ヨーヨー・マのドキュメンタリー映画“The Music of Strangers”

カザルス、フルニエ、ロストロポーヴィチの後を継ぐチェロ界の巨匠Yo-Yo・Maも還暦を越えた。映画の日本語タイトルは「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」。20年ほど前に旅したシールクロードに想いを馳せて映画館に足を運んだ。
Yo-Yo・Maはパリ生まれの中国系アメリカ人。文字通りに広大なシルクロードを旅する音楽の旅かと想像していたら、そんな単純な音楽の旅ではなく、英語の原題“The Music of Strangers”(見知らぬ人々の音楽)に相応しい映画だった。チェロという楽器だけでなく、世界の様々な伝統的な楽器の奏者と出会って、彼らと共に新しい音楽を創り出していく物語。いろいろな文化的背景を持った人々が一緒に音楽を通して繋がっていく様は感動的である。

ヨーヨー・マは6歳でデビューし、1962年にニューヨークに移住してジュリアード音楽院入学。63年にバーンスタイン指揮のテレビ番組に出演。その後、アイザック・スターンとカーネギーホールで共演して天才少年として注目を浴びた。21歳でハーバード大学大学院卒業後はヨーロッパにも活動を広げ、ベルリン・フィル、ウィ-ン・フィルなど世界の一流オーケストラと共演。室内楽活動も積極的に行った。81年に初来日して以降、90年代は毎年のように来日していた様子。札幌では2回ほど公演を行っているがチケットの入手が困難な人気の演奏家。残念ながら一度も彼の生演奏は聴いたことがない。

映画にはバーンスタインやスターンの映像が出てきて懐かしかった。マのソロ活動の映像はほとんどなく、彼が2000年にタングルウッドで始めた音楽祭「シルクロード・プロジェクト」に視点が置かれる。中国からシリアまでの幅広い地域を含む東西の音楽交流
の姿が描かれた。中国の琵琶「ピバ」、シリアの楽器「ケマンチェ」、ヨーロッパの「バグパイプ」、日本の「「尺八」などによる東西の音楽と現代の音楽との融合がそれそれの国々に住む人々の生活とともに描かれる。

2001年に起こった“9・11”という困難を乗り越えて「シルクロード・プロジェクト」が続いている。ヨーヨー・マの20年に亘る新しい音楽創りとプロジェクトに参加するメンバーのそれぞれの生活が世界共通の音楽という言語を通して生き生きと描かれる様が心に響いた。クラシック演奏家の枠にとどまらない幅広い人間愛に溢れたドキュメンタリー。音楽を通して世界が繋がる尊さが伝わる映画だった。世界平和のために一人の音楽家として活動している自然な姿にヨーヨー・マの人間としての偉大さも感じた。

何十年も飛行機で世界中を演奏旅行で飛び回って忙しくしていたので、息子さんは父親が空港に勤めていると思っていたと笑いながら語っていた。映画の中で「バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番」、「サン=サーンス:白鳥」の曲も流れたがヨーヨー・マの演奏をライヴで一度は聴いてみたい。
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ブラジルのスラム街から生まれたオーケストラ

ブラジルのRio de Janeiroで行われたオリンピックも無事終わった。史上最多のメダルを獲得した日本選手団の健闘を称えたい。感動的な場面が幾つかあったが最も印象に残ったのが陸上男子400Mリレーの銀メダル獲得。ジャマイカと優勝を争うとは予想もしていなかった。(レース終了後にウサイン・ボルトが日本の4選手に握手を求めた姿も印象的であった。) 素晴らしかったリレーのVTRは何度見ても見飽きない。体操男子個人総合で内村選手が最後の鉄棒で見せた完璧な演技も強烈な印象を残した。

リオ五輪を前にリオ・デ・ジャネイロの貧民街ファべーラの様子をテレビ映像を通して知った。今大会初のブラジルの金メダリストはファべーラで育った柔道女子選手であった。恵まれない環境の中でスポーツや音楽で逞しく育っている人々がいるのは見事である。

昨日は久しぶりに音楽映画を鑑賞。ブラジル最大の都市サン・パウロの貧民街から生まれたオーケストラの物語を描いた映画の上映が数日前から始まっていた。2015年制作のブラジル映画で英語のタイトルは“The Violin Teacher”.。日本語のタイトルは「ストリート・オーケストラ」。
物語の舞台はサン・パウロ最大のスラム街エリオポリス。NGOが支援するスラム街の子供たちのヴァイオリン教師として赴任した男の物語。彼は厳しい教育環境にもめげずに音楽を通して未来を切り拓くことを子供たちに辛抱強く教えた。ひとりのヴァイオリストの情熱的な活動によって子供たちが音楽演奏に生きがいを見出して自分たちのオーケストラ“エリオポリス交響楽団”を設立した。サッカーやサンバで熱いブラジルのイメージが浮かびがちだが、この映画はクラシック音楽でブラジルを動かした感動の実話に基づくストーリーである。

※音楽によって青少年を貧困や犯罪から救う“エル・システマ”の活動が南米ベネズエラから発信されて世界に知れ渡った。グスターボ・ドゥダメル(Gustavo Dudamel)はシモン・ボリバル・ユース・オーケストラを率いて来日公演を行ったのも記憶に新しい。彼は2010年からロスアンゼルス・フィルの音楽監督を務め、ベルリン・フィルとも度々共演している。ほかにエル・システマ出身者として世界的に活躍している演奏家もいる。

※Rio de Janeiroの地名が日本では通常リオデジャネイロと綴られている。ポルトガル語の綴りからはリオ・デ・ジャネイロとなるのだろうが、慣習的に区切りをつけない。少し長めの地名なのでリオデジャ・ネイロと区切って発音しがちになる。自分も長年にわたって、そのように発音してきた。2年前にイグアスの滝を訪れた時に綴りに気付いた。60年以上も綴りを意識していなかった。ラテン系の言語を考えたら当然の“de”。思い込んでいると想像力も働かない。新しいことに気づいて新鮮な感じを覚えた瞬間であった。(*都市名はポルトガル語で「1月の川」、つまり英語で“The River of January”を意味する。ポルトガル人が約500年前の1月に発見した川に因んで命名され、後に町の名に転用されたと言う。) 1960年までブラジルの首都であったリオデジャネイロで9月からパラリンピックが始まる。また、テレビ中継に夢中になりそうである。

映画《「ロイヤル・コンセルトへボウ」 オーケストラがやってくる》

コンサート鑑賞に次いで映画鑑賞は回数が多い。1月は6回、2・3月は体調が良くなくて0回。4月はアカデミー賞受賞作の映画を4本観た。5月に入ってこれまでにボランテイア活動もKitaraで2日間、時計台で既に5日間行えるほど体力も回復した。コンサート鑑賞も今月は9回の予定である。映画も既に3本観ていて、今月のスケジュールは詰まっているが、音楽映画の上映に気づいて予定外の映画鑑賞が増えた。今日は音楽映画が上映されることが度々あるシアターキノに出かけた。

2013年、ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団は創立125周年を記念して世界一周ワールドツアーを実施した。2014年、オランダが制作したRoyal Conncertgebouw Orchestra AMSTERDAM 初の公式記録映画。英語のタイトルは“AROUND THE WORLD IN 50 CONCERTS”。
ウィ-ン・フィル、ベルリン・フィルと並ぶ世界三大オーケストラとして名高いロイヤル・コンセルトへボウ管。「コンセルトへボウ」はコンサートの建物、つまりコンサートホールを意味するオランダ語。1888年に設立された専属オーケストラはメンゲルベルクが常任指揮者(1895-1945年)として半世紀にわたって活躍した時代にトップ・レヴェルの楽団に成長して、その後、ハイティンク(1961-88年)、シャイ-(88-2004)、ヤンソンス(2004-15)を経て2016年秋からはダニエル・ガッティが首席指揮者を務める。
Kitaraにはシャイ-時代の2000年、02年の2度、札幌公演が行なわれたが、残念ながらその後の来札はない。ヤンソンス時代には1年おきに来日していた。ヤンソンスがこのオーケストラの国際的な評価を更に高めたと言われる。

ワールド・ツアーに旅立つ前に、飛行機に楽器を積み込む様子も描かれていて興味深かった。パジャマで楽器を包んで温度差に対応していて、楽器収納の状況が完璧に見えた。南米に到着して楽団員がオランダの家族に電話して連絡を取り合う様子、アルゼンチンでは出身国ウルグアイの国境を眺める楽団員、ホテルのレストランで友人と食事をしながら音楽、特に民俗音楽の良さについて語り合う場面も描かれた。アルゼンチンの孤独を抱えるタクシー運転手、南アフリカの貧困に苦しむ少女や世代も境遇も違う人々の心を揺り動かす音楽。南アフリカやロシアの旅を通して音楽を心の拠り所として生きている人々の姿に出会う。音楽を奏でる人と聴く人たちの人生も垣間見えた。
団員たちは旅行を通して世界中の人々と触れ合う中で無限の可能性を持つ音楽の力を再発見する。アルゼンチンでは仕事でコンサートに来れない友人を訪ねて出張サーピスで音楽を届ける楽員の姿は感動的だった。南アフリカの中高の生徒に「プロコフィエフ:ピーターと狼」の曲の紹介でクラシック音楽に興味を持ってもらう楽団の活動には感心した。コンセルトへボウの記録だけに終るのではなくて音楽を世界に広げる無色の映画になっているのが意外でもあり好感が持てた。

「ブルックナー:交響曲第7番」で出演場面が1回だけだが、充実した想いを語る打楽器奏者(シンバル)の語りで始まり、「ショスタコーヴィチ:交響曲第10番」の演奏でコントラバス奏者としての充実感を味わった音楽家の話で締めくくられたが彼の話はとても印象的で含蓄があった。(*スターリン時代の圧政を表現したBassの音の話がためになった)。彼らの収録場面の会場はコンセルトへボウの本拠地。ウィ‐ン楽友協会大ホール、ボストン・シンフォニーホールとともに20世紀の世界三大ホールとして親しまれてきた音響の良い素晴らしいホール。そのホールの様子を目にすることが出来たのも非常に良かった。

ヤンソンスが主に指揮を担った同団の演奏曲は馴染みの曲が多かった。「ラフマニノフ:パガニーニの主題による変奏曲」、「マーラー:交響曲第1番 巨人」、「メンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲」。 「ヴェルディ:レクイエム」と「マーラー:復活」での合唱部分は荘厳な感じが歌詞を通しても伝わって良かった。

久しぶりのドキュメンタリー音楽映画を楽しんだ。

久しぶりの映画鑑賞~「杉原千畝」

昨年12月初旬から「杉原千畝(スギハラチウネ)」がロードショーとして上映されている。杉原千畝は“日本のオスカー・シンドラー”と呼ばれた外交官であるが彼の諜報外交官としての知られざる姿も外国人監督のもとで描かれた。第二次世界大戦中の1940年、杉原は外交官として赴任していた日本のリトアニア領事館でナチスに迫害されるユダヤ人にビザを発給し続けて数千人の命を救った人物である。当時ドイツとソ連が不可侵条約を結んでヨーロッパを支配しようとしていた。バルト三国やフィンランドもソ連の支配下にあり、リトアニアでビザを発給できる国は日本だけという状況下におかれた。まもなくソ連が占領して領事館も閉鎖される状況が迫っていた。そんな差し迫った国際情勢の中で日本の一外交官がとった勇気ある人道的な行動が脚光を浴びているのである。

私が杉原千畝の名を初めて耳にしたのは今から25年ほど前の高校生英語弁論大会においてであった。ある私立高校の1年生が杉原千畝の物語を英語でスピーチしたのである。
1988年に転任した札幌北高等学校で一年目はラグビー部の副顧問として活動したが、充分な活動が出来なかった。翌年、生徒に呼び掛けて文化系の部活動として当時は無かった〈英語が好きな生徒のための「英語同好会」〉を設立した。その後、正式なクラブとして認められて20名前後の部員が「英語研究会」として幅広い活動を行なった。石狩地区英語弁論大会や全道大会に出場して優勝する生徒も出て7・8年は顧問として比較的に充実した活動が出来たことをこの機会に思い出した。 

杉原の行動は日本の外務省の正式な許可を得ていなかったので、彼の活動が国際的に評価され出した1986年以後も日本国民には広く知られていなかった。外務省が彼の活動を公式に認めたのは21世紀に入ってからである。
今回の歴史ドラマによって杉原千畝の過去の偉大な業績が多くの日本人の知るところとなるのは確かである。今回の映画で彼は“センポ・スギハラ”と自己紹介していて海外では“Sempo Sugihara”という名で知られているらしい。

映画が公開されてから1ヶ月も経つが、映画館は混んでいて希望の時間には観れなかった。帰宅後の朝日新聞夕刊の記事にリトアニアの旧領事館のことが書かれていた。現在は「杉原記念館」として使われているが、建築後76年も経って、老朽化しているという。来館者数が2014年には急増して1万人(うち日本人約9千人)を超え、15年は11月までで約1万5千人(うち日本人約1万2千人)にも達している。今後ますます増えることが予想される。映画上映やテレビ報道で一気に人々の関心が高まる中で、過去の日本人が果たした業績が世界で認知されていくことは喜ばしい。日本でもリトアニアのために個人として現在の自分たちに出来ることもあると思う。

海外旅行中、日本ではあまり知られていない日本人の業績や歴史出来事に気づくことは度々ある。悪い面を含めて過去の歴史に関して正しい認識が必要なことを今回の映画を通して改めて痛感した。

※千畝はローマ字で書くと“Chiune”となるが、外国人が正しく発音することは難しい。多分、杉原は「千の畝」を“Sempo”と呼んでもらうことにしたのではないかと推測する。ローマ字ではsen-poと書いても英語で発音する時にはnの後にpが続くことは無い。p、b、mの綴りの前ではnはありえない。(上唇と下唇が閉じてしまうからである。“important , impossible”を覚えている人は多いと思う。“moral”の反意語は“immoral”、“balance”の反意語は“imbalance”(アンバランスは和製英語)。
つい、元英語教師であった職業柄で余分な事を書いてしまいました。






本年度アカデミー賞主要部門ノミネート作品の映画鑑賞

Kitaraが2月16日より休館になってから本年度アカデミー賞ノミネートの状況をネットで検索した。2月下旬のアカデミー賞発表前で丁度良いタイミングであった。作品賞などの話題作の再上映の3作品を発表直前に鑑賞した。《フォックスキャッチャー》、《6才のボクが大人になるまで》、《グランド・ブダペスト・ホテル》。
2作品は昨年の早い時期に上映済みで、今回が再上映だった。2作品とも見ごたえがあって面白かった。《6才のボクが大人になるまで》は6才の少年とその家族の変遷の物語が12年間に亘って同じ主要キャストで撮り続けた画期的な映画。両親役のイーサン・ホークとパトリシア・アークエットの演技は助演男優賞と助演女優賞の有力候補だと思える好演。

アカデミー賞発表後、3月に入って、《アメリカン・スナイパー》、《博士と彼女のセオリー》、《イミテーション・ゲーム》、《インツゥ・ザ・ウッズ》を鑑賞した。
一番興味を抱いたのがホーキング博士に関わるストーリー。30年ほど前に「ホーキング、宇宙を語る」という本を読んだ。博士がALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を背負って研究を続けた天才物理学者の姿は世界に紹介された。その後、日本でも同じ病気と闘っている人々が少なからずいることも判った。余命2年と宣告されながら、5年、10年と“余命”が伸び、子どもにも恵まれた。この映画は博士の妻の著書に基づいて作られた。ホーキング博士を支えた妻の話は知らなかったので極めて興味深い感動的なドラマとして鑑賞できた。“命ある限り望みがある”という生き方は人々に感銘を与える。
 
《INTO THE WOODS》はメリル・ストリープが助演女優賞の候補になっていたので観てみた。彼女の出演する映画を数多く観ているが、彼女はどんな役でも見事にこなす。79年、「クレイマー、 クレイマー」で助演女優賞、82年、「ソフィーの選択」で主演女優賞をそれぞれ初受賞。以来、アカデミー賞多数受賞の大女優である。女優歴が約40年でこれほどいろんな役を巧みにこなす俳優は他にいないのではないだろうか。
今回ノミネートされた作品はミュージカルで、作品全体として重みのある映画というわけではないが、6年前の「マンマ・ミーア」の物凄く楽しかったミュージカルに惹かれてついでに観てみた。観客は他の作品と比べて断然多くて、入場時にチケット完売のアナウンスが流れていた。

2月の授賞式の模様はニュースで一部分を見ただけだが、助演女優賞を獲得したアークエットがスピーチで[男性と女性の時間給の差]について言及した。“平等な権利を求めて闘いましょう”と呼びかけた時にストリープが客席から人差し指を高く突き上げて賛同の意を表した場面が脳裏に焼き付いている。華やかな俳優活動の中で男女差がアメリカで浮かび上がったのは意外な感じがした。(*12年間、子育ての最中の俳優活動は収支に見合わないものがあったことを感じ取れたのである。)

今年のアカデミー賞作品賞受賞作は《バードマン》。来月公開予定だが、FOXサーチライトの作品。昨今、〈20世紀FOX〉や〈UNIVERSAL〉などの大会社の制作本数は制限されて、多くは子会社を作って出来るだけお金をかけないで映画を製作しているようである。本年度はインデペンデント会社の多くの作品が、結果的に賞の対象になったらしい。俳優の出演料も安くて済むという話をアメリカの大手映画製作会社の担当者から直接聞いた。

《バードマン》はまだ観ていないが、個人的には《6才のボクが大人になるまで》、《博士と彼女のセオリー》が作品賞になってもおかしくないと思った。

シニア料金で観れるようになり、時間的余裕も生まれて、年に2・3本の映画鑑賞が徐々に増えて、今では年間30本前後、月3本程度は観ている。最近ではアカデミー賞発表時期には洋画の鑑賞が多くなる。以前は殆ど洋画ばかりの時期もあったが、今では邦画も年10本程度は観るようになった。邦画全体のレベルが上がって来ている印象を受ける。

Kitaraが閉館中で4月はコンサート鑑賞の予定が今のところ1回だけである。METビューイングを含めて映画館に通う回数が増えそうである。
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fsuterry

Author:fsuterry
年間60回以上札幌コンサートホールKitaraに通うクラシック音楽ファン。クラシック全般に関心があるがオーケストラ・ピアノ曲が特に好きである。 

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