パールマン&バレンボイムの《ベートヴェン:ヴァイオリン協奏曲》

先月末にベルリン・フィルハーモニーからemailでnewsletterが届いた。1992年2月に本拠地のホールではなく、ジェンダルメンマルクトのシャウスピールハウスで行われた《パールマンとバレンボイム指揮ベルリン・フィルの「ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲」であった。PMFで忙しい最中であったが、映像で観るパールマンとバレンボイムの演奏をワクワクしながら聴いた。

イツァーク・パールマンは1991年9月に元北海道厚生年金開館でリサイタルを聴いた。ドビュッシーやフォーレのヴァイオリン・ソナタを弾いたが、この頃の思い出は余り記憶に残っていない。当時、演奏曲目の知識は全く持ち合わせていなかった。世界的なヴァイオリニストに憧れて聴きに出かけたようである。
Perlmanが98年3月のKitaraでリサイタルを開いた時の様子はかなり鮮明に記憶している。彼は幼少時に小児麻痺になり、下半身不随となるが、障害を克服して演奏家として世界の頂点を極めた。Kitaraでのプログラムはモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスのソナタ。完璧な技巧と艶やかで透き通った音質は表面的にしか音楽が分らない自分でも素晴らしいと感動したものである。
その後、来札の機会が無くて残念に思っていた。

ダニエル・バレンボイムは彼のCDをかなり所有していることもあって、早くからピアニストとしてファンになっていた。彼は今や世界の指揮界のトップに君陣して来日公演も多い。Kitara にはベルリン・シュターツカペレを率いて2005年2月に一度来演しただけである。彼の自信に溢れた堂々たる姿を見たのはその時の1回だけである。当時は「ベート―ヴェン:ピアノ協奏曲第2番」を弾き振りした。彼のピアノ演奏を聴けたのには満足した。交響曲は「マーラー:第5番」だった。今ではマーラーの曲の中で親しんでいる方だが、当時は鑑賞が難しかった。2曲共に余りポピュラーな曲でないこともあって、客の入りが少なかった。世界一流のオーケストラと指揮者を迎えて“もったいない”と思った印象が残っている。

この二人の指揮ぶりと演奏の様子をそれぞれ、20年、12年ぶりに観れて心も躍った。二人ともに現在は70代であるが、この映像では40代で当然ながら若々しく見えた。特にバレンボイムの姿が若々しくて生き生きとした指揮ぶりであった。パールマンの車椅子でのステージの出入りはKitaraでのコンサートの様子が眼前に浮かんだ。
ヴァイオリン協奏曲の中で最も親しまれたメロディを持つ偉大な曲の演奏はアッという間に終わってしまったが、素晴らしい演奏に引き込まれて生演奏を聴いているような感じさえした。

演奏中にはオーボエ奏者アルブレヒト・マイヤー(*試用期間中の来日公演の際に彼の様子を追っていたテレビ番組で彼の名をずっと記憶していて今では首席奏者)の初々しい入団早々の姿、当時の第一コンサートマスター安永徹も目に入って懐かしく思った。
スポンサーサイト

ハイレゾ・ストリームで楽しむ[ラトル指揮《シベリウス交響曲全集》]

PMFコンサート鑑賞もオーケストラ演奏会を2つ残すだけとなったので、その合間にデジタル・コンサートホールを楽しむ余裕ができた。ベルリン・フィルも夏の休暇に入って定期コンサートは無い。
昨日、自主レーベル「ベルリン・フィル・レコーディングズ」のタイトルをハイレゾ・ストリームで聴いた。前衛的作曲家として解釈するラトルの名盤をCDを超える超高音質で楽しんだ。

Sir Simon Rattle は「シベリウスは最もエキサイティングで独創的な作曲家のひとり」と語っている。7つの交響曲にはシベリウスの多様な美しさが込められている。一度に7曲全部を聴いたのは初めてだった。

シべリウスをLPレコードで聴いたのは45年前で「交響曲第5番」と「フィンランディア」。ジョールジュ・プレートル指揮ニュー・フィルハーモニア管の演奏(*プレートルは98年にパリ管を率いてKitaraに出演した時に名を知った。世界的なオペラ指揮者で、コンサート指揮には余り関わっていなくて日本での知名度は低かった。08年のウィ-ン・フィルのニューイヤーコンサートに出演した時はヨーロッパでも驚きをもって報じられた。世界の一流歌劇場で活躍してカラスとの共演も多く、私もオペラ全集に彼が指揮するCDがあるのに気づいたのは10年前)。
CDで聴き始めた頃の2000年にカラヤン指揮ベルリン・フィルの「交響曲第2番とフィンランディア」がシベリウスとの2度目の出会い。実質的にシベリウスの交響曲で一番身近なのはカラヤンの曲に親しんだ以降であった。この年のエジプト旅行の長時間の機内では偶々フィンランドの俊英指揮者ユッカ=ペッカ・サラステの音楽を何度も聴いた。その影響で彼のCDが目に留まり、帰国後にサラステ指揮フィンランド放送響の「交響曲第1番」、「交響曲第5・7番」を続けて聴くようになった。(*サラステとサロネンはほぼ同年代のフィンランド出身の世界的指揮者だが、現在は差がついたようである。)

その後にジョン・バルビローリやコリン・デイヴィスの輸入盤も手にして他の交響曲なども度々耳にした。ヴァイオリン協奏曲はもちろん数枚あり、お気に入りである。
シベリウスの生誕150年を祝う札響演奏会では当時の尾高忠明音楽監督が《シベリウス交響曲シリーズ》を年1回公演で3年掛けて達成した。それぞれ充実した演奏会となり、一気に連続しての公演とは違う味わいのあるツィクルスになっていたことを思い出す。その時のライヴ録音でのCD「第1・3番」、「第4・5番」の2枚のCDは記念に買い求めた。シベリウスが気に入って、その後、デイヴィス指揮ロンドン響の7CDがSONY MUSICから廉価版で発売されていて手にした。

それから2年余りが経ったが、丁度、今までにない新たな聴き方が出来た折に、長くなったが過去を振り返ってみた。

デジタル・コンサートでは音量の素晴らしさを味わうと同時に、演奏者の姿を観ながら鑑賞している。今回は音にだけ集中して聴くことになった。第1番と第2番はやはりフィンランド独立に向けてのフィンランド国民の気持ちに寄り添った音楽であった。シベリウスが40歳~60歳に掛けて作曲した第3番以降は作曲環境がガラリと変わっている。1904年にはヘルシンキでの生活の煩雑さを逃れて別荘を建てて生涯の隠遁生活に入った。第3番を書いたのは1907年で第7番の完成は1924年、29年以降、亡くなる57年まで筆を折ったと言われている。

第3番は内省的で楽章数も3つに減って、楽器編成も小さくなり、シンプルで明解になった。第4番は4楽章構成だが、室内楽的な雰囲気で、作曲家自身は“精神的交響曲”と呼んでいる。第5番はシベリウスの50歳を祝う国を挙げての記念演奏会のために作曲され、シベリウスの指揮で初演が行われた。北欧の壮大な自然を感じさせるスケールの大きさと華やかさを持った曲。第2番とともに人気のある作品。
第6番は宗教的な敬虔さが漂う曲。この曲は殆ど聴いたことがなくて札響演奏会で初めて耳にした感じだった。今回で3回目だろう。第7番は最初の3楽章の構想を変えて単一楽章となり、ほかのCDでもそうなっている。ところが、今回のハイレゾでの案内では4楽章のように配分されていた。①Adagio、②Vivacissimo Adagio、③Allegro molto moderato---Allegro moderato、④Vivace---Presto---Adagio---Largamente molto---Affettuoso。切れ目なく演奏されていたので、一般の楽章とは違うのだろうが、表記の仕方が普通とは違っていたので不思議に思った。いずれにしても第7番は伝統的な交響曲の楽章分割や、テーマのグループ分けや調の関係に従っていない。形式的には新しい試みを行った曲と思われる。

全7曲に北欧の自然が描かれていて、シベリウスらしい美しい旋律が多く、ヴァイオリンが得意な作曲家らしい面も感じ取れた。デジタル・コンサートホールの会員なので無料配信で聴けたが、珍しい体験をした。

ラトル指揮ベルリン・フィル今シーズン最後の演奏会(セレナード)

サー・サイモン・ラトルが指揮する2016-17年シーズン最後のベルリン・フィル演奏会が6月24日に行われた。テーマは《セレナード》。ドヴォルザークの「管楽セレナード」とブラームスの「セレナード第2番」。2曲の間に現代音楽の作曲家ターネイジの曲を挟んだ。
3曲ともヴァイオリンが使われない極めて珍しい楽器編成の演奏会。

〈Program〉
 ドヴォルザーク:管楽セレナード ニ短調
 ターネイジ:リメンバリング
 ブラームス:セレナード 第2番

セレナードは18世紀には宮廷音楽として貴族たちに親しまれていたが、ロマン派時代からシンフォニックな色彩を持つようになって人気を得たようである。
「管楽セレナード」は低音の弦楽器と管楽器という典型的な楽器編成。チェロとコントラバス各1、オーボエ2、ファゴット3、クラリネット2、ホルン3。ドヴォルザークならではのメロディに包まれた色彩感にあふれた曲だった。PMFで顔なじみの奏者が多くて、柔らかい音楽に直ぐ溶け込めた。4楽章構成で30分ほどの曲はあっという間に終った。

Mark-Anthony Turnageは初めて聞く名。調べてみると、イギリスの現代音楽作曲家。モダン・ジャズにに強く影響を受け、同世代の有名なヴァイオリニスト、ナイジェル・ケネディ(*2001年にベルリン・フィルのメンバーとともにKitaraに登場して新鮮なバッハ演奏で強烈な印象を残した)と交流があるという。クラシック風の曲で、比較的に聴きやすい現代音楽だった。ヴァイオリンを用いてない曲ということもあって、全体の統一性を保つためもあって選曲されたのだろう。“Remembering”というタイトルは亡き友の追憶が込められた作品らしい。
後で気づいたのだが、先月の〈N響 Music Tomorrow 2017〉のコンサートで、一柳慧、池辺晋一郎の作品とともにターネイジのピアノ協奏曲が東京オペラシテイで演奏されたようである。を

ブラームスは25・6歳の時にセレナードを2曲書いた。ベートーヴェンの影響で交響曲に着手していても完成するには20年も待たねばならなかった。初めての管弦楽曲がピアノ協奏曲で25歳の時の作品で、交響曲は避けていたようである。この「セレナード第2番」は初めて聴くと思う。2管編成の小編成であるが、ハープや打楽器も使われた。やはり、弦でヴァイオリンがないのが特徴。5楽章構成の約40分の曲はロマンティックであるが、ヴァイオリンが無い弦楽群だけでは何となく落ち着かなかった。暗さの雰囲気を出すにのに高音域楽器を避けたのだろうか。ブラームスの特徴は出ていて、大規模な室内楽作品ともいえるが交響曲のような内容を持っていた。

大曲や名曲だけでなく、ヴァイオリンなしの特徴的なセレナードが聴けて良かった。
 


オロスコ=エストラーダがベルリン・フィルでデビュー(ショスタコーヴィチ:交響曲第5番)

昨夕は妻と映画鑑賞。それぞれの趣味を中心に生活しているので一緒に外出することは稀である。6月10日封切の映画「光をくれた人」の試写会が劇場公開に先立って朝日新聞北海道支社主催で開催された。Asahi Family Clubのメンバーで毎年のように映画上映会や講演会に応募して参加していたが最近は久しぶりである。映画は平日の都合の良い時間帯に鑑賞していて、夕方に観ることはない。今回は妻が応募して招待状が届き、偶々時間が空いていたので一緒に出掛けた。
“The Light Between Oceans”はアメリカ・オーストラリア・ニュージーランドの合作映画で灯台守が主人公の物語。オーストラリアの孤島に暮らす孤独な灯台守が妻を迎えて幸せに暮し始めるが、ある出来事が彼らの人生を狂わせる。お互いの愛が人々の心を揺さぶるラブストーリー。一見の価値がある映画である。

昨日の午後は5月開催の3つのデジタル・コンサートホールの最終コンサートを視聴した。
客演指揮者Orozco-Estrada(アンドレス・オロスコ=エストラーダ)は1977年コロンビア出身。若手の俊英指揮者として注目されて既に日本でも客演している。現在、フランクフルトhr響、ヒューストン響の首席指揮者、ロンドン・フィルの首席客演指揮者。今回べルリン・フィルハーモニーに初登場。

前半の演目は珍しい曲。近年、ベルリン・フィルで演奏されていない曲と時間配分を考えて指揮者が選んだ2曲。(*インタヴューで選曲の様子を答えていた。)

〈PROGRAM〉
 R.シュトラウス:交響詩「マクベス」 op.23
 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第4番 ト短調 op.40
 ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 op.47

シュトラウスの最初の交響詩となる「マクベス」はベルリン・フィルの前回の演奏が2000年という。シェイクスピアの戯曲を基にしているが、ドラマティックな要素もなく何となくスムーズに20分ほどの曲が終わった感じがした。初めて耳にしたので曲の特徴がよく分からなかった所為もある。

ラフマニノフはピアノ協奏曲は第2・3番は名曲として演奏機会が多いが、第4番は最も頻度が少ない。1941年にラフマニノフ自身のピアノ演奏によるオーマンディ指揮フィラデルフィア管のCDで何度か耳にしているが、生で聴いたのは2011年清水和音が高関指揮札響と4曲全曲を弾いた時だけである。

今回のピアニストLeif Ove Andnes(レイフ・オヴェ・アンスネス)は1970年、ノルウエー出身の巨匠。92年にはベルリン・フィルにデビューして国際的に活躍して、十年ぐらい前から何度も来日しているが残念ながら彼の公演を生で聴いたことはない。アンスネスは2010-11年シーズン、ベルリン・フィルのアーティスト・イン・レジデンスを務め、ベルリン・フィルとの共演は数多いピアニスト。

1917年のロシア革命後にアメリカに亡命したラフマニノは演奏家としての活動が多くて、作品は余り残していない。代表作は「ピアノ協奏曲第4番」と「パガニーニの主題による狂詩曲」ぐらいである。
「第4番」は変奏曲の形式が使われるなど従来の曲とは違う革新的な試みがなされている。第1楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェ。オーケストラとピアノが一体となって壮大な音楽を奏でる。第2楽章はラルゴで静かな主題がピアノと弦で交互に紡がれ、素朴なメロディが流れる。第3楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェ。自由な形式によるラプソディ風の音楽。オーケストラの激しい響きに始まり、ピアノが主題を色彩豊かにいろいろに彩る。力強い響きでフィナーレ。

ピアノの名手アンスネスの比類ない美しさを湛えて情感が籠った演奏は聴衆を圧倒した。アンコールに「シベリウス:ロマンス」。北欧出身でグリーグで脚光を浴び、比較的に地味なデビューだったが今やベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲をマーラー・チェンバー・オーケストラと弾き振りするなどの活躍ぶりは実に頼もしい。アンコール曲に北欧の作曲家の作品を演奏したのも印象的だった。来札公演を期待したいピアニストである。

「ショスタコーヴィチ:交響曲第5番」は2011年の佐渡裕がベルリン・フィル・デビューで指揮した曲でもある。ベルリン・フィルは数年前にも演奏したらしいが、人気の大曲なので指揮者は腕の見せ所として選曲したと思われる。

戦前、戦中、戦後の社会主義国ソ連で生きたショスタコーヴィチは生涯に交響曲を15曲書いた。その中で最も演奏機会が多くて親しまれているのが「第5番」だと思う。ベートーヴェンの「第5番」を意識して作られた「マーラーの第5番」とともに20世紀後半以降では人気の作品。

ショスタコーヴィチはこの曲の発表前に彼の作品はソヴィエト共産党機関紙プラウダによって社会主義にふさわしくないと批判されて苦境に陥っていた。1937年の革命20周年記念演奏会の曲として作られたこの曲の初演で成功を収めて彼の名誉が回復された。“革命”という愛称がある「第5番」は英雄的曲想を持ち「苦悩から勝利へ」、「暗から明へ」と向かう様子が当時のソヴィエト連邦という社会主義国で好意的に受け止められた。ベートーヴェンやマーラーを意識して書き上げた作品かも知れない。
ショスタコーヴィチは極端な社会体制の下で友人を含めて多くの人々を失い苦悩していたが、「第5番」では抒情的な着想で書かれていて、明るい人生感、生きる喜びで結ばれている。人間性をテーマとした作品に仕上げているが、その後の作品でも社会体制に疑問を投げかける作品も多くあり、何処までが彼の本心かは分からない。
いずれにしても「第5番」はショスタコーヴィチの交響曲の中でも最も聴く機会が多くて各楽章に親しみのあるメロディも多くて、一番聴きやすい曲になっている。

オロスコ=エストラーダの指揮ぶりは初めて観たが若々しくて勢いがあり、オーケストラとの調和を図って楽団員の個性も生かしたようであった。(*ヴァイオリニストのインタヴューでの応答ぶりからも判断した。)

※当日のコンサートマスターは樫本大進で第2楽章での美しいソロ・パートの場面も観れて良かった。

ビシュコフ指揮ベルリン・フィル「R.シュトラウス:英雄の生涯」&「ショスタコーヴィチ・チェロ協奏曲第1番(ゴーティエ・カプソン)」

セミョン・ビシュコフがベルリン・フィルハーモニーに登場。樫本大進がKitaraのステージに初登場したのが1998年10月でオーケストラはケルン放送交響楽団だった。1952年、レーニングラード生まれのビシュコフが97年にケルン放送響(現ケルンWDR交響楽団)の首席指揮者に就任して初の日本デビューの年だった。ビシュコフは74年に米国移住。84年にはニューヨーク・フィルにデビューして、アメリカ国内のメジャー・オーケストラを次々と客演指揮。85年にはベルリン・フィルに初登場。89年にパリ管の音楽監督も兼任して、2010年までWDR響を率いた。彼の指揮ぶりをじっくり観るのは約20年ぶり。
98年の札幌公演での演目はメンコンとマーラーの第5番だった。

2017年5月12日のベルリン・フィルの演奏曲目は「ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番(チェロ独奏:ゴーティエ・カプソン)」と「リヒャルト・シュトラウス:英雄の生涯」。

ショスタコーヴィチ(1906-75) とR.シュトラウス(1864-1949)は共に20世紀の政治状況に直面したが、対処の仕方が対照的な作曲家であったと思う。生まれた時代が違うことが、第ニ次世界大戦後の二人の作曲家の生涯を分けたのも事実であろう。

ショスタコーヴィチはスターリン時代のソヴィエト連邦の政治の悲劇に巻き込まれながら偉大な作曲家としての足跡を残した。第二次世界大戦前の創作前期には前衛的で斬新な作品を書いたが、大戦中や大戦後はスターリン体制の下で曖昧ながらも巧妙な政治批判を込めた作曲活動を行った。ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲を各2曲書いているが、ピアノ協奏曲第1番を除いて、全ての協奏曲は戦後に書かれた。これらの曲にはロマンティックな情感が織り込まれている。2曲のチェロ協奏曲は盟友ロストロポーヴィチに贈られた。「第1番」は1959年に書かれた作品で、全体に軽快な印象の曲で親しみやすい。1966年に書かれた時のソ連国内の政治状況を反映した「第2番」の重苦しい雰囲気とは違っている。

ゴーティエ・カプソンは1981年フランス生まれで、ヴァイオリニストの兄ルノー・カプソンと共に世界的に人気の高い演奏家である。十数前にアルゲリッチとアンサンブル、多分ピアノ三重奏曲で札幌で公演を行った。聴き逃したのが返す返すも残念である。今回、初めて聴いたが高度な技巧を駆使した颯爽とした演奏ぶりは実に見事であった。
ロストロポーヴィチのために書かれただけあって非常に技巧を要する曲で、ショスタコーヴィチの最初のチェロ協奏曲として世界的にも評価されたようである。管楽器がホルンだけで観ていなければ気づかなかったかもしれない。行進曲風の速いテンポで始まるが、やがて緩やかな抒情的な部分となり、長大なカデンツァが入り、壮大なフィナーレ。

「第1番」が作曲された前年の1958年、ショスタコーヴィチはイタリア最古のサンタ・チェチーリア音楽アカデミーの名誉会員に選ばれ、ヘルシンキではシベリウス記念国際賞を授与され、国内では第1回チャイコフスキー国際コンクール委員長として活躍していた。この年には再婚してある面で恵まれた作曲環境にあった。「第1番」には独裁社会の体制下で多くの友を失って生への不安も反映している場面もある。この曲の評判は良かったが、1966年作曲の「第2番」はソ連の体制の中で正当な評価を受けなかった。自分は「第2番」しかCDは持っていないが、落ち着いた雰囲気の内省的な作品でショスタコーヴィチらしさが出ている気がする。

アンコール曲は「カザルス:鳥の歌」。5人のチェロ奏者の前奏があって、その後にカプソンの独奏が入る形の演奏で心が洗われるようであった。馴染みの曲が奏でられてチェロのアンサンブルで新鮮なメロディとなって心に響いた。

R.シュトラウスは父の教育方針もあって音楽学校には行かずにミュンヘン大学で幅広い教養を身に着けて、作曲や指揮活動を行った。ベルリオーズやリストの影響を受けて、数多の交響詩を書いた。「ドン・ファン」、「死と変容」、「マクベス」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「ツァラストゥラはかく語りき」、「ドン・キホーテ」、「英雄の生涯」。

「英雄の生涯」は交響詩としての最後の作品で1898年に完成した。その後、シュトラウスは1949年に亡くなるまで交響詩と銘打った作品は書かなかった。
標題の「英雄」は作曲者自身を指す。曲は6つの部分から成り、切れ目なく演奏される。
「第1曲 英雄」は力強いユニゾンで雄々しく立ち上がるスケールの大きな英雄の主題。「第2曲 英雄の敵」は批評家や批判する敵がフルートやオーボエで現れるスケルツォでの調べ。酷評する人々の様子を木管で表現するが、英雄に一喝されておとなしくなる。「第3曲 英雄の妻」はソロ・ヴァイオリンによる優美な主題。孤独な英雄を慰める甘美な愛の世界が繰り広げられる。「第4曲 英雄の戦場」はトランペットのファンファーレ。敵との激しい戦いで、英雄は勝利を得る。「第5曲 英雄の業績」ではこれまでのシュトラウスの前述の作品のテーマが断片的に流れる。「第6曲 英雄の引退と完成」は英雄の幸福な晩年。平和な田園の様子。イングリッシュ・ホルン(*ヴォレンヴェーバーの演奏が心地良く響く)が羊飼いの笛を模しているようだ。音楽は安らぎを深め静かに満足げに終わる。

自分の死の50年前に自分自身を英雄として書き上げるとは恐れ入った。大変な自信家だがオペラを含め音楽の多くのジャンルにわたって偉大な作品を数多く残したリヒャルト・シュトラウスをより深く知りたいと思った。20年ほど前にKitaraで一度聴いたことがあるがタイトルを知っているだけで、その当時から音楽の内容は詳しくは知らなかった。(*彼は1940年、日本の紀元2600年に祝典音楽を依頼されて作曲。ネーメ・ヤルヴィがN響と共演した様子を聴いたことがある。)

シュトラウス自身は聴衆が45分もの交響曲を標題なしで聴くことの難しさから「標題音楽」として交響詩を書き続けたらしい。
テーマの知識はある程度あった方が良い場合もある。R.シュトラウスの音楽は比較的長い音楽が多いので、標題があった方が楽に聴ける。「家庭交響曲」、「アルプス交響曲」はタイトルだけで曲想が分かる。
自由に想像を膨らませて聴いたほうが良い音楽もあるので一概に標題音楽が素晴らしいとは必ずしも言えないのではないだろうか。

ビシュコフが約20年前の日本ツアーの2公演で「英雄の生涯」を演奏している。彼はシュトラウスに深い愛情を抱いているようで、ベルリン・フィルとは過去に「ドン・キホーテ」も共演している。今回はフィルハーモニーの聴衆も大絶賛の演奏会であった。

リヒャルト・シュトラウスは20世紀の独裁政治がもたらした悲劇や苦悩とは関わりのない人生を送ったようである。1945年にアメリカ兵がナチスの帝国音楽院総裁シュトラウスの邸宅を差し押さえに訪れた際に、彼は「私は“ばらの騎士”の作曲家です」と説明して彼らを追い払ったエピソードが伝わっている。(*歌劇「ばらの騎士」は一世を風靡したオペラ。今シーズン最後のMETライブビューイングで来月上映される。)

※今やベルリン・フィルのコンサートマスターを務めているDAISHINがKitaraのステージに初登場した時は彼は弱冠19歳だった。当時のドイツを代表する放送オーケストラのケルン放送響には3人の日本人首席奏者がいた。コンサートミストレスが四方恭子、オーボエ首席が宮本文昭、コントラバス首席が河原泰則。ヨーロッパのオーケストラは様々な国々の人々から構成されているが、今年ヨーロッパ公演旅行に出かけたN響は全員が日本人でレベルの高さを印象付けたようである。


プロフィール

fsuterry

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR