Class Reunion (同期会)

英語の“class”には同じ学年の者全部を指す場合がある。日本語ではクラス会と同期会に違いはあるが英語では“Class Reunion”で表す。自分の中学時代は1学年7クラスで3年間同じクラスで学んだこともあって同じ組の者が卒業後、何回かクラス会が開かれている。私は30年前に1度参加したことがある。同期会は還暦を迎える頃に登別温泉で始まって10年程は続いた。今までに4回ほど出席して懐かしいクラスメイトとの再会を喜んだ。

高校時代は毎学年クラス替えがあり、3学年時には英数国の3教科で進学4クラス中トップクラス編成で更にクラス移動があった。クラス会を開く環境になかった。室蘭在住の有志が同期会開催の労を担ってくれて1957年卒のClass Reunionが開かれている。私が初めて参加したのが登別温泉での第18回(1989年)、その後は札幌での開催も増えて今までに10回ほど参加した。東京やハワイでも開催されている。最近の会場は登別温泉が多いが幹事のご苦労は感謝に堪えない。今回が第45回七期会で参加者は29名。女性の名前が分からないのが残念だが二次会まで和気あいあいに過ごした。60年前に同じ学校で学んだ者同士の心の触れ合いには代えがたいものがある。

病後、初めて札幌を離れての1泊旅行。昨年から妻に勧められていた携帯電話を持つことにした。購入したのは先月だがコンサートには未だ携帯していない。マナー・モードにしても万が一が気になる。もう少し時間が必要なようである。昨年11月の旅行予定はキャンセルしたが、今後は余計な心配なしに旅行にも出かけられる気がする。


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教師冥利に尽きる人の繋がり

これまで英語教師として勤めた高等学校は3校である。1961年3月に大学を卒業して最初に勤務した学校が北海道浦幌高等学校であった。浦幌町は帯広と釧路のほぼ中間に位置する。昭和36年4月に全日制課程が設置された年に赴任した。1学年2クラス編成で定員80名でスタートしたが、教育レベルを高くしたこともあって第一期卒業生(昭和39年3月卒業)は73名。教師を含めたクラス会が始まったのが、新校舎落成と学校創立35周年を記念した昭和61年12月だったと記憶している。その折に浦幌町の留真温泉に教師4・5名と生徒20名ほどが集まった。

その後、2001年から浦幌・帯広在住者、札幌在住者が交互に幹事となって2年ごとにクラス会を開催して、クラス担任だけでなく教科担任にも案内状を出していた。札幌開催の折には比較的多くの参加者がある。会を重ねて東京在住者が幹事となって2013年は2泊3日の予定で卒業50年目の修学旅行という画期的なプログラムで開催された。参加者は常時、30名ほど。今では物故者が生徒15名、教師3名となってしまったが、今年も24名の参加者があった。宿泊を伴う会合は参加者相互の関係が深まり、教師・生徒の枠を越えた心の交流がある。特に東京でのクラス会は楽しい旅の計画もあって参加者相互の人間関係がより一層深まった。

浦幌・札幌・東京と3地区にそれぞれ幹事を置いて、当番幹事を中心として協力関係が出来ていることも参加率の高さにも繋がっている。このような協力関係が参加率の高さだけでなく、参加者相互の心の繋がりに貢献している。
今年の当番幹事は帯広・十勝・浦幌地区で9月29日に帯広のホテルで会合を開いて、翌日は浦幌ツアーのプログラム。私自身も30年ぶりに浦幌を訪ねることになった。1963年には人口が15.000人ほどであったが、今では5,000人ほどの街になっていた。それでも外観は新しい商店、住宅や庁舎などが立ち並んで小奇麗な街に一変していた。立派な町立博物館も18年ぐらい前に開館して今年で入館者が15万人に達したというから凄い。山の麓にあった旧校舎は跡形もなくなっていて当時の体育館だけが残っていて屋内ゲートボール場として利用されているようだった。周囲の環境もすっかり変わっていた。十勝毎日新聞の取材があって旧体育館をバックに写真撮影。

今回の幹事のもてなしは素晴らしい心のこもったものだった。前回の東京の計画に刺激を受けて、浦幌ツアーというプログラムを作ってくれた。 在職した8年間(1年間は米国留学で休職)で市街地しか知らなかったが、生徒が通っていた小中学校がある地区を含めて6・7台の車で案内してくれたのである。緑の木々の続く道路を通って雲の切れ間から見える青い空のもと、車は川沿いを山に分け入って行く。道道の両側に延々と続く畑は実りの秋を迎えて農家は大忙しなのだろうが人の姿は見えない。そのくらい農地は広い。太平洋に面した海岸線や日高山脈を見渡せる場所まで車は走行してくれた。

浦幌の広いことは分かっていたが、車で走ってその広大な自然の素晴らしさを味わえた。生徒が育った環境を知らなくても、当時は教育に直接結びつくことは無かった。私のクラスから教員になった生徒が4名いたが、その生徒の一人が自家用車で案内してくれた。古稀を迎えて今も弱い立場に置かれた児童・生徒の指導に定期的に携わっているようであった。

懐かしい町を訪ねる浦幌ツアーが終ると、幹事は参加者が帰路に就く場所まで送ってくれる配慮も嬉しかった。私は帯広駅まで送ってもらった。道中お互いに分け隔てなく接していたが、当時は熱意だけで教育に携わっていた未熟な教師であった自分自身にごく自然にいろいろ配慮して接してくれることに一段と教師冥利に尽きる想いをする旅であった。

2年後は札幌が会場でどんな新しいプログラムになるか楽しみである。

※修学旅行は引率で行く回数が多かったが、浦幌高校第一期生は全日制の上級生はいなかったので春休み中に修学旅行が実施された。日程は当時12泊13日であった。(函館起点で11泊12日。道内は鈍行列車の利用で車中泊6日、旅館泊6日。) 車中泊で眠れなかったのが辛い思い出。東京・京都・奈良のほか日光・鎌倉・江の島・小豆島・高松までの旅は今では信じられない程だが、当時は修学旅行が終ると旅行する機会は一生ないと考えられていた。舟木一夫の「高校三年生」が流行っていた時代で、今日でも《クラス会のしおり》に校歌と共に歌詞が必ず載っていて歌われる。
プロフィール

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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