&第29番を聴いた。演奏会はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番~第32番と現代作曲家の曲を組み合わせて4日間開催された。その頃はポリーニ・パースぺクティヴとして数年間に亘って開催され、2012年は10月23日から11月14日まで室内楽公演も含めて開催された。
私が聴いた日は5割ぐらいの客入りだったが、初めてポリーニの演奏を聴いて胸が高鳴ったのを覚えている。70歳になってステージへの出入りは年齢を感じさせたが、鍵盤に向かった姿はきりりとして彼の真摯な演奏に聴衆は魅了された。緊張感を味わいながらも彼の音楽に集中した瞬間は今でも忘れられない。

今回のデジタル・コンサートホールでの姿はその時以来である。若い時は別にして、近年はショパンとポリーニを繋げて考えることは殆どなかった。特に「ピアノ協奏曲第1番」をポリーニが演奏会で弾くことは無いと思い込んでいた。フィルハーモニーでの聴衆も彼の演奏を大いに楽しんだようだった。カメラも通常のコンチェルトの際のカメラワークと違って、指揮者よりポリーニに焦点を当てていろんな角度から映像に収めていた。その分、たっぷりピアニストの表情や手の動きが見れた。
演奏中にコンサートマスターの樫本大進とスタブラヴァの姿も見え、演奏終了後にポリーニが彼らと握手をする姿も目に出来て良かった。
若手の華やかな演奏とは違って落ち着いた味わいのある演奏を鑑賞できた。1990年から5年ごとにショパン国際ピアノコンクール入賞者のガラ・コンサートを札幌で聴いているので20歳代前後の若いピアニストの演奏は聴き慣れている。ヴィルトオーゾが定期演奏会などで演奏曲目には選曲しそうにもないと思っていたので今回はある意味でとても新鮮だった。

ブログを書く前にポリーニが18歳で演奏した当時のCDを聴いてみた。現在の高品質のヘッドフォンで聴く音質と演奏の様子が見て取れる映像入りの音楽では少々違うとはいえ15年ぶりぐらいとなるCDもなかなか良かった。やはり名盤となっているのだろう。

スポンサーサイト

パールマン&バレンボイムの《ベートヴェン:ヴァイオリン協奏曲》

先月末にベルリン・フィルハーモニーからemailでnewsletterが届いた。1992年2月に本拠地のホールではなく、ジェンダルメンマルクトのシャウスピールハウスで行われた《パールマンとバレンボイム指揮ベルリン・フィルの「ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲」であった。PMFで忙しい最中であったが、映像で観るパールマンとバレンボイムの演奏をワクワクしながら聴いた。

イツァーク・パールマンは1991年9月に元北海道厚生年金開館でリサイタルを聴いた。ドビュッシーやフォーレのヴァイオリン・ソナタを弾いたが、この頃の思い出は余り記憶に残っていない。当時、演奏曲目の知識は全く持ち合わせていなかった。世界的なヴァイオリニストに憧れて聴きに出かけたようである。
Perlmanが98年3月のKitaraでリサイタルを開いた時の様子はかなり鮮明に記憶している。彼は幼少時に小児麻痺になり、下半身不随となるが、障害を克服して演奏家として世界の頂点を極めた。Kitaraでのプログラムはモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスのソナタ。完璧な技巧と艶やかで透き通った音質は表面的にしか音楽が分らない自分でも素晴らしいと感動したものである。
その後、来札の機会が無くて残念に思っていた。

ダニエル・バレンボイムは彼のCDをかなり所有していることもあって、早くからピアニストとしてファンになっていた。彼は今や世界の指揮界のトップに君陣して来日公演も多い。Kitara にはベルリン・シュターツカペレを率いて2005年2月に一度来演しただけである。彼の自信に溢れた堂々たる姿を見たのはその時の1回だけである。当時は「ベート―ヴェン:ピアノ協奏曲第2番」を弾き振りした。彼のピアノ演奏を聴けたのには満足した。交響曲は「マーラー:第5番」だった。今ではマーラーの曲の中で親しんでいる方だが、当時は鑑賞が難しかった。2曲共に余りポピュラーな曲でないこともあって、客の入りが少なかった。世界一流のオーケストラと指揮者を迎えて“もったいない”と思った印象が残っている。

この二人の指揮ぶりと演奏の様子をそれぞれ、20年、12年ぶりに観れて心も躍った。二人ともに現在は70代であるが、この映像では40代で当然ながら若々しく見えた。特にバレンボイムの姿が若々しくて生き生きとした指揮ぶりであった。パールマンの車椅子でのステージの出入りはKitaraでのコンサートの様子が眼前に浮かんだ。
ヴァイオリン協奏曲の中で最も親しまれたメロディを持つ偉大な曲の演奏はアッという間に終わってしまったが、素晴らしい演奏に引き込まれて生演奏を聴いているような感じさえした。

演奏中にはオーボエ奏者アルブレヒト・マイヤー(*試用期間中の来日公演の際に彼の様子を追っていたテレビ番組で彼の名をずっと記憶していて今では首席奏者)の初々しい入団早々の姿、当時の第一コンサートマスター安永徹も目に入って懐かしく思った。

ハイレゾ・ストリームで楽しむ[ラトル指揮《シベリウス交響曲全集》]

PMFコンサート鑑賞もオーケストラ演奏会を2つ残すだけとなったので、その合間にデジタル・コンサートホールを楽しむ余裕ができた。ベルリン・フィルも夏の休暇に入って定期コンサートは無い。
昨日、自主レーベル「ベルリン・フィル・レコーディングズ」のタイトルをハイレゾ・ストリームで聴いた。前衛的作曲家として解釈するラトルの名盤をCDを超える超高音質で楽しんだ。

Sir Simon Rattle は「シベリウスは最もエキサイティングで独創的な作曲家のひとり」と語っている。7つの交響曲にはシベリウスの多様な美しさが込められている。一度に7曲全部を聴いたのは初めてだった。

シべリウスをLPレコードで聴いたのは45年前で「交響曲第5番」と「フィンランディア」。ジョールジュ・プレートル指揮ニュー・フィルハーモニア管の演奏(*プレートルは98年にパリ管を率いてKitaraに出演した時に名を知った。世界的なオペラ指揮者で、コンサート指揮には余り関わっていなくて日本での知名度は低かった。08年のウィ-ン・フィルのニューイヤーコンサートに出演した時はヨーロッパでも驚きをもって報じられた。世界の一流歌劇場で活躍してカラスとの共演も多く、私もオペラ全集に彼が指揮するCDがあるのに気づいたのは10年前)。
CDで聴き始めた頃の2000年にカラヤン指揮ベルリン・フィルの「交響曲第2番とフィンランディア」がシベリウスとの2度目の出会い。実質的にシベリウスの交響曲で一番身近なのはカラヤンの曲に親しんだ以降であった。この年のエジプト旅行の長時間の機内では偶々フィンランドの俊英指揮者ユッカ=ペッカ・サラステの音楽を何度も聴いた。その影響で彼のCDが目に留まり、帰国後にサラステ指揮フィンランド放送響の「交響曲第1番」、「交響曲第5・7番」を続けて聴くようになった。(*サラステとサロネンはほぼ同年代のフィンランド出身の世界的指揮者だが、現在は差がついたようである。)

その後にジョン・バルビローリやコリン・デイヴィスの輸入盤も手にして他の交響曲なども度々耳にした。ヴァイオリン協奏曲はもちろん数枚あり、お気に入りである。
シベリウスの生誕150年を祝う札響演奏会では当時の尾高忠明音楽監督が《シベリウス交響曲シリーズ》を年1回公演で3年掛けて達成した。それぞれ充実した演奏会となり、一気に連続しての公演とは違う味わいのあるツィクルスになっていたことを思い出す。その時のライヴ録音でのCD「第1・3番」、「第4・5番」の2枚のCDは記念に買い求めた。シベリウスが気に入って、その後、デイヴィス指揮ロンドン響の7CDがSONY MUSICから廉価版で発売されていて手にした。

それから2年余りが経ったが、丁度、今までにない新たな聴き方が出来た折に、長くなったが過去を振り返ってみた。

デジタル・コンサートでは音量の素晴らしさを味わうと同時に、演奏者の姿を観ながら鑑賞している。今回は音にだけ集中して聴くことになった。第1番と第2番はやはりフィンランド独立に向けてのフィンランド国民の気持ちに寄り添った音楽であった。シベリウスが40歳~60歳に掛けて作曲した第3番以降は作曲環境がガラリと変わっている。1904年にはヘルシンキでの生活の煩雑さを逃れて別荘を建てて生涯の隠遁生活に入った。第3番を書いたのは1907年で第7番の完成は1924年、29年以降、亡くなる57年まで筆を折ったと言われている。

第3番は内省的で楽章数も3つに減って、楽器編成も小さくなり、シンプルで明解になった。第4番は4楽章構成だが、室内楽的な雰囲気で、作曲家自身は“精神的交響曲”と呼んでいる。第5番はシベリウスの50歳を祝う国を挙げての記念演奏会のために作曲され、シベリウスの指揮で初演が行われた。北欧の壮大な自然を感じさせるスケールの大きさと華やかさを持った曲。第2番とともに人気のある作品。
第6番は宗教的な敬虔さが漂う曲。この曲は殆ど聴いたことがなくて札響演奏会で初めて耳にした感じだった。今回で3回目だろう。第7番は最初の3楽章の構想を変えて単一楽章となり、ほかのCDでもそうなっている。ところが、今回のハイレゾでの案内では4楽章のように配分されていた。①Adagio、②Vivacissimo Adagio、③Allegro molto moderato---Allegro moderato、④Vivace---Presto---Adagio---Largamente molto---Affettuoso。切れ目なく演奏されていたので、一般の楽章とは違うのだろうが、表記の仕方が普通とは違っていたので不思議に思った。いずれにしても第7番は伝統的な交響曲の楽章分割や、テーマのグループ分けや調の関係に従っていない。形式的には新しい試みを行った曲と思われる。

全7曲に北欧の自然が描かれていて、シベリウスらしい美しい旋律が多く、ヴァイオリンが得意な作曲家らしい面も感じ取れた。デジタル・コンサートホールの会員なので無料配信で聴けたが、珍しい体験をした。

ラトル指揮ベルリン・フィル今シーズン最後の演奏会(セレナード)

サー・サイモン・ラトルが指揮する2016-17年シーズン最後のベルリン・フィル演奏会が6月24日に行われた。テーマは《セレナード》。ドヴォルザークの「管楽セレナード」とブラームスの「セレナード第2番」。2曲の間に現代音楽の作曲家ターネイジの曲を挟んだ。
3曲ともヴァイオリンが使われない極めて珍しい楽器編成の演奏会。

〈Program〉
 ドヴォルザーク:管楽セレナード ニ短調
 ターネイジ:リメンバリング
 ブラームス:セレナード 第2番

セレナードは18世紀には宮廷音楽として貴族たちに親しまれていたが、ロマン派時代からシンフォニックな色彩を持つようになって人気を得たようである。
「管楽セレナード」は低音の弦楽器と管楽器という典型的な楽器編成。チェロとコントラバス各1、オーボエ2、ファゴット3、クラリネット2、ホルン3。ドヴォルザークならではのメロディに包まれた色彩感にあふれた曲だった。PMFで顔なじみの奏者が多くて、柔らかい音楽に直ぐ溶け込めた。4楽章構成で30分ほどの曲はあっという間に終った。

Mark-Anthony Turnageは初めて聞く名。調べてみると、イギリスの現代音楽作曲家。モダン・ジャズにに強く影響を受け、同世代の有名なヴァイオリニスト、ナイジェル・ケネディ(*2001年にベルリン・フィルのメンバーとともにKitaraに登場して新鮮なバッハ演奏で強烈な印象を残した)と交流があるという。クラシック風の曲で、比較的に聴きやすい現代音楽だった。ヴァイオリンを用いてない曲ということもあって、全体の統一性を保つためもあって選曲されたのだろう。“Remembering”というタイトルは亡き友の追憶が込められた作品らしい。
後で気づいたのだが、先月の〈N響 Music Tomorrow 2017〉のコンサートで、一柳慧、池辺晋一郎の作品とともにターネイジのピアノ協奏曲が東京オペラシテイで演奏されたようである。を

ブラームスは25・6歳の時にセレナードを2曲書いた。ベートーヴェンの影響で交響曲に着手していても完成するには20年も待たねばならなかった。初めての管弦楽曲がピアノ協奏曲で25歳の時の作品で、交響曲は避けていたようである。この「セレナード第2番」は初めて聴くと思う。2管編成の小編成であるが、ハープや打楽器も使われた。やはり、弦でヴァイオリンがないのが特徴。5楽章構成の約40分の曲はロマンティックであるが、ヴァイオリンが無い弦楽群だけでは何となく落ち着かなかった。暗さの雰囲気を出すにのに高音域楽器を避けたのだろうか。ブラームスの特徴は出ていて、大規模な室内楽作品ともいえるが交響曲のような内容を持っていた。

大曲や名曲だけでなく、ヴァイオリンなしの特徴的なセレナードが聴けて良かった。
 


オロスコ=エストラーダがベルリン・フィルでデビュー(ショスタコーヴィチ:交響曲第5番)

昨夕は妻と映画鑑賞。それぞれの趣味を中心に生活しているので一緒に外出することは稀である。6月10日封切の映画「光をくれた人」の試写会が劇場公開に先立って朝日新聞北海道支社主催で開催された。Asahi Family Clubのメンバーで毎年のように映画上映会や講演会に応募して参加していたが最近は久しぶりである。映画は平日の都合の良い時間帯に鑑賞していて、夕方に観ることはない。今回は妻が応募して招待状が届き、偶々時間が空いていたので一緒に出掛けた。
“The Light Between Oceans”はアメリカ・オーストラリア・ニュージーランドの合作映画で灯台守が主人公の物語。オーストラリアの孤島に暮らす孤独な灯台守が妻を迎えて幸せに暮し始めるが、ある出来事が彼らの人生を狂わせる。お互いの愛が人々の心を揺さぶるラブストーリー。一見の価値がある映画である。

昨日の午後は5月開催の3つのデジタル・コンサートホールの最終コンサートを視聴した。
客演指揮者Orozco-Estrada(アンドレス・オロスコ=エストラーダ)は1977年コロンビア出身。若手の俊英指揮者として注目されて既に日本でも客演している。現在、フランクフルトhr響、ヒューストン響の首席指揮者、ロンドン・フィルの首席客演指揮者。今回べルリン・フィルハーモニーに初登場。

前半の演目は珍しい曲。近年、ベルリン・フィルで演奏されていない曲と時間配分を考えて指揮者が選んだ2曲。(*インタヴューで選曲の様子を答えていた。)

〈PROGRAM〉
 R.シュトラウス:交響詩「マクベス」 op.23
 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第4番 ト短調 op.40
 ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 op.47

シュトラウスの最初の交響詩となる「マクベス」はベルリン・フィルの前回の演奏が2000年という。シェイクスピアの戯曲を基にしているが、ドラマティックな要素もなく何となくスムーズに20分ほどの曲が終わった感じがした。初めて耳にしたので曲の特徴がよく分からなかった所為もある。

ラフマニノフはピアノ協奏曲は第2・3番は名曲として演奏機会が多いが、第4番は最も頻度が少ない。1941年にラフマニノフ自身のピアノ演奏によるオーマンディ指揮フィラデルフィア管のCDで何度か耳にしているが、生で聴いたのは2011年清水和音が高関指揮札響と4曲全曲を弾いた時だけである。

今回のピアニストLeif Ove Andnes(レイフ・オヴェ・アンスネス)は1970年、ノルウエー出身の巨匠。92年にはベルリン・フィルにデビューして国際的に活躍して、十年ぐらい前から何度も来日しているが残念ながら彼の公演を生で聴いたことはない。アンスネスは2010-11年シーズン、ベルリン・フィルのアーティスト・イン・レジデンスを務め、ベルリン・フィルとの共演は数多いピアニスト。

1917年のロシア革命後にアメリカに亡命したラフマニノは演奏家としての活動が多くて、作品は余り残していない。代表作は「ピアノ協奏曲第4番」と「パガニーニの主題による狂詩曲」ぐらいである。
「第4番」は変奏曲の形式が使われるなど従来の曲とは違う革新的な試みがなされている。第1楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェ。オーケストラとピアノが一体となって壮大な音楽を奏でる。第2楽章はラルゴで静かな主題がピアノと弦で交互に紡がれ、素朴なメロディが流れる。第3楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェ。自由な形式によるラプソディ風の音楽。オーケストラの激しい響きに始まり、ピアノが主題を色彩豊かにいろいろに彩る。力強い響きでフィナーレ。

ピアノの名手アンスネスの比類ない美しさを湛えて情感が籠った演奏は聴衆を圧倒した。アンコールに「シベリウス:ロマンス」。北欧出身でグリーグで脚光を浴び、比較的に地味なデビューだったが今やベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲をマーラー・チェンバー・オーケストラと弾き振りするなどの活躍ぶりは実に頼もしい。アンコール曲に北欧の作曲家の作品を演奏したのも印象的だった。来札公演を期待したいピアニストである。

「ショスタコーヴィチ:交響曲第5番」は2011年の佐渡裕がベルリン・フィル・デビューで指揮した曲でもある。ベルリン・フィルは数年前にも演奏したらしいが、人気の大曲なので指揮者は腕の見せ所として選曲したと思われる。

戦前、戦中、戦後の社会主義国ソ連で生きたショスタコーヴィチは生涯に交響曲を15曲書いた。その中で最も演奏機会が多くて親しまれているのが「第5番」だと思う。ベートーヴェンの「第5番」を意識して作られた「マーラーの第5番」とともに20世紀後半以降では人気の作品。

ショスタコーヴィチはこの曲の発表前に彼の作品はソヴィエト共産党機関紙プラウダによって社会主義にふさわしくないと批判されて苦境に陥っていた。1937年の革命20周年記念演奏会の曲として作られたこの曲の初演で成功を収めて彼の名誉が回復された。“革命”という愛称がある「第5番」は英雄的曲想を持ち「苦悩から勝利へ」、「暗から明へ」と向かう様子が当時のソヴィエト連邦という社会主義国で好意的に受け止められた。ベートーヴェンやマーラーを意識して書き上げた作品かも知れない。
ショスタコーヴィチは極端な社会体制の下で友人を含めて多くの人々を失い苦悩していたが、「第5番」では抒情的な着想で書かれていて、明るい人生感、生きる喜びで結ばれている。人間性をテーマとした作品に仕上げているが、その後の作品でも社会体制に疑問を投げかける作品も多くあり、何処までが彼の本心かは分からない。
いずれにしても「第5番」はショスタコーヴィチの交響曲の中でも最も聴く機会が多くて各楽章に親しみのあるメロディも多くて、一番聴きやすい曲になっている。

オロスコ=エストラーダの指揮ぶりは初めて観たが若々しくて勢いがあり、オーケストラとの調和を図って楽団員の個性も生かしたようであった。(*ヴァイオリニストのインタヴューでの応答ぶりからも判断した。)

※当日のコンサートマスターは樫本大進で第2楽章での美しいソロ・パートの場面も観れて良かった。

ビシュコフ指揮ベルリン・フィル「R.シュトラウス:英雄の生涯」&「ショスタコーヴィチ・チェロ協奏曲第1番(ゴーティエ・カプソン)」

セミョン・ビシュコフがベルリン・フィルハーモニーに登場。樫本大進がKitaraのステージに初登場したのが1998年10月でオーケストラはケルン放送交響楽団だった。1952年、レーニングラード生まれのビシュコフが97年にケルン放送響(現ケルンWDR交響楽団)の首席指揮者に就任して初の日本デビューの年だった。ビシュコフは74年に米国移住。84年にはニューヨーク・フィルにデビューして、アメリカ国内のメジャー・オーケストラを次々と客演指揮。85年にはベルリン・フィルに初登場。89年にパリ管の音楽監督も兼任して、2010年までWDR響を率いた。彼の指揮ぶりをじっくり観るのは約20年ぶり。
98年の札幌公演での演目はメンコンとマーラーの第5番だった。

2017年5月12日のベルリン・フィルの演奏曲目は「ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番(チェロ独奏:ゴーティエ・カプソン)」と「リヒャルト・シュトラウス:英雄の生涯」。

ショスタコーヴィチ(1906-75) とR.シュトラウス(1864-1949)は共に20世紀の政治状況に直面したが、対処の仕方が対照的な作曲家であったと思う。生まれた時代が違うことが、第ニ次世界大戦後の二人の作曲家の生涯を分けたのも事実であろう。

ショスタコーヴィチはスターリン時代のソヴィエト連邦の政治の悲劇に巻き込まれながら偉大な作曲家としての足跡を残した。第二次世界大戦前の創作前期には前衛的で斬新な作品を書いたが、大戦中や大戦後はスターリン体制の下で曖昧ながらも巧妙な政治批判を込めた作曲活動を行った。ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲を各2曲書いているが、ピアノ協奏曲第1番を除いて、全ての協奏曲は戦後に書かれた。これらの曲にはロマンティックな情感が織り込まれている。2曲のチェロ協奏曲は盟友ロストロポーヴィチに贈られた。「第1番」は1959年に書かれた作品で、全体に軽快な印象の曲で親しみやすい。1966年に書かれた時のソ連国内の政治状況を反映した「第2番」の重苦しい雰囲気とは違っている。

ゴーティエ・カプソンは1981年フランス生まれで、ヴァイオリニストの兄ルノー・カプソンと共に世界的に人気の高い演奏家である。十数前にアルゲリッチとアンサンブル、多分ピアノ三重奏曲で札幌で公演を行った。聴き逃したのが返す返すも残念である。今回、初めて聴いたが高度な技巧を駆使した颯爽とした演奏ぶりは実に見事であった。
ロストロポーヴィチのために書かれただけあって非常に技巧を要する曲で、ショスタコーヴィチの最初のチェロ協奏曲として世界的にも評価されたようである。管楽器がホルンだけで観ていなければ気づかなかったかもしれない。行進曲風の速いテンポで始まるが、やがて緩やかな抒情的な部分となり、長大なカデンツァが入り、壮大なフィナーレ。

「第1番」が作曲された前年の1958年、ショスタコーヴィチはイタリア最古のサンタ・チェチーリア音楽アカデミーの名誉会員に選ばれ、ヘルシンキではシベリウス記念国際賞を授与され、国内では第1回チャイコフスキー国際コンクール委員長として活躍していた。この年には再婚してある面で恵まれた作曲環境にあった。「第1番」には独裁社会の体制下で多くの友を失って生への不安も反映している場面もある。この曲の評判は良かったが、1966年作曲の「第2番」はソ連の体制の中で正当な評価を受けなかった。自分は「第2番」しかCDは持っていないが、落ち着いた雰囲気の内省的な作品でショスタコーヴィチらしさが出ている気がする。

アンコール曲は「カザルス:鳥の歌」。5人のチェロ奏者の前奏があって、その後にカプソンの独奏が入る形の演奏で心が洗われるようであった。馴染みの曲が奏でられてチェロのアンサンブルで新鮮なメロディとなって心に響いた。

R.シュトラウスは父の教育方針もあって音楽学校には行かずにミュンヘン大学で幅広い教養を身に着けて、作曲や指揮活動を行った。ベルリオーズやリストの影響を受けて、数多の交響詩を書いた。「ドン・ファン」、「死と変容」、「マクベス」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「ツァラストゥラはかく語りき」、「ドン・キホーテ」、「英雄の生涯」。

「英雄の生涯」は交響詩としての最後の作品で1898年に完成した。その後、シュトラウスは1949年に亡くなるまで交響詩と銘打った作品は書かなかった。
標題の「英雄」は作曲者自身を指す。曲は6つの部分から成り、切れ目なく演奏される。
「第1曲 英雄」は力強いユニゾンで雄々しく立ち上がるスケールの大きな英雄の主題。「第2曲 英雄の敵」は批評家や批判する敵がフルートやオーボエで現れるスケルツォでの調べ。酷評する人々の様子を木管で表現するが、英雄に一喝されておとなしくなる。「第3曲 英雄の妻」はソロ・ヴァイオリンによる優美な主題。孤独な英雄を慰める甘美な愛の世界が繰り広げられる。「第4曲 英雄の戦場」はトランペットのファンファーレ。敵との激しい戦いで、英雄は勝利を得る。「第5曲 英雄の業績」ではこれまでのシュトラウスの前述の作品のテーマが断片的に流れる。「第6曲 英雄の引退と完成」は英雄の幸福な晩年。平和な田園の様子。イングリッシュ・ホルン(*ヴォレンヴェーバーの演奏が心地良く響く)が羊飼いの笛を模しているようだ。音楽は安らぎを深め静かに満足げに終わる。

自分の死の50年前に自分自身を英雄として書き上げるとは恐れ入った。大変な自信家だがオペラを含め音楽の多くのジャンルにわたって偉大な作品を数多く残したリヒャルト・シュトラウスをより深く知りたいと思った。20年ほど前にKitaraで一度聴いたことがあるがタイトルを知っているだけで、その当時から音楽の内容は詳しくは知らなかった。(*彼は1940年、日本の紀元2600年に祝典音楽を依頼されて作曲。ネーメ・ヤルヴィがN響と共演した様子を聴いたことがある。)

シュトラウス自身は聴衆が45分もの交響曲を標題なしで聴くことの難しさから「標題音楽」として交響詩を書き続けたらしい。
テーマの知識はある程度あった方が良い場合もある。R.シュトラウスの音楽は比較的長い音楽が多いので、標題があった方が楽に聴ける。「家庭交響曲」、「アルプス交響曲」はタイトルだけで曲想が分かる。
自由に想像を膨らませて聴いたほうが良い音楽もあるので一概に標題音楽が素晴らしいとは必ずしも言えないのではないだろうか。

ビシュコフが約20年前の日本ツアーの2公演で「英雄の生涯」を演奏している。彼はシュトラウスに深い愛情を抱いているようで、ベルリン・フィルとは過去に「ドン・キホーテ」も共演している。今回はフィルハーモニーの聴衆も大絶賛の演奏会であった。

リヒャルト・シュトラウスは20世紀の独裁政治がもたらした悲劇や苦悩とは関わりのない人生を送ったようである。1945年にアメリカ兵がナチスの帝国音楽院総裁シュトラウスの邸宅を差し押さえに訪れた際に、彼は「私は“ばらの騎士”の作曲家です」と説明して彼らを追い払ったエピソードが伝わっている。(*歌劇「ばらの騎士」は一世を風靡したオペラ。今シーズン最後のMETライブビューイングで来月上映される。)

※今やベルリン・フィルのコンサートマスターを務めているDAISHINがKitaraのステージに初登場した時は彼は弱冠19歳だった。当時のドイツを代表する放送オーケストラのケルン放送響には3人の日本人首席奏者がいた。コンサートミストレスが四方恭子、オーボエ首席が宮本文昭、コントラバス首席が河原泰則。ヨーロッパのオーケストラは様々な国々の人々から構成されているが、今年ヨーロッパ公演旅行に出かけたN響は全員が日本人でレベルの高さを印象付けたようである。


ラトル指揮ベルリン・フィルによる「ブルックナー:交響曲第8番」

先週のデジタル・コンサートホールでヤンソンス指揮による「シべリウス交響曲第1番」、「ウェーバー:クラリネット協奏曲(ソリスト:アンドレアス・オッテンザマー)」「バルトーク:中国の不思議な役人」を聴いた。今週はラトル指揮の「ブルックナー交響曲第8番」。実は一昨日アーカイヴを観て感動したばかりである。

昨日の午後は北海道立近代美術館で開かれている「大原美術館展Ⅱ」を鑑賞。5年前の「大原美術館展Ⅰ」を思い出した。丁度20年前には倉敷に在る「大原美術館」を訪れたことを振り返り懐かし思い出が蘇った。「ルオー:道化師」や「岸田劉生:童女舞姿」は何となく記憶の隅にあった。1920年代を中心に描かれた50作家71点の作品を想像力を巡らしながら1時間ほど鑑賞した。
抽象画はもちろんであるが、具象画も自分なりにイマジネーションを広げながら観ると面白い。

音楽鑑賞も人それぞれで印象が違う。私自身は曲そのものだけでなく、作曲家、演奏家の生涯もコンサート前後に考えてみたりすることがよくある。
サイモン・ラトルとマリス・ヤンソンスがKitaraに来たのが1998年5月。確か20日と25日にそれぞれ初登場。ラトルはバーミンガム市響(ソリストがイダ・ヘンデル)、一方ヤンソンスはピッツバーグ響withミッシャ・マイスキー。当時は迷った末にヤンソンスの方を選んだ。この後、2人がアバドの後釜としてベルリン・フィル音楽監督の有力候補になっていた。ヤンソンスはこの時以来Kitaraには来ていないが、2004年にラトルはベルリン・フィルのシェフとして再びKitaraのステージに上がった。

Simon RattleのCDは2004年来日記念盤として発売されて購入した。ポピュラーな曲が11曲ほど収録されていて、何回も聴くほどではない。KRYSTIAN ZIMERMAN, LANG LANGとの共演でBERLINER PHILHARMONIKERとそれぞれ2005年と2013年にEUで制作された2枚のCD「ブラームス:ピアノ協奏曲第1番」、「プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番、バルトーク:ピアノ協奏曲第2番」の海外版は度々聴いている。
ラトルとヤンソンスの指揮の様子はNHKなどの放映で目にしても、ベルリン・フィルハーモニーでの指揮姿は珍しい。2週続けて彼らの姿を観てブログに書いておくことにした。

さて、ラトルは現在は余りポピュラーな曲は定期演奏会では指揮していないように思われる。ベルリン・フィルでは既にブルックナーの「第7番」と「第9番」は演奏済みだという。
私自身、ブルックナーは苦手の方だったが演奏会で耳にすると、それなりに親近感を覚えてきた。「第4番 ロマンティック」だけは聴きやすいと思っていたが、「第6番」は数年前の札響定期で聴いて面白いと思った。CDだけで1回耳にした程度では曲の良さが分からないのだろう。

「第8番」は十数年前にフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのCD(*1949年ライヴ録音)で1度は聴いていた。おととい聴いた80分強の曲は印象が強烈であった。特に第4楽章の壮大なオーケストラの総奏に魅せられた。フルートやオーボエ、クラリネット、ホルンなど馴染みの奏者の顔が分かることもあって演奏に夢中になった。珍しく、再び今日も聴いてみたくなった。

死を連想させる不気味な響きで始まる第1楽章はやがて様々な楽器の音がぶつかり合って諦めの気分が漂う。第2楽章はロマン的な軽やかな場面を想像させるスケルツォ。第3楽章は荘重でゆったりとしたアダージョ。弦楽合奏、木管合奏が入り、ホルンのみの旋律やチェロの壮麗な主題もあって聴きごたえ十分。4本のテューバの重々しい響きも聞こえた。
第4楽章が何と言っても壮大であった。トランペットのファンファーレは王の登場の合図だろうか。金管楽器は軍楽隊の音楽のようで勇ましかった。ホルン8本、ハープ3台の楽器編成など音楽の壮大さが伝わる。オーケストラのトッティを聴いていると心が浮き立つ。普段は比較的落ち着いた指揮ぶりのラトルもかなり力が入っていた。曲は圧倒的なフィナーレで閉じられた。(曲の終了後、余韻を味わってから盛大な拍手が沸き起こったことに聴衆のレヴェルの高さを感じた。)

※この大編成の曲の演奏機会が少ないのは当然だろうと思った。素晴らしい演奏を耳にできて良かった。また、別な機会にデジタル・コンサートホールのアーカイヴで聴いてみようと思う。

ベルリン・フィル次期首席指揮者ぺトレンコがモーツァルト&チャイコフスキーを指揮

今年からデジタル・コンサートホールを視聴している。2016年12月の7つのコンサートのうち視聴可能な3つはアーカイヴで1月に視聴した。2017年1月は4つのコンサートのうち3つを視聴した。オーケストラはベルリン・フィルとは必ずしも限らない。ベルリン・フィルのコンサートは2つで、ブロムシュテッドの指揮が強く印象に残った。プログラムは「バルトーク:ピアノ協奏曲第3番」(ピアノ:アンドラーシュ:シフ)と「ブラームス:交響曲第1番」。シフの姿を20年ぶりに見れて良かった。1997年の札幌コンサートホールの開館年にKitaraに来演して、彼自身がウィーンで選定したKitaraのベーゼンドルファーを弾いた。その後の彼の名声は一気に高まって今では世界有数のピアニストとして活躍し彼の弾くバルトークも知的で思慮にあふれたものであった。

ヘルベルト・ブロムシュテッドは2002年、05年と続けて2回ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管とKitaraに登場している。今年の11月にも同管との来札が予定されていて楽しみにしている大好きな指揮者。彼はN響公演がテレビ中継される際のインタービューでは演奏曲目のメロディを口ずさみながら実に楽しそうに細かく解説してくれる。今回の演奏後のインタビューで記憶に残るコメントがあった。“ハイドンやモーツァルトは第1楽章が重要であるが、ベートーヴェンやブラームスでは最終楽章が大事である”(*大まかな作曲家の特徴を掴むコメントとして印象に残った)。第2・3楽章を短くして終楽章を最高潮に盛り上げる生気溢れる指揮ぶりは89歳にして信じられないほどのダイナミックな曲の展開に改めてこの曲の良さを味わった。来日時には90歳を迎えている。健康を維持しての来演の実現を祈る気持である。

2月はラトル指揮の2つのコンサート。1つは「マーラー:交響曲第4番」とコパチンスカヤの「リゲティ:ヴァイオリン協奏曲」。もう一つはリゲティのオペラ「グラン・マカーブル」(演奏会形式)。マーラー「第4番」は今や聴きなれたメロディを持つお気に入りの曲になっている。ソプラノ独唱は2015年9月にアンネ・ソフィ・オッターと共にKitaraに来演したカミッラ・ティーリングだったので身近に楽しめた。ラトルは日本の公演では実施が不能と思われる演目の指揮を担当していることも多くて日本とヨーロッパの違いの大きさを感じる。オペラは一応観たが、面白いと思うまでには至らない。慣れていないアーカイブは時間の余裕ができればということで後回しになる。

3月は6つのコンサートに3つを鑑賞。メータ指揮の演奏会が2回。もう一つはぺトレンコ登場の演奏会。
ズービン・メータはイスラエル・フィル管を率いてKitaraに登場したのが2000年3月。Kitaraの開館当初数年は外国のオーケストラが続々と来演していた。毎月のように公演があって、この頃もロイヤル・コンセルトへボウ管、ドレスデン国立歌劇場管などがやって来てできるだけ安い席でほぼ全てのコンサートを聴いていた。メータの演奏会は一番安い席(76席分のP席)で1万円。ウイーン・フィルやベルリン・フィルを除いての話だが、現在でも一番安い席が万を超える記憶はない。P席は好んで座ったこともあり、オルガン左右のP席にも数度座ったことがあるが、メータの時は鑑賞に特に不便を感じなかった。今では懐かしい思い出である。

ズービン・メータはインド出身で小沢征爾と同世代で大の親友同士。メータが東日本大震災の折に示した日本への対応は真に愛情あふれるものであった。彼の姿はウィーン・フィルやN響共演の様子をテレビで観る機会も多い。今回のベルリン・フィルではインドの伝統民俗楽器奏者と「シター協奏曲」と「バルトーク:オーケストラのための協奏曲」。2回目の公演はイスラエル出身のヴァイオリンの巨匠ピンカス・ズーカーマンと共演して「エルガー:ヴァイオリン協奏曲」。エルガーの器楽曲で最長50分の演奏時間を持つ曲はズーカーマンの名演奏で聴きごたえ十分であった。もう1曲が「チャイコフスキー:交響曲第5番」で言うまでもない名曲の演奏だったが、オーボエを担当したヴォレンヴェーバーの音色にウットリ。高音質で聴くアーカイヴをたっぷり堪能した。

2015年10月にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団次期首席常任指揮者に選ばれていたキリル・ぺトレンコ(Kirill Petrenko)が発表以来はじめてベルリン・フィルハーモニーに登場したのが3月23日。
ぺトレンコは1972年ロシア出身。18歳の時にオーストリアに移住してウィーン国立大学に学ぶ。1999年マイニンゲン州立歌劇場音楽総監督、ベルリン・コーミッシェ・オーパー音楽監督(2002-07年)を歴任。09年ロイヤル・オペラで《ばらの騎士》を指揮し、10年リヨン劇場で《エフゲニー・オネーギン》、《スペードの女王》。13年バイロイト音楽祭でデビューを飾って「ニーベルングの指輪を指揮。2013-14シーズンからバイエルン国立歌劇場音楽監督に就任。15年ベルリン・フィル次期首席指揮者兼芸術監督に指名された。(*正式就任は2018年9月)

3月の最終回のコンサートの曲目は《モーツァルト:交響曲35番「ハフナー」》、《ジョン・アダムズ:バリトンと管弦楽のための「ウンド・ドレッサー」》、《チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」》。
指揮者の解釈と音楽性が如実に出る作品としてモーツァルトとチャイコフスキーが選曲されたようである。オーケストラのヨーロッパと指揮者の祖国ロシアを挟んでアメリカの現代曲。
ぺトレンコはCDを殆どリリースしていなく世界的には無名に近かったので、今回のデジタルコンサートでの演奏は一層注目された。ぺトレンコは個性的で独自の演奏を展開したと思う。数回のリハーサールを通して互いに求める音楽の目指す方向も見えてくのではないだろうか。指揮者と演奏家の相互理解を深めるうえでの良い事前演奏会となったようである。
今回のコンサートマスターは樫本大進が務めた。
モーツァルトでは樫本は時折指揮者に目をやりながら心配りをしている様子。明るい軽やかなモーツァルトらしい響きが広がっていた。アダムズの曲では金管・打楽器の音が印象的に響いた。弦楽が抑えながら響く物悲しい音楽に合わせてバリトンが伸び伸びと歌い続ける現代音楽。
チャイコフスキーになると指揮者の手の振り、体の動きが大きくなってオーケストラから求める音の表情もドラマティックな様相を呈した。特に第3楽章での力の入った指揮ぶり。第4楽章への切り替えも極めて巧みであった。

演奏終了後の聴衆の反応は好ましいもので、楽団員が全員ステージを去った後に、ぺトレンコが大拍手を受けてステージに出てきて一部の観客と交流する姿もあった。
楽員代表との30分ものインタビューで中庸の大切さを訴えるぺトレンコの言葉にベルリン・フィルの音を急に変えることは無さそうだと思った。べトレンコは今秋、バイエルン国立歌劇場公演で来日する。

ティーレマンのブルックナー「第7」&ブッフビンダーのベートーヴェン「第1」

ベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲のうち「第1番」は演奏会で聴いた記憶がない。CDでもギーゼキング、ギレリス、ルービンシュタインなどでそれぞれ1度聴いた程度で、バレンボイム&ベルリン・フィルで数回聴いたぐらい。1番と2番が収録されているCDは10年ぐらい前にブロンフマンのCDを購入したのが一番新しい記憶。
今日では世界のトップ・ピアニストの地位を占めているブッフビンダーのコンサートは今までに聴いたことがなかった。ティーレマンとの共演による12月17日のデジタル・コンサートは願ってもないプログラムだった。遅ればせながら先日やっと聴く機会を得た。

今年70歳を迎えるRudolf Buchbinderはチェコ生まれ。10歳の時にウィーンでベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第1番」を演奏してデビューしたというから当日の選曲も納得できる。聴く方も意外性があって良かった。翌年ウィーン三重奏団を組織して61年のミュンヘン国際コンクールの室内楽部門で優勝。ソロ、室内楽、歌曲伴奏と幅広い分野で活躍。75年ウィーン響のソリストとしての来日以来、たびたび来演しているようである。ベートーヴェンのソナタ全曲演奏会でも知られるという。

「第1番」は実際には第2番より後に作曲されたとされる。典型的な古典協奏曲のスタイルで書かれた作品はモーツァルトの影響を受けているように感じられた。同じ旋律の繰り返しも多いが、親しみやすいメロディアスな曲で心地よい響き。最近は第3~5番しか耳にすることがなかったが、第1楽章から懐かしい聴きなれたメロディでクラリネット、トランペット、ティンパニも加わって表現が広がっていて観ていて興味が深まった。明るく快活な調べが華やかなフィナーレとなる。
ウィーンの伝統的なスタイルを継承する正統派ピアニストとして、ベートーヴェンの他にブラームス、シューベルトも聴く機会が増えるだろう。

Christian Thielemannは歌劇場のコレぺティトゥーアの修業を積んで指揮者として大成した異色の経歴を持つ。ベルリン・ドイツ・オペラの音楽総監督(1997-2004)、ミュンヘン・フィル音楽監督(2004-11)、2012年からシュターカペレ・ドレスデン首席指揮者。この世界最古のオーケストラは創設が1548年。ドレスデン国立歌劇場の専属オーケストラでKitaraに2000年、02年の2回来演している。
ティーレマンはPMF1993年の来日後、テンシュテットの代役でシカゴ響、カルロス・クライバーの代役“ばらの騎士”でMETデビューと世界の脚光を浴びた。その後はウィーン・フィル、ベルリン・フィルに定期的に出演。バイロイト音楽祭でも事実上の音楽監督としての活躍。2013年ザルツブルク復活祭音楽祭芸術監督に就任(*カラヤン創設の音楽祭はベルリン・フィル音楽監督が芸術監督を務めるのが慣例であった)。とにかく彼は世界最高の指揮者の一人と言える活躍ぶりである。

12月10日のブルックナーのミサ曲に続いての「第7番」。これまでベルリン・フィルとは4番、8番を指揮しており交響曲としては3回目の共演。70分の大曲。ベートーヴェンとワーグナーの要素を備えながら独自の世界を切り開いた音楽のように思えるが、正直に言ってブルックナー(1824-96)の偉大さがよくは判っていない。第4番「ロマンティック」は聴く回数も増えて、2015年12月札響定期で聴いたポンマー指揮の第4番は解りやすく聴けた。作曲家がオルガニストであった雰囲気の響きもあった。
「第7番」は「第4番」とともにブルックナーの交響曲の中では比較的に理解しやすい曲。1884年ライプツィヒでの初演が大成功を収め、彼の作曲家としての評価が高まった。ワーグナーのようなオーケストレーション、オルガン的な重層和声など晩年の巨大で深遠な第8番や第9番に繋がったと考えられている。木管、特にテューバを含む金管楽器の響きに迫力があった。指揮者とオーケストラが真剣に対峙して曲に取り組む様子も伝わった。ティーレマンとオーケストラ全員の集中力と高度な演奏技術が上手くかみ合っているように思われた。
聴衆の集中度の高さは演奏終了後の余韻がおさまるまで拍手のフライイングがなかったことにも表れていた。拍手・大歓声で何度かのカーテンコールがあり、楽団員全員がステージを下りたあとも絶え間なく拍手が続いて、ティーレマンがステージに出てくるのを見て観客の満足度が推し量れた。

中継では様々な楽器演奏者の姿を映していた。日本人の第1ヴァイオリン町田琴和の姿もあった。ヴィオラ首席の清水直子、第2ヴァイオリンのイレーネ・イトウもベルリン・フィルのメンバーである。

演奏終了後のドイツ語のインタヴューが英訳されていた。ブルックナー・シリーズで指揮者としての名声を高めたギュンター・ヴァントの助言を引用して、ブルックナーを演奏するには別人格の人間になる必要があると語っていたのが特に印象に残った。

“観て聴く”デジタル・コンサートホール

2008年にスタートしたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の《デジタル・コンサートホール》を定期的に聴く環境が整った。札幌コンサートホールがオープンしてから20年ほどになり、Kitaraにも1000回ぐらいは通った。Kitaraホールの魅力は失せることはないが、コンサートに通うのが身体的にも経済的にもいつまでも続ける状況にあるわけではない。
Kitaraがオープンした当初は世界の有名な指揮者、オーケストラが次々と来札したが、現在は当時とは比べ物にならない。観て聴きたい音楽家の来札が少なくなったのは止むを得ない。最近の話題の音楽家の演奏を“観て聴く”のにはベルリン・フィルのデジタル・コンサートは非常に魅力的である。

昨年12月に取りあえず1年間有効のチケットを149ユーロで購入した。ベルリン・フィルの年間50回ほどの演奏会がほぼ毎週中継される。画質はハイヴィジョンで音声はCD並みで、高品質のヘッドフォンで聴くと素晴らしい。巨匠だけでなく世界で話題の若手指揮者との共演も聴ける。生中継は真夜中で観ることはしないだろうが、数日後にはアーカイヴで観れる。400本以上がアーカイヴ・コーナーからアップでき、カラヤン時代の映像も相当数ある。月額にすると1500円程度は決して高くない。継続的に観ると極めて安くつく。英語版だけかと思っていたが解説が日本語化されている。

暮れの29日に早速、観てみた。先月3日の演奏会の模様をアーカイヴでアップした。指揮/アラン・ギルバート、ヴァイオリン/フランク・ペーター・ツィンマーマン。プログラムは「ジョン・アダムズ:Short Ride in a Fast Machine、管弦楽のためのロラパルーザ」、「バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番」、「チャイコフスキー:交響曲第4番」。
ギルバートは現在ニューヨーク・フィル音楽監督。母は日本人で日本での音楽活動も顕著な指導者。2004年にストックホルム・フィル(*ノーベル賞授賞式のオーケストラとして知られる。)を率いてKitaraに登場した。
ツィンマーマンはドイツを代表する正統派のヴァイオリニストでKitaraにも2回登場した(99年、05年)。05年にはブロムシュテット指揮ライプティヒ・ゲヴァントハウス管と共演した曲が今回と同じと知った。偶然とはいえビックリしたが、今や世界の巨匠として重厚で深みのある演奏に心を揺さぶられた。
今までにKitaraで聴いたことのある音楽家を身近に感じれるのもデジタルコンサートの楽しみである。
ジョン・アダムズはアメリカの現代作曲家で今シーズンのベルリン・フィルのコンポーザー・イン・レジデンス。5分から8分程度の現代曲が2曲取り上げられた。スポーツカーに乗った印象が金管楽器や打楽器を多用して綴られた。オーケストラのための作品でもファゴット、ピッコロ、ホルン、打楽器などの演奏を通してリズム感のある現代音楽の面白さが生き生きと伝わった。ここでもPMFで活躍するティンパニ奏者のゼーガスを見れて良かった。

正月の3日は早朝からラトルのベートーヴェン・ツィクルス第4弾(2015年10月15日)のアーカイヴ。「第4番」と「第7番」。暮れのドキュメンタリー番組でラトル&ベルリン・フィルのベートーヴェン・シリーズの新たな取り組みを聴いた後での視聴だったので新鮮な気分で聴いた。
「第4番」は生き生きとして陽気でこの上ない優しさが横溢した曲。「第7番」は勝利の高揚感に満ちた第1楽章に始まり、全楽章を通してリズム感が途切れなく新鮮な曲として聴けた。フルートのパユ、オーボエのマイヤーは何回見てもその演奏姿に見入ってしまう。今回のティンパニ奏者はヴェルツェルのようだった。ドキュメンタリー番組でインタヴューを受けて演奏への取り組み方を語っていたので印象に残っていた。顔の知らないメンバーを覚えていくのもそう遠くはないだろう。

3日の午後は12月10日ライヴのコンサート。指揮はクリスティアン・ティーレマン。ヴァイオリニストはギドン・クレーメル。他に独唱者4名とベルリン放送合唱団。曲目は「グバイドゥーリナ:ヴァイオリン協奏曲“今この時の中で”」、「ブルックナー:ミサ曲第3番」。
現在における世界最高の指揮者の一人ティーレマンの名声を知って20年にもならない。彼はPMF1993年に来札してサンタチェチーリア国立アカデミー管を指揮していた。同年にはエッシェンバッハ指揮同管の演奏会に行っていた。エッシェンバッハはその後も聴く機会の数多い指揮者だが、ティーレマンはその当時は34歳の若手でボローニャ・コムナーレ劇場首席客演指揮者で、21世紀に入って頭角を現した。札幌での彼の演奏会を聴くチャンスを逃したのは今でも残念でたまらない。
クレーメルは01年に彼の室内管弦楽団クレメラータ・バルティカを率いてKitaraに登場し、14年にもオーケストラのソリストとして来札した。今回のベルリン・フィル登場は約10年ぶりだそうである。1981年にはソ連の女性作曲家グバイドゥーリナから献呈されたヴァイオリン協奏曲“オッフェルトリウム”を初演したという。当時はソ連の作曲家協会が彼女の作品を拒否したため国内では無名であったらしい。この作品が西側で反響を呼び起こしてから25年後、彼女は「ヴァイオリン協奏曲第2番」を作曲してアンネ=ゾフィ・ムターに献呈した(2007年)。ソロ・ヴァイオリンの冒頭部分でB-A-C-Hの半音階を奏でるというからバッハを意識しての作品なのだろう。フルート、クラリネット、ハープ、チェレスタ、打楽器に加え4人のソロ・ヴィオラも入る曲は変化があって興味深い。ヴァイオリンの日々ア独特で人々の苦悩の叫びにも聞こえる。旧ソ連を出て現在ドイツに住む作曲家の名は7・8年前から耳にしていた。
演奏前の英語でのインタヴューでクレーメルは彼女にヴァイオリン曲を書くように勧めていたが、すっかり忘れてしまっていたと述べた。推測だが作曲家は結果的にこの作品をムターに捧げることになったのかも知れない。その後は作曲家との交流も続いて今作品はクレメータ・バルティカをはじめとして演奏会で何回も取り上げているという。ベルリン・フィルのオーケストラとは一味は違うのかもしれないと思った。インタヴューでクレーメルらしい主張をしていた。それぞれの演奏家によって表現の仕方が違う演奏を同じような角度から言及されることへの反骨心は彼の書物で知る人物像と重なった。今年で70歳を迎えるクレーメルが来札する機会も再びありそうである。とにかく初めて聴いた作品はとても印象に残った。

ブルックナーの曲にはあまり親しんでいなくて、ましてや「ミサ曲」は初めて聴いてみた。70分の大作。ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」などミサ曲はヨーロッパの教会音楽で親しむのは容易ではない。荘重な音楽でティーレマンはブルックナーを得意としているらしい。1959年生まれでルイジ、メスト、パーヴォ、ガッテイとほぼ同年代の中堅。さすが若々しく堂々たる指揮ぶりでベルリン・フィルも熱演。
ティーレマンの特徴を味わうには聴きなれた交響曲を何曲か聴いてからになるだろう。

年末年始は聴きたいライヴのコンサートがないことで、かなりの時間が空いた。つい、普段は書かないことも長々と書き綴った。
プロフィール

fsuterry

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
最新コメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR